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自分が存在するだけで、表現してしまっている (ファッションデザイナー津村耕佑さん)

EVENT

AI時代の人間らしさVol.4 ~自己表現~

他者とは違う自分を、または他者と同じ自分を表現する。その一つの表現方法に”ファッション”があります。なぜ私たちは流行りを追うのか、流行りを作るのか? デザイナーは一体何を思って、服をデザインしているのか? 表現することとは何か? ISSEY MIYAKEを経て、服と建築の境界を曖昧にしたようなブランドを立ち上げ、精力的に活動をしているファッションデザイナー津村耕佑さんをゲストに、自己表現とその先について考えました。

<プロフィール>
津村耕佑さん

ファッションデザイナー 武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授 東京藝術大学非常勤講師 文化服装学院非常勤講師

1982年、第52回装苑賞受賞後、1983年、三宅デザイン事務所に所属し、主にパリ・コレクションに関わるデザインを担当。1994年、ファションブランド「KOSUKE TSUMURA」「FINAL HOME」を立ち上げ、「FINAL HOME」は地震多発国の日本を捉えた都市型サバイバルウェアとして、ファッション業界のみならず、建築界やアート業界からも賞賛を得る。同年、「第12回毎日ファッション大賞新人賞」「資生堂奨励賞」を受賞。主な展覧会に1995年「モードとジャポニズム展」(パリ市立衣装美術館/パリ)、2000年「ヴェネチア・ビエンナーレ建築展」(ヴェネチア)、2012年「ドクメンタ13」(カッセル)、2015年「衣服にできることー阪神・淡路大震災から20年」(神戸ファッション美術館/神戸)。2017年「Recombination」津村耕佑展スパイラルガーデン「日本の家1945年以降の建築と暮らし」 東京国立近代美術館

ランドセルの中にファッション誌を

ファッションがこれからの時代にどのような役割を担って、なおかつ人々の生活をよくしていけるか。例えば、アパレルビジネスのデザインにおいても服のデザインということは重要なんですが、それ以外にもファッションのエッセンスや重要性は他分野にも十分に応用できることができるんじゃないかと考えていて、この考え方は僕一人だけでは、うまくできないと思っている。それを学生たちと取り組みながら、その要素というのは何かを抽出していければいいかなと考えているところです。

僕が小学校に入るくらいから、ちょうどテレビで特撮ものが放映されるようになって、異星人や怪獣をやっつけるウルトラ Qとか、ウルトラマンのヒーローたちにすごく憧れたんですよね。僕もそういう格好をして遊びたかった。ただ、今みたいな変身用のオモチャは売っていないから、自分で何とか工夫して作って身に付けて、ヒーローの気分になって。そういう遊びをする時代だったんですよね。

そんな小学生時代を過ごす中で、人よりもかっこいいスタイル、かっこいいものをほしいなと思うようになって、親にねだって買ってもらうようになって。その頃から競争心が芽生え出すんですよ。A君よりもトレンドを早く取り入れていたいとか、B君があれを買ったから、あれよりもいいものを買うとか。そういうことをいつも競争しているような子供だったんですよね。

その当時『MEN’S CLUB』とういうファッション雑誌があって、そのアイビー特集号っていうのを買ってもらって、ランドセルに入れて学校に持って行って、それに載っていたアイビー用語集を全部覚えて友達の前で披露して、「ボタンダウンシャツって知っている?」とか、「パンツの裾の折り返しは25mmだ」とか、そういう細かいことを言って、悦に浸るというか。

これは後から考えると、怪獣辞典を見て、例えばキングギドラは身長が100メートルだとか、体内に何かが仕込まれていて引力光線を吐くとか、そういう知識の披露をしたいという欲望をファッションの中に発見したのかなって思います。それはVANという会社が、アイビーのファッションコーディネートは、知識によって組み合わせることができるということを、雑誌を通して提示してくれたから。だから僕はその世界に入れたのかなって思うんですよね。

人が真似できないオリジナルの服を作りたい

中学生頃になっても、相変わらず流行を追ってばかりいるような子供で。ある時、自分がすごく一生懸命雑誌とかで調べて「これが最新のスタイルだ!」と思って身に付けているものを、裕福な家庭の友達が真似し始めたんですよ。つまり、すぐ買うんですよ、同じものを、いとも簡単に。悔しいなと思って、見せないようにしたり、いろいろ対策を講じるわけですが、すぐ真似されるわけですね。真似されないためにはどうしたらいいんだろうとモヤモヤしているときに、ふと本屋さんで普段は絶対に行かない婦人雑誌のコーナーに行って、『装苑』という雑誌を手に取ってみたんですよ。

ペラペラってめくってみたら、中に「装苑賞」というコンテストのページがあって、18歳くらいの子がコンテストで候補になっている。それを見て「なんだこの服は!?」って何かわけのわからない服が候補になっているわけですよ。僕は図画工作が好きだったから、それに興味を持っていろいろ調べてみたら、ファッションデザイナーという職業があって、このコンテストを取るとデザイナーというものになれると。ファッションデザイナーというのはオリジナルで服を作っていると。あ、なるほど。オリジナルで作れば真似されないだろうと思って、ファッションデザイナーになろうとその時決めたんですよね。それが18くらいの時だったかな。

その賞を取ることしか考えてないから、ただひたすら賞を取るために、高校3年生くらいから、毎月2~300枚くらいデザイン画を描いて出版元の文化出版局に送って、そのコンテストのために服を作るというのを繰り返したんです。でも、それまで服を作ったことがなかったですから。そもそもデザイン画も描いたことがなかったし、作ったこともなかったんだけど、根拠の無い自信があって。1回目に出したコンテストの応募の時に候補に残ったんです。「あ、簡単かも」と思って、それなら最年少で「装苑賞」を取ったらカッコいいだろうと。

テクニックが足りなかったんです

その当時、家には足踏みミシンしかなかったし、これはやばいなって思いながらも、文化出版局に作品を持って行った。すると、そこには文化服装学院の学生たちがいっぱいいて「誰々ちゃんの服最高、次は誰々が取りそうだね」って、すごく派手な感じの人たちが、そういう会話をしているんですよ。僕はまだ高校生だったし、そこで気後れして「もうダメだ」って思って。同時に「この人たちと一緒に学びたくないな」という気持ちもうっすらよぎったんですよ。

公開審査があって、0点から10点満点でだいたい最下位は5点近辺、いい得点は9点くらいで、得点が電光掲示板に出るような、そういう審査会が半年に1回行われるわけです。そこで審査員である三宅一生さんとか山本耀司さんなどの著名なデザイナーが点数を入れていって決まるんですが、僕は最下位で。これは甘くみたなと、そう簡単にはいかないなと。やっぱりテクニックがないから作れなくて、できあがったのがもう最悪の服で。生地の選び方から分かっていなかったし。

そこで専門学校に行こうと思ったんですが、文化服装学院には行きたくなかった。それまで装苑賞を取っていた人たちのほとんどが文化服装学院の卒業生だから、その学校に入って賞を取るのはダメだ、違う学校の方がカッコいいと思ったんです。その当時グラフィックがメインだった東京デザイナー学院に入るんですが、途中で学校をやめて浅草橋のアパレルメーカーでアルバイトを始めて。

何回挑戦しても装苑賞を取れないから、これは才能がないのかもしれないと、親に古着を送ってもらって古着屋をやる準備をしていたんですよ。最後に候補になった時、これでダメだったらもう諦めようと挑んだ作品でやっと装苑賞を取れた。しばらくしたら、審査員だった三宅一生さんの事務所から「うちに来ないか?」と電話がかかってきました。

デザイン画を描かずに石を拾った

それからパリコレを担当するスタッフになったり、自分のブランドを出すことになったり、いろいろありました。三宅デザイン事務所でやっていることは、今まで学校でやってきたファッションデザインとは全然違っていました。例えば、一週間に一度、次のパリコレに向けた会議があるんですけど、三宅さんの周りにデザイナーが5人くらい座っていて、三宅さんが「何しようか?」と聞いた時に、デザイナーは何をしたいか答えなければならない。

普通なら、デザイン画を描いて見せるわけですが、三宅さんはそうではなくて、もっと大きなことを求めているわけですよ。よく分からないから、会議の朝に道端で石ころを拾って会議に挑んで「何をしたいんだ、津村くんは?」と聞かれて、机の上に石を置いた。そしたら「素晴らしいね!」って。え? やばいなと。自分で意味が分かってないのに、素晴らしいと言われてしまうと、なんとかしなくちゃいけない状況に追い込まれていくわけです。

もうそこから僕は石をテーマで進まなくちゃいけない。その当時はインターネットがないから、誰の机の上にもイエローページが山積みになっていて、それをめくり続けるわけです。何を目指してめくっているかはわからないですよ、ただめくっているんです。その中でふとプラスチックメーカーが目についたんです。なにかあるかなって電話をして「すみません、三宅デザイン事務所でパリ・コレクションをやっているんですけど」って言っても、工場のおじさんは「なんだ? そのパリ・コレクションって? 何を言っているか分からないから、とにかく工場に来たらいいじゃないか」って言われて、とにかく工場に行くわけですよ。

分からないものが、いい

工場に行くと「何が欲しいんだ? 何を作りたいんだ?」って聞かれるから、「いやあ、ちょっとわからなくて」と答えるしかない。「じゃあ工場の中をうろうろして、何かあれば言ってくれ」と言われて、工場内を歩いていると、プラスチックが溶けて床に落ちているようなものがあって、製品には全く興味はなかったけれど、落ちているものは面白いなと思って「これをもらっていいですか?」と聞くと、「そんなものゴミだからいくらでも持っていけ」と。そして、それを集めて次の会議のテーブルの上に出すと、また「素晴らしい!」って言われて。

なるほど、要するに分かっているものはダメなんだな、分からないものがいいんだなという風に思って、じゃあプラスチックを発泡させると石のようになるかもしれない、作れますか? とプラスチック工場の親父さんに聞くと「できる」と。それでできあがったのが、石器時代の人間が使った矢じりのようなサッシュベルトなんです。矢じりからロープが出ていて、それをぐるぐる巻いてベルトみたいにする。

その当時のISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)の服は日本の古い産地を開発して、見捨てられたような機械をもう一回再稼働させて生地を作るようなことをしていて、プリミティブな素材が多かったんです。その生地で作る服は、いわゆる西洋的な洋服ではなくて、もっと抽象的な、着物でもなく洋服でもない、素材の特性から形を見つけていった先にあるものなんです。そういう服に僕のベルトかぴったり合って、パリコレで見せるとみんなブラボーって総立ちになるんですよね。

これはどういう現象なのかを考えると、ヨーロッパの人はそういうものを見たことがないし、遠い記憶の中にはあるのかもしれないけど、ファッションの文脈に乗っていないから、すごく感動する。そういう物作りの現場を経験しつつISSEY MIYAKEで過ごす中で、自分でもオリジナルのブランドを作りたいという思いが芽生えてきて、自分でコレクションを発表していくという流れになるわけですね。

https://www.kosuketsumura.com/fashion-c188m

服は究極の家だ

もちろんISSEY MIYAKEというブランドの跡を継ぐという考え方もあったし、もちろん三宅さんもそういう風にアシスタントのことを見ているんだけど、僕はそれは嫌だったんです。ISSEY MIYAKEの世界をリスペクトしているけど、僕は踏襲したくない。自分は自分だという自己主張があったから、どちらかというと反抗的な態度をとることが多かったんですが、NOと言ってもらったほうが三宅さんは気持ちよかったみたいです。80年代の後半くらいはそういうムードが漂っていた事務所だったんですよね。

僕はそこで自分のオリジナルを作り出しました。最初に「INCOMER」というコレクションを作ったんですが、当時80年代から90年代にかけて映画で言うと『ブレードランナー』や『AKIRA』のような、高度に文明が進みすぎて核戦争なんかが起こって、人類が全部死滅するような物語が多かった。デットテックなSFファンタジーみたいな世界観があって、ファッションの世界でも、ハイファッションよりもストリートファッションのほうが、リアリティを持つような時代になってきた。

パリコレのステージに載っているような、きらびやかなでビューティーな世界になぜか興味がなくなってきて、むしろ朽ちていくものの方に美学を感じ始めたんですね。荒廃した地球上に残った廃棄物を使って、人類はどんなものを作ることができるんだろうか? それをコンセプトにして作ったのが、このコレクションなんですね。

レザーを熱で変形させたり、業務用のジッパーだけで身体中を覆い尽くしたり、いわゆる「服」ではなく「プロテクション」みたいなものを考えました。未来の地球上に残っているものは何かと想像した時、ナチュラルな素材は全部土に還ってしまう。だからプラスチックやポリエステル、すごくハードなレザーとか、エコとは真逆なものが地球上に残っているはずだ。人類はそれらを使って衣服を作るんじゃないか、そんなシミュレーションをして作ったわけなんですね。

https://www.kosuketsumura.com/fashion-c188m

実はこの時、既にFINAL HOME(ファイナルホーム)の原型となるアイデアも出てきたんです。まだコレクションの一アイテムだったんですが、この中で一つ量産できるとしたら、この作品しかないという結論にたどり着いて、家のように安心感を持って着ることができる服という意味でFINAL HOME、究極の家と名付けてブランドが始まりました。ブランドのマークも自分で考えたんですが、家が上下に繋がっているようでもあり、放射能の危険を示すためのマークも連想させる。タグには自分の名前や血液型などを書き込めるようになっていて、いざ自分が倒れた時にはレスキューしてもらえるという発想です。

全身がポケットになっていて、寒い時に身の回りの紙や新聞紙を入れれば保温効果があるし、医薬品や非常用アイテムを入れておけば、地震が来ていざという時に非常用リュックを背負うよりもこれを着て逃げた方が早いという発想。フードの部分にしっかりしたウレタン素材を入れておけば、何か上から落ちてきたときにも頭をプロテクトできる。いろんな展覧会、特に建築展に呼ばれることが多くて、展示した大量の服はそのあと販売できないですから、そういう在庫を取っておいて被災地に送るようなこともしていました。

https://www.kosuketsumura.com/finalhome-archive

デザインの必然性とファッションの解釈

販売の仕方として、セレクトショップでラックに飾るのではなくて、袋に入れて売ろうとしたんですね。なぜかというと、これがファッションになると半年で消えていく運命なんです。新しいものを作りなさい、流行はもう終わりましたからと。それが嫌だった。トレンチコートやジーンズのようにずっと売られ続けるものとして扱われたほうがいいなと思って、本屋さんで売ったんです。本と一緒に並べるためには立てかけられるようにしないといけないし、袋を見ただけで中身が何なのか分からなくてはいけないので、袋に解説を入れて。

やっぱりデザインには必然性というものが必要で、トレンチコートやジーンズには戦争や労働現場の必然性があるのですが、それらが現代生きている我々にとって必然性があるのかを考えると、多分ジーンズを履いている意味すらないんですね。トレンチコートを着る必要もなくて。今の必要とは何かと考えると、日本は地震や災害が多い。そこを考えると日本発の意味が出てくるなと思ったんです。

トレンチは戦地で塹壕に入った時に上から土砂が落ちて来ても襟から中に入らないようにするためだったり、雨よけだったり、そういう実用的な機能を持っていました。ジーンズは、砂金堀の労働者たちがタフなパンツはないかという実用的なニーズの上で出来上がったもので、そもそもの起こりは全然ファッションではなくて、ある状況における機能を優先させた結果たどり着いた素材感やディティールや色……全て理にかなったもので出来上がっています。

それが時空の中でファッションとして受け入れ出したというのは、例えばジーンズにまつわるタフな労働者のイメージだったりティーンエイジャーの反抗心だったり、トレンチコートだったら、軍の規律をイメージさせたり、それを後から欲しいと思った人が抱くイメージがファッションにさせている。後から解釈する人間が、それをファッションだと思えば、それがファッションになる。その仕組みに入れることで、ロングセールできるんじゃないかと。そこで初めて、定番と言われるプロダクトができやしないかという一つのチャレンジなんですが、それをやってみようというのがこのFINAL HOMEでもあるわけですね。

https://www.kosuketsumura.com/finalhome-archive

コンセプトは直感の後に生まれる

僕のことをコンセプチュアルなデザイナーと思っている人が多いのですが、全く逆で直感からしか入りません。この服を思いついた時は、ソファに座ってクッションを眺めていて、クッションのジッパーを開けてみたら、中からもう一個出てくるじゃないですか。クッションって二重構造なんだと思って。中身とカバーを分けて考えた時に、カバーをつなげてその中にダウンを入れればダウンジャケットになるんじゃないかと思ったんですね。でも一個ずつジッパーを付けていくのは非効率的だと、もっと簡単な方法はあるはずだと考えて、この構造に至りました。

その時に僕の助けになったのは、いわゆる洋服の作りかたじゃなくて、ISSEY MIYAKEの直線的な服の考え方があったから。立体的な作りかたをしなくてもいけるんだと直感的に思ったんです。その後に、ダウンジャケットじゃつまらないなあと思って、じゃあこれをどのように解釈したらいいんだろうと考えた時に、当時の時代背景や環境問題、都市で生きていく人たちのリアリティを考える中で、最初はホームレスのための服って言おうかなと思ったんです。

でもそういう風に限定すると不自由だなと思ったから、家と例えて、僕が使い方を指定するんじゃなくて、使う人にクリエイトしてもらえばいいのではないかと考え直して、空白の服、欠落の服、隙間の服、そういう存在として出していけばいいんだと。この服を着る意味は着る人が作っていけばいいし、この服の意味は永久に完成しないと考えています。それまでデザイナーはイメージを伝えていく役割の人だと考えていたのですが、これを作った後から、人のイメージを回収して、それをある状況で見せる、どちらかというとプロデュースすること。そっちの方が可能性があるんじゃないかと考え出すきっかけになりました。

自分の想像を壊す

僕がこれからどこに向かっていくか。今年還暦なんですが、新ブランドを出します。でもその一方で、ファッションは若い人のためのものでもあるんですよ。やっぱり未来を見せていくものだと思うから。僕の年齢だと、未来の量と過去の量を比べると過去の量の方が多い。過去の量があるからこうやって喋れるわけです。でも若者は過去を喋ることはできない、当然ですよね、未来の方が大きいわけだから。だから僕も、昔話が長くなる年寄りになってはダメだなと思って、未来があるかのごとく勝手に想像して、60歳だけど新ブランドを出せばハタチの気分になれるかなと、そういう意味で作ろうかなと思ったわけです。

いまの僕にとって、百年後の未来や未来予想図みたいなものは一切ありません。もはや僕の想像の中でしか未来というのは出現してこないから、自分の想像を超えたいんです。想像を超えるには、自分で無くならなければいけない。自分で無くなるためには、人との関係が必要です。人が自分を壊してくれるから、壊されるためにチャレンジする。そこに反応することでできてくるものがあるのかなって。その瞬間瞬間作っていく、その瞬間瞬間がカッコいい、美しい。でも次の瞬間消えるかもしれない。それがファッションかなと思っています。

カッコいいスタイルをすればずっとカッコよくいられるわけじゃなくて、いくらカッコいい服を着ていても、カッコいい瞬間とそうでない瞬間がある。その瞬間にしか、カッコよさは出現しなくて、次の瞬間にはもう終わる、そういうものだろうと思います。だから、できるだけ、そういう機会に出会うこと。ティーンエイジャーの頃ってそういう機会にいつも出会っていた気がするんですよ。でもだんだんその感じが減るというか、新鮮度が落ちるので、その瞬間に出会うために何をしようかと考えている感じですね。

大学で学生にデザインをしなさいと言うとき、僕はデザイン画を描くなと言うんですよ。デザイン画を描けるということは「知っている」ということ。つまり未来を知っているということですから、その人はデザイン画に沿ってそれを完成させていくだけの作業になってしまう、そのどこが面白いのかと思うわけです。作る中で発見していって、変わっていけば、出会い頭の未来がそこに現れてきて、着地点は最初のデザインと変わっているかもしれないけど、もっとフレッシュなものが出てくるかもしれない。イメージの牢獄に囚われずに、そのイメージをどう取り払うか。そこが重要なんですよ。

https://www.kosuketsumura.com/book-in-final-home

問答 MON-DO

問:津村さんをひらめかすものって、どんなものなのでしょうか?

答:インスピレーションが来るタイミングはいろんな場面があります。学生の作品を見ていても、これは明らかに失敗作だろうなというのがかなりあるんですよ。9割ダメなんですよ。でも9割ダメだった場合、希望があまりにもなさすぎるじゃないですか。だから、それを一個ずつ良いものとして変換して見ていく必要があるんです。無理やりいいところを自分の中でひねくり出すんですよ。その時に「すごく良いかも!」と感じる時があって、そこに僕が気づく時がある。本来は作っている人が気づかないといけないんですけど、本人にはわからない。実は学生ではなくて、僕の方がトレーニングになっていて、どうしようもないものが良いものに変換して見えるようになってくる。これが面白いんですよ。

問:学生のダメな作品とはどういうものですか?

:例えば、立体的に直立しなくてはいけない構造を目指しているのに、作り方がダメすぎて立たないとか。原理原則が分かってなくて失敗している作品が割とあります。地と図の関係で、強調すべきものが全然強調されない配置になっていることもあります。自分が目指しているものに技術的な問題で辿り着けない。そうなったら大概ダメじゃないですか。ダメな作品はそういう感じです。

でも一方で、ヘタウマという考えが一時期あって、絵が下手なゆえに、面白いという。その人に技術がついてきて、上手くなったとたんに作品がつまらなくなることがあります。そういうこと起こるから、一概に物事が成立していればいいんだとは限りません。ダメな作品を良いと思うための見方にも関連しますが、欠落や失敗が実はフレッシュさや発見に繋がることがあります。

ファッションが持っている良さの一つが、本来ダメなところを良いと解釈できるところだと思っています。通常のデザインだと、プロダクトデザインでもグラフィックデザインでもそうなんですが、ちゃんと完成しなくてはいけない。機能を果たさなくてはいけない。クライアントの意向に沿わないといけない。「正しさ」がデザインの持ち味なんですが、ファッションの場合はそこがちょっと違っています。着にくくても、歩きにくくても、破れていても、汚れていても、サイズが合ってなくても、それがファッションの要素になり得ます。

それはある意味で言うと、人間と一緒で、完璧な人間はいないと。必ず、どこか欠落している。その欠落を魅力として捉える要素に、ファッションは加担してくれている。勇気を与えてくれる。無意味なものを身につける意味。それによって精神が安定する。身体中にピアスを入れている人がいますが、それで保たれる精神がある。デザインなんだけど、通常のデザインのルールではないというデザインで、ファッションはちょっと変わっています。どちらかというとアートに近い部分もあるんでしょうが、アートよりも浮ついているという意味では、あまり期待されてないぶん、自由度が高いのではないでしょうか。

例えば、昔韓国に行った時、まだ韓国は軍事政権の頃で、当時パンクが流行っていて、CCCPというソヴィエトのバッチを付けて行ったんですよ。そうしたら、いきなり胸ぐらを掴まれて「これは何なんだ?」と言われたことがあります。僕が「これはファッションだ、パンクファッションだ」と言ったら許された。こいつは分かってないな、政治関係ないんだな、ファッションでやっているんだなというので逃れられたんですよ。そういう無責任さというのがファッションのいいところでもあります。毛沢東のバッジを付けたり、レーニンやアナーキズムを身につけて。みんなアナーキストかというとそうではなくて、その気分に浸りたかっただけのことだと思います。

パンクファッションを例に挙げると、わざわざ綺麗な服を破いて、もう一回安全ピンで止めるという無意味な行為。でもそこにオリジナリティが現れる。そういうことでもファッションは可能なんです。ミシンが縫えなきゃいけないとか、デザイン画をちゃんと描けなきゃいけないとか、色彩学をちゃんと知っていないといけないとか、そういうスキルで可能になっていくものだけがファッションではないんです。もっと自由な発想で、服を破いて安全ピンで留めるなんて誰でもできる、そこまで解放してしまう。スキルすら否定する。そういうところにファッションの反逆性があるんじゃないかな。

問:これからのビジネスのイノベーションに必要だとされている「デザイン思考」というものについて、どうお考えでしょうか?

答:最近よく話題に出てきますが「デザイン思考」っておかしいと思っていて、デザインというものは全てのものに既にくっ付いているものです。デザインされていないと言われるものも、それは一つのデザインになっている。そこに思考という言葉が入るのは意味が重複している感じがします。業界で言うところの「デザイン思考」だと、問題解決の考え方の順番なのかもしれないですが。「デザイン思考」とか「クリエイティブ思考」とか「デザインの力」とかと言われますが、要するにあらゆる部分を意識しろ、ということですね。

例えば、デザインされた新しい街とデザインされていないゴールデン街を見たときに、「ゴールデン街の方が楽しい」という話があります。あれはデザインしているのか、してないのかというと、自然にデザインされていますよね。捉え方によってはあれをデザインとも言えるし、デザインしてないからいいんだという考え方もある。近頃の駅ナカはどこも同じでつまらないとか。駅前が全部一緒でつまらないとか、世界中が東京みたいになっていってつまらないとか。効率化ということがデザインのルールだとするならば、均一化し過ぎることで、経済も停滞して社会がつまらなくなる。綺麗にしたのに、人が来ない、楽しくないという問題が起こる。だから、ノイズみたいなものを残す、取り入れるのは大事なんじゃないかなと思います。

ファッションで言うと、オーバーサイズだったり、サイズが足りなかったり、見えてはいけないものが見えていたり、形が不安定だったり、そういうことを全部取り払うと、つまらなくなる。もしかしたら、今の「デザイン思考」にはそういう部分が抜け落ちているのではないかなという気はします。昔、近所に汚い焼きそば屋さんがあって、いつも焼きそばが皿からはみ出ているようなお店ですが、美味しかった。でも、店を綺麗にリニューアルしてから客が全く来なくなった。デザインすることで、整理をしてしまうことで、情報量が減ってしまうんですね。

問:いいファションって、どんなファッションでしょうか?

答:リズムがあるものは心地いいと感じますね。韻を踏むもの、繰り返されるもの、そういうものには心地よさを感じるかもしれません。「美しい」ということは「美しくない」を含んでいるかもしれない。汚い、怖い、危険なんかがどこかにあるからこそ「美しい」と感じるような気もしますね。その危険を心理的に克服しようとする感覚が働いて、美しく見るという積極的な意識が生まれるような気がします。

今まさに香港でデモが起こっています。あるニュース映像で、そのデモにいた女子に「このデモをどう思いますか?」インタビューしていたのですが、その子が泣きながら「香港の人たちがこんなに集まって一体になったのは初めてで感動する。こんな美しい姿を見たことがない」と言ったんですよ。その美しさというのは、ビジュアルの美しさとは違う、もっと心にダイレクトに伝わってくる何かなんだろうなと。そういう美しさもあるんだろうなと思います。

最近ファッションをテーマにしたいろんな映画が出ています。アレキサンダー・マックイーンの映画とか、マルタン・マルジェラの映画とか。ああいうのを観ていると、悲しみがあるんですね、美しさの反対側に。デザイナー本人はすごく辛い状況で、ものすごくプレッシャーが掛かっているし、追い求めているものと評価のギャップがあるし、疲弊してくるような環境の中で、アートを作るのとはまた違うブランドを作る難しさがあります。

マルタン・マルジェラの服も一つ一つが美しいのですが、ペンキを塗っただけの服など、いわゆる「美しい」というものではありません。京都の友禅染と比べたら、ペンキを塗っただけの美しさは基準が違うんですが、そういうものを美しいと感じさせる何かがある。人間味というか、動物的というか、汚れていても、それを美しいと感じさせるものがあります。

問:流行りに乗って、みんなが同じような洋服を着ることをどう思いますか?

答:流行というものは同調圧力を生むから、自分だけが渦の中にいないと不安を呼び覚まされてしまいますよね。グループの安心感もあって、そこから抜けて自立していられるかどうか、自分で立っていられるか。流行というのはその同調圧力によってビジネスを拡大させようとしているから、その圧力は相当きつい。自分もどちらかというと、流行にものすごく左右されてきた人間で、それを追うだけの日々を生きてきた人間だから、流行に引きずられる自分があるわけです。引きずられる自分をどう食い止められるか、その中でいかにオリジナルを生み出せるか。そこに必要なのがルールです。

自由が自由なんじゃなくて、自由は実は不自由です。自由な状況になると学生たちは意外に何も作れないんですよ。「自分が分からない」って。自分という牢獄に入ってしまって「先生、課題出してください」と言ってくる。今まで「課題がイヤだ」と言っていた学生にそんな逆説が起こってくるわけです。ルールには、それを置く事によって自由を得ることができるという機能があります。でも、そのルールが人から言われたルールだと反発したくなるから、自分でルールを作ればいいんです。ルールを作る自由は自分にある。そのルールが自分のオリジナルなら、そこからブランドができていく。自分で作ったルールで自分を守りつつ、流行には流されずに利用するくらいで扱ったらいいんじゃないかなと思います。

問:私は大学1年生なんですが、みんな白塗りに赤いリップをして、みんな同じような格好しています。私は自分が好きな服を着ていても、同級生から嫌味を言われたりすることもたまにあります。その流行が自分も好きと思えるならよいのですが、そうでない場合はどうすればよいのでしょうか。

答:人間はファッションで生きているわけではありません。それぞれが目標や目的、うっすらやりたいことやこだわりというものがあって、そのこだわりをより強調したり、目的のために揺れてしまう気持ちを安定させたり、そういうツールとしてファッションの機能を利用してはどうでしょうか。自分の気持ちを上げたいときは、派手目にいくとか、落ち着きたいときは、全部黒で隠れるとか。ファッションを道具として使う。

白塗りに赤い口紅は何を表しているのか、考えてみたらいいんじゃないですか? これは何の表現なのかなって。例えば、暗い中で顔が浮き出るための白で、あの白粉の中には鉱物系のものが入っているから、光が反射するけどちょっと体に悪い。白を塗りたい人は何をしたいのか、聞いてみたらいいじゃないですか。「これはリサーチなんですが、なぜあなたは白いんですか?」って聞けば、相手は一瞬ギクッとして、私は流行に乗っているだけかも、と気づいて白塗りやめるかもしれないじゃないですか。

問:なぜ人は表現をせずにはいられないのでしょうか?

答:美大にいるのに、物を作りたくないという学生がいるんですよ。表現したくないって。その時点で不思議なんだけど、表現をしないと言うなら、表現せずに生きてくれと言うんですよ。でもそれは無理なんですよね。だって既に存在しているから。自分が存在しているだけで、表現してしまっている。じゃあ、死ぬのか? という話ですよね。世の中から消えてなくなれば、表現してない事になるけど、自分が存在しているだけで、それが表現だから。

表現しないというのは不可能ですよね。みんな表現しているんですよ。表現しているんだったら、その表現をいかにコントロールするか。逆にコントロールしないというのも表現かもしれません。例えば、ニートも引きこもりも、働かない、家から出てこないという表現をしているわけです。だから表現しているんですよね。もし表現しないという表現ができたら、それは仏陀よりすごいなと思います。普通の人にそれはできないだろうから、せめてコントロールしたほうがいい。

井上(当財団代表理事):感想が3つあります。まずは、ファッションで人は幸せになるのだろうかというシンプルな問いです。僕らの会社では住宅情報を扱っているのですが、調べてみると人の幸福度に住宅は30%くらい寄与しているという研究結果が出ました。ファッションはどのくらいなのかと疑問が湧いてきました。

 もう一つは、人類にとってファッションはどのように始まったのか。壁画に絵を描いたり、だんだん身につける装飾品も増えてきて、お化粧もするようになって、なぜ人間はそういう表現をするようになったのか?

 3点目は、今3Dプリンターを使ってデータさえあればその場で製品ができてしまうという製造革命が起こっています。椅子やテーブルなどの家具も作れるようになってきていますが、そのうちファッションの世界でもその場で自分にぴったりの服を作れる時代が来るのでしょうか? そうなればロスがなくて、流行遅れで売れ残って廃棄する服も無くなっていいなと思いました。

答:すごく根源的な問題ですね。そこは興味深いところで、原始時代にそもそもファッションはなかったと思うし、ファッションという概念が出てきたのは今世紀になってからです。それまではアートという概念もなかっただろうし、日本なんて特になかったと思うんですね。ただ一方で、アートが美術品、いわゆる金の代わりの商材みたいになってしまって、人の感動に直結しなくなってしまっているのかもしれません。

洞窟で身を守った人もいれば、屋外でタフに活動した人もいただろうし、その過程で道具というのを見つけたところから、合理性というのを求め出して、獲物を手に持つより腰にぶら下げたほうがいいということになって、お腹の周りに一本の紐を結ぶという行為、最初は獲物を入れるための機能だったのかもしれませんが、それがファッションの起源だという人もいます。

最近はシューズでも底からアッパーまで全部コンピューターで作れます。もしかしたら、構造を編んで後から硬化させたりすることで、建築もニットの概念でできるかもしれません。僕もパズルを組み合わせて服を作るというプロジェクトをやっています。昔メタボリズム建築という概念がありましたが、細胞の増殖によって高度成長と人口増加に対応するという試みでした。服もパーツの組み合わせでできていくものもあるでしょうし、ニッティングマシーンでいきなりジェット噴射で糸を吹き付けて作ったり、バイオテクノロジーで植物的な生産方式で作ったり、そういう新しい合理的な作り方が生まれていく可能性もあります。

もしかしたらミシンで縫うスキルも不要になって、今のファッション教育の中にある図式は全部変わるかもしれません。機能性や合理性が新しい技術ですべて作り出せる時代になった時、そこに差異をどのように生み出せばいいのか、その問題に対してファッションが寄与するのではないかと思っています。機能性とは逆の発想がファッションの中には魅力として存在します。そこが今後のファッションを考える上で一番のキーポイントになるかなと思っています。

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