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わたしたちはナショナリズムや「国家」という大きなGRIDを外し、その概念を超えることができるのでしょうか。また、そこから見えてくる未来社会はどのようなものでしょうか。近年では、イギリスの離脱によりEUは揺れ動き、国家というGRIDが見直されています。ISは、独自のGRIDを新たに作り活動をしています。米国では、トランプ氏の大統領当選によりGRIDの強化が進んでゆく見通しです。
一方で、ビジネスやコミュニティは遥か昔に国家を飛び越え、さらには国家というGRIDを超えて生きようとする人たちが増えている現状もあります。強化、緩和、そして変化。いま大きく変わりつつある「国家」というGRIDをテーマに、ベルリン在住のインディペンデント・キュレーターで映画監督の渡辺真也さんにお話を伺いました。
<プロフィール>
渡辺 真也
1980年静岡県沼津市生まれ。ベルリン在住のインディペンデント・キュレーター/映画監督。ニューヨーク大学大学院修士課程修了後、国立ベルリン芸術大学造形学部社会経済コミュニケーション学科博士課程にて、ボイスとパイクのユーラシア論を提出。世界57カ国を単発的に放浪。ベルリン工科経済大学講師。
「私の存在」というフィクション
グリッドの話からしましょうか。これは基本的にデカルト哲学ですよね。「空間を飛んでいるハエをどうやったら記述することができるか」と問うところから座標空間が生まれました。X軸とY軸で空間を表わすという手法です。
これには一つ欠点があって、それは虚数というものが平面上に出てこないことです。虚数を想定しないと、実数も上手く表現できないことが数学的に分かってきています。たとえば、ホタルを座標空間に描くとして、光っているときと消えているときがあるじゃないですか。光っているホタルは座標空間にプロットできますが、消えているホタルはプロットできない。だけど、光っているホタルと消えているホタルは繋がっている。あの消えているホタルっていうのが虚数の世界なんじゃないか、なんて考えたりします。
デカルトの哲学というのは、「私は存在する」というところから生まれたものです。つまり、疑っても否定できない「考える自己」という私の「存在」、すなわち「私」というフィクションを中心に据えて世界を捉えること、すなわちX軸とY軸の交点を「考える自己」とすることで座標空間が生まれて、そこからプラスとマイナスという対概念が生まれ、マイナスというフィクションが存在できるようになったんです。そして、このフィクションとして存在する「私」の延長線上に、「ネイション(国民)」というフィクションが「存在」できるようになり、そこからネイション(国民)が形作る国家、すなわち国民国家が誕生しました。
私は「私」という意識自体が受動的に生まれると考えているので、究極的には「私」は存在しないと考えています。したがって、「私」の存在を前提としたネイションも、またフィクションであり、どうやったら自己と他者、異なる国家間の対立を乗り越えられるのかを考える過程で、ネイションを超えた共同体のビジョンとしてのユーラシア論を研究する様になりました。
私はニューヨークに7年住んでいたのですが、久しぶりに日本に帰って山の手線に乗っている時に、こう思いました。日本人といっても、顔立ちを見ればフィリピン人もロシア人もいるのに、明治維新以降はみんな日本人だと思い込んで、しかもその後数十年で、「お国のために」「天皇陛下のために」と言って死んでいった、よくそんな国ができたなぁ、と。
実は「日本人」というのもフィクションなんです。でも、みんなが日本人というフィクションが存在すると思い込むことで、「日本人」が生まれたのです。
いわば思い込みの力が「存在」を生んでいるわけです。わたしたちが「カップ」という言葉を共有しなければ、このわたしたちの目の前にあるカップは存在しない。これが、いわゆる仏教における「空」の哲学です。そういった思い込みを恣意的に作っていくことで、それが本当に「存在」になってしまった。その最たる例が、「私」です。16世紀にデカルトが登場するまで「私」の哲学なんて無かったのに、突然、それが存在になって、当たり前になってしまった。そのことが、私にとって驚きです。
デカルトがなぜ存在の哲学を作ったかというと、当時のヨーロッパは三十年戦争という宗教戦争のまっただ中でした。プロテスタントとカトリックの間の戦争です。その時に、反宗教改革の騎手であるデカルトは、「私は存在する」という哲学を、カトリックのイエズス会の思想の延長線上に作っていくんですね。どういうことかというと、「私」という主体を非常に強く持つことによって自らの存在や心情を疑わない様になり、そうすることでカトリック側の軍事的自己正当化を後押しして行ったのです。
その結果、反宗教改革がある程度成功して、デカルトの哲学はカトリック教国のバイエルンにある一定の勝利を齎す。その延長線上に生まれたのが、近代国民国家です。つまり、近代国民国家のグリッドというものが、「私の存在」というフィクションから生まれていて、その背景には宗教戦争があったということです。
デカルトによって「私」が生まれる前の世界というのは、なかなか面白いです。たとえば、マルコ・ポーロの『東方見聞録』。これはラテン語で書かれているのですが、「彼ら」と「私たち」、「あなた」と「私」などがかなり混同されています。大乗仏教が生まれた2世紀のインドだと、ナーガールジュナという大乗仏教の開祖が木に衣を掛けてたら、知らない人が持っていってしまった。「それ俺のだよ」と言っても、相手は私が所有するという概念の無い言語圏の人だったから返してくれなかった、という話が伝わっています。一方で、紀元前の古代ギリシャには、所有権という考え方が既にありました。そんな風に地域差はあったようですね。
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「私」は自然の一部に過ぎない
もしも、今とは違う新しい文明の形があるとしたら、それは「私」の存在がフィクションであることを前提にして、いかにそれを乗り越えていくか、ということにヒントがあると思っています。
私は、「私」という自我意識そのものが無意識の集積でできあがっている、と考えるようになりました。たとえば、目の前のコップからドリンクを飲んだとしましょう。「なぜ飲んだの?」と聞かれたら、考えますよね。「喉が渇いたから」「作ってもらったから」とか答えはいろいろあるけど、実はそれは後付けです。私が行っている行為というのは無意識の集積で、「飲みたいな」とか「トイレ行きたいな」とかいろいろな無意識がうごめく中で、その集積の結果、行為が行われる。その後付けとして、行為の主体である「私」が生まれる。ですから重要なのは、行為なんです。「飲む(ドリンク)」という行為。その行為から名詞の「ドリンク」が生まれる。そのオブジェクト(客体・目的語)としての「ドリンク」を動詞の「ドリンク」でつなぐために、サブジェクト(主体・主語)の「私」が生まれるんです。
つまり、行為を司っているのは無意識の集積であって、それを言語的に切り取ったときにオブジェクトとサブジェクトというものができる。西洋思想は「自由意思」という考え方で、「私が飲みたかったからだ」って言うんだけど、本当はそうじゃなくて「飲んだ」んだと。飲んだものはドリンクで、飲んだのは「私」だったけど、それをさせたのは「私」ではなく無意識です。ここが暑かったら脱ぎますし、喉が渇いたら飲むし、つまり無意識というのは環境の集積なんですね。
そう考えていくと、「私」を最も快適にするには環境を良くするっていう考え方に到達します。おそらく、その考え方で最初に芸術作品を作ったのがヨーゼフ・ボイスです。みんなで木を植えよう。なぜなら、「私」というのは自然の一部に過ぎないから、自然自体を彫刻することによって、私自身の生活を変えて行こう。彼はそういう方向に行ったわけです。
ボイスの場合は、ルドルフ・シュタイナーの哲学からそういう方向に行きました。でも、日本にはもともと仏教哲学があります。この話は仏教哲学(唯識)と非常に相性がいいんですね。だから、日本人には比較的理解しやすいんじゃないかと思います。
ユーラシアを考えさせたマレーシアでの経験
私は今、ベルリンに住んでいます。ヨーゼフ・ボイスとナムジュン・パイクのユーラシアの研究をするためです。20代の頃はニューヨークにいたのですが、30歳になる頃に「ユーラシア」をやりたいと思ってベルリンに来ました。アジア人がアジアで「ユーラシア」をやっても説得力が無いから、ヨーロッパに来た、というのは一つの理由としてあります。でも、ドイツではユーラシアの話になかなか興味を持ってもらえない。ドイツ人が、今、「ドイツ人」から「ヨーロッパ人」になろうとしている、ということも関係あるかもしれません。だから、アジアには目が向かない。
それを変えるのは、なかなか大変です。ヨーロッパでアジアに興味がある人は、経済的なインセンティブの人がほとんどです。だから、学生でも一般の人でも日本に興味を持ってくれる人は、すごく大切にしますよ。日本食のレストランに連れて行ったりとか(笑)。
20歳の頃に訪ねたマレーシアにて、私がユーラシア的なものを考えるきっかけとなった出来事がありました。ジャングルトレインというシンガポールからタイへと向かう列車に乗っている時、60歳過ぎくらいのおじいさんに出会いました。その人は、英語は本当につたないんだけど、一生懸命話してくれるんですよ。3時間くらい話した後、いよいよ私が降りる駅に着くという段になって、おじいさんが突然立ち上がって、「八紘一宇の~」って日本の軍歌を歌い出して、その直後に泣き崩れちゃったんです。それで、「とにかく一緒に降りて話を聞かせてくれませんか」と言って降りた後、一緒にロティをちぎって食べながら、おじいさんの戦争体験を聞かせてもらったんです。
おじいさんは、当時まだ4歳だったけど、日本軍の占領下で日本の教育を受けたんだ、さっきの軍歌も何度歌わされたか分からない、と言うのです。私も当時、20歳だったから、あんまり頭よくないですよね。すごく悩んだ上で、「私はあなたに対して直接加害をした訳ではないから、あえてここで謝ることはしないけれど、あなたがわたしに伝えようとしたことを、わたしは日本のみんなに伝えます。」と言ったら、おじいさんがすごく喜んで、涙を流しながら一生懸命に握手をしてくれたんです。
その時思ったのは、もし戦争が始まる前に、多くの日本人たちがこういうおじいさんに会っていたら、他国を占領しようという発想や、ただ国籍が違うという理由で、戦争中に敵国の人を殺したりすることはできなかったんじゃないか、ということです。なぜ、この人がマレーシア人だというだけで戦わなきゃいけなかったのか、って。すごく嫌な気持ちになりました。だから、そういったもの、すなわち敵対概念によって成立している国民国家に対するオルタナティブを作りたい、という思いはすごくありますね。
父権的な文明の終焉
ある時、ポーランド人のアーティストに頼まれて、ポーランド国立博物館のテキストを書いたんです。500ユーロの仕事でした。それの支払い処理が面倒くさくて。ポーランド語の税務書類しか無いので、よく分からないんです。20%の源泉徴収らしいんですが、「何で俺がポーランドに源泉徴収払わなきゃいけないんだ」って。結局、お金での支払いは諦めて、作品をもらうというバーター取引でOKにしたんですよ。でも、これではポーランドのために仕事をする外国人はいなくなりますよ。
もうひとつ、私は哲学者の國分功一郎さんとお友達なのですが、彼が韓国で本を出した時の話です。韓国で売れた本の売上げを日本で受け取ったら、取り調べが来たというんです。「君は韓国と取引があるだろ」って。ちょっと異常ですよね。
昔は国の中で仕事をするのが普通だったけど、今はそうじゃない。税金とかお金のめぐり方に対する保証だったりとか、あるいは官僚機構の仕組みだったり、時代に合わせた国家の役割の変化が必要なんです。どれだけ国の考え方は遅れてるんだ、って思いましたね。
10年くらい前、柄谷行人さんの提唱したNAM(New Association Movement)というのが哲学をやっている人たちの間で話題になりました。地域通貨のグローバル版みたいなもので、坂本龍一さんなんかが旗振り役になってやっていました。国家による通貨の管理に対抗して、自分たちの通貨を自分たちで発行するという考え方でしたが、結局うまくいきませんでした。
今、似たような発想で登場したのがビットコインだと思うんですよ。つまり国家によって発行されたものではない貨幣という意味において、NAMと同じです。そして面白いのは、ビットコインに圧力をかけて潰そうと試みたのが中国とアメリカという二大国家だったということ。国家が持っている通貨発行権というのは言わば錬金術ですから、巨大な利権そのものです。それを奪われたら、困る人たちがいるわけです。すごく面白い現象だと思いました。
イギリスの造幣局の初代長官はアイザック・ニュートンで、彼はエジプト錬金術の研究から貨幣の方に行きました。このニュートンの背景にあるのは、デカルト哲学です。その後、中央銀行が積極的に経済に介入するケインジアンの考え方が生まれてくる。つまり、国家による通貨の発行も、「私」の存在から始まって、今に繋がっているわけです。問題提起や抵抗は起きてきていますが、そのオルタナティブをまだ誰も上手くできていないというのが現状です。
ピーテル・ブリューゲル作『錬金術師』16世紀の錬金術師の実験室
ブリグジット(イギリスのEU離脱)とトランプ政権というのは、私はもうアングロサクソン型のやり方が終焉に差し掛かっている兆しだと思いました。「俺!」という風に「私」を強く打ち出すことで自己正当化する、そういったメンタリティに則った古いやり方に固執している人々、いわゆる未だ力を持っている田舎の白人男性たちの最後の戦いです。でも、それでは最終的に彼ら自身が成り立たなくなる。何故なら、彼らの存在を可能にしているのは、彼ら自身ではなく、彼らを取り巻く環境だからです。トランプ政権というのは、そのことに気づくための4年間なんじゃないですかね。
10年、20年前に比べて女性の社会進出って明らかに増えたじゃないですか。私はすごく良いことだと思っています。女性の方が圧倒的に共感能力が高くて、相手の気持ちを理解するのが上手いですよね。今は、産業におけるコミュニケーションのウェイトが非常に大きくなったので、社会の中で女性が活躍できる場がどんどん増えていっていると思うんです。
ドイツと日本には共通する点が少なくなくて、父系社会で官僚的、トップダウンで組織立っている、という傾向を持っています。ヨーロッパだと、ゲルマンのプロテスタントはそういった男性中心の権威主義的直系家族の社会です。ラテンに行くと、マンマの母系社会、いわゆる平等主義核家族になって、マリア信仰が生まれたり、イタリア人は男性でも人前で泣いてしまう、みたいな傾向がある。
私はこれから奄美に移住して、奄美のシマ唄をテーマとした映画を作ろうと考えているのですが、奄美の文化は母系なんですね。奄美に行って、それをすごく感じました。奄美の男性って全然権威的な感じがしなくて、一緒にいて心地いいんです。おじさんでも、お母さんと話しているような気分になるんです。
男性的なもの、あるいは支配的なものじゃなくて、ネットワーク型というか水平的な繋がりのような方向に文明がシフトして行かないといけない。20世紀的な植民地主義の延長線上みたいな考え方で、これからの世界を統治することは、私は不可能だと思います。
ネイションの上位概念へ — 環太平洋圏民保険案と脱原発
ただ、それで国家が無くなってしまったら、それはそれで怖いですよね。なぜならセーフティネットの枠組みの一つが国家だからです。そこで、国家のオルタナティブとしてちゃんと機能するセーフティネットを築く必要があり、仮にそうなるとしたら、それはネイションよりも上位概念にある枠組みで、セーフティネットを築くことが必要になります。
そもそもすべての人間に共通するのは、たった一度生まれて死ぬことであり、その一度きりの人生を幸せに暮らしたい、という目標です。その目標を達成するために、家族であったり、部族であったり、国家がある。しかし、国家的な枠組みが制度疲労を起こして国家間の緊張を生んでしまって、それによって人間が幸せに暮らすという本来の役割を果たせなくなっている。そうであれば、その国家を構成するネイションよりも、もう一つ抽象的な概念から枠組みを組み直さないといけないと思うんです。たとえば、アジアとかヨーロッパのような枠組みです。ユーラシアでも環太平洋でもいい。
ネイションという枠組みは、敵対概念によって決まります。つまり線引きをして、お前はこっち、お前はあっちと分ける。もともとは三十年戦争後、言語と宗教で線引きをすることでネイションを作ったわけですが、これは敵対概念を明確化することで長引いてしまった戦争を終結させようという、ウェストファリア体制における工夫でした。そうすることで、国内問題は犯罪として捌き、国際問題は戦争で解決するということになりました。
しかし、グローバル化が進んだ現代において、この手法は通用しないんですね。ですから、敵対概念によって規定されるネイションの枠組みを作り直して、もう一度その新しい枠組みの中で、ひとつの安全保障体制へと変えて行く必要があります。
私にはひとつ具体的な政治提案があります。仮にTPPのようなパン・パシフィックのパートナーシップを「本当の意味」でのパートナーシップとして結ぶのであれば、日本の国民健康保険をパン・パシフィックに拡大して、環太平洋圏民保険を作りましょう、という提案です。たとえば収入の5%をすべての環太平洋圏民が支払えば、地域内のどこでも医療サービスが受けられるようにする。まず単純なメリットとしては、旅行者保険に入らなくて済みます。そして、医療費の総支出を少なくする為にも、日本人が別の国の人、たとえばベトナム人の健康を気遣うみたいなベクトルが生まれて、そのことが環太平洋をひとつの共同体に作り上げていく。つまり健康という生命の安全保証を、国家の枠組みを超えて行うことで、共同体の意識を拡大し、戦争を回避する。理想論ですけど、私は可能だと思っています。
保険会社は反対するでしょうね。でも、仮に企業が許さないとしたら、その企業の理念は民主主義に反していることになります。保険業っていうのは逆選択が働くエコノミーです。体調が悪い人は保険に入りたい、体調が良い人は入りたくない。それでは保険業が破綻してしまうので、プールを最大化して国家全体でやろう、というのがそもそもの話です。プールする人口が多ければ多いほど民主的で、最終的には社会が安定するのは分かっているわけです。アメリカはそれをやらないで、営利企業にやらせたために混乱が起こったわけですから。
ついでにもう一つ、言いたいことがあります。今、日本では神道が国家主義の方向に向かっています。神社の人たちが日本の核武装や原発再稼働を推進する様な動きをしている。それに対して言いたいのは、あなたたちは神道の宮司さんですよね、わたしたちの神道の最高神はアマテラスじゃないですか、どうして原子力を支持して、太陽神であり最高神でもあるアマテラスを踏みにじるようなことをするんですか。太陽光発電をすればいいじゃないですか、ということです。
もともと日本の宗教って右派と結びつくものじゃないんですよ。自然崇拝で、地域を大切にするっていう方向が、私たちの神社の目指すところじゃないですか。なぜ、それを中心に国作りをしないんですか。いう風に公開の場で論争を仕掛けていけば、考えを変えさせることができるんじゃないかと思っています。神道が右派と結びついてしまいがちなのも、神仏習合を無理やり分離して、国家神道を立ち上げてしまった明治以降の日本の歪みだと私は考えています。
先ほど、ヨーゼフ・ボイスの話をしましたが、彼は緑の党の原型になった環境保護を訴える政党から国会議員に立候補したんですが、実は最初それは右派政党だったんです。シュヴァルツヴァルト(黒い森)という、日本の伊勢神宮みたいな聖地の森が酸性雨で枯れ始めちゃったんです。その時、「シュヴァルツヴァルトを守ろう」って言ったドイツ人はみんな右派だったんですね。ボイスは自然を守りたい一心から、その右派政党から立候補した。そしたら、左派にめちゃくちゃ叩かれたんですよ。それに対して、ボイスは「なんで左派が自然保護をやらないんだ」と言って左派も取り込んだんです。その後、極右と極左の融合からドイツ緑の党が生まれて、その後何年かすると右派が一掃されて、緑の党が左派政党になった。
だから、日本でも同じことができるはずです。日本会議みたいなところが、本当にアマテラスとか地域とかを大切にするんだったら、それは安倍政権じゃないでしょう、って言って変えていく。
みんな気づいていると思うんですけど、明治以降の日本の国作りの形がもう限界に来ているんです。そのやり方自体おかしいですし、霞ヶ関もおかしいですし。日本の場合はやっぱり戦後におけるアメリカの軛(くびき)が大きかったので、それからいかに離れていくか。それから、安全保障の問題も大きいと思うんですよ。それは、たぶん、一緒に考えていかないと、どうしようもないと思うんですが。
宗教と共産主義
ベルリンという街は無宗教です。東ドイツ地域は、共産主義時代に宗教自体を基本的に否定したからです。私は教会を訪ねるのが好きなんですが、ベルリンの教会は開いてないことが多く、それは訪問者がほとんどいないからです。ローマ法王が来ただけでデモになったこともありました。
なぜベルリンにあれ程巨大なテレビ塔が立っているかというと、東ドイツ時代にあのテレビ塔がゴシック教会の代わりを果たしていたからです。ドイツ北部の都市には必ずと言っていいほど垂直に伸びるゴシック教会があるんですが、それに代わる新たなスペクタクルとして共産主義があの巨大なタワーを作りました。
ベルリンはオフィス街というものが無くて、ネクタイにスーツという人もほとんど見かけません。みんな何をして暮らしているのか分からないのだけれど、収入が低くても生活コストも低いから何とかなってしまう所があります。最近は無くなりつつありますが、私が行った2011年には、まだ東ドイツ的なものが残っていました。レストランでも、食べた分だけ払うという制度のレストランがあって、お金のある人は普通に10ユーロ置いて帰っていくんですけれど、本当に貧しい人は、ユーロをほとんど払わなくても良かったのです。でも、さすがにそういうお店は無くなっちゃいましたね。
私はもともとマルクス経済学を勉強したので、東ドイツやキューバなどに対する憧れがあって、いわゆる共産主義国を結構旅してきました。旧共産主義国は、資本主義国に比べると、やっぱり物事を優劣で判断する文化が弱いですね。だから、キューバに行くと人種とか国籍とか気にされません。逆に、キューバ人と同じように扱われるから、ずっとスペイン語で話される、みたいなことがあります。
ベルリンという所は、宗教的な考え方が非常に弱い。ただ、面白いことに宗教を持たない若い人たちが極めてまともというか、倫理的なことも話せるし、自然も愛せる。しかし、彼らより後の世代、100年後の倫理観がどうなるかって考えると、ちょっと怖いですね。彼らはドイツ神話も知らないですし、宗教的なこともほとんど知らない。共産主義が宗教だったことが関係していると私は考えています。ユーゴスラビアも社会主義国でした。ネイションを超えるユーゴスラビアという概念を作ったのが社会主義の思想だった訳ですが、それが壊れた結果、内戦になってしまった。では、ドイツはどうなるか。実際に今、ペギーダ(反イスラムの団体)が東ドイツ地域で強くなって来ている。これは、非常に分かりやすい反応だと思いますね。
冷戦期は共産主義と資本主義の対立という構図がありましたが、今は共産主義が無くなり資本主義がオルタナティブを求めている状態だと思います。その行きつく先の候補として、ビットコインなどが出てきている状態ではないでしょうか。
Berliner Fernsehturm
アテネは民主主義で滅びた
民主主義の起源はギリシャです。すごく重要なことですが、古代ギリシャの有力都市国家アテネは民主主義の結果、滅びたんです。迅速かつ正しい意思決定ができなかったからです。そしてアテネは、民主主義によってソクラテスに死刑宣告した。その時、国家反逆罪に問われたソクラテスは、自分が国家に反逆していないことを証明するために、わざと国家と法律に従って死ぬ、という凄いことをしたんですね。
私たちはそこから何を学べるか。たとえば、哲学者の池田晶子の場合は、民主主義を否定して哲人政治に行きます。私はそれも分かるけれど、民主主義を否定するのは困難です。やっぱり教育の問題になってくるのではないかと思うんですね。みんなが主権者だっていう意識を持つ。そのために、ちゃんと教育をする。
國分功一郎さんが中心になって小平の森を守ろうという運動をやって、住民投票まで持っていったことがありました。そのとき、投票率は35%だったんだけど、投票した人の大多数は森を守ろう派だったと言われてるんですね。でも、市長の判断は「投票率が50%行かないと開票しない」ということで住民投票は無効になった。しかし、おかしな話なのは、その市長が選ばれた選挙の投票率が50%に達してないことです。哲学的なこともそうだけど、それ以前のすごく初歩的なところで、おかしなことが起きてると思うんです。そうなった最大の理由は、やっぱり日本は戦後に民主主義を与えられたからでしょう。自分たちで勝ち取った民主主義ならば、それこそ環境問題とかでみんなが立ち上がって勝ち取ったものであれば、もっと大切にできると思うんです。
さらに、民主主義にまつわる興味深い話をします。ドレスデンやライプチヒでペギーダのイスラム教徒排斥デモがあって、これに対してカウンターのデモがあるんですが、ペギーダよりカウンターの方が小さくなっちゃったんですよ。つまり、ヘイトスピーチをやる人5万人に対して、反対が3万人といった感じの状況。民主的に逆転しちゃったんですね。ドイツの場合は既にファシズムを通過しているので、そのときに市長が出した決断っていうのが「デモ中止」でした。しかし、それはドイツ社会に大きな論争を巻き起こしました。市長の判断でデモを中止して民主主義と言えるのか? もしくは民主主義の結果、ファシズムに戻ってもいいのか? 非常に重要なのは、民主主義の選択からファシズムが生まれているということです。それが、まさしくソクラテスが言いたかったことです。非常にやっかいな問題です。
Giambettino Cignaroli – The Death of Socrates
ユーラシアの新しい神話を作ろう
最後は教育の問題になってくると思うんです。私は今ドイツの大学で教えているんですが、ドイツ人の学生は19世紀以降のドイツの歴史しか知らないんです。日本人の私が、ゲルマン民族大移動の歴史や神聖ローマ帝国誕生の歴史をドイツ人の学生に教えています。そこで気づいたのはドイツのルーツを考えることは、ドイツの歴史教育ではタブー化しているということです。なぜかというと、かつてドイツ人のルーツを考えることが、アーリア民族の優越に行っちゃった経験があるから。ネイションという枠組みで国民教育をする限りは、そうなってしまう傾向があります。
そこでヨーゼフ・ボイスは、教育を国家の枠組みから外すことの重要性に気づいて、自由国際大学を作った。しかもそれと、当時宗教戦争で揉めていた北アイルランドのベルファストに作るんです。カトリックもプロテスタントも自由に教育を受ける場を、と言って、ハインリッヒ・ベルというノーベル文学賞を取ったドイツ人と一緒に始めました。
日本でも教育の現場でアマテラスはタブーですよね。それはタブーでいいんですよ。さもないと教育勅語みたいな戦前の歴史に戻ってしまうから。ドイツは完全にそれを切ったわけですね。なぜかと言うと、政治的に周辺諸国との融和を図るためです。ドイツはそれを周辺国から要請されたんだけど、共産主義の防波堤と位置づけられた戦後日本の場合は、アメリカだけ見てればよかった。だから、それに対する戦後処理は極めて曖昧なものとなり、結果として戦後処理に失敗した。ソビエトもしくはロシアとも平和条約を結べていないし、韓国・北朝鮮との関係についてもそうです。アメリカしか見ていなかった日本は、そうやって今までズルズル来てしまったのですが、ドイツは取りあえずは戦後処理をしっかりやったんです。ただし、ドイツにも歪みがあって、その例が「ゲルマン民族大移動」を知らない、といった件です。私は今、ドイツの大学教育の現場の最前線にいるので、その歪みをすごく感じています。
「私たちは何者なのか」を知ることは、とても重要です。しかし、それを国家の枠組みで教育にすると変な話になってしまう。これは、ものすごいジレンマです。私たちが自ら学んだり、もしくは学校とは別の寺子屋的なもので日本の神話を学べるようなことがあって良いと思うんです。しかし、それはナショナリズムと紙一重なんです。そして、日本は実際に一度そういった間違いを犯してしまった経験があるので、なおさらです。
自分で今やりながら、もしかしたら私はユーラシアの新しい神話を作ろうとしてるのかな、と思うことがあります。「私たちはユーラシア人だ」っていう神話ができれば、ユーラシアがひとつのネイションになるんです。ユーラシアから世界に拡げるのは、私の次の人がやればいい。ユーラシアができれば、後はその応用で世界を一つにすることができるんじゃないかと考えています。
メソポタミアやインド、中国など世界中のほとんどの文明がユーラシア発祥です。そこから俯瞰すれば、世界史が大体見えて来ます。だから、人種も国籍も関係無く、世界中どこの高校生でも読めるユーラシアの歴史の教科書を作りたいですね。それは死ぬまでにやりたいです。
私は手塚治虫が大好きなのですが、彼が言うには、本当の意味で人種とか国家という枠組みを超えて世界がひとつになるのは、宇宙ステーションで異人種の子どもたちが生まれてきた時なんだと。「すげーな手塚治虫!」って思いましたね。60~70年代に、こんなことを言ってる日本人はいませんからね。
何か大きな視点を持つと小さなことはどうでもよくなる、っていうのはありますよね。すごい卑近な話をすると、日本人と韓国人が仲悪いという話があるけれど、留学先で日本人と韓国人って基本的に仲良くなるんです。そんなところに行って、日韓関係でもめないですよね。むしろ、同じアジア人ということで団結するんです。
私が研究しているナムジュン・パイクというアーティストは韓国人です。私は韓国に何度も行ったし、韓国人のルームメートもいたし、韓国人の友達も多いけど、韓国人に嫌な目に合わされたことって一度もありません。このことは、本当に声を大にして言いたい。たとえば、東京に住んでる人は、ひとりでもいいから外国人の友達を作って欲しいですね。そうするだけで、やっぱり視点が変わると思うんです。中国、韓国の悪口を言う人が少なからずいるけど、そんなことよりも中国人の友達作って、一緒にご飯を食べた方がずっと楽しいよ、って。オフグリッドの一歩目は、そういうところからなんじゃないかな。
地域から変わっていく
地方から変わっていく、というアプローチはあると思いますね。10年くらい前と比べて、地域に行って何かやろうっていう人が増えているのを感じます。
東京というところは、広告代理店文化っていうか、魚をガサッと獲るみたいな、すごく不毛なことが起こりやすい状況にどうしてもなってしまいがちです。私は、映画の上映会などでいわゆる地方都市を結構回ったんですけど、東京より地方の方のほうがよっぽどものを考えています。実際に空き家があれだけ出ちゃっている訳で、自分たちの切実な問題としてそれを見つめて、自分たちで何とかしよう、という意識は東京の人より圧倒的に強いと感じました。
ただ、彼らにはノウハウが十分ではない。例えば奄美で大島紬の現場を見ていて思ったのは、やはり伝統産業が斜陽産業になっているということです。おばあちゃんが細々やっていて、公金が入っている博物館みたいなところで観光客がちょこちょこ買っていくみたいな形なわけです。大島紬を理解してもらうのであれば、その施設を奄美大島じゃなくて、京都に作らなきゃダメでしょ、と思うんです。魅力の発信と言っても、島まで来た人だけに対してやろうとしているのは、どうしても島の人のメンタリティだと感じてしまいます。
もうひとつは、そういう枠組みを織子さんに考えてもらうんじゃなくて、そういうことを専門とする人がちゃんとやって、それを織子さんにフィードバックするようにしないといけない。例えば、織子さんが100万円の着物を作ったとしましょう。京都で100万円で売れたとき、売り子さんに入ってくるのは25万円程度らしいんです。つまり生産者たちが自らの手で流通のシステムを作れなかった訳です。富める者の理論ではなくて、それこそシンパシーを持った人たちが、流通の段階で京都の人に持って行かれたらまずいでしょ、っていうところから話し合って、ちゃんとフェアトレードのような仕組みを作っていかないと。今はインターネットによって流通の仕組みも変わったから十分できるはずなのに、やったことある人やノウハウを持ってる人が島にいない。その結果として仕事がなくなってしまい、島からの人口流出がずっと続いてしまう訳です。
地方の話で言うと、消費税の地方税化に私は基本的に賛成だったんです。でもその最大の問題は、結局、それをやると消費税が東京に集中するってことなんですよね。地方に財源が行くようにしていかないと。
私、小沢一郎さんが結構好きなんです。彼は官僚制度を整理して、特別会計を無くそうとしたけれど、それこそ霞ヶ関の官僚たちに、同じ給料を10年保証するから、自分たちの出身地域にUターン就職して働いてくれってやっていたら、日本はすごくいい国になったと思う。何でマスコミはあること無いこと書いて、あんなに小沢さんをボロクソに叩いたのでしょう。彼ら全員グルでしょ。これじゃあソクラテスと全く同じだと思いました。
だって、みんな自分たちの首を締めてるんですよ。官僚たちが好き勝手に使ってこんなに膨れ上がった国の借金を、これから支払って行く訳です。厳密には、自分たちじゃなくて、子孫たちに払わせることになるんですよ。
情の世界からオルタナティブを引き出す
なぜこうなってしまったのかを考えた時、私は戦前と戦後の歴史の断絶がすごく大きいと思っています。歴史の断絶によって、自分の存在をご先祖様と連続性を持って考えることができなくなってしまった。だから今だけ、金だけ、自分だけみたいな人が増えてしまった。そこから脱却することができれば、未来とか自分以外のことを考えられるはずなんだけど。やはり敗戦のトラウマ、戦前と戦後の接続を、日本人が本当にしっかりやらなかったこと、そして70年安保が大きかったと思います。70年安保以降、安全保証を握られてしまうことで政治的独立が不可能になり、アメリカの言うことを聞くしかなくなった資本主義ブロックの日本は、経済発展にしか希望を見出すことができなくなってしまった。
たとえば、現代美術が好きな人っていうのは、昭和的なものが嫌いな人が多いと感じています。だから、日本人芸術家の多くは自分たちの表現を作ることができず、借り物の芸術になってしまった。赤瀬川源平さんとかは、「日本の」現代美術をやろうとした稀有な人ですが、多くの人は逃げてしまったと思うんです。
さらに戦前との断絶について言えば、私は、近代化の結果、自然が遠のいてしまったことが大きいと思います。自然が遠のいたことで、「自分は自然の一部で、自分は生かされてるんだ」という感覚が失われてしまった。今の東京には山も森も無いですから。でも、自然が近い田舎の人には、まだそれが残ってると思うのです。その感覚にもう一度接続することができれば、過去と未来が見えるようになる。そうなると必然的に持続可能性を考えるようになり、「原発おかしいよね」とか、みんなが自分の頭を使って考えるようになる。
そもそも国というのは、人の為にある訳ですから、そこに住んでいる「人」が幸せに生きるためのシステムを作ればいいだけなんです。でも、それが制度疲労を起こしてしまっている。そして制度的なものが強すぎるから、その制度がもたらすセーフティネットから一歩外れるとダメになっちゃう。
そういう近代的世界を「知の世界」だとすると、私はそれとは別に非近代的な「情の世界」があると思っています。この「知の世界」に相当するのが、「私」と繋がった世界観ですよね。システムとか法律とか国家とか。でも、それは上澄みのようなものです。それより深いところに「情の世界」がある。もうちょっと自然に近い、魂の世界というのかな。私はこっちの方が重要だと考えています。なぜなら、オルタナティブってここからしか引き出せないからです。だから、その辺から話さないといけないって、すごく思いますね。
ここまで言うと元も子も無いんですが、数学者の岡潔が日本国憲法前文に関してボロクソに言っています。「日本国憲法の前文では、小我が個人であることが万代不易の真理だと明記している。そしてその上に永遠の理想を、しかも法律的にであろうと思うが、建てることができるといっている。何という荒唐無稽な主張であろう。」無意識の状態を扱うものを大切にしなきゃいけないのに、言語的な「私とは」、「日本国憲法とは」ってフィクションから全部入っている。だから、小我しか扱えない。お話にならないって言っている。
私は結構、これに納得するところがあって、一時期、「量子憲法論」というのを考えていたんです。人間の無意識と実体が仮に繋がっているのであれば、量子的な無意識が実体の世界に反映されるシステムを先取りして、憲法という環境を作っていくシステムにそれ自体を組み込む、みたいなことを考えました。
みんなが芸術家になれる
私は奄美で、島唄と自然をテーマにした映画を作りたいと考えています。先ほども言ったように、奄美は非常に女性的、母系的な文化というのが興味深いところです。
それから、もうひとつ。奄美の人たちは、江戸時代には薩摩による厳しい支配があって、一文字姓を持つことを強制させられたり、戦後はアメリカの支配が長かったり、いろいろなことがあったので、自分たちの文化に自信が持つのがなかなか困難な地域でした。特に50代、60代の人は、本土に来て奄美出身ということを言えずに過ごしている人が多かったそうです。本土で出稼ぎをしていたある方は、元ちとせの歌がカーラジオから流れて来た時、初めて自分が奄美出身であることにプライドを持てて、車を路肩につけて、おいおい声をあげて泣いてしまったと言います。
それは奄美の人だけじゃなくて、静岡出身である私も東京に対してある程度持っていた感情です。東京に対する劣等感です。そして東京の人は、おそらくアメリカに対して同じ様な感情を抱いていたと思うんです。アメリカ人みたいになりたい、と。そしてアメリカ人は、似た様な感情をヨーロッパに対して抱いていたと思うのです。つまり、植民地のエリートは旧宗主国の文化に憧れる、という、ある種の男性支配的な発想から生まれた傾向が20世紀において支配的だったと私は考えています。
でも、「そうじゃないよ」って言ってあげたい。あなたたちが大切にしている地域の文化が芸術になりうるんだ、ということを、自分の映画を通じてやりたいと思っています。そうすれば、彼らが大切にしてきたものが、自分たちの文化になって、芸術作品になる。それができれば、記号操作的な、マーケット的なアートなんてやらなくても良くなるんです。それが今、日本に必要なことで、それを日本から発信することで、男性支配的な文化ではなくて、女性的な水平的文化を築くことで世界を変えて行ける、文明の形を変えることに繋がるんじゃないかな、と考えています。みんなが芸術家になれるってことを伝えてあげるのが、私がヨーゼフ・ボイスから学んだ一番重要なこと。「Everybody is an artist.」そういう映画を作りたいですね。