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年に一度のケイザイ祭
今回のテーマは『WORK IS OVER !?』
AIの出現で、人間にしかできないことが減ってきている現在、
人が働かなくてよくなる未来が来るのか?
人は何のために今まで働いてきたのか?
いま私たちの働き方にどのような変化が必要なのか?
過去、現在、未来の視点から4名のゲストと共に
「働くということ」を考えました。
Part2 「働いていたのか? 過去」〜労働観の変遷〜
ゲスト:文化人類学者 竹村真一(当財団評議員) モデレーター:Next Wisdom Foundation研究員
人類の誕生以来、「働く」の中身は大きく変化してきました。そしてAIの登場によってさらに変化しようとしています。その時、人間は「無用」になってしまうのか? そうならないために、今考えるべきことは何か? Part2ではその視座を得るため、竹村真一さんから、働くことが文化人類学的にどのように変遷してきたかをお話しいただきました。
【ゲスト】
弊財団評議員、京都造形芸術大学教授、Earth Literacy Program代表、文化人類学者
竹村真一さん
東京大学大学院文化人類学博士課程修了。地球時代の新たな「人間学」を提起しつつ、ITを駆使した地球環境問題への独自な取組みを進める。世界初のデジタル地球儀「触れる地球」や「100万人のキャンドルナイト」、「Water」展(07年)などを企画・制作。2014年2月、丸の内に「触れる地球ミュージアム」を開設。環境セミナー「地球大学」も丸の内で主宰。東日本大震災後、政府の「復興構想会議」検討部会専門委員に就任。
5万年前の革命、言語の出現
人類は誕生以来ものすごく変わってきています。これまでの変化にはいくつかの飛躍があって、その中でも今は非常に大きな転換期です。人間自身が大きくアップグレードされる可能性と同時にダウングレードされる可能性もある。ダウングレードというのは、人間が無用の存在になる、ということ。そういう岐路に立たされているんです。人間社会や地球の中での人間の位置づけが問われている。30年後、みなさんのお子さんの世代がみなさんくらいの年齢になる頃には現実になっていると思います。
私たちが今の人間になる前にいくつかのジャンプがありました。約5万年前の認知革命。つまり、言語が発明されました。それから5000年前に農業革命、都市革命。1万年前から5000年前くらいに、精神革命、科学革命。これが仕事のあり方を変えていったんですね。
5万年ほど前に誕生した人間の言語は「心の飛び道具」です。つまり、他者の経験を自分のものにできる道具。一人の人生で経験できるものなんか限られていますが、言語によって、他者の経験、先祖の経験を自分のものにできる。自分は津波を経験したことなくても、祖父母の代の津波の経験が言い伝えられて避難することができた、というようなことですね。
今の私たちは当たり前にやっていますからピンと来ないかもしれませんが、たとえば「ヒョウが来たぞ、逃げろ」というコミュニケーションだったら、サルにもできるわけです。人間の何が違うかというと、過去の記憶や将来の予測を伝えられるということですね。「昨日ヒョウが来た」とか「昨日マンモスがあの崖の間の道を通っていったから今日もそこを通るだろう、だから俺は崖の上にから石を落とす、お前はこっちの方に寄せろ」というようなスキームで協調行動ができるのは、人間だけなんです。
それによって、人間は大人数とコミュニティを形成することができるようになりました。オランウータンは、顔見知りの80頭くらいが、コミュニティを形成できる規模の限界と言われています。人間の場合は、言語が使えるようになって150人くらいになったものが、今では様々な通信手段を使うことで、万単位のコミュニティを形成することができるようになりました。と同時に、社会的な調整作業が人間の仕事の主要な部分を占めるようになったんです。
また、お互いに助け合う行動は他の動物にもありますが、将来の自分にお返しをしてくれることを信じて何かをあげる、という「信用」「交換」の行動は、人間にしか観察されていません。今の信用経済に繋がるような構造が、5万年くらい前から萌芽したということです。
ただ、コミュニケーションの進化によって人間同士が計画的に行動できるようになったことで、マンモスのような大型動物が1万年前くらいまでに世界中でいなくなってしまいました。それくらい人間の影響力が大きくなってしまったんです。
文字の革命〜宗教の革命〜労働力革命
次に5000年前に大規模な農耕が始まり、農業と都市革命が起こりました。中国では殷から周に変わったところで大変革が起きます。周では漢字が普及しているんです。漢字が官僚の間で契約文書の文言として普及していくので、言葉が違っても民族が違ってもひとつの中華思想のもとに大社会を形成することが可能になったんです。それにより、150人どころか10万とか100万という単位の大きな社会が形成され、そこで歯車的な労働が生まれ、階級文化の形成につながりました。つまり、文字、法、貨幣の登場によって、官僚的な社会管理業務が明確に誕生したんです。
言語によって社会的な調整作業が生まれてから5万年の歴史がありますが、文字により成立した官僚的なシステムは5000年前くらいから急に出て来て、それが国家によって強調されるようになってきます。
階級が分化してくると当然、礼節とか忠義とか、そうした大きな社会で生きるためのOSみたいなものをまとめた書物が読まれるようになります。仏陀、孔子、プラトンなどですね。彼らが同時期に出てきた紀元前500年頃が、人類にとっての「宗教革命」の時代です。これはある意味での平等革命でもあります。つまり、階級、出身、民族の差異を超越する「平等」の萌芽がこの頃から生じました。
そして1517年プロテスタントの登場によって労働力革命が起こりました。自分の欲を満たすために時間やお金を使うのではなく、倹約して働くことが来世で救いを得ることに通じる、という勤勉の精神が尊重されるようになり、それが資本主義的な労働や財の蓄積に繋がっていきました。
産業革命というフラット革命
そして17世紀後半、産業革命です。モノを規格大量生産するようになると、そのために規格的な労働をする人間が大量に必要になってきました。
フランスのマクロン大統領が非常に面白いことを言っています。フランスというのは国じゃない、プロジェクトだ、と。平等、自由を謳って制約を外していく、普遍的なプロジェクトだというんです。制約とはつまり「靴屋に生まれたら一生靴屋、階級を飛び越えるなんてありえない」というもの。これがヨーロッパの階級社会の前提でした。そして、こうした旧世界の人間のあり方をリセットして何にもなれる可能性を示したのがアメリカという国なんです。
その一番のポイントは「人間の発見」。それまでは、人間といえるのは特定の人々だけだったんです。人間として当たり前の、主体性、法的な権利、あるいは人権、もしくはそれに類似するものを持っていた人が、それまでどれほどいたでしょうか? 男性と女性で違う、民族によって違う、そしてギリシャ・ローマは奴隷と市民は全然違った。その文脈はここまでも続いているわけですね。すべての人に同等の人権を認める「フラット革命」がこの時期に始まった。それは社会主義とも同調します。
そしてこれが「人間至上主義」、つまり神に代わって世界をコントロールしていく科学革命的な価値観と繋がって大きな力を発揮し、それがやがて第2次産業革命へと向かって行きます。
第2次産業革命というエネルギー革命
19世紀後半の第二次産業革命で、石油や電気を本格的に使い始めます。この前後の200年で人口が10倍になり、GDPもひとりあたりで数十倍になり、つまり人間の生産性が100倍200倍にもなったんです。
20世紀になり、人間は、飢餓や戦争、感染症などを抑制するのに劇的な成功を収めました。もちろん今でもその危機がないわけではありませんが、例えば14世紀にペストが猛威を振るってヨーロッパの人口を半減させたり、15〜17世紀にヨーロッパのコンキスタドールがアメリカ大陸に持ち込んだ伝染病によって先住民がバタバタと亡くなり、結果的にインカ帝国やアステカ帝国を滅ぼしてしまった、そうしたことは現代では考えにくい事態です。そういうことがなくなり、物質的に豊かになって、人口が激増したわけです。
現代、SDGsへ
2016年、国連が掲げたSDGs(Sustainable Development Goals /持続可能な開発目標)の導入が世界的に始まりました。「地球を保護し、貧困をなくしてすべての人が平和と豊かさを享受する」ことを目指すもので、こんな理想的なことを謳えるようになったのは、先ほどお話ししたように人類にとっての危機を抑え込むことに成功したからです。
SDGsが掲げる17個の目標
ただ、本当にそう上手く行くのか、という懸念もあります。これは地球サミット以来、世界中の科学者が証明しています。地球サミット(1992年、ブラジルで開催された国連環境開発会議)以来、みんなで環境を守ろう、生物多様性を守ろうと宣言して以来25年、どんどん悪化しているよ、と。
40年前と比較して脊椎動物の個体数は60%くらい減少していて、利用可能な資源は半分くらいになっています。また、地球上の動物の9割以上が人間の家畜で占められていて、野生動物なんてほんの数%とも言われます。また、温暖化が進み、地球上の氷がどんどん溶けています。アジアの大河は、河口はそれぞれ離れていますが、源流は全部ヒマラヤ辺りに集中していて、この氷河がこのまま小さくなっていくと40億人を支える水資源が枯渇してしまうでしょう。
SDGsでは目標を分野別に17個設定していて、「自分はこのうち1つに取り組んでいる」と簡単に言えるのですが、上から6個ずつ並べるのではなくて、5個ずつに並べ直したほうが分かりやすくなります。というのも、貧困、飢餓、教育、ジェンダーなど1番から5番の問題解決に必要な根本に、6番以降の水やエネルギーの問題があって、さらにそれらを下支えするのが、海とか森の自然資本ですよね。そうすると私たちがいちばん考えなければいけないところがよく見えてくるんです。
端を楽にする
先ほどお話ししたように、第二次産業を経て、人は地球の資源をどんどん消費し、環境にも大きな負荷をかけていますが、本来、地球は復元力を持っています。人間がその復元力を阻害しないでうまくやっていく方法もあるんです。例えば自然エネルギー。世界中にある原子力発電所の総数は、動いていないものを含めて400基くらいありますが、自然エネルギーを使った発電はその5倍くらいの発電能力をすでに持っています。世界で唯一原発を増やしている中国でも、実際の発電量は原発を風力が追い抜いている、そういう動きがあります。人類に必要な電力の1万倍ある太陽エネルギーを利用できるようになっていたりもします。
水についても、ペルシャ湾から上がる霧を集めて周辺の砂漠地帯で農業用水に活用するという研究も始まっています。(財団代表の)井上さんも、汚水の浄化システムに投資されていますね。途上国や災害時を想定して水を必要としないトイレが開発されていますが、将来的な人口減少によって上下水道インフラを維持できなくなる日本でも、必要とされますよね。
今そちらに舵を切れば、そっちの方に投入していけば、大きな自然資本革命が十分可能になるでしょう。現在のようなエネルギー消費のあり方を改善できる余地は大いにあるんです。
「はたらく」という言葉は「端を楽にする」ということから来ているらしいんですが、他者、自然界の他の生物、環境まで含めた他者ですが、次世代へ貢献するために、私たちがやれる新しい仕事はたくさんありそうです。
AIで人間は無用になるか?
そして、最後にAIの話を。「AIに仕事を奪われる」と言われていますが、それは本来AIや機械の方が得意なことを、人間がしょうがなくやってきたからではないでしょうか。つまりAIの登場はそこから開放されて、ようやく人間本来のあり方に解放されていくのかもしれません。ベーシックインカムが実現されればそうした可能性はあるのではないでしょうか。あるいは、判断と意思決定をAIに任せて人間が仕事に取り組む、そういう可能性もあるでしょう。
このように人間らしいあり方が実現する、つまり人間がアップグレードされる可能性と 同時に、人間がダウングレードされるリスクもあります。同じような規格の人間を大量に育成してやっていたことが、人間がいなくてもできるようになり、人間が「無用化」される状況です。人間を家畜にしない、人間をバカにしないAI社会を注意深くデザインしていかないと、人間のダウングレード化のリスクもまた避けられないでしょう。
「人間の家畜化」という表現は、『サピエンス全史』の著者であるハラリがいみじくも使っています。動物を家畜化したつもりで、動物に奉仕する生活を強いられる状況に人間がどんどん追い込まれていく、という状況のことです。
神学的には「神と人間の非対称」という問題がずっとあって、科学や数学という鎧をまとうことで人やようやく神から自立できました。しかし科学数学、あるいは機械がいまや神のような存在になり、「自分の体感より、血圧計が出した数値を信じろ」というような状況になってしまった。そして人間の生活がデータで管理されるようになってきています。この「データ至上主義」「機械至上主義」のような状況は、神学的な文脈で説明しうるのです。
映画『もののけ姫』で、イノシシの神様である乙事主が「我々の仲間はみんな小さくバカになってしまった」と嘆く場面がありますが、あれを見ていて僕は、私たち自身が意識をして人間のアップグレードを追求していかない限り、30年、40年後、乙事主(おっことぬし)が感じたような事態に陥る可能性もあるのではないかと考えました。
ここまでお話ししたような視野を持って、我々が置かれている状況を問い、人間のあり方、働き方について考えないといけない岐路に立たされているんじゃないかと僕は思うのです。