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伝統芸能から紐解く日本の歴史

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過去•現在•未来のこと、科学的なこと・芸術的なこと 等々毎回異なる視点から叡智探求のきっかけを作るNext Wisdom Gathering。今回は、伝統芸能を通じ日本の歴史背景を探ることで(過去や芸術的なことという視点)、現代に必要なことは何か、あるいは消えてしまいそうだが残したい伝統をどのように未来に引き継いでいくのか、ということをテーマに会を開催します。ゲストには、尺八奏者・日本芸能史家の薮内洋介さんをお迎えし、生演奏も挟みながらテーマを深めていきます。

 

尺八奏者・日本芸能史家

薮内洋介氏

奈良県出身。東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業、及び同大学院修士課程音楽研究科修了。東京藝術大学音楽研究センター助手(2011-2013)。都内を中心に演奏活動をおこなう。これまでに、NHK大河ドラマ『平清盛』『軍師官兵衛』、ドラマ木曜時代劇 『かぶき者 慶次』他、美川憲一・名取裕子・吉幾三ら公演への参加・出演。海外公演多数、ブラジル・アメリカ・オーストリア・クロアチアへの単独招聘を賜る。橿原市観光アドバイザーを拝命。
ホームページ: http://yousukeyabuuchi.com/

 

世界史年表中で歴史の長い国としては、イギリス900年、次いでデンマーク、ほとんどの国が200年と続かない中、日本は2676年(皇紀)の断トツ最長国となっています。しかし、実際に明確な建国の時期を示す記録はありません上、戦前戦後で歴史観は交錯したまま、来年2016年には神武天皇二千六百年大祭が橿原神宮で執り行われます。この国の成立においては様々な民族の移動にはじまる、抗争、革命、和合を繰り返してきた歴史あってのもので、日本列島における外圧問題や天変地異による危機意識を前に、一国家としての結束は築かれてきました。

 

日本についての一番古い記録として、『魏志』「倭人の条」によると、列島は温暖な気候によって作物の生成がしやすい環境にあり、人々の営みは裸足で以って冬でも生野菜をそのまま食べる、というような内容の記述があります。また、『梁職貢図』(11ヶ国の朝貢使節者の図)からは、当時の中国を中心に取り巻く周辺国のおおよそのあらましや服装をみる事が出来るように、交通インフラが未整備の古代においてもかなりの規模での交易が成されていた事が予想出来ます。

 

 

 

『梁職貢図』全体

6世紀梁朝元帝(蕭繹)の職貢図の模写。左から且末国、白題(匈奴部族)、胡蜜丹、呵跋檀、周古柯国、鄧至、狼牙修、亀茲百済波斯滑/嚈噠からの使者。

梁職貢図に記載の国々は次の通り。

渇槃陀国タシュクルガン・タジク自治県[6]

・武興蕃(仇池國、族の国)

『梁職貢図』倭国の朝貢使節者

大陸の情勢に応じて、日本への移民はものすごく多かった。この事は『記紀』や『新撰姓氏録』中、西暦231年弓月の国の国王が127県の民を従えて帰化した旨の項目に代表されます。新羅・高句麗・百済などとの交易を通じては様々な文化が持ち込まれ、異なる民族間から何世代何十世代もかけて日本人という概念はつくられてきました。その痕跡は日本中に散見しています。

古代政治の中央集権化においては、中国の律令制度輸入によってその構造に大きな改革がもたらされましたが、それは単に政治的イデオロギーの輸入だけではなく、文化ごと取り入れた事に大きな意味を持ちます。雅楽は律令制度下において、治部省(現:宮内庁)の「雅楽寮(うたまいのつかさ)」に属し、宗教的・政治的儀礼による式典の荘厳としての役割を担っていました。当時、外来文化の盛んな摂取によりあらゆる国の音楽が輸入されました。

 

唐  楽・・・唐より渡来

新羅楽・・・新羅(朝鮮半島)より渡来

高句麗楽・・・高句麗(朝鮮半島)より渡来

百済楽・・・百済(朝鮮半島)より渡来

度羅楽・・・ビルマ南部の堕羅より渡来

渤海楽・・・チャンパ(現在のベトナム)より渡来

西域楽・・・東トルキスタン及び西方諸国(西アジア一帯)より渡来

燕  楽・・・中国の俗楽より渡来

それが一旦、唐の情勢が悪化すると大陸に緊張が走り、日本はこれを受け遣唐使を廃止しました。唐の滅亡後、かつてない事態への危機意識から国内の結束が強まり、明確な国防意識となります。以降、政治システムは日本の様式に合うよう整理が急がられ、雅楽の体制も律令の概念(右方・左方)を基本としながら、楽器編成から楽曲構成まで大きく編纂されるに至りました。外来文化の受け入れ期から、自国として新しいアイデンティティへの欲求が「国風文化」として高まります。

雅楽分類図「右方・左方」

*国風文化とは・・・平安時代中期以降の日本文化。7〜9世紀にかけて、日本は唐を中心とする大陸文化の摂取に努めたが、10世紀頃から12世紀にかけては日本独特の文化を形成するようになる。平安時代前期までの文化はあらゆる面で唐の影響を強く受けて発達したので唐風文化と呼ばれ、これに対し中期から後期にかけては著しく日本化されたものとなったので国風文化と呼ばれる。

雅楽が国家の管轄下にあったのに対し、「田楽」「猿楽」に代表される当時の芸能者集団は、寺社において天下泰平・五穀豊穣を以って神々へ御奉ることを本分とし、権力者の庇護を以て組織の存続がかけられるようになりました。

中世になると、芸能者は主に「同朋衆」という職業組織での活動が目立ちます。「同朋衆」の本来とは大名家に出仕し雑務にあたっていた御坊主衆の事でしたが、当時の身分制度上、法体姿が便宜的であり、また隠遁策でもありました。同朋衆は芸術全般におり、猿楽能の観阿弥・世阿弥、音阿弥、茶の湯の毎阿弥、芸阿弥、作庭の能阿弥、相阿弥、善阿弥など、阿弥衆とも呼ばれていたようです。

江戸期までの日本人にとって世界の中心は、もっぱら中国にありました。為政者らの趣味嗜好は唐物に偏っており、何の蒐集品においても唐物が一番(唐物数寄)でした。特に室町当時は質よりも物量を競う事が顕著であったのですが、やがて、飽和状態の中から意識の変化が起こりはじめます。(唐由来の桃の木が描かれた花器へ、日本で自生する植物を生ける事への、季節、風土、組み合わせ的な違和感ともいうべき…)

秀吉の絢爛豪華な成金趣味がピークを迎えていた頃、利休は国産の椀を好んだ他、切りっぱなしの青竹に花を生ける行為を以って、唐物依存への対極としました。自然素材むき出しの青竹の花入れ(銘:園城寺)の経年変化を「さび」るとし、その儚さ、不足の美を「わび」たのです。

利休作 花入れ

歴史的事象を振り返るにあたり、日本文化とは常に「外来文化」と固定化する「伝統文化」の、大別して二つの文化が隆替し合っているもの、と僕は考えます。宗教と芸能はそもそもの派生を同じくし、産業+信仰、政治+教養のなかで機能してきた歴史があります。日本の歴史を紐解く上において、重要な手がかりとなるのは、目には映らないものへの畏敬の念、それは古代より非常に大事にされてきたアニミズムです。単なる歴史の暗記程度では何も見えてこないので、土地土地を歩くように、歴史を文化文明単位で捉えていく事が肝要に思います。

僕の扱う尺八の歴史は、唐文化として大陸からの流入を日本での発端とします。当初は雅楽の編成にありましたが、唐滅亡以降の改革期に編成から除外を受け、史実からは一時期姿を消す事になります。しかし、中世になると歌人文化に見出され再び息を吹き返しました。次第に当時流行していた禅の影響により思想化すると、本来の音楽行為を超えて精神性が強調されるようになった。近世には仏教禅宗一派「普化宗」として組織化され、全国規模で展開されました。世界中の音楽史上、音楽行為自体が宗教にまで発展したのは例外的です。今日それが芸能「尺八楽」として伝わっております。

MON-DO

問:尺八は海外でも演奏されたり、地球の音楽として尺八の音楽が選ばれてボイジャー2号に乗っていま宇宙を飛んでいます。尺八という楽器や音楽は海外からどのように評価されているのでしょうか?

答:日本人よりも海外での評価が高く、実は日本よりも海外の方が総人口で上回っているのが現状です。また、毎年フェスティバルもあり、どこに行っても尺八を習っている外国人がいます。邦楽器で一番海外で受け入れられてるのは尺八ではないでしょうか。僕も年に過去ブラジルのサンパウロやリオに教えに行く機会がありましたが、それも日系人に教えているわけではなく、むしろ日系人はほぼいませんでした。ブラジルは移民の国で混血の人が多く、そういう人たちが尺八を吹いています。彼らは今まさに新しいアイデンティティを形成しているところではないかと、僕は思っています。尺八に惹かれるのもそんなような背景があると思います。ボイジャー2号搭載の尺八曲を演奏した山口五郎氏は、この会場はす向かいのお寺にいま眠っています。

問:日本文化における「いき」とは何でしょうか?

答:難しい問題だなと思うのですが、例えば当時の江戸の町人文化、生活習慣の中で生まれてきた概念が「いき」ですが、それは江戸の人間の概念であって、もちろん京都とも違うし奈良とも違う。あるひとつの時代性から生じたものとして、いま現代におけるという意味では、解釈がまちまち過ぎてどうなんだろう、と思います。「いき」という言葉を利用しながら、そこに尊敬や理解がない、おおよその文化の指向性が安直で「野暮」な方に向かっているな、というのが僕の印象です。

 問:日本の伝統芸能を守るにあたって、変わってきた部分、変わってはいけない部分があるとすれば、それはどのようなことでしょうか?

答:僕が普段尺八を教えている方々の平均年齢が60〜80歳である事を例に、このまま10年もすれば伝統芸能の多くは衰退するという局面がまず一つあります。今年は戦後70年にあたりますが、日本の教育システムが変化した昭和20年、今の75歳以降、僕達までに至ってはほぼ一律に日本の歴史を知らないと言っていい。戦争も歴史も知らない、それがあらゆる判断にもたらすものは大きいと思います。これからの時代変化への対応として、いま必要な事をひとつ挙げるとすれば、個々の「自覚」であり、それぞれがしっかりとアイデンティティを深めていくという事のように思います。僕が尺八楽に取り組む上での捉え方としては、まず何十何万という無名の虚無僧達はじめ芸能者達を背景に、いま学ばせて頂いていること。その美意識や、高尚化の歴史などを踏まえ、失礼の無い様にしたいと思っています。

 

問:西洋は勝ち負けがあったときに負けたものが淘汰されていく歴史があった、日本の場合は融合して外国から入ってきた文化が日本にあった文化と融合して残ってきたとおっしゃいました。しかし、そもそも日本の伝統文化、伝統芸能というのは私たちが守っていくべきものなのか。例えばいまの若い人たちにとって、絶滅危惧種になっていくような伝統芸能は時代の変化に追いついていけなくて人々に支持されなくなったものであるから淘汰されてもしかたない、という見方もできるのか、それとも支えていくべきなのか。どうなんでしょう?

答:楽器には宿命があり、例として、古墳の中に埋められた銅鐘は渡来以前、元々中国では楽器として機能していた時代があったはずなんです。要するにそこには演奏する楽器→埋められる楽器へと、本来の機能性から変化の推移があります。日本の楽器は元来、そのような宿命を持っているということです。無理矢理残そうというのも無理な考え方かもしれません。政治に「保守」「改革」があるように、文化も「伝統」と「外来」による隆替が絶えずしてあるわけです。ですので、二極論ではお答えできませんが、やはり歴史から得られる示唆は大きいように思います。

考察

日本固有の文化、というものは幻想なのかもしれない。日本の文化とは、一つの形に収まったものではなく、時代の流れとともに常に揺れ動いているものだ。私たちがいま日本固有のものだと思っている文化も、元をたどれば外来文化の吸収と洗練、そして淘汰の繰り返しの中で、長い時間軸上の一点としての現代に、偶然我々が見ることができる形として残っているものだ。なにを取捨選択するか、どのように既存のものと組み合わせて洗練させていくか、その「センス」自体が日本文化の本質なのだ。

そしてそのセンスは「アイデンティティ」と言い換えることもできるかもしれない。

彼の語る「アイデンティティ」とは、日本人としての総体ではなく、個、自分がなぜいまこの場所にいるのか、その道筋を理解することだ。イデオロギーや主義主張にとらわれることではなく、まず個に立ち返る事。そして自分の、家族の(その先に「日本」や「世界」があるのだが)はるか遠い過去に意識を向けること。先人を想像し、彼らがやってきたことを知り、謙虚な心と畏敬の念を忘れないこと。それを軸とする事ができれば、これから私たちが進むべき道も見えてくるのではないか。

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