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“都市の魅力を測る新しい物差し”感受性を信じろ!日本の住まいの未来を考えるHOME’S総研所長 島原万丈さん

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人口減少・高齢化という日本にのしかかる課題…そして地方創生を叫ぶ声…。その中で都市は次第に均一化されていく現実。経済性、文化性、防災性、一体私たちはどうやってこれから都市を創っていくのか、どうやって課題を乗り越えていくのか。その新たな指標の一つとして個々人の「感受性」があるのではないか。「官能都市」を執筆した島原万丈さん(HOME’S総研所長)をゲストに、島原さんが提示する「官能」という物差しを用いた都市について思いを巡らせてみたい。

ゲスト:島原 万丈(しまはらまんじょう)さん/株式会社ネクスト HOME’S総研所長

1989年株式会社リクルート入社。2005年より リクルート住宅総研。2013年3月リクルートを退社、同年7月株式会社ネクストでHOME’S総研所長に就任。他に一般社団法人リノベーション住宅推進協議会設立発起人、国交省「中古住宅・リフォームトータルプラン」検討委員など。

HOME’S総研:http://www.homes.co.jp/souken/

今日お話しするのは、HOME’S総研が2015年に発表した「Sensuous City [官能都市]」というレポートになります。学園都市とか田園都市という言葉は一般的ですが、「センシュアス・官能」という言葉を「都市」にくっ付けるというのはなかなか無いと思います。センシュアスという言葉は「五感の」とか「感覚を楽しませる」といった意味があるのですが、「官能的」、「肉感的」という意味で使われるのが日本では優勢のようで、おかげで勘違いされまくって広がっているようです。「機能性」「合理性」、「市場性」などが我々の社会を規定しているわけですが、都市というのは人間が住む場所として、そういう冷たい数字で測るよりも、もっと人間らしい柔らかい感覚で測ったほうがいいということで、都市の魅力を計る新しい物差しを提案したいというのが、このセンシュアスシティのコンセプトです。

このレポートの動機の一つになった出来事が、武蔵小山の「暗黒街」という飲食街の再開発です。戦後、武蔵小山の駅前にできた闇市が元になった場所です。こういう街は東京にいろいろあって、吉祥寺のハモニカ横町、三軒茶屋の三角地帯、京成立石、新橋、そういう街がいま再開発によってどんどん潰されています。武蔵小山の暗黒街も去年の12月に全店舗閉店いたしまして、いま取り壊し中です。

再開発にはよくあることなのですが、既存の建物を全部取り壊し小さな敷地を統合した大街区に40階建ての高層マンションが建ち、デッキを上げて通路を通して、そこに中低層の公共施設が入る複合施設ができる。写真は今の駅前の風景で、この8階建てのビルがあるだけでも目障りに見えますが、この五倍くらいの高さのマンションが建ちます。しかも、それが四棟も建つ。武蔵小山には「ムサコ問題」というのがあって、「ムサコというのは武蔵小杉じゃないよ、武蔵小山のことだよ」というのが地元民の主張なわけですが、この再開発でこの二つの駅前は同じような景色になってしまう。地元のアイデンティとプライドをかけた「ムサコ問題」はなくなるわけです。このような都市の均質化は東京だけではなく、あらゆる地方都市に見られます。

なぜこのようなことになってしまうか。仕事柄いろいろな都市計画を見ましたが、どこの計画でもこの図がよく出てくるんですね。既存の駅前は道路付けもいびつで、低層の木造住宅が密集している。そのような場所を再開発して広い道をドンと通して、駅前の交通の利便性を上げる、ロータリーを作る、木造密集地帯を集約化して高層ビルを立てて、これが良好な都市型住宅の供給になるという。そしてそこに公共施設を作る。

この図は国土交通省が作成しているものなんですが、市街地活性化や都市再生とかの再開発の基本的な方向性を決めるフォーマットになっていて、これが都道府県、市、区というふうにどんどんコピーアンドペーストされていくわけです。都市を良くしようとすると、どこもこうなってしまう。

このパターンの再開発が全国で行われています。どのくらい行われているかというと、これを見れば分かります。

Googleで「駅前再開発」と画像検索してみてください。ズラズラと同じような写真が出てきます。見慣れた風景と言ってしまうのは悲しいですが、こういう事が全国のあらゆる都市で行われているというのが現実です。私は日本中の駅前がこんな景色ばかりになるのはどうかなと思っていて、なぜ武蔵小山のような楽しい街がどんどん無くなっていくのか、大きな問題意識を持ったというわけです。

では、このような都市計画のアイデアはどこにあるのかというと、国土交通省がひねり出したわけではありません。元を辿ると、ル・コルビジェという建築家にまで遡ります。モダニズム建築の三大巨匠のうちの1人で、新しい建築様式を100年くらい前に切り開いた方ですけれども、彼が都市を語り出すとこういうふうになるんです。輝く都市という、1922年に出した本に描かれた構想ですが、広い道路と広い公園があって高層ビルがある。なぜこれが輝くかというと、空地が多いので光が差し込むから、どこも明るいですよということです。またの名を垂直田園都市と呼ばれています。

この田園都市という概念はイギリスで生まれました。ロンドンが産業革命によって人口が密集し荒廃してしまったので、中産階級が住む場所を求めて郊外に出て行った。その都市を作っていたコンセプトの一つが田園都市なのですが、それを垂直に積み上げたものだとコルビジェは言うのです。垂直田園都市、英語ではバーティカルガーデンシティ。これは森ビルの理念にもなっているコンセプトです。これが森ビルをはじめ、デベロッパーさんたちがやりたいコンセプトです。

現代になってまで100年前のコンセプトにこんなにしがみつかなくてもいいのではないかと思うのですが、このコルビジェという方は日本の建築と都市とにも非常に大きな影響を与えていて、前川国男という建築家はこの方の弟子、その事務所に若くして入ったのが丹下健三さんです。丹下さんはコルビジェに憧れて建築家になりましたが、丹下事務所には黒川紀章磯崎新さんなど錚々たる方々がいます。東京大学を中心とする建築の権威ですね。ある一定の年齢以上の建築家や都市計画家は、みんなこのコルビジェの影響を受けています。

このコルビジェさんは、このコンセプトをある都市に提案しました。

「ヴォアザン計画」(1925年)※1

彼は1925年に「ヴォアザン計画」というものをある都市に提案しました。広く真っ直ぐな道路で囲まれる大きな街区を作って、空地をたっぷりとってタワーマンションを立てていく。これがどこの都市かというと、パリです。パリは1800年代後半に大改造をして今の姿になっているのですが、そこから100年も経たないうちにパリはこうなるべきだと、思考実験的に提案した。当然パリには受け入れられませんでした。ただこのアイデアは当時の欧米先進国に受け入れられた。基本的なコンセプトは輝く都市、垂直田園都市です。以降、このパターンの事例が世界で出てきます。例えば「プルーイット・アイゴー」、これはアメリカのセントルイスにできた街ですが、周りの密集度合いと比べると、どのくらいのスケール感か分かっていただけると思います。

「プルーイット・アイゴー」(1956年)※2

一つのブロックが大きい、これを「スーパーブロック」と言いますが、これが1956年にできました。こういう建物はセントルイスだけではなくイギリスや他のヨーロッパでも都市の郊外に増殖しましたが、これが1972年にはこうなりました。1972年7月15日はモダニズム建築終焉の日だと言われています。

「1972年7月15日、モダニズム建築の終焉の日」※2

これがなぜ壊されたかというと理由は単純で、人気がなかったんですね。非人間的だった。高層過ぎるし、ヒューマンスケールを超えていた。人気がないので空き家が増えていって、良からぬ連中が入ってきて荒廃した。それなら潰してしまえということで、一気に潰されました。そのあともう一度小さな街区に作り直されました。このようなことはイギリスでもサッチャーが首相になった1980年代以降に、イギリスの郊外の高層団地を潰してもう一度小さな街を作り直すということが盛んに行われています。

「ファスト風土化」(1970年~)※3

このような流れが世界の趨勢なのですが、日本はやはりちょっと遅れているので、1960年代くらいから同じような思想で都市を作っていった。そして時が経つとだんだんそれがだらしなく崩れていって、「ファスト風土化」と呼ばれるような、いわゆるロードサイド開発が1970年代以降になって出てきました。

一番よくできたものでこんな感じなんですね。1980年に筑波学園都市が完成しましたが、まさにコルビジェがパースに描いた通りの街ができた。当の欧米ではこんなのもうやめようよという時期にできた、ということです。日本はまだこの流れが続いています。都心では大量のタワーマンションが作られていますが、その足元には何もない空地が作られます。公開空地といいますが、超高層ビルを作る時のフォーマットの一つです。昔はここに横町や長屋があり人の賑わいがあったわけです。

これは豊洲の写真です。広いまっすぐな車道があって、公開空地で緑地にしているわけですが、人が入れないようになっている。ここにお店があれば、人が集まることができますが、人に入ってもらっては困るとでもいうような敷地の使い方がされる。

もう一つの写真は渋谷マークシティーの裏。マークシティの内側は回遊型のショッピングモールになっていますが、外は壁。渋谷ヒカリエもそうです。道路一本はさむと飲食店街があるにもかかわらず、敷地の中だけですべてを完結してしまって閉じてしまう。

このような都市計画が日本の多くの都市で進行中なのですが、我々は都市をいままでどのようにして評価してきたのでしょうか。一例として東洋経済さんが毎年全国の市区の統計データをまとめあげた「住み良さランキング」という指標を出しています。「安心度」、「利便度」、「快適度」、「富裕度」、「住居水準充実度」の5つの観点に分類して、街の住み良さを評価しています。

細かく見ていくと、「安心度」というのは人口あたりの病床数、介護施設数や保育所の対象人口あたりの数などを評価しています。「利便度」は、年間の小売り販売額が人口あたりどれくらいあるか、大型小売店の面積が人口あたりどのくらいあるか。人口の少ないところに大きなモールができたらこの値が上がるということです。他にも、都市の公園面積が人口あたりどのくらいあるか、新設住宅着工数、財政、持ち家の床面積などを元に住み良さが評価されます。住宅に関して言えば、なるべく広くて新しい持ち家がどんどん供給されているところが住み良い街ですよという定義になっています。

全体を見て頂くとわかりますが、要するに建物や施設がよりたくさんあってより面積が広くてより新しい、そんな街が住み良い街だということです。このような価値観でランキングされているということなんですね。そこで第一位なのが、四年連続住み良さナンバーワンのこの街。

千葉県印西市、千葉ニュータウンです。

何もなかったところに住宅団地を作ってショッピングモールを作るので、人口あたりの商業床面積も広いですし、もともと何もないから公園も広いですし、新築住宅がどんどん供給されている、だから住み良さが高くなる。こういう構造になっています。印西市にケチをつけるつもりはないのですが、これを都市の魅力を計る一つの指標としてあまり絶対視しない方がいい、かなり偏っているということを理解しておいた方がいいということです。

 

その他にも、例えば不動産情報サイトSUUMOの「住みたい街ランキングがあります。これも毎年出されていて、不動の第一位が吉祥寺です。これはどのような統計かというと、アンケートによる人気投票です。住んだ事があるかとか行った事があるかとか、そういうことに関係なく投票している。ということは有名な街、露出の高い街が投票されやすく、高くなる。だから一貫性のないランキングに見えます。

住んでよかったどうかというのは別の話で、有名かどうか、どれだけマスコミに露出しているかということに近い。

これくらいしか都市の魅力を計る物差しを私たちは持っていなかったわけです。都市の魅力をはかる新しい物差しを提案するのが、この調査の動機になります。

調査をする上で参考にさせていただいたのが、ヤン・ゲールさんというデンマークのコペンハーゲンで活動する都市計画家ですけれども、世界的に活躍されている方で、『人間の街』という著書では、「街は人々が歩き、立ち止まり、座り、眺め、聞き、話す、一切の条件を備えていなければならない。」と語っています。道路が広くなければならないとか、商業面積が多くなければいけないなどとは言っていないわけです。

さらに「これらの基本的な活動は人間の感覚器官や運動期間と密接に結びついている」、つまり都市のあり方は体と結びついているということを言っています。つまり五感です。これを元に調査を組み立てていきました。本調査の大きな特徴としては、活動、行動、アクティビティが重要だということで、都市生活者のアクティビティとして、そこに住む人々が日々どのようなアクティビティを積み重ねているか。それが豊かであればあるほど良い街なのではないかという仮説の下で調査を進めました。

しかし都市生活者のアクティビティとは何か、定義が難しいところです。都市の定義も難しいわけですが、おそらく都市に生きていることの一つの絶対的な条件は、不特定多数の人々が密集して一緒に住むということ。その中でどのような関係を作って行くかが都市における大きな条件なのではないかと考えました。もう一つは体で、五感で経験することだと思ったんですね。分かりやすい例で言うと、私たちはスマートフォンをいつも手に持っていて、いつでもフェイスブックのコミュニティの世界やゲームの世界に繋がることができる。そうなると三次元の都市というものはどう位置づけられるのでしょうか。バーチャルなネットの世界ではなく現実世界にある体が、どう感じているのかという事が大事なのではないでしょうか。

要するに都市に生きているということは、不特定多数の人々との関係の中に生きること、しかも体を通じて都市を知覚すること。そのアクティビティが豊かに行われているのが良い街であるという仮説です。

そこで、まず関係性と身体性というキーワードを設定しました。関係性の方の選択肢として、一つは共同体に帰属していること。どこに住んでいたとしても場所に繋がるアイデンティティが重要で共同体的なものが必要ですが、都市のコミュニティは地方の農村のそれとは違う。どうやったら自分が住んでいる場所に帰属心を持てるかを考えて設定しました。

また、都市に住む者の実感値として匿名性も重要です。共同体には帰属したいのですが、全部顔見知りでプライバシーが筒抜けだとしんどい。例えば1人の時間を楽しめるかとか、平日の昼から外で飲める、人目を偲ぶようなことも出来る、というようなことです。

次にロマンスです。都市に人が出てくる一つの大きな理由が、誰かいい人、パートナーと出会いたい、という動機があります。例えばパートナーを見つけたり、そのような人とロマンティックな場所に行きたい。それが街で可能かどうかということです。

そしてチャンス。刺激的な先進的な知識を学べるチャンスがあるとか、新しい仕事を見つける機会があるとか、お金を稼ぐ機会があるとか、そのようなチャンスにあふれていることが都市の大きな魅力だと思います。

次に身体性、体が喜ぶこと。一つは食事ですね。モノを買うということに場所は関係なくなっていますが、食べるためには自分の体をその場所に運ぶ必要があります。食べるということは自分の体を一番知覚する行為でもあります。

そして街を感じること。例えば、ある景観が素敵だというのは主観で、人によって評価軸が違うかもしれませんが、街をゆっくり眺めたことがあるという経験なら共通の軸として測ることができます。

そして都市の中でも自然を感じられること。日本には元々自然を楽しむ感性があり、桜の時期には木の下で花見をします。緑や水辺に直接手を触れられるか、空を見上げたりということが経験としてあるかどうか。

それから現代の都市計画にとって最も重要なコンセプトだと思うのですが、歩けるか、ということです。2地点を最短で行くための街ではなく、寄り道ができるかどうか、歩く事を楽しめるかどうかということを計りました。

以上、関係性と身体性についてそれぞれ4つの指標に対して、4つの選択肢を設けて合計32項目、過去1年間にあなたが住んでいる町でそのような体験があったか、を4段階で得点化して、その都市の魅力を評価する調査をしました。これを、日本全国の県庁所在地および政令指定都市、東京、横浜、大阪に関しては区レベルで、18,000人以上の人々を対象に調査を致しました。その結果がこちらになります。

調査結果はこのようになりました。吉祥寺がある武蔵野市が3位、2位が大阪市北区、梅田あたりになりますが、大阪の中心地でビジネス街と歓楽街と商店街と長屋と川と自然が歩ける範囲にコンパクトにぎゅっと詰め込まれている非常に良い街だと思います。そして1位が文京区です。文京区や台東区はもともと江戸の街の中心的なレジャーエリアだったわけです。文京区には湯島天神がありますが、昔は神社だけでなく歌舞伎なども行われていた。近くに花街もありにぎやかな街でした、台東区では浅草寺があり、浅草仲見世の商店や、茶屋があったり、見せ物小屋があったり、すぐ裏には吉原があった。そういうものが残っているエリアだと言えます。

地区ごとに特徴を見ていくと、東京都心部では港区、渋谷区中央区を見て頂くと、匿名性が高い、ロマンスがある、機会がある。この三つがせり出しているのが都会的な都心エリアの特徴ですが、千代田区は共同体への帰属も高いのが特徴です。お祭りがあり、下町風情が残っているエリアと言えます。

今回のランキングの東京トップエリアは、全ての項目においてバランスがいい。それに加えて街を感じるというという項目が特に目黒区、品川区、武蔵野市で高い傾向があります。共通点はどのエリアも商店街が非常に元気のいいエリアです。どの駅前にも商店街があって、今でも活気があります。

下町を見て行くと、ひとくくりにはできず、ひとつ一つが異なっていて、特徴があるエリアが多いことが分かります。

既存のランキングで不誠実だなと感じるのは、ランキングが高かったらどうなるのか?という話なんですね。例えば住み良さランキングで上位の街に住んだとして、実際に住みやすかったのかどうかについては、何も検証がされないわけです。それを信じて家を買った方はどうなるのか?

そこで今回の調査では実際に住んでみてどうなのか、住み手にとってどんな街なのか、居住の観点から検証してみました。つまり今回のランキングに何かしらの意味があるのかどうか。134の都市をセンシュアス度の高いところから上位25%、真ん中の50%、下位25%と三区分して、いま住んでいるエリアに対してどのくらい満足しているか、幸福に感じているか、について0点から10点まで回答していただき、幸福度と満足度の評価をしました。

134の各都市のセンシュアス度の偏差値と幸福度満足度の平均点をプロットしたグラフを見ていくと、多少のばらつきはありますが、相関がみられました。相関係数が約0.4ですが、アンケートによる社会調査で段階的なカテゴリーデータを扱う中で相関係数が0.4以上あるということは、我々実務家の間では充分相関関係があるとみてよい数字です。つまり、センシュアス度の高いところに住んでいる人ほど、幸福度や満足度が高い傾向が認められるということです。

ちなみに、東洋経済さんの住み良さランキングと今回の調査対象と重なる都市をピックアップして、同様に満足度と幸福度の相関係数ととってみると、幸福度が-0.016、満足度が-0.035と、グラフのばらつきを見ていただければ分かりますが、全く相関がないということなんです。住み良さランキングで上位だろうが下位であろうが、満足度や幸福度とは関係ありませんよという可能性が指摘できます。

次に街への定着度も調べてみました。センシュアス度が高い都市と低い都市で、その都市への定着度が違う、というデータです。あなたは今後住み替えたいですか?住み替え予定の場合どこに住み替えたいですか?という質問をしました。住み替えをしたいかどうかについては、センシュアス度は関連が見られませんでした。ただ、どこに住み替えたいですかという質問に関しては下位25%に関しては、今住んでいる市や区から同じ都道府県内の違う区や市に移りたいという傾向が見られ、センシュアス度の低い街は人口流出を招きやすいという結果が出ました。

次にセンシュアスシティとはどんな都市なのか、そのプロフィールを見ていきます。あなたの街にこういうものはありますか?という質問をしました。例えば、小さな居酒屋や酒場が集まってる横町があるか、これはセンシュアス度の上位と下位で大きな差が出てきました。個人経営のこだわりのカフェ・喫茶店も差が見られました。つまり、多様な店のある街がセンシュアスシティの大きな特徴であると言えます。チェーン系を見てみると、センシュアス度に関係なく、どこにでもある。つまりチェーン店があるから街がつまらなくなる、ということは必ずしも言えないということです。チェーン店もあるけど小さな個人経営のこだわりの店もある、という多様性のある街はセンシュアス度が高い、という結果になりました。

ジェイン・ジェイコブズというジャーナリストが『アメリカ大都市の死と生』という、都市を考える人のバイブルのような本を今から50年くらい前に書いているのですが、彼女がなんと言っているか。「都市の普遍的な原理として、都市には極めて複雑にからみあった、粒度の近い多様な用途が必要で、その用途が経済的にも社会的にもお互いが絶え間なく支え合っていることが必要である」と言っているわけです。センシュアスシティの調査で、ランキングの高い都市においてはそのことが裏付けられたのではないかと思います。また、ジェイコブスは都市の多様性を生み出すための4原則があると言っています。今回のセンシュアス度調査でもこの4原則や、センシュアス度上位の都市では住む人の多様性も高いということが裏付けられました。

今回はランキング形式で発表させていただきましたが、どうしても順位だけが取り上げられがちです。冒頭から申し上げているとおり、この調査の大きな狙いは都市の序列化ではなく、都市を測る物差しを提供すること、どのような物差しであれば 我々の実感値に近いところで都市の魅力を測れるか、ということです。ですから、この調査結果をどう使っていただきたいか、まず大前提としては、どんな街にも可能性はあるのだということです。それを感じ取るかどうかはあなたの感応力や感受性やセンスにかかっています。

例えばこの写真を見て、ただの古い路地の寂れた商店街と見るか、ここは面白そうだと感じるか。地形や建物の特徴を読んだり、地域の歴史の知識など、まちを楽しむセンスがあれば面白さや良さが見えてくる。想像力で街を楽しむことができるようになります。街を見る解像度が上がってくる。

次に、まちの魅力を見つけたときに言葉にして可視化してみる。例えば、その街に住んでいる人が、ローカルフードに注目してその良さを可視化すること。居酒屋に入った時に「とりあえず生」でいくか、サムシングローカルを注文するか。飲食店側はローカルフードをメニューに大きく明記したり、言葉化すること。こういう行動が一般的になっていけば、同じものを食べても、同じ街を見ても、より楽しく暮らせる、街に対してプライドを持てるようになる。言葉化して可視化して共有することが大事です。

そして街を良くしようとアクションを起こして行くときに、建物から発想してしまう人が多いわけです。公共施設が欲しいとか駅前の整備をしようとか、公園を整備して市民の憩いの場をつくろう、というようなマスタープランが多いわけですが、憩いの場だったら、ただ街路樹の下にベンチを並べておけばいいじゃないかとか、カフェのテーブルをストリートに出せばいいじゃないか。そうしたらわざわざ公園をつくる必要ないじゃないか、という発想もできるわけです。アクティビティがスタートであれば、空間や建物を作るかどうかは選択肢の一つであって、要するにその場所で何が行われれば楽しくなるかを想像すること、可視化することが大事です。

一戸の住宅を取り扱う不動産業者さんと、まちづくりをやっている方というのは近いようで近くない。先ほどのデータにもありましたが、街が面白いかどうか、多様かどうかは、住む人が多様かに懸かっているわけです。いろんな店があるということはいろんな趣味趣向の人間が住んでいるという証拠です。街の多様性は住む人の多様性です。そうすると特に中古住宅を流通していらっしゃる方、リノベーションをやっている方は、街に多様な人を呼び込んでいるんだ、という風に考えて欲しいんです。

つまり、昔一斉に入居した同じ世代の同じライフスタイルの老人が多く住んでいる古い住宅団地があったとして、その団地をリノベーションして若い面白い人たちが住むようになれば、その団地の住民の多様性が一気に上がるわけです。こういうことを街に対してやっているんだと感じていただければ、一戸一戸を扱う不動産屋さんもまちづくりに楽しんで参加できるのではないかと思っています。家づくりはまちづくりの最初の単位である、というのが私の持論です。

また住民側の視点として、例えば再開発や都市計画があるとして、その結果街がどう変わって行くかを想像すること。ビルが建つということを想像するのではなくて、その建物が建つ事によってこの街でのアクティビティがどう変わるかを考える。そのような想像力を働かせて街の計画を眺めて頂きたいと思います。

調査結果の詳細はこちらをご覧下さい。

 調査研究レポート: Sensuous City[官能都市]

MONDO(問答)

問:なぜ日本では公共空間を使った魅力的なまちづくりが進んでいないのでしょうか? 法律や行政のあり方に問題があるのでしょうか?

答:公共空間をうまく使っている例が海外には多いのですが、アクティビティ→空間→建築という順序で、つまり公共空間である道路や公園など、既にあるものをどう使うかによって街を楽しくしています。新しく何かを作る必要はないという事例だと思います。そのような欧米と日本の違いはどこにあるのか、一つには公共というものに対する価値観、特に行政や市民の価値観が違うように思います。

日本で道路というのは公共のものです。公共のものを個人のお店が占有してはいけない、という法律になっています。例えば、店の前にテーブルを置くと道路交通法違反になる。しかしそれが法律だけの問題化というとそうではなくて、例えば公園や河原でバーベキューをやっていると、近隣住民からクレームが来るわけですが、近隣全員が反対しているわけではない。1人か2人の声の大きい住民がクレームを入れると行政はそれに対応して「じゃあ禁止にしましょう」 という方向に動いて行く。すべてが事なかれ主義で、だれも文句が言えない状態にしていく。本来みんなのための公共空間が、みんなを過剰に意識しすぎて誰のものでもないものになっていく。公共に対する接し方の違いが大きいと思います。

 

問:法律そのものは海外にもあります。ただしその解釈と運用の仕方で、自己責任に則って、何かをやってみて問題があればレギュレーションをつくりましょうということになります。日本の場合は何かがあるとまずいから先にルールを作りましょう、とガチガチに固めていく。また法律が各省庁で縦割りだから 例えば東京湾の海岸エリアを開発するとなるともう大変ですよね。フロートのレストランを作ろうとすると、建築基準法と河川法や海岸法などを踏まえる必要があって、それが全部矛盾していたりする。だから無理ということになる。そういうことは、例えば自治体の首長の裁量でゴーサインを出せないものなのでしょうか?

答:最近は水辺の利用が進んでいますね。この問題に関して詳しい方が今日お見えなのでマイクを渡します。

答2:私は国土交通省の建築屋です。今回の島原さんのレポートにたくさんの建設官僚が感謝しています。河川施設に関して言うと、河川空間というのは河川管理者が治水を大前提にしながら、使用許可を出す裁量があります。その他の部分については、都市計画の役人にたいした権限はないんです。例えば交通に関して、近代以前からの長い歴史から見ると、道を作るというのは大変な事で、お堀をずらしたり家をせりださせて道を通れなくする住人たちと闘ってきた何百年という歴史があって、それが強くDNAの中にあると思います。

昔の日本人なら、放っておくとポルトガルのリスボンのように街路にテーブルを出したりすることが頻繁にありました。しかし戦後になってどういうわけか お上の言う事をみなさんがよく聞くようになって、なんでもかんでも法律を持ち出して「問題があるのは法律がないからだ」と言って、どんどん法律をつくろうとするようになった。

私は二十年役人をやっていますが、毎年毎年、本当にこんなに必要なのかと思うくらい、数多くの法律を作っています。しかし世の中は一向に良くならない。なぜなら、例えば最近のAirBnBや、今日の会場であるCOMMUNE246のような空間の使い方を見て「いいよね」と感じることができない人たち、そのような発想のできない人たちが、今まで街をつくってきたからじゃないかなと、個人的には感じています。

ただ、公共空間の利用を進める仕組みとして、都市再生法という法律の傘の中で都市再生整備計画というものを作って、関係者の合意形成を得ながら道路などの公共空間にオープンスペースを作って店の前にテーブルを出す、というようなことはできるようになってきています。

 

問:今回のランキングで上位に京都が入っていなかったのですが、なぜでしょうか?

答:京都のランキングは24位でした。共同体に帰属しているという指標の中に「神社屋やお寺にお参りをした」という項目があるので圧倒的に高いだろうと思ったら、実はあまり高くなかった。それはなぜか調べてみると、京都の人にとって参拝料を払って入る場所というのは観光施設であって生活空間ではないという認識なんですね。例えば、普段から清水寺に行くというような生活習慣はないんですね。

それから「京都市」という単位で区切ると、意外に郊外ベッドタウンエリアが大きいんですね。神戸市もそうですが、我々が想像する「京都」や「神戸」という街に住んでいる人よりも、実は郊外のニュータウンに住んで大阪に通っている人が多いんです。エリアの区切り方でこのような結果が出てしまいました。これは今回の調査方法の限界なんですが、もう少しエリアを細かく分ければ違うデータが見えたかもしれません。

 

問:データを拝見すると上位に入っている都市には城下町が多いのではと思いました。当時の城下町というのは徒歩圏内に飲食店があったり花街があったり、コンパクトに機能がまとまっていた前提があると思います。そうなると、今からまちづくりをして、一朝一夕にそのような街を作ることは可能なのでしょうか。歴史の積み重ねが都市の競争力を生んでいるとしたら、それは難しいのかなと感じました。

答:それは鋭いご指摘で、ランキングの全体的な傾向を見ると、やはり江戸時代からの資産が活かされている街が多いように思います。しかし、例えば品川区や目黒区のようなエリアは江戸時代には何もなかったところですが、大正時代に入ってから開発されて鉄道が通り宅地開発が進みました。それでも大正時代にはまだ庶民が車を持っていないので、基本的に歩くことを前提とした街割になっています。だから路地が多かったり、ヒューマンスケールの街づくりをされているエリアが多いです。

そして意外なところでは保土ヶ谷区の順位が高かった。これは私もすごく不思議だったのですが、江戸時代に宿場町があったんですね。やはり古くからの街の遺伝子のようなものが残っているエリアなのかなと思いました。

このような前提がある中で、これから新しい街をどうつくるかについては非常に大きな問題です。もう一度道路を壊して街を作り替えるのは無理です。例えば郊外ニュータウン的なもの、特に高度経済成長以降に作られた街は、近代という機能合理主義の上につくられています。住宅は住宅、商業は商業と、機能分化されていったわけですが、住宅しかない街もたくさん出てきています。そこをいかに「都市」にしていくかが重要だと思います。

今回の調査にもご協力いただいた三浦展さんの言葉を借りると、様々な機能が混じり合っているものが「都市」だということです。現在の法律では50平米を超える店舗は住宅地に作れないのですが、そこに対する規制緩和が行われてもよいですし、今後高齢化していくニュータウンに住宅以外の機能を入れ込んでいくことは必要になると思います。人が外に出て行きたくなるような仕掛けを作って行くことが重要なのではないでしょうか。

 

問:いま大学4年生で今年の春から社会人になるのですが、一人暮らしを考えています。街を感じるための部屋づくりをするとしたら、どのようなことに意識すればよいでしょうか?

答:日本の賃貸住宅でインテリア自体に大きく手を加えるのは難しいかもしれません。しかし例えば、アメリカのブルックリンとポートランドでは、ロフトをリノベーションして賃貸に住んでいる方が多いのですが、「このテーブルはどうしたの?」と聞くと「街で拾ってきた」と言う。日本のようにゴミが管理されていないということがあるのかもしれませんが、街にあるものをリユースしていくというのは一つのやり方だと思います。

もう一つは、日本の住宅というのはあまりにもプライベートに寄り過ぎています。街を感じるために、人が部屋に遊びにきてくれるような部屋づくりを考えてみてもいいかなと思います。例えば1人でワンルームマンションを借りるのもよいですが、シェアハウスに入った方が街を感じる可能性は高いでしょうし、暮らし方全体の中で見直していただくといいのかなと思います。

 

問:私は葛飾区から参ったのですが、いま葛飾区では立石というエリアがレトロな街ということでメディアでも注目されています。その一方で、行政が再開発をするという動きもあり、地元の方々がどうすべきか考えています。行政の言い分としては、木造密集地域なので防災の面で危険だと。本当に誰も反対しようがないことを根拠にしています。防災を解決しつつ、昔ながらの街並や飲食店を遺して行くことはできるのでしょうか?

答:すごく重要な話だと思います。武蔵小山でも防災が問題になり「人が死んでいいのか?」と言われると誰も反対できないんですね。ただ、防災というのは地震が起きると建物が潰れて火事になる、ということなのでそこをなんとかすればいい話なんです。建物を高く積み上げる必要はないし、敷地を大きくする必要もないんですね。武蔵小山駅前にできる予定の高層マンション一つでたしか68億円くらいの補助金がついています。その半分もあれば武蔵小山の再開発地域の飲食店街を耐震化して耐火化することができるわけです。

単純に防災だけが問題なのであれば、タワーマンションを建てる必要もないし、 建物の耐火耐震ができたら道を広げる必要もないんですね。例えば、大阪の法善寺横町というエリアは、法善寺というお寺の周りに飲屋街ができた古い街で木造密集地で道路幅も狭い。ところが、そのエリアの横のビルの解体作業中に火が出てここに燃え移って何軒も焼けて、それを直している間にもまた焼けて、2度も焼けてしまったんです。それで、その街をどう立て直すかとなったときに、現代の建築基準法に照らし合わせると以前のような街並は作れないことが分かった。

そこでどうしたかというと「連担建築物制度」という制度を使って、エリア内にある小さな建物の集合を一つの大きな建物とみなして、路地は建物の中の通路だということにして、街を立て直したんですね。建物は低層のまま耐火して、道路幅も狭いまま再生することができました。また、大阪の十三という街では、火事で焼けてしまった「しょんべん横町」という飲屋街を同じ方法で再生できないか検討されているところです。このように、他のやり方があるんだということを知っておくことは重要だと思います。

 

問:海外の場合、防災対策はどのようになされているのでしょうか?

答:ポルトガルのリスボンでは、公共の路地にテーブルを並べて飲食スペースとして使われているわけですが、このリスボンに地震がないかというと、大地震が過去にあった街です。ヨーロッパにモダニズム建築を引き寄せた一つの大きな要因としてリスボン大地震があるのではないかと言われています。南イタリアも同様に、地震がないわけではない、石造りなので燃えないということはあるかもしれませんが、自然災害的な想定はあまりないと思います。

どちらかというと、ヨーロッパでは公共空間で酒を飲んでいる人がいると治安が悪くなるかもしれないという問題の方が大きくて、その治安コストを払ってでも街を活気付けたいという意思決定がなされているのかもしれません。以前トークでご一緒した、木下斉さんからお聞きした話ですが、ヨーロッパの都市では、小売り物販の収入がどんどん落ちていて、人が街でモノを買わなくなったということなんですね。そこで街の経済を高めて行くために、夜の経済をどう発展させるかということが大きなテーマになっていると。

例えばアムステルダムには「夜の市長」という制度があって、公式な市長は夕方に仕事を終えるのですが、アムステルダムのようにクラブなど夜間営業する施設が多いところでは、夜にカルチャーの発信やイノベーションが非常に大きいと。だから夜の街を活性化させるための規制改革が必要だということで、夜の街に詳しい人を夜の市長に任命して、その夜の市長が市に対して提言するという制度があるそうです。

まちづくりの上でメリットとデメリットがあるときに、デメリットのコストを払ってでもメリットを取りにいくという発想が基本的にあるのだと思います。何のリスクもなく何かを得るということはないわけで、考え方や価値観の違いが大きいのだと思うんですね。

<考察>

海外旅行の目的の一つは街を楽しむこと。オープンカフェで素敵な景色や行き交う人々を眺めたり、歩きまわる事で街全体を楽しむ。私たち日本人は海外旅行になるとそれができるのに、なぜ自分の住んでいる街になると同じ事ができないのか? その一方で、海外からの観光客は日本の都市を訪れて「素晴らしい!」と感動して、それぞれの国に帰って行く。これはつまり、街に「何があるか」ではなくて、私たち自身が街を「どう見るか」「どう楽しむか」の方がはるかに重要だ、ということではないだろうか。

センシュアスシティ調査では、まさにその事がデータによって証明されたのではないかと感じる。街を主体的に楽しむことの価値。街が楽しくないのは一体誰のせいなのか? 私たちはそれを法律のせいにしたり、建物や不動産のせいにしたり、他の誰かのせいにすることで解決しようとし過ぎていないか? それよりも、まず自分の感受性を高めることの方がよほど生産的でクリエイティブなのではないか。そういう感受性を持つ人が増えれば、乱発する再開発に対してアクションを起こす人も増えるかもしれないし、日本の街がもっと楽しくなるに違いない。

 

<画像引用元>

※1:http://projets-architecte-urbanisme.fr/architectes/le-corbusier/

※2:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B4%E3%83%BC

※3:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%88%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E5%8C%96

 

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