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【事例2】「切る」を研ぎ澄ます 鑿鍛冶 田斎(三条市)

中世から鍛冶職人が集積する三条市にあり、親子二代で大工道具を専門につくる鍛冶屋「鑿(のみ)鍛冶 田齋」。鑿という工具は、木材同士を組み合わせるための凸と凹を彫るための刃物だ。4世紀から5世紀につくられた古墳からも出土しており、基本的な素材と構造は現代までほぼ変わっていない。

田齋の鑿。彫る穴によってサイズを使い分ける。

1日で数点しかつくることができず、7ヶ月先まで予約で埋まっている。現在70歳を超えた田齋明夫さんは、12歳から鍛冶職人の下に住み込みで弟子入りし、22歳で職人として認められ、36歳で独立した。現在は息子の道生さんに技を伝授し、親子二代で工場を運営している。

鑿や鉋(かんな)といった大工道具の他に、小刀などの刃物も製作している。木目のように見える模様は、柔らかい鉄と硬い鋼を積層させて鍛錬することで浮き出てくる。鉄に1%前後の炭素が混ざった状態を鋼というが、鋼は鉄よりも硬く、熱処理を加えて叩き上げることでさらに強靭さを増す。日本の刃物は刃の部分に鋼を、本体に鉄を使うことで、鋭い切れ味と粘り強さを両立させている。西洋の刃物は鋼だけで作られているため衝撃に弱く、折れやすい。

木を建築物や生活道具の材料にするのは人類普遍の文化。切れ味鋭い田齋の刃物を求めて世界中の職人から注文が入る。特に西洋では木目模様がダマスカス鋼(古代インドで作られたという決して錆びない伝説の鋼)を連想させ、さらに付加価値を高めている。

プレス成型や研磨といった金属加工業が集積する燕市に対し、三条市には古くから鍛冶職人が多く、市内を流れる五十嵐川沿いには平安時代の製鉄所跡が発掘され、新潟県内には鉄鉱石を産する鉱山があった。現代のような流通網が発達する以前に起こった伝統的な地場産業は、典型的な原料立地型の産業だ。地域の天然資源を活かし、鍛冶職人たちが「切る」という性能を極限まで突き詰めて完成させた刃物。強くシンプルで普遍的な道具は時代を超えて人々に使い続けられ、その鋭い切れ味を求める顧客がインターネットを通じて世界中から集まる。現代に生き残る伝統産業の理想的なかたちがここにあるのではないか。

Text / Photo:
KIYOTA NAOHIRO
Plan:
Mirai Institute

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