spacer

ARTICLES

Event report

「オフグリッドの世界と、その可能性」~教育編~

Published on

テーマは「教育」。学ぶとはどういうことなのか、教育とはどうすべきなのか? これらはきっとどの時代でも常に議論されていることです。テクノロジーが発展し、地球規模や宇宙規模での発想が可能になり様々な物事の常識が常識ではなくなっていく中で、私たちはこの議論をさらに深めていく必要がありそうです。これからも私たちは「学校」というグリッドに縛られ続けるのでしょうか? 国単位の「義務教育」や「先生と生徒」というグリッドとの関係性はどうなっていくのでしょうか?

今回は、“ハーバードを蹴ってでも行きたい大学”と言われて注目されている、アメリカの4年生バーチャル大学「ミネルバ大学」の日本事務所代表 山本秀樹さんと、“相当変わった小・中学生の子どもたちが集まっている”という「異才発掘プロジェクトROCKET」を進めている中邑賢龍さんを招いて、私たちが教育についてグリッドされている事象の未来の関係性について多面的に見ていきます。

 

<ゲスト>

ミネルバ大学日本事務所代表 山本秀樹氏

新卒で東レ株式会社入社。主に米国デュポン社とも合弁事業で高機能素材のマーケティング・新規用途開発を約8年担当後、英国にMBA留学。経営戦略コンサルティング会社、ブーズ・アンド・カンパニーで化学素材、航空宇宙分野における大手企業の成長戦略、M&A計画・実行支援。3M Japanの2つの事業部でマーケティング部長として、若手リーダーの育成に注力。2014年に独立後、フリーのコンサルティング活動と並行し、2015年からMinerva Schools に参画、日本連絡事務所代表を務めている。
慶應義塾大学 経済学部卒業(1997年)
University of Cambridge Judge Business School MBA(2007年)

東京大学先端科学技術研究センター 人間支援工学分野教授 中邑賢龍氏

1984年3月 広島大学大学院教育学研究科博士課程後期単位修得退学
1984年4月 香川大学教育学部助手
1986年10月 香川大学教育学部助教授
1992年3月 カンザス大学・ウィスコンシン大学客員研究員(-1992年12月)
1996年3月 ダンディ大学客員研究員(-1996年10月)
2005年4月 東京大学先端科学技術研究センター特任教授
2008年4月 東京大学先端科学技術研究センター教授

18世紀から変わらない講義の風景

山本:ミネルバ大学の山本です。お忙しいところ、ありがとうございます。

昨今、ミネルバ大学というものは、メディアを通じて「オンライン大学」とか「テクノロジーを前面に押し出している大学」という言われ方をされています。しかし、それは正確ではなくて、テクノロジーを使うと大学の本来あるべき姿を実現できる、ということだと思っています。そういう観点からご説明していきたいと思います。

まず、世界は大きく変わってきています。テクノロジーのスピード、情報のスピード、将来に対する不確実性が増してきて、いろんなところが繋がることで複雑化が進んでいます。

たとえば、フェイスブックの登録者数とコミュニケーションは、2010年には北米、ヨーロッパ、東アジアが中心だったものが、わずか3年でアフリカ、南米、インド、東南アジアといった地域が一気に繋がってきています。こういうことから、特定の地域の思想や発想に基づいて自分たちの正義を考えて生きていた時代から、今はかなり変わってきた、ということが言えます。

この間、教育はどうなってきたか。今日に至るまでいろんな教授法の研究がされていますが、実は18世紀からほとんど変わっていません。実は講義という形式は、教える側にとっては非常に効果的です。1回数百人の学生がいても、先生はひとりでできる。ところが、これは教えられる側の学びにとっては最低なんです。

ハーバード大学のエリック・マズール先生の研究によれば、講義形式で教わった内容は1年後に90%忘れてしまう。ところが、それを反転形式という、セミナー形式で事前課題を与えて学生同士が学び合い、必要な部分だけ教授が知識を補っていく形式にすると、一年後70%の生徒が覚えていたそうです。それも単に覚えていたんじゃなくて、有意義な形で覚えていた、ということが証明されています。

もっとも効果的に人が学べる方法はどういうものかというと、意識しながら繰り返し練習して能動的に参加している状態。ディスカッション形式でいろんな人といろんなことをしゃべりながら、自分の考えを試行錯誤して話しをすることで学びが深まる。脳科学的にも、このときに人間は一番学んでいる、ということが証明されています。

NHKのサンデル先生白熱教室では、テレビで放送する特別講義のときは教授ひとりに学生20~30人なんですが、実際にハーバードで行われている講義では1対数百ですね。ちっとも白熱してない状態です。ハーバードだと(人によっては事前討論などを行った上で参加する学生もいるので)まだいいですけど、他の大学でもこんな状態が続いているんです。

テクノロジーと教育の話をするとマス・オープン・オンライン・コーシーズ(MOOC)というワードが必ず出てきます。要するに講義形式のコンテンツをネットに解放して流すんですね。これは幅広い層が知識にアクセスできるようになったという点で意義は大きいのですが、よく考えてみると昔から放送大学というものが日本にはありますよね。講義形式の知識を仕入れる手段という意味では、大学の講義とほとんど変わらないんです。

MOOCで何が起きているかというと、まったくエンゲージメントが無いんですね。だからコースの修了率が非常に低い。7%の人しか最後まで残らないんです。実際、どういう人が受けているかというと、40代、50代。どちらかというと、教育をエンターテイメント的にとらえて、有名な先生がどういうことを考えているか知りたい、という人たちが受けています。ですから、学校の教育としてはあまり有効ではない。どうやったら反転授業、セミナー形式のものをテクノロジーを使って提供できるか、というのが現在の課題です。

もうひとつ、さきほど不透明な社会になっていると言ったのですが、大学の役割としては社会で活躍できる人材を育てていかなくてはならない。では、社会で活躍できる人材にはどういうスキルが求められているか?これを世界経済フォーラムの人たちがまとめると、「複雑な状態にあるものを明確に分析して、いろんな国の多様性に富む人たちとクリアにコミュニケーションをとって問題を解決する」ということになる。他の調査だと実に93%の雇用者は、どの学位を取ったかではなくて、どういうスキルを持っているかの方がずっと大事だhttp://news.gallup.com/poll/167630/business-leaders-doubt-colleges-prepare-students.aspx、ということを言っています。

大学の経営層に「学生は社会に出る準備ができていますか?」と聞くと、96%がイエスって答えているのに対して、雇用者の11%しかそれに同意していない。こう言うと「大学は社会人予備校じゃないんだ」と言われるのですが、(別の調査で)大学1年の学生さんに「なんで大学来るんですか?」と聞くと、「いい職に就きたいから」という答えが返ってくる。大多数の人たちがそういう風に思っていることに対して、「就職予備校ではございません」と言ってしまって本当に大丈夫なのでしょうか。

また別の統計では、「先生方はこのままで大丈夫だと思っていますか?」と聞くと、実に75%の学長・学部長クラスは「今の状態でうまくいってない」と回答しています。さっきの96%に比べて、ずいぶん弱気だなあ、という印象です。

では、先ほどの経済フォーラムで言われているようなスキルを学生に(知識として)教えることができるのかというと、実はできないんです。なぜかというと、こういうものは経験を通して実際に運用して学びを得ていくものだからです。いわゆるクリティカル思考、クリエイティブ思考、効果的なプレゼンテーション、スピーキング、あとチームワーク。グループワークダイナミックスという、リーダーシップ、フォロワーシップのことは、どんなに講義で教えても身につかない。

じゃあ、学校は、こうしたことをどう教えられるかというと、クリティカル思考を形成している要件、コンセプトなら教えることができます。たとえば、サンクコストについて。あるプロジェクトのコストが実際始めてみたらペイしないことが分かった。しかし、もう払ってしまったコストがもったいないからやめられないという状態があります。経済学の先生に聞くと、だいたい「よく理解していますよ」って言うんです。

「じゃあ、ミネルバみたいな大学をどう思いますか? これはオンラインで授業をやるので世界中を旅して回れるんです。異文化体験もできます。その地で実際の企業や政府とプロジェクト学習できる大学です。先生もいいと思いますか?」「思います。」「先生の大学でなぜできないんですか?」「うちにはキャンパスがあるので…」でも、サンクコストという概念を本当に知っていているのであればキャンパスがあることは関係無いんですよ。「やればいい」、それだけの話なんです。

本来やりたかった教育を最新技術で可能にする

今までの教育の問題点の一つはコンセプトを学んでもその使えるようになっていないことです。効果的に授業を受けるだけではダメです。だから、ミネルバでは頭の中に入ったものを、実際に初めて会う人、未知の職業で未知の現場で人を巻き込んで使う、というプロジェクト学習をセットで行います。インプットアウトプットを効果的に組み合わせることができるわけです。

そのためにミネルバではオンラインの学習方法を採用しています。従来の講義と何が違うかと言うと、これはある生徒の見ている画面ですが、全員の反応が見えるんです。自分が何か喋ったら全員の反応がリアルに伝わる。みんな見ているから集中するんです。今の講義だと、誰かが誰かの後頭部を見ているだけです。なかなか反応が見えないから集中できない。

ミネルバの講義では、コンピューターが各自の発言量をモニタリングして、どの生徒がどれだけ喋っているのか分かるようになっています。だから、先生は、「この生徒あんまり喋ってないな、次はこの生徒当てよう」ということができます。授業も90分ひとコマですが、先生は連続4分間、トータル10分までしか喋れない。まず、ディベートを管理するために最初の授業では、「あなたの立場を次の4つから選んでください」と画面から選ばせます。全員がどの立場なのかが一瞬で共有されます。講義形式の授業で同じことをやると、絶対手を挙げない人もいますよね。そういうことが起らない。

先生はAさんとBさんを当てて、「それぞれの立場をディフェンドしなさい」と言う。他の人たちは、Aさんがどれだけ今日学ばなければいけないコンセプトを有効に使っているか、裏で採点をする。イベントが終わると、その評点をそれぞれ提出する。全員に全員の評点が分かる。「なぜあなたはこの点を付けたんですか?」という形で議論を深めていきます。こういう形でやることによって、全員がアクティブに聞くことを実現できるんです。

グループワークに移るときも、今までの講義だと「Aの意見の人、Bの意見の人、席を移動してください」とやると、教室がざわつきます。集中力が乱されて、「おれAにしたけど、やっぱりDがいいわ」という人もいたり、なかなか作業に移れない。これもコンピューターを使うと、一瞬で画面が切り替わって、集中力が途切れずワークできます。先生もいちいち歩いて話を聞きに行かずに、自分の画面で意見を把握できる。

そして、オンライン技術を使うことで実現できることの中でも何が一番素晴らしいかと言うと、定期テストの点数で記憶力を測るのではなくて、授業がすべて録画されていて、授業が終わったらすぐに授業内の発言に基づいて先生が学生の習熟度を5段階評価で採点して、コメント付きでフィードバックしてくれる。高頻度でフィードバックされるので、学生はどの分野が自分は弱いかを意識して、次の授業に臨むことができます。また、この情報は先生同士も共有しているので、別の先生が授業を設計するときに、どの生徒とどの生徒をディベートさせるとより学習効果が高まるか、把握しながら授業ができる。ですから、学生は非常に効率的かつ効果的に学んでいけます。

つまり、本来やりたかったんだけど従来は実現が難しかったことを、ミネルバではテクノロジーを使って実現したんだ、ということをお伝えしたいんです。

でも、ここまででは、まだ学習内容が頭の中に入っているだけですよね。この先、何をするかというと、初めて会う人に対して自分から働きかけてプロジェクトを起こしてインパクトを得る。いい結果でも悪い結果でも何らかの結果を得ることで、もう一回、自分の知恵に昇華させるわけですね。そのために、学外の企業や研究機関、オペラのような芸術活動だったり、テクノロジーショップのようなところだったりとコラボレーションしてプロジェクトをガンガン行う。

さらに、オンラインにしたことで何ができるかというと、教室が要らなくなるんですよね。どこからでも授業を受けられますから。教室が要らなくなってキャンパスを持たなくても済むのであれば、こんな風に世界の7つの都市を回るという教育ができるようになる。少数の人、かつ一部の地域に偏ったグローバル経験しかできない状況から解放される。

都市の中にキャンパスを作るのではなくて、都市の中の施設をキャンパスとして利用してしまう。学生寮だけ作る。ラボ実験が必要だったら都市にある製薬会社や国の研究機関、他の大学に頼んで設備を貸してもらえばいい。なぜ貸してもらえるかというと、そういうところで必要とされる人たちを教育して、創っているからなんですね。

こうやって世界の7つの都市の異なる文化を吸収していくことで、ある地域では非常にうまく行くことが違う文化に接すると全然うまく行かない、という経験もできるようになるんですね。そうやって多様性を知ることができます。

もうひとつ大きなメリットは、固定資産を持たないことで学費が非常に圧縮されます。約12,000ドル、日本円で140万円くらい。日本では普通の私学くらいの水準ですが、アメリカの大学の圧倒的な学費の高さに比べてほぼ1/4に圧縮できる。高い費用を払っても、講義形式の非常に学びが薄い状態を2年間やらないといけないことと比べると、費用対効果が高い。

まとめですが、「高等教育の再創造」を最新技術を用いて実現するということをミネルバ大学は目指しています。これは一種のベンチマークに過ぎなくて、ミネルバ大学のモデルがうまく行くことで、他の大学をフォロワーに変えていこうというプロジェクトです。

知識を伝達ではなく、そこから経験したことのない世界でも生かせる知恵を提供するのが本来の大学の役割です。もちろんプログラミング学習のように技術を覚えるのもいいと思うのですが、今の時代はすぐに技術が陳腐化してしまう。だから、(実践的な)知識を活用することで、本来あるべきだった「未知の世界で生きていけるような知恵を効果的に教える」という場を取り戻していく。同じように、技術を使うことで今まで実現が難しかったことを低コストで実現する。

今日お伝えしたかったのは、テクノロジーと教育のあるべき姿というのは、こういうことなんじゃないか、という話です。

「がんばった」より「おもしろかった」

中邑:東大先端研の中邑と申します。「既存システムを超えた学び」ということで、今から少しお話をさせていただきたいと思います。

人間みんな同じように見えるんですが、違います。なぜ同じような学びをしなければいけないのか。私が考えているのは、そこに尽きるんですよ。

たとえば、みなさんが家族にメッセージを伝えるときに、文章を送りますか? あるいは電話をかけますか? それは人によって違うんですよ。だけど、今の教育ってそうなってない。

うちの研究室には、高橋智隆というロボットクリエイター、鈴木康広というアーティストなど、いろんな人がいる。とにかく、おもしろそうな人をみんな集めてきています。「何が目的なんですか?」ってよく聞かれるんですけど、目的なんかありません。とりあえず集めないとおもしろいことができない。

今日のお話のポイントは、「実は不登校、あるいは引きこもりにこそ宝石がいる」という考えです。登校か不登校かではなくて、学習機会があるかどうかっていうことを議論したいと思うんですが、世の中というのは形式だけにこだわるんですね。

学校に行かなきゃいけない。子どもたちが学校に行かなくなったら、「学校に行け」と圧力をかけられる。不登校を悪と考えると、様々な問題が生まれてくるわけです。「学校に行かない自分が悪い」「どうして他の子どもと同じことができないのか」「がんばってもできないことがダメだ」とか。

不登校は全然ダメなことじゃない。学校に行くからしんどくなってしまうんです。こういうこと言っていますが、実は私は国の不登校検討会議(不登校に関する調査研究協力者会議 )の委員だったりするのですが…。なぜすべての子供を学校に行かせることを前提に議論をするのか、と。

とにかく世の中、人と違うことを恐れる大人ばっかりです。「何であなたは違うの」「同じことをしないと大変じゃない」「人と違うと就職できないよ」などなど。しかし、就職しようと思うから大変なんです。就職せずに自分で仕事をすればいいだけです。 

僕はがんばることが嫌いです。嫌いなことをやるから、みんながんばる。この会場で「今日はがんばったなー」と言う人がおられたら、その仕事は好きじゃないんですよ。テニスが好きな人は、いくらテニスをやっても「がんばった」なんて言わないですね。「ああ、おもしろかった。」とだけ言うでしょう。そういうことを仕事にして食っていけたら一番いいんじゃないか、と僕は思うわけです。

いずれにしても、大人の勝手で子どもを学校に入れているだけです。義務教育と言っていますが、本音は「仕事があるから子どもは学校に行ってもらわなきゃ困る」ということ。そういう大人が多い中で、学校に行きたくないなら行かなくていい、行かなかったらもっと楽しいことがたくさんあるのに、と僕は考えるわけです。

実際にいろいろやってみて分かってきたのは、学校に行かない子の多くは書くのが困難だということです。書くのが遅いんですね。今の世の中の評価は筆記テスト中心ですから、それでドロップアウトしちゃう子がたくさんいる。

今は、できなかったらすぐになんでも発達障害と言われます。ひょっとしたら大学の先生なんて2/3が発達障害かもしれません。1/3は私のようにADHD(注意欠如多動性障害)、残りの1/3はASD(自閉症スペクトラム症)と言って、ひとつのことをずーっとコツコツやっている。だから、すごい賞がとれるわけです。30年も40年も同じ研究をできる人なんてそうはいない。

つまり、本来、この世の中でキープしなきゃいけない才能であるにも関わらず、いわゆる画一化、均質化された社会の中に適応できないから、それを強制しようという動きが生じている。それをどこかで壊さなきゃいけない、ということなんです。

さきほど山本さんがおっしゃっていましたが、今の教育は効率ばっかり求めている。だから、本来の学びを教える場じゃなくなっている。そこが一番大きな問題なんだろうと思うわけです。

もうひとつ、そういうユニークな、外れた人を受け容れる社会ではなくなってきている、という大きな要因があると思うんですね。我慢できる社会を作る必要がある。

何年か前まで博報堂さんと「凹デザイン」という取り組みをやっていたんですね。みなさん、故障する車に乗り続けますか? 使いやすい便利な製品を買い求めますか? 安全安心な社会がいいですか? こういう社会の中で子どもたちが育っていくと、どういうことになるか。

このあいだ、ポテトチップスの袋を子どもにポイっと渡したんです。今は老人に優しい社会ですから、袋菓子ってすぐ開くんです。魚肉ソーセージだって開けやすいようにテープが付いてる。「なんて恐ろしい!」って考えるのは僕ぐらいしかいないわけです。そんな中で育っている子どもに、海外製のちょっと変わった袋菓子を与えると開けられない。

そういう子どもたちに早期から英語教育なんてバカなことやっているわけです。途上国の子だって英語が喋れる。でも、途上国の子は危険感知力もあるし、そういう使いにくさなんかものともせずに向かっていく。

引きこもりの子どもたちの中に宝がある

僕は多様な学び、働きを作る必要性があると感じているんですが、世の中はそう言ってない。均質化した社会に合わせることが教育だ、と思っている人がほとんどです。

みなさん空気を読めますか? 空気を読めない人が会社にいたらどうします。だいたい排除されます。そういう社会なんですよ。だから、今の日本の社会からイノベーションが起きなくなっている。

大きな会社はだいたい、そういう人を求めてきた。これは成長期にはよかったんですよ。どんどん競って早くアウトプットを出すことが重要でした。今の時代は違ってきている。プラトーに達しているわけです。その間にいろんな国に追いつかれちゃった。

イノベーションを起こすためには何が重要かと言うと、空気を読まないことですよ。そういう人がこの社会からいなくなった。とことん変なことに突っ込んでいる、そんな若者がいなくなってしまった。ユニークな子どもたちが潰されている。それを何とか防ごう、ということで始まったのが、「異才発掘プロジェクトROCKET」です。

とにかく変な子を取ろうじゃないか。今の社会が気にいらない、と言って学校に行かない子にこそポテンシャルがある。教えるのでなく、潰さない。褒めるのでなく、挑発する。今の社会は、たいしたこともできてないのに子どもを褒めすぎです。徹底的に挑発して、それを越えて行くような子どもたちを探し出して行こう。

ROCKETのポリシーは教科書無し、時間制限無し。好きなことをやりたいだけやりなさい。唯一あるのは「見捨てない」ってことです。彼らがROCKETを抜けるのは、彼らが僕たちを見限ったとき。こういうスタイルで僕たちはやっています。

全国で説明会を開きますと、今年あたりだと1500名くらい参加者があるわけですけど、その中でだいたい4~500名の応募があって、我々は20名近い子どもを選んでいる。選んだ子どもは、彼らが就職するまで見ていこう。こういうプロジェクトなんです。

東京帝国大学航空研一号館という昭和5年に建った建物で活動をしています。狭くて汚れて荒れ果てていた建物を我々がリノベーションして、木工室を作ったり美術室を作ったり。80年前の雰囲気が漂うところに3Dプリンタを持ち込んで。キッチンもあります。料理研究家からデザイナーから、いろんな人たちがいる。

「先生、学校作るんですか」ってよく聞かれるんですけど、そういう気はまったく無いです。私が学校を作ったら、教育法の中に縛られて何にもできない。とにかくやりたいのは、子どもたちに自由に何かを与えることができる場所ということです。

この中で、テクノロジー、美、科学的思考、コミュニケーション、プレゼンテーション、ビジネス、こういうものを徹底的に教えていく。学校で教えないものを教える。学校で教えるものは、僕たちは教えない。

 ROCKETの学びのスタイルというのは、とにかくトップランナーの話を聞かせようじゃないか、ということ。トップランナーって、だいたい変わってますからね。この人たちがどうやって生き延びたか、どうやって生き抜いているか。スカイツリーを建てた鳶の頭領の多湖弘明さんとか、宇宙飛行士の山崎直子さんとか、堀江貴文さん、猪子寿之さん、気の利いた人たちを呼んで話を聞かせる。ディスカッションをして、実際にプロジェクトを与えて、オンラインで学びをさらに深めていく。これが基本的なやり方です。

うちの子どもたちは態度が悪いです。礼儀なんてまったく無い。堀江さんが来たときに、「つまんねえ」って出ていく。それで帰って来て「ところで、おじさん何してる人?」って聞くわけです。そのときに堀江さん、「ホームページにいっぱい書いてあるから見といて」って言うわけです。こういう切り返しができる大人の中で子どもを育てる必要がある。

猪子さんだってそうですよ。「水族館にこんなアート作ったんだ」と言うと、「おじさん、それって水族館と関係ねえじゃん」と、ガキどもがとんでも無いことを言う。そのときの猪子さんの答えが「俺もそう思う。でも、水族館に魚を見に来る人間がどれだけいるんだよ。みんな癒やされに来るんだ。だから、これでいいだろ。」と。こういう返しができる大人が少なくなっちゃってるんです、今は。失礼だ、やっちゃいけない。それで、すべて終わってしまう。

とにかくリアリティがすべて

徹底的に僕たちはリアリティの追求を目指す。生のエビ、カニを与えて「解剖して食え」と言う。みんなネットで調べる。「なんで調べるんだ、とにかく食え」と言う。今の子どもたちは、調べて調べて頭でっかちになってるんです。

今年の「解剖して食す」は小麦。粉にするにもいろいろ道具があって大変なんですね。最後は石臼を探して来て、4、5時間かかって500グラムの小麦粉がやっとできるわけです。それだけ食うってことは大変なんだ。

こないだやった授業は、「鳥居には何種類あるか調べろ」。ネットがあれば、あの子どもたち1分で調べます。でも、紙と鉛筆と千円だけ渡して、「都内くまなく歩いて鳥居をスケッチしろ」と言う。朝の9時から夕方まで6~7時間歩いて、スケッチできるのは6~8つ。それを持ち寄って並べてみたら、直線型の神明型と反り返った明神型に分かれる。だけど、北海道から鹿児島まで見たわけじゃない。だから、これだって本当かどうか分からない。つまり、知識っていうのはすごく大変なものなんだ。おまえらは活用してるだけで、ちっとも頭に入ってない。

今年は、「プロジェクト旅」と「プロジェクト炭」をやっています。「旅」チームは去年、「日本の最北端へ6日かけて各駅停車で目指せ」っていうのをやったので、今年は最東端か最西端に行けるって期待するわけです。

僕はそんなことやるもんかと、今年は東京駅に集まるチームと宮﨑駅に集まるチームを用意して、そこで初めて目的地を告げる。今の修学旅行って、みんなデザインされているんです。それは効率と安全性の問題です。不登校の子どもたちは、その枠を超えることができる。

「宮﨑から潮岬へ、3日後の3時に来い。」東京チームもそう言われているわけですね。おととい出発して、さっき連絡あったんですが、大阪でいまうろうろしています。ホテルは用意してない。食事とホテル代で1日8000円だけ渡してある。夕方になって寝る場所が無い不安というものを子どもたちに教えないといけない。これをやって初めて布団の上で眠れるありがたさが分かるんです。彼らは大阪に行けばホテルがあると思っているんですけど、大阪駅の周りに8000円で泊まれるホテルなんか無い。こういう痛い目に遭わないといけない。

「炭」チームは北海道で炭焼き窯を作る。今、古い廃屋の解体作業をやっていまして、「来月までに10万円集めて来い」って子供たちに言ってます。小中学生に10万円って、学校でやると大変なことになります。子供たちがお金を集めるために何をやってるかというと、小商いをする子も出てくるし、じいちゃん、ばあちゃんのとこ行って頭を下げてくるって子もいる。それで10万円集めてきたら、証券を出してやる。炭が焼けたら3%の利子を付けて返してもらえるコースか、預けたまま炭の配当益を得られるコースか選択させる。ひょっとして焼けなかったら、証券が紙くずになる可能性もある。これが僕たちの生きた学習です。とにかくリアリティがすべてである、ということですよね。

ROCKET研修旅行「自己矛盾の旅 ポーランド、アウシュビッツ収容所

去年やったアウシュヴィッツサイバスロンを巡る旅。8月20日くらいに「アウシュビッツとサイバスロンに行くぞ」って言ったら、訳の分からんことにすぐ手を挙げる。12名が親の同意書を出して来ました。彼らは「先生、サイバスロンとアウシュビッツって何の関係があるんだ。」と聞く。僕は「それを自分で考えるのがおまえらのためだ。」と答える。

みんな言うんですよ。「サイバスロンは技術利用のいい例だ、アウシュビッツは悪い例だ。」「本当か? 日本にアウシュビッツは無いのか?」「あるわけないだろ。」みんな言う。僕は「バカだな。いじめられて、家に引きこもって、どこにも出られずにいたっていうのは、おまえらも一緒じゃないか。」と答える。日本でもみんな、優生思想でヒトラーを批判する。だけど今は、出産前診断で異常があれば95%以上が生まないという。実は同じことをやっている。なぜ、おまえらヒトラーだけを批判するんだ? と、こういう哲学的な旅でもあるわけです。

もうひとつ僕たちの旅の特徴というのは、基準がブレるんです。教育というのは基準がブレたらいけないんです。僕らが旅のメンバーを選考するときに大学生顔負けの素晴らしいレポートを書いてくれた子もいました。だから、敢えてその子たちを落とすわけですね。みんな怒りますよ。ここで、「ひどいと思うことが間違いなんだ」ということを教えていく。「お前らみたいに分かっている奴を連れて行ってもおもしろくないから、今年は出来の悪い奴を連れて行く」という。こういう教育は、ある意味ひどい。だけど、ひどい教育にこそ重要なエッセンスがあるんだ、ということです。

「家をまるごと一棟改装しろ」というプロジェクトもあります。他にも、趣味が同じ子どもたちを集めていろんなキャンプをやっています。生命、芸術、社会科学、数学・物理、工学・ものづくり。相当、みんな孤立しています。キノコが好きでキノコの話ばっかりしてる子は誰にも相手にされない。だから言うんです。「お前の友達は、この狭い学校にはいない。だけど、県の単位だと10人くらいいるかもしれない。日本全国だと何十人、何百人いるかもしれない。」僕たちは、そういう場所を作っていく。

毎年、1月末に宮城県の石巻の雄勝という津波で壊滅した街で「生物学者になれるか?」というキャンプをしています。午前3時にたたき起こして、4時に船に乗り、明け方まで漁師と一緒に働く。それをやると子どもは何と言うか。「大人ってすごいね」と言うんです。とにかく凄い大人を見せなきゃいけない。凄い大人の前で自分の知識なんかたいしたことなかったっていうのを教えていかないと、彼らはどんどん頭でっかちになっていく。これが実はリアリティだということですね。

SIGプログラム「漁師体験を通して、生物とその研究法を学ぶ!6日間の過酷な生活に君は耐えられるか」

ものづくりでは、マインクラフトで文化財を再生しろと言ってるんですね。みんな親に散々言われてるんです。「あんた、マイクラばかりやって」って。そういう子どもたちを集めるとすごいですよ。「1ヶ月以内に六本木ヒルズを作って来い」って言ったら、12名が手を挙げた。締切が0時なのに、10時半とか11時に送ってくる子が結構いるんです。これは、東大受験の時にギリギリまで教科書を離さない受験生と変わらないんですよ。なぜ、キーボードだったら否定され、教科書だったら評価されるのか。明らかにおかしいわけです。

僕たちは、こういう引きこもりの子どもたちの中に宝があると思ってるんです。だからといって、彼らの学校を作る気はまったく無い。学校になった途端、まったく違うものになっていく。だから僕らは「アカデミックリゾート」を作りたい。セミナーハウス、宿泊施設もある。有名な誰々さんの話を聞きに行こうって子供たちが走っていく。そうすると、プラスチックカーのガレージがあったり、パン屋があったり。おっちゃんが言うわけです。「ちょっと手伝ってくれ」「おまえ腕いいなあ」「もうちょっと手伝え」夕方まで手伝ってアルバイト料もらって帰ってくる。誰かの話を聞く予定だったことなんて、まったくどうでもよくなっている。こういう中で子どもたちの学ぶ力を付けていけば、どこでも学べるようになるだろう。

こういうオフグリッドな子どもたちを育てることが、この国にイノベーションを起こすひとつのカギではないかな、と私は思っています。

ディスカッション:やりたいことは自分でやれ

小西:小西と言います。普段はコピーライターという職業で、広告を作っていたり、都市開発とかをしております。

先ほど、中邑さんが「すごい大人を見せる、ってすごい重要なんだ」って仰っていたんですが、僕の周りにはバカな大人しかおらんのですよ。そのバカな大人を子どもたちに見せるって、どう思われますか?

中邑:何を基準にしてバカかですよね。ひとつのことをずっと真面目にやってることをバカといえばバカかもしれないし。僕たちがかっこいいと思う大人を見せればいいんじゃないかと思うんですね。

小西:山本さんのお父さんは、家でお風呂に入っているときに新聞を読むという人だったそうですが。

山本:自分が好きなことに熱中できるってすごいな、と。私の父は経済学者でして、日経新聞が大好きなんですね。お風呂の中で日経新聞を読んでるので、小さい頃は父の後に入ると、日経新聞のカスが浮いてるんです。

こんな大人になっちゃったのは、父の遺伝かと思うことはあります。私もひとつのことに熱中するタイプで、熱しやすく冷めやすいってよく言われていました。自分が好きなことになると周りが見えなくなっちゃう。今のプレゼンなんかも一方的に喋ってしまってますよね。もっと上手い人だと、みなさんの反応みながらちょっとずつ変えますけど、僕、自分で喋ることが大好きなんで。よくないなって、いつも思ってます(笑)

小西:お二人が今の道を進んでいこうと思ったきっかけのようなものがあれば教えていただきたいんですが。

中邑:僕の研究室には、実にいろんな人が働いておられるんですよ。訳ありの人ですけど。そういう人を見ていると、なぜ彼らが責められるのか? と思うわけです。いろいろ聞いていくと、実は能力はあるんだけど、この社会の中で受け容れられなかった。この恨みってすごく大きくて、通り魔殺人がニュースになると、自分もやってやりたいと思う人が世の中には結構いるわけです。これは、すごくよくないことだと思いました。

僕自身も相当変わった子でした。僕の中学校の頃の趣味って、蝶々の交尾器なんですよ。嫌な顔されるでしょ。蝶々の種類の同定をするためには、交尾器の先を見る。蝶々のしっぽを切って、水酸化ナトリウムで溶かして、顕微鏡で見てスケッチをする。

何が良かったかと言ったら、うちの親父が何も言わなかった。「まだやってるのか」これだけですよ。だから、僕は自分が変だと思わずに済んだ。周りが変だ、変だと言い過ぎると、子どもはそのことを意識するようになって、迷いが生じる。変にそれに気付かせてしまうってことで、孤立していく。全く、そういうことは言わなかったですよね。そういう意味では親に感謝している。

小西:ほっといたらいいんですか? 応援したらいいんですか?

中邑:応援されると厄介ですよね。ROCKETプログラムは子どもを応援するんですか? キノコを好きな子どもにキノコの授業をするんですか? と、そんなことするわけがない。僕らがそれをやったら、子どもが進んでいく方向を曲げちゃうわけです。

僕たちが唯一持っているのは申請書制度です。やりたいことがあったら申請しろ。顕微鏡が欲しい、パソコンが欲しい、どこかに行きたい。それを僕らは審査して、買いなさいと。こういうやり方です。

こっちの方が重要なんだと思うんですよね。やりたいことは自分でやれ、このスタンスは崩しちゃいけないと思うんですよね。

山本:さすがに先生ほどインパクトは無いんですが、私にも2つターニングポイントがあったと思ってます。

ひとつは、私、小学校2年生から5年生まで親の仕事でフランスに行ったんです。フランスで教えられた方法っていうのは、「自分の意見を言わないとダメだ」。フランス人の中で唯一のアジア人だったので、みんなと同じであることを求められなかった。なので、すごくユニークなことを言わなくては、というプレッシャーがあったんですね。3年間フランスの教育に慣れて日本に帰って来たら、「みんなと同じじゃなきゃダメ」。そこですごく違和感を覚えました。

フランスって、実はものすごい差別国家なんです。アジア人の私が歩いてると、大人が石を投げてくるんですよ。「中国人は家に帰れ」って。それで、やっと日本に帰れたと思ったら、「お前は日本人じゃない」って言われるわけですよ。すごく悩んだんですけど、たまたま島崎藤村の『破戒』っていう本を読んで、日本にも差別があるんだ、と分かりました。「だから、俺、大人にならなきゃいけないんだ」って思った瞬間があったんですね。そこで、人と違っていてもいい、ということが分かりました。

もうひとつは、日本の受験社会を生き延びて、何だかんだ言って偏差値のいい大学に入り、経団連の会長がやっているような会社に就職して、結局は、つまらない仕事をしているけれど、所得の高い人がいい生活を送っていくんだろうな、って思っていました。でも、ケンブリッジ大学にMBA留学したときに目から鱗だったのが、自分の好きなことで生きて、好きなことを追求して、好きなことで社会に貢献している人が本当にすごいインパクトを出しているってことを知ったことです。「やっぱり俺が小学校のときに思っていたので間違ってなかったんだ」って分かりました。それから僕はほぼ2、3年ごとにやりたいことに向かって職も変えていますし、ミネルバも押しかけで勝手にプロモーションしたりしています。

でも、私の中ではすごく一貫した軸があって、たとえば、私は0から1にするような活動は大好きなんですけど、1を5にするとか、10をずっと続けるオペレーショナルなことやるのが大嫌いなんです。苦手なことは我慢するんじゃなくて、もっと得意な人に任せています。自分は、「そんなの上手くいかないよ」ってみんなが思っていることを「上手く行くかもしれない」ってやるのが得意だって分かったので、みんなに相手にされていないうちが、僕の出番。

実は、今日みたいにこんなたくさんの人に聞いてもらえるようになると、僕的には、ちょっともういいや、みたいな感じなんです(笑)。

割り切って覚悟を決めたら次に行ける

小西お二人の言葉で共通点があると思ったのは、教えるじゃなくて学ぶだと。教育という言葉は「教え育てる」という言葉。僕は教育よりも「学育」の方が好きなんですけど。

今の教育のシステムだったり、教育そのものの一番の問題点って何だと思いますか?

中邑:こんな好きなこと言っていますけど、日本の公教育を否定しているわけではないんですよ。8割の人には向いていると思う。さっき言ったように特性の違いなんです。

みんな私みたいな人間だったら、この国は持たないと思うんですよ。やっぱり一緒に仲良くコツコツ積み上げて行く人たちがいてこの国は維持できるし、それを捨てたらいけない。ただ一方で、そこに合わない人たちのための学びの場が無いから、それを作らなきゃいけないというのが、僕の主張です。だから、両方がお互いを認め合って、併存していく社会、そういう学びの場こそ重要かな、と僕は思います。

今は不登校児を学校システムに戻すことが不登校対策になっている。昨年、議員立法でいわゆるホームエデュケーション等も認める法案が準備されたのですが、多くの人たちの反対にあって国会に提出できなかった。それくらい、みんな同じであるべきだという流れが非常に強い。

だから、僕は地道に引きこもりや不登校の人たちが学ぶ場、彼らに合った学ぶ場を作って、これを拡大していくことこそが重要で、実はそれくらいの数でも十分なんじゃないかと思っているんです。そういう場ができれば、みんな逃げてくる。逃げる場を作ってあげればいい、と思うんですよね。

小西:アートディレクターの知人で、不登校で中高行ってないんですよ。それで、ずっとマンガを読んでいたんです。あらゆるマンガのパターンを知っているから、絵が異常に上手くて、ストーリーテリングも異常に上手い。「俺、不登校じゃなかったら今の仕事できてない」って言うんですね。大手の仕事もやっていて、バリバリお金を稼いでる。「不登校のお陰で稼げてる」っておおっぴらに言っていいのか悩んでいましたけど、いいですよね。

中邑:僕の知り合いにも恐竜クリエイターの竹内信善という人がいるんですけど、彼もそうですよ。学校に行かずに、ずっとプラモデルばっかり作っていたから、できたんだと言っている。でも、彼らだって学んでないわけじゃないんですよね。必要なことは学ばなきゃって、みんなちょこちょこ勉強している。それこそ山本さんがさっき仰ったような真の学びですよね。

小西:不登校のお子さんがいると、どうしても社会のシステム上、親は不安でなんとかしなきゃみたいなことになっていますけど。

中邑:はっきり言ったらいいんですよ、諦めましょうと。「諦めない社会」こそが大きな問題なんだ。

「先生こんな好きなことばっかりやらせて就職できるんですか?」と、たいがいの親は僕に言います。「だけどね、お父さん、お母さん、この子がこのまま大きくなって、普通の会社に就職できると思いますか? それは無理でしょう?」って。それならば、切り替えて自分で仕事をできるようにしていった方がいい。それが僕のやり方なんですよ。

小西:そんな明快な答えがあるとは思わなかった。諦めさせるという。

中邑:諦めるというのは決してネガティブじゃない。ポジティブな諦めがあります。ROCKETには、為末大さんを呼びましたけど、彼は『諦める力』という素晴らしい本を書いているから。

山本:やっぱり知識を教えちゃうところに問題点があると思うんですね。怪我をさせないように、転ばぬ先の杖みたいな形で。「こうやれば安心だよ」という風に導いちゃう。それによって探求が止まるところに問題があるんじゃないかな、と思いますね。

小西:さっきのお話で、画期的なものが成立しているんだなと思ったんですけど、EdTechが本当に形になってきている。そういうものが教育の問題を払拭していくようになっていくんでしょうか。

山本:実際にミネルバがやっていることって、彼らが新しく始めたことじゃなくて、1960年くらいの教育があんな感じだったそうです。先生が講義をするんじゃなくて、生きる知恵、考え方を徹底的に学ばせる。そういうスタイルからだんだん人口が増えて、効率化を求める方向に変わってしまった。それを「本来のあるべき姿」に回帰させたい。

でも今の状態のままで回帰させるのは不可能で、大学の全ての講義を20人規模セミナー形式にはできない。でも、オンラインにすると世界のどこにいても先生はセミナーができるので、そういうことも可能になってきます。(既存の大学の教え方では)先生が生徒の状態を知るのは難しいけど、テクノロジーを使えば、この子がどういう状態で伸び悩んでいるかということが分かるので、比較的短期間で生徒の特徴を掴めます。

小西:ミネルバのメソッドは、もっと年齢が低い、高校、中学、小学校などでも応用は可能ですか?

山本:できると思いますね。15歳から早く実践的な知恵を学ばせて、どんどん現場に出して生きる知恵を与えて行ったらいいと思うんですよね。ミネルバでやっていることも、効率よくコンセプトを学んだだけでは、結局、知識バカになってしまうので、どんどん実社会に飛び出すことで、実際には学んだことは上手くいかないことを実体験させる。「なんで上手くいかないんだろう」と考えて、「自分の場合はこういう風にやると上手くいくんだ」という自分なりの答えを見つけていく体験をさせます。つまり、失敗をたくさんさせる、ということですよね。

小西:街に出させることの意味っていうのは強くあるんですね。失敗するとか成功するとかいう意味も含めて。実践のフィールドワークをやるにあたってのルールみたいなものがあれば教えていただきたいんです。

中邑:ルールは特に無いですね。とにかく社会の中で生きることを教える。それを徹底して、その場を学びの場にすればいい。だって、教室が嫌いなんですよ。本が嫌いなんですよ。だから、外で学べばいいじゃないか。ただ、それだけのことですよね。

小西:フィールドワークで外に出るときに、僕のイメージは、「はじめてのおつかい」的に誰かが見ているのかなと思ったんですが。

中邑:一応、スタッフを付けています。だけど一切、口出ししない。緊急時の対応だけです。大阪駅で10時頃までうろうろしたって、一切何も言わないようにスタッフには教育しています。

最後はギブアップしろと言っています。だから、駅で寝てもいい。そうすれば、現金8000円を手にすることができる。でも、駅では寝れないってことが分かるんです。

だから、大阪駅で降りたことが間違いなんです。確かにホテルはたくさんあるんだけど、梅田は高い。しかも、あそこでは眠れない。それをみんな知らないわけですよ。

小西:でも、西成とか行って千円くらいのところに入られても、結構ビビリますね。

中邑:子どもなら平気でやると思いますよ。万が一の場合に、安全確保のためのスタッフを付けています。

実は僕も子どもの頃うろうろしていたわけですよ。小学生のときからひとりでホテルに泊まって、昆虫採集をしていたような変わった人間ですから。そこで学んだものってすごく大きい。夕方になって寝るところが無い不安さ。これは今、教えられなくなっている。

だけど、割り切って覚悟を決めたら次に行ける。だから、結局、教えなきゃいけないのは「覚悟を決めろ」ってことなんですよね。そこで中途半端にやったら、主体的な学びなんて絶対できないんですよ。これが学校に行っている子には絶対に容認されないんですよ。

これを学校の教育でやろうとすると誰かが絶対反対しますよね。こう言っては何ですけど、引きこもりや不登校の親御さんっていうのは、本当に困っている。「うちの子どもをどうにでもしてください」って言う。だから、できる。

ミネルバはオンライン大学じゃないです

小西:ミネルバ大学のオンラインとオフラインの割合ってどれくらいなんですか?

山本:オンラインは学校生活の、たぶん、20%くらいしかないんですよ。しかもオンラインの授業に参加するために、事前課題を平均3、4時間やらないといけないんですね。事前課題を提出していない人はそもそも授業に参加できないし、授業は非常な集中力を要するので90分1コマを月曜・木曜の午前中2コマだけです。

それ以外は自分のプロジェクトをやったり、課題をやったり。学期も2学期制で8か月しかないんで、4か月まるまる夏休みなんですよ。その4か月を使って、自分でどんどん学んだことを実践して行く。そういうプログラムです。

小西:寮があるんですよね? 寮が移動していくんですか?

山本:そうですね。寮が世界7拠点にあって、同じ学年の生徒が全員一緒に住みながら、別の寮に移動していく。1年目サンフランシスコだったら、2年目の前期は全員がベルリンに行って、次にブエノスアイレスに行って、という風に。当然、90分の授業で盛り上がったら、オフラインでも授業が続いていくわけですよ。

70カ国くらいから集まっている子たちですけど、結局は個性だと。国籍とか性別とか人種とか言っているんだけど、やっぱり、こいつとディスカッションするためには、オフラインで、こいつはどういう考え方をするのか知ろうと一生懸命コミュニケーションしていくわけですよね。

小西:実際にミネルバ大学って調べると「オンラインの」って出てくるんですけど、それはある意味正しいけど、かなり間違っているということですね。

山本:「オンライン大学じゃないです」って、ずっとメディアの方に言い続けて、毎回、「山本さんの説明で本当によく分かりました、目から鱗でした」って帰って行って、記事が出てみたら、タイトルが「オンライン大学」になってる(笑)。そうしないと、部数が稼げないのでしょうか。

小西:ROCKETはものすごい数の方が応募してくるようですが、その中から20人選ぶときの基準はあるんですか?

中邑:「どうやって異才を見分けるんだ」って、みなさん仰るんですけど、そんなの分かるわけないですよね。異才っていうのは、10年20年経って、世の中が言い出すことなので、はじめからそんなの分からないんですよ。

僕たちは、変わっていて、親も学校も困っている子からやる。他の人が面倒を見きれないだろうな、っていう子だけ。だから、子供らには、「おまえら選ばれたからって異才だ、天才だって思うなよ」と言っています。

僕らの中では、「変態」とか「変人」って、いい言葉なんですよ。それに対して、普通の学校に行ってる子を「凡人」と呼んでいます。変人でも堂々と生きろって。そういう子どもを潰さずに育て切ったときに、なんか変わった人が大人になっている社会が来る。

小西:同じような活動をしたい方はいらっしゃるんですか。

中邑:地方自治体でも、「我々もこういうことしたいんですが」って来られるんですけど、学校ではできません、法律に縛られるから。だから、「協力してもいいんですけど、できない部分はうちでやったらどうですか」と言っています。そこの縛りはやっぱり大きいですよね。

法律制度だけでなく、先生たちの規範意識が前時代的というか。さっき山本さんが仰ったように、生徒がみんなパソコンを打っていたら先生怒りますよ。「なんで俺の顔を見ないんだ」って。だけど、そっちの方が向いている子もいるんですよ。先生が言ったことを全部調べているんです。

小西:山本さんはいろんな国の学校を見られてきて、日本って特殊だと思いますか?

山本:私がミネルバ大学を通じて訪問してきた学校はおもしろい学校が多いんで、そんなことないんですけどね。たとえば、私の出身校である麹町中学校。私が通っていた頃はものすごい受験校だったんですけど、だいぶ、変わっちゃっている。いわゆる受験勉強じゃなくて、実社会との距離が近いし、プロから学べる。家庭科の授業も陳健一さんに来てもらったりしているそうです。それでお母さんの授業参観率が高くなっているとか、そういうおもしろいことをやってるところもあります。

中邑:僕、麹町中学校の学校評議委員なんですよ(笑)。校長の工藤先生も大変で。小学生はたくさんいるんだけど、彼らが中学校に来るかどうか分からないんだそうです。みんな私立の学校を受験するから、私立の入試が終わらないと何人来るか分からない。そういう社会になっちゃっているんですよね。

小西:海外は個性を大事にする、日本はそうじゃない、っていうイメージがありますけど、それはどうなんですかね。

山本:それは、日本がどれだけ恵まれてるか、っていうことだと思うんですよ。結構、同質の社会の中で、あうんの呼吸で生きてきて。たとえば、千年間同じ王朝が続いている国なんて無いですよね。

そこで、やっぱり日本人が危機感を持った方がいいなと思うのは、日本の人口が減っていって、どうしても国際社会と交わらなきゃいけないときに、この同調性を他国の人に求めたら非常に危険な状態に陥る。人と人は違うからこそ理解し合うんだ、という概念を持てるかどうかなんですよ。

僕もROCKETに行きたい子どもだった

小西:お二人は今日が初対面ですよね。それぞれのプレゼンテーションを聞かれて、思ったことがあれば伺いたいです。

山本:本当にもっと生まれるのが遅ければ、ROCKETに行きたかったと思います。僕も登校拒否ではないですけど、進学校に行って学校がおもしろくなかったんで。2時間かかる学校に行っていたんですけど、親が共働きなんですね。高円寺の駅まで行って、公衆電話から学校に電話かけて「お腹痛いです」って。それで、学校休んで高円寺の本屋さんに行く。あの辺は非常にマニアックな本屋さんがいっぱいあるんです。高円寺の本屋さんで現代史を学んで、帰国子女で英語得意だった。だから、現代史と英語だけで入れるおもしろい大学に行こう、と。なんとでもなるんですよ。どんどんチャレンジした方がいいと思いますね。

小西:中邑さんの活動で山本さんがすごいと思うのはどんなところですか

山本:やっぱり全肯定だと思うんですよね。同調しなくていいってことを許容してあげるってすごく大事で。

私も6歳と3歳の子がいるんですが、「何でそんなことしたんだ」って言った途端に、子どもって萎縮しちゃうんですよね。三歳児の悲しそうな顔を見ていると、自分はダメな子どもなんじゃないかと思っているのが伝わってくる。もっとちゃんと一緒に時間を増やして、この子がやりたいように育ててあげる。この子が本当に好きなことで好きなように成熟できるような環境を親が整えてあげる。そういうことができたら、もっといい社会になる。そういうことをされているのは素晴らしいな、と思います。

小西:中邑さんはいかがですか?

中邑:トラディショナルな日本の大学にいる立場としてミネルバ大学の話を伺うと、本当にそこには理想がありますよね。

個人的な意見として申し上げると、既存の大学がそっちに移行するのは、あまりに大きすぎるんですよ。ほとんど不可能に近いだろうなと思うんです。東大もその中で努力はしていて、先端研っていうのは東大のアンテナショップみたいなもので、どんどん新しい制度を取り入れて、学びも変えて行こうっていうところではあるんです。だけど、なかなかやっぱりそこに追いつかない。

うちの学生たちを見ていても、論文を書けない学生たちがいる。調べすぎるんですよ。勉強し過ぎる。どんどん知識は入ってくるけど、自分に枠や軸が無いから、書いていることが一貫しない。どれが本当なのか分からない。これはもう恐ろしいスパイラルに入っている。

だから、「論文なんか読むな、外に出ろ」って言う。でも、そういう経験を子どもの頃からやっていないとできないんですよ。このまま行くと恐ろしいことになると個人的に考えています。本当にやっぱりミネルバ大学のようなところを出た人たちが、もっと増えていくことが絶対に必要だ。でも、なかなか日本人は入れないんだって?

山本:日本人は今年ついに2人の進学者が出ました。2人とも非常にユニークでおもしろい子です。宣伝しちゃうと、このふたり、日経カレッジカフェ個人ブログをやっています。これから彼らが4年間、ミネルバ大学の体験を書いていきますので、ぜひみなさん読んであげてください。

 

小西:お二人が今後、やっていきたいことは何でしょうか?

中邑:僕は、子供たちに基本的な学力保証はちゃんとしてあげないといけない、と思っているんですよ。日本は、今の学校教育をドロップアウトしても、繰り返してやれっていうことしか教えないんです。だから、中学校になっても小学校三年生の漢字の書き取りをやらせられる。これは子どもの自尊心を傷つけることに他ならない。そこで悪循環に入っちゃうんですよ。

「パティシエになりたい」「大工になりたい」っていう子供がいると、「じゃあ、もう源氏物語なんか分からなくてもいいよ。だけどな、キログラムとグラムの違いは知っとけよ」と言うんです。「それならやりたい」と言ってくれる。だから、教科に帰るんじゃなくて、必要なものだけコンパクトにまとめて最低限の教育をする。そういう、いわゆるリテラシーをつくるための教材開発をROCKETと並行してやっているんだけど、それをやり切りたいと思っています。

山本:僕はミネルバの教育理念にすごく共感しているんですけど、2年間やって自分の中ですごく葛藤があったのは、ミネルバは受験料も不要なので世界中から2万人受験するんですね。しかも定員は無い。凄い高い基準があるけれど、その基準を満たした人達は、みんな合格できる。でも実際には1.9%の300人くらいしか合格できないんですよ。本当は1000人でも2000人でも取りたい大学なのに、なんで300人しか席を与えられないのか、と。

その理由は、ミネルバで求められている思考力だとかコミュニケーション能力だとかポテンシャルがあるのに発揮できていない子が圧倒的に多い、という事実です。入試時に思考・コミュニケーション能力を発揮できないために席を与えられていない子がいるので、その力を世界中の子たちに提供できるような組織を作りたい、と思っています。

僕も日本では名前が知れてきて、こういうところにも呼んでいただけるようになったので、認知活動は今回合格した日本人の子たちに任せて、そういう分野をやっていきたいなと思います 。

MONDO(質問タイム)

オーディエンスには折り紙を配り、「質問を書いて飛ばしてください」とアナウンスして質問を集めました。

小西:質問タイムに入っていいでしょうか?

「子どもたちや学生への新しい学びが聞けて羨ましい限りだけど、今の自分たちはどのように学んでいけばいいのか。」

中邑:質問者の背景が分からないと、はっきりしたことは言えないんですけど、やっぱり、みなさん働いているなら、それは保証しつつ次に行こう、と言いたいです。僕はフルタイムからパートタイムに移行することをお勧めしたいと思います。うちのスタッフはほとんどパートタイムに移行しているんですよ。「俺のとこだけで食っていたら、俺が倒れたときに困るぞ」って。仕事はたくさん増やせ、いろんなことをして生きろ、それがおまえの次に繋がるって言っています。

あんまり答えになっていないかもしれないですけど、フルタイムにこだわらない。パートタイムで働く自分っていうのをイメージしてみるとおもしろいかもしれない。

山本:「死にはしないよ」と言いたいですね。私も社会に出てまだ20年くらいしか経って無いですけど、10年前には今の自分の姿は想像できなかったし、つまらなくても何でも耐えてひとつの会社で生きていくんだろう、と思っていました。

自分の得意な分野で社会に貢献していこうと思ったら、ひとつのところにいる必要は全然無いし、ひとつの職業、ひとつの分野と限定して生きる必要は全然無いです。僕はミネルバの代表としてこの場に立っていますけど、本職は20年間やってきた素材メーカーの新規事業開発のコンサルティングです。今も私の収入の8、9割はそっちから来ていて、ミネルバは全部持ち出しですから。

企業にいてサラリーマンをやっていたら、そんなことやらせてもらえないわけですよ。でも、自分はこれをやりたいとなったら、どうしたらいいのか。(コンサルの)依頼がこなくなったらどうしようと、独立した最初のころは本当に不安でした。でも大丈夫です。依頼は来るので、(依頼をしてくれた)人をすごく大事にしてください。意外と大企業の偉い人じゃなくて、小さい会社の社長さんです。だから、(コンサルの)仕事もがんばっています。なんか答えになっていないかもしれないですけど。

小西:僕、この質問を紙飛行機で飛ばすやつ、たまにやるんですけど、中邑先生が「『紙飛行機』って言わない方がいいよ」って言われたんですよ。「だって、飛んでくればいいんでしょ」って。そうすると、やっぱり来るんですよ、こういう画期的な石つぶてみたいなのが。開けにくい。

えー、「中邑先生、今後考えているプロジェクトがあれば、教えてください」という質問です。

中邑:僕も長いこと大学に在籍できるわけではないので、外に組織を作りたい。さっきお見せしたアカデミックリゾートですよね。名前がいいかは別にして、こういうものを本気で作っていきたいな、と思って物件を探しているところです。あと、お金をどうやって集めるか。

小西:次の質問は、「大人になってからも変わるきっかけがあれば変われますか。」

中邑変われるでしょうね。変わっちゃおう、と覚悟を決めることですよね。

なんか変わったことをやってみたらいいと思うんですよね。僕、実はお抱えの美容師がいるんです。働けない子なんですけど、いつもいい髪型だし、「お前どうやってるの」って言うと、「自分で切ってる」と。「じゃあ、千円払うから、俺の髪も切ってくれ」と。みんな、「勇気ありますね」って言うけど、やってみたらいろいろなものが変わっていく。まず、彼が変わっていっています。上手になって、自信がついていく。僕はその便利さに気付いていく。だから、スタイルを変えてみたらいいんですよ。自分が変わるというよりは、生活の仕方をちょっと変えてみる。それだけで随分変わると思います。

小西:次は、「教育を変えることで社会は変わるのか、教育の影響力の限界は何か。」

教育を変えることで社会は変わるか? 教育の影響力の限界とは? というご質問です。

中邑:みなさんは学校っていうものに教育を期待しているから、そう思うんですよ。自分がやるもんだ、と思えば変えられる。僕はそう思います。

山本:教育よりも学育という話があったんですけど、一方的に教えることに関しては限界があると思うんです。

私の行った大学には「教半学」という精神があって、教えることは学ぶことである、学ぶことは教えることである、というサイクルがあるんだと。そういうレスポンスをもらうことで、内省して次に繋げていくという意味では、意識の持ち方次第で十分、上に広がって行くんだろうと僕は思います。

小西:最後に、どうしても聞きたいことがある人は??

オーディエンス:「あえて紙飛行機とは言わない」というお話があったんですけど、実際に紙飛行機をたくさん飛ばしてきたこの大人たちをどう思いますか。

中邑:それはそれで素敵だと思います。みなさんの紙飛行機を見ると、みんな違いますもんね。要は「何だっていい」って、みんなが思って生きられる社会がいいなと思うし。確かに紙飛行機が多いんですけど、くしゃくしゃっとなったものもありますし。それが、多様性なんだろうと思います。

山本:僕、これとかすごい興味ありますね。なんか途中まで飛行機にしようと思ったんだけど、考えが変わって、とか想像が喚起されて。

小西:じゃあ、読みますか。これを最後にさせてもらいます。

紙飛行機って意外と飛ばないんですよね。子どものとき、もっと飛んだはずだと思うやつが飛ばないんですよ。だから、体験してみると分かることって山ほどあるな、ってことをワークショップのときにやるんですよ。

これ、なんか入ってる。丸めてレシートが入ってる(笑)

 中邑:重さを追加したんだね。

小西:そして、そこそこ長い質問だ(笑)。

要約すると、ある程度の共通知識が無いとディスカッションが成り立たないのではないか、という話で、その共通知識をちゃんと身につけるべきなのか。それは詰め込み教育のような形でどんどん覚えていかないとダメなのか、と。

中邑:生物学なら生物学、物理学なら物理学の知識が無いといけないと思うと、そうなっちゃうんですよね。そうじゃなくて、自分が常に活動をして、その活動に基づく実感というものがあれば、そのまま、裸で議論をしたほう方がいいんじゃないかと思うんです。

小西:そのときに、知識が豊富な人とそうじゃない人が議論できるか? というのが、この質問の真意かなと思います。

中邑:僕は十分できると思います。それがいわゆるコミュニケーション力なんですよね。

山本:僕も同じように思います。ディスカッションのテーマとして知識の量を比較するのではなくて、どういう思考をするのかをテーマとして与えて、その共通のテーマの上でいろんな知識がどういう風に作用するのか、という形でディスカッションをリードすればいいと思います。

だから、たくさん知識を持っているんだけど、ディスカッションの世界ではso what? それはいったいなんの役に立つんだ、どう当てはめたらいいの? ということがよくある。その場面で、いろんなたとえ話ができること。たとえば物理のコンテンツをテーマに、実はサンクコストの話ができたりとか、いろんなアプローチを積み重ねることで、なるほど、そういう視点からの切り込みがあったか、ということで学びを深められる、っていうことを考えられますよね。

小西:どうでした、このペーパーは。

山本:やっぱり、重みが加わってただけあって、質問内容も深いなあ(笑)。

小西:実際にちょっと変わったことをやろうとすると目立つんですよね。誰か見ていてくれる、といういい例だと思います。

井上さん、最後にひとことお願いします。

井上:質問になってしまいますが、「教育の定義って何ですか?」って聞いてみたいんです。

学育っていう話もあったんですけど、僕はアイデンティティの確立を支援することだと思っていて、教育にかかわらず社会システムそのものが中央集権的よりは多様性の共存を認める社会になっていった方がいいと思っているんですね。そうすると個性が生きてきて、アイデンティティ、自我の確立ができてくるので。

その文脈に照らし合わせると、義務教育ってテクノロジーの進化で、もう無くしてもいいんじゃないかと思っています。ひとりの先生が40人を教えるというよりは、パーソナライズ教育とか、アダプティブ・ラーニングとか、その方がすごいインパクトが出るんじゃないか、と思っています。

中邑:これまでの教育というのは、個を育てるよりは社会のために資する人間を育てる、という流れの中にあったと思うんですよね。これからは、変わっていくだろうと僕自身は思っています。そこにテクノロジーをどう活用していくか、というのは議論の分かれるところだと思うんですけど、実際に学ぶスタイルを身につけさせることが教育の本質になっていくと思う。

実際にパソコンを与えて、ひとりで学びなさいって言うと、ほとんどの子はできないんですよ。ある年齢に達しないとできない。だから、幼少期っていうのは、テクノロジーによらない教育というのがまだ必要であるだろうし、その部分というのは、今の公教育の一部のシステムは活用すべきかな、と僕は思っています。

徐々に先生方も世の中の変化に付いていくようにシフトして行く時代に来ています。そこの改革が難しいのであれば、一回みんな辞めていただいて、ゼロから教員システムを作り上げていかないと移行が難しいんじゃないかな、と思っています。

山本:先生の仰るとおりで、今までの教育というのは工業社会の中で画一的な効率のいいものをみんなで目指していこう、だから知識も同じもの、同調的なものを理解して協調し合おう、というものだったんです。でも、これだけ世の中が繋がってくると、ある人の正義が別の人にとって悪である、ということが起きる時代になってきたんですよ。そうなったときに人と人が違うという前提において、どうやって分かり合えるかという妥協点を探り合うための場をつくるのが教育の役割じゃないかな、と個人的には思いますね。

ある人の本に書いてあって、なるほどと思ったことですが、これだけ繋がった社会では、人は三層構造に分かれていく。一番下はナショナリズムに縛られちゃう人。我々は日本人だから、こうあるべきだ、と考えちゃう人ですね。その次がマルチ・ナショナル。多国籍企業です。私も多国籍企業にいたんですが、僕たちは世界で共通のものを作っていると言っても、それは結局、企業のひとつの思想に過ぎないわけで、他の人を排除してしまいますよね。そして、一番上の層はインディビデュアルだと。個人として自分に自信を持っているので、同じように違う人を尊重できる。そういうところにどんどんシフトさせていく場の方が、これからの役割なのかなと個人的には思います。

<考察>

教育はこれからどこへ向かうのか? 偏差値の高い大学に行き、一流企業に入るという分かりやすいロールモデルが崩壊していくなかで、子供たちを学校という枠にはめて知識を詰め込むだけではない、新しいかたちの教育がどんどん出現してきている。ミネルバ大学のように国や校舎というグリッドを飛び出して、世界中から優秀な若者を集めてグローバルに社会で活躍できる人間を輩出するための教育もあれば、ROCKETプロジェクトのように学校というグリッドから飛び出して自由な学びを追求する教育もある。

この二者は教育に対するアプローチもベクトルも全く違う。しかし両者に共通しているのが、大人から子供たちへ一方的に「教育」を施すのではなく、子供たち自身が主体的に「学習」をするための環境を創り出している点だ。「教える」から「学ぶ」へのシフト。激しく変化する時代の中で、子供たちが生き抜く力を身につけ、既存のグリッドを越えていけるような人間になること。それがこれからの教育に必要なのかもしれない。

当日の動画

MORE ARTICLES

NEWSLETTER