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MSC認証で持続可能な漁業を実現する――これからも美味しい魚を食べたいから

社会の持続可能性は、いま私たちが抱える大きな課題の1つ。とはいえ「未来のために何ができるのか」を常に突きつけられている一方で、何の根拠もなく、未来を現在の延長線上に描いているのが現状だ。環境汚染、エネルギー資源の枯渇など、問題はわかっているが、身近に感じられない。それは、普段私たちが口にする食料に関してもそうだ。特に水産資源の現状はあまり語られることがない。だが当然、漁業にも持続可能な仕組みをつくろうという試みがある。それがMSC認証

ここ50年くらいで魚の生産量が6倍くらいに増えているという。1960年に約3000万トンだった世界の漁獲量が、今は養殖と天然を合わせて約2億トン。それだけ海に対するプレッシャーが大きくなっている。水産資源の現状、MSC(海洋管理協議会)の取り組み、抱えている課題など、日本において持続可能な漁業の普及を進める鈴木允さんに伺った。

<プロフィール>
鈴木允さん
1999年武蔵高校卒業。2005年京都大学総合人間学部卒業、大都魚類株式会社入社。2013年東京大学大学院農学生命科学研究科(国際水産開発学研究室)入学、2015年修了。2013年6月よりMSC(海洋管理協議会)において、持続可能な漁業の実現を目指し、全国の漁協や行政団体を回る。2019年6月に独立し、『日本漁業認証サポート』という屋号で漁業コンサルタントとして活動中。日本サステナブルシーフード協会代表。おさかな小学校校長。

乱獲でタラ資源が崩壊したカナダのグランドバンク

MSC認証という制度ができたキッカケには、1990年代のはじめに起こった、カナダの東海岸にあるグランドバンクという漁場のタラ資源の崩壊があります。グランドバンクは大航海時代(15世紀頃)に開発され、数100年にわたって利用されてきたヨーロッパの食を支える良い漁場でした。ところが、船の動力が帆船から汽船に変わり、魚を獲る技術も向上し、効率よく、大量に獲れるようになって、今度は乱獲でタラが獲れなくなってしまったのです。それまでイギリスではフィッシュ&チップスでタラを食べていたし、フランス料理の白身魚のメニューもみんなタラを使っていました。それが、いきなり食卓からタラが消えてしまったわけです。一方、カナダでは漁業関係者4万人が大量失業してしまったと言われています。それからもう30年近く経ちますが、このグランドバンクのタラ資源はいまだ回復していません。

これが当時のヨーロッパで大きな社会問題となります。おそらく「魚っていなくなるんだ」と身にしみて感じたのだと思います。将来にわたって魚を食べていくためにどうすればいいのか。単に漁師さんたちが自主規制したり、行政が法で規制するだけではなく、消費者が持続可能な漁業で獲れた魚を選べる、企業も乱獲された魚を扱わない仕組みづくりが始まりました。そうして、持続可能な漁業で獲れた魚にMSC「海のエコラベル」を付けて流通させ、消費者がこのラベルの付いた製品を選ぶ=マーケットが持続可能な魚を選ぶようになったら、漁業も変わっていくと考えたんですね。ユニリーバWWF(世界自然保護基金)がMSCの構想を発案し、1997年に独立した非営利団体としてMSC(Marine Stewardship Council・海洋管理協議会)が設立され、水産資源を守る取り組みが世界的に始まります。これは、ラベルの付いた製品を買うことによって、消費者が持続可能な漁業を応援できるという仕組みでもあります。

「持続可能な漁業」というものを考えたときに「このままだと魚がいなくなってしまう」という話がまずありますが、獲るのをやめれば一気に回復する魚とそうではない魚がいます。たとえばクロマグロはたくさんの卵を産むので獲るのをやめればすごく増える。だからクロマグロは最近増えてきていますが、タラの場合は成長がすごく遅くて、オスとメスがうまく出会えないと次の子孫が残せない。このように、魚の種類にもよるわけです。また魚はいても獲る漁師さんがいなくなってしまえば魚を食べ続けることができません。そうしたいろいろなことが一緒に語られてしまうと本質が見えなくなってしまうので、ここでは僕が今どういう仕事をしているのか、何年後ぐらいを見て仕事をしているのかという話をしたいと思います。

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東京で感じる漁業のイメージと産地の実情

僕はもともと食べ物に興味はあって、中学生、高校生ぐらいから食糧問題を何か仕事にしたいなという思いがありましたが、山登りをしていてあまり海とは関係なかったので、まさか海と関係のある仕事をするとは思っていませんでした。

キッカケは大学1年生のときに、たまたま『ナショナルジオグラフィック』で世界の漁業が危ないという記事を読んで、びっくりしたんです。1999年に神田の古本屋で見つけたものですが、その記事で世界ではそんなに魚が減っていることが話題になってるのだと知って驚きました。日本では、スーパーに行けば当たり前のように魚が売られていて、食糧問題として魚の話がされることはほとんどありません。農業に関心を寄せる人はすごく多いけれど、漁業に関心を寄せている人は少ない。人が関心を寄せていない分、状況も深刻なんじゃないか、漁業のほうがやるべきことが多いのではないかと思って、それですごく漁業に興味が出てきて、たぶん漁業を一生の仕事にするんだろうなとそのときに感じました。

ただ、他にもやりたいことがたくさんあったので、大学ではいったん海のことは保留にしようと決めて、まず中国のタクラマカン砂漠に行きました。大学にいる間は海とは関係のないことを飽きるまでやってみようと、最初は真逆の環境を見てみようと思ったんです。他にもフィリピンでボランティアしたり、アフリカでホームステイしたり、ヨーロッパをバスで旅行したりとか、バックパッカー的なことを一通りやりましたね。でも、やっているうちに「俺、何したかったんだっけ」みたいなことになって、そんなときに友だちから「何かに絞らないとダメだよ」と言われて、やるときが来たなと。卒論を書くという名目で三重県の漁師さんに弟子入りをしました。空き家を借りて京都と行ったり来たりしながら、朝3時から6時ぐらいまで漁に行って、そのあと網の修理をして、夕方はもらった魚をさばいて、という生活をしていました。それからずっと魚にか関わっています。

それが漁業の現場というものの初めての体験だったんですが、そこで感じたのは自分が思っていたのとすごく違うなということです。世界の漁業が危ないという話も世界のどこか別のところ、日本の話ではないと思っていたんですよね。魚が減っている、でもそれはカナダとか東南アジア、アフリカとか、そういうところの話だろうと。まさか日本で減っているとは思っていなかったんです。でも、定置網の船に乗って漁師さんたちと話してみると、やはり魚が減っているとか小さくなっているとか、魚が安いという話が出てきます。ただ、獲れたての魚はめちゃくちゃ美味しいわけです。

僕は東京育ちですが、東京にいるとそれとは逆のイメージがある。どちちかというと魚は肉に比べると高いし、スーパーで売られているのは鮮度のよいものとはかぎりません。でも、いつでも魚は売っているし、魚が減っているなんて思ってもみなかった。東京で思っていたそのイメージと、産地にいるときに僕が見聞きしたところが真逆だということに驚きました。なぜなんだろうと。本当なら流通がきちんと正しい情報を伝えていかなければいけないのに、どこかでその情報が途絶えてしまって、モノだけしか届いていないからではないのか? そう考えると、流通にすごく興味が出てきたんです。でも、当時は水産流通についての本もなくて、どうやって魚が運ばれてきて、どういう情報が伝達されていくか、値段がどのように付けられるかということも、何も分かりませんでした。

漁師さんに聞いても、産地の市場で水揚げをしたあとのことは知らない。どういうルートでどこに卸され、どういう調理がされるのか、誰の口に入っているのか、全然知らないんです。それで、水産流通の中に入ってしまえと、築地の大都魚類という魚の競りの会社に就職しました。最初は大学院に入って水産流通の研究をしようとも思ったんですが、お金を払って大学院に行って忙しい築地の仲買さんにインタビューするよりも、仕事としてやってみようと思ったんです。そこで、長靴を履いて夜中の1時から昼の1時まで、魚を仕入れて売っていました。やってみたらものすごくおもしろくて、そのまま8年間競りの仕事をしました。水産流通の流れも肌で感じることができましたね。

日本の漁業は危ないのか?

グランドバンクで起きたように、テクノロジーの進化で漁獲量を増やすことができるようになった漁業の現場に対し、消費する側も需要の拡大で応えました。人口増加に加えて食文化の変化がその要因です。発展途上国が豊かになってそれまで穀物と野菜しか食べていなかった人たちが肉や魚を食べるようになったということ、一方でヨーロッパやアメリカなどの先進国は健康志向で肉から魚に嗜好がシフトします。需要を支える背景にはその両方があります。

では、日本はどうか。日本人が食べている年間の魚の量は50キロぐらいです。これは鰹節の消費なども原料換算して含めた数字です。ヨーロッパやアメリカでは10キロぐらいですから、日本人は魚を食べなくなっていると言われていますけど、それでもかなり食べています。一方で、海の資源はもうかなり限界まで使われていて、たとえば今100隻で獲っている漁場があるとして、船が200隻になったら漁獲量が倍になるかというと、そうはなりません。1隻当たりの漁獲量が半分になる、もしくは水産資源が崩壊してしまうでしょう。つまり、そういうところまで来ている、ギリギリのバランスのところにいるんです。

何を持って乱獲かという話は難しいんですが、実は、江戸時代から日本の海は乱獲状態にあったという話もあります。さらに、明治以降に新たな漁法が開発されるなどで乱獲状態は拡大します。戦争中に一度しぼむものの、第二次世界大戦後、漁獲量が本格的に増えていきます。食糧不足になり、大きな船を作ってどんどん遠洋に漁に出ていくようになります。南氷洋にクジラを獲りに行ったり、太平洋全域でカツオを獲るようになったり、大西洋まで底引き網で獲りに行ったり。その当時は、国際的な領海の考え方も今とは随分違って「排他的経済水域」という考え方もありませんでしたから、日本の船はどこにでも出かけて魚を獲っていました。60年代、そして70年代、日本の船は相当世界の海で魚を獲って、世界各国から見るとすごく評判が悪かった。それこそ今、中国や北朝鮮などの船が日本の沿岸にまで来て違法に獲っていると言われますが、70年代くらいまでアメリカやヨーロッパの人たちからすると「日本船が近くまで来て漁場を荒らしている」という感覚だったと思います。70年代になると排他的経済水域という考え方が出てきて、200海里(1海里=1.852キロメートル)、だいたい300キロは沿岸国のものである、勝手に他の国が漁をできないというふうに変わりました。

ただ、日本の消費者は生産者に対して性善説というか、日本の漁師さんたちはいいことをやっているはずだという安心感を持っていると思います。そこは、欧米と日本の消費者の違いで、欧米では乱獲などの話が出てくると、すぐにスーパーマーケットの前でデモをやったり、スローガンを掲げたり、消費者がいろいろ行動を起こします。一方、日本は基本的に企業や生産者に対して「いいことやってるはずだ」と思っている。「日本の漁師さんたちは海洋資源を守っているはずだ」と。確かに、ごく沿岸に生息するナマコやサザエ、アワビ、伊勢海老、海藻など、獲りすぎたらいなくなると分かっているものは「ずっと禁漁で何月何日はみんなで獲る」というふうに良い管理ができています。1つの湾の中、目の前の磯で生息して移動もしない、稚魚や幼生もそれほど移動しないというような沿岸の水産資源に関してはその沿岸地域の人たちで管理しているわけです。でも、それはすごく限られた資源に対する管理でしかない。

逆に大きく移動する魚もいます。たとえば、クロマグロは日本近海で生まれて、2歳くらいになると太平洋を渡ってメキシコあたりまで行き、数年過ごした後にまた日本に戻る魚です。そういう広い海域で回遊している魚は国際条約で管理されています。マグロ類を管理する機関が世界には5つあって、中西部太平洋、東部太平洋、インド洋、大西洋、それとミナミマグロ生息域(海域を定めず)、それぞれ管理されています。条約を違反すれば違法漁業(IUU)として捕まるし、衛星でも監視されています。船にオブザーバーを載せなければいけないなど、すごく厳しく規制されているんです。

一番難しいのはその中間です。ほとんどの魚はそうなんですが、たとえばサバは日本沿岸に太平洋側と東シナ海側の2種類の群れがいます。東シナ海側の群れに関しては北陸・山陰から九州各地、太平洋側の群れは北海道・三陸を中心に日本列島の太平洋側で広範囲で獲れます。県をまたいで自由に操業できる大型船もあれば、県境を超えて移動できない中型船もあり、定置網という固定式の罠を仕掛けて待っているような漁法もある。その中での配分というのはすごく難しいんです。さらに、日本の排他的経済水域を超えて、中国や韓国、ロシアの船が来ています。こういった状況で資源をうまく管理するのというのはすごく難しい。

漁師さんが嫌がるのは、魚がそこにいるのに「もう枠の上限に達したので獲らないでください」となることです。魚がいるんだからいいじゃないかと言って漁師さんはすごく怒るわけです。今年獲らなかったらといって来年獲れる保証はないし、自分たちが獲らなくても隣の県で獲っちゃうじゃないかと。そういう声に対して、いままで行政は及び腰だったと思います。だから、みんながめいっぱい獲っても大丈夫なぐらいに漁獲枠を上のほうに設定する。そうすればみんな獲れるので。そうやって獲り放題の状態になってしまった結果が、そのまま資源側へのプレッシャーになってしまった。だから魚が減っていっている、というのが今までの流れです。

どのくらい魚を獲っても獲りすぎにならないかを決めているのが「資源評価」とよばれる調査報告で、サバやアジなどのメジャーな魚種はみんな資源評価の対象になっています。主要な50魚種のおよそ80の群れについて資源評価を行っているのですが、高水準/中水準/低水準と3段階のレベルのうち、40くらいの群れが低水準でした。これは獲りすぎなければもっと増える余地があるという数字です。みんなが獲りすぎてしまっているから、結果的に獲れる量も減ってしまっている。みんなで我慢して資源を回復させればもっと獲れるのに、誰も音頭を取れない、という状況でした。2018年に70年ぶりに漁業法が改正されることになり、より科学的な水産資源管理を行っていくことになりましたが、まだ手放しに喜べる状況ではないのかなと思います。

「負」の循環を「正」に転換させたい

僕は今、主に日本の漁師さんと仕事をしていますが、日本近海には多くの水産資源があり、その魚を大きくなる前に獲ってしまって、そのせいで水産資源にも良くないし、漁師さんにとっても良くない状態が続いているというふうに考えています。

魚がまだ十分に成長しないうちに小さいまま獲ってしまうので、単価も安く儲からない。すると若い人は儲からない漁師にはなりたがらない。地方の産業が衰退する1つの原因になっているわけです。また、魚が小さいまま獲られてしまうのでなかなか増えません。元金と利子の関係と同じで、海の中にもっと魚がたくさんいれば、たくさん獲っても大丈夫なはずなのに、海の中に魚がちょっとしかいないから増えない。獲れる量も少なくなっていくという悪循環になっている。それを良い方向に、逆の循環に持っていきたいというのが今の僕の仕事の1つです。これは、100年後を見ているというよりは5年先、10年先、もしかしたら来年のことかもしれません。いま目の前にいる小さい魚を獲らなければ来年もっと大きくなった魚を獲れるよねみたいな、そのレベルの話をしています。

魚が大きくなった脂の乗っている旬の時期に資源の再生が可能なレベルで獲って、それを生活が成り立つ値段で売る。そうして、海に魚がたくさん残っていれば次の世代の魚も残る。漁業も潤うし、地方の産業が維持できれば若い人もそこで生活することができます。そういう正の循環に変えていきたい。変えていくためには、漁師さんが我慢をしたり、行政が新しいルールを導入したりするだけではなくて、やはり消費者も良い取り組みをしている漁師さんから魚を買うような仕組みが必要なんだろうなと思っています。

漁師さんの中にも、どうせ漁業は自分の代で終わりだからとにかく生活できるようになんでも獲っちゃえという人もいるし、どうせ自分が獲らなくてもほかの人が獲るだけだからと考えている人もいる。一方で、いやいやそうではない、自分から襟を正してやらないと周りは変わらないからと言って、たとえば産卵の時期は魚を獲らないようにしたり、一定のサイズ以下のものは獲らないようにしたり、ある海域は魚の産卵場として大事な場所だからそこでは獲らない、と自己規制をかけて資源を守る人たちもいる。もちろん、発信しながら周りにも広げていこうという取り組みをしている人たちもいます。そういう人たちが馬鹿を見る、正直者が馬鹿を見るような社会ではなくて、良い取り組みをしている人がもっと報われる社会に変えていかないといけない。そのための1つの方法がMSC認証と『海のエコラベル』だと考えています。

ある一定の基準、持続可能な漁業の基準を設け、審査を行って、その基準に合致した漁業に対して認証を出し、その認証を受けた漁業で獲れた魚にラベルを付けて流通させる。消費者はそのラベルのついた製品を買うことによって、良い取り組みをしている漁師さんとその漁業を応援することができます。マーケットがエコラベルの付いた製品を優先的に買うようになっていったら、今まで目先のことだけを考えて漁業をしていた人たちもやり方を変えていくと思うんです。認証を取らないとマーケットがなくなるよねというふうに。MSCはマーケットが変わることによって漁業を変えるという仕組みなんです。僕はMSCにかれこれ7年ぐらい関わっているんですが、非常に期待をしているし、こういう仕組みが広がっていくことが漁業を良くすることにつながると思っています。

2013年からMSCの中に入って日本の漁業がMSCの規格に則って審査されるという場に何度も立ち会ってきました。審査はMSCではなく、審査機関が行います。MSCのスタッフとしての僕は、漁業者さんにMSCという制度があるのでやりませんか、とお声がけして、必要に応じて補助金を紹介したり、審査機関と漁師さんをつなげたりする仕事でした。いざ審査がはじまると、MSCのスタッフは直接審査するわけではないので、オブザーバーとして眺めているような感じになります。

多いときには海外から3人、日本人1人みたいな審査チームが各地に行って漁協などでインタビューを行い、MSCの規格に則って審査を行って報告書を出すということになります。それを見ていて思うのは、やはり海外から来る審査員の人たちは日本の漁業のことは全然知らない。みなさん水産で学位を取っている人たちですが、アメリカやヨーロッパの漁業の知識、経験でもって審査をしている。日本の漁師さんたちは今まで自分たちが良いと思うやり方でやってきて、それが審査員からは全く評価されないこともあります。通訳を介するので、正確に伝わらないということもある。そういう文化的な違い、言葉の違いがあるせいで、日本の漁業の良い部分が国際的な審査の場で正当に評価されていないということをすごく感じました。日本でMSC認証が広がって、持続可能な取り組みをしている漁師さんたちの製品が差別化されて、販売されて報われるというような仕組みを作るためには、まずは審査のハードルを下げる必要があると考えています。誰かが漁業者と審査員の間に入って「審査員が求めているのはこういうことですよ」「日本の漁師さんたちが言っているのはこういうことですよ」と、言葉と文化的な通訳をしなければいけない。そう考えて、1年前に独立しまして、今はそのような仕事をしています。

現在、高知と宮崎の近海カツオ一本釣り漁業のMSC認証の取得をサポートしています。カツオは2月頃から南のほうから黒潮に乗って太平洋側を上がって北海道ぐらいまで行き、戻っていくというサイクルで生活しています。そのため、カツオ漁は大体2〜3月ぐらいに奄美諸島や小笠原で始まって、4月ぐらいに千葉県沖、7〜8月に宮城県沖、9〜11月ぐらいになると戻り鰹といって気仙沼、そして12月ぐらいに終わります。僕が今一緒に仕事しているのはカツオの群れを追いかけながら一本釣りで操業している漁師さんたちで、だいたい100トンぐらいの船で漁を行っています。全国に40、50隻近くあって、高知県と宮崎県、三重県、静岡県にいます。

MSCで働いていたときに、カツオ一本釣りの団体と話をして、予備審査をやることになったんです。この予備審査というのは大学入試に例えると模擬試験みたいなもので、A判定からE判定まであって、A判定なら本審査に行っても大丈夫ですよとか、E判定なら持続可能性をこういう部分で高めないとダメですよ、という結果が出るというものです。ほとんどの漁業は予備審査でだいたいC判定からE判定が出て、それからもっと資源を回復させなきゃダメだよねとか、絶滅危惧種を獲っているからでもうちょっと配慮しないとダメだよねという感じで、何かしら改善を行っていきます。

カツオの一本釣りという漁法は、カツオ資源は豊富で他の資源(魚)へ漁法が与える影響も少なく、海底環境を傷つけません。サステナビリティという点で言うととてもクリーンな漁業なんですね。その予備審査でもA判定が出たんですが「じゃあやりましょう」という人たちと、「やっても効果がわからない」とためらう人たちがいて、まとまらなかった。それが去年の1月ぐらいの話で、そのうちのやりたいという人たち、20隻くらいが有志でやりますというので、じゃあ僕もその人たちを束ねて事務局をやるしかないなと。独立した理由はいくつかあるんですが、そのうちの1つがそれでした。結局、高知の船と宮崎の船で19隻が7月にMSCの審査に入って、うまくいけば来年の春ぐらいに認証される予定です。

具体的には、MSC認証の審査に向けて漁師さんの負担が少しでも減るようにいろいろなところから補助金を持ってきたり、必要なデータを揃えて先方に英訳して送ったり、そのような仕事を『日本漁業認証サポート』という形で個人事業としてやっています。

エコラベルの効果をどう出していくか

カツオ一本釣りの漁師さんたちの中にも「やっても効果がわからない」と考える人たちもいて、その結果、有志という形でMSC認証を進めていくことになったわけですが、エコラベルを付ける理由、MSC認証を取得する価値をどう出していくかが大きな課題だと思っています。

こうした認証というのは、流通経路をなるべく短くしたほうがラベルの価値が出るんです。最初からそのラベルのついた製品を売りたいスーパーと、そのラベルを持っている漁師さんが直接つながること、これが一番価値を発揮できます。たとえば、宮城県の遠洋カツオ漁、これは500トンくらいの船で一本釣りで獲って船内の冷凍庫で急速に冷凍し、冷凍の状態で水揚げして、それを自社の工場で鰹のタタキに加工してスーパーに卸すという会社が、2016年にMSC認証を取得しています。自社からスーパーに卸すという、そういうふうに獲った人が直接お客様に売れるという形なので、やはりメッセージも伝えやすいんです。お客さん側の反応を直に受け取ることもできます。

ところが、今回MSC認証を申請しているカツオ漁の話で言うと、やはり市場をたくさん通すことになります。MSC認証の製品を扱うためにはそのための流通の認証(CoC認証)が必要で、そもそも今の時点では豊洲の仲買さんなどもほとんどがCoC認証を持っていません。スーパーもそうです。せっかく漁業がMSC認証を取っても、途中で普通のカツオになってしまうリスクがある。そこは、僕ががんばらなければいけない部分であり、メディアなどに取り上げてもらって、たくさんの人に関心を持ってもらって、「MSC認証を取った、”サステナブルなカツオの一本釣り”のカツオです」という感じでスーパーに並ぶようにしなければいけない。たとえば、売り場のパッケージにQRコードを入れて、それをピッと読み込んだらその漁の様子がわかるとか、そういう仕組みを作れないかと考えています。野菜に比べて漁師さんの顔は見えにくいので、ちょっとでも見えやすくするために。エコラベルがそのための1つのきっかけになるのかなと思っています。

まず「消費者が持続可能な漁業を応援する」というビジョンがあり、そのための方法として、いま進めているのは日本の漁業がMSC認証を取りやすくするということ。ただ、いくらその漁師さんたちが良い取り組みをしても、たとえばエコラベルをつけたとしても、そのラベルの意味がわからなかったり、そもそも漁業のことを知らなかったら全然伝わらないので、消費者向けにそういった発信をしていこうということです。

実は、コロナ禍になってから主に2つのことをやってきました。1つは、いろいろな漁師さんたちにインタビューをして、どういう状況になっていますか、どんな被害が出ていますかと話を聞いてYouTubeに動画をアップする。もう1つが、「産地で魚がタブついている」のと「子どもたちは自宅でヒマしている」、そこをつなげられないかなと。そこで、産地で獲れた魚を箱ごとママ友コミュニティに送り込むということをしたんです。たとえば、トビウオ30匹をデリバリーしてママ友つながりで配る。その反響がすごく良かった。トビウオはさばきやすいし、顔が可愛いんですよ。子どもたちにとって、環境汚染や魚の乱獲の問題、地球温暖化について学ぶための良い場にもなるので、魚と教育は真剣にやりたいと思っています。

日本は島国なので文化的にも歴史的にも海とすごくつながりがあるんです。魚を通じて、魚をさばいて、よく観察するということの先に、自分と海とのつながりを感じられる。そのような取り組みを通して、消費者の関心が高まれば漁師さんももっとがんばろうと思うし、漁師さんががんばれば消費者に伝わることも増えていく。そこで、いま、小学生と親御さん向けに海と魚について伝えるプログラムを作ろうと思って準備しています。

海のサステナビリティとは

何をもって持続可能な漁業というのか。海におけるサステナビリティとは何か。僕は「サステナブル」というのは、あるどこかの未来、何年後、何十年後にこうなったらいいなという未来を想像して、それを実現する方向に進んでいくことなのではないかと思っています。でも、その未来が何年後なのかというのは人によって違う。もう少し大きくしてから魚を捕ろうよ、そういう魚を消費者は食べようよ、というのはすごく短い期間の話で、本当に5年10年先の話です。でも、温暖化とか海洋酸性化とかはもっと長いスパンの話です。もし100年先を見るとしたら「いま見なければいけないこと」は違ってきます。

たとえば海洋プラスチックごみ。海のなかで分解されるのには何千年もかかるかもしれません。そうしたら、プラスチックのゴミを海に捨てないという以前に、みんながペットボトルで水を飲むのをやめよう、ということかもしれません。また、温暖化の影響でサンゴが死滅したりしています。温暖化を食い止めることができなくても、それを遅らせたり、ある程度のところで止めるために、化石燃料由来の電気やガスを使うのを極力やめて再生可能エネルギーに変えていこう、という話かもしれません。また、温暖化のせいで藻がなくなる「磯焼け」という状態になってしまうのも、とても深刻な事態です。

藻場がなくなってしまうと、産卵や稚魚が育つ場所がなくなるわけです。藻場を守ろうとか、アマモという種を植えて海の森を復活させようという取り組みなどがいろいろなところで行われています。海とのつながりを意識して、海を守るために森に木を入れたりしている人たちもいる。そういった部分はMSCの範囲には含まれていませんが、それもまた、1つの持続可能な漁業のかたちなのだろうと思っています。今後、いろいろな形で海にかかわっている人たちに、海や魚の未来をどのように見ているのかインタビューしたいと考えているんですが、たぶんそれぞれ別の答えが返ってくると思います。その中で、こういう部分は共通してるよね、この部分は違うよね、という意見がきっとある。海や魚の未来を考えている人たちみんなを応援できる仕組みが何か作れたらいいなと思っています。

海に関わっている人にはいろいろなモチベーションがあると思います。「レジャーが好きだから」「釣りが好きだから」「マリンスポーツが好きだから」とか。僕の場合は魚を食べるというところからスタートしてるんです。これからも美味しい魚を食べたい、子どもたちにも食べさせたいというのが、個人的には一番の核なんです。子どもの頃、実家が加入していた生協を通じて、年に何回か産地から直接魚が届く日がありました。そうすると普通の朝食はパンとサラダなのに、魚が届いた日だけごはんとお刺身、魚で取ったアラ汁が出てきて、それがすごく楽しみだった。それが原点なんです。

僕は「サスティナブルな漁業」などと普段から言ってますが、実はすごく悲観的な人間なんですね。この世界の終わりみたいなことをよく考えています。最近読んだ記事ですが、100億年後ぐらいには地球はマグマが冷えてプレートが止まってしまうだろうと言う説があります。マグマの上で今はプレートが動いているんですね。昔は溶けたマグマの塊だった地球が、雨によって表面が固まって、マグマが地球の内側に集まってきたのが今の状態です。今後、何億年もかけてさらにどんどん冷えてマグマが小さくなって、最終的にプレートが止まる。プレートが止まると造山活動がなくなります。すべての山が削られて、侵食されるだけになって、100億年後には海が地球を覆う。そうなったとき、たぶん人間は生きていないだろうなと思うわけです。それから、さらに何10億年も経つと太陽は寿命を迎えて白色巨星になり、地球は太陽に吸い込まれてしまうと言われています。

フランスの思想家ジャック・アタリの『海の歴史』という本の中に、いま世界の生物の多様性が急激に失われていて大量絶滅が起こるだろう、地球上の9割の生物がなくなる。そのときに人間はいないだろう、絶滅するだろう。その後の社会を私たちの子孫は見ることはないだろうという記述がありますが、そういう世界観に僕はすごく共感しているんですよね。一個人としての死ではなく、集団としての人間の死みたいなものがいつ来るのか、どういう形で来るのか、僕が生きてる間にそういうことが起こるのか、子どもの世代か孫の世代か、ということはやはり考えていて。でも、この社会、この美しい地球を残したいという気持ちは湧き上がってくる。その矛盾みたいなものを日々考えているんです。

漫画版の『風の谷のナウシカ』の中で、腐海の中心では新しい世界が生まれているけれど、そこでは毒された私たちは生きることができない。私たちは呪われた種族なんだろうかとナウシカは問う。ナウシカはそこで「命は闇の中のまたたく光だ」と言うわけです。その言葉を最近噛み締めています。きっとどこかで滅びるんだけど、やはり、私たちが命である以上、またたかなきゃいけないんだろうなと思います。

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