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2021年9月から12回にわたり『Lunch Time Forum』を開催しました。Next Wisdom Foundationと特定非営利活動法人ミラツクの共催で「混沌とした世界に対して少しでも希望の光を見ることのできる未来を思考するためのセッション」と題し、様々なゲストの話を聞いてきました。Lunch Time Forumイベントレポートは、特に文字で読むことで理解が深まると考えられる回をピックアップしてレポートします。
まずは株式会社eumo代表取締役の新井和宏さんとフロネシス・パートナーズ株式会社代表取締役の白石智哉さんをゲストに招いたVol.1『経世済民のために資本を投入していくべきである(2021年10月7日開催)』です。
<登壇者プロフィール>
新井和宏さん
株式会社eumo代表取締役/ソーシャルベンチャー活動支援者会議(SVC)会長
1968年生まれ。東京理科大学卒。1992年住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)入社、2000年バークレイズ・グローバル・インベスターズ(現・ブラックロック・ジャパン)入社。公的年金などを中心に、多岐にわたる運用業務に従事。2007~2008年、大病とリーマン・ショックをきっかけに、それまで信奉してきた金融工学、数式に則った投資、金融市場のあり方に疑問を持つようになる。2008年11月、鎌倉投信株式会社を元同僚と創業。2010年3月より運用を開始した投資信託「結い2101」の運用責任者として活躍した。鎌倉投信退職後の2018年9月、株式会社eumo(ユーモ)を設立。現在は他に、ソーシャルベンチャー活動支援者会議(SVC)会長、かんしんビジネスクラブ アドバイザー、東邦レオ顧問、CHFホールディングス取締役、サスティナブルストーリー取締役、一般社団法人EMS 理事、一般社団法人Sustainable Co-Innovation Forum (SCIフォーラム)理事、ホワイト企業大賞 企画委員など多数。特定非営利活動法人いい会社をふやしましょう理事(2012年〜2018年)、横浜国立大学経営学部非常勤講師(2012年度~2015年度)、経済産業省おもてなし経営企業選考委員(2012年度、2013年度)、2015年5月11日放送NHK『プロフェッショナル~仕事の流儀』出演。
著書『投資は「きれいごと」で成功する(ダイヤモンド社)』、『持続可能な資本主義(ディスカヴァー・トゥエンティワン)』、『幸せな人は「お金」と「働く」を知っている(イーストプレス)』、『共感資本社会を生きる(共著・ダイヤモンド社)』、『あたらしいお金の教科書: ありがとうをはこぶお金、やさしさがめぐる社会(山川出版社)』
白石智哉さん
フロネシス・パートナーズ株式会社代表取締役
シリコンバレー、アジアでベンチャー・キャピタリストとして投資経験を積んだ後、2005年まで(株)ジャフコの事業投資本部長として同社のバイアウト投資の責任者を務めた。その後、欧州のプライベート・エクイティ投資会社であるPermiraの日本法人社長を経て、2015年から中小企業専門の投資会社フロネシス・パートナーズの代表。2012年から2019年までソーシャル・インベストメント・パートナーズの初代代表理事を務め、現在も理事としてインパクト投資やベンチャー・フィランソロピーを通じた社会事業支援にも従事している。第一号支援先となった放課後NPOアフタースクールの理事。1986年一橋大学法学部卒業。
<進行役>
Next Wisdom Foundation研究員 花村えみ
NPO法人ミラツク代表理事 西村勇哉
新井和宏(以下新井):株式会社eumoの共同代表をしています。eumoの経営理念は「共感資本社会の実現を目指す」です。私はずっとお金の専門家をやってきました。今はあまりにもお金中心の考え方になっていて資本主義が行き過ぎている。これをどんなふうに変えていこうかと考えた時に、共感性はとても重要だと気がつきました。AIの時代にあって人間が人間たる所以という意味でも共感性を取り戻していくような仕組みづくり、人と人との信頼関係自体を中心にした新しい形を作ってみようと宣言してeumoを創業しました。
今はニセコに移住していて、今日の最低気温は5℃でした。なぜニセコにいるかというと、昨年、ニセコ町の片山健也町長が共感資本社会を目指すと言ってくれたのです。自治体で初めて宣言をしていただいたので、現地に行って早く共感資本社会を実現したいと思い、eumo設立から3年経った日にニセコに事務所を構えました。
白石智哉(以下白石):私は最初ものづくりに興味があり何を職業にしようか考えているうちに、ベンチャーキャピタルに行き着きました。当時ベンチャーキャピタルを勉強する中で、「ベンチャーキャピタルの仕事は金融取引ではなく、ビジネス、時には産業を作り出すことである」という言葉に出会ったんです。なるほどと、その時に少し分かったような気がして80年代にベンチャーキャピタル業界に入り、その後シリコンバレーを中心に主に海外で投資した後に2000年に日本に戻って今まで投資をしてきました。
2012年に一般社団法人ソーシャル・インベストメント・パートナーズをスタートしました。これは、ベンチャーキャピタルや企業投資のやり方で、NPOや社会的活動をする株式会社に対して投資と経営支援をして成長を助けようというものです。実はこういう動きはヨーロッパやアメリカでは1990年代ぐらいから始まっていました。投資をする人々……私自身もそうですが、当然良い会社を作りたいと思っています。「良い会社とは何か」を定義づけるのは何か? 良い会社になるためにどうしたらいいのか? ずっと考え続けてきました。仕事をしていくうちに、おそらく良い会社とは社会にずっと役立っていく、あるいは環境に役立っていくようなものだと。では、社会的に役立つこと、人や環境になくてはならない存在になること自体を目的として投資の手法で活動をしたらいいというのがベンチャー・フィランソロピーです。
それ以前のフィランソロピーはどちらかというと寄付の世界です。寄付も大事で、寄付をきちんと必要なところに配分していくことができる。ビジネスをしている人間というのは、きちんと利益を出せば税金として政府に徴収されたり、余資を寄付すればそれが政府からの再分配によって必要なお金が流れるという理解をしていたと思います。実はそれ自体が密接不可能なもので、事業の目的自体を社会課題や環境課題の解決におくこと自体が事業の根幹ではないかと気が付いてきた人たちが、ベンチャーキャピタル業界からベンチャー・フィランソロピーをつくったり、投資と社会的なインパクトを両立させようとするインパクト投資の考え方が出てきています。今まさに、世界中で広がってきているところです。まだまだインパクトの定義も曖昧で、各金融機関や投資の仕事に携わっている人たちが世界中で議論をしながらきちんと定義をしていこうとしている発展段階ではあります。私の中では職業を考えていた当時の思いと、持続可能なビジネスや産業を作り上げていくことがようやく符合してきたというところです。
この先の社会で、世界がガラリと変わることはあるのか?
Next Wisdom Foundation花村えみ(以下花村):新しいお金の使い方や流れ、良い会社を作ろうという流れなど、お二人は世の中はじわじわと変わってきていると言っています。この流れの先に世界がガラッと変わることはあると思いますか? 変わるなら何がトリガーになるのでしょうか?
新井:おそらく皆さんが想定するような全体がガラッと変わること、例えばコアな部分がぐっと動くことがあるか無いかと言われたら……そうですね、人によって見えているところが違ってくることはあるのではないでしょうか。経済そのものがもっと多様になって、見えている感覚が違うという人たちが増えるでしょう。一方で、環境問題もそうですが、ある一定の課題に関してはみんなで同じ方向を向いて動き出すのだろうという気もします。私が見ている感じで言えば、私の周りはみんな変わりつつある人たちばかりで、そういう人たちに見えている世界と、今まで通りに経済を回している人たちとの見え方は、今の段階では違うと思います。
私は、時代がより良くなっていくために多様であっていいと思っていて、一番の問題は経済に多様性が無いことです。つまり、GDP一辺倒で経済を議論すること自体が限界にきている。GDPを捨てろと言うのではなく、単純にもっと多様な選択肢があっていいはずなのに多様性が無いから歪んだ形になっているのだと思っています。
白石:変化というのは、必ずしもある日突然変わるものではないと思います。5年・10年経って過去を振り返ってみて、「あの時が変化のタイミングだったね」と気が付くのが歴史的な変化だと思います。そういう意味では、例えば今回のコロナやもしかしたらコロナの遠因にもなっている地球環境の変化は、私たち人間の経済活動を含めた様々な活動に起因しているものが変化のきっかけになっているかもしれません。
おそらく、変化するきっかけの前段階で様々な専門性……経済の専門・政府の専門・気候変動を科学的に理解しようとする専門など、そういった人類の叡智の中で変化に気が付いてきて、各人の、また組織として行動変容していると思うんです。そうやって100年や200年後に、2020年というのは変化の一つの時期だったというのが整理されていくような気がしています。
二人が元の場所にとどまらずに新しいことを始めた理由は何か?
ミラツク西村勇哉(以下西村):新井さんは鎌倉投信で充分に良い仕事をされていたと思います。でも、それだけでは出来ないことがあってeumoを作った。白石さんも投資の仕事をしながら、ソーシャル・インベストメント・パートナーズを作った。お二人が元の場所では出来なかったことは何ですか? いま取り組んでいることのポイントを教えてください。
新井:鎌倉投信は個人向けの投信会社で、いわゆる公募投信といって広くあまねく多くの人たちに使ってもらうものです。分かりやすく言えば上場企業を中心とした投資で、ソーシャルベンチャーといわれる会社に5%を上限として投資をすることを仕組みとしてやっていたわけです。私はその仕組みが社会にとって必要だと思ってやっていたのですが、それで出来ないこともたくさんありました。例えば投資をするといっても、全くのゼロから新しいものを作るシードやアーリーと言われている時期に鎌倉投信が投資できるかといったら、当時は出来なかった。
私が鎌倉投信にいた時にショッキングだった出来事があります。トマ・ピケティが『21世紀の資本』でトリクルダウン理論は起きない、格差は広がる一方だと書いたんです。私は、自分の人生でこのまま格差を助長することしかできずに終わっていいのかと思いました。鎌倉投資は確かに必要ですが、それはもう出来たことなので若い人たちに任せて、私は人生の後半に格差を生まない金融をどうデザインするかについて考えたいと思いeumoを作りました。
格差を生まないお金の在り方をどうデザインしていくかというと、ずっと前から「期限のあるお金」ということが言われてきました。今のスマホベースの電子マネーが普及している時代の中で、どのような形で期限付きのお金を循環できるのか? 期限があるということは、残せないわけです。お金を残せないとなったときに、何を残していくのか? eumoはお金の循環を「ありがとうの循環」と言っていて、ありがとうを言える環境をどう作っていくのかを考えてデザインをしています。今までの地域通貨をどうアップデートするか考えると、価値はやはりコミュニティにあって繋がり自体を可視化して価値に変えていくことにチャレンジしています。
今まで地域通貨というのは、自治体や地域・金融機関を中心にやってきましたが、我々はそうではなくその地域で思いを持っている人たち、コミュニティの中心になっている人たちがどういうお金の形にしたら良いのかを考えてデザインできるようにしています。具体的に言うと「ニセコニューモ」という仕組みをスタートしていて、期限を3ヶ月にきって期限の切れたお金はニセコ町の子どもたちの為に使うことが決まっています。こうした活動によって地域内でもお金の生かし方が発揮されるようにする。イニシャルコストをかからないようにすることで、みんながお金をデザインできる時代を作っていきたいと思ってeumoをやっています。
白石:ソーシャル・インベストメント・パートナーズを始める個人的なきっかけは、わりと受け身なんです。私は最初にベンチャーキャピタルをやって、ベンチャーキャピタルは持ち株比率が低いから良い意味でもっと経営にコミットするために株式としての会社全体のオーナーになりたいと思った。別にそれは上下関係の意味でのオーナーではなく、その会社の特に長い時間軸で良い会社になれるような一種のスポンサーになりたいという思いです。そのためには、ベンチャーキャピタルの資本よりバイアウトが良いと思ってバイアウトをやっているうちに1990年くらいからヨーロッパとアメリカでベンチャー・フィランソロピーが始まった。昔からの友だちがヨーロッパのベンチャー・フィランソロピー協会の会長をやっていて、「日本でもベンチャー・フィランソロピーをやる時期が来ているのではないか? やってみたらどうか」と声をかけてくれたのが2012年、東日本大震災の後でした。
このように、自分で選んできたというよりも何かきっかけがあってやっているうちにバイアウトも投資もしながら、ベンチャー・フィランソロピーもやっている状態になっています。今は、インパクト投資の日本の委員になったり、休眠預金を社会活動に使おうという諮問委員をやったり、私自身が受け身でやっているうちに広がってきたので、実は個人的には計画性が全くないです。
そういうふうに受け身でやっていて思うのは、私はいま東京と軽井沢の二拠点生活をしていますが、2つの軸を持って見るということは仕事の面でも非常に良い側面があるということです。例えば企業オーナーと話すときは、会社の存在はどこにあったのかという話をしながら、今後の戦略を考えていく。そこにはインパクトという考えが必要だし、一方でNPOだからインパクトだけでいいというわけではなく組織の運営方法やマーケティングの仕方だとかビジネスのスキルもすごく重要です。自分の中でいくつか活動する領域を持つと、双方で非常に良いシナジーがあるというのが最近感じていることです。
増えた資本はどう使うべきか?
西村:今日のテーマは『経世済民のために資本を投入していくべきである』です。近代以降、資本の増やし方は上手くなったと思いますが、では増やした資本をどう使うのか? 二人の考えをお聞きしたいです。
新井:お金は大切に扱いなさい・無駄なことはしない・何かあった時のために貯めなさいということばかり言われて、お金を生かすという概念や考え方がそもそも無いです。学校でお金の授業がないので、お金というものを勝手に考えて勝手に使い始めているだけなんです。おそらくお金を生かすとはどういうことなのかを本質的に捉えた経験が無いと思うのですが、投資も寄付も消費もすべてはお金をどう生かすかです。
私の考えですが、最も効果的な使い方は自分への投資になっているかどうかです。投資とは何かと言えば、自分に資する状況になっているかどうかではないか。金銭的に資することばかりを捉えてしまうと利回りしか考えなくなってしまいますが、そうではなく自分自身を作っている何かになるかどうかが大事で、寄付も同じです。利回りにこだわるよりも「お金を使うことから得られる自分は何なのか」にこだわったほうが人生はよほど豊かでハッピーになります。その時に必要な考え方は「自分がどういう世界で生きていきたいか」です。
環境がボロボロで人類もボロボロになった中で自分が生きたいのか、素敵な社会の中で生きたいのか考えた時に、その環境を作るためにどうしたら良いのか考える世界観はすごく重要です。上場企業の社長さんでも、どうやったら資本を最も生かせるのか分からないんです。社会課題について取り組みたい思いはあるけれど、上手く生かせないということが多いし、相談も多いです。今後、本当に経世済民になるような仕組みづくりをするうえで生きたお金の使い方について自分自身の答えを導き出していくことはすごく大事なことだと思っています。
花村:それは、ある意味で利己的な視点も必要ということですか?
新井:その通りです。利己も利他も自分ですから、どちらかが外にあるわけではないんです。利己である自分が結果的に社会のためになるなら最高ですよね? やはり、自分が幸せじゃないと人を幸せにできない。幸せというもの自体が利他によって幸せになる、他者のためにやっていくことが幸せに繋がる。経済とは共感による分業ですから、自分の代わりにやってくれてありがとうと言ってお金を払うのが基本です。利己的な行動が社会のためになっていないのなら、そういう経済になっていないということです。
西村:利己が自動的に利他になっている・利他が自動的に利己になっている状態だと、スムーズに流れているということですね。
白石:私が最近考えているところで整理をしてみると、二つ伝えたい点があります。一つは今日のテーマである資本です。もう一度、資本とは何か定義すべきだと思います。経済学では、いわゆる貨幣価値である経済資本だけですが、例えば社会学から言えば、社会関係資本と文化資本の二つがあります。社会関係資本とは先ほどから話が出ているような共感だったり、人と人の関係性の中にある自分も資本であるという考え方です。文化資本には通常三つあると言われていて、客体化されたもの・制度化されたもの・身体化されたものです。客体化とはアートや骨董品などです。制度化されたものとは、学歴のようなものですね。これは今後世界の変遷で変わっていくのでしょう。身体化されたものとは、美学です。学問に美学というものがありますが、仕草やボキャブラリーなど、おそらく豊かさと定義したほうが良いと思います。人間の豊かさは、貨幣的なもの以外の資本もあるというところから入るのが必要ではないか。貨幣以外のものをたくさん増やせれば、個人も社会も豊かになっていくでしょう。
二点目は、市場主義の中で経済がどう動いてきたかについて伝えたいのですが、経済学というのはGDPや総余剰を増やすこと、つまり市場での取引によって生まれる余剰が増えるほど良いというのが至上命題です。これは単純な算数で、たくさん総余剰を増やすには取引参加者が減るほど大きくなります。世の中に寡占状態があるのはまさにそうで、例えばAmazonが支配していけば総余剰は必ず増えていきます。しかし、取引に参加できない人は増える。取引に参加できない人が増えるということは、総余剰という経済価値は増えるけれど、社会関係資本はおそらくズタズタになる。参加できない人たちの中で貧困の連鎖が起きて、文化資本も貯まらない。これが社会問題になっていて、そのコストが高いからみんなで再分配をしようとしている。それは政府がやるけれど、そもそもそうならないためにベンチャー・フィランソロピーをやりましょうということです。
社会学の観点で経済を考えてみます。中長期で見るとAmazon一極支配ではなく、取引の参加者などはいろんな生態系があって増えていくほうがおそらく社会の耐性は高いわけです。これは生物学の観点からも言えるもので、生物の多様性があればあるほど生物は生き長らえる。仮に総取りできる種がいたとしても、それは種として長続きはしません。一つの種としては弱いかもしれないけれど、誰かと一緒に共生するから種が生きられる。こんなふうに人間や会社を捉えていけば、あとは市場をどう使うかです。事業自体が社会関係資本や文化資本をしっかりと生み出せるような事業体にしつつ、たまには公正取引委員会的な規制も必要としながらやっていく。
経済学というものが、社会学や生物学などとクロスオーバーしながら物事を捉えて考えていくのが、まさに今の時期です。今までの経済学や資本主義が全て正解ではなくて、私たちが培ってきた叡智を生かして様々なことを勉強しながら良い意味で進化させていけばいいと思うんです。そこの議論はお金の計算だけでは出来なくなってきていると思います。
お金と人間の本能は、どう共生していくか?
花村:豊かさは貨幣以外にもある。とはいえ人間は数字で測りたい・優位性を感じて気持ちよくなりたいという本能があります。これからのお金と人間の本能との共生について、どう考えますか?
新井:人間は動物ですし、利己や利他もあります。マズローの欲求五段階説のようなものも存在するので、利他的な自分も利己的な自分もどちらも自分であることを認めるのが大事です。GDPを無くして競争がなくなればいいということではなく、最もいけないのは一様生です。つまり、評価指標がGDPしかないとか、売上利益や偏差値で測る形が息苦しい人がいるというのを理解する。人間には良い人も悪い人もいなくて、良い面が出ている時と悪い面が出ている時があるだけです。ですから、良い面が出やすくなる方が良いということだと思っていて、曖昧なものを許していくことが寛容な社会を作り、より豊かな仕組みになっていくのではないかと思います。
白石:人類というのは、まだまだ発展途上だと思うんです。貨幣というものができて、実際に流通できるようになって数千年の歴史しかない。そもそも貨幣の発端を考えれば、南太平洋の地域やアメリカの先住民が使っていたシンボル・象徴としての記号だったわけです。ポトラッチという富の再分配の儀式があります。裕福な家族や部族がもてなしの祭りをする儀式で、それによって他者からのリスペクトを受けていた。交換手段になる前の貨幣というのもあったわけですが、次第に貨幣は交換に使うようになり、蓄えて富になり、銀行に預金できるようになって今は暗号になっている。ただそれだけなのではないか。
人からリスペクトされたいという欲求は良い意味では原動力であり、一方で他の種にはない呪われた部分でもあるのでしょう。でも、ずっと呪われ続けるとおそらく人類は自分で自分の首を絞めて滅びてしまう。長い目で考えれば、今のやり方のまま進んでいった結果文明が無くなって違う文明になるのか、あるいは今のまま何とか進化できるのか。そろそろ社会も環境も特に生態系の破壊や気候変動は待ってくれなくなっているというのが今の状況なのだと思います。
問い直すと面白そうなお金のルールは?
西村:お金はすごく面白いですね。お金単品で見れば文化の一つで、そこに文化的に練りこまれたものは入っていないのだけれど、お金の周りにポトラッチのような面白い文化があるとお金の機能が出てくる。単独では不完全というかシンプルなものだけれど、お金単体では機能が決まってないものだと思います。今後は、お金の周りのルールをどう作っていけるのか? これは人間の想像力の世界ですが「お金はこういうものだ」と決めて想像力を働かせ続けることで、お金の力の出どころがどんどん変わっていくと思いました。お二人に聞きたいのは、今あるお金周りのルールで問い直すと面白そうなことは何でしょうか? 答えは出ないかもしれませんが、「ここを考え直してみたら面白いのではないか」というルールがあれば聞きたいです。
新井:お金は神様ではなく人間が作ったものですから、変えられないことはない。今は、お金にいろんなデザインができるインフラが整ってきた時代です。私はお金には色があると思っていて、法定通貨は貯めるものであり、貯めた人勝ちというイメージが日本円には付いています。そうではないお金を皆さんがデザインしたときに、新しい何かが見えるのだと思います。
私の座右の銘は他力本願、他の人の力を信じるというのを強く思っていて、そうするとインフラを整えたら百人百様に様々なお金をデザインするようになってくるんです。100のデザインが出たうちの一つくらいは素晴らしいものが出てくると期待していて、デザインを若い人たちにしてほしいと思っています。自分では想像し得ないお金のデザインを作ってもらえるのではないか、これからの社会に必要とされるお金のデザインはどんなものだろうと考えて出てくるものを楽しみにしながら、今まさに活動をしています。
白石:経済資本・社会関係資本・文化資本を要素分解できるとして、それが人類の幸せに定義できるとすれば、貨幣価値以外の測定の仕方があるのではないかと思っています。例えば社会関係資本は、市場でどんどん取引をして寡占状態になって富は増えたけれど参加者は減った。それは社会関係資本自体が減っているわけです。では、単純に顧客よりも受益者という観点で受益者である取引参加人数がどのぐらい増えたかを測ったらどうか。測り方のレイヤーには、例えば地域で測るとか高所得者層で取引に参加できるようになった人数とか、いろんな測り方があると思います。いわゆる評価というものの測り方には様々な専門家がいて、公共事業を測る人もいれば、我々のように企業価値を測る人間もいます。この測り方は、みんなで話し合いながら新しく発展させることができると思います。
そう考えると、実はアートというものは非常に価値が付きます。例えば、茶道の器がいくらであるかというのは、茶道という全体の経済圏ができて初めて器に価値が出るわけです。その経済圏にはコレクターが付ける価値以外に、お茶をのむという社会関係資本や、場を一緒に楽しむという人生の豊かさがあるから器の値段がある。すでに私たちはいろんなものに値段を付けているんです。それをきちんと要素分解して「人の幸せがこのくらい増えたからこれには価値がある」と整理をしていけば、幸せを生み出す関係を作ろうということになっていくと思います。多種多様な専門分野の人たちで話し合い人類の幸せを測るという考え方を取り入れていくと、お金はまだまだ発展できる要素があると思います。
※イベントの模様は動画でも配信しています。
https://youtu.be/erpmMAXJxLY