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大きなシステムに対抗できるのは、小さなファンタジー。クルミドコーヒー 影山知明氏に聞く資本主義の先の働き方

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【満員御礼】「オフグリッドの世界と、その可能性」〜働く編〜

「モノ」や「コト」が国境を越えてシームレスに行き来する中で、わたしたち「ヒト」はこれからの技術進化によりどこまでグリッドから解放されるのか。テクノロジーという観点だけでなく、思想、文化、エネルギー、環境等あらゆる視点から考察し、そのために必要になるであろう叡智を掘り起こします。

今回は「働く」をテーマに、様々な事象からオフグリッドされた世界を考察しました。ゲストはクルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店店主の影山知明さん。

『ゆっくり、いそげ~カフェからはじめる、人を手段化しない経済~』(大和書房)の著者でもある影山さんと、オフグリッドされた働き方を考えました。

<ゲスト>
クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店店主 影山知明氏

1973年東京都国分寺市生まれ、愛知県岡崎市育ち。大学卒業後、経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、 独立系ベンチャーキャピタルを共同創業。 総額30億円のファンドを立ち上げ、投資先とリスク/リターンを共有した事業開発に従事。2008年、空き家となった生家を建て替え、多世代型シェアハウス『マージュ西国分寺』をオープン。 1階には、こどもたちのためのカフェ『クルミドコーヒー』を開業。 2017年にはとなり駅の国分寺に、2店舗目となる『胡桃堂喫茶店』をオープンさせた。 NHKテレビ NEWS WEB の第4期ネットナビゲーター(2015-16年、火曜日担当)。 著書に、『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』(大和書房、2015)。http://kurumed.jp/

あなたの雇い主は誰ですか?

「働く」というテーマでどんな話をしようかなと思ったときに、自分なりに向き合いたいと思っている問いがありまして、最初にそれを紹介します。

あなたの雇い主はだれか」という問いです。

フリーでやっているから雇い主がいないという方もいらっしゃるかもしれません。片や、何十万人が働く組織に属している人もいる。そのあたりも含めて「雇い主」は誰なのか、ヒントが見つかればいいなと思っています。

僕は、大学を出て最初にマッキンゼー・アンド・カンパニーという経営コンサルティング会社に勤め、その次にベンチャーキャピタルの仕事をしてきました。ベンチャーキャピタルは「投資ファンド」の一種で、投資家の方からお金をお預かりして、それをベンチャー企業、これから伸びそうな新興企業に対して投資します。

投資を行い、支援もし、結果として投資先が成長してくれれば、投資したお金が増えて戻ってくるので投資家にお返しできる。26歳頃に先輩について独立して、10年超やってきました。そのベンチャーキャピタルをやっているときに考えたのが、まさにさっきの問い「あなたの雇い主は誰か?」につながることなんです。

僕らの場合、いわゆる「スタートアップ」という、アイデアひとつ、なんなら事業計画ひとつという段階の会社や起業家と出会い、これはと見込んだ組織に4000~5000万といった単位のお金を投資していくという仕事でした。だから数多く投資してもいくつ成功するかわからないというような、ある意味ギャンブル性のある世界でしたが、それ以前にマッキンゼー・アンド・カンパニーという会社でやっていた大企業向けのコンサルティングと比べると、大きなやりがいを感じていました。

マッキンゼーでのコンサルティングの場合、クライアントと呼ぶ顧客がいるわけです。誰もが知っているような大企業であることが多いんですが、そういったところに経営上のアドバイスをしていた頃に感じていたのは「一体、自分たちに仕事を発注しているクライアントって誰なのか」あるいは「会社がうまくいってほしいと思っている当事者って誰なのか」。そのことがやればやるほど、ぼんやりしていったんです。

直接対峙している経営企画部長やスタッフの多くが、一人称で自分の仕事を語らない。「会社としてどうするべきか」という客観的なやり取りに終始して、そこに個人の当事者性や意志を感じない。自分は誰を応援しているのか、ピンとこなかったんですね。

その点、ベンチャーキャピタルの仕事ははっきりしています。起業家であり創業メンバーに意志があり、実現したい世界のイメージがあって、それを応援する。自分が誰を応援しているのか非常に明確です。そこにやりがいを感じて取り組み始めたのですが、5・6年目くらいからでしょうか、あれ? と思う局面に出会うようになりました。

最初は創業メンバーの思いひとつで走り出した企業も、売上が大きくなったり、社員の採用を増やしたりと組織が大きくなっていく過程で、銀行からお金を借り、我々のような株主からお金を受け取り……と利害関係者が増えていって、ふと気がつくと不思議なことが起こっていたんです。

起業家の夢が、数値目標に置き換わるとき

最初の頃は「この技術を使ってどうしたら世界を変えられるか」とか、「このアイディアを待っている人や喜んでくれる人がきっといる。その人たちのために、アイディアを実現するにはどうしたらいいんだろう」といった思いから会社を起こしたはずの人たちも、時が経ち、利害関係者が増えてくると、経営会議の冒頭にこう尋ね始めるようになります。「今年度の売上目標10億円を達成するにはどうしたらいいだろう」「株式上場するための営業利益1億円を達成するにはどうしたらいいだろう」と。そこには動機の転換が起こっているわけです。

じゃあ「年間売上10億円を達成したい」「上場基準としての利益1億円を達成したい」と思っている人は誰かというと、意外と経営者個人というわけでもないんです。経営者はやっぱり自分の夢のために会社起こした人ですから、お金や売上増大は確かに大切ですが、それがすべてではないという思いは、やっぱり抱いているはずです。ただ個人としてはそう思っていたとしても、利害関係者が増えてくるとそうも言っていられなくなる。「ベンチャーキャピタルから数千万、数億といった単位の出資を受ける時に『5年以内に上場する』って約束しちゃったし」と。出資契約書にそう明文化されるケースも少なくありません。そうなると、どうしても至上命題として数字を達成しないといけないというプレッシャーを受けるようになる。

つまり投資先をそういう方向に仕向けているのは僕、ベンチャーキャピタルの担当者なんです。ただ、その僕も、これも不思議なことに、個人としては経営者の夢こそ応援したいと思っていて、売上のために関わっているわけではないと思っている。だけど、僕らには僕らで、お金を預けてくれた投資家との間の「預かったお金を増やして返します」という約束があるわけです。

その投資先の企業にとって夢を実現する方向にいくのか、お金を早期に達成する方向にいくのか……もちろん両方を満たせる選択肢が一番です。ただそうもいかなくてどっちを優先するかとなったとき、職業的な自分の立場としては、後者、つまり、より早期に利益を達成するために経営者をプッシュしなきゃいけない。

資本主義のシステムは「約束の数珠つなぎ」

我々にお金を預けてくれている投資家である商社やメーカー、銀行の投資関連のセクションの人たちだって、個人的には経営者の夢を応援したい気持ちは持っているはずです。でも職業上の立場として「投資の運用利回りを高めなければいけないから、なんとか早く上場させてくれ」となる。さらに、その上の経営者の人たちでさえ、同じような構図を抱えています。

自分には株主との約束があるから、と。株主を辿っていくと銀行があり、さらにその向こうには預金者がいる。このように資本主義の背景に、数珠つなぎになった約束があるわけです。その約束すべてに一貫しているのが「ちゃんとお金を増やしましょう」ということ。その合意のもとでこのシステムの約束の数珠つなぎが出来上がっているわけです。

皆さんがもし個人として銀行にお金を預ける際、「預けた金額が少し減るかもしれないけれど、だれかの夢の実現につながるかもしれない」という選択肢と、「確実に元本を保証して、利子をつけてお返しします」という選択肢のどっちがいいですか、と問われたら、ちょっと減ってもいいから夢を応援したいという人は、少ないかもしれないけれどいるんじゃないかと思うんです。

だけどそうした選択肢は提示されることなく、「お金、増えたほうがいいですよね?」と聞かれたら、みんな「はい」と答えるに決まっているわけです。そのささやかな動機がつながってつながってより組織的になり、全ての事業体を駆り立てていく。そういう構造が存在することを、原始的な資本主義の仕組み、投資ファンドの仕事の中で感じていたんです。

だから、冒頭に投げかけた「あなたの雇い主は誰ですか」の答えは、「システム」です。ちょっと不思議な感覚ですよね。もちろん直接的な雇用関係としての経営者、社長はいると思うんですが、その雇い主をある方向に仕向けている大元が誰なのかをたどっていくと、システムがある。

つまり我々をお金のために働かせているのは、経済成長を続け、社会全体として金銭的な価値を大きくしようとする資本主義というシステムなんだとは捉えられないでしょうか。誰か特定の悪い人がいるならわかりやすいし、対抗のしようもあるけれど、それがない。だから太刀打ちが難しいんです。

このシステムの力学にどう対応しうるのか。ベンチャーキャピタルの仕事を通してそんな問題意識を抱き、クルミドコーヒーにつながっていきました。このつながりを説明するために、システムの対義語はなんなのか考えてみたいと思います。

 

大きなシステムに対抗できるのは、小さなファンタジー

影山:システムの対義語。いろんな考え方があると思いますが、僕は「ファンタジー」だと思っています。

どういうことかというと、僕はミヒャエル・エンデが大好きなんですが、彼が『はてしない物語』という本を書いています。その舞台になっている世界は「ファンタージェン」と言います。ドイツ語においてファンタジーという言葉は非常に大事に扱われている単語のひとつだそうです。ファンタージェンという言葉にエンデが対峙させたのが「虚無」なんですね。英語でいうとナッシング。

自分自身が望んでいることや、こうなったらいいと願っていることとは別のシステムの力学のもと、システムが求める結果のために働いていくと、虚無感にさらされる。虚無に支配される、という言い方もできるんじゃないか。

そういう感覚ってありませんか? 決められたシステムの中で、システムの求める目的に向かって自分の役割を果たしていくと、だんだん自分が何が好きだったのか、どういうものを美しいと思うのか、そういう気持ちがしぼんでいってしまう。確かに役割を果たしてお給料はもらっているけれど、なにか満たされない。これが、エンデが『はてしない物語』で描こうとした問題意識だったんじゃないかと考えています。

このような、人をお金のために働かせるシステムの力学に対抗しうる力があるとすれば、それは小さなファンタジーの力じゃないか。僕なりにファンタジーを日本語に訳すと、「創造的な想像力」。クリエイティブなイマジネーション。こうなったらいいなというささやかな未来図を描く力です。

CC BY-SA 4.0,José Antonio Poó Morilla,Portada interior de Jim Botón y los 13 Salvajes, de la edición española de Ediciones Orbis.

大人の心の中にいる「こども」のために

少し話が逸れますが、「こうなったらいい」という想像の源は「違和感」であることもあると思うんです。例えば満員電車に対して、「何かがおかしい」と感じる人は多いでしょう。その違和感があるから、「じゃあ、どうなったらいいのか」と人は考えるようになる。例えば、「一人一人が笑顔で気持ちよく通勤できたらいいのにな」って。

そういう創造的な想像力がシステムに抗う力だとしたら、そのファンタジーの力を誰よりも持っている人が世界中にいる。それが子どもたちだと思います。クルミドコーヒーは自分たちのことを「こどもたちのためのカフェ」と呼びたいと思っているのですが、そこにはその気持ちが込められています。

「子ども」といっても、小学生とか未就学児といった、文字通りの子どもだけをイメージしている訳ではなくて、今日この場にいらしている皆さんの中にも必ずいると思うんですね。ふだんは社会や仕事で求められる役割を果たしているけれど、自分の中に、子どもの自分が。

本当はこんなことが好きだとか、こんな事をやっていると夢中になれるっていう、みなさんの中に眠っている子どもにうまく届くお店ができたなら、そこから面白いことが起こっていくんじゃないか。そんな思いから「こどもたちのための」という言い方をさせていただいているんです。

HPより

スタッフが多すぎるカフェ

クルミドコーヒーを始めた9年前からずっと大事にしていることがあります。今、社員14人、それ以外にアルバイトの子たちが20人弱。だからカフェ2店舗をやっているだけで計30人以上いるんです。一見、多すぎますよね。

社員やアルバイトのメンバーに加わってもらう時、みんなに聞いている質問があります。「あなたはクルミドコーヒーのためにいるわけじゃない。君という人が先にあって、その生きる過程でたまたま一つの仕事、表現、挑戦の機会としてこういうお店や会社と出会ったわけです。としたらあなたはこの機会を使って、どんなことを表現してみたいですか?」って。

最初のうちは、うまく答えられない人がほとんどです。が、その投げかけを辛抱強く続ける。半年、一年単位で実施する社員面談のときや、一緒にお昼ごはんを食べているとき、電車の中でたまたま一緒になったときなどに何気なく聞いてみると、「最近こういうことに興味があって」とポロっと言ってくれることがある。

それがまさに先ほどお話ししたファンタジーなんだろうと思っていて、そのタイミングを待つんです。そこから「じゃあ、試しに何かやってみる?」というように、ちょっとずつお店の周りで実際に取り組んでみる。そこから「クルミド出版」という取り組みが始まったり、「音の葉コンサート」というイベントが始まったりしています。

一例を挙げると、吉間君といううちの店長が、デザインの仕事をしたいという思いをずっと眠らせていたんですね。「自分にはデザイナーとしての才能がない」と思いつつ、やりたいという気持ちに嘘がつけないということで、まずは試しに「ヨシマデザイン」と屋号を掲げて始めたら、飲食店をやっている人から看板やロゴをデザインしてほしいという依頼が舞い込むようになったんです。こういったことが一つ一つお店の回りで生み出されていった結果、クルミドコーヒーはカフェでありながら、カフェの通常営業にとどまらないいろんなファンタジーを受け止める舞台にもなってきたわけです。

HPより

人間を“部品扱い”しない「植物的経営」

水を向けて、待って、タイミングがきたときにうまく受け止めてあげる。それの繰り返しで人が育ち、お店が育っていくということを感じてきた9年間でした。そしてこのプロセスを何かにたとえて表現できないかと思ったとき、「植物的な経営」という言い方はどうかなと思うようになりました。

植物が面白いのは、最初からどういう樹形になるか決まっていないところです。もちろん種の中には遺伝子があるから、最初からある種のエネルギーや方向性を持ってはいるわけですが、同じ種でも蒔かれる土が違えば、違う形の木になります。芽を出し育っていく過程のなかで、環境によって雨や雪が降ったり風が吹いたり、光がさしたり、鳥や虫が飛んできたり台風が来たり、そういった偶発性との関わり合いの中で、伸ばすべき枝を自然に伸ばして、自ら一つの樹形をなしていく。それが植物の育ち方です。

「植物的経営」の反対側に、自動車を作るような経営があります。例えば自動車の場合、最初に設計図があって、次に設計図に必要な部品を集めます。あるいは組み立てるプロセスを作り、それに沿って作業を進めていくと一つの車ができる。

そしてそういう作り方をする以上は、当然、いい部品と悪い部品がある、という話になってきます。速度や静謐性など、設計図で実現したいスペックがあるわけですよね。それらの機能に貢献できる部品はいい部品だし、貢献できない部品は悪い部品、という話になります。とても合理的な話です。

*public domain

「利用価値がある人」という価値観

多くの会社で同じことが起こっています。会社の場合は事業計画があるわけです。その事業計画の達成に貢献できるのはいい人材。貢献できないのはよくない人材。仕事の現場で「使えるやつ、使えないやつ」みたいな言い方をすることはありませんか。昔から大嫌いな言い方ですが、そうした言葉遣いが出てくるのも、事業計画をより短期的に、コストを少なくスムーズに達成する、という目的を達成するための合理的な帰結とも言えるんじゃないでしょうか。

今、会社に限らずあらゆる分野で、設計図なり事業計画が作られています。僕が関わっているまちづくりの領域でも、都市計画とかまちづくりビジョンという最初の設計図に基づいて街を作ろうとします。全てこういう組み立ての中で、会社や、店や、まちをつくってきた。言ってみればこれが20世紀型の方法論でした。これは多くのものを安く作るような目的達成にはとても有効な手法だったから、21世紀になっても未だに使われています。

ただ、ある種の生き辛さの背景には、今お話しした構図があるように思います。つまり、「設計図や事業計画に貢献できる人材こそがいい人材である」という定義に従っていくと、利用価値のある人には生きている意味があるけど、利用価値のない人には生きている意味がないということになり、それを日々の仕事を通じて突きつけられる、そういうことが起こっているんじゃないかと思うんです。「一億総活躍社会」のような表現も、活躍できないやつには居場所がない、ということに通じかねないなと思い、怖さを感じます。

さらに言うと、もともとビジネスの世界で生み出された発想だったはずが、じわじわと友人や家庭、地域社会などの人間関係をも侵食しているのではないでしょうか。例えば、事業計画達成のために日々働いている人は、平日の夜に時間があるから誰かと飲みに行こうとなったときに、連絡する相手はやっぱり仕事上利用価値があると思える人になりがちでしょう。

「この人と付き合っていると、仕事上いいことがありそうだから」とか。あるいは交流会みたいなもので名刺交換するとき、利用価値がありそうな人のところには人が殺到し、そうでない人は相手にされない。個人としてはそんなことをしたくなくても、仕事の力学に晒されている以上、気が付くとみながそう振る舞っているというのが今の社会だという気がします

僕は、今お話しした設計図を頂点とした三角形を、上下逆にしたい。そうすると植物の形に見えてきませんか。

(17946020655_52dd72a5ee_b.jpg)*public domain

人を、目的達成のための手段にしない

ここまでお話ししてきた通り、自分は自動車を作るようにではなく、植物が育つようにお店を作りたいと思いました。自動車を作ろうと思うと、スタッフを「手段」にせざるを得ないわけです。達成したい目的、生み出したいインパクト、実現したい理念、そういったものが強くあればあるほど、そのために一緒に関わってくれるメンバーやスタッフを手段にせざるを得ない。

僕は僕で「こういうことを実現できたら」「こういうインパクトが生み出せたら」と思い描いていることはあるんですよ。でもそのためにうちのスタッフを手段として利用はしない。だから目的も、向かおうとする先も、スタッフの数だけ多様化して枝を広げていく。もちろん前提としてチーム全体で共有し、育てている価値観もありますから、幹は幹で太くなりなっていきます。でも、枝も増えて葉も茂る。そういう経営の仕方もあるんじゃないかと思っています。

どこまでいっても人間はいのちです。であるならば、機械を作るように工学的に何かをつくるよりは、いのちの形をうまく生かし合うような形で、一つの店だったり会社だったりをつくる、そういうやり方ができないかと考えています。

HPより

年率14%売上アップ、数字はあとからついてくる

つまり、仕事に人をつけるのではなく、人に仕事をつけよう、そういう投げかけです。普通は「こういう仕事があるので、これをやれる人」というように仕事に人をつけていくから、ある日Aさんという人が辞めても、2~3日後にはBさんがやって来て、何事もなかったかのように置き換えられる。で、BさんがいなくなればCさんが代わります。つまり、僕らは日々の仕事を通じて「あなたは替えのきく存在ですよ」と言われ続けているわけでしょう。

これは確かに、変わらず同じものをつくり続けるという社会システムデザインの文脈では有効な手法です。実際、Aさんがいないので飛行機が飛びませんとか、病気が治せません、となると困る仕事の領域は確かにあるので、「仕事に人をつける」やり方が必要な局面はあるだろうと思います

ただ、全てが全てそうじゃなくてもいいと思うんです。だからクルミドコーヒーでは人に仕事をつけることを目指しています。吉間君がいるからヨシマデザインをやるけど、吉間君がいなくなればもうやらない、ということです。「そうやって人がいなくなるたびに大事な何かをなくしていったらお店が立ち行かない」と思われるかもしれないけれど、それも植物的なイメージで捉えればいい。

僕らの店は木曜定休で、金曜から翌水曜、朝10時半から10時半まで営業する。これがコア業務としてあって、僕らの幹として揺るぎません。ある枝が途中で落ちるように、メンバーが入れ替わることはあるかもしれませんが、枝が落ちることは次の枝が伸びる機会にもなりえます。このように、植物的な有り様から学べると思うわけです。

それを試行錯誤してきた9年間、お人好しみたいな経営をしていますが、逆風が吹く中でも年率14%ぐらい売上を伸ばすことができてきました。売上を伸ばそうと思ってやってきたわけではないんですが、そうやってちゃんと一人一人のいのちが発揮される環境を作り、そういう組織を育てていこうとしたことで数字もついてくる。非常に小さなモデルケースではありますが、可能性がゼロではないことは示してこれたかなと思っています。

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CC BY-NC-SA 2.0,A farmer’s primer on growing upland rice_p27,IRRI Photos

 

「コストパフォーマンス」を最優先にしない経済があってもいい

最後の話題として触れたいのは、テクノロジーを過信しないほうがいいんじゃないか、ということ。あえて挑発的なことを言うと、オフグリッドもそうだし、ブロックチェーンとかシンギュラリティとか(笑)。「こういうテクノロジーがあるからこういう未来は不可避である」という捉え方も、システムの奴隷になっていると思うんですよね。

よく言われる未来予測の一つが、今ある仕事の8割が、ロボットやAIに置き換えられるというもの。この何十職種は何年後には存在していない、みたいなことですね。これに対してはずっと違和感があります。仕事や、仕事の先にある経済の目的が「売上や利益の最大化」なら、そのためにはコストの最小化が合理的だから、当然人間なんか使っていられません。機械やAIにやってもらったほうが安く、より多くのことができる。それは当然の帰結です。

だけどそもそも、経済や労働の目的をすべて「効率性や金銭的な価値の最大化」とする必要もないわけじゃないですか。もちろん僕もテクノロジーに興味を持ってワクワクする気持ちはあるし、そういうものとうまくつきあっていけるといいなと思うけど、別にそれに振り回される必要はない。「自分たちがいいと思うもの、美しいと思うものを実現するためにどうしたらいいか」から考えたっていいと思います。

人生最後の日に、ファストフードを食べたいか?

例えば、明日いのちが尽きるとしたら、チェーン展開しているファストフード店に行きますか? 僕はある牛丼屋に好きなメニューがあって、普段からよく食べます。だけどもし明日が最後の1日だとしたら、さすがに行かないだろうと(笑)。それより、家で家族と食事をしたい、あるいは誰かの気持ちのこもった手料理を食べたいときっと思うだろうと思うんです。

あるいは、明日が最後の1日だとしたら、移動の時に有人タクシーと無人タクシーがあったとして、どっちに乗りますか? これはいろんな人がいるでしょう、値段という前提もあるし。でも僕だったら有人タクシーに乗るだろうと思います。明日が最後なら、人の温もりに触れたいと思いませんか。あるいは、最後の1日を前にどんな服を着ますか? 僕はファストファッションではなく、自分の知っている人が仕立ててくれたシャツを着よう、自分にとって思い入れのある靴を履こうって思うんじゃないかな。

これは極端な前提ではあります。だけど僕らの日々の暮らしや生活って、ごはんを食べたり、移動のためにタクシーに乗ったり、服を着たり、あるいは挨拶なども含めて、私と他者の間の交換から形づくられています。明日が最後だと前提を置いたときに初めて、僕らはその交換の中に、僕らの心が満ち足りる種類の交換と、そうでない交換があると気が付くわけです。

もちろん、僕も普段はファストフードを食べるし、ファストファッションも着る。だけど、全ての交換がそれになるのは嫌だという気持ちも忘れたくないんです。やっぱり、人の気配が感じられないような食べ物、着る物、移動手段、そんなものに囲まれていると、だんだん気持ちが空っぽになっていくような感覚があります。

その気持ちを皆さんが忘れないでいてくださったら、違う種類の経済が成り立つと思うんです。AIやロボティクスに従って効率を最大化した経済とは、違う種類の経済。自分が思い描いているのは、そこにかけた時間と手間を肯定的に評価するような経済システムです。時間や手間をかけた仕事に触れた時、人の気持ちが動くと思うからです。

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採算度外視のくるみ餅、650円

今はみんながみんなお金のために働くようになってしまっています。そのことが結果的に、世の中をつくっている仕事の質を下げているように思います。人間、最後はお金のためだけには頑張れないという気がするんです。そうじゃない人もいるとは思いますけどね。だけどやっぱり誰かを喜ばせてあげたいという気持ちから始まって、そのために必要な手間とか必要な時間をかけた仕事は、それを受け取ってくれた人の気持ちに届く何かを持つんじゃないかと思います。

2017年3月に、2店舗目となる胡桃堂喫茶店というお店を始めました。その店で12月に、新ぐるみが店頭に届く時期の特別メニューの一つとして、お餅にくるみダレをかける「くるみ餅」というものをつくります。このくるみダレには、一個一個殻を割って実を取り出し、さらに渋皮をむいたクルミを使いますが、この作業が気が遠くなりそうなほど大変。

コンサルタントの悪い癖でクルミ剥き作業の生産性を計算したところ、一人分のタレを作るのに実に600円の人件費がかかることがわかったんです。そのほかの、餅をついたりクルミの甘辛煮を作ったり、といった作業は別ですよ。そんなくるみ餅の価格は税込み650円。お人好しも度がすぎます(笑)。

ありがたいことに、自ら手を上げてこの大変な作業を手伝ってくださる方がいるので、なんとか成り立っています。そうやって出来上がったくるみ餅には、いろんな怨念がこもっている(笑)。だからレジで650円払った時、「なんだか、ただものじゃない何かを食べてしまった」と感じ、「650円じゃ払い足りない」と思う人さえもいるんじゃないか(笑)。

クルミドコーヒーのクルミ餅

ビジネス優先の経済を、オフグリッドする

それを僕の本では「負債感」と呼んでいます。僕らが時間をかけ、手間をかけ、誰かを喜ばせられる仕事ができたとき、お客さんの中の何人かは「いい仕事を受け取った」と感じ取ってくれる。それに対して自分も受けとった分を返してあげたいという気持ちになってくれる、そういう交換が起こるんです

もしかしたら他のお店では、機械が作ったくるみ餅を200円で売っているかもしれない。だけど3倍の値段を払ってでも思いのこもったくるみ餅を食べたい人がある程度いれば、そのお店の経営を成り立たせる源泉になるわけですね。僕らはそうやって受け取ったお金を社員に還元します。うちのスタッフはそういうことを身をもって感じているから、自分たちがお金を使う時にもそういう使い方をします。

だからお金を使う時、皆さんは「誰の仕事を受け取りたいか」と問われていると考えるといいと思うんですね。ファストフードのチェーン店の仕事なのか、誰かが手間暇かけた仕事なのか。どっちを選ぶ権利も持っているけれど、あえて手間や時間のかかったものを受け取りたい人が一定数いれば、そういうお金の流れが起こるようになります。

世界規模とは言わないけど、クルミドコーヒーのある西国分寺というエリアだったら、そういう経済圏は夢じゃないかもしれない。世の中はどんどん無人タクシーが走り、機械化され、職が失われ、その結果物の値段は安くなっていく。そういう経済が社会インフラを作る時代があるかもしれない。だけど西国分寺界隈はみんなに仕事があって、その仕事は大変だけどやりがいもあって、喜んできてくれる人の顔もあって、それが地域の中で循環しているから、僕らの仕事は守られている、そんな経済を作れないか。これも、これまでのビジネスや経済のあり方の前提をちょっと疑ってかかる、一つのオフグリッドじゃないかなと思います。

クルミ餅づくり

MON-DO(問答)

問1:コンサルティングのお仕事をされていたということで、大きな資金を動かしていく仕事は世界に対するインパクトも大きく、モチベーションが高まりやすいと思うんですが、一人一人に対峙する今の仕事って、待つ時間もあるし、強い思いがないと難しいのではないか。その辺りのギャップは感じていらっしゃいますか?

影山:インパクトをどう捉えるかなんですが、僕は、ちょっと大げさかもしれませんが、どう生きたいか、どう死にたいかみたいなことでいうと、自分が死んだとき、死んだことを心の底から惜しんでくれる人が一人でも二人でもいてくれたらいいなって思うんですね。そしてそれが、僕が生きて仕事を通じて出せたインパクト、と言っていいのかなと思っていて。

確かにマッキンゼーの頃や投資ファンドの時の方が、新聞の一面に載るとか、そういう意味でのインパクトを残す仕事はできていた面はありますが、そこでの付き合い先やそのインパクトを起こした先にいる人は、自分が死んだ時そうは思ってはくれないかもしれない。だから、今は自分にとっての世界や社会というものが、より具体的になったという感覚です。そして「もし死んだら」と考えたとき、自分にとっての大事な人が、固有名詞や顔が思い浮かぶようになったことに、代えがたい満足感や幸福感があります。

そういうやり方をした結果、経済的に貧しくなるんじゃないかということも含んだご質問かと思いますが、そんなことはないと証明したいと考えています。今言ったように時間や手間をかける、人を生かす、事業計画を持たないという経営のやり方をしているけれど、結果的にそういうやり方をしたことでスタバより利益率が高いとか、他社より社員の給与水準も高いということが実現しうると考えていて、それは僕のこれからのチャレンジです。

問2:寄付など善意の仕組みはサステナブルじゃないという否定的な意見がありますが、それについてご意見を伺えますか。それと、従来のシステムでファンタジーに踏み出せない人たちの理屈としては、日本だって破産するかもしれないという不明瞭な時代だから、守りに入ってしまい、寄付にも協力してくれない、お金に限らず既存のリソースを出し渋る、という部分もあるのかと感じます。そういう時代に、影山さんが目指されている世界は可能でしょうか。

影山:前半のご質問については、寄付はサステナブルでないかというと、僕は必ずしもそうは思いません。僕はNPOの代表として寄付を募る側だった時期もあるんですが、そのとき感じたのが、寄付にも2種類あるということ。一つは「テイクの寄付」で、もう一つが「ギブの寄付」。イベント参加費の割引とか、会報誌の提供といった、特典で釣って相手のテイク欲求に応えるタイプの寄付にすると、事業面が全く楽にならないんです。

なぜならお金を出す側が特典目当てでお金を出すから。特典の不備はすぐにクレームになるし、その人を満足させるために組織側の事務工数を割かざるを得なくなり、結果的に建設的な関係じゃなくなってしまう。このような「テイクの寄付」じゃなくて、シンプルに応援したいという気持ちを受け止める、そういう「ギブの寄付」なら、お金を受け取る側の組織はかなり楽になると思います

僕は「持ち寄り」という表現を使うんですが、「この取り組みをみんなで持ち寄って実現しよう」という気持ちに応えて参加してくれる人を増やすのは、特典付きのやり方と比べて仲間集めに時間はかかるかもしれない。参加する手応えも最初、わかりにくいですしね。だけど、賛同者が増えていくことこそが組織の持続可能な基盤になっていくはずなので、焦って近道を行こうとせずに、ていねいに時間をかけて一緒に持ち寄ってくれる仲間を探すという姿勢であれば、違う関係性が生まれるのではないでしょうか。

後半のご質問については、要は自分が人生を通じて得たいものや成し遂げたいことと、リスクみたいなもののバランスの中で、リスクを負ってでも取り組んでみたいテーマがある、実現したい夢がある、こういう自分でありたい、という思いがあれば、明日何があるかわからないという状況であったとしてもチャレンジする気持ちは芽生えるのではないでしょうか。

今の本質的な問題は、実現したいものや、やりたいことがはっきりしないってことなんじゃないかと思うんです。これまでは足りないものを満たすことを目的に人生設計をしたり、夢を語ったりしていたけれど、今の世の中では一通り満たされて、欠乏はない状態。足りないものがないからこそ、その先を「どうなったらいいと思う?」「どういうものを美しいと思う?」と思考することにはクリエイティビティが必要です。

さっき僕はそれをファンタジーと表現しましたが、一人一人の中に眠っているファンタジーがうまく言語化されて自分で見えるようになってくると、保身とか短期的な守りよりも、自分の思いのために自分を賭けてみようかという気になるという可能性は、人間の中にあるんじゃないかと思います。

問3:「人生で成し遂げたいこと」というフレーズが出てきましたが、そこを色々考えていまして、私も何を成し遂げたいか模索しています。影山さんがご自分の人生で成し遂げたいことというのは、若い頃から変わらずあったのか、それとも最初の思いが何か経験することによって変わったり、再設定されたりしたのか、成し遂げるための計画が10年、20年スパンで見えているのか、お話を伺いたいと思います。

影山:自分は今カフェをやっていますが、カフェなんてやりたくなかったんです。コーヒーもそんなに好きじゃなかったし(笑)。でも9年経って、今は「僕はカフェをやるために生まれてきた」と思っていて、そうした仕事と巡り会えたことに感謝をしています。

つまり、自分がやりたいことや自分の天職って後からわかるもんじゃないかと思うんです。天職って、英語で「コーリング(calling)」と言いますね。天職とは呼ばれるものだ、と。世の中を窮屈にしてしまっている一つのメカニズムは、何かやろうとしたり始めようとするとき「なんでそれをやるの」とか「何を目的にするの」とか、意味や目的の説明を求められること。でも言われたら「意味なんかねえよ」って返せばいい。「ピンときました」でいいんじゃないかと思うんです。呼ばれて言ったら、呼ばれた意味が後からわかる。

ただ、呼ばれていることに気が付かない悲劇はあると思います。つまり「意味」「理由」「目的」を説明できなきゃいけないという先入観にとらわれていると、説明つかないからと「呼ばれ」てもスルーしちゃう。でも、ピンときている時点で十分その人にとって意味のある選択肢なんだと思う。

それと、気付きやすい人と気付きにくい人がいます。自分が何が好きかちゃんとわかっている人は、ピンときていることに気が付けると思う。自分のセンサーを普段からシャットアウトしている人は、呼ばれていることに気付きにくいでしょうね

だから、意味や目的なんてなくたっていい。そういうことじゃないかと思いますけどね。だって、生きることがそういうことですよね。生きている意味って最初から説明できませんよね。だから、働くことだって同じなんじゃないかって気がするんです。

問4:シェアリングエコノミーを扱っている会社で働いています。シェアリングエコノミーって、誰かの持つスキルを必要な場所でシェアするという意味では人に仕事をつけるサービスだと思っていて、影山さんが言われている植物的経営による経済システムに近いと感じます。同時に、遠いとも思う。つまり、シェアリングエコノミーはどちらかというと副業的で、植物経営に携わる経済が本業のように感じます。シェアリングエコノミーというものにはどういう印象を持たれていますか?

影山:「シェア」という言葉は僕もすごく大事にしていて、実際仲間と「シェアする暮らしのポータルサイト」というウェブメディアを地道に続けていたり、昔から考えているキーワードの一つなんです。ご質問のように、シェアリングエコノミーにも2つあると思っていて、動機の問題だろうと思うんです。つまり繰り返しになりますが、テイクなのかギブなのか。

僕が見聞きする範囲では、多くの場合は「テイク」です。シェアハウスでは、一軒の家をみんなで分け合えば一人当たりの家賃が安くて済む。つまり住むことの動機は家賃が安くなることです。カーシェアもワークシェアも同様、自分にとって得になるからシェアしましょう、ということですよね。でもそれは結局、各自の利益を最大化するための振る舞いを固定化し、助長していくことになります。

一方で、僕が今言った「シェアする暮らしのポータルサイト」でやったのは、シェアを「分け合う」ではなく「持ち寄る」に変えてみようということ。だから、ワークシェリングにしてもカーシェアリングにしてもシェアハウスにしても、みんなで持ち寄って何かをつくるという形だと、分け合ったとき、分け合う対象が大きくなる。それを一緒に共有していくんです。そういうギブの動機からシェアに参加していくというタイプのシェアリングエコノミーには大きな可能性を感じます。

問5:先日コーヒーについて学び、コマーシャルコーヒーとスペシャリティーコーヒーがあると知りました。コマーシャルコーヒーはまずくないことが基準で、スペシャリティコーヒーは美味しいを基準に選んでいるそうです。先ほどおっしゃっていた「幹」の経営を大事にすることが、コマーシャルコーヒーに近いのかなと思いました。質問としては、人を大事にするというのはわかるんですが、じゃあ幹をどうやって育てるのか伺いたい。要は、コマーシャル的な人材も、幹を作る上では当然必要になると思っていて、どうやって人材を選んでいるのか、経営にどのように携わっているのか教えてください。

影山:コマーシャルコーヒーという分類には馴染みがないんですが、スペシャリティコーヒーは、生産者や農園が特定されて、シングルオリジンで美味しいコーヒーである、という定義です。ただ、クルミドコーヒーで出したいのはスペシャリティコーヒーではないんです。

どういうことかというと、この世で一番美味しいコーヒーって何かと思い浮かべると、僕にとっては自分の娘が淹れてくれたコーヒーです。どんなに優れた豆を使ったコーヒーよりも、賞味期限が切れていようが抽出技術が下手だろうが、娘が淹れてくれたコーヒーが美味しくないわけがない。そういうことを僕らはやりたい。そんな風に人の存在が伝わるコーヒーであれば、美味しいコーヒーに劣らない価値を見出す人もいるんじゃないかと思っています。

後半のご質問が、植物的経営を成り立たせるためにどうしたらいいかというものだとすると、そこは経営者が「クオリティスタンダード」を設定することだと思います。人に仕事を付ける、つまり「あなたらしい仕事をしてください」と水を向けた結果、水準の低い仕事にしか至らないケースもあるわけですが、それではお客さんから対価を受け取れない、と指導するのが経営者に求められる領域で、いい水準で仕事を提供できるようになっていくことが経営を成り立たせていくのだと思います。

問6:「働き方改革」は好きですか、嫌いですか?

影山:嫌いです。(会場笑)今の働き方改革は全く的を射ていないと思います。つまり働き方をどう考えて、どうデザインしていくかって本質を全くついていないので、好きも嫌いもないというのが正直な気持ちです。もちろんシステムの力学の中、やりたくない仕事をやらされているというなら、労働時間は短くなったほうが人の幸せに寄与するだろうとは思います。

だからそれはそうしてくれたらいいと思う一方、「これは自分の仕事だ!」と思える仕事なのであれば、没頭して、やり切ったと思えるまでやり切りたいという気持ちだってあるはずで、それは必ずしも時間の長短で測れるものじゃないとも思うんです。ただそういう風に自分を重ねて頑張りすぎると心身を蝕むこともあるから、ワークライフバランスは確かに必要です。

そこは、縦のワークライフバランスではなく横のワークライフバランスで考えてはどうかと思っています。つまり、必ずしも定時に帰る必要はなくて、頑張りどころだと思う時期は頑張ったらいい。ただ、一生それをやるのでもなく、達成できたと思えたら、半年、3年といったスパンで休むとか。そんな風に大きなライフステージの中でワークライフバランスを取るということもあると思っていて、僕自身はそっちの方が自分の性に合っていると思っています。

井上(代表理事):ありがとうございました。質問というか、ぼんやり感じていることがあるんですが、解があれば教えていただけますか。

僕は、会社という組織はなくなっていくんじゃないかと思っています。資本主義の崩壊とともに会社が目的化して、人を部品のように使ってきたことが立ち行かなくなってきて、個々人が自立していくみたいな流れがある。そんななか、コミュニティだったり気の合う仲間同士という単位で一緒にやりたい人たちがついたり離れたりするような社会に向かっていくような感覚を持っています。

そこには個々人の心の充足はあると思うんですが、一方で、車作ろうとか、飛行機作ろうとか、医療の技術発展だとかには人類は大いなる恩恵を受けてきていて、これらは従来通りの組織的なやり方が合っている。だからこれら2つの働き方が存在し続けて、新しい世界を作っていくのかなと思っています。

それと、最近僕の研究テーマに「創発」があるんです。よく言われるような、会社組織でイノベーションを起こすための取り組みとしての「創発」ではなく、生物学で言うところの細胞レベルで、意志もなくごく単純な働きしかしていない細胞同士が組み合わさって複雑系を形成し、誰も予測できないような高度なものを生み出す作用としての「創発」。社会がそういう方向にスイッチするためには何が必要なんだろうっていう……何となくわかってもらえますか?

影山:わかります。まず会社がどうなるかという点については、会社のありようは大きく変わると思いますが、僕は組織というものの可能性を諦めてはいません。一人だとできないことが仲間と一緒ならできるということはあるとは思います。

ただこれまでは、設計図や目的性を厳密に定義した上で組織を作るというやり方だったものを、目的をもっと動的に捉えて、構成するメンバーによって目的そのものが揺らいでいくような組織運営になっていくだろうと考えています。これを「植物的」と表現したわけです。ただしそのハードルとなるのが「説明責任」ではないかと思います。

人を雇うにしてもお金を借りるにしても、その上での説明責任を強く持ちすぎると、最初に約束したことに縛られて、結果的には動的な経営はしづらくなる。その最たるものが資本市場ってものだと思うんです。その資本市場のあり方自体がリニューアルしてきているので、それを前提とすれば、動的な組織経営は成り立ちうるだろうとは思っています。

次に、車や飛行機、医療、インフラなど、先人による仕事も大事だという点についてお話します。誤解されたくないのは、クルミドコーヒーが、植物的な、一人一人を生かす経営をやっているとはいっても、好き勝手にやっている組織ではない、ということです。

業務の8~9割は、お店をオープンさせ、営業し、お店を閉めることです。店で働くことになった以上、ちゃんと出勤して務めを果たすということが仕事上の責任です。残りの1~2割で他のことをする。好き勝手にすることとは違う自由さ、責任を伴う自由みたいなことを求めているという感覚です。だから人に仕事をつけていく植物的経営スタイルは、飛行機を飛ばすとか医療とか、人命に関わるような仕事においても導入しうる、そういう普遍性もあると信じています。

「創発」をどう見なすか、僕もまだ答えに辿りついていませんが、一つ信じているのは「カフェ的な会話の可能性」です。人間の創造性が発揮される時は、基本的には議題や目的のない会話をしている時だと思います。気がついてみると、目的も議題もはっきりしない対話の機会は、意外と無い。

家庭での会話だって「子どもの中学校は私立がいいか公立がいいか」みたいに目的があるわけでしょう。そうじゃなくて、問わず語りでお互いが思っていることをポツポツと呟いていくようなやりとりの中から新しい発想が出てきて、それに誘発されて増幅していくことはあるなと思っていて。

だから目的やゴールを限定せず、お互いが自然と湧いてくる言葉をお互いシェアできる、そういう対話の機会はある種の創発性に寄与するだろうと思います。カフェはそういうことを日々受け止めている場所だからこそ、自分の仕事にやりがいを感じているということもありますね。

井上:ありがとうございます。非常に腹落ちしました。最近オープンイノベーション型の会議をやるときに、アジェンダをやめて参加者が全員やりたいことをワーっと言いまくることからスタートすると、確かに盛り上がり方が全然違います。

最後にもう一つだけ。オフグリッドっていうのは、いろんな束縛や制限から逃れたほうが幸せだよね、満足や幸福感が得られるよね、という話なのですが、必ず「とはいえ生活費が」となる。これについて僕らはあるプロジェクトで、生活コストが5分の1、10分の1になるような未来を作っていこうとしていて、そうなると働く意味そのものが劇的に変えられると思っているんですが、それを達成するためには時間がかかります。ではどうしたらみなさんがその束縛から自由になれるか、アドバイスがあるならお願いします。

影山:あるとすれば「国分寺にいらしてください」ですね。お引越しをぜひ(笑)。収入の多寡に依存したライフスタイルである以上、逃げられない部分がいっぱいあります。だから生活費が5分の1になったら劇的に変わるというのは、おっしゃる通りだと思います。ただそのアプローチは僕らと違うと感じました。

僕らはテクノロジーではなく、人の繋がりで実現できないかと思っていて、実際クルミドコーヒーや国分寺界隈では少しずつですが変わってきています。正直なところ、今は社員に対してまだまだ大した給料を払えていないんですが、例えばそれぞれの家計の中で食費は、国分寺だとあまりかからないというような状況は少しイメージできるようになってきました。

仮に明日から給料が一銭も入ってこなくなったとしても、少なくともクルミドコーヒーの周りには何かしら食べさせてくれるところがあって、食べるものに困らない環境になってきています。住宅コストも、今あるストックをうまく活用することで大幅に下げることはできると思います。今可能性を感じているのは、「公営」じゃなくて「共営」住宅。地域の遊休不動産や空き家をみんなで使い合うというタイプのシェアハウスを作ることができれば、家賃もかなり下げられるのではないかと思います。

平たく言うと、お互いの助け合いや、お互い様の精神みたいなところでやっていくことで、最低限の衣食住のコストを抑える。そういう意味で可処分所得を増やすことはできるだろうと感じています。

<研究員による考察>

政府による「働き方改革」が進んでいる。非正規雇用、裁量労働、給与体系、勤務時間、ワークライフバランス、それらももちろん重要な問題だが、働き方を根本的に改善するためには、雇用側の組織や体制を変える必要があり、そのための法律も議論されているが、本当に法律を変えるだけで済む問題なのか。法律を変えたところで、法律という建前と現場の論理の間で苦しむ会社や労働者が増えるだけかもしれない。「働き方」だけにフォーカスすると、もっと本質的で重要な問題が見えなくなる。

誰のために働くのか? 雇い主は誰なのか? その答えは「資本主義」というシステムだと影山さんは説く。利益や売上という成果をシビアに問われるコンサルティングファームやベンチャーキャピタルで働いた経験を持ちながら、街の小さなカフェの経営という対照的な仕事をする影山さんの言葉には説得力がある。

私たちの働き方だけでなく、利益を追求せざるを得ない企業、グローバル企業によるコミュニティの破壊、広がる貧富の格差、過疎化と都市化、石油依存と環境破壊、それらの問題を突き詰めると、結局いままでの資本主義が引き起こした問題だと言える。

では資本とは何か? 資本とはお金だけのことではない。地球という閉じた環境にある有限の天然資源や自然環境も資本だし、影山さんの言うように人間同士のつながりや地域社会も、人間が生きていく上で重要な資本だ。持続可能な未来をつくるには、資本主義というシステムをオフグリッドし、再構築するしかないのかもしれない。(研究員:清田直博)

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