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専門化する仕事、文系と理系に別れる教育、分野に分かれる研究…と、私たちの思考は社会の発展とともに分断され細分化されてきました。社会全体も部分最適が全体最適を生むという見方にのっとり様々な施策が行われてきました。しかし昨今、実は部分最適が全体最適に結びつかないという状況もちらほらと見えてきたように思います。これからの未来を切り開くには、分断されていた様々な分野や領域を越境することが必要なのかもしれません。そもそも人間だから右脳と左脳が分かれているとしても、1人の脳としては1つですし。。。今回は、複数の領域や要素を行き来する「振り子の思考」で、新しい創造を追求するクリエイティブ・イノベーション・ファームtakramの佐々木康裕さんをゲストに問答を展開しました。
ゲスト:佐々木康裕氏(takram design engineering)
早稲田大学政治経済学部卒業、イリノイ工科大学Institute of Design修士課程(Master of Design Method)修了。総合商社にてベンチャー企業等との事業立ち上げ、シリコンバレーを含む国内外でのベンチャー投資等を手がける。2011年より経済産業省に出向し、Big dataやIoT(Internet of Things)に関するイノベーション政策の立案を担当。2014年からtakramに参画。デザイン思考のみならず、認知心理学や、システム思考を組み合わせた領域横断的なアプローチを展開。ユーザリサーチから、コンセプト立案、ユーザエクスペリエンス、ビジネスモデルのデザインを手掛ける。
みなさん、こんばんは。takramの佐々木と申します。
今日は普段僕が考えていることや思考の断片などをかいつまんでお話しさせていただきます。「越境する思考」というのは、たぶん「境界の無い世界の再生産」という考え方かな、と思っていまして、今日はそれを4つのアジェンダでお話しします。
まず最初に僕が所属しているtakramという会社の紹介をします。
僕は1年半くらい前から働いていますが、今、日本で一番おもしろい会社かなと思います。日々おもしろいことが起きるし、作品の質もすごく高くて、周りの同僚に刺激を受けて楽しみながら仕事をしています。
takram design engineeringの活動について
これがtakramの作品のコラージュです。
一番左上が、茶道で使う茶筅の職人さんと作ったアートの作品(http://www.takram.com/ja/projects/takefino/)。
その右が老舗の和菓子屋さんとコラボした未来のお菓子(http://www.takram.com/ja/projects/hitohi-one-day/)です。
テレビ番組もあれば、オフィス(http://www.takram.com/projects/ja/takram-omotesando/)も自分たちで設計します。
これはコニカミノルタさんが作った世界最薄の有機EL照明パネルなんですが、それをインスタレーション(http://www.takram.com/ja/projects/habataki/)の形で展示をしました。「薄さ」というのは伝えにくいものなのですが、これは下から空気を当てて羽根のように回すことで薄い、軽いということを表現しました。
これは去年、21_21design sightで発表した「100年後の水筒」(http://www.takram.com/ja/projects/hydrolemic-system/)というテーマのインスタレーションです。お題をもらって考えたのですが、100年後はそもそも水が無いから人体をそのまま水筒にしてしまえ、ということで人工臓器を5個付けています。
人体の水を出す箇所、つまり目、口、鼻、あと尿として出すし、それから一番発汗しやすい首、と5箇所に水を循環させるシステムを埋め込んで、水を排出しない体にしてしまおうというコンセプトになっています。プロダクトもかなり科学的なリサーチに基づいて精緻に作りました。
これは、シェアエコノミーを先取りした「プロフェッショナル・シェアラー」(http://www.takram.com/ja/projects/professional-sharing/)。ロンドンにいる牛込陽介(http://www.yosukeushigo.me/ja/cv/)というメンバーの作品です。「シェアエコノミーが発達して、シェアだけで生活をする人が現れた未来」を描いた映像作品です。自分の時間やバッテリーの残量を提供して、対価として食事をおごってもらったり。ある種、思考実験的なテーマのアート作品です。
※その他のtakramのプロジェクトはこちらから。(http://www.takram.com/ja/projects/)
インタンジブルとタンジブルの軸、つまりブランドやコンセプトのような触れないものと、プロダクト、スペース、空間、電気回路などの触れられるもの。それから、デザインとエンジニアリングの軸。この2軸で4つのマトリクスに分けて作品をプロットしましたが、中にいる立場としては、マトリクスを区切る線は存在せず、自由に行き来していろんなことを提供しています。
越境というテーマを絡めていうと、すべてのメンバーが共通して持っている価値観があって、それを「振り子の思想」と呼んでいます。ともすれば、ものごとをAかBかの二つに分けて考えがちなんですが、そういうアプローチはとらずにゆったり行き来しながらAとBどちらも、ということを意識しながら取り組んでいます。
我々はよくプロトタイピング(Prototyping)ということをやります。クライアント企業とプロジェクトをするときに、「こういうもの作りたい」というイメージをまず作って形にしてしまいます。それは、振り子でいえば、makeとthinkの行き来なんですね。作ることと考えることを分けずに行う。企業の商品開発だと、まず一生懸命考えて設計を練り上げてから作り始めるのですが、我々は初日から作り込んじゃう。作ってからまた考える。考えてからまた作る。そういうことを繰り返しています。
それからストーリーウィーヴィング(Storyweaving)。これは我々の造語で、ものづくりとものがたりの振り子です。プロブレムリフレーミング(probem Reframing)と呼んでいるのは、問題と解決方法を同時に考える振り子。こういうアプローチでやっています。
我々の組織に属する人物の完成形のイメージがあって、BTCトライアングルと呼んでいます。ビジネスもクリエイティブもテクノロジーも分かる。こういう人物が日本にたくさん生まれるともっと社会はよくなるよね、と。まだ2つや1つだけという人もいますが、この3つのトライアングルをどんどん完成させていこう。それが、我々の人材に対する考え方になっています。
異色の経歴のデザイナー
さて、ここから自己紹介をさせていただこうと思います。
僕みたいな経歴のデザイナーは日本にほとんどいないだろうと思っています。デザイナーになる前の職歴は、実は経産省で官僚をやってたんですね。IoTやビッグデータなど日本のイノベーション産業を担当する部署で政策立案をしていました。その前は、商社マンをやっていました。そこでは、IT系の新規ビジネスみたいなことをやっていて、キャリアの中ではシリコンバレーでベンチャー・キャピタリストみたいな仕事もしていました。
シリコンバレーで強く思ったのが、「新しいこと作るのは楽しいけど難しい」ということでした。だけど、その難しさを乗り越えたらもっと楽しくなる。だから、新しいことだけできる組織・環境にいたい。その思いがtakramに来るきっかけになりました。takramに来る前は、シカゴのデザインスクールで、デザイン思考やイノベーションの起こし方ということを1年間勉強しました。
僕はキャリアの中でいろいろ越境していて、アメリカにも日本にもいたし、商社マンも官僚もデザイナーもやってました。「いろんな軸でものを見れるように」と思い、いろんな道を歩んできました。
さっきのBTCトライアングルでいうと、僕がカバーしているのはビジネスとクリエイティブのところになります。僕は幸いにも商社などにいてビジネスの経験がありますが、デザイナーでビジネスが分かる人間ってなかなか少ないんですね。ちなみに、僕は財務諸表というものがすごく好きなんですが、そういう話をするとデザイン会社の人は友達になってくれなくなっちゃうんで、会社では今、そういう自分を隠しています(笑)。
これからデザインの話をしようと思います。僕の理解では、デザインというのはレイヤーがたくさん分かれています。
デザインといえば、まず見た目ですよね。アップルのパソコンかっこいいなあとか、触って気持ちいいなあとか、感覚に訴える部分。センサリー・デザインが第1レイヤーとしてある。
第2レイヤーとしてインフォメーション・デザイン、つまり、情報やコンテンツのデザインなどがその下にある。それらの情報やコンテンツをどういうふうにまとめるかという全体ストラクチャーのデザインが3つめのレイヤーにある。4つめのレイヤーは、サービスモデルのデザイン。さらにその下に戦略デザインがある。
一般の人が「このデザインいいね」と言ったときに、「デザイン」という言葉が意味してるのはせいぜい上から3つくらいですね。2つや1つの場合もあるでしょう。実は僕がやっているのは下の2つのレイヤーなんですね。サービスモデルをどうしようとか、事業のストラテジーをどうしようとか、そういうことをメインにやっています。ですから、あまり人の目につくような仕事はしていなくて、裏方としてプロダクトやサービスがよりサステナブルに回って行くことを考えながら、常に仕事をしています。
僕はこの5つのレイヤーを全部重ねて見ているんですね。例えば、一番上のセンサリーデザインをやる、プロダクトデザイナーやUIデザイナーは、分かりやすいですよね。でも僕はすべての層を全部透過して見るので、すごくごちゃごちゃに見えるんですね。ある要素はレイヤーを上下しているし、ある要素はレイヤーを1個飛ばして絡み合ってるし、みたいな。
浅田彰の「構造と力」にあるリゾームという概念で、これが大好きなんですが、ごちゃごちゃで、なんの構成も取れていないように見えるものを、どうにか読み解いてひとつのサービスとしてまとめていくことがすごくチャレンジングですね。
ある問題に対して要素ごとに分解して対応していくのはすごく簡単ですが、それはなるべくやらないように気を付けています。複雑な問題を複雑なまま捉えて、それに対して問題解決をしていくことがすごく大事なんじゃないかなと思っています。
「越境」とはどういうことか
ここからは「越境とはどういうことか」という僕なりの考え方を紹介させていただこうと思います。僕は「人生が変わった」、「ものの考え方が変わった」という出来事が人生で3つあって、それをちょっとご紹介したいと思います。
僕は大学で国際政治、中でも開発経済などを勉強していました。パプアニューギニアやオセアニアあたりの経済発達についての授業が一番好きだったのですが、そこで先生が教えてくれたエピソードがありました。
先生は当地の原住民を研究の対象にして、一緒に暮らしていたそうです。彼らは基本的に服は着ていない。そこに欧米からの観光ツアーが来て、近くまで寄って写真を撮ったりして帰る。でも、草むらの裏には立派な家があって普段、彼らはTシャツを着て、普通にコーラなんかを飲んで暮らしている。その地域は旅行会社からキックバックをもらっていた。ある種、劇団みたいな感じで、時間が来たら着替えて、しばらく先住民っぽくしようか、みたいな。
こういう未開の、ともすれば貧しくてかわいそうに見える人がいますが、彼らの側に立ってみると全く違った景色が見える。なんか世の中で語られることは嘘も多いな、と思ったんです。
それから、僕はインドが大好きで5回くらい行っていますが、あるときインド中を2か月くらいかけて旅したことがあったんですね。インドはヒンズー教徒が多いのですが、イスラム教徒も20%くらいいる。
あるところにイスラム教徒がたくさん住んでる町があって、隣町にはヒンズー教徒がたくさん住んでいた。イスラム教徒は絶対に豚を食べちゃダメ、ヒンズー教徒は牛を食べちゃダメで、僕は戒律が厳しく守られていると思っていたのですが、あるとき、イスラム教徒のインド人がすごく楽しそうに盛り上がっていて、訳を聞くと「隣の街まで豚食いに行くんだ」みたいなことを言ってて。信じていたことが嘘だったことが分かって、ショックを受けた。
あとは、僕がいたシリコンバレーですね。主要な企業がいっぱいあって日本からは「イノベーションが生まれる街」みたいに見えるかもしれませんが、僕が住んでみた印象では「企業の屍の山」みたいな感じです。要はどんどん会社が作られて、どんどん潰れていくわけです。僕が投資した会社も1ヶ月後に潰れて、それまで賑やかだったのがもぬけの殻になりました。そんなことがすごくいっぱいあるんです。
この3つのエピソードで何が言いたいかというと、「語られてることと本当に起きてることの差はすごく大きい」ということです。僕はこういった経験を通じて一般論として語られてることを疑う性格になりました。それを「懐疑的知性」と呼んでいるのですが、一般論や他人の決めた境界を常に疑うということです。
例えば今、パリであんな大変なことが起きていて、報道機関の人がいろんなことを言いますが、僕は基本的にそのまま受け取らない。懐疑的知性を常に持ちながらものごとに向き合うことを、ひとつの自分なりのポリシーにしています。
それから、左脳と右脳について。左脳と右脳は機能が違うと言われてきたんですが、最近の研究ではそれは怪しいんじゃないかと言われています。僕は、長く信じられてきた真実がひっくり返る瞬間が大好きなんですね。要は記憶はここ、言語はここ、身体に関係に関係するのはここにある、みたいな、ひとつの機能が脳のある一部に依存しているという考えを脳機能局在論といいますが、それが嘘らしいことが最近の研究で分かってきた。
あと僕が大好きな話が、体と頭の関係についてです。昔、デカルトという哲学者が体と頭は分離していて、頭が司令塔で体が司令に従うものという心身二元論を唱えたんですね。僕は人の脳の研究が大好きなんですが、最近ではそれも違うということがだんだん分かってきた。
ちょっと話が飛びますが、僕が昔お世話になった方ですごくSFが大好きな人がいまして。なぜ宇宙人が見つからないのかという理由を彼に教えてもらったことがあります。宇宙人は地球人より文明が発達している。そうなると、体って邪魔じゃないですか。だから、もう脳と体が分離して知性だけが浮遊している。それで、地球人の目には見えない、と。
僕はそれは絶対間違いだと思ってるんです。体が無い頭脳って楽しくないですよね。ものごとを学ぶときに体を使わずに学べることは、すごく少ない。分かりやすく言うと、3桁の足し算は紙に書きながら計算します。紙に文字を書いて計算するのは脳の外部化なんですね。途中の計算は紙を見つつ、それを脳にフィードバックするみたいな仕組みがあって初めて知性が完結する。頭脳と体と周りの環境、この3つが無いと、たぶん人は人として成立しない。だから、脳が浮遊してる宇宙人みたいな話は間違っていると思ってます。
それから、例えばA国とB国があって、B国で水質汚染があったとする。B国ではB国の中で原因を探して問題を解決しようとするんだけど、実は川が流れていて、問題の原因は他の場所、他の国から来ているかもしれない。がんばってB国が水質を改善しようとしても実はまったく効果が無いみたいなことがある。それは、B国の境界で考えるのではなく、川というものを捉え直すとA国とB国の境界が無くなって、新しい問題解決のアプローチが出てくるかもしれません。