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人類発祥の地アフリカから祖先の拡散の足取りを辿る旅『グレートジャーニー』を続けた探検家・人類学者・医師の関野吉晴さんをゲストに、好奇心は人間らしいのかどうか、探検することへの動機やグレートジャーニーを通じて見えてきた人間像、文化圏の違う人々との関係や自然との対峙について、そしてこれからの世界について語っていただきました。
<ゲスト>
関野吉晴さん 探検家・人類学者・外科医
1949年1月20日東京都墨田区生まれ。1967年都立両国高校卒業。1975年一橋大学法学部卒業。1982年横浜市立大学医学部卒業。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。その後25年間に32回、通算10年間以上にわたって、アマゾン川源流や中央アンデス、パタゴニア、アタカマ高地、ギアナ高地など、南米への旅を重ねる。その間、現地での医療の必要性を感じて、横浜市大医学部に入学。医師(外科)となって、武蔵野赤十字病院、多摩川総合病院などに勤務。その間も南米通いを続けた。1993年からは、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。南米最南端ナバリーノ島をカヤックで出発して以来、足かけ10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。2004年7月からは「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」をスタート。シベリアを経由して稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「南方ルート」を終え、インドネシア・スラウェシ島から石垣島まで手作りの丸木舟による4700キロの航海「海のルート」は2011年6月13日にゴールした。
1999年 植村直己冒険賞(兵庫県日高町主催)受賞
2000年 旅の文化賞(旅の文化研究所)受賞
2013年3月16日〜6月9日 国立科学博物館(特別展)「グレートジャーニー・人類の旅 ~この星に、生き残るための物語。~」
武蔵野美術大学名誉教授
人類には棲めないところは無い
アフリカで生まれた人類が世界中に拡散して、最も遠い南米大陸最南端まで達したその旅路を、イギリス人考古学者のブライアン・M・フェイガンが「グレートジャーニー」と名付けました。人類の特徴はなにか? 人類は700万年前にアフリカで生まれた初期猿人です。大きさはほとんどチンパンジーと同じ、ただ違うのは、二本足で歩いていたということですね。二本足で立って歩くのが一つの特徴です。実はその後、猿人は滅びてしまいます。
初期猿人もその後も猿人も滅んで、私たちと同じヒト属の最初の種が240万年前に出てきます。脳も少し大きくなって、背も大きくなって。でもアフリカから出ませんでした。そして、滅びます。その後、皆さんご存知の原人、これが180万年前に生まれます。そして初めてアフリカを出ます。アジアに来たのがジャワ原人、次は北京原人、そしてヨーロッパに行きました。でも滅びるんです。
そしてホモ・サピエンス。今では世界人口が76〜77億人になって、全員がホモ・サピエンスです。しかし、今までいろいろな論争がありました。ネアンデルタール人は同時代に中東やヨーロッパに住んでいたんです。彼らがホモ・サピエンスと混血したかどうかで論争がありました。20世紀の時点では混血していないというのが定説でしたが、分子人類学で遺伝子レベルの研究が進んでくると、実は混じっていることがわかりました。私たちには、2パーセントくらいネアンデルタール人の血が混じっています。しかし、アフリカ人はネアンデルタール人の血が混じっていません。純粋なホモ・サピエンスです。その後、ネアンデルタール人も滅びて、私たちだけが生き残ります。
そのホモ・サピエンスの特徴は何かというと、棲めないところがない、ということ。まず初めに熱帯雨林で生まれました。そしてサバンナに出て、砂漠にも5000m近い高地にも、さらにすごいのは熱帯雨林とは真逆の極北の国にも行っちゃうんですね。こんな動物は他にいません。例えばクマは熱帯から寒帯まで生息していますが、マレーグマとツキノワグマとヒグマとホッキョクグマでは種が違うんです。
例えばライオンとヒョウが混血して子どもが産まれますが、孫は生まれません。同じようにクマも、マレーグマとツキノワグマの間に子どもはできるけど孫はできない、種が違うからです。ところが人間は一つの種が、本当に住めないところはないくらい、南極大陸以外、世界中に広がりました。それが人間の最も大きな特徴です。
なぜ人間の脳は「肉食」で大きくなったのか?
よく人間の特徴は「道具を使うこと」とか「遊ぶこと」とか、いろんなことが言われますが、チンパンジーでも道具を使います。例えば、木の枝を取って皮を剥がして、シロアリの巣穴に棒を突っ込んで、食いついて来たシロアリを引き上げて削ぎ落として食べるということをやっています。あるいは、南米のフサオマキザルは他のサルが噛み切れないほど熟した硬いヤシの実を石で割って食べています。これは明らかに道具です。
人間の特徴は何かというと、道具を使って、さらに複雑な道具を作ります。遊びは、サルたちもしますが、本来野生動物というのは子孫を残すことと、自分の身体を維持することにほとんどのエネルギーを使います。でも、私たちは遊ぶことにかなりのエネルギーを使います。他のサルやゴリラも遊んだりしますが、遊びの度合いが違います。
では、脳の大きさはどうか。猿人は400g、私たち人類は1300〜1500gあります。では、なぜ大きくなったのか? それは道具と関係していて、道具を使って何か他の道具を作っていくうちに手先を使うようになった。そのためには脳を使わないといけない。そのフィードバックで脳が大きくなって、さらに精巧な道具ができて、その繰り返しで脳が大きくなった、皆さんはおそらく学校でそう習ったんですが、それがいま変わって来ています。答えは、肉食です。
人は、食べられて進化した?
人類の先祖は類人猿でもサルでもありません。サルや類人猿と共通の先祖から私たちは生まれました。恐竜が滅んだ時に、私たちはどんな状態だったか、それは小さなネズミみたいな存在で、もう恐竜の影に隠れて、夜に行動する虫を食べているような生き物でした。それが森に入って、そして私たち人類が生まれます。そして、たぶん僕は森を追われたんだと思いますが、世界中に拡散していった。そのとき、いつ肉食を始めたのか?
名作と呼ばれている『2001年宇宙の旅』という映画では、原始的な人類が石器で動物を獲って、それを食べる。そしてその石器がいつの間にか人間同士が争う武器となった。そういう説をベースに映画が組み立てられましたが、今それは誤りだと言われています。それはなぜか? 彼らが使った石器が見つかっていないんですね。逆に、違う証拠が見つかってしまった。人間の骨です。その骨には二つの穴が空いているんです。同じ穴がいろんな骨に出てきます。その穴を調べて、一致したのがヒョウの牙でした。『ヒトは食べられて進化した』という本がありますが、人間はまさに食べられていたんですね、食べたんじゃないんです。
そして240万年前に、やっと肉食が始まりました。初めに肉食を始めたのがホモ・ハビリスという人たちです。しかし、その時に彼らは狩りをしたわけではありません。ライオンやヒョウの食べ残しを食べていました。ライオンやヒョウは内臓が一番好きです。そして、腹一杯になったらいなくなります。その後にハイエナが来ます。そして彼らがいなくなってから、やっと死肉にたどり着きます。でもその時にまたライバルが来るんです。チンパンジーです。
チンパンジーは今でもアカコロブスというサルを狩って狩猟するんですね。ただ、チンパンジーと人は違う食べ方をしました。チンパンジーはその場で食べるんです。なぜだかわかりますか? 簡単です。独り占めできるからです。
チンパンジーは分配することをしません。しかし人間は仲間のところへ持って行って食べました。でも例えば20人のグループの中で、5人だけで分けたらどうなるか? 他の連中が怒ります。するとグループは崩壊します。たまたま平等に分けた人たちがずっと生き残ってきたんだと僕は思います。人類学者は「エビデンスはあるのか?」というのですが、証拠はあります。それはいま生きている狩猟民が平等社会なんです。蓄えることをしません。
アマゾンではバナナ、芋、里芋、肉、魚、食べものが1週間も保ちません。燻製にしてやっと1週間ですね。それ以上経つとウジが湧いてしまいます。ですから、蓄えられない。ということは、いつ食べものが採れるかわからない状態で常に分け与えてきたということです。獲物を群れに持って帰ると、20人いたら1/20になってしまいます。でも別の時期に他の仲間が1/20を持って来てくれて、長い目で見たら20/20になったり、それでバランスを取れるんですね。だから長い目で物事を見られるというのも人間の特徴です。
それが崩れるのは、農耕が始まってからです。アマゾンの狩猟民も焼畑をやっています。焼畑というと日本では悪者のように思われていますが、全く逆です。植物生態学者がびっくりするほど、持続可能な農法なんですね。でも彼らは蓄えません。分業が起こったり格差ができるのは集約農業が始まってからです。米、小麦、大麦などの穀類ができて初めて蓄えることができた。そして蓄えることで分業が起こりました。穀類ができて、貯蔵して、分業が起こって、そこで初めて王様などが出てきて、王国を作るんですね。それが私たちの歴史です。そして格差が広まってきたのが現代です。
人類は、なぜ移動しなければならなかったのか?
人間はアフリカで生まれて世界中に散って、一番遠くまで行った人がアラスカ・シベリア経由で南米最南端に行きました。5万キロを超える距離です。
僕は、南米の人がどこから来たか? という発想で旅を始めたので、南米の最南端からタンザニアまで旅をしました。旅のルールは、自分の腕力と脚力で行くこと。カヌー、カヤック、徒歩、それから自転車、時にはスキーを履きました。家畜は、ラクダ、犬、トナカイ、馬ですね。ただ載せてもらうのはダメだけど、トレーニングして乗れるようになったらいいというルールです。足掛け10年の旅でした。
人類が、世界中に住めない場所はないくらい開拓していったわけですが、他の動物にはないその原動力はなんだと思いますか? 私は、好奇心と向上心だと思っていました。あの山を超えたら何があるんだろうという好奇心、あの山を超えたらもっといい暮らしができるんじゃないかという向上心。その二つが重なって、世界中に広がっていったのだと最初は思っていました。確かにそういう部分もあったかもしれません。あるいは、獲物を追っかけているうちに移動してしまったということもあったかもしれません。しかし、僕の最終的結論はそうではないところに行き着きました。
もし好奇心と向上心で南米最南端まで行ったのなら、要するにグレートジャーニーを成し遂げた人たちは一番向上心、好奇心が強いということになる。進取の気性に富んだ人たちのはずです。ところがそこに行ってみると、実は南米大陸の最南端まで行くと、農耕はおろか狩猟する動物もいなくなっちゃうんです。でも、そこまで行ってしまったんですね、人類は。そこでどうやって暮らしているかというと、ムール貝に似たつぶ貝の仲間や、ホタテ、タラバに似たカニが採れます。食料には困らないんですが、南緯55度は非常に寒いです。生活するにはとても大変な場所です。
グレートジャーニーは、今も続いている
例えばラオスに行くとモン族という人たちがいます。これは悲劇の民族で、ベトナム戦争の時にアメリカのCIAによって引き裂かれてしまいました。元々中国出身で、長江の流域に住んでいましたが、戦乱から逃れるために、高原地帯に隠れるようにして米づくりをしてきた民族です。彼らは逃げるようにして移動していった。多分グレートジャーニーを成し遂げた人たちも、好奇心と向上心ではなくて、追い込まれた、むしろ追い出されたんじゃないか。
本当は人間には保守的な面が強いので、住み慣れた場所からは出たくないんですね。同じところに住んだ方が楽です。人間が住み良い場所では人口が増えます。人口が増えると許容範囲が超えるところまで行きます。するとどうなるか? 誰かが出ていかないといけないんです。その時に既得権を持った人は出て行きません。そこで弱い人たちがフロンティアに行くわけですが、そこでパイオニアになれない人たちは滅びます。パイオニアになれた人たちはその場所に適応して、新しい文化を作って、そこを「住めば都」にしてしまうんですね。ところが、また人口が増えていくと押し出される人たちが出てくる。グレートジャーニーはその繰り返しで行われたのではないかと、僕は思うようになりました。
ただ、押し出された人たちがいつまでも弱いままではない例がたくさんあるということです。多分日本列島にやってきた人たちは本当に弱い人だったと思います。これ以上東にいけませんから。イギリスもまた、ヨーロッパで一番弱い人たちがこれ以上西にいけない島に追いやられたんだと思います。ところが良いか悪いかは別にして、日本はアジアの強国になった。イギリスは世界を制覇したこともあります。
ですから、弱いものが最後まで弱いままではなくて、文化、特に経済力と軍事力で勝れば、自分たちを押し出した人たちを逆に負かしてしまうこともあるわけです。それが人類の歴史じゃないかと思います。こんなことを人類学会で言うと「エビデンスはあるのかい?」と言われるんですね。でも、エビデンスを見つけました。それは日本にありました、明治になってからの移民です。
移民はどういう人たちだったか。長男は土地をもらえるんです。たぶん、明治時代の8割以上は農民でした。その中で、土地をもらえるのは長男だけです。あとは、家主の手伝いをするか、街に出て働くしかない。その中で南米にいったり、ハワイに行ったり、アメリカに行ったり、満州に行ったりする人もいるんですけども、その人たちが移民です。土地をもらえない弱い立場の人たちが土地を求めて日本から出て行ったわけですね。そういうことを考えて行くと「グレートジャーニー」という名前は間違っているんじゃないかと思うようになりました。なぜかというと「ジャーニー」とは旅です。旅とは、元の場所に戻れる人たちがするものです。いま日本にはアジアからたくさんの人がやってきますが、強い人は骨董品を買って、山を買って、温泉街を買って、そして帰って行く。でも本当に弱い人たちは大久保あたりにいます。彼らは帰りません。そこで一生懸命お金を貯めて、故郷に仕送りしたり家を建てたりします。
ですから「グレートジャーニー」ではなくて、「グレートイミグレーション」と言った方が正しいと僕は思っています。それは現代も難民問題としてずっと続いているわけです。
あなたはどこの川から来たのか?
僕は「地球永住計画」という活動を武蔵野美術大学でやっています。サブタイトルは「この星に生き続けるための物語」です。これには主語がないんですが、主語はなんだと思いますか?
地球は壊れないんです。原水爆弾が全部爆発しても地球は地球です。壊れるのは生態系です。ですから、地球じゃないんです。主語は人間ではありません。全ての生き物です。私たち人間は、人間だけでは生きていけません。他の生き物がいるから人間は生きていける。もし植物がいないとどうなるか? この近代的な快適な管理された空間、夏は涼しく、冬は暖かい空間というものが全部失われても、植物さえあれば私たちは最初からやり直せます。だけど、植物を失くして、近代的な快適な空間だけを残したらどうなるか? まず食べ物が無くなります。光合成ができないんですね。光合成ができるのは植物だけです。太陽の光と二酸化炭素、水だけで有機物を作る。それを動物はできない。植物が光合成をしてくれて、草食動物が生きられて、そして肉食動物が生きられる。それがみんな繋がっているわけです。
アマゾンの写真を見ると、豊かに見えますよね、樹々がこんもりしていて。ところが温帯の私たちの土壌と比べて、腐葉土が半分くらいしかない。土壌が貧しいんです。土壌が貧しくても、樹がモコモコと繁ることによって生態系を保っているんです。この下に降りて森に入ると、いろんなことに気づきます。まず、同じ樹が見当たらない。なぜだと思います? いろんな木が生えることによって、根の張り方、養分が違う、それで生物の多様性を保っています。もう一つは、樹々が重なったモコモコした部分を樹冠と言います。樹の高さは40mくらい、高いもので80mくらいの木もあります。その樹冠が強い雨足と強い日射を遮ってくれるんですね。
ですから森の中に入ると、まず暗い、日光が届かないんです。ということは、下生えがないから走れます。ですからサルを追っかけられるんです。
実はこの森に住んでいる人たちがいます。私がこの人たちと会った時には、自分たち以外の他の民族のことを知らなかった。私が初めてだったんですね。ブラジル国境に近いペルーの森に棲んでいますが、ペルー人という意識はありません。国なんて知らないですから。
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普通だったら、僕が海外を歩いていると「中国人なの? 韓国人なの? 日本人なの?」とよく聞かれます。でもここには国という概念がないから、「あなたはどこの国から来たの?」ではなく「どこの川から来たの?」と聞かれます。
それはなぜかというと、彼らは自分たちが生活する川の流域のことを手のひらのように知っています。どこにいけば、魚が取れ、獲物が捕れ、土器を作る粘土が取れ、薬草が取れるか。隣の川に行くには尾根を超えなければいけないので滅多には行かないんですね。行ったことはあっても、自分の川ほど知りません。隣の隣の川には行ったことすらないんですね。森と川が彼らの世界。彼らの世界地図は森と川なんです。
僕が「多摩川」と答えると「え? 聞いたことないな、それは遠いのか?」って。どのくらい遠いのか、これを表現するのは難しくて、彼らが数字を数えるのは3まで、4から先は数字ではなく「たくさん」という意味になります。例えば、彼らのところに行くまでに10日間かかります。成田を出て、北米経由でリマに行って、クスコまで行って、トラックで超えて、カヤックに乗って、最後は歩いて。待ち時間なしで1週間から10日、これを表現するのに数字は使えないんです。だから月の大きさで伝えます。満月から次の新月に行くちょっと手前くらいかかるというと、ウンウンと頷いて「隣の川と同じじゃない」って言うんです。
私はこの人たちと45年付き合っているんです。最初会ったとき1歳だった子がもう40半ばで、PTAの会長をやっています。5年前に行った時に、やっと小学校ができた。写真の一番左の子、いま15,6歳ですが、日本の昔と同じで15,6で子供を作って、だいたい30過ぎて孫ができて、50だとひ孫。
小学校に行っている子供はスマホを持っていました。最初「えっ?」と思ったんですが、なぜそう思ったかというと、やっぱり心の底に「私たちは彼らより優れている」という思い込みがあるんですね。なぜなら、スマホを使いこなしているから。でもよく考えみてください。私たちはスマホやパソコンを使いこなしているけど、スマホやパソコンを作れないですよね。彼らもパソコンなんて1日あれば使えるようになります。スマホも1日あれば充分です。だから、びっくりする必要はないんですね。
ものづくりの歴史を辿ると、旧石器時代や縄文時代には、ものづくりの基本的な手仕事でできる技術は全部作られているんですね。その繋がりの中に私たちがいます。ですから、私たちは急に目覚めて文明を作ったわけじゃなくて、いきなり機械文明、情報化社会になったわけじゃなくて、やっぱり遠い先祖からの技術の積み重ねで今の私たちがあるんです。
「今を生きる」とはどういうことか
この人たちは狩猟をしています。農耕民と違いが際立っています。なぜかというと、彼らが一番大事なのは「今」です。彼らと狩猟に行ったときに、一緒に隣の川に行こうよと言うと、嫌がるんですね。隣の川の仲間に「よそ者を連れて来た」と罵られる恐れもあると言って、なかなか行きたがらないんです。でも毎日のように「行こうよ行こうよ」とお願いすると「仕方ないなあ」と動き出す。出かけることに決まると「僕も私も」とみんなついてくる。ところが朝に出発して、お昼前には「足が痛い」とか「お腹が空いた」「疲れた」って言うんです。僕はビザの関係があるから夕方まで進みたいので、午前中から彼らと言い合いです。「そんなこと言うんだったら給料払えないぞ」という脅しは効かないんです。彼らは面白いと思ったから来ているだけなので。
仕方がないから2時か3時に「ここでキャンプしようか」と言うと、彼らはさっと森で木を切って、小屋を30分で作ってしまいます。疲れた、腹減ったと言っているから、すぐそこでバタンキューかと思いきや、嬉々として弓矢を持って森へ行くか、釣りに行くんですね。なぜだろうと思うと、彼らの狩猟は嫌な「労働」ではないんですね。面白くて仕方ないことなんです。自分たちの今まで得てきた知識、動物生態学者顔負けの知識を全部使って、なおかつ想像力も発揮できる。森の状況はいつも違うわけです、同じことは起きません。自分の能力をいかんなく発揮して、成果はその日のうちにわかる。何も獲れないかもしれないけど、うまくいけばバクやシカといった大物が獲れます。
私たちの社会は工業社会だ情報社会だと言っても、基盤は農業です。農業をやっている人がいなかったら、私たちは食べていけない。そして農民はどうかというと、その日に成果が分からない。タネを蒔いて待っていれば収穫できるかというと、草取りなどがあるから大変で、辛いです。でも収穫の喜びがあるから、我慢してやっているんですね。ですから、いつも将来のために頑張っている。それは工業社会になっても同じです。極端な言い方をすると幼稚園の時から、いい小学校入るため、いい中学入るため、いい高校入るため、いい大学に入るため、いい会社に入るため、いいポストに就くため、全ての「今」の楽しみを犠牲にしているとも言えます。今を大切にしていないかもしれません。
彼らは、あまり遠い先を見ていません。極端な民族がいます。ブラジルのピダハンという民族の言語には未来形と過去形がない、先祖崇拝もしません。だから墓を作りません。なぜかというと、今あるものしか信じないんです。色もない、方角もないです。今が大切なんです。
宣教師が入っていって、彼らのために聖書を作ろうと思ったのですが、聖書を捨てます。なぜかというと、彼らは文明を受け入れないんですね。聖書がなくても楽しそうなんです。であれば、布教する必要がないじゃないかと。それで彼は無神論になってしまいます。彼はその後サンパウロの大学に入って、言語学を学んで、彼らの言葉を勉強しました。過去形、未来形がないとどうなるか? 過去がないから後悔しないんです。未来がないから不安がないんです。一方、私たちは「目標を持って生きろ」と小さい頃から言われてきたので、目標がないと生きていられないんです。でも、そうじゃない人もいるということですね。
言語は実は新しい技術です。700万年の人類の歴史の中で、6~7万年前に発生したと言われています。チンパンジーやゴリラは人間に一番近い野生動物ですが、実は人間と彼らとの大きな違いは、ピダハンと同じなんです。それはどういうことかというと、過去がないんです。過去がないと何が起きるのかというと、例えばサルも木から落ちると言いますが、チンパンジーも木から落ちると骨折します。そうすると、私たちならどうしますか? 後悔しますよね。「あの時あの木に登らなければ」と後悔します。しかし彼らはそう思いません。足がもげたらもげたで、それを受け入れて生きるんです。過去はないんです。「あ、俺足がないんだ。あ、もう歩けないんだ。」でもそれで生きて行く。それが私たち人間との違いです。人間の特徴は、ちゃんと未来があって、過去があるんですね。
アマゾンの住民にも過去と未来がやっぱりあります。明日、明後日、近い未来、近い過去です。でも、挨拶を見ると、やっぱり似ています、ピダハンに。僕が彼らのところに行くと「アイノビ」って挨拶します。すると「アイノ」と返ってきます。私たちの言葉では「物がいる」「人がある」とは言いません。「ある」と「いる」を区別していますが、「アイノビ」は両方を意味しています。ビは接尾語で「お前」です。過去と比べてどう変わったかはどうでもいいことで、いま「いる」か「いない」かが大事な挨拶になっています。これは大阪の「儲かってまっか?」の対局の挨拶です。生きているだけで、十分ということです。
アマゾン風豚の丸焼きの会
彼らが一番怖がっている動物はイノシシです。ジャガーより、ワニよりも大きい。これが300頭くらい集団で向かってくるんです。その通り道に出会ったらおしまいです。ところが、ちょっと避けると彼らは猪突猛進ですから、前を横切ってくれる。そこを横から弓矢でピピッとやると、10頭くらい獲れます。それを燻製にして食べます。もちろんサルも食べます。
いつも僕は武蔵美の学生たちと「アマゾン風豚の丸焼きの会」というのをやっていて、高さ70センチくらいのやぐらを作ります。生木じゃないと燃えてしまいます。弱火で24時間いぶすと、燻製ができます。それで1週間持ちます。生だと3日でダメになります。燻製も1週間以上になるとハエが卵を産んでウジがわきます。それは流石にアマゾンの彼らも食べません。
彼らは平等社会ですが、実は物に対する所有権はあります。野生のヤシの木でも「俺のものだ」と言います。しかし私たちと違うのは「俺の土地だ」とは言いません。それはアメリカインディアンも同じですね。ですから、ヨーロッパ人がくると、争いごとが起きます。ヨーロッパ人はすぐ柵を作って「俺の土地だ」と主張します。しかし原住民はそんなもの見たくないですから壊します。するとインディアンは悪い人になっちゃうわけですね。
彼らは焼畑もやっています。でも木は全部切りません。木の間にバナナを植えたり、里芋やとうもろこしを植えたり。これは森の真似をしているんですね。違う木を植えることによって、根の張り方、栄養分が違うので、森と同じような環境になります。そして2年間で畑を捨てます。そして次の場所で焼畑を作ります。2年ごとに場所を変えていって、50年後くらいに戻ってくると、また元の森に戻っています。見た目は10年で戻っていますが、厳密には100年くらいで元に戻ると言われています。
そういうことを繰り返しているので、まさに彼らこそが持続可能な農業をやっている。彼らは1の投入エネルギーに対して、16の収穫があると言われています。大型機械を使う近代的なアメリカ型の農業は1に対して0.2です。機械化をすると石油を使います、機械を作るのにも膨大なエネルギーが必要です。彼らがいかに持続可能な農業をやっているかということがわかります。
今の地球は氷河期
それから、いま温暖化と言われていますが、今後必ず寒冷化します。いま実は氷河期だということを知っている人はどのくらいいますか? 実は今は氷河期なんです。氷河期の中の間氷期なんです。これから寒冷期を迎えると、バイオマス、特に植物の量が絶対的に減るんです。私たちの世代が生きている間には起きませんが、必ず寒冷化が起きます。では氷河期ではなかった時代はいつかというと、南極の氷がなかった時期があります。それが、氷河期ではない時期です。
この星は本当に奇跡的な星です。さきほど「地球移住計画」と言いましたが、これは火星移住計画に対する言葉です。火星に行きたい人はどのくらいいますか? 火星に行ったら子供が作れません。大気圏を出たら宇宙線で被曝するからです。そしてオゾン層が紫外線から守ってくれています。地球の重さの33パーセント、1/3は鉄です。だから磁石が使えるんですね。地球自体が磁石なんです。そして磁場があります。その磁場が宇宙線をはじき返してくれて、そのはじき返した光がオーロラです。火星に行ったら磁場がありません、酸素もありません。ですから、地球はかけがえのない星です。地球と同じような星はあるかもしれませんが、それは人間が到達できない距離にあります。
MON-DO(問答)
会場:グレートジャーニーで海を渡った人たちがいましたが、海の向こうに島も見えない、土地があるのかどうかもわからないのに、なぜ彼らは海を渡ったのでしょうか?
関野:海を渡った歴史はオセアニアにあります。5〜7万年前だと言われています。人類が南米最南端に到達したのは1万2千年前なので、はるか前に彼らはインド洋沿いに歩いて、海を渡ったと言われています。ですから、ニューギニアの先住民とアボリジニーはアフリカ人と似ていますよね。皮膚が黒くて毛が縮れ毛です。それが一番古いグレートジャーニーです。日本に人類が到達したのは4万年前です。一番新しいグレートジャーニーは、例えばハワイは約1500年前、イースター島が約1000年前、ニュージーランドは800年前です。
なぜかというと、一つは島が小さすぎると狩猟採集では生きていけないんです。沖縄本島くらいの広さが必要です。だから、4000年くらい前に農耕ができるようになってはじめて、小さな島々に出て行くことができました。もう一つは航海術です。要するに、太平洋を渡らないといけないんですね。今の近代ヨットは真正面から風が来ても、ジグザグに進めば前に進めるんですが、昔の船は後ろ風でしか動きません。太平洋を渡るためにはその技術が必要でした。
初期の人類は、1万年前までは航海術がありませんでした。その証拠はどこにあるのか? マダガスカルにあります。マダガスカルはアフリカから海を渡ってすぐの場所にあります。でも、先住民はアジア人なんです。一旦アジアに出てからマダガスカルに来たんですね。だから、最初の人類は世界中を歩いて移動しました。ベーリング海峡も陸続きでした。2万年前は今よりも120m海面が低かったんです。ベーリング海峡は一番深いところで50mしかありません、そこを歩いて渡りました。それが最初のアメリカ人、1万5000年前です。コロンブスがアメリカに着く1万年以上前です。彼らこそが最初のアメリカの発見者なんです。そこから南下した人たちが、アメリカインディアンであり、マヤインカの末裔です。
では、なぜ5~7万年前の人々がオセアニアに渡れたのか? 実はインドネシアを旅しているとわかりますが、島伝いに移動できるんです。海の向こうに陸が見えるんです。しかし、彼らは泳いで渡ったわけではないと僕は思っています。
ところで、アフリカでゴールしてから2ヶ月後には武蔵野美術大学の教壇に立っていました。それから16年間教壇に立って今年で終わりなんですが、大学の休みを利用して、毎年平均5ヶ月、海外に出ていました。何をやっていたかというと、新グレートジャーニーで、この日本列島にはどのように人類が辿り着いたのか、それを探る旅をしました。いろんな人たちが、いろんなルートでやって来て、混血してできたのが私たち日本人です。聖徳太子は日本人ではありません。8世紀になって初めて「日本」と名乗り始めたわけで、大和朝廷はまだ日本ではありませんでした。
日本はもちろんアイヌ民族国家でもありません。アイヌは言葉が違います。昔は縄文人は南方系だと言われていました。しかし分子人類学の発展によって、北方系の縄文人もいるということがわかってきたんですね。アイヌは北方系の縄文人の子孫です。
いろんなルートを全部渡るわけにはいかないので、主要の3ルートを旅しました。ヒマラヤ北部からサハリンを経由して北海道へと到達した「北方ルート」。東南アジアから島伝いにオセアニアへと移動し、黒潮にのって九州に到達した「海上ルート」。これがメインのルートですが、ヒマラヤ南部からインドシナ半島を通り朝鮮半島を経由して九州へと到達した「南方ルート」、これは比較的新しい時代のことです。
研究者が一番否定するのは「海上ルート」です。このルートを旅するとき、僕は船を作りました。当初はインドネシアに行って、古い船を見つけだして再現しようと思ったのですが、熱帯ですから木は腐ってしまうので、もう実物が無かったんです。だからコンセプトだけを昔のようにしようと、アマゾンの人たちにヒントを得ました。彼らの家に入ると、柱、屋根、かご、敷物、芋の皮、素材が分からないものがないんです。
みなさん持っているものと逆ですね、素材が分かるものはないです。あるいは自分で自然から育て取ってきて作ったものを持っていますか? よくいるのは女の人で「このセーターは自分で編みました」と言うのですが、じゃあアルパカや羊の毛を刈って、作りましたかと聞くと、「いや、糸は買ってきました」って。だから私たちはいかに自然と離れてしまったかということですね。しかし彼らは今でもそれをやっているんです。
ただナイフだけは別です。そこが鉄の凄さです。地球の1/3は鉄ですが、いま世界中でゴムもプラスチックもグラスファイバーも金も銀も、そんなものなくてもいいという人は何億といます。でも、鉄の世話になってない人は一人もいません。40年前にニューギニアには石器だけで生きていた人がいました。しかし、いったん鉄を使ってしまうともう戻れません。いまだにアマゾンでは新部族が発見されていますが、彼らはナイフだけは持っているんです。本当に必要なものは交易だけで伝わっていきます。それは鉄だけです。これが鉄の凄さです。
鉄を制するものは、世界を制する。確かにそうなんです。つまり軍事力と経済力です。経済力の元は農業です。農業は全部鉄でした。軍備も全部鉄でした。だから鉄を制するものは世界を制したわけですね。私たちの身体は、男だったら1日に7gの鉄が必要です。赤血球、ヘモグロビンです。そのたった7gが無くなったら1日持たないんです。さきほど言った磁場も含めて、いかに鉄がすごいかということです。
話が脱線しましたが、なぜ5~7万年前の人々がオセアニアに渡れたのか? 僕は草舟だと思っています。僕は江戸川で葦舟を作りました。6mの葦舟を作るのに、ものすごい量の葦を1日がかりで刈ります。山のようになった葦を束ねて、ロープとタコ糸で巻いてギューっと締めていくと、丸太ができるんです。それを4つか5つか結び合わせるとイカダになるんです。浮力があれば、葦じゃなくても稲穂でもススキでも何でもいいんです。
葦舟作って航海していると、1日1センチずつ沈んでいきます。でも心配はないんです。20mの葦舟を作ることができます。厚さ3mなので、1m沈むのに3ヶ月かかるんです。濡れると重くなって、キールの代わりになります。もっと湿ってきたら上陸すればいいんです。全部ほどいて乾かすともう一回作り直せます。僕の仲間の石川仁が全長20mの葦舟で太平洋を横断しようとしています。
もう一つ重要なことは、日本まできた人がそうだけれども、一世代かけて一つの島を渡ればいいんです。私は自分で1年かけて砂鉄集めて、炭焼いて、たたら製鉄やって、工具を作って、インドネシアに行って、木を切って、自然から取った素材だけで船を作って、3年かけて航海してきました。だけど、昔の人はそうじゃないんですね。昔の人が一世代かけて一つの島を渡るところを、私は1年で来ようとした。これは無理に決まっています、危険が伴うから。昔の人は一世代かけて一つの島ですから、海を渡るのに一番安全な時がいつかというのを知っているわけですね。だから、それほど危険じゃない。だからそうやって広がってきたんだと思います。
CC BY-SA 2.0,Dennis Jarvis Bolivia-130,Reed Boat(https://www.flickr.com/photos/archer10/2218109064
会場:グレートジャーニーではなくグレートイミグレーションだ、という話がすごく面白かったです。いま地球にはフロンティアがほとんど残っていないと思うのですが、今後グレートイミグレーションはどういう形で起きるのか、どうお考えでしょうか?
関野:フロンティアに行くんじゃなくて、住みやすいところに行く。経済難民は普通認められてないんだけど、政治難民はたくさんいます。でも経済難民もいるわけですね。豊かなところに流れて行く、それは普通の流れですね。南極大陸は私有地としては国でさえも認められていません。宇宙もそうです。フロンティアは無いんですね。パタゴニアの一部やニューギニアの一部には人がまだ一度も踏み入れたことがない場所がありますが、そこに行こうとは思わないですね。
面白いのは、ベーリング海峡が陸続きだった時に、人類は新大陸に渡りました。しかしその後また大陸が2つに離れてしまったんです。1万年前ですからまだ農耕もない、採集狩猟の段階です。この旧大陸と新大陸で何が起こったか? 同じ採集狩猟期の人類を二つに分けて、どう発展していくかを見られたのですが、そこで驚くことが起こったんです。両方とも5000年くらい前にピラミッドを作ります、神殿を作ります、両方とも農耕を始めます。家畜も飼いました。ただ、植物や動物の種類が違う。でも同じようにやるんですね。しかしこの2大陸の間には交流がないんです。
交流がなかった証拠は何かというと、もし交流があったら、新大陸原産のジャガイモトマト、ピーマン、唐辛子が伝わらないわけがない。イタリアには500年前まで唐辛子もトマトもなかったんです。ですから交流はなかった。ただ、カナダからアラスカにシーカヤックで旅した時、出発する港に江戸時代の難破船が飾ってありました。日本近海で難破したら黒潮に流されて、実は新大陸に辿り着きます。でも、帰れないんですね。来たのに帰れないなら、それは交易にはなりません。
ペルーに天野博物館という、日本人が作った博物館があります。そこに展示されている古い土器には人の顔がたくさん残っていて、明らかにアラビア人、黒人、中国人の顔があります。それを見たら、交流があったのではないかと思うけど、実際には来ただけなんです。帰っていない。ですから、交流はないと僕は思っています。新旧2つの大陸の間に交流がなくても、同じように人間は発展してきたということです。
会場:関野さんは探検家でありながら、なぜ医師という道を選んだのでしょうか? そしてそれが旅でどのように活かされたのかお聞きしたいです。
関野:僕は8年間一橋大学という文科系の大学にいました。在学中に最初に行った海外がアマゾンで、1年間滞在しました。その後も7ヶ月アマゾンにいました。そこで、将来何をしようか決めなきゃいけないわけですが、実は探検家になりたいと思ったんですね。じゃあ、どうするか。探検家という職業はありません。昔はありました。コロンブスとかマゼランとか。あるいは、北極点に行ったり南極点に行ったり、みんな国を背負っていました。国のスポンサーです。そういう職業があったんです。
しかし彼らはあまりいいことはしていません。文化人類学者もそうですが、侵略するに当たってどうやったらうまく植民地経営ができるか、風習や性格などを調べるわけですね。それが探検家であり、文化人類学者でした。
でも、人類がエベレスト登って南極点にも北極点にも到達して、世界中行き渡ってしまったら、もう探検家というのは職業ではなくて、ただ「面白いからやっている」でしかないんです。そのためには他の職業を選ばなきゃいけない。選択肢としては、ジャーナリスト、写真家、研究者なんですが、自分の気分として、アマゾンの人々を調査したり取材対象にしたくなかった。友達でいたかったんです。
彼らのところに入っていった時に、図々しくも泊めてください、食べさせてくださいとお願いする。その代わりになんでもしますからと言っても、ジャングルでは足手まといになるだけで何の役にも立てません。でも医者になれば少しは役に立つかもしれない。だから、一から受験勉強をやり直して、横浜市大の医学部に入るんです。でも医学部に入ってからも夏休み2ヶ月と春休み2ヶ月は南米に行ってました。ですから6年のうちに2年間は南米に行っていました。でも今はこれは絶対できないと言われています。覚えなければならない情報量が昔と今で全然違うんです。だから今の人はガリ勉です。そうしないと医者になれません。ガリ勉しないと国家試験に受からない。それが今問題になっています。ゆとりがないんですね。本当はもっと他の教養とか、むしろ優しくて丁寧な方が重要なのですが。
そして、医者になったらなったで、また問題がありました。医者が自由業だと思ったら自由業じゃなかったんですね。結局どこか長期で海外に行くときは、辞めないといけない。でも病院に入ったら3年くらいは勤めないとダメなんです。というのも、医師にとっての一番の教科書は本じゃなくて患者さん。同じガンでも、どこの部位にできたか、どういう型か、どういう進行力か、合併症は何か、全然違うんです。必死になって勉強することが患者さんのためになるし自分の勉強にもなるので、本で読むよりも身体で覚える。そして、病院を辞める時はパッと辞めて、アマゾンにいるときは一切病院のことは考えない、ということを繰り返して、グレートジャーニーを始めて、ということをやってきました。
会場:『人類は何を失いつつあるのか』という、京大の山極先生との共著を拝読しました。そこで、人間は未来を見るがゆえに「教育をする生き物だ」と書いてらっしゃったのですが、それについてもう少し詳しく教えていただけますか?
関野:お前どこの川から来た? と言っていた人たち、マチゲンガという部族の人たちですが、彼らはそんな遠い未来を見てないし遠い過去も見てないので、教育もありません。教育はありませんが、痛みによって覚えたり、男の子だったら兄貴や親父の姿を見て覚えている。自然が先生と言ってもいいかもしれません。彼らは小さい頃から、弓矢は自分で作って、小動物を狩ります。教育という意味では彼らと僕たちと違うんです。
ただ文明化したら遠くを見なければいけない。でもいまはそれができていないんです。僕の食い扶持はメディアです。新聞や雑誌やテレビですが、昔はプロデューサーでも「お前なんか頼りないけど、将来何かやりそうだな」と思うと、ポンとフィルムをくれたり、海外に行って来いと言う人がいたんです。
ところが今メディアでそんな人はいません。長期的な評価はありません、1年で、あるいは場合によっては半年で評価されるんですね。若い人たちは、今そうなってしまったんです。美大でさえも課題を出して3ヶ月でやってこいと言われます。1年で成功しろと言われたら、そつなくやるしかありません。でも、何回失敗してもいいから10年後20年後に何か結果を出せと言われたら、どうしますか? 実験的なことにチャレンジできるんです。それが今の社会にはないんです。それが問題です。チャレンジできないから衰退するに決まっているんです。だから、それを教育でも考えないといけない。
だから、これから教育も変わってきます。試験も変わってくると思います。試験にスマホを持って来ていいよと言われたらどうしますか? 知識を問う問題は出ないんです。センスです。あるいは、生きていく力、問題解決能力なんです。
僕が最初に入った病院が武蔵野日赤病院なんですが、面接でいきなり質問されたのは「世界中の人が急にみんな目が見えなくなったら、世界はどうなりますか?」ということ。考えたことないことを聞かれると、心の底を見られるような感じがします。それに答えないといけないんです。これからの試験にはそんな問題が出るようになるんだと思います。自分が今まで生きてきて得たものを全て掘り出してきて答えなければならない。それはいいことだと思います。ただ、恣意的になる怖さはあります。こいつ気に入ったから、この子可愛いから、という理由で選んでしまう可能性もあります。
(代表理事 )井上:4つほど伺いたいことがあるのですが、関野さんが答えたいものだけお答え下さい。まず一つ目は、関野さんの考える叡智とはなにか、人間らしさとは何か、一言でいうとなにか。2つ目、人類は農耕によって分業社会になって、格差が発生して現代に至りますが、今後の人類の発展型として狩猟採集型の方へ向かっていったほうがいいんじゃないかと思っているんですが、それについて考えを教えてください。
三つ目、3/20は国連が定めた国際幸福デーなのですが、関野さんの考える「幸せ」とはなんでしょうか。最後に、グレートジャーニー足掛け10年でゴールした時はどんなことを感じましたか?
関野:まず人間は計画的だということです。他の動物は未来と過去がなくて、計画的に動いていないんですね。唯一、僕がアマゾンでこのマチゲンガの人たちの森で見たサルがいます。ピグミーマーモセットという100gもない小さなサルですが、木を引っ掻くんですね。木を引っ掻いてどこかに行って、戻ってくると白い樹液が出ていてそれを舐める。これは将来を予見して行動をしているヒト以外で唯一の野生動物だと言われています。そういう意味で、可能性を予見できるのが人間で、だから計画を立てて生きていく。その一方で不安を覚えてしまうということです。それが人間らしさでもあるわけです。
「幸福とは何か?」を考えるのも人間だけです。では、幸福とは何かというと非常に難しいです。幸福な国ブータンと言われますが、ブータン人はそんなこと言っていません。国王が国民総生産量に対して、幸福量と言ったんですが、幸福の定義はあまりしていません。ただ、主張はしているんですね。経済発展を全部否定しているかというと、否定はしていません。ある程度の発展は必要だけど、そのために歴史や文化や自然を犠牲にするのはまずい。あの国は7割が森林です。木を切ることにものすごく厳しくて、私有地でも許可が必要です。
それから、地下資源。今は掘る必要がないけど、将来子孫の代で必要になったら掘ればいいというのが前の国王の考えでした。これはネパールを反面教師にしています。ネパールは外資を導入したために丸裸になってしまいました。ブータンは世界で3番目に標高差の大きい国で、その落差を利用した水力発電でインドに売って外貨を得ています。一番標高差の高い国は中国で8,848mエベレストと海があります。次はパキスタン、K2があって海があります。その次がブータンで一番低い所50mが、高い所が7,500mです。最近はジャガイモの輸出もしています。経済だけが良くても幸福とは言えないというのが彼らの基本にあります。
ブータンを研究している宗教学者で幸福を数式に表した人がいるんですね。幸福=財/欲望。ヨーロッパでは分子の財を増やすことによって、幸福になろうとする。財を増やせば大きくなるんです。逆に東洋では分母の欲望を減らすことによって幸福を高められるんじゃないか。これはあくまでも物質的な幸福ですが、物質だけでは幸福は語れません。これから重要なのは、私たちの肥大した欲望です。これはメディア、特に広告代理店を中心にして煽るわけですね。こんないいものあるよ、買いなさい、買いなさい、大量生産しなさい、と。そうすると大量消費、大量廃棄になります。これを続けていたら、地球はもちません。いま必要なのは、肥大した欲望をどうするかです。
僕はいろんな場所を見てきて、それを抑えている人たちを見てきました。例えば、メコン川を下っていると砂金を掘っている人がいました。面白いからずっと見ていたんです。砂をこねていると、重いものが底に沈んでいくわけです。砂と金が混じっているんだけど、そこに水銀を入れます。水銀は金としか結びつかないので、水銀を取り出してバーナーで焼くと金が出てきます。それで何をするかと思ったら、これから街に行くと。一緒に街に行ったら、両替屋で金をお金に換えて、お正月を迎えるのでお供え物や着るものや食べ物を買って帰ってきました。
僕は自分でも金を掘りたかったので、もう一度掘りに行かないかなと待っていてもなかなか行かない。「なんで行かないの?」と聞いたら、私たちは家畜もいるし、農業もやっているし、食べるものに困らない。木がいっぱいあるから家も作れる。あの時は、お正月でお金が必要だから、金を掘っただけだと。また必要になったら掘ればいいと。日本人だったら掘り尽くしますよね? 私はがっかりして帰ってきたんですが。
同じように「足るを知る」人たち、例えばイスラムです。エチオピアのアファールというイスラム教徒のところに、アメリカの同時多発テロの時にいました。エチオピア暦ではその日が元旦でした。彼らはヤギやロバを200頭飼っています。お父さんに「家畜がもっと増えたらいいですね」と言うと、「いや、このままでいいんです。これは神から授かったものです。これを大切に育てて行くことが私たちの役目です」と答えました。
ミャンマー人もすごく親切です。10年前にデジタルカメラを使い始めて、自転車で旅をしている時にデータを全部入れていたハードディスクを失くしたんですね。前に泊まったホテルに電話したら「預かっています」というんです。「すぐに取りに行きます」っていうと、「あなたは予定があるでしょう。旅を続けてください。私たちが持って行きますから」と。タクシーに現金を置き忘れても戻ってくるような人たちなんですが、よく考えてみると、彼らは上座部仏教です。チベット仏教もそうですが、彼らは来世を信じています。よき来世に行くためには功徳を積まなければならない。イスラムにとっても、良いことすることが天国に行く近道なんです。自分のために、来世のために、いま良い行いをするんですね。宗教が「足るを知る」を教えてくれている面が、世界中を見ると多いなと感じました。
また、環境によって性格まで変わってしまう、これも人間らしさです。経済的ゆとりが人を変えることもあります。僕はお金があったら全部使っちゃうんですね。旅をしていて100円しかないと100円の生活をします。やろうと思えばホームレスもできます。でも100億もらったら、100億の生活をしてしまうと思います。例えば、イチロー選手も大谷選手も、もし百年前に生まれたらただのお百姓さんです。野球なんてないですから。私も百年前に生まれたら、グレートジャーニーはできません。
人間は自分が生まれたところを出て行きます。そして、どこか行くと必ず聞かれます「何をしに、どこから来たのか?」これを語らなければ新しい土地に入れてくれません。これは人間だけ。チンパンジーやニホンザルの社会では、違うグループに入って結婚します。しかし一度グループを出てしまうと、もう元には戻れません。戻ったらリンチです。人間だったら、受け入れてくれるけど、他の動物は違います。出ていったら、もう違う人なんですね。それも人間らしさの特徴の一つかもしれません。
人間らしさの特徴は本当にいっぱいあります。分配するのは人間の本来の姿です。それが、蓄えることによって崩れてしまった。確かに僕は採集狩猟民の方が、全体的に見れば幸福だったと思います。というのも、農業が始まったら格差がひどいわけです。一部の人だけが裕福で、あとは奴隷です。例えば、ミレーの落穂拾い、あれはなんで一生懸命拾うと思いますか? あの時代は品種改良された現在の品種と比べて収穫量がとても少なかったんです。だったら、落ちたら拾うしかないですよね。
貧しいほど分配した方がいいんですね。なぜかというと、人の結びつきが将来の安全保障になるからです。だから何重にも家族や親戚があります。それからお互いに関係性を結ぶんですね。ヤクザで言えば「盃を酌み交わそうぜ」と同じ組の人間を作ります。それからイニシエーションもあります。それを一緒に受けるということは、お互い一生付き合うということです。そういう2重3重に「何かあったらお互い助け合おう」という環境をたくさん作っておく。私たちが原始的だと言っている伝統的な社会では老後の心配は一切していません。
私たちは長寿になりましたが、お金がないといけない。昔の社会では、サービスは仲間がやってくれました。家族がやって来ました。そして今はサービスをお金で済ます社会になってしまいました。でもいくら貯めたらいいのかわからない、だから老後が心配で仕方ないんです。伝統社会では誰かが障害を負っても、年をとっても、仲間が面倒を見てくれます。
インドネシアのある民族の人たちと一緒に手作りカヌーのイベントをしたんですが、彼らは家の大黒柱の年齢でした。事故が起こったら大変なので、保険に入るための書類を書いてもらおうとしたら「え? 保険って何?」と言うんです。彼らには保険が必要ないんですね。誰かがお互いに助け合う社会。それを私たちの社会ではできなくなってしまった、だからお金を貯めなきゃいけなくなった。人間の本来の姿は多分そういう助け合う社会だったと思います。サルみたいに「俺だけ食うぞ」ではない社会なんですね。