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米国イェール大学卒業後、三井物産入社。そして落語家となった立川志の春さんが語る「噺の話」

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【満員御礼】Next Wisdom Gathering “噺の話:欧米流と日本流と立川流“

個性を出して生きろ!自分の意見を持て!自分から主張しろ!と教育や仕事など各所で耳にします。一方、日本には大器晩成という言葉があり、じっくりと自己を 見つめたのちに花開く場合もあります。前者は比較的欧米型、後者は日本型と分類して、両方の側面から自己表現や自己実現を考えてみたいと思います。今回のゲストは欧米で育ったのち、偶然聞いた落語に衝撃を受けて立川志の輔師匠の三番弟子となり、いま落語という日本流の表現をしている立川志の春さんをゲストに、噺の話をしていただきました。

ゲスト:立川志の春(たてかわしのはる)さん/落語家

落語家。立川志の輔の三番弟子。2002年10月入門。2011年1月二つ目昇進。1976年8月14日、大阪府豊中市生れ。幼少時と学生時代の計7年間を米国で過ごす。米国イェール大学卒業後、三井物産にて3年半勤務。古典落語、新作落語、英語落語を演じる。日比谷コンベンションホールにて月例独演会「火曜落語劇場」 を開催、その他国内各所及び 海外(シンガポール)にて定例会を開催中。大学、企業にて英語落語を交えた講演多数。著書に 「誰でも笑える英語落語」(新潮社)、 『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか?』(星海社)、「自分を壊す勇気」(クロスメディアパブリッシング)がある。

公式サイト:http://shinoharu.com

とにかく、師匠を快適にすること

プロの落語家になるためにはプロの落語家の弟子にならないといけない、これは唯一の決まりのようなものです。アマチュアとプロを分けるのは、プロの下で修業するということなんです。まず誰かの弟子にならなくてはいけない。そこで私は、師匠立川志の輔の弟子になったわけです。落語家というのは入るための試験はないんです。喋ってみろとか、才能があるかというのは最初は問われないんです。相性の問題はありますが、熱意さえ伝われば大概の場合入れてくれるんです。というのは、師匠自身もそのまた師匠の弟子として存在しているので、下が来るのを止めることはできない。で、落語家には身分というものがありまして、入門するとまず「見習い」という立場から始まります。その次が「前座」、その後に「二つ目」、最後に「真打」という立場になります。

簡単に説明しますと、見習いというのは師匠の身の回りのお世話をする中で落語界のしきたりを学んでいく立場です。まだ名前が付いていませんし、落語もできません。前座になりますと師匠の身の回りのお世話をしながら、名前が付いて前座として落語ができるようになります。ただし自分の会を持つことはできない。二つ目になると自由に活動ができるようになる。そして真打になると弟子を持つ事ができ「師匠」と呼ばれるようになる。私はいま二つ目、自由に活動ができるところにおります。

入門して、見習いと前座という期間が修業の期間になります。その間で師匠から言われることはですね、一言だけ。うまくなれとかそういうことじゃない、一言「おれを快適にしろ」という言葉だけなんです。これは元々立川流家元立川談志師匠の言葉です。それが立川流の伝統になっている。あまり日常生活で聞くことはないですよね、おそらくこれを会社で言うと何らかのハラスメントでアウトでしょう。でも、とにかく我々の世界においては、「おれを快適にしろ」だけ。なぜかというと、師匠1人を快適にできないでお客さんを快適にできるわけがない、という考え方なんです。ということは、最初の時点ではテクニックなんかどうでもいいんですよ。徹底的に身近で一番大事な人、一番尊敬している人間を快適にできるかというようなことなんです。その1人に対して徹底的にやることが高座につながっている、という考え方なんですね。

ただ「快適にする」というのが、どういう風にすれば快適になるかとは教えてもらえない。だから自分の頭を使って常に快適にしようとするわけです。高座に関わる部分だけじゃない。私の場合、8年間の修業時代は主に運転手をやっていたんです。そうすると運転の仕方でも快適か快適じゃないかがあります。車間距離が快適じゃない、車線変更のタイミングが快適じゃないとか、もううるさ、、、いや、要求が多いんです。でもそういう車間距離とか車線変更のタイミングというのが、話をするときの間とリズムにつながっているんだ、というようなことを言われるわけです。とにかく全部繋がっているんです、「快適にする」というところで。

これをやろうとするわけですが、難しいんです。人間それぞれ価値観というものがあって、なかなか相手のことを徹底的に考えても考えられるものじゃないんです。どこかで邪魔するものがある。特に私の場合は、アメリカで七年間過ごしていました。マイペースに生きるという事がベスト、という教育環境です。「私はこういう人間である、あなたはそういう人間である、だからそこには干渉しません」と、お互いの違いを認めながらお話をしましょうという考え方です。自分を主張するために考えを表明しないと、あなたがどういう人間なのかわからない。だから自己主張をしなさいというわけです。

しかし修業が始まると、お前の考えなど一ミリも関係ない、と言われる立場になるわけです。前座というものは虫ケラだ、というような言葉が落語界にはありますが、本当にそういう存在なんです。つまり、自分の考えを言いたければ早く昇進しなさい。それまでの人生経験もなんら意味はない、全部関係ない。この世界に入ってきたら、それまで何をやってきたかとか、どんな学校にいったか、どんな企業にいたか、そんなことはなにも関係ない。ここでゼロからスタートしなさいということなんです。でも、これがなかなか捨てられないんですね。ゼロになれなかった、師匠をなかなか快適にできなかった。それで情けない話、何度もクビになりました。

マクドナルド事件

初めてクビになったのが入門して三ヶ月の頃でした。マクドナルドの注文がきっかけなんです。二十六歳ですよ、二十六歳で会社辞めて入門して、クビになったのがマクドナルドなんです。私は三番弟子なんですが、二人の兄弟子から教わっていて「師匠からマクドナルドに行けと言われたら買ってくるものは決まっているからお前覚えておけ。4点あるんだ。まずチーズバーガー、フィレオフィッシュ、コーンポタージュ、コーラのSサイズ、この4点だ。」と言われていたんですね。私はそれを覚えておりましたからある日師匠から「マクドナルドに行ってこい」と言われた時に、「はい、かしこまりました」と言って、マクドナルドに走って行きました。

マクドナルドに行ってみますと、年末年始のスペシャルメニューをやっておりましてね、ハンバーガーとチーズバーカーをやっていなかったんですよ。そこで勝手に別のものを買ってしまうのはいけないだろうということで、師匠に電話をしましてね「申し訳ございません、いまマクドナルドに着きましたらチーズバーガーがないんですけれど、何か別のものにしたほうがよろしいでしょうか?」と。すると電話の向こうで不機嫌なんですね、「う゛〜」と、まさに龍角散のCMのような感じなんですね。「う゛〜ん、いい!普通でいい!!」ガチャっと切られまして。意味が分からないんですね。「普通でいい」って何だ? と。

でも毎日頭ごなしに怒鳴りつけられているのでビクビクしてましてね。もう一度電話をして「師匠ごめんなさい、普通ってなんでしょうか?」と聴く勇気がなかったんですね。どうしようと考えましてね、いい!普通でいい!、じゃあいらないということだな、というので、残りの三点を買って師匠のところに持って行きますと、袋を受け取って、中から順に取り出していって、三つ取り出したところで、手で袋の中をずっと探して…。目つきが険しくなってきましてね、「普通のハンバーガーはどこだ!!」と言ったんですね。普通ってそういうことだったのか、とその瞬間に思ったんですが。あっ!と思った時には「買ってこーい!」と言われて、また飛び出すわけです。その時に分かるわけです。コミュニケーションがずれていたと。

私は、師匠の4点セットに関係するのはチーズバーガーだけなので、「チーズバーガーはございません」と言ったんですね。私自身はハンバーガーとチーズバーガーがないのは知ってたわけです、でも師匠に伝わったのは「チーズバーガーはございません」だけ。そこで「じゃあ普通でいい」というのは、当然ハンバーガー、ということになるわけです。師匠にしてみれば、その後に何も連絡がないので普通のハンバーガーを買ってくるかと思ったら買ってこない、それで怒った。それにもう一度買いに行く途中に気付くわけです。

私は途中で放棄していたんだと、コミュニケーションを。最終的に何が欲しいか、何が快適かということを確認せずに。「普通って何ですか?」「普通のハンバーガーだ、馬鹿野郎!」となったほうが結果的にはまだ師匠は快適だった。私はそれを放棄していたんです。自分で勝手に決めて、まあ残りの三つでいいだろうと。それでもう一度買ってこいと言われた。

それだけじゃない。買い直しに行く途中でもうひとつ考えたのは、最初に電話した時になぜ不愉快だったのかということ。それは多分チーズバーガーを欲しいという師匠に対して、なんとしてもチーズバーガーを手に入れるという努力をしていなかったから。それは時間の経過で分かるわけですね。その努力をしないうちに、「何か別のものでよろしいでしょうか?」と聞いてきたという。勝手にこいつは他でもいいという判断をしやがった、チーズバーガーを何が何でも手に入れることをしなかった、ということで、ものすごく不機嫌だったんだと分かった。これ、別にチーズバーガーだけの問題じゃない。勝手に相手の要求を私自身の判断でオーバールールしてしまったということが問題なんです。

それで2回目にマクドナルドに行きまして、また「チーズバーガーをください」と。当然「ありません」と言われたんで、じゃあ分かりました、ビッグマックをくださいと。そのかわり他のものを抜いて、チーズバーガーにしてください、全額払いますからと言ったら作ってくれたんですよ。それを師匠のところに持って行きました「チーズバーガー買って参りました」と。すると「もう遅い!二度と俺の前に顔を出すな!」と言われて、一回目のクビが決まったということです。

こんなことも分からねえのか、ということですね。でもね、このまま本当に顔を出さないととおしまいなんです。落語界というのは1人の師匠に弟子入りをして、その師匠のところで勤め上げることができなければよほどの事情がない限りはダメ。1人ダメだったらもうダメなんです。ということは、諦めてしまったら、もう私は落語家にはなれないんです、終わりなんです。だから顔を出すなと言われて顔を出さないわけにはいかないんです。

私は三番弟子ですけど、本当は二十番目くらいなんです。みんな顔を出さなくなるんです。こわいんですよ。顔を出すなと言われて、もう一度現れて、顔を出すなと言ったじゃねえか!と言われるのが怖いんです。でも行かないと終わりなので、頭丸めてもう一度行くわけです。もう付き人ができないわけですから、スケジュールを兄弟子からこっそり教えてもらって、そこに行くわけです。

兄弟子が運転している車がついてドアが開いて「申し訳ございません、一から出直させてください」と。これを何度も何度も気持ちが伝わるように繰り返す。しょうがない、じゃあもう一度一からやり直せ、ということでまた入れてもらって。それが私の場合は何度も繰り替えされたわけです。快適にしろということがなかなかしみ込まなかった、自分の価値観がなかなか捨てられなかったんですね。

教えない、という教え方

よく会社を辞めて入門しましたねとか、よく飛び込みましたねと言われるんですが、まったく飛び込んだという感覚もなくて、「落語がやりたい、これをやらなければ後悔する」という気持ちしかありませんので、自分にとっては自然な流れだったんですね。入ることよりも、辞めないという方が大変でした。

そういう中で兄弟子からも「お前はなにも分かってねえよな」と言われ続けました。例えば「打ち上げで師匠に名刺を持ってこいと言われた時に、お前はどうする?」と。私は師匠のカバンをいつも持っていて、名刺入れには名刺を毎回補充するようにしていますから、「名刺入れを師匠のところに持って行きます」と答えると、それがダメなんだよと。

まずお前がそのまま名刺入れを持って行って、もし周りにいる全然関係ない人たちからも「名刺を下さい」と言われたら、師匠本人は断れないだろうと。無駄に名刺を配らなくてはならないことになる。だから一枚だけ持って行けばいいんだ、と。他に渡す人がいるんだったら、もっと持ってこいと言われる。それだけじゃない。例えば、酔っぱらいにからまれていて名刺を渡したくない、という状況もあるだろう、と。そういう時は名刺がちゃんとあったとしても「申し訳ございません、ただいま切らしております」と言う、師匠がそれを受けて「馬鹿野郎、てめえ名刺を切らすんじゃねえ!」と怒られるかもしれないけど、それはオッケーなんだ。周りを観察した上で、師匠を快適にする為の判断をしているということは伝わるんだ。それを聞いたときに、私は全然ダメだなあと。そのようなことをだんだん身に付けていくわけです。

落語に関していうと、徒弟制度というのは教えないんです。学校と違うんですね。「こうしなさい」ということがないんです。でも稽古はつけてくれます。落語を教わるときは一対一でまず師匠がお手本をやってくれる。それを今ですと弟子が目の前でレコーダーで録らせてもらって、それを自分で書き起こして、覚えて、話してみせて、師匠からOKをもらったら、やっとお客さんの前で噺ができるようになるんです。熱意を示すためには、とにかく早く覚えること。行為で表さないといけない。私は落語が好きですということを、言葉で何百回言うよりも、教えてもらった事を一日で仕上げてくることで熱意を伝える。

前座の間は言葉を取り上げられるんですよ、つまり言葉でコミュニケーションできない。自分の気持ちを師匠に会話で伝えることはできないんです。私の方から何かを言うことはできません。挨拶と事実の報告だけ。雑談や会話というものはない。言葉を取り上げられてしまうんです。行動で全部示せ、行動で示したことは真実だと、それで認められろということなんです。前座の間は稽古をつけてもらって、それを少しでも早く覚えて師匠に見せにいくことだけです。

で、師匠の前で覚えたものをしゃべり始めると、五秒くらいで「そんなの落語じゃねえ、落語にしてから持ってこい!」と言われます。何が落語じゃないかは言ってくれない。それでまた迷うわけですね。落語じゃない、じゃあどうすれば落語になるんだろうと。ヒントは一言も教えてくれないんです。そこで試行錯誤するわけですが、2回目に見せにいって「こんなものを持ってきたのか!」と言われるのが怖いのでなかなかいけない。だからずっと練習して「これだ!」というものを持っていく。すると今度は七秒くらいで「そんなの落語じゃねえ、落語にしてから持ってこい!」と言われる。それが10秒、15秒と、だんだん長くなっていって、やっと噺をひとつできるようになるんです。

褒めて伸ばすか、貶して伸ばすか

これを会社などに置き換えるとなかなか難しいでしょうね。部下が持ってきたプレゼンを上司が見て「こんなものはプレゼンじゃねえ、プレゼンにしてからもってこい!」ビリビリビリ、というのはできないでしょうね。学校なんかでも、読書感想文を先生に持っていって、「こんなもの読書感想文じゃねえ、読書感想文にしてもってこい!」とは、なかなかできないことだと思います。落語では教えないという方法で教えるんですね。これは時間がかかりますし、イライラすると思うんですね、師匠のほうも。でも弟子はその間に自分で考えて右往左往していることが、全部後から身になるんですね。

教える側にとっても、最初からヒントを与えて教えてしまったほう方が多分スッキリするんですよ。良いヒントを与えれば弟子も上達するでしょうから、進むのも早い。でも教えないと、また一ヶ月くらい右往左往してトンチンカンな結論に達して、それを持ってくるんですよ。それでまた違うと、その繰り返しです。私もいろいろやりました。発声に問題があるんじゃないかと思ってミュージカル風に発声してやったり、落語を全部音符にしてみたり、演じ分けを極端に激しくしたり。でもそんなものは三秒も聞けないんです。落語っていうのは、演じるともいわず、演じないともいわず、独特のリズムを徐々に身に付けていかなくてはいけないんです。でもそれを「こうしなさい」とは教えないんです。

欧米式の教え方と日本の古い徒弟式の教え方と、どこが一番大きく違うかというと、褒めて伸ばすか、貶して伸ばすか、ということです。私は入門してから三年間は、毎日のように才能がないからやめたほうがいいと言われました。上手いやつは初めから上手いんだ、ヘタな奴はずっとヘタなんだ、ヘタな奴が上手くなるということはないんだとも言われました。生涯下手宣告です。

これはきついです。でも現状私はヘタであることは認めなければいけない。ただ、未来永劫かと言われれば、それは分からないだろうと。また、上手い以外の基準もある。面白い、達者、温かい、癒される、刺激的、深い、色々ある。それらに関してはまだ結論は出ていない。だからもう少し待ってください、という気持ちがあるわけです。それをエネルギーにするしかない。貶して伸ばすという方式は私に向いてたんですね。でもそのやり方がいま流行るかといえば、褒めて伸ばすほうがメインになるでしょう。貶して伸ばすなんてことはありえないんだと思います。

いまいろんな学校へ落語をしに行くことがあって、先生ともお話をするのですが、子供たちのプライドを傷つけないことが大事なんだそうです。例えば、ある高校の先生から聞いた話では、いま告白というものをメールやラインですることが多いそうです。そして、男の子が告白する場合には、みんなプライドが高いから「付き合ってください」なんて言わずに、「おれたち付き合ってるんだっけ?」と聞くんです。質問形式の告白なんです。女の子のほうも、それでOKであれば「そうだよ」で済むんですが、相手を傷つけないように断るときはどうするか?「お友達でしょ?」と答える。違う。「わたしたち付き合ってるんだっけ」と聞き返す。違う。じゃあどうするか?一言「ウケる」というんですと。これで告白自体をなかったことにできるんです。「おれたち付き合ってるんだっけ?」、「ウケる」、「だよねー」で済んでしまう。流してしまえる。

私だったら告白して「ウケる」で済まされたら立ち直れないですよ。だから遊んでいるゲームのルールが違うんですね、プライドの保ち方が違う。いまの先生たちはそういう生徒たちに対してうまい具合にやっていかなければならない、というんです。彼らに徒弟制度のようなことは難しい、無理でしょうねと。

徒弟制度は絶対服従なんです。師匠を快適にしようとすると、先を読まなくてはいけない。師匠がいま考えていることを常に自分も考えていなければならない。常に、ずっと考えてるんですよ。それを8年くらいやっていると、少しずつ分かるようになってくるんですね。次に師匠がやりたいことが分かってくるんですね。自分よりも師匠のことを優先して考えているうちに、自分の中に師匠を入れているわけです。修業というのはそういうプロセスなんですね。師匠の考え方を丸ごと自分の中に入れている作業なんだと思います。

だから自分の価値観が残っていると入ってこないんですね、一時的に自分の価値観を眠らせるんです。その間に師匠のを入れているわけです。そして二つ目という立場になると、やっと自分の言葉でしゃべれるようになる。言葉を取り戻す。そうすると前座の間は行動だけだったところに言葉が加わって力が増すんです。行動を伴った言葉になる。大リーグボール養成ギブスのような感じになるんですね。

二つ目になると毎日師匠に会うこともなくなります。でも私の中に修業中に培った師匠の軸が残っている。そこへもともと持っている自分の部分、本名は小島一哲というのですが、その個性を取り戻してくる。だから立川志の春というのは小島一哲と立川志の輔のハーフなんです。それがずっと繋がってきた。伝統芸能というのは伝統的な価値観に新しい価値観が半分混じることによって、時代を超えてずっと繋がっていくという考え方なんです。だから私は大師匠立川談志のクォーターになるわけです。そして自分の下にも繋がっていく。そして自分の中に二つの軸があることで、物事を客観的に考えることができるようになる。それが徒弟制度というものじゃないかなと思っています。時間はかかりますが、脈々と続いていく。これが今の世の中でどう生きるのか、今後どうなっていくのか分かりませんが、それを経験できたのは良かったなと思っております。

MONDO(問答)

問:もし志の春さんが弟子を取るとしたら、どのような修業をさせますか?

答:そうですね、まず私が真打になった時に弟子入りを希望する人が果たして来るのかという根本的な問題があります。でもそれを置いておいて話すとすると、おそらく師匠と似たようなスタイルを取ると思います。弟子入りする前からの話をしますと、落語家は両親が反対すると落語家になれないんですよ。師匠は弟子の人生を預かるので、両親が反対していては弟子に取れない。でも賛成している両親なんているわけがないので説得しなさい、ということなんです。喧嘩して勘当されてもダメ。落語家として言葉を扱う商売をするんだから、言葉で親を説得しなさい、というプロセスがある。これは私の見てきた範囲ですが、ご両親がもともと賛成していた人はだいたいやめるんです。親に猛反対されて、それを熱意で説得した人の中の何割かが残るような感じなんですね。だから覚悟を試すという意味でも最初の段階でハードルを設けておいたほうがいいんですよ。師匠から頭ごなしに怒られて折れるくらいだったらおそらくものにならないでしょうから。

その後で、果たして師匠のように私ができるかというと分かりません。師匠はよく8年間も私に付き合ってくれたなあと思います。教えないことによるストレスもあるし、逆恨みされるかもしれないというリスクもありながら、徹底的に師匠という存在であり続けること。弱みを一度も見せたことがない。相当大変なことだと思います。

 

問:志の春さんにもし子供ができたときは、どのような教育をしますか?

答:何かをやりたいと子供が言った時、小さいときは全部やったほうがいいと言うでしょうね。私は幼稚園や小学校でも落語をやるのですが、子供たちは落語をYouTubeで見た事があると言うんです。でもYouTubeで見た経験と生で見る経験は全然違うんです。臨場感が違う。だから生の経験はどんどんやったほうがいいと思います。その上で、ある程度年齢が行った時に何かをやりたいと言ったときは、まず頭ごなしに反対すると思います。お前本当にそんなこと出来ると思ってんのか?と。それで食らい付いてくるところから話し合いを始めましょうということだと思います。たぶんすごく嫌われるでしょうね。でも頭ごなしにいくと思います。そんなもので折れるんじゃないぞと思いながら。

 

問:お客さんはみんな価値観やバックグラウンドが違っています。様々な人に噺を伝えるために、どのようなチューニングするのでしょうか。

答:落語家はプロジェクターのようなもので、お客さんというスクリーンに噺を投影するようなものです。受け取るスクリーンによってそれぞれに違った映像が浮かび上がります。一番難しいのは、噺の内容を想像する気のない人たちの前でやるときですね。泥酔している人とか、どうやったって話を聞くつもりがないし、聞ける状態じゃない。でもその人たちをどうするか。そうなると想像する必要がない噺をやるしかないですね。あまり絵を頭で浮かべなくても楽しめる話。言葉遊びの軽い話をやります。でもどんな場においてもなによりもまず、その場が一つになれる話を考えます。

落語家の場合、高座をやるときに何を話すかを事前に決めないことが多いんです。というのも、その場に行かないとどういう噺がその場のお客さんに合うかが分からないので。前もって決めて行ったとしても、それがスクリーンに合わなければ、どれだけ噺が上手くてもダメなんです。だからマクラをしゃべりながら、落語家はなんとなく観察をしながら、今日はどんなお客さんが多いのかと探りながら、反応を見ながら、何を話すかを決める。そこが勝負なんです。お客さんに合わない噺をしてしまったときに一番後悔しますね。もしハズれても、それは最後まで全力でやるしかありません。

問:師匠の気持ちや考え方を自分の中に入れ込んだ後、日常生活の中で他の人たちへの接し方が変わったりしますか?

答:変わったと思います。仕事に関してはすごく師匠の影響下にあって、仕事の相手の方と話をしたり、お客さんを前にすると師匠人格のほうが大きい。日常生活に関しては、二つ目になってからムクムクと戻ってきている部分はありますね。でも、やっぱりもともと持っていたアメリカ流の、人に干渉しない、という部分は薄れましたね。相手がどう考えているんだろう、という部分は気にするようになりました。私はそこがなかなかできなかったので、何度もクビになってしまったんですけれども。

 

問:武道や芸事の世界に「守破離という考えがありますが、いま志の春さんはその中のどのあたりにいるのでしょうか? また師匠をどのように超えて行くのでしょうか?

答:まず、落語家が修業についてあれこれ語るということは、本当はないんです。あるとすれば、既に大御所になった方が自分の修業時代について語ることはある。今回は私のような若造が修業について語っているというレアなケースだと思うです。それをやっちゃうところが、私がまだ欧米風だからなんだと思います。他の落語家だったらやらないでしょう。

守破離ということに関して言うと、前座の間はとにかく結果責任はないんですね。前座はみんな自分の師匠の会で前座として高座に上がるんですが、その結果は師匠が取るんです。前座は料金の内には入らない、つまり前座というのは場慣らしということで出るんです。でも本当の役割は、もし前座の噺が滑ったとしても、今日はどういうお客さんなのかというデータを次に出てくる師匠に情報として与えているんですよ。そのために前座が何をやらなきゃいけないかというと、直球勝負をしなければならない。前座が直球勝負をしてそれが通用しなければ、すごく通なお客さんか、それとも初心者過ぎて笑うという事に慣れていないお客様か、ということになる。それはデータになるんです。そして直球勝負を続けることで肩を強くするんです。だから徹底的に守に専念出来るわけですね。二つ目になると、今度は自分が結果責任を負っていろんな場所でやっていく。徐々に自分なりの味付けを加えていく。そこが守と破の間くらいなんでしょうね。真打になっていくと、他の人とは違う自分の味をどうやって出していくかという勝負になる。同じ古典落語をやっていても、「志の春は違うね」と言われないとお客さんは敢えて私の会には来てくれないでしょうから、そこからが勝負になっていく。でも正直まだまだ守の段階であがいているところです、私は。

 

問:落語に関しても日本流と欧米流をお持ちで、英語落語をなさってるということですが、外国の方にどのように落語が伝わっているのか、日本と欧米の違いをお聞きしたいです。

答:二つ目になってから英語落語を始めましたが、最初にやるまでは英語で落語が伝わるのか半信半疑でした。機会がありシンガポールの国際ストーリーテリングフェスティバルという会に呼んでもらったことがあります。他の国の人たちは派手なんですね。まず立って話しますし、道具や楽器、踊りながらやったりカラフルな衣装があったり、とにかく派手なんです。その中で落語はすごく地味なんですね。無地の着物を着て、しかも座ってやる。最初はみんな期待していない感じがビシビシ伝わるわけです。

そんな環境で英語に訳した落語をやったんですが、それが受けたんです。異常に受けるんです。日本で一番受けたときの300倍くらい受けたんです。外国の人たちはリアクションもオーバーで、椅子から転げ落ちるお客さんがいたり。私がやったのは古典落語の「転失気(てんしき)」という噺で、オナラの話なんですが、基本的にそのまま英語でやるんです。すると終わった後にお客さんが神妙な顔で「テンシキはすばらしい話だ」とか、中には「テンシキは日本の宝だ」と言う人もいて。意外にそう思って頂けるのはうれしいことで、日本人は真面目だとか笑わないというイメージのあるところで、日本にもこういう豊かな文化があるんだと。

これは落語が300年という間語り継がれてきて、いま残っている古典落語は300年前の人も笑って、現代の人も笑っているんです。そういうものはなかなか作れないんですね。笑いの世界では、去年は一世風靡したものでも今年は受けないということもよくある話です。何百年も前からあって、現代に残っているというのはすごいことなんです。時代の淘汰を受けながら、それでも残っているわけです。だから海を越えても外国の人が笑えるくらいの普遍性が備わっているんですね。そういう文化が残っているということは素晴らしいことですし、ゆったりと変化が加わっていく日本流の徒弟制度だからこそ残せた文化だとも思います。

<考察>

何百年も前の人々が見たものや使ったものを、モノとして物理的に保存し記録しているのが美術館や博物館だとすると、300年前に生きた人々の仕草や言葉、彼らの日常習慣や生活様式を、行為として身体的に保存し、現代にその記憶を伝えるのが落語という伝統芸能だ。

落語はモノではなくコトを遺す。過去のモノを残すためには空調の整った堅固な保管庫があればいいが、コトを残すには人間の中に埋め込むしかなかった。それが徒弟制度という、現代人の我々から見ると非常に厳しい伝承方法によって行われてきた。

欧米流の教育は個を尊重すると言われるが、それは自由という概念にも繋がる。そしてその自由は、自立した市民としての責任を伴い、法によって縛られてきた。その一方で、日本流の教育は何を尊重してきたのだろうか? ひょっとすると落語の徒弟制度に見られるように、近代化以前には、個人という枠を超えたもっと大きな存在に価値を置き、より時間的に広い視野で人を育てるということが行われてきたのかもしれない。

日本には創業百年を超える企業が、世界で最も多く残っていると言われている。四半期決算の欧米流の企業経営に世界中がマインドセットされ、現代日本人の視野も狭くなっているのではないか。欧米流にただ流されるのではなく、たまには落語を見て笑いながら、300年前の日本人の気持ちや価値観を忘れないようにしたいものだ。

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