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里山と日本の未来②〜眠っている価値を掘り起こす

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里山と日本の未来 〜西粟倉村取材レポート①からの続き〜

西粟倉村の地域再生の大きな特徴が、行政と民間企業の二人三脚がうまく機能しているところ。行政の不得意な部分である新たな人材の受け入れや情報発信、木材の加工と販売などを「株式会社西粟倉・森の学校」という企業が行っています。その会社の代表取締役(校長)であり、西粟倉村の長期ビジョンである「百年の森林構想」の発案メンバーでもある牧大介さんにお話を伺いました。

牧 大介さん 西粟倉・森の学校 代表取締役(校長)
1974年生まれ。京都府宇治市出身。京都大学大学院農学研究科卒業後、民間のシンクタンクを経て2005年に株式会社アミタ持続可能経済研究所の設立に参画。2009年に株式会社西粟倉・森の学校、2015年10月に株式会社森の学校ホールディングスを設立。森林・林業、山村に関わる新規事業の企画・プロデュースなどを各地で手掛けている。
*西粟倉・森の学校HP

山をあきらめない

なぜ西粟倉村では林業を軸に地域再生を進めることになったのか、それは単純に「山がたくさんある」からです。前村長が専業農家で山にも熱心な方で「これだけ山しかないところだから、山をあきらめると何もできない」と決断したんですね。どこの地方でも同じような問題はあるですが、当時は山を真剣に再生させようという地域が他にありませんでした。「西粟倉村はやります」と言い切ってがんばり続けた、それだけのことです。

西粟倉村の森林は地権者が1300人、その4割が村外民。そして筆数が6000もあります。そのうち手入れができていない管理放棄されている山は、一旦村が借り上げるという契約で整備を進めています。実際には登記の情報が更新されていなかったり、村を出て行く人も多くて、所有者をたどっていく作業が非常に大変です。10年間で地権者全員と契約する計画ですが、役場内の3人の担当者で1300人の所有者全てに連絡するとなると、年間130人、2〜3日で1人、もしかしたら10年間で終わらないかもしれない。誰でも思いつくアイデアですが、実際にやろうとする自治体はなかなかありません。

どこの地域も同じ状況で山の整備が進んでいません。視察にいらっしゃる方も多いですが、特に変わったことをやっているわけではなくて、当たり前のこと、やるしかないことを地道にやっている、ただそれだけなんです。西粟倉村の現場を見て「これは大変だ」と、やらないところが多いんですね。すぐに結果がでないことは政治家にとってプラスではありませんから。

西粟倉でなぜそれができるかというと「百年の森林構想」があるから。長期的な視点でやれる。これが競争力を生んでいるんです。山を借り上げる費用、短期的な赤字が発生しますが、それは村役場が特別会計として毎年1500万程度の赤字を背負っています。しかし山に投資することで地域のブランドが向上し、移住も増える。仮に100人移住者が増えると、地方交付税で歳入が年5000万円のプラスになります。新しい動きを作って、人が村に集まれば役場も儲かるんです。

森の学校の廊下にある案内図。教室だった場所がそのまま事務所や作業場として使われている。

森の学校の仕事

西粟倉・森の学校は村の資源から価値を掘り起こす地域商社としてスタートしました。村の主要な産業は林業でしたが、景気が良かったのは20年くらい前まで。そこからだんだん悪くなっていきました。海外産の木材が入ってきても国産材の需要はあったのですが、品質が安定した安い木材がまとめて輸入されるようになって、工業製品に近い木材のニーズが増えて、昔のような節のない高価な木が評価されなくなったんですね。建築様式も変わって柱を壁の中に隠してしまうので、木材の美しさや見栄えは必要なくなり、物理的な機能だけを満たせばいい、安ければいいという風になりました。昔の意味で「いい木を育てる」ということが意味をなさなくなりました。

そこで、伐った木材を売るだけではなくて、加工して商品までつくって個人に直接販売するところまでを森の学校で行っています。山からお客さんまで、8〜10段階の流通を全て自前化しています。そのためには設備や資金が必要です。でも、やればできるんです。何もかも対応しようとするといまの3〜4倍の在庫が必要なので一定の在庫リスクを背負う。既存の大きな材木商は売上の10倍くらいの在庫と流通網を持っていて、在庫をゆっくり回してしっかり儲けるやり方ですが、うちはそれができない。そのための努力として、インターネットを使って情報を発信して商品の4割を個人に販売し、そこでブランドができることで工務店などへのBtoBの販売が広がっています。

製材所の出荷場。商品になった床板などが積まれて出荷を待っている。

製材所の立ち上げ

森の学校の事業を行うにあたって製材所が必要でしたが、木材加工業に関わったことがある経験者はだれもいませんでした。そこでハローワークで求人したり、あらゆる方法で人材を集めました。現在の工場長はもともと電子部品の工場長をしていた方で、中国の深圳で工場の立ち上げを終えたところでした。彼が協力してくれることになり、さらにシステムキッチンの組立工場の元製造部長の方も加わって、その二人を核にしていろんな人たち、ほとんど素人でしたが、が集まって奇跡的に木材加工の工場を一から立ち上げました。

工程毎の“ヨコ持ち”(工程間の運搬)を少なくして、一つの工場と敷地で全ての加工を行うために多くの機械と人材が必要でした。もう設備投資をして結果がでるのを待つしかない。しかし、創業から3年目に8000万くらい赤字を出してしまって、もうやばいと。個人保証で借りられる融資の範囲を超えてしまって、自分の給料も50%カット、給料も一律10%カットさせてもらいました。

給料カットが始まってから3ヶ月以内に半分くらいの従業員が辞めました。「この会社は潰れるかもしれない」という空気が流れると、他に転職するのが普通です、仕方がありません。しかし、工場に残ってくれたのは、優秀でモチベーションの高かった人でした。結果的にその後2年で人件費が半分になったのに生産性が3倍に上がった。そこから9000万円収支が改善しました。私たちのやり方は参考にならないかもしれませんが、分からないことだらけで学習していった結果、なんとか工場が回り出しました。

 

里山と日本の未来 〜西粟倉村取材レポート③へ続く

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