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MON—DO(もんどう)
会の後半は、ゲストのスピーチを聴いて頭のなかに浮かんできたさまざまな疑問を参加者同士でディスカッションし、そこでかたちになった「問」をゲストにぶつけ、ゲストの「答」を引きだす「MON-DO(もんどう)」の時間。
だれもが答えが想像できる予定調和な質問ではなく、ゲストをドキッとさせるような鋭い問いには、会場から拍手が湧きます。一つの正しい答えを求めるのではなく、会場に集まった人たちを新たな発想や思考に導くのが、良い「問い」であると考えます。
問)いままでの科学者が分業的に専門分野を受け持っていたのに対して、これからは全体に目をやらなくてはいけなくなる。一人の科学者がカバーできる領域には限界があるのに、対象はどんどん広がっていく。この問題は、どうやってクリアしていくのでしょうか。
答)まさにその通りで、難しい時代にどんどん入ってきています。これからは相互作用のある対象を解いていかなければいけない。だから、他分野に極めて頻繁にインタラクションしなければならない。ですから、自分自身の専門性を二つとか三つとか持つくらいでやらなければならない。どれだけ専門性を持ったまま広げられるか、そうすることによって新しい分野をクリエイトする。研究者として一番大事なのは、新しい分野を作ることなんです。ひとつ助けになるのは、われわれにはツールがあるということです。それはインターネットとコンピュータです。ひとりがカバーできる領域を広げていくために、それらを上手に利用するということですね。
問)科学にはエビデンスの役割がありますが、そのエビデンスが悪用されないためには、どうすればいいでしょう。
答)無い。残念ながら、その方法はありません。わたしたちにできることは、合意形成するということ、民主主義でコントロールしていくということ。たとえば、医療倫理ってありますよね。あれは、科学は科学でいいんだけど、実社会に適用するときはこうしよう、という合意形成をしているわけです。では、他の分野はそういうものが無いままでいいのか。そろそろ議論しなければいけない時期だと思います。なぜなら、やはり最終的には我々の地球、我々の世界だから、今、きちんとやっていくということだと思います。
問)合意形成の中で、落としどころを見つけるにはどういう方法を取ったらよいでしょうか。
答)これも難しいですね。しかし、例えば、北欧の国々ではわりと小さなコミュニティで身のまわりのことをどうするのか自分たちで決める、ということをやっています。道路標識はこうしましょう、一方通行を作りましょう、というようなことです。そういう訓練をされている。やはり教育のレベルが高いからだと思うんです。だから、一般の人が極めて高いレベルでものごとを理解し、ロジカルシンキングできる。しかし、それは日本だってできるし、世界中でできる。必要な教育が行き届いてないところにはサポートをしていく。これが最終的には人類社会の平和のベースになるんじゃないかな。
問)ファッションの世界では大量生産が行き着くところまで行ってしまいました。私が見ているフェアトレード(https://ja.wikipedia.org/wiki/公正取引)とかオーガニック(https://ja.wikipedia.org/wiki/有機農業)とか手作りとかはヒューマンスケール。もともと経済もそうだと思うんですけど、人間のスケールに戻らないと、オープンシステムサイエンス的な世界は作れないかなと思っています。
答)量の時代から質の時代に流れが完全に移っているのだと思います。あれはダメ、これはダメというのではなく、質を求めながら、経済を発展させていきつつ、危険なことに対してコントロールしていく、ということが重要だと思います。
問)ひとりひとりの人生と幸せの形と、その集合としての地球があるわけですが、科学者の立場としては、個人の幸福よりも全体最適で持続可能性を重視するという考え方になるのでしょうか。
答)全体での最適というものは、個人の幸福追求を基本として持っていなければいけないと思うんです。最適と言っても、何が最適かによって全然異なった結果になりますから、個人の幸福を犠牲にした全体最適を僕は求めてはいけないと思います。それよりも多様性ということの方が大事だと思います。多様性と社会全体が破綻しないこと、その二つに基本を置かないとまずいんじゃないかなあ。そうしないと、全体主義になっちゃうんですよ。
考察
今後オープンシステムサイエンスの下で、科学と科学者の姿勢がより社会に開いたものに変化していくだろう。その一方で、社会、科学者以外の人々が科学に対する態度も変わらなければならない。そして、そのことが「社会的合意を得る」ために重要なことなのではないか。
今までは、科学の成果が埋め込まれた道具を、それを科学か魔法か分からないまま利用する、というのが科学者以外の一般人の科学に対する態度だったのではないか。もしオープンシステムサイエンスが進めば、科学者以外の人たちも今までより科学を積極的に理解する態度が求められ、また、オープンシステムサイエンスが領域を明確に定義できないように、「科学者」と「科学者以外の人」の境界がなくなっていく社会になるのかもしれない。