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会の後半は、ゲストのスピーチを聴いて頭のなかに浮かんできたさまざまな疑問を参加者同士でディスカッションし、そこでかたちになった「問」をゲストにぶつけ、ゲストの「答」を引きだす「MON-DO(もんどう)」の時間。
だれもが答えが想像できる予定調和な質問ではなく、ゲストをドキッとさせるような鋭い問いには、会場から拍手が湧きます。一つの正しい答えを求めるのではなく、会場に集まった人たちを新たな発想や思考に導くのが、良い「問い」であると考えます。
問)お話を聴いていると、黒崎さんは「粋」を追求しているのではないかなという気がしたのです。ただ「粋」とは何か。美の意識だったり、あるいは個人の癖とか、日本人にとっての「粋」というものと「デザイン」というものの関係をどうお考えでしょうか?
答)「クールジャパン」という言葉がありますが、クールという英語は、例えば黒人のジャズミュージシャンが、演奏で汗ダラダラだけど涼しい顔をして素晴らしい演奏をしている、それを「クールだね」と言う。すごい暑いんだけど涼しげなのがすごくカッコいい、何があっても冷静さを失わないで、見るところをちゃんと見ているというのがクール=カッコいい。だけど日本で「クール」と言うのは癪だから、その代わりに「粋」という言葉を使おうと。江戸の町民文化では裏地でおしゃれをしたり、何か問題があったときにヒューマンなタッチでフッとかわしたり、そんな感覚が「粋」。僕の美意識とぴったりなんです。「いき」の本質は「やせ我慢」だと言った京都大学の教授もいましたね。
問)やせ我慢もデザインなんでしょうか?
答)売れそうなことをやらずに、あえて外している「このデザインやせ我慢してるな」と感じるデザインがあります。このデザイナーは頑張ってるんだろうなと、気骨を示しているデザインはこちらでも読み取ることができますね。そこにはデザインの面白さだけでなく、仏教的な無常観もある。デザイナーの人生観や無常観と意気込みがつながっているわけです。意気込みがある上で気を抜くところは抜く、その微妙なところにあるのが粋だと思うんです。真っ赤なポルシェに乗って颯爽と女の子の横に車をつけるというのも、80年代ならまだしも、今の時代では粋じゃない。今だったら、クーラーも効かないボロボロのオープンカーに乗って余裕の表情を見せるほうが粋かもしれない。粋というものも変わってきていると思うのです。時代との関係と価値観と、それをちょっと裏切るような感じで、見栄を張ってもしょうがないというあきらめみたいな境地、そこと美意識がつながったものが粋だと思うんです。
問)もう一つ聞きたかったことなんですが、黒崎さんにずっと流れている「クソくらえ精神」というのは一体どこからくるのでしょうか?
答)世の中つまらないじゃないですか、普通に見ていたら。だからひっくり返してやろうっていうのが昔からあって、それはしょうがないですよね。昔ビートルズの時代があったんだけど、今でも相変わらずおじさんがビートルズをやる、それも嫌いだったんです。時代は変わってるんだからそれは過去に置いといて、静かに自分だけで聴いていればいいのに。みんな揃ってローリングストーンズのコンサートに行ったり、ミックジャガーと握手したりだとか、そんなことってダサイ親父がやることじゃないですか。死ぬまで僕はそれに反発していこう思っています。遊びでも何でも普通ではつまらないではない、そこはやっぱり筋金入りで生きていきたい。当たり前ではつまらない、どこかひねくれていて、それが本質をついてるといいと思います。表面的に奇をてらっていくとそれはダサいんだけど、もう一歩深くジワっとくるものがあると、それは結構強いデザインになる
アメリカでは禁酒法時代、とにかくアルコールを飲んではいけないという時代があって、その時にギャングのアルカポネたちが密造酒を作った。最近それと同じレシピで作ったというウイスキーを僕たちが輸入して、COMMUNE 246の入り口にあるタバコスタンドで売っているんです、そのことが嬉しくてね。当時、その地下の酒場に入るには暗号が必要で「Speak easy」と答えると中に入ることができた。そういう暗号というのはヒッピーたちが作ったコンピューターの世界にも受け継がれていて、コントローラーのことを「マウス」と言いますが、あれを「マウス」と名付けたのは絶妙だと思いますね。それこそ粋だなあと思います。ポートランドなんかには粋な奴がたくさんいるんですよ。粋という感覚を世界的に広めていくには、外国人の持っている「粋」のようなものを、それが「粋」なんだよと教えながら、次の時代の「粋」を作っていければ、日本はデザイン界を引っ張っていくことができると思うんです。
問)面白く多様性なことを大事にしつつ、スケールが出ないことは世の中を変えることができない気がします。相反する気がしますが、どう捉えればよいでしょうか?
答)それは相反することではなくて、例えばUBERでは、ドライバーを雇って会社の保有するタクシーを何台も走らせるのではなくて、無数の契約ドライバーを一つのプラットフォーム上でつなげることによって量を大きくすることができる。Facebookも最初は大学の中だけでスタートしているけど、それがプラットフォームになると世界中に広がって何億人というユーザーが集まった。いろんな色を混ぜるとグレー色になりますが、グレーという色で塗りつぶすのではなくて、細かく見ると全部違う色でそれを俯瞰で見るとグレーになるということ。グレー色で全部塗り潰す、同じ製品を全員が使うという時代ではない。全部が違う色のものを持っている。ただ全体から見ると全部が混じって無彩色に見える。プラットフォームを作るという概念は結構それに似ていると思います。バラバラの光を尊重していくという。
昔は同じものをたくさん売れるようにするのが成功の秘訣だったのですが、そうではなくてバリエーション、多様性をどう取り入れていってその基準になるものはどこにあるだろうかと掘り下げることが必要です。そういう時代に明らかに変わってきている。産業が構造的に変わってきているから、ユニクロみたいなものをこれからやっても絶対ダメです。10個でも100個でもいいから個性の良いものを作っていく小さい会社が伸びる可能性があります。時代を読み取ればどんな時でもチャンスがあると思います、今のチャンスは大量に売れるという概念が変わっていて、大量に売れるのですけどいろんなバリエーションが、アマゾンのようなプラットフォームで売れるのです。そういうことなのではないかなと僕は思います。
問)教育にかかわっているものですが、個性というのはどう教えればよいのか? 自然や普遍的な美しさを学びながら個性を育てていくには、例えば日本の子供たちを何を教えますか?
答)自分と違う人を切ってしまうか、逆にそれもアリだなと受け入れられるかどうか。僕は意地でも自分とは真反対のやつを評価していきたいと思うのです。「嫌いだなあいつ」と一瞬思うんだけど、ちょっと待てよと、ちょっとはいいところあるんじゃないかなと、そこから始まると思うんです。アメリカなんて、いろんな人種があっていろんな宗教があり、全部違うわけだから、そういう中でそうせざるを得ない。それでも共通項を探っていく多民族国家みたいな。日本もそうなってくると、日本的なものは何かということを考えていかなくてはいけない。日本民族じゃないと日本的じゃないという事は絶対ないと思います。それをうまく取り入れるかどうか問われていると思います。逆に違う方が面白いじゃないかと皆の価値観を向けることが教育の1番大事なことにつながってくるのではと思います。
問)なぜ私たちはデザインを求めるんでしょうか?
答)それは美意識だと思いますよ。時代によって文化が成熟してきてますから。いくらガリ勉少年だってデザイン感覚がなかったら全然駄目です。二つのものがあって、どっちが綺麗だと思うのか理由を答えられなかったら、いくら勉強ができたとしても全然世の中では使い物にならない。
問)消費者サイドでもですか?
答)すべて生きていく上で生活でも経済活動でも全て。「消費者サイド」という意識がそもそも今の現代病みたいな風に僕は思います。デザインという認識は千利休の時代だってありましたし、現在だけがデザインの時代というわけではない。消費というのは何かモノを買って、買う側なのでサプライチェーンでいうと食物連鎖の頂点の位置です。でも消費者っていうのは生活者じゃないですか。もう少し生活という視点で意識を豊かにしていくという発想は昔からずっと存在しているものです。だから今は「デザイン」という言葉をあまり使わないほうがいいと思いますよ。意味の定義が難しいから。粋かどうかで決めようよ。一概には言えないんですが、感覚的に分かるかが重要なんです。このクールさ粋さが分かるかと聞いたとき、それが分からないやつは話にならないんです。
問)クリエイティブとイノベーティブ、システム思考とデザイン思考を融合するにはどうやっていけばいいのか。クリエイティブであればイノベーティブだし、イノベーティブであるためにはクリエイティブでなければならない。左脳と右脳が別ではなくて全体を作ってくような脳の中の働きに近いのかなと思いますが、それをどうやったらいいのでしょうか。
答)それは僕にも分からないですけど、例えば、頭の賢そうな人の家に行ってみると「なんだこれは、羨ましくないな」という家が結構あるじゃないですか。何百億円持っていても羨ましくない、という人がすごく多いわけです。その一方でお金はないけど、羨ましいと思う生き方をしている人もいる。それは叡智があって経験に基づいているから。食べるものもそうだし着るものもインテリアも建築も全部そういうものだと思います。だからそっちの「羨ましいな」と思える方に注意を向けていくとよいのかなと思います。だけど多くの人は数字でいつも見てしまう。「資産はいくらなの?」とか。それは馬鹿だと思うんです。ちっとも羨ましくないんですよ、そういうものは。そういう人がすごく多すぎるので、僕はこういう生き方を選んでいるわけです。
色1つにも力があるじゃないですか。「ここにこの色を使うのか、おお!」と感動する時もありますよね、思い切りの良さとか。色1つ選ぶにしても意思とかデザインとか人の美意識が背景にあって、それがクリエイティブな力だと思うんです。僕は、それは絶対捨てられない。
【考察】
「デザイン」という捉えどころのない言葉。黒崎氏が考える3つの視点「普遍性」「時代性」「個性」は、あらためてデザインを見るときの一つの補助線になりそうだ。 いままでは商品やサービスを売るための付加価値として、意匠や見た目だけを意味していた「デザイン」という言葉は、「なぜその商品やサービスがいま必要なのか?」という、より根本的な問いから発想しなければ成立しない状況にきている。 より多く売るための道具ではなく、時代性や社会性を背景にしながら、どのような美意識や感性の下に生まれてきたものなのか、企業や作り手の姿勢や社会への態度を示すものがこれからの「デザイン」なのかもしれない。 最近ブームになりつつある「デザイン思考」というものも、簡単に言語化したりノウハウ化したり左脳だけで処理できるものではなく、「美しいものに触れて感動する心を持っているか」といった、感性や美意識に基づいた経営センスや思考のようなもの、本当の「デザイン思考」というのではないかと感じた。