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2016年7月末~10月末、東京駅から丸の内側に伸びる地下通路・行幸通りにて、世界初のデジタル地球儀「触れる地球」のプロデューサーであり、当財団の評議員でもある竹村真一氏のチームが企画する「丸の内・触れる地球ミュージアム」が開催された。「触れる地球」を5台設置した体験ミュージアム、そして全長220m にもおよぶ通路空間に「海・森・生物多様性」、「防災・減災・レジリエンス」、「未来技術」等をテーマにした演出がなされ、子ども向けから大人向けまで様々なイベントが開催された。
Next Wisdom Foundationは、8月末から毎週水曜、全9回にわたってソーシャルデザイン・ワークショップ「未開の未来」を共催。竹村氏が多彩なゲストとともに、想像力の飛距離を思い切り伸ばして未来を語り合うトークセッションだ。
第7回のテーマは「AIとの共進化、“心”の次の時代」。
話題の書『人工知能は私たちを滅ぼすのか』の著者である児玉哲彦氏とともに、人工知能(AI)やロボットと人間とがどのように共存し、共に進化していくのか、歴史、生物学、宗教など縦横に広がる議論が交わされた。
【ゲスト】
児玉哲彦氏(『人工知能は私たちを滅ぼすのか?』著者)
1980年、東京に生まれる。センソリウムの活動などに影響を受け、10代からデジタルメディアの開発に取り組む。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにてモバイル/IoTの研究に従事、2010年に博士号(政策・メディア)取得。頓智ドット株式会社にてモバイル地域情報サービス「tab」の設計、フリービット株式会社にてモバイルキャリア「フリービットモバイル」(現トーンモバイル)のブランディングと製品設計に従事。2014年には株式会社アトモスデザインを立ち上げ、ロボット/AIを含むIT製品の設計と開発を支援。電通グループ/ソフトバンクグループのような大手からスタートアップまでを対象に幅広い事業に関わる。
竹村:今日のゲストスピーカー、児玉さんの著書『人工知能は私たちを滅ぼすのか』、非常に挑発的なタイトルです。
パーソナルコンピュータ、スマートフォン、AI(人工知能)に至るまで進化の歴史をたどりながら、単なる技術の進化だけではなく、その開発者たちがどんな人間観、どんな世界観を持っていたのか紐解いています。
私は、宗教は心のOSだと思っています。ブッダが発明した仏教という思想も、孔子が発明して今は儒教と言われている思想も。人類は文明の諸段階で危機に立ち向かいながら、その都度心のOSを発明してきました。
今、AIと共進化しながら、人類はどんな新しい心のOSをつくっていくのか。そして体を持たないAIと、体を持っている「ウェットウェア」としての私たちが、どのような関係をきりむすんでいくのか。非常に大きな問題で、現時点ではなかなか見えてこないところがありますが、それでも続けていく必要がある思考運動だと思います。
今日はそのスタートを切る意味で非常にふさわしいゲストをお迎えしました。
では児玉さん、お願いいたします。
人工知能はコンピュータとともに生まれた
児玉:みなさんの中にもシリ(※)を使われたことがある方がいらっしゃると思いますが、この1年ぐらい、人工知能について、こういう製品が出たとか、囲碁の名人に勝った、というニュースを聞かない日がないくらい、ある種ブームになっています。
(※)シリ(Siri):Speech Interpretation and Recognition Interface(発話解析・認識インターフェース) の略。iOSやmacOS Sierra向けのアプリケーションソフトウェア。自然言語処理を用いて、質問に答える、推薦、Webサービスの利用などを行う。
なぜこのタイミングで飛躍的に技術進化が起こったか、どういった経緯でここまできたか、現在どれくらいの場所にいるのか、そしてそれが竹村先生のお話にもあるように、私たちの文明のOSや考え方、見方、生き方にどう影響するか、そういうお話ができればいいかなと思います。
私の略歴ですが、実は人工知能ではなく、ユーザーインターフェース、ユーザーエクスペリエンスと言われる、人間とコンピュータがいかに対話をするかという分野にずっと取り組んでいます。
少し前までは自分の会社をやっていまして、モバイル、バーチャル・リアリティ、ロボットなんかの分野のものづくりも手がけてきました。
たまたまITの歴史についてまとめてほしいというお話があり、今なら人工知能を軸にすべきだろう、と思って、1年ぐらいかけて書いたのがこの本(『人工知能は私たちを滅ぼすのか』 2016年/ダイヤモンド社)です。出版された週に、グーグルの子会社が開発した「Alpha Go」というAIが囲碁で人間のチャンピオンに勝ってくれたおかげで、非常に話題になりました。
最近は本当にAIが身近です。Alpha Goをはじめ、最近よくCMをやっているIBMのワトソンは、音声対話ができて人間のクイズ王に勝つという人工知能です。
それからPepperくん。私も一部製品に関わっていますが、街中で普通に見かけるようになりました。
また、非常に話題になっているのが自動運転です。私も先日テスラ(※)に試乗してきまして、オートパイロットの運転を体験してみまして、都内のややこしい道でもちゃんと走行してくれるような段階に来ているのかなと実感しました。
(※)テスラモーターズ:アメリカのシリコンバレーを拠点に、完全自動運転機能に対応したハードウェアを備えた電気自動車の開発・製造を行う自動車メーカー。
今日はこういった現代のスケールにとどまらず、人類史のスケールでデジタルの技術やAIを捉えてみようと思います。
実は地球上で最初のデジタル革命はDNAです。
DNAは、ACGTという4種類の塩基の並びだけで遺伝情報がデジタルコードのように符号化されています。人のDNAの場合、せいぜい2、3万個の遺伝子で、人間などさまざまな生物の遺伝情報を表現しています。これが地球のデジタルの歴史上、最初のインパクトでありました。
人間の文明において、言語や書かれた文字というのは非常に大きな役割を果たしていますが、人類史上初期の文字であるくさび形文字(※)も、今のデジタルな情報の表現に近い。
(※)くさび形文字:アッカド、ヒッタイト、ペルシャなどといった古代の小アジア世界で、粘土板に刻まれた楔に似た形の文字。表意文字(ヒエログリフや漢字などのように、文字ひとつひとつが意味を持つ)から表音文字に移行する段階とされ、一般に1字が1音節を表している。
ここから農耕革命などが起こり、今日の人類の発展があるわけですが、特に近代の文明を決定付けたのがルネッサンス(※)の時代だと言われています。
(※)ルネッサンス:14〜16世紀のヨーロッパで起こった、思想、美術、科学など多方面にわたる革新運動。古代ギリシャやローマの文明を理想に掲げ、それを復興しつつ新しい文化を築こうとした。
ルネッサンス時代が花開くきっかけのひとつが、15世紀のグーテンベルクによる活版印刷技術の確立でしょう。これにより、情報を文字の形で広く伝搬できるようになったことが大きかったと言われています。
そしてこうした文字文化が、地球上のふたつめのデジタル革命だと私は持っています。
ところで、人工知能にコンピュータ技術が用いられているのはみなさんご存知だと思いますが、実はこのふたつは最初から一緒につくられたものです。その辺を少しお話させてください。
コンピュータは、第二次世界大戦前後に軍事技術として開発されたという側面があります。
そして最初の開発者から、すでに「人間の知能を代替できるような機械を作ろう」という考えを持っています。
その後のコンピュータ技術の発達の中でエポックを築いた人たちも、脳の機能や知能などを考えることからいろいろなものを生み出してきています。
2012年ごろから続く今のAIブームは、脳の回路にヒントを得て開発され、画像や音声などのパターン認識に非常に強いディープラーニング(※)という技術が、さまざまな分野に応用されるようになってきたことが背景にあります。
本当にこの5年くらいで、AI技術の応用の度合いや世間一般の認識が大きく変わってきました。
(※)ディープラーニング=深層学習。脳の神経回路にヒントを得た「ニューラルネットワーク」を用いた機械学習の手法のひとつ。既存の機械学習では、ある物を認識させるためには、人間があらかじめその物の特徴を定義する必要があったが、ディープラーニングでは人工知能が学習データから特徴を抽出する。つまり、人間が何に着目すればよいかを人工知能に教える必要がなく、どんな特徴を利用すれば識別できるのかを人工知能が自動的に学ぶ。
現在のコンピュータは、アラン・チューリングというイギリス人数学者が考え出した原理に基づいたものです。この人は人工知能という概念をつくった人でもあります。つまりコンピュータは最初から人工知能という概念とセットで生まれたところがあります。
なぜ彼がチューリング・マシン(※)を考え出したかというひとつの背景は、第二次世界大戦にあります。戦時中、イギリスの海上補給ルートをおびやかすドイツ軍のUボートの暗号通信を解読する仕事についていたチューリングは、ドイツのエニグマという暗号機械による暗号を解読するために、エニグマを機械でシミュレーションするというアプローチを取り、解読に成功。結果、Uボートをどんどん沈めて連合国側が勝った、そういう歴史的経緯がありました。
(※)チューリング・マシン:計算を数学的にモデル化するために提唱された仮想の計算機。現在のコンピュータの原型とも言われている
チューリングは、人間の心も計算だから、エニグマをシミュレーションしたように人間の知能もシミュレーションできるはずだと考えていました。現在使われている人工知能の達成度合いを判定するテストは彼が考案したもので、「チューリング・テスト」と呼ばれています。
インターネットも、もともとは軍事技術です。アメリカ国防総省の研究機関、国防高等研究計画局の情報技術部長だったリックライダーという人が、1960年代に構想したアメリカ中のコンピュータをつなぐネットワークのアイデアがもとになっています。この人は心理学者であり脳科学者です。インターネット構想にも、そういう背景があるんです。
また、W3C(World Wide Web Consortium)というウェブの標準団体を創設し、代表を務めているティム・バーナーズ・リーもイギリスの人です。面白いことに、この人の両親は計算機科学者で、チューリングと一緒にイギリスの一番最初のコンピュータをつくった人たちなんです。
一般的に、「ウェブ=蜘蛛の巣」と思われていますが、実はティム・バーナーズ・リーが考えていたのは人間の脳や神経のネットワークです。そこでランダムな連想が起こるのが人間の知能だ、というような会話を両親としていて、そこからウェブを構想したんだそうです。
つまりチューリングの人工知能から始まり、ワールドワイドウェブ、インターネットまですべて、脳のようにランダムな発想が起こる仕組みを作りたいという発想から生まれたものなんです。
グーグルを創設した二人の指導教員も人工知能の研究者で、グーグルは創業当初から人工知能の開発を目指しています。2015年、約4,000億円を人工知能を中心とした研究開発に投下しています。
ちなみに日本の文部科学省の、AIなどに対する予算が100〜200億円ほど。グーグルからどんどんAI技術がでてくるわけです。
グーグルは独自のハードウェアをどんどん発表していますが、そのメッセージは明確です。それは「モバイルの時代からAIの時代になる」というもの。
新しいスマートフォンから家庭用スピーカーまで、シリのような音声認識エージェントを搭載した製品を一気に発表して、今後もそういう製品をどんどん展開していくんだという意思表明ですね。
これが、2016年時点で時価総額世界一の企業の取り組みです。
ディープラーニングが脚光を浴びたのは2012年頃。主導したのはやはりイギリス人の研究者で、ジェフリー・ヒントンという人です。
神経の仕組みを模した機械学習の技術「ニューラルネットワーク」は、従来はせいぜい3層ぐらいの非常に浅い層で処理を行っていました。一方、人間の脳の大脳新皮質は6層ほどの深さがあります。コンピュータでも同様の深さをそこでネットワークをつくることで、たとえば様々な画像について、それを部品単位で見るとどういう特徴があるか、それをつなげた全体を見るとどういう特徴があるか、などを多層的に構造化することで、人間に近い精度でパターン認識が実現できるようになってきました。
画像の認識に関してはすでに人間を超えています。最近は、フェイスブックやグーグルでも、写真サービスに画像をアップロードすると、そこに何が写っているか認識できてしまう、そういうレベルになっています。
音声認識に関しても、人間以上のパフォーマンスができるようになっています。5年、10年前とはレベルは段違い。誤認識も非常に少なくなっています。
グーグルのグループ会社のひとつでは、ゲーム画面を提示すれば、人間が教えなくても勝手にルールを覚えて課題を解き、人間より圧倒的に強くなるAIをつくったり、最近では人間と遜色のないレベルでの音声合成を実現するというような研究開発を進めています
今後、情報技術が発達すると、AIはどんなことを得意としてどんな仕事で人間と置き換わっていくのでしょう。
ひとつ重要なポイントになるのが「発達のプロセス」です。
人間の発達を考えると、まずは自分の身体を通して周囲の環境と直接的にインタラクションをして、その中にパターンを見出してそれを学習する「パターン認識」の段階を経て、はじめて数学や文学といった複雑な記号処理ができるようになっていきます。
一方、コンピュータや人工知能の発達は人間とは逆向きです。いままでは記号情報の処理を行ってきましたが、最近になって、画像情報の処理や音声の認識、言語の認識といったパターン情報の処理ができるようになってきました。人間のように身体運動を通して世界を把握するのはより難しいところなので、おそらくもう少し時間がかかるでしょう。そして介護や肉体労働のよう身体運動を要する仕事が、実はいちばん最後まで残ると考えられます。
AIが代替しうる職能とは?
では具体的にどういう分野にAIは応用されていくでしょう。
非常にわかりやすいのはお金の分野です。株式の投資などはすでに機械がやっています。圧倒的にパフォーマンスがよく、人間は到底かないません。
また、もともと「大数の法則」(※母集団の数が増えれば増えるほど、ある事柄の発生する確率が理論上の値に近づくという法則)、つまりビッグデータのもとで成立している保険の分野も、AIと相性がいい。
それから医療の現場でも、最近、IBMのワトソンに多くの論文を読ませた上である患者の診断をさせたら、非常にめずらしいタイプのガンが発見され、それに適した抗がん剤を使用したことによって症状が改善されたというケースがありました。この場合、人間の医師では適切な処置ができなかったと考えられます。
都市環境のマネジメントについてもすでにAIが使われています。
アメリカではサーモスタット(室内の温度を温度センサーで監視し、エアコンやヒーターを随時動かして、あらかじめ設定した快適な温度になるように調節する機器)によるセントラルヒーティングが主流ですが、そのサーモスタットにAIを搭載することで、家庭内のエネルギーを最適な状態に保つ「ネスト」という製品が、高額であるにもかかわらず売れています。
(※)ネスト(Nest):使用者の生活パターンを学習し、起床時間に応じて温度を調節したり、就寝時や留守にするときには電源を切るなどの動作を自動で行なうサーモスタッド
また、シンガポールでは、AIが渋滞状況に応じた通行料金をその都度設定して、混んでいる道ほど料金設定を高くすることで交通量を抑え、ひどい渋滞を解消しようということが始まっています。
安全安心の分野でいうと、PayPalの創業者がつくったパランティアという会社が、さまざまなコミュニケーションのログのビッグデータから危険人物を特定するサービスを提供していて、FBIやCIAが顧客になっています。
さまざまな犯罪の発生した時間帯、日付、気候、曜日といった情報から犯罪発生の確率が高い場所を事前に予測する「プレッドポル」=プレディクティブ・ポリシング(Predictive Policing)と呼ばれる技術の実用化も始まっています。実際にこの技術を導入したところ、犯罪件数が17%減少したという成果も出ています。
このほか、弁護士業務、教育やキャリア、自動運転、物流などの分野でもどんどん応用が始まっています。
今日のお話のもう一つの柱になると思うのがいわゆるバーチャル・リアリティです。AIの技術と直接の関わりがあるわけではないのですが、AIのいろいろなインテリジェンスと人間とがどう対話するか、また、それを現実の世界にどうフィードバックしていくかを考えた時、拡張現実や仮想現実の技術が非常に重要になってくるんです。
例として、私がつくったものをお見せしたいと思います。
ウェブ技術を使って遠隔操作するというインターフェースで、ヘッドセットを装着すると、スマホを経由してロボットの様子を見ながら、ロボットをリアルタイムで制御できるというものです。
今はPepperに搭載されていて、聞いた話ではかなり売れているそうです。人工知能そのものの話じゃないんですが、人工知能と人間がこのように対話できるようになった、ということですね。
AIが「人間より正しい意思決定をする日」が来る?
最後に、人工知能の技術が我々の社会、経済、環境のマネジメントとどう関わってくるか、お話をしたいと思います
IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)の第五次報告によると、地球温暖化による気温上昇を経済や社会のダメージを最小限にする2度以下に収めるために、CO2排出量をどこまで抑える必要があるかというと、2100年までに0からマイナスにしないといけない。この数値、人間によるガバナンス、マネジメントで実現可能でしょうか。
中国では2020年までに人口100万の都市が100も誕生すると言われていて、そのために使われるセメント量は、20世紀にアメリカが使ったのと大体同じくらいと推定されます。
今の世界の政治の民主的なガバナンスは、自由な経済、自由な個人が前提になっているわけですが、これからの社会を考えていくうえで、本当に人間の自由意志の総和でいいんでしょうか。
おそらく我々の生活のさまざまなレベルでの意思決定に、人工知能がある程度介入してくるでしょう。
そうすると、「神様から解放されて自由だ!」という社会から、もうちょっと上位の概念がある世界になる。さきほど竹村先生から「宗教が心のOSだ」というお話がありましたが、そういうものをテクノロジーで取り返す世界です。
非常に怖い世界に聞こえますけど、好むと好まざるとに関わらず、そこに行かないと立ちいかなくなるんじゃないか……と、人工知能について調べていて感じるところです。
AIは生命とどう接続していくか
竹村:パリ協定の通りにCO2を削減できれば温暖化は緩和されるかもしれないけれど、果たしてそれを人類の意思決定で実現できるのか。という非常に重要な問題提起をいただきました。それを受けて、私からも問題を提起したいと思います。
地球と似た条件を持つ星が発見されましたが、まだ生命の確かな痕跡は発見されていないし、高等生命の存在もSFの段階ですよね。ですから今のところ私たちが知る限り、ひとつの「遺伝子情報系」がここまで進化した例は、この宇宙において地球しかない。
その出発点はもとより、児玉さんがおっしゃったとおり地球で最初のデジタル情報系である遺伝子情報系です。
なぜ遺伝情報がデジタルでなければならなかったか。
毎日2000億3000億の細胞が入れ替わりながら昨日と同じ自分でありつづけるには正確な複製技術が必要です。写真を何度もアナログコピーすると画像がつぶれて誰の顔かわからなくなってしまいますが、それではダメで、デジタルでなければ自己複製はありえないわけです。
それが5億年ぐらい前に多細胞生物化しました。個々の細胞がひとつのユニットとして行動するには細胞間連絡が必要になるので、脳神経系が発達してくるわけですが、これは単に細胞間で連絡を取り合うためのものではありません。経験を通して学習することが可能となり、遺伝子に組み込まれた本プログラムから相対的に自由になったんです。
さらに人類は、言語によってその経験を他者に伝えられるようになりました。たとえば、過去の自然災害から祖先がどうやって逃げ、生き延びたかを子孫に伝えることができるようになった。つまり、他者の経験資源を自分のものできる。個人の脳からある程度離陸し、自由になる可能性を生み出したのです。その可能性をさらに飛躍的に高めたのが文字や活版印刷で、今は、文字情報や言語情報だけではなく、さまざまな情報をマルチメディアで総合的に扱いながら半デジタル情報系にしようとしている、そういうお話でした。
地球進化の知見を踏まえると、まず遺伝子情報系が生まれ、次に脳神経系が生まれ、さらに言語・文化情報系を発明して……と、遺伝子や脳からある程度自由になっていく3つの飛躍に続く4つめのジャンプが、人類が今やろうとしていることなんだということがわかります。
そしてさらに人間からすら離陸しようとしているのか、というのが、今日の児玉さんの問題提起だったと思います。
この「人間からの離陸」を可能にするのがコンピュータですが、その関連技術はすべて人間的な特性に根ざしているわけですよね。
たとえばバーチャル・リアリティなどの情報空間も「立体視」ができる私たち人間の視覚をベースに作られています。この立体視は、人間の祖先が樹上生活を行っていた時、飛び移る先の枝をしっかりつかむために発達した感覚です。
人間は直立二足歩行によって口腔空間が広がり、舌を自由に動かせるようになって、音声言語をしゃべれるようになりました。チンパンジーやボノボもかなり人間の言語を理解するとの実験がありますが、それでも発話することはできないのは、気道が狭くて一定の音しか発することができないからです。
このように人間特有の音声言語を使って話しかけることで、コンピュータを操作できるようになってきました。そういう意味でもますます、今のコンピュータは人間の特性に根ざして発達したといえます。
今後、コンピュータがコンピュータ同士で自律的に連絡を取り合い、人間の意見を聞かずに独自に意思決定したりして社会を、地球を動かしていくようになったら、このような人間的な特性は必要ないかもしれない。
こういうものがこれからどういうところへ行くのかも踏まえながら、この次の時代を予見しなきゃいけない。
今までは、私たちがものを食べたり自動車に乗ったり移動したりという物理環境は、コンピュータや新聞、テレビといった情報空間から切り離されていましたが、今や、あらゆる物がインターネットにつながるIoTなどの形で、私たちがフィジカルに行動することすべてが情報環境の中に組み込まれています。
これからは、それらがさらに私たちの遺伝子や生態系などとどう接続していくかが重要になっていきます。
ただ、そこに至る前に地球がこのまま存続できるかどうか。人間一人が操ることのできる力が100倍になり、消費するエネルギーも増大して、地球環境に対するインパクトは100倍くらいになっています。このように巨大化、ガリバー化した自己を認識しないままで近代的な個人の自由を謳歌している限り、コモンズの悲劇(※)は起こります。これから20年くらいに渡り、本気で多くの人々が取り組んでいかないといけない話だと思います。
(※)コモンズの悲劇=多数者が共有する資源が乱獲された結果、資源の枯渇を招いてしまうという経済学の法則
私の専門はもともと人類学なものですから、最近の認知科学や認知考古学の成果も踏まえながら、今、人類がどんな場所に至ろうとしているかを考えます。
ネアンデルタール人はすでに精緻な道具を作る技術を持ち、世界に対する知識、社会的知性、コミュニケーション能力などを有し、言語も話していたのではないかと言われています。
ネアンデルタールの段階では、こうした知性、つまり「道具的知性」「博物学的知性」「社会的知性」は統合されていませんでしたが、ホモ・サピエンスの段階になって統合され、連携を持つようになったと最近の認知考古学では言われています。
たとえば「花が咲く」とは、花が咲いているという現象の描写で、科学的・観察的な知性ですが、3つの知性の統合により、花でないものを花にたとえて「花のように美しい」あるいは「遅咲きの人生」などといった比喩や象徴を使うことができるようになりました。
これから先、AIが進化してシンギュラリティ(※)を超えた時、人間のように比喩表現を使ったり、詩を作ったりすることができるようになるでしょう。しかし、はたして人間的な心の働きが、AIにとって、コンピュータにとってどんなものなのかが問われてきます。
(※)シンギュラリティ(Singularity):技術的特異点。コンピュータが発達して、その知能が人類を超える時点のこと
このように統合的な知性が生まれた段階の次の飛躍が、文字の発明です。
「3000年前くらいまでは、人間は今の意味での意識や理性的な心を持っていなかった」と主張する学者がいます。当時は右脳と左脳が分裂しており、右脳に常に霊魂か神様が語りかけていて、そういう経験からホメロスや叙事詩が生まれた、というものです。しかし、メルクマールとなった出来事が3000〜2500年前にあった。それが文字の発明です。初源的な文字は5000〜4000年前に生まれていますが、このときは言語を表すためのものではなくて、牛の頭数など財産を記録するための絵文字でした。
それが言語の記号として使われるようになったのが3000年前くらいで、それ以降、文字は思考の道具になっていきました。ちょうどプラトン(紀元前427〜紀元前347年)の時代で、彼は、従来のように口頭伝承で人を焚きつけるのではなく、文字に書き、法律によって国家を運営していくべし、と「国家論」に書いています。そしてここから文字の時代が始まっていくわけです。
ちなみにプラトンの師匠であるソクラテス(紀元前469年〜紀元前399年)は著作を残していません。彼は「最近の若い奴はダメだなあ。文字に書いて記録して覚えたつもりになっている。文字は人間を堕落させる」と、文字を嫌っていました。
だけどソクラテスの弟子のプラトンは、全て文字で整理して理性的な国家運営をして、理性的な人間にならなければいけないと主張しています。プラトンとソクラテスが分水嶺で、そのおかげでプラトンを通じてソクラテスの思想を読むことができるわけです。
そして、プラトン、ブッダ(生没年には諸説あり)、孔子(紀元前552〜紀元前479年)もほぼ同時代人です。つまり今から2500年〜2600年前ぐらいに、宗教や思想という精神革命が、文字とあいまって人間の心や意識を大きく変えたと思われます。
この精神革命の次の段階となったがルネッサンスです。
ルネッサンスが理想としたのは、古代のギリシャ、エジプト時代の科学的な知性の復活・再生でしたが、やっぱり怖いわけです。今まで知の真理の絶対性を保証してくれていた神から自立して、自分の目で世界を見ることで、果たしてその真理を保証できるのか、と。
そこで、悩みに悩んで不安に怯えて書いたデカルトの著作が『方法序説』です。そこに書かれていたのは「人間らしい感覚や世界の見方を否定して、とにかく数学、科学を信じなさい」ということ。人間が神から自立したとき、神に代わって絶対の真理を担保してくれたのが数学であり科学技術だったんです。それが今の科学技術信仰につながっています。血圧も、自分の感覚より血圧計の数値を信じる、というような。
そうやって科学技術を得た人間が、近代的な個人という感覚をもとに神に代わって世界をある意味コントロールするようになって、いろいろな問題が起こっているのが現代、ということです。
それを克服していくのになにができるでしょうか。
さきほど児玉さんがお話しされたように、仕事がAIによって代替されていったとき、かえって人間的な部分が際立ってくる可能性もあります。いくらAIがロボットとしての身体を持つようになったとしても、それは人間と同じ身体ではないので、このウェットウェアとしての身体性が人間に残される重要な要素になっていくでしょう。
もうひとつ、ビッグデータの可能性は、単に多くの症例や判例を集めるだけではありません。
今までこの「未開の未来」で議論してきたように、車がセンサーとなって渋滞や気象などの情報をリアルタイムでモニターする、いわば車が感覚神経系になりうる可能性もあるわけです。また、空車状況と移動のニーズを情報交換してカーシェアやライドシェアができるようになれば、タクシーや公共交通機関よりずっと効率的な交通システムが実現します。
同じように、ビル同士が繋がりあって気温の情報を交換し、エネルギーを融通する、エネルギー神経系のようなシステムも可能になるでしょう。
このように、従来のようなインフラがなくてもやっていける社会が見えてきています。
改めて、さきほどの児玉さんの問題提起を考えましょう。
気候変動に対処するには、一部の人間が下手に考えて討議するよりも、AI的なものに基本を置きつつ人間がそれをサポートする、そういう関係が近代的な限界を超える可能性が示されています。
少々話がそれるかもしれませんが、都市の更新について考えてみましょう。今、木造建築技術の向上によって、間伐材を使って耐火性・耐震性を備えた高層ビルを建てられるようになっています。現在、森が手入れされずにどんどん荒れて、土砂崩れなどの災害の多発につながっています。そこで木々を適度に伐採して森をメンテナンスし、その間伐材を都市のビルに使うわけです。伐採された木が規格外のサイズでも、集成材に加工することでビル建築に使えるようになります。
法隆寺は築1400年ですが、創建当初の建材はほとんど残っていません。部材をどんどん交換して保たれてきました。木造建築の都市なら、法隆寺と同じように新陳代謝のように循環しながら維持することができます。しかも森のメンテナンスにもつながるのです。伐採するとき、ある程度成熟してCO2吸収率が衰えた木を選べば、温暖化対策にもつながるでしょう。
現在、国連を中心にレッドプラス(※)という経済制度が設計されていまして、こうした制度設計と、人工衛星などを使った観測技術、そして木で都市をつくる営み、森を手入れする営みがトータルに循環していくと、従来の「近代的な個人」がそれぞれやりたいようにやってとんでもないことになっている社会を超えていく可能性がでてきます。
(※)レッドプラス:REDD+(Reduction of Emission from Deforestation and forest Degradation)。途上国が自国の森林保全のために取り組んでいる活動に対し、経済的な利益を国際社会が提供するシステム。森林を伐採するよりも保全する方が高い経済的利益を生むようにして、森林破壊と温暖化を防止し、生物多様性や地域の生活を守る施策
楽観論ばかりは言えませんが、いずれにせよ人類が農耕革命、都市革命、精神革命、科学革命を成し遂げた時期は、全部が気候変動期です。今も次の革命をやろうとしていて、人間の心の進化と、地球と人類との共進化という新しいステージが見えてきたところです。
90年代、触れる地球の原型になったウェブサイトを運営しているときから、こういう地球大の感覚神経系が育ちつつあるということは感じられました。
それにより、人類がコモンズの悲劇を超えて「地球共感圏」を生み出す可能性、インターネットが人間同士だけではなく人類と地球とのコミュニケーション手段になりうるのではないかという予感が、「触れる地球」や「未開の未来」といったプロジェクトを手がける背景にはあります。
この地球ミュージアムの活動の紹介も兼ねて、今日の問題提起を受けさせていただきました。
クラウドコンピューティングは一神教的思想から生まれた −−対談
児玉:私が今みたいな仕事をしているひとつのきっかけが、高校生くらいのとき、初台のNTTのインターコミュニケーションセンターでセンソリウム(※)の展示を見たことで、これが、自分のアイデアの原型のひとつになっていると思います。本の中で、地球が宇宙の暗闇に浮かぶ大きい脳のようになるというイメージについて書いたんですが、これは完全にセンソリウムや先生の活動の影響です。
(※)センソリウム(Sensorium):インターネット上でさまざまな実験的な表現に取り組むプロジェクトの総称。グラフィックデザイナー、プログラマー、ネットワークアーチスト、音楽家、ジャーナリスト、大学講師、地球物理学者などさまざまな専門家が加わっていた。竹村氏もメンバーの一人。
ただ、現在はまだ神経系を張り巡らせている状態で、生物の発達段階でいうと、まだ脳ではない。つまり、記憶をして、その記憶した情報をもとにプロセッシングしていくという状況ではなく、貝や棘皮動物から、脳のある魚介類に進化しつつあるというようなパラダイムシフトにいるのかなと、今のお話をうかがいながら感じました。
竹村:そういう中で、今のAIはどういう位置づけなんですか。
児玉:AIの発達がグーグルなどから起こってきたということが示唆的だと思います。彼らの特徴は、クラウドコンピューティングによって膨大なビッグデータを扱っていること。圧倒的な情報量をストックし、それを処理できるような装置が発達したことで、ディープラーニングが出てきてAIの革命が起こった。それが生物でいうと脳にあたるのかもしれません。そういうものがインフラとして成立し、インターネットがひとつ先の段階に進んだからこそ人工知能が出てきたと言えるんじゃないかと思います。
竹村:遺伝子情報系も、ある段階でゲノム数の爆発が生じて、それが重複を生んだり大きな進化を生んだり、という歴史があったと思います。それに似たような爆発の段階を今迎えているのかもしれません。
クラウドという思想も面白いところがありますよね。キリスト教的な感覚につながる部分があるのかもしれませんし。
児玉:いろんな見方ができると思いますが、この業界にいると文化的な違いを感じるところがあります。
たとえば、コンピュータや人工知能の開発、あるいはゲーム、アニメみたいなコンテンツの世界では、日本人の発想だとかなり個人に寄せるんです。組織単位ではなく個人にリソースを寄せて、そこでパフォーマンスを最大化しようとする傾向があります。
ところがアメリカをはじめアングロサクソンの世界では、ものの作り方、進め方は非常にシステマティックです。一貫した思想のもとで組織を拡張していく。今、20万人くらい社員のいる会社にいて、ひとつのOSを横展開していくような進め方をしているので、ちょうどそれを実感しているところです。
このように一つの発想を拡張して大きなオーガナイゼーションを作っていくみたいなことは非常に一神教的で、それが彼らの思想的なバックグラウンドにあって、クラウドコンピュータみたいなものを生んでるんじゃないかと思えるんです。
竹村:面白いですね。トヨタの生産ラインもある種非常にシステマティックな部分でしょうし、一方で職人的な部分もある。そのバランスについても後ほどコメントを聞きたいところですが、もうひとつ。
90年代、「カテドラルとバザール」という言い方がありました。マイクロソフトが、設計者がプランを立てすべてコントロールするというシステマティックな方式で開発を行う一方で、当時でいうとLinuxのように、市場(バザール)のように訪れた人々がお互いに必要なものをやり取りする「バザール方式」があった。バザール方式では、それこそ小さな露店のような存在が地球大でつながりあっていくことで、マイクロソフトを脅かすようなひとつのOSを作り上げるだろう、そんなことが言われていました。
今のお話からすると、クラウドにはカテドラルとバザールの両面を兼ね備えた部分があるんでしょうか。
児玉:そこは組織の構造とつながっているところがあります。
たとえばグーグルは検索エンジンのサービスだと一般には思われていますが、OSや自動運転車など幅広い事業を手がけています。彼らの実態を見ていると、広告業で稼いで世界一の時価総額の会社となっている面と、その膨大なお金を使って、先生のおっしゃられたLinuxの世界に近いことを社内でやっています。
どういう意味かというと、グーグルでは、特定のコードを特定の人しか扱えない状態は作ってはいけないという決まりになっています。グーグルの何万人といる社員の大半がエンジニアですが、彼らがグーグルのすべてのコードをいじっていいという状況で、言ってみれば「外に対してはクローズドで、その閉じた内側ではオープンソースのコミュニティ」なんです。
竹村:200年前にアメリカの独立を支えた思想は、フランス革命とも響き合っていますが、根底にあるのはイエス・キリストによる人類救済思想ですよね。それがグーグルのベースにも流れているような感じがします。
そしてどうしてもキリスト教のことを考えると思ってしまうのが、神と人間の圧倒的な非対称です。キリスト教に限らず一神教では、神が絶対的で、人間はどうやっても神の絶対性には至れない。だから科学革命が起こり、聖書に頼らず、啓示真理から理性真理へと自立していこうとしたときに、神の代わりにふたつのものに頼ろうとしました。ひとつは機械時計。天体の恒星の動きのように正確に時を刻み、人間の不完全性を補完してくれるものです。もうひとつは数学でした。
数学と機械時計というふたつの範が神に代わるものになって、それを使いこなす人間が地球をコントロールできるという幻想にもつながるわけですが、どこかに人間を軽視、蔑視するような思想があるんですよね。
人類救済思想の一方で蔑視をはらんだそのアンビバレンツは、仏教的あるいは八百万の環境で育ってきた我々からすると、どうしても違和感がある。ですから、次の時代にいかにAIと共生して、新しい八百万の秩序を作っていけるかというとき、文明のOSの衝突がありうるのではないかと思っているんです。
児玉:私は小さい頃アメリカに住んでいましたが、小学校では毎朝神様への誓言みたいなこと言わされていました。周りも日曜は教会に行っていましたし。アメリカは科学技術思考が強い一方で、キリスト教の世界観は確実に社会の基盤になっている。非常にアンビバレンツな国家です。
そのアメリカの技術者・研究者を中心に、シンギュラリティ、つまりAIが人間を超えたときに何が起きるのかを真面目に考えている人たちがいます。このシンギュラリティ思想の背景には、キリスト教的な終末観、つまり「社会がある段階へどんどん向かっていき、最後に終末を迎える。そしてそこには必ずユートピアが訪れる」という世界観が、間違いなくある。
映画を考えるとわかりやすいと思うんですが、アメリカ人の考える人工知能はたいてい人間を支配していたり、人間を滅ぼそうとしていたりします。人間より上位のものが人間を抑圧するという構図です。日本だと、それがドラえもんや鉄腕アトムになって、友達になっちゃうんですね。こういう違いは宗教的思想的違いが前提にあるんでしょう。
人間とAIの共進化は、地球の進化史に連なるものである
竹村:たとえばグーグルがクラウドや人工衛星を使って、地球観測網、地球監視システムを構築していくときに、なにを目指しているんでしょう。人間不在でも地球を維持していくようなイメージなのか、そのへんどういう印象を抱いておられますか。
児玉:コンピュータのOSやインターネットのプロトコルなど、直接人間の目に触れない技術は、さきほどお話があったLinuxのようにオープンソースの形で非常にうまくつくられています。
ところがブラウザやOSでもユーザーインターフェースの部分は、オープンソースでの開発は歴史上うまくいった試しがない。人間に触れる部分は、デザインが必要だからです。
竹村:そうか。そのいい例がMacやiPhone。
児玉:おっしゃる通りで、ユーザーインターフェースのパラダイムシフトを起こすのは、極めてトップダウンで垂直統合型の会社。それを広げるのが、グーグルやマイクロソフトみたいにオープンに多くの人が関わるような会社です。
地球を覆うようなAIのOSができたとき、それが人間の主観や感覚に触れる部分は主観的なデザインでつくっていかないと、うまく機能しないんじゃないでしょうか。
私は機械だけが世界を動かしていくような世界が望ましいとは思いませんが、そうなるかどうか、インターフェースをうまくつくることが鍵になるのではないでしょうか。そしてそのインタラクションの部分が、ARやVRといった技術とつながってくるんじゃないかと思います。
竹村:日本礼賛とかクールジャパンとかつまらないことを言つもりはありませんが、我々が日本文化の中に持つOSやアプリケーションには、地球資源というべき価値あるものがまだまだある気がします。かつてスティーブ・ジョブズが日本の町工場に足繁く通ったようにね。それなのに、パソコンやスマホの文化も結局は輸入に頼っている。我々の中にあるリソースで地球に寄与できるものはあるはずだと思いますが。
児玉:我々が歴史的に積み重ねてきた文化は、我々の身体や認知のシステムと環境とのインタラクトを基盤に積み上げられてきているものだと思うんです。
今、コンピュータの世界で最も難しいのは、極めてデジタルなAIの世界と、極めてウェットな我々の世界との境界の問題です。ミクロなスケールで言えばユーザーインターフェース、つまり人間とコンピュータがどう対話するかという領域になりますし、マクロで言うと環境などのデータをどのようにセンシング、モデリングしてデジタルで取り扱えるようにして、かつ現実のアナログ世界に戻していくか。非常に複雑度の高い問題ではないかと思います。
竹村:そこはまだ幼年期という感じがしますか?
児玉:だと思います。我々は、デジタルの世界から極めてフィジカルな身体性の世界に続くグラデーションの、ちょうど真ん中ぐらいにいるのではないでしょうか。それを我々のウェットな世界にもっともっと近づけていくデザインが、我々が能動的に取り組まなければいけない部分じゃないか、先生の取り組みも関わってくるんじゃないかと思うんです。
竹村:ぜひやりたいですね。
話は戻りますが、たとえば今後は、法隆寺などの修復に際し、センサーなどで傷んだ箇所を特定し、AIが取り替えるかどうか判断してアラートを出し、必要な部材を持ってくる、みたいなことを有機的、生命的に行う自己修復システムが出てくると思いますが、そのとき木材をどこの地域から持ってきて、その地域と固有の関係性を築くような領域は、人間が介在していくべきだと思うんです。このように、AIによってエネルギーなどの無駄を省きながらやっていく部分と、人間が介在して顔の見える関係をつくっていく部分とがいいバランスで構築されていくために、我々がやるべきことはいろいろある気がします。
児玉:たとえばAIが得意とするのは、何かをマッチングしたり分類することです。そういったことは機械にどんどんやってもらえばいいと思います。
一方、その結果得られたコンポーネントを統合的なシステムにすることが「デザイン」で、それが人間の重要な仕事になってくるように感じます。
竹村:囲碁のように、ひとりの天才棋士が一生かかっても学習しきれないような膨大で複雑なビッグデータを数週間で学習してしまうみたいなことはできるでしょうし、膨大な症例をスキャンして珍しいガンを見つけることもできるし、もしかすると今のオリンピックのエンブレムよりずっと受けのいいものを見つけることもできるかもしれない。
だけど今のAI技術は、先ほどもっとも人間的な心と紹介した知性……つまり、技術的知性と科学的知性と社会的知性を統合して流動的・統合的ななにかを生み出していく知性とは違うと思うんですね。一見、芸術分野にまで及んでいるように見えますけれど、実はひとつの平面の上での効率化にとどまっていると思うんです。
地球の歴史は、異質なもの同士の共生・共進化の歴史です。
太古の昔、酸素の毒から守るための核を持った細胞と、酸素を動力源にして動き回る細胞が、お互い敵対関係にあったのに共生を始めて、さらに酸素という猛毒を出して地球初の環境破壊の元凶だったシアノバクテリアが葉緑体という形で入ってきたのが植物の細胞です。
今の植物も、窒素やリンを固定するには菌類とかバクテリアの助けが必要だし、種子は動物や虫に運んでもらわないといけない。
要するに我々は、異質なもの同士の、つまり違う得意分野・違う知性を持った存在の共生・共進化システムなんですよね。
同じように、AIが人間や自然生態系と共進化していく未来っていうのは、地球の進化史、共生進化史の延長なんじゃないかと思うんですよね。
児玉:まったく同感です。ケヴィン・ケリーが書いた『テクニウム』という本にも非常に近い歴史観を見ることができます。地球の歴史を見ていけば、単純な化学物質から単純な生物、それから多細胞生物、複雑な生物へと、単純なコンポーネントのインタラクションが、段階的に、我々から見て意味のあるような複雑な現象を創発させているんです。
僕の今回の本では、機械で我々の心や知能はつくれるのかを考えています。
では心の本質とはなにか。最先端の脳科学でも、バラバラで意味のない感覚的な情報を統合して意味づけをする、いわゆる「クオリア」が我々の心の本質的な作用ではないかと言われています。
物理学などでは説明つかないけれど、生物の発達における大きなシステムとしてクオリアが存在して、地球の神経網、地球の海馬や前頭葉みたいなものにもつながっているのではないでしょうか。
このように、情報を意味のある形にしていく、デザインにしていく原理が、今日の人工知能、我々の心の問題、あるいは地球の発達史のようなもののひとつの本質なのかなあというようなことは、先生とのやりとりの中で感じました。
竹村:そうですね。ネアンデルタールの時代にも、すでに技術的に精緻なものがあった、科学的な観察もあった。花を手向ける葬送儀礼までやっていましたからね。
それが統合されてメタなレベルが生まれていった、などと考えてみると、やっぱり人類の歴史とは統合の歴史であると実感します。世界史などでは「5000年ほど前に文字が発明された」と平面的に教えられるだけですが、文字の発明によって、人類の脳や心は文字と共進化してきたんですよね。
そう考えていくと、私たちが生み出したAIやIoTなどと統合的な仕組みを作っていくというイマジネーションは現実のものになるでしょう。そのとき、キリスト教的・一神教的文化を背景に大規模な技術システムを作っているアメリカの部隊と、彼らが生み出そうとしている世界観に、我々の命を預けられるのか、我々はどのような貢献ができるか、ということを含めて考えていかなければいけないと思いますね。
児玉:今、我々はそれをデザインできるという幸せなタイミングにあるんだということを、仕事をしていて思います。それがどういう思想のデザインになるか、極めて抑圧的なシステムにもできるし、もっとオープンで人間と対話していくようなインターフェースにデザインしていくこともできる。そのケイパビリティを持っているんだ、という意識がなにより大事かなと思います。
竹村:本当にそうです。まだ固定化されていないですからね。それこそ、先ほど例示した植物の細胞のような、ミトコンドリアと核をもった細胞と葉緑体が共生している、その前の段階に我々はいるわけですから。どんな仕組みを作っていくか、大変エキサイティングな時代に生まれたという感じがしますよね。
ぜひまた第二ラウンドを企画したいと思います。本日はどうもありがとうございました。