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家族に“こうあるべき”はない。『家族と一年誌「家族」』編集長・中村暁野さんインタビュー

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AI時代の人間らしさVol.7 〜家族編〜

AIが社会基盤に入り、人間の行なっていたことがAIに代替されつつあるいま、人は「人間とは何か?」という根源的な問いを持つようになりました。今期のNext Wisdom Foundationはこの潮流を受けて、”人間らしさをかたちづくるもの”を探しています。それはきっと人類の叡智とも言えるのではないか、という仮説のもとで……。

今回は、人のコミュニティの最小単位とも言える『家族』にフォーカスして、ずばり『家族と一年誌「家族」』という雑誌を創刊し、編集長を務める中村暁野さんに話を聞きました。もともと東京の三鷹市で長く暮らしていた中村さんは、2017年の春に家族で神奈川県と山梨県の県境にある旧藤野町に移り住みました。今は、相模川沿いの一軒家で、クリエイティブディレクターの夫と2人の子どもの4人で暮らしています。

<プロフィール>
中村暁野
1984年生まれ。一つの家族を一年間に渡り取材して一冊まるごと一家族を取り上げる雑誌「家族と一年誌・家族」の編集長。家族をテーマに様々な執筆も行っている。

家族というかたちに希望が持てなくなったときに。

Next Wisdom Foundation事務局(以下、事務局):『家族』という雑誌をつくったきっかけを教えてください。

中村暁野さん(以下、中村):夫とコミュニケーションが取れない時期が続いたときに、家族という関係を続けていくことが難しいかもしれないと思ったんです。夫と話し、どうしたら関係を再び築けるか、自分たちに何ができるのか、何がしたいのかを一緒に考えようということになり、家族とは何なのか考える雑誌をつくってみようと思ったのが、そもそものきっかけです。

事務局:雑誌『家族』はひとつの家族の1年間を追うドキュメンタリーのようなつくりになっています。こういう内容になったのは何故でしょうか?

中村: 『家族』は娘が3歳のときに取材をはじめ、1年後の2015年に創刊したのですが、そのころの私は、子育てを全て一人で担っている感覚を持っていました。夫は仕事で責任のある立場にいて、世でいう『ワンオペ育児』。そのあいだに東日本大地震が起きて、自分たちがどう生きていけばいいのかを家族として考えて共有したかったのに、それもうまくできず、一人で行き詰まっている気持ちを夫に伝えることは“負け”だという気持ちがありました。そんな日々を経て臨界点に達して、一気に伝えたときは、夫もびっくりしていました。

雑誌をつくろうという話が出たことで、私のなかで、何とか家族としての形を続けていけるかもしれないという希望が持てたんです。一緒になにかをつくることで、わたしたちも一致団結した家族になれるんじゃないかと思いました。未熟な、「だめだめ家族」の私たちだからこそ、いろんな家族に会って、家族ってなんだろうということを一緒に考えていきたいと思ったんです。そこから、ひとつの家族を一年間かけて取材して一冊まるごととりあげる雑誌をつくろうと思うようになりました。

事務局:『家族』の創刊号では、鳥取県大山の麓の森で暮らす谷本一家を特集されました。世の中にたくさんいる家族のなかから、谷本一家を取材対象にした理由は?

中村:私はもともと知り合いだった谷本一家に対して負い目みたいなものがあったんです(笑)。当時、夫はギャラリーのディレクターをしていたのですが、ギャラリーの内装を谷本さんが担当していました。ちょうど夏休みで、お父さんがギャラリーの工事をしているのを、家族全員で手伝いに来ていました。目黒の家から原宿のギャラリーまで、自転車の後ろに荷台みたいなのを付けて、お母さんと8歳の息子を乗せてやってくる。夫と谷本一家はすごく仲が良くなって「ずっと家族で工事をしているんだよ」という話を聞いていました。当時はちょうど夫とのコミュニケーションに悩んでいる時だったので、そんな谷本一家の話を聞くのが辛かった。

谷本一家は、お父さんが空間デザインをしていて、お母さんはミュージシャン。私も当時、音楽活動をしていたので、家族構成が似ていました。それなのに、家族という側面から見ると天と地、光と陰みたい、と卑屈になってしまう自分がいた。

数年後、ちょうど夫と関係を再構築しようとしていたときに、谷本家が東京を離れ、鳥取で山を切り拓き、自分たちで家をつくって暮らしていると知りました。どんな暮らしをしているんだろうってとても興味が湧いたし、家族それぞれに才能があって、お互いのコミュニケーションも取れていて、仲が良くて……いつも眩しく見える谷本一家も、きっといい時ばかりじゃない、ぶつかったり悩んだりしながら何かを越えて、日々を築いているんじゃないかと思うようになっていました。なので、自分がずっと抱えていた「家族」というものへのコンプレックスに向き合いながら、家族って何だろうと考えるなら、谷本一家のところに取材に行かせてもらいたいと思ったんです。

分かり合えないことも含めて家族だ。

事務局:その取材を経て、今の時代ならではの家族の在り方ってこうなんだという、この時代を反映した要素はありましたか?

中村:創刊号の巻頭に書いたのですが、家族というのは、うちのような、お父さん、お母さんに子どもが二人、みたいな家族の形もあるし、全然ちがう形もある。血の繋がりがあったりなかったり、異性同士だったり、同性同士だったり、色々な形があるものだとおもっていて。ただ人と人が何かを築けるかもしれないと信じて、向き合おうとする関係性を家族と呼びたいという思いがあって、それはずっと強く意識しながら制作していました。

私は25歳で結婚と出産をするまでは音楽活動をしていて、一度もどこかに勤めたりしたことがなかったんです。当時、私が向き合うべき関係って「家族」しかなかった。もちろんこの人と幸せになれるんじゃないかと思って夫と結婚しましたが、子どもができたことがきっかけになって、気付いたら家族がいた感じでした。でも、自分が選んだことに対しては、あきらめたり投げやりになりたくない、何かを築きたいという気持ちがすごくあった。私にとっては、選んだ向き合うべき関係が家族だったから、『家族』という雑誌をつくったのだと思います。

雑誌はふつう、客観的な立場からつくっていくものだと思うんですけど、『家族』という雑誌に関しては、私たち家族の主観からひとつの家族を捉えることを大切にしています。ひとつの家族を一年間に渡り取材するということは、とてもプライベートな部分に踏み込ませていただくことです。

いい時のことも、決してよくはない時のことも、丸ごと見せてください、というような取材をした後に一歩引いた客観的な言葉を綴ることは失礼にも思いました。それよりも、私たち家族が感じたこと、心を動かされたことを実直に綴ることで、この雑誌を読んでくれた人にも何かが届くんじゃないかな、と。

事務局:雑誌を出してみて、家族への思いやフラストレーションについて変化はありましたか?

中村:雑誌づくりをはじめた当初、私のなかには家族というのは共同体であるべきだという意識がすごくありました。同じところを見て、同じところに向かっていけるのが家族のはずで、お互いが理解者であるべきといったもの。でも実際に雑誌をつくってみて思ったのは、わかりあえなくてもいいんだということ。わかりあうというのは容易なことではない、ということを認められた。夫と自分が違うということを認められた。そんな関係を肯定できるようになったんです。

事務局:お互いが違うことを認め合うとは、どういうことでしょうか?

中村:私たちは、何かをやろうとすると喧嘩にしかならなかったんです(笑)。共同作業をしてみたら、過去最大の喧嘩が勃発して、家を破壊してしまいました(笑)。思うことも行動の仕方も伝え方も全然ちがうことが改めて露呈して、そんな中で雑誌をつくっていくうちにお互いの違いに対して、その瞬間は認められなくても、なんとか形にしないといけないから、折り合えるところを諦めずに探しますよね。

完全に分かり合えなくても、嫌だと思っても、それでもその先を這いつくばって進んだら、つくれたものは尊いものだと思えた。その事実にすごく救われました。分かり合えなくても、向き合おうとした先に何か生まれるものはあるんだなって。

事務局:旦那さんも変わりましたか?

中村:変わった部分ももちろんあるけれど、根本的に人は変わらないですよね。だから、変わらない人同士の付き合い方は今も勉強中で、試行錯誤しています。

東日本大地震が起きたとき、私は「何かしたい、何かしなくちゃ、何かできるはず」という思いが強かった。でも、夫は淡々と日々を送っていて、私はそういう夫に対して怒りがあったんです。変わらない世の中にも、わたしに共感してくれない夫にも怒りがあった。でもあるとき夫が「僕に分かるのは自分の周りの世界のことだから、まず家族を平和にしたい」と言ったんです。私は、世の中を平和にしたいとか思いながら、一番身近なはずの人とすら平和にできないんだから、世界平和なんてそりゃあ無理だよな、と思ったんです。でもあきらめたくはない。それで家族っていう一番小さくて私にとって身近な社会を変えてみることから始めようと思いました。

家族という関係に向き合うことは社会に繋がることなんだ、それが、社会に向けてできることにきっと繋がると思いました。今では全然自分とはちがう夫でよかったなと思うんです。同じ方向に向けるパートナーだったら、正しいことはいつも一つだけ、自分たちこそ正しいとなりかねない。共感をしあえず、お互いに違うということはしんどさもあるけれど、自分が正しいわけではないと常に確認できる。自分が正しいと思ってしまうと、疑問を持てなくなってしまうので、そういう揺さぶりがいつも家庭のなかにあるというのは、すごくいいことだと、今は思っています。

こうあるべきという家族の範囲外にいる人の背中を、押せるような雑誌に。

事務局:お話を聞いてきて、中村さんの家族は、“家族とは何か”という根源的な問いを探るプロジェクトチームのような感覚もあるのかなと思いました。もしも、トラブルを抱えている家族があるなら、家族が“プロジェクトチーム”になるのも、トラブルを解決する方法の一つなのかもしれません。

中村:お互いに分からない部分があっても、愛情は継続できています。私は夫に対して間違いなく愛情があって、夫も私に対しての愛情がある。その愛情は家族がどんなに揺らいでいたときも感じていて、それがあったから家族を続けられたという絶対的な前提があります。愛情がない人に対してはそもそも向き合えないし、関係を続けられないけど、愛があっても、分かり合うのは容易じゃない。それでも向き合いたい、自分の底の底をさらけ出してもなんとか向き合おうとする、そういう関係の先に何があるのかを知りたいんだと思います。

事務局:読者の反応は?

中村:第1号を出したとき、自分たちで全国をまわる創刊号のイベントツアーをして、読者と直接話すことができました。そのときに、子どもがずっとできなくて悩んでいたというご夫婦に、雑誌を読んでとても救われたと言ってもらえました。それを聞いて、自分たちが思っていたかたちにある程度はできているのかなと思いました。この雑誌は、家族というものに対して痛みを抱えている人でも、辛くならないものであってほしい。

家族=あたたかい幸せそうな……といったイメージから離れたくて、創刊号は、光の筋が縦に入っている抽象的な写真を表紙にしました。どこか引っ掻いた傷の跡にも見えるこの写真が、当時、私たちが思っていた家族のイメージです。痛みもあるけれど、その先に光もあるのではないかと思えるような。

雑誌が出来あがる前から、フェアを企画してくださっていた書店員さんは、最初に表紙を見せたときにとても戸惑われました。書店映えしない表紙に「なぜこの表紙なのですか」と聞かれたこともある。でもいい時も悪い時も、喜びも痛みも抱えた家族というものを考えていこうという気持ちを込めてこの表紙に決めました。『家族』をつくる前、コンプレックスにまみれていた私のような人が読んでも、背中を押してもらえるような気持ちになれるものにしたいと思っていました。

事務局:雑誌をつくったことで、家庭内の関係だけではなく、中村さんご自身の外に向かっての考え方、行動に変化はありましたか?

中村:私はずっと文章を書きたいと思っていました。ただ、何を書けばいいかテーマがわかっていなくて、悶々としていた。夫が『家族』という雑誌をつくろうと言ってくれたのは、文章を書きたいという私の書く場所をつくろうとしてくれたのもあると思います。『家族』をつくる前までは、私は社会的の中でとても弱い存在だと感じていました。

夫も私も、そういう状態を逆転したかったんです。主導権を持って、自分たちの生活を自分たちの思うように生きたいという気持ちがあった。『家族』をつくってそこは大きな変化がありました。この雑誌をつくったことが、色々な場所で書かせてもらえるきっかけとなりました。自分が、次に踏み出す力になったと思っています。

移住してもしなくても、自分たちの暮らし方に哲学を持つべき時代。

事務局:中村さんは、東京から藤野に引越しをされました。近年、食べることとか、地球のなかの一つの命として次に繋いでいくこととか……人間らしく生きていくことを意識しはじめた人が多くなった気がしているのですが、そういう大きな流れについて、どう思っていますか?

中村:子どもができる前から、暮らしにもっと向き合いたいという気持ちはありました。創刊号で取材した谷本一家は森を切り拓いて、土地をつくるところから始めて、暮らしを築いていました。そのときは、自分たちが東京から離れる選択肢が出てこなかったのですが、でも、2号の家族を取材しているとき、ふと、住む場所は東京じゃなくていいかもと思えたんです。

自然の中で暮らすというのは、自分たちができないことを思い知らされることだと思います。文明に支えられて生きているという意味で、藤野はまだ大都会だなと思う。電気も通るし、駅も近いし、道路も舗装されている、なんて便利な場所だろうという気持ちで住んでいます。でもここでは熊もイノシシも鹿も出没するし、動物に恐怖を感じる時もあります。そういう時、こういう便利な暮らしの中で、人って本当はなんでもできないのにできるかのように思い上がっているなと気づかされます。

事務局:移住した感想は?

中村:住む場所が変わるだけだから、移住したからといって暮らしは変わらないと思うんです。藤野で暮らしていても、東京で買っていたものをamazonですぐに買えるし、むしろ輸送費やエネルギーを使って、そういう暮らしをしているんですよね。移住したからどうなる、田舎で暮らせばサスティナブルということではなく、東京でもどこでも、一人一人が哲学を持って生きることが必要な時代ではないかと思っています。どんな場所でも、どういう風に暮らして、どんな暮らしを描いて、どういう風に生きていくのかということを、一人一人が考えていく必要があると思う。

「家族」で取材したふたつの家族もその家族だけのルールというか、哲学を持っています。そういう家族に触れることは、じゃあ自分たちは? と考えるきっかけをもらいます。その家族の姿が正解なわけではなくて、こういう風に生きている人がいる、では自分たちはどういう風に生きていこうと考える。「家族」の取材をしながら、私自身が考えていることです。

家族に対して、それぞれの向き合い方ができたら、いいのではないか。

事務局:今後、どんな家族を取材される予定ですか?

中村:今まで行き当たりばったりで来ていて、3号はまだ企画もないんですが、人と人の関係性に興味あるので、全く家族ではない人たちを家族的な視点で見たら何が生まれるかということをやってみたいと思っています。

事務局:近年40代の未婚率が上がっていて、一人で生きていくかもしれない人が増えています。家族というものから弾かれたと思う人もいるかもしれないし、親や兄弟とのあいだにトラブルを持っている人もいて、家族アレルギーのようなものを起こしている人も多い気がします。そういう状況で、家族というものの捉え直しの場をみんなが求めているのかなと思います。

中村:すごくそう思いますね。家族という言葉を安易に出すと、受け入れない人たちも多いのではないかと思ったことがありました。いろんな方がいろんな形の家族のあり方を発表したり投げかけをしている中で、それぞれの方が自分が救われる言葉に出会えたらと思います。わたしはそんな中で「家族」という関係性を通して、人と人が築けるものの可能性について、これからも考えていってみたいと思っています。

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