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新型コロナウイルスの出現により、ますます先の読みにくい時代になってきました。こんな時だからこそ、私たちの幸せを中心に据えた “複雑化する世界の捉え方”をテーマに議論する機会を作りたいと考え、定期的に『NEXTWISDOM CONSTELLATIONS 2014-2018 叡智探究の軌跡』刊行記念イベントを開催しています。
今回は、『西粟倉・森の学校』代表取締役の牧大介さんと『日本仕事百貨』を運営するナカムラケンタさんをゲストに迎えて「不確実な時代の仕事の作りかた。地域と組織とのいい関係の作りかた」をテーマにオンライン開催したイベントの模様をレポートします。
<ゲストプロフィール>
西粟倉・森の学校 代表取締役(校長)
牧大介さん
1974年生まれ。京都府宇治市出身。京都大学大学院農学研究科卒業後、民間のシンクタンクを経て2005年に株式会社アミタ持続可能経済研究所の設立に参画。2009年に株式会社西粟倉・森の学校、2015年10月に株式会社森の学校ホールディングスを設立。森林・林業、山村に関わる新規事業の企画・プロデュースなどを各地で手掛けている。
株式会社シゴトヒト代表取締役
ナカムラケンタさん
1979年生まれ。求人サイト『日本仕事百貨』の企画運営、東京・清澄白河に小さな街をつくるプロジェクト「リトルトーキョー」「仕事バー」の企画デザインなどを手掛ける。2015年よりグッドデザイン賞審査員。2018年、ミシマ社より初の単著『生きるようにはたらく』を出版。
「やりたいことをやっていい」で人が集まる時代は終わった
Next Wisdom Foundation(以下NWF):牧さんは、今どんなことをしていますか?
牧大介さん(以下牧):エーゼロ株式会社と森の学校で代表をやっています。建築・不動産・障害者の就労支援・ジビエ販売・鰻の養殖・ふるさと納税関連の事務局業務など、いろんな事業をやっています。今はエーゼロと森の学校の2つに分かれていますが、数年以内には合併して1つの会社にして社内カンパニーを置きたいと思っています。この2社を合わせたときの3本柱がありまして、一つ目は人と自然のつながり、二つ目は人と地域のつながり、三つ目は地域でのウェルビーイング、健康・福祉・教育といった分野です。岡山県西粟倉村が中心ですが、滋賀県高島市と北海道厚真町にも拠点がありそれぞれにスタッフがいます。
森の学校は木材の加工と流通の会社です。木材を加工すると木屑がたくさん出てくるので、これをなんとか燃料にしようということで木屑を燃やして鰻の養殖をしています。西粟倉村の廃校になった体育館で鰻を養殖していますが、鰻が育つには28度くらいの水温が必要で、冬は木屑を燃やし続けて水温を保っています。養殖した鰻は『森のうなぎ』というブランドで販売していいます。こんなふうに、地域でいろんな仕事をつくるチャレンジをしています。僕たちが直営で事業をすることもありますが、人と地域をつなぐという柱で、役場と連携して地域おこし協力隊の制度を使いながら村に移住しようとする人たちのサポートもしています。
2つの会社を全体で見ると、世の中が一見価値がないと捉えそうなものを「実は価値があるんだぞ」と掘り起こして商品にすることを楽しんでやっています。たとえば、森のうなぎは鰻を飼育して販売していますが、一般的な鰻の養殖では成長の悪い鰻は間引きされて商品にならないんです。間引きされた鰻は川に放流されるのですが、養殖環境で育った鰻は川では育たず実質捨てられている状況です。僕たちは成長の悪い鰻を安く譲ってもらって、赤ちゃん鰻用の餌をあげて飼育しています。
ジビエ事業で扱う鹿肉も、鹿は山にたくさんいて獣害として撃ち殺されてしまうのですが、殺すだけではもったいないので美味しく食べてもらおうというところから始まりました。鹿の胃袋の中にある消化途中の草が犬や猫の腸内環境を整えるのに良いということで、最近はペット向けのジビエも販売しています。何かを作るときにゴミになるものを再利用することを繰り返していくと、いわゆるサーキュラーエコノミーが自然とできてきます。
結局何をやっているのか分からないかもしれませんが(笑)、僕たちは“地域総合商社”と呼んで、地域と人というテーマで地域から新しい事業・サービスを生み出していこうとしています。
NWF:牧さんには2015年に西粟倉村で取材をさせていただきました。それから5年が経ちましたが、どんな変化がありましたか?
牧:事業が増えました。2015年は鰻の養殖を始めた頃で、ジビエは着手直後でした。今はイチゴの試験栽培をしていて来年には産地を拡大していきます。こういった事業は僕がやりたいから始めることもありますが、やりたい人がいるから始まる事業も多いです。たとえば、鹿肉加工流通のジビエ事業は人間用が中心でしたが、ジビエ担当者が犬と猫がすごく好きでペット向けもやりたいと言いはじめ、鹿肉はペットにこんな良い効果があると社内プレゼンをしたんです。事業化したら、今では人間用よりも売上が伸びています。
社内起業もやりたい気持ちがある人がはじめた事業しか結果として残っていません。僕がやりたいと思っても、それをやりたいと言い続けてくれる人がいないといけなくて、僕の個人的な思いを押し付けても続かない。経験を積み重ねてきて、やりたいという人の思いが出てきたら仕事になっていくという感覚があります。
また、2018年に滋賀県高島市で障がい福祉サービスの仕事が始まりました。4ヘクタールの畑から始まって来年は5ヘクタールに広がりそうで、じわじわと楽しい仲間が集まり順調に伸びています。この5年間で、そういう仲間が増えてきた感覚があります。
西粟倉村では、僕たちが関っている部分もあれば勝手にベンチャーが増えている部分もあります。2004年に西粟倉村は近隣の市町村と合併しないと決断し、村単独で生きていくことを決めました。そこからカウントして新しくできた会社が45社、2020年時点で45社の売上合計が20億を超えました。この5年で、新しい事業が生まれて仕事ができ移住者が増えるという流れが加速していると感じます。
NWF:この5年でベンチャーが増えているという話から、やりたい人がやるという仕組みはどう作っていますか? そういう人たちはどんなふうに集まるのでしょうか?
牧:西粟倉村全体の仕組みとしてはローカルベンチャースクールというプログラムがあって、やりたいことについて企画書を出してもらいます。審査をして、本当にそれが好きでやり抜くという気持ちがしっかりしていると思えたら、最後は役場判断ですが3年間地域おこし協力隊の予算をつけてがんばってもらうというやり方です。ただ、だんだんこのパターンで来る人は減っています。
西粟倉村が「定住しなくていい・好きなことをやってよ」と言っていた頃は(編註:2015年に西粟倉村が発表した『定住しなくて、いいんです。』という地域おこし協力隊の募集方法は、それまでの地域起業=定住の概念を覆す視点として話題になりました)新しい感じがあったのですが、この5年間でそれが当たり前になってきた。「やりたいことをやっていいよ」と言っていれば人が集まる時代は終わった感じがしています。それは必ずしも僕たちが起点とは限らず、「そのほうが良いよね」という感じで世の中の常識になってきた。地域が移住者に無理矢理何かをやらせるのではなく、移住者が人として幸せになれるかどうかを積み重ねて地域が出来ていく感覚が日本中に広がってきているなと思います。
こんな状況の中で新しく事業を生み出していく仕掛けとしては、地域の中の人が抱えている願いや課題に様々な人が関わって事業プランを作り、自然とそこに入りたいという人が増えていくという流れです。それで、2021年4月からローカルベンチャースクールの後継として『TAKIBIプログラム』を始めました。西粟倉村には45社あってまだ成長していけそうな会社があるので、ゼロイチばかりではなく地域の中で仲間を増やしながら事業規模を拡大していける取り組みです。仲間づくり・チームづくりにフォーカスして、地域の中にある“焚き火”を発見して内外から木をくべて熱量を上げていく。こんなプログラムです。
NWF:『TAKIBIプログラム』を始める背景には、やりたいことをしに地域にやってくるというタイプから、地域の願いごとからやりたいことを見つけて仲間を集めていく流れが増えてきたという牧さんの肌感覚があるのでしょうか?
牧:起業家として生きていく前提だと、個人に対して「あなたは何がしたいのですか?」ということを問うていくのですが、それぞれの人の中にこれがやりたいというのはありつつも、誰とやるかも大切で、良い仲間がいたらどんな仕事でも楽しかったりします。そう感じる人がたくさんいるので、良い仲間と出会うことは大切です。仲間になれるかどうかは重ね合わせていける願いがあるかどうか、共有できるビジョンがあるかどうかです。地域の仲間を増やすプログラムとして、自分でビジョンを描いて仲間を募って行動していけるクリエイティブで逞しい起業型人材を前提にするよりは、「これ楽しいね」「一緒にやりたいね」という気持ちが重なる仲間がいて、その仲間がいるから良い仕事をして先に進めて幸せ、というストーリーを地域の中で増やしていくほうが無理がない。
より多くの人が活躍できる方法は、一人でなんでもできる人を探し出してその人にやらせるよりも、良い仲間が増えて仕事が生み出されるプロセスだと思うようになりました。起業家型の人は特殊というか……そういう人ばかりがいる地域は、元気でクリエイティブでエネルギッシュじゃないと暮らせない感じになってしまう。僕たちは、それはちょっと気持ち悪いのではないかと感じ始めたんです。最初の頃はパワフルでエネルギッシュな人たちが集まって切り拓いてきた部分もあると思いますが、今はいろんな人がいてそれぞれに個性を生かして活躍できるほうが良い。そうするために、仲間づくり・チームづくりにフォーカスしていろんな人が幸せになれる地域を作っていきたいと思います。僕もおじさんになってきたので(笑)、ガツガツとチャレンジだ、冒険だというのとは逆側に意識が向っています。
NWF:仲間を大切にして楽しい地域を作っていく流れと、事業規模を大きくすることはどう関係していますか?
牧:事業規模を大きくしていくのも大切だと思っています。個人事業主で生き抜いていける人は、かなり元気で能力があるんです。それで地域が成り立っていくかというと、そういう人たちも大切ですが、一定の雇用を生み出してチームとして仕事ができる会社や事業が出てこないといけない。最近、僕たちの会社に地元の子が就職してくれてとても嬉しかったのですが、これまでは村の子どもたちが就職する先として安定しているのは役場くらいしかなかった。新卒でもUターンで戻ってきても、きちんと採用して育てていく就職の場がないといけなくて、その場を作ろうと思うと数億円規模の事業が地域の中に出てこないといけないという問題意識があります。
NWF:この5年間で際立った才能を持つ層や強い意志を持って地域で働く層だけでなく、中間層も地域に入っていける余白ができたのだと思いますが、中間層の人たちはおそらく都会でも同じ働き方をしてきた人たちです。働く場所を地域に変えることで変化できることはあるのでしょうか? 組織や地域との関わりの部分で新しい発見はできますか?
牧:あまりない気もしますね。都会で働くのも地域で働くのも、仲間がいて一緒に働くことは変わらないので。たくさんの自然や田舎が好きな人にとっては良い環境だと思います。都市と違う部分があるとすれば、人の顔が見えやすいということでしょうか。どんな人がいて、その人の関わりでどんな仕事が生み出されて、自分の生活とどう繋がっているのか分かる。地域は繋がりの解像度がとても高いので、支え・支えられながら生きているのがより分かりやすいと思います。
NWF:繋がりの解像度が上がった結果、どんなことが起きてきますか?
牧:こういう生き物がいて、こういう人たちがいるから、今この商品が作れるという実感が持てます。支えてくれる人が見えていると「感謝しましょう」と言われなくても感謝の気持ちが湧いてくるものなので幸福感が増すと思います。繋がりの解像度が低いと、誰かに対して感謝をする気持ちを持つことが少ないかもしれません。
NWF:感謝の気持ちを持つから、新しい事業・サービスが生まれやすいということはありますか?
牧:何がどう繋がっているかは現場ほどよく見えるので、僕たちが体感して嬉しいと思うことを村に来るお客さんも体感することで新しい事業が生まれる部分はあります。たとえば、西粟倉村に来て鹿肉や鰻、イチゴを食べてもらうとします。森から丸太が伐り出されてこんなプロセスを経て杉の皮が出てきて、その皮を加工してイチゴ栽培の培地に使われて、どんな人がイチゴを収穫してカフェで提供しているのか、こういうちょっとしたものごとの全てに背景と人が見えるので、そこをお客さんと分かち合っていける。社内では「生態系をエンタメ化する」と言っているのですが、人と自然の繋がりを体感できて学んだり楽しんだりできる。それは、現場がある田舎だからこそ出せる価値ではないか。単に商品を作って消費するのではなく、自然との繋がりから含めて体感して味わって楽しんでもらうところに地域から生み出していける新しい価値があるのではないかと思っています。
仕事も住む場所も“こうあるべき”前提が崩れている
NWF:ナカムラさんが運営している『日本仕事百貨』について教えてください。
ナカムラケンタ(以下ナカムラ):日本仕事百貨は求人サイトで、2021年で13年目です。仕事を探すときに、給与・勤務地・福利厚生などは大切なことですが、それだけでは決められないことも増えていると感じて、日本仕事百貨では写真と文章で仕事内容を紹介しています。ページは長いのですが、いわゆる募集要項に書かれていることだけでは分からない、職場や働いている人の雰囲気、やりがいなどを紹介しています。
『しごとバー』というイベントもやっています。取材をして話を聞くのはとっても楽しいんです。それをなんとか文章と写真で共有しようと思っているのですが、直接話を聞いて得られることもあるので実際に話を聞いてみようということで始めました。いきなり会って話すのは大変かもしれないので、お酒を飲みながらカジュアルに話をしましょうというのが『しごとバー』です。
最近は、映像の求人にも力を入れています。もともと映像には興味があったのですが、映像を見る人が楽しみにしてくださることが多くて、映像求人は今後時間をかけてやっていこうとしています。先日も西粟倉に行って、イチゴ農園を立ち上げようとしている羽田さんの取材をしていきました。
NWF:13年間サイトの運営をしてきて、応募する人たちのニーズや仕事への思いにはどんな変化を感じますか?
ナカムラ:最初の変化は、地方のご依頼が増えたことです。はじめたばかりの頃は東京の求人ばかりだったので『東京仕事百貨』という名前で始めたのですが、途中で『日本仕事百貨』に変えました。
いわゆる営業をしていません。一般的な人材サービスは営業がキモというか、営業力によって変わってくると思うのですが、僕らには営業マンがいません。営業マンがいるとすればクライアントの皆さんで、求人を載せてくださった皆さんの口コミで広がっていきました。今は半分くらいが都市圏以外の求人です。いわゆる広い意味でクリエイティブな仕事が多くて、13年前はデザイン・建築など分かりやすいクリエイティブな領域が多かったです。今はそういう仕事だけでなく、社会的な意義のあるプロダクトのデザインとか、まちづくりから関わる宿の仕事とか、もっと広いクリエイティブな仕事が増えているように感じます。
NWF:応募をしてくる方には、どんな変化がありますか?
ナカムラ:当初は20代後半が多かったのですが、今は多様になっていて、学生さんから60歳以上の方まで見ていただいています。
NWF:ナカムラさんは、地方の可能性をどう見ていますか?
ナカムラ:コロナ禍でリモートワークが進んで地方が働く場所として注目を集めていると思いますが、地方で働くことに限らず、好きな場所で働くことが増えていると思います。どんどん働く場所や働き方「選択肢」が増えている。昔はおそらく、“働く場所はこういうもの”というイメージが狭かったと思うのです。今はインターネットでいろんな働き方・生き方が共有されて、ネットがあればいろんなことができると証明されてきたので、多様な選択肢から自分の働き方を選ぶ敷居が下がっていると思います。
NWF:働き方の選択肢が増えて、今はどんな人が地方に行っていますか? いきなり地方に行くのか、今している仕事を持ち込みながら地域に馴染んでいくのか、リモートワークで地方に入っていくのか? 各地域へどんな入り方をしているのでしょうか?
ナカムラ:一言では言えない、いろんな形があると思います。選択肢が増えていることを具体的に言うと、二地域居住や兼業・副業も一つの表れだと思います。仕事は一つ、住む場所は一ヶ所、というような、これまで当たり前だと思っていた前提が崩れて、様々な“こうあるべき”がなくなっています。自分がどう生きたいのかを考えて、それに素直に従い、試してみようと考えている人が増えているように思います。
NWF:ナカムラさんが求人サイトを運営するうえで気をつけているポイントは何でしょう?
ナカムラ:一番大切にしているのは、働いたときに求人内容とのギャップが無いようにすることです。サイト構造もそうしていて、僕らの求人サイトは一律で同じ金額をいただいています。成果報酬というのは一見フェアに見えますが、そうすると無意識に成果が出るような編集をしてしまうのではないかという思いがあります。誰か採用されればお金が入る仕組みだと、なんとかこの仕事をよく見せようという力が働いてしまうような気がして、僕らはそういうことが起きないようにしています。オプションをつけたらトップページで大きく表示する等もしていません。とにかくありのままを紹介したいんです。たとえば、タイトルの付け方もバズらないように考えています。届くべき人に届けばいいので。それにタイトルがバズって応募者が増えるのは良いことかというと決してそうではなくて、一人採用予定のときに、ぴったりの一人が現れれば成功だと思っています。
人事担当者は、結果が出るのに時間がかかります。採用した人が良かったかどうか判断するには時間がかかるので、うまくいったときは評価されにくいし、うまくいかなかったら責められる。そうなると目先の結果で評価されやすくなる。たとえば、「会社説明会に何名来たか」というようなことです。でも、たとえ会社説明会にたくさんの人が来ても、その会社のことを何にも知らないで応募したような方ばかりなら、良いご縁が生まれる確率はとても低いものになります。それに応募者がたくさんいると、それだけ一人ひとりの応募者にかける時間は減ってしまうわけです。
僕たちは、求人記事のタイトルを「この仕事を探している人がどんなことを思って応募するのか」を想像して付けます。不特定多数の人の関心をひいてクリックさせようという考え方ではないんです。
NWF:日本仕事百貨は、なぜ地域で起業するとか、事業をゼロイチで作ろうという提案をしないのでしょうか?
ナカムラ:そういうこともやっていますし、それもすごく素敵なことだと思います。ただ、新規で創業をするのはすごく難しいんです。いろんな地域で創業の相談をいただくのですが、創業は簡単ではないし、創業後に軌道にのるにも時間がかかる。一方でいま力を入れているのは、すでにある仕事を承継してもらうこと。なぜかというと、地方には後を継ぐ人がいない事業がたくさんあって、その半分近くは黒字なんです。たとえば、地域おこし協力隊は3年後に創業する、もしくは公務員になるという出口が多いです。でもそれだけでなく、3年間、見込みのある企業に出向して引き継ぎをするというやり方があってもいいと思うんです。創業することと、すでにある事業を引き継ぐことの先にある目的は、そんなに変わらないのではないかと思っています。
NWF:求人サイトを運営してきて、仕事の挑戦と現実、出来ることと出来ないこと、その塩梅についてナカムラさんはどんなふうに考えていますか?
ナカムラ:いろいろな仕事に対して、悩みや希望などをもっている方はたくさんいらっしゃると思います。とくに自分の仕事をつくろうと考えると、思いも深くなる。
でもね、何をやったら上手くいくかなんて分からないですよ。基本的には、3回やって1回うまくいけばいいと思うんです。そういうときに考えてばかりいても始まらないので、まずは一歩踏み出すことが大切だと思います。
打率はそう変わらないので、打席をどう増やせばいいかということを考えると、1つは固定費を減らすことです。
自分が生きていくために毎月20万円必要だった人は10万円にして、1〜2年はうまくいかなくても生きていけるように計算をする。そうすると失敗してもまたチャレンジができます。現実はいったん置いて、いろんなチャレンジができる環境を作っておくといい。僕も独立したときは、家賃が20万円だった一軒家を改装するから安くしてほしいと交渉して10万円にしてもらって、それを3人でシェアしていました。それで毎月の固定費がすごく下がった。チャレンジするときに、自分の生きていくハードルを下げておくのはとても大切だと思います。
いま僕がいるのは清澄白河のビルですが、コロナ禍でイベントができず空いているフロアが多いんです。これをどう活用しようか考えているのですが、都市で暮らしていても固定費を下げられるような空間にしたいと思っています。たとえば日本仕事百貨に寄稿してくれたら無料で暮らせるとか。家賃の心配がなくなるといろんなチャレンジをして失敗もできる。チャレンジを繰り返せば自分に合うものが見つかると思います。僕もたくさん失敗してきましたから。
NWF:日本仕事百貨から就職した先の定着率はどのくらいですか? 特に地域に定着するパーセンテージはどのくらいなのでしょうか? また文化や働きやすさ、馴染みやすさなど人材を地方に送る際に気をつけているポイントはありますか?
ナカムラ:定着率について定量的な数字がないのですが、一度の募集に対して70%くらいの確率で採用に至るので、3回募集すれば2回は採用しているという状況です。その後にどのくらいの人が残るかというと、もちろん辞められる方もいますが、結構な確率で残っているように感じます。なぜなら僕たちは営業活動をしていないので上手くいかなかったら2回目の声はかからないのですが、2・3回とリピートしてくれることが多いからです。取材で現地に行くと、仕事百貨で採用された方が働いていらっしゃることが多い。
地方の求人を担当した時に気をつけているポイントは、就職する人は引っ越しする可能性が高いので、仕事以外のことも注意する。たとえば、「暮らしの時間がどうなるのか」ということなど。たとえば、周りにコンビニがまったくないとか、実際にその場に立った時にどんな仕事をしてどんな暮らしの風景が見えてくるのか。自分が実際に働いたらどんな時間が流れるのか。すべては伝えきれないかもしれませんが、とにかく想像してもらえるような求人ページを作っています。
ドライな田舎、ウェットな田舎
<牧大介さん×ナカムラケンタさん対談>
NWF:お二人は、ゼロイチではない地域の仕事を作り出しています。ゼロから仕事を立ち上げなくても地域の仕事を作る方法、地域にうまく入って生活して心地良さを広げていくためにどんなことがポイントになっていくと思いますか?
牧:いろんな人と対話を重ねていくプロセスがしっかりあるかどうかはとても大切です。ゼロイチの事業のように見えても、特定の個人のクリエイティビティだけで事業が生まれることはほとんどありません。僕も新事業はゼロイチでやっているように見えるかもしれませんが、地域の林業関係者と話をしながら「こんなことが出来たらいいね」「一緒にしたいね」と対話を重ねたものしか実現していません。
今ある仕事でも、まだ無い仕事でも、たくさんの人と対話を重ねながら事業イメージが明確になっていくものしか進まないと思います。もちろん、既存の事業のほうがより未来に向かってイメージがついて、夢を共有できる人たちが多いと思います。でも、対話の積み重ねの中でできることや一緒に夢を描いて共有していけることがあれば、事業を作るということに簡単にたどり着けなくても、仕事は楽しくなると思います。
NWF:対話を重ねる場を作るには、それなりのモチベーションが必要ですよね?
牧:そうですね。社内でも地域でも対話の場を作るために時間を割いて努力してきたチームのほうが上手くいっています。心地よく仲間たちが働いている仕事は、コミュニケーションの量と対話の場があるかどうかで決まってくると思います。
NWF:それを仕組みとして作っておくのが、お二人の一つの特性ですね。
ナカムラ:地域に限らず組織もそうですが、上手くいく要素として仕事内容は3割くらいで、その後もコミュニケーションをうまく取れるかどうかが7割です。これは求人サイトの運営者としては悲しいことですが、求人サイトでできるのは3割くらいだと思います。どんなにやりたい仕事でも、コミュニケーションがうまくいかなければ辞めてしまう。先日西粟倉村で取材した観光型イチゴ農園を始める羽田さんも、牧さんや地域の方と対話を重ねた結果として農園を始めようとしています。
3ヶ月に一度の経営合宿など仕組みの部分は補助的なもので、会社や地域の中でこの人とは話したほうがいいとか、誤解がある部分はいち早く察知してコミュニケーションでフォローするという属人的な部分が大切だと感じました。今はリモートワークで難しいですが、物理的・定期的に対話をして、お互いに何を考えているのか共有する時間を作らないと難しい。苦労している人は自分からコミュニケーションを取らないか、取ろうと思っても相手がいない。
僕たちが求人の段階でできるのは、入社してから“この人になら相談できる”という応募者のその後のキーマン・世話役・相談役になれる人をきちんと取材することです。たいていの仕事は、やっていったら結果としてやりがいが見つかると思うんです。だから、コミュニケーションの機会をつくる、それをお互いに気をつけるのが大切だと思います。
NWF:田舎に住んでいると特に若い人は自分の事業だけでなく、地域の仕事や仲間の仕事に時間を割かれるのではないか? 都心の仕事と比べて自分の事業に集中する時間が確保しにくいイメージもあります。消防団に入ったら飲み会で時間がなくなるとか……西粟倉村はどんな状況ですか?
牧:人によります。仕事が好きで仕事に関わる仲間とは社内・社外問わずにコミュニケーションを取るけれど、地域の付き合いはそんなにしない人……僕はこちらのタイプです。地区の神社の掃除当番はやりますが、それくらいです。たしかに消防団に入ると訓練とそれに続く飲み会がありますが、多くの都会の人が想像するほどの頻度で時間が取られるということはないです。それは、地域によって違うかもしれません。
西粟倉村も集落によって人付き合いの濃さ、ウェットさ加減は違って、この集落はドライだとか都会っぽいとか場所によって違います。その付き合い方は人それぞれで、このくらいの濃度で地域と付き合わないといけないというのは決してないです。都会でもビルのフロアごとに村があるようなものだと思うし、そこは地域・都会でそんなに違わない気がしています。
NWF:移住してくる人を迎える地域の方に向けて、移住者とどんなふうに関わればいいのか提言をいただけますか。求めすぎてしまうと移住者は厳しくなるし、放置しても糸の切れた凧になってしまう。どのくらいの強度で関係性を結ぶのか、どんなかたちで関わっていくのが心地よい距離感なのでしょうか?
牧:さきほどナカムラさんが言ったことと同じですが、相談できる人をうまく置いたほうがいいと思います。無理に場を作ってみんなが集まれるようにするよりは、直接の指揮系統から外れていて相談できる人を置いておく。相談を受けた人は、うまく受け止めて必要に応じて周りに繋いでいく。右も左も分からない人に「質問してくればいい」と突き放してもいけないし、逆に手取り足取り教えて過剰に関わるのもおかしな話で、程よい距離感の相談相手がいれば、知り合いが少ない中でもやっていけると思います。
あとは精神的にどうしても落ちたりしんどくなっていくことはあるので、「そういうこともあるよね」と受け止めていく。不安になって自分の存在価値が分からなくなってくると鬱になったり攻撃的になったりするので、受け入れる側はそれを受け止める寛容さがあったほうが良いと思います。地域側の寛容さをどこまで高めていけるかは大事だと思います。
ビジョンは地域内で浮かび上がり、一緒に育てていくもの
NWF:お二人には、成し遂げたいビジョンはありますか?
牧:ビジョンは、会社の仲間や地域の人たちと話をしている時に浮かび上がってくると思っています。たとえば僕も地域の人も、Uターンの人がどんどん戻ってくる地域になりたいと思っています。明確なビジョンというよりもその時々にいる場所と仲間から見えてくる景色があって、それは変わり続けている。今まで10年以上事業をしていますが、何年後に明確にこうなるといったものはないので、僕はビジョンがないタイプの経営者だと思います。
ナカムラ:僕もあんまりビジョンが無いというか、あまり計画的じゃないというか、衝動的なんです。成し遂げたいということは無くて、会社や家族のみんなと一緒に生きていければそれで幸せです。そういう年代なのかもしれませんが、大きなことに興味が無くなってきていて、1対1の関係性がすごく楽しんです。いま蓼科の『HYTTER』という小屋をDIYしているのですが、それも1人で山を開拓して作っていくことには興味が無くて、行くと誰か知り合いがいて焚き火をしたりDIYしたりするのがすごく楽しい。そういう1対1の関係性をきちんと築いていけることを続けていけたら良いなと思っています。
NWF:あえて目標やビジョンを定めないということについて、お二人の考えを聞かせてください。
牧:仲間といるときに浮かび上がってくるビジョンは共有できるし、自分の中でエネルギーになるんですけど、経営者らしくビジョンらしきものを掲げて、そのビジョンのために仲間を働かせようとすると、働くということが会社のために使われていって、結局は心地いい関係にはならない。僕は、ビジョンは個人に帰属するものだと思っていて、それぞれのビジョンが重なりあう部分があると仲間と仕事して楽しいんです。いま経営者という立場になっているからこそビジョンというものを押しつけたくなくて、浮かび上がってくるビジョンを一緒に育てるという意識でやるほうが性に合っているなと思います。
ナカムラ:マーケティング発想のビジョン作りをしても上手くいかないと思います。「こういう人がいるから、こうやるべきだろう」とか、自分の外側にあるものを基準にしてビジョンを考えるのはなかなか難しいんです。そもそも当たらないし、当たったとしても既に考えている人がいる。ビジョンが無いというのは、日々生活をしていて「こういうものが欲しい」と思ったものが場合によってホームランになることがあるということで。
以前、「流行は作れないけれど、好きなことをやっていたらそれが流行になることもある」という言葉を聞きました。そういうことだと思っていて、まずは日々を過ごして、その中で何かピンときたり切実に欲しい・自分がやりたいと思うものが出てきたらその時に考えればいい。まあ、流行をつくる必要はないですけども。計画的ではなくとも、機が熟せば自ずと始まるということだと思います。
NWF:視聴者からの質問です。コロナで急激に働き方の変化が進んだように見えますが、それも踏まえつつ、これからの長期的な働き方ついてどう考えていますか? 都市から地方への流入加速は一時的なものなのでしょうか?
ナカムラ:働き方が変化したというよりは、より顕在化して本質的になった感じがします。つまり、みなさん、それぞれに希望の働き方があるんです。全員が同じ希望ではない。いろんな考え方があったけれど、今までは限られた選択肢から選ぶ人ばかりだった。すでにある枠に収まりたかった人も収まりたくなかった人も、全て同じ枠に収まっていた。みんな大学を卒業して就職をしてその会社で長く働くといったことが当たり前でした。今はその考え方のメッキが剥がれてきて、「あれ、何でもありなんじゃないか?」というふうになっていると思うんです。僕はそれがどんどん加速してほしいと思います。それぞれが自由にやりたいことを実現できる世の中になってほしいし、そうなっていくのではないかな。コロナによってその変化のギアが1段上がったと思います。
地方への流入が加速するかどうかは、皆さんが地方に住みたいかどうかだと思います。ぼくはどうかといえば、横丁みたいな場所で呑むのも好きだし、焚き火の中でぼんやりするのも好きだから、行ったり来たりするのがいいです(笑)。
牧:僕はほとんど東京に行かなくなったし、今回もこうやってオンラインでいろんな方と繋がっています。その分、地域の中の季節の移り変わりを感じて身近なものを丁寧に見られる時間が増えたのは良いことだと思うんです。地域への流入が加速するかどうか分かりませんが、地域から人が減り過ぎると失うものがあるし寂しいので、ある程度の人がいてその土地や自然と向き合いながら未来を作っていく。これは僕の一つのライフワークでもあるので、どうやったら移住してきた人たちが幸せに暮らせる場所を作れるのかということは、これからも仮説検証を重ねて探求していきたいと思っています。
NWF:最後に、このイベントのテーマである「不確実な時代に多角的な視点を持つためには?」の観点から、仕事の作り方や組織の関わり方、地域との関わり方においてメッセージをいただけますか。
牧:具体的すぎるかもしれませんが、多能工化していくということでしょうか。それぞれが努力していくことと合わせて、一人でもいろんなことを出来るようになっていくと、出来ないことを補い合い頼り合える関係になる。これから何で食べていけるのか、きちんと価値を生んで給料をもらっていけるのか予測できない中で、一人でいくつかの仕事が出来るとシフトできます。
僕たちは昔の日本の会社に近いスタイルになってきている気がするのですが、鹿肉も鰻も木材加工品企画もできる人を時間かけて育てていけば、何かあってもその人は活躍できる。ある程度の規模の中にいろんなバリエーションの仕事があって、役割を固定せず1日の中でいくつかの仕事をこなす。多様性を取り込みながら多能工化して頼りあえる関係を作ることが、先が読めない世の中でみんなが生き残り活躍し続けることになるのではないかと思って経営しています。
ナカムラ:結果を出しやすいのはいろいろチャレンジできる環境を作り、チャレンジを繰り返すことだと思います。そして、長くじっくりチャレンジできる時間を作るために固定費を減らす。僕はやってみたことがないので分からないですが、都市よりは地方のほうがやりやすい気がします。その中でだいたい1打席目は見逃し3振なんです。振っても当たらない。そんな感じでとにかく打席に立っていく。起業したり仕事を作るというのはスポーツのようなもので、教習本を見て言われた通りにラケットを振ってもボールには当たらないですよね。でも、何度も素振りをしていくと当たるという、とても感覚的な部分が起業には多いと思います。頭でっかちになって教習本を読むだけではなく、実際にラケットを振る。振り続けると当たるようになって、1回当たるともっと上手く当てたくなって次に繋がる。打席を増やすことが大切なのかなと思います。