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「オフグリッドの世界と、その可能性」~コミュニティ編~

人が3人集まれば社会とも言われますが、既存のコミュニティや社会からオフグリッドし、人が自由に行き来する中で、これからの社会やコミュニティ、そして意思決定はどのように変化し運営されるようになるのでしょうか。

ある過疎化した町では議会をなくす動きもあります。エストニアではe-residency というネット上の国民という概念も生まれています。オフグリッドされた社会を仮定することで、これからの「意思決定」や「コミュニティ」の未来も見えてくるはずです。

今回は、ゲストに『日本史の謎は「地形」で解ける(PHP文庫)』の著者として知られる竹村公太郎さん、モデレーターは、カフェ・カンパニー株式会社代表取締役社長で当財団代表理事の楠本修二郎が務めました。

竹村さんは社会資本から日本史・世界史を考察する専門家であり、元・国土交通省河川局長、現在は特定非営利活動法人 日本水フォーラム代表理事/事務局長を務められています。

表象としてのコミュニティを見るのではなく、そのコミュニティを創り出している「下部構造」に注目すること。地形や気象という土台(下部構造)の上に人間の歴史や文化(上部構造)が生まれています。今回は竹村さんと一緒に、地形や風土からのアプローチでコミュニティを考えます。

<ゲスト>
竹村公太郎氏
特定非営利活動法人 日本水フォーラム代表理事・事務局長・博士(工学)・ 東北大学非常勤講師ほか

1945年生まれ。1968年東北大学工学部土木工学科卒、1970年修士修了後、建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所、中部地方建設局河川部長、河川局開発課長、近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。2002年に退官後、リバーフロント研究所代表理事などを歴任し、2014年より現職。

(主要論文)
著書:「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年)、「土地の文明」(PHP研究所2005年)、「幸運な文明」(PHP研究所2007年)、「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著2006年)、「本質を見抜く力」(PHP新書2008年)「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社)など多数

流域と堤防が日本人のコミュニティを作った

共同体、コミュニティっていうのは何でできると思いますか? それは「敵」です。集団を差別化して共同体を作るのは、敵の存在なんですね。
日本は歴史上、一回も侵略されなかった。戦争はしたけど、侵略はされなかった。世界でも侵略されていない文明は日本文明だけじゃないか。

サミュエル・ハンチントンがこう言っている。歴史上、世界ではいくつもの文明が生まれては滅びた。その中で生き残った文明が5つ。インド、中国、イスラム、欧米、最後が日本。「日本文明はものすごく特殊な文明で、敵もいないし味方もいない」ってハンチントンは言っている。孤立した文明だと。

元に戻るけど、共同体というのは敵がいないとできない。そうでないと、自分たちの仲間意識にならないから。でも、日本は孤立した敵のいない文明だったという。では、日本人にとっての敵は誰だったのか?

僕は自然災害だと思う。日本人は外敵と戦わないで、この日本列島の中の共同体で富を増やしていこうとしてきたわけです。そのときに一番の敵になるのは、水・洪水。年がら年中、洪水にやられていた。

昔、日本の平野のほとんどがどろどろの湿地帯でした。それを江戸時代の人たちが、かなり無理やりに堤防を造って川を押し込んじゃった。平和な250年間の江戸時代があったから、今の日本の国土があるんです。あの時代に外に膨張する力を全部内側に向けて国土を作っていったんですね。

今ある堤防のほとんどは江戸時代に作られています。明治以降に作られた堤防は、荒川の放水路や新潟の阿賀野川放水路など、本当に数えるくらいです。

戦国時代までの川というのは、ヤマタノオロチに例えられるように、かなり大きく蛇行していました。それを江戸時代の人たちは、かなり強引に堤防の中に押し込んで、洪水をこの中に閉じこめて、そこから水を引いて田んぼを広げていった。これは人の集まりがものすごく強くないとできないんですね。ひとりではどれだけ頑張ってもできないことです。

戦国時代が終わって明治の近代化が始まるまでの250年間、日本人は何をやってたかというと、今住んでいる土地の中で自分たちを豊かにする工事をやっていたんです。その一番の敵が洪水だった。あるいは、反対に渇水ということだった。いずれにしても、水ですね。

つまり僕たちの共同体というのは、流域から生まれているんです。山で仕切られて一つの川でつながった流域の中で、みんな生涯暮らしていた。あの尾根を越えて向こうに行ったらいけないよ、という世界。

戦国時代は、尾根を越えて隣の領土を取りに行こう、ということを百年間続けてきた。でも、それが徳川幕府の命令でできなくなった。だけど、この流域の中だったら何をやってもよかった。この中では各地の領主は絶対権力だったわけです。徳川家康は実に見事なことをやった。領主たちを、流域の中にうまく閉じこめたんですね。
250年間その流域の中に閉じこめられた日本人は外へ膨張できないから、そのエネルギーを国土開発に向けた。そうしてできたのが、今の日本の国土です。

でも治水して敵が減ったかというと、逆に増えてしまった。堤防を作れば作るほど危険になる、決壊する。計画でこういう堤防を作ろう、とやっても自然は必ずそれを越えてくる。洪水を川に押し込むことで、日本人は豊かになった。でも、同時に危険な人生を送ることになった。だから、堤防を守ることがその地域の共同体意識になったわけです。

中国の初代帝王といわれる夏王朝の禹(う、紀元前1900年頃)の石碑が酒匂川の堤防にあった。その言葉の中に、「石で固めなさい、木を植えなさい、お祭りをしなさい」というのがある。つまり、堤防を作ったらその上でお祭りをして、みんなが集まって踏み固めていきなさいよ、というのが紀元前からの治水の伝統です。全国のお祭を見てみると、堤防に関係しているものが非常に多い。田舎のお祭りなんか、みんな堤防の上を駆けずり回ってますよね。

浅草の浅草寺の裏手にある日本堤の浮世絵を見ると、みんな堤防の上をぞろぞろ歩いてる。なぜかというと、その先に吉原を作ったからです。江戸中の男が歩いて堤防を踏み固めた。向島の方には桜を植えて、花見で人が集まるようにした。江戸中の芝居小屋も全て浅草に集めて人が集まるようにした。浅草が江戸の治水の要だから。

川崎にある穴守稲荷神社も、今は大穴を当てると言って競馬や競輪の神様になっているけど、本当はそうじゃない。羽田空港がもし無かったら、穴守稲荷の辺りは東京湾の波が当たって堤防が削れやすい。だから堤防に穴を開けちゃいけないっていうお守りの神社なんです。だから、この堤防の上で神社のお祭りをして、ワッショイワッショイと堤防を踏み固めた。これが僕たち日本人の文化なんですね。

蒸気機関車が共同体を破壊した

そして、明治になって近代化が始まったとき、最初に何ができたか? それは蒸気機関車明治5年にできた蒸気機関車が最初の近代文明です。そして蒸気機関車は流域を分断した。汐留から横浜まで多摩川を簡単に渡ってしまった。今までは渡し船で15分くらいかけないと渡れなかったところを、たった20秒で渡ってしまう。

つまり、近代の最初のインフラは蒸気機関車で、日本列島を全部つなげて人々と富を東京に集中させる工事をやった。流域の中で人生を過ごしていくと思っていた若者たちは、みんな蒸気機関車に飛び乗って東京へ行ってしまった。
いま東京に住んでいるみなさんの先祖も三代か四代遡るとだいたい地方から来ていると思いますよ。江戸時代から続く江戸っ子という人はまずいない。私の親父も九人兄弟の六人目。食っていけないってことで、熊本から列車に飛び乗ってね。

つまり、蒸気機関車というのは、この東京に全国から若い力と知恵と富を集める装置だった。あっという間に日本中に鉄道網が広がって、東北から九州から中国地方から日本海側も、全国からあらゆるものが東京に集まるようになった。

そして、鉄道が流域を貫くことによって、流域の中で閉じた地方の経済と共同体を破壊していった。近代化っていうのは、流域をぶっ壊すプロジェクト。そのことで中央集権になって国民国家ができるんですね。

東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図 歌川広重画(三代) 明治4年(1871)頃

それまでの幕藩封建体制っていうのは、殿様のための人生でした。なぜかというと、流域という閉じた世界で一生を過ごすから。ところが、蒸気機関が東京へ向いてできた瞬間、自分が生まれた流域に関係無く東京に集まって、今度は自分のための人生でいいんだ、となった。それが国民国家。国民がものごとを決める。そのためには、どこかに集まらなきゃいけない、それが、東京だったんです。

だから、現代の僕たちが「共同体」とか「コミュニティって何か」なんて分かるわけがない。近代からずっとコミュニティをぶっ壊して来たんだから。地方に閉じこもってコミュニティを守るのもいい。でも、それをぶっ壊さないと近代化はできなかった。そうやって、日本は世界最後の帝国国家に滑り込んだ。それが本当によかったかどうかは別の話ですが。

近代化でコミュニティを失った僕たちがコミュニティを求めてしまうのは当たり前で、学校だとか会社とか地域社会といったような自分のコミュニティを探す流浪の旅をしている。近代を作るためには、江戸時代以前の古い共同体をぶっ壊さなければいけなかった。でも、そのことで大切なふるさとを失ってしまった。その狭間に立って、みんなモヤモヤしているのかもしれない。もう一回流域に戻ろう、とね。

オンリーワンの共同体意識

いま多くの人がコミュニティを求めているのは、アイデンティティを失ってしまったから。共同体は敵を必要とすると言ったけど、たとえば、中東の人だったら、「おれたちは昔、一緒にペルシャと戦った」ということがアイデンティティになっている。日本人は戦う相手を無くして、共同体を無くして、アイデンティティを無くしてしまった。

僕たちは中国や韓国と仲が悪いなんて言うけど、韓国があるから僕たち日本人がいる、というわけじゃない。外国の場合は、あいつらがいるから自分たちがいる、常に敵対関係なんですね。自分たちを相手と差別化する必要がある。そのために言語も変えて。世界の人たちはそうやって共同体を守ろうとしてる。でも、僕たちの敵は洪水や地震。それらに対して一生懸命守ったり、復旧したりするのが共同体意識だった。

例えばワールドカップになると、「自分たちは日本人だ」って思う、あの瞬間だけ敵が急にできちゃうから。ワールドカップほど露骨な敵がいる場はありません。オリンピックはなんとなくお祭りムードがあるけど、ワールドカップは露骨ですよね。もともと日本人には、敵がいるから俺たちがいるんだ、っていう概念が無い、でも西洋と同じ「コミュニティ」という言葉を使っている。だからワールドカップのときだけ、僕たちは世界のコモンセンスを共有しているんですね。

大きな川を平定して、渇水のときにはそこから水を引いて稲作をするには、みんなの力が必要になってくる。富を求めていくと、否が応にも集団になっていく。日本の共同体は、よその国を攻めるためではなく自分たちを水害、災害から守るための共同体として生まれてきた。世界では珍しいオンリーワンなんじゃないかと思います。

いま地球規模の温暖化や気候変動が、国を超えて世界がひとつになるための大きな敵になってきた。でもトランプ大統領が登場したので難しくなってきた。小さい地球の中でどうやって僕たちが生きていくのか、地球規模の環境悪化とか資源の枯渇についてグローバルな視点で知恵を出し合ってみんなで考えていこうという流れがあったのが、どうやらそれも行き詰まってきた。また共同体が小さく縮まりつつある。

トランプのやり方は分かりやすいんですね。明確に敵を作るから、ものすごく分かりやすい。アメリカが離脱を決めたパリ協定は、今までの「地球環境を守ろう」という概念から一歩踏み出して「地球環境を守ることが新しい人類の目的なんだ」という方向にいった。単なるディフェンスじゃなくて前向きな概念に変わったのが素晴らしい。今では中国でさえCO2を減らすことを自分たちの国の目標に変わってきています。

分散していくのが進化

近代化以降ますます都市に人口が集中していますが、東京はちょっと人が増え過ぎたかもしれません。このまま東京が持続可能とはとても思えない。いま、もう一回どうやって地方で自分たちが生きていくかということを模索している時なんじゃないか。今、やっとそれが始まったところだと思います。

今までは大規模なインフラを維持するために一か所に大勢が集まって住む必要がありましたが、小規模分散型のインフラも技術的にできはじめて、新しいテクノロジーの影響によって、これからの社会は分散に転じる必要がある。どんどん分散していくのが進化です。

バイオダイバーシティ、生物多様性という言葉がありますが、英語本来の意味は、分裂、分化です。生命の進化の中で種が分岐するところ、そこをダイバーシティと言うんですね。でも日本人は「多様性」と訳してしまう。でも、本当は分岐することがバイオダイバーシティなんですね。

私は元々ダム屋だから、ダムを造るとき、川が流れてたら造れない。水があったらコンクリート打てない。だから、まずトンネルを造って水を逃がして、コンクリート打つ場所をドライにする。これを「ダイバージョン」といいいます。なぜダイバージョンを作ることが多様性という意味になるのかを考えて、ある時「あっ」と気が付いた、分岐しなきゃ進化じゃないんですね。

僕たちの近代は、全部、集中化してきた。でもこれは、もしかしたら退化だったのかもしれない。分裂して違ったところに行こうとか、違ったことをやろうとか、それが多様性。だから、これからどうなるのか僕には分からないけど、みんながバラバラになっていくことも一つの考え方としてある。東京でこんなに巨大な共同体を作る必要も無いかもしれない。

本当にこの東京の中にいてコミュニティを感じられるかというと難しいかもしれません。会社員のコミュニティを見ても、同じ会社の中で集まってそれだけで終わってしまうのはどうかなって思う。若手の官僚にも、「役人だからって省内のコミュニティにいたらダメだぞ。必ずどこかのNPOに参加しろ」って僕はいつも言っています。組織にいると組織のために働いてしまうから、組織の背後にある国民とか、そういうことを考えられなくなってしまう。官庁は狭いコミュニティだから、将棋クラブでもいい、ゴミ拾いのクラブでもいい、何でもいいからNPOに所属して、そういうフラットなところでディスカッションをすることが大事なんですね。

地形が伝える物語を語り継ぐ

人間は大都会が大好きなんです。人間は自分たちが作った空間が大好きで、自然は大嫌い。それは自然は予測ができないものだから。人間の脳というのは自分が予測して制御できて計画できる空間が一番気持ちいい。でも、本当は自然も一緒に体験しなきゃダメなんですね。

脳の中で制御を司っているのは前頭葉。でも、人間の脳は、爬虫類の脳、哺乳類の脳、人間の脳とだんだん外側に覆うように重なっている。僕たちは人間の脳に支配されているけど、いちばん深いところには爬虫類の脳があって、それは生きる本能を司る脳なんです。そこを活性化しないと不自然なんですね。
子供たちが恐がりながらも自然の中に入って行くっていうのは、制御できない空間の中で不安や恐れを体験しながら楽しんでいくということ。都会にいたら何もおっかないものが無く、自然の中に入っていけません。

鉄道で流域をまたいで、飛行機で海を越えて人が行き来するようになって、これからドローンも飛ぶような時代になってきた。地形を乗り越える装置ができて、今は誰も地形のことを考えなくなってきている。でも地形の中に、歩いて行くとこういう坂があったとか、こういう壁があったとか、昔こんなことがあったんだとか、その地域の話ができるでしょ。そういう地域の物語ができるっていうのは面白いですよね。

日本人の人々の繋がりを考えるときに、僕は流域の中でずっと生活していた江戸時代までのあり方を無視できないと思う。水を守ろう、水と戦おうという水にまつわるところから生まれた文化がいっぱいあるから。それが実は僕たちの心のふるさとになっているんじゃないか。近代以降はそれが無くなって、なんとなく心が浮いてる、落ち着かない、そういう状態になっているんじゃないかと思うんです。

問答

問:徳川家康は江戸の湿地帯を治水によって大都市に変えましたが、源頼朝はなぜ鎌倉に幕府をつくったのですか?

答:頼朝は引きこもりで湘南ボーイだったんですね。20年間島流しとされていたが、伊豆の山の中だった。湘南エリアに土地勘があった、ということです。疫病の蔓延している京都を見て、鎌倉に行き、遠浅の由比ケ浜、八方の山に囲まれた鎌倉に籠ったんです。当時の京都は禿げ山だらけで20万人の人口のうち5万人が疫病で死んだと言われています。

一方で家康は、東京湾に流れてこんでいた利根川を400年前に銚子につなげた。洪水を千葉・茨城に移したから江戸ができたんです。家康が秀吉に左遷されて入城した1590年の江戸は広大な不毛地帯でした。西は武蔵野台地に遮られて水がないので作物が育たなかった。江戸城の目の前には干潟が広がって塩水だから作物は育たない、最悪の場所だった。それで最初に彼がやったのは、溜池(ダム)をつくったんです。家康が見た江戸の景色は、現在のモンサンミッシェルと同じだった。見渡す限り干潟、不毛の地でした。

CC BY-SA 3.0,Mont St. Michel and Tombelaine, Luftaufnahme / vue du ciel / desde el cielo / aerial photo,Uwe Küchler

問:日本人の心象は治水前後でどのように変わったのか、今後どうなるのか。土地から解放されて軽くなった、日本人の感性や価値観はどんな変化にさらされるのか、どう思いますか?

答:日本人は常に災害にさらされている、原爆や原発を含めてすべての災害を経験しています。それでもなぜ災害の中でも平然としていられるか? 災害大国の中では「忘れてしまう」ということが大事で、それが日本人の生き方なのではないかと思うんですね。東京大空襲も、米英の仕業ではなくて天災だととらえていたのではないか。だからアメリカ人に対する憎しみをもっていない。災害を日々真面目に見つめていたら生きていけない、忘れること、それが生きる道だったのではいか。

そして、これからどうなるのか、それは分かりません。僕も遠くはなれた仲間とインターネットでコミュニケーションしているけど、彼らはリアルの場でつながっていた人たち。リアルなフィジカルな関係を持っていた仲間同士がITによってより強いネットワークを作れるんじゃないか。僕にはそれくらいしか言えません。

<考察>

日本のコミュニティに枠を嵌めていた「流域」を基にしたコミュニティは、鉄道という当時の最新技術でこわれ、都市が人と金を吸い上げていった。
いま鉄道や道路のようなインフラに変わるものがITだが、一部のプラットフォームが時間とお金を吸い上げているようにも見える。ネットのコミュニティは移動することからも解放されている、たとえ地理的にどこにいても、ネット上の同じ場所に集まることができる。

都市化の初期は親類や縁者を頼って都市の中にコミュニティが作られていったはずだ。そして高度経済成長を背景に、会社がコミュニティの基盤になっていった。しかし景気の低迷やグローバル競争の中で、会社はもはやそのようなコミュニティではなくなってしまった。土地から引きはがされ、会社からも引きはがされた人々が「コミュニティ」を求めてネット上をさまよっているようにも見える。

地形や流域や地縁や血縁という「グリッド」を破壊すると同時に代替してきたのが、テクノロジーが創り出す新たなコミュニケーションインフラだったのではないか。いまグローバル化とテクノロジーの後押しで、地域や国境を超えて移動して働く人々が増えている。地縁や宗教を軸にした華僑やユダヤ人のように、働き方や考え方をネット上で共有しながら世界中を移動するようなコミュニティが世界中に生まれるかもしれない。その一方で、再び「流域」である地方に目を向け、地域おこしをする若者たちも増えている。

地形や気象という下部構造の制約を受けながら、先人たちがその時代毎のテクノロジーを駆使し格闘し作り上げた環境の上に、集落が生まれ都市が形成されていった。実際に人が住み、集まれる環境というのは実は限られているのかもしれない。そして、一旦作り上げた環境を維持するためにはコミュニティの力が必要だ。これは地球上のどこにいても、逃れられない現実なのかもしれない。
多拠点を志向する人も、流域に戻る人も、あらためて地形や気象という下部構造に目を向けることの重要性を「地形」は教えてくれる。

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