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変えないことが価値をつくる、生活景がいきづくまちづくり 〜真鶴町「美の条例」

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大都市では古い街並を解体し、タワーマンションや商業施設、公共施設などから構成された高層ビルを建てる再開発が進んでいる。誰も反対できない「安全性」や「土地の有効活用」「経済合理性」が最優先され、長い年月を重ねて築き上げられた街の個性や、数値化できない人々の活気や情緒が失われていく。

その一方で、安易な再開発と正面切って闘いながら、古い街並や風景、住人の暮らしや生活様式を守ろうとする街もある。そのような街の先駆的な事例が神奈川県にある。相模湾に面した人口約7000人の小さな港町、真鶴町だ。

真鶴町では1980年代後半のリゾートマンション開発から街を守るために、「美の条例」という全国でも類のない法令がつくられた。それまでの行政文書では考えられなかった、詩的なキーワードと象徴的なビジュアルを使いながら、守るべき街の景観や生活様式、「真鶴らしさ」が謳われている。

その真鶴町で美の条例を町に根付かせる運用担当者を10年間務め、現在は役場での仕事をしながら、真鶴の若者たちによる様々なまちづくり活動をサポートしている卜部直也さんをインタビューし、美の条例の中に潜む叡智を探った。

(真鶴町Google map

<神奈川県 真鶴町>
神奈川県の南西部に位置する小さな港町。人口7,713人、世帯数3,473戸(2016/02/01現在)。上空からみると鶴が翼を広げたような形状をしている。真鶴町の南部には箱根外輪山の岐脈が遠く突出し、真鶴半島を形成し美しい風景をつくり出している。半島部分と東部の新島高地との中間に広がっている南東斜面が真鶴町の中心となっており、この地域は、更に小起伏により、真鶴地区と岩地区に分かれている。

 

<プロフィール>

卜部直也(うらべなおや)さん

真鶴町 企画調整課 渉外係長
1972年生まれ。学生時代に美の条例に出会い真鶴町の生き方に惹かれ、2000年に真鶴町に移住、町役場に入庁。都市計画課・まちづくり課にて美の条例の運用を10年間担当。現在は、企画調整課にて、地方創生や移住推進、企業のCSR活動と連携した公民連携プロジェクト、芸術文化事業の支援等を推進。千葉大学非常勤講師(2011)。

真鶴町「美の基準」について

「真鶴町まちづくり条例」は通称「美の条例」と呼ばれており、その中に8つの「美の原則」、そしてそれらを具現化する69の「美の基準デザインコード(以下、「美の基準」)」が定められている。

「美の基準」は平成6年に施行された「真鶴町まちづくり条例」で定められた69のデザインコード。イギリスのチャールズ皇太子による著書『英国の未来像-建築に関する考察』の中で提唱された美の10原則と、建築家・都市計画家のクリストファー・アレグザンダーが著した『パタンランゲージ-環境設計の手法』を参考に作成されたものだ。

建物の「様式」ではなく、いきづく人々の「生活」こそが美しい

今回お話を伺った、真鶴町 卜部直也さん

私自身が真鶴町に入町したのが2000年。もともと真鶴町を知ったのは1992年頃、学生時代でした。当時地方自治の勉強をしている中で真鶴町の取り組みを知ったのですが、ちょうど私が大学生時代に、真鶴町について書かれた朝日新聞の社説『小さな町の大きな実験』という刺激的な記事を読んだんです。当時はまだ「地方分権」という言葉でさえ専門業界しか知らないような時代だったので、この小さな真鶴町が国と闘いながら独自のルールを作ろうとしているという事実に感動して。

その当時は都市計画というのは国がやるものだったんです。その中で市町村ができることは、レストランでいうとメニューを選ぶということだけ。例えば、国が「A、B、C」というメニューを作って、その中で市町村は「C」を選ぶか「A」を選ぶかという権限しかなかった。ただ真鶴町ではそのメニューに入らない「E」という独自のルールを作ろうとしていたんです。その姿・生き方を目の当たりにして、真鶴町を好きになりました。そのときにもう一つ魅力的だと思ったのがこの「美の基準」というデザインコードの世界でした。

実際に真鶴に来て、「コミュニティ真鶴」というコミュニティセンターが美の基準に則った建築事例の第1号なんですが、地元の木材や地場産の小松石をふんだんに使ったオーガニックな建築を見て、美の基準でこういう町ができるんだと思って、ますますのめり込んでいきました。幸い役場に入って1年目からこの美の基準の担当をさせてもらって10年間運用してきました。

美の基準は何かということなんですが「デザインコード」と書いてある通り、いわゆる景観の基準なんですね。ただここで言う「美」とか「景観」という考え方がこれまでの日本の考え方と根本的に違うわけなんです。多分皆さんが美や景観で思い浮かべるのは京都だとか飛騨高山のような「様式美」の世界だと思うんです。ところがこの美の基準では様式に関する基準は一切書かれていない。一言で言うと「生活風景は美しい」ということを美の基準では謳っているんです。

 

今でこそいろんな雑誌や本で「生活風景は美しい」と語られるようになりましたが、もう20年以上前から真鶴町ではこの美の基準が打ち出していたということです。美というのは建物の様式美ではなくて、人々の生活が息づくことが美しいんだと言った。作りとしましては、美の8原則というものを立てまして。これがイギリスのチャールズ皇太子が打ち出した10原則を援用して真鶴町に適用できる8原則を採用しました。

「場所」の特性を尊重し、建物に「格づけ」を行う。「尺度」というのはカタカナで言うとヒューマンスケールですね。そして自然や周囲の環境との「調和」。「材料」に気を配りながら、心を豊かにする「装飾や芸術」を施そうということ。あと一つ面白いのはこの7番目の原則で「コミュニティ」。これが入っているところが、今までの景観の考え方と根本的に違うんです、コミュニティの風景が美しいと。建築自体がコミュニティを育むような仕掛けを考えてくださいっていう原則がある。8番目が一番抽象的、精神的な原則ですけども、「眺め」。ひとつひとつの建築行為が美しい風景を作っていく、ということを定めた原則ですね。この8原則で真鶴町の美しさというものを育てていこう、そういう作法なんですね。

 

ではこの8原則をどうやって実現するのかという具体的な基準としてまとめたのが、69のキーワードからなる『美の基準』という本(デザインコード)になります。例えば、場所の特性を尊重しようということに対してどういうことができるのか。「聖なるところ」があればそれを大切に守りましょう。「豊かな植生」があれば残しましょう。そのようなキーワードで表現しています。「眺める場所」というキーワードも真鶴らしいのですが、真鶴町は斜面が多く坂道が多い町。坂の町なのでそれぞれ敷地は眺めがいい、でもそれを独占しないでおこうという話ですね。それのためには建物の配置とか形状を考えましょうね、というような形で、「場所の特性」を尊重していきます。

 

このような感じで、8原則のそれぞれを具体的に実現する基準として69のキーワードを並べています。言葉も文学調の表現になっていて、そして絵や写真がある。行政文書というよりもむしろ絵本とか文学の世界に近くて、それを見て学生時代に感動したわけです。

そして、この美の基準には数字がないんです。数値基準のまちづくりをしていないということなんですね。これも美の条例の制定に尽力された先生方が根本的に問題提起したことですけども、なぜ日本の街が美しくないのかということに対して、数値基準だけでやってきた世界に限界があるのではないかということです。私自身は別に数値基準は否定していませんし、一定の空間を作り上げる役割はあると思うのですが、でもそれだけだと十分ではない。日本の景観が数字でどうやって作られてきたかというと、例えば「高さ制限10メートル」とか、「屋根は3寸勾配」、「壁面後退1メートル」という数値基準の世界があるわけなんですね。

*参考:「斜線制限」神戸市の都市計画
都市計画で定められた数値によって建物のかたちが決まる。

しかし美の基準では数字を一切やめて言葉の基準にしたんです。定性的基準と私は呼んでいるのですが、具体的な例を出しますと、例えば「静かな背戸」という基準があります。真鶴では路地のことを「背戸道」と呼ぶのですが、これは車が通る表道路に対して、勝手口を繋いだ生活道路です。こういった路地にもし建築する場合、その空間が「息づく」ようにしてくださいと抽象的に書いてあるんですね。じゃあ息づくようにどうすればいいのか、それは絵や写真を見て、現場の状況を見ながら解決していきましょう、というのがこの定性的な基準のやり方です。

合意形成のプロセス〜美の条例を根付かせる

しかし、私が入った当時は条例がうまく機能していなくて、制度にまだ魂が入っている状態ではなかったわけです。美の基準という抽象的な基準というものは従来の行政作法では非常に扱いづらいもので。現場では公平性とか客観性が求められるのですが、そこがなかなか機能しなかった。私が担当してからも5、6年は十分には機能しなかったですね。自分としてもそのジレンマ抱えて…。

「美の条例」ができるまでの経緯。1980年後半から増加した、景観や自然を破壊する乱開発との闘いの中で生まれた。(参照:『いきづく町をつくる 美の条例 真鶴町・1万人の選択』(学芸出版社))

ただ試行錯誤で実践する中で小さな成功がやっぱりあるんです、偶然成功するようなことが。そういうケースを積み重ねていって、振り返って検証すると共通要素みたいなものが出てくる。運用の中で帰納的に出てきたものが対話型協議、双方型協議というものなんです。そして、当事者で解決策を確定するという当事者確定基準、そのために現地調査を必ず念入りに行うこと。これらがセットになって運用のパッケージが成立していったんですね。

今までの行政作法ですと、新規で建築物を立てる際には確認申請というプロセスを踏むのですが、まず客観的な数値基準があって、その基準を元に行政から開発事業者に対して一方的に「こうやれ」と指示を出して解決するんですね。でも、美の基準の場合はそのような進め方ができない。抽象的な内容しか書かれていないので、この基準に相応しいかどうか誰が客観的に決めるのか? という問題がありました。そこで、私たちはまず協議する環境を整えて、こちらから結論を出さないで向こうから提案を出してもらって、当事者が納得した解決策で確定しようというスタイルをつくりました。双方で美の基準をベースに協議をして、当事者の同意を根拠にしながらひとつ一つの仕様を確定していく。

そのために必要なのは現場の調査による客観性の確保です。だから調査も徹底していて、私たちは「遠景・中景・近景」で必ず調査をするんです。遠景から見通しの方角を確認して、中景で建物周囲に資源があるかないか、例えば海があるのか、背戸道があるのか、聖なるところがあるのか、ということを確認して。そして近景では、敷地そのものが斜面地なのか、木が残っているのかとかいうことを調査していく。そういう客観的なレボートを作った上で、この69の美の基準を見ながら毎回レビューします。だから僕が持ってる美の基準はもうボロボロなんですよ。

69の項目を全てレビューして、その物件に適用されるものを探していく。そして私たちからまずリクエストを作るんです。そのリクエストも、担当が作った後に決裁していく過程の中で修正されていきます。どのように修正されたかも見え消しで全て記録されます。このような手続きを経ることで客観性を確保していく。このように行政組織として意思を決定した上で協議に臨みます。

多くの場合、景観法に基づく協議はそこで大部分終わってしまうのですが、真鶴町の場合はそこからがスタートなんです。行政が作ったリクエストに基づいて、そこから開発事業者の好みや予算、現場の状況、こちらの考え方を突き合わせていく。そのプロセスの中で、もう一つ大切なキーワードが「最適解を探す」ということです。このような一連のプロセスを実際にいくつも積み重ねていくことで10年くらいかけて美の基準の運用を確立していきました。

(美の基準を具現化するために建てられたコミュニティセンター「コミュニティ真鶴」。建築家、法律家、都市計画家などで構成された美の条例プロジェクトチームを中心に、町民へのアンケートやヒアリングなどを経て、2年がかりで建設、1994年に竣工した。地域の素材がふんだんに使われ、真鶴の環境に溶けこみ、真鶴らしさを表した建物になっている。)

妥協ではなく最適解を探す〜事例「ピンクの家」

平成17年に景観法が施行されました。景観法を活用するには「景観行政団体」になる必要があるのですが、真鶴町は全国第1号で同団体になりました。この法律ができて、真鶴町の「美の基準」という定性的な基準が国から初めて認められたんですね。国の担当者も真鶴町の実践を活かしたいと言ってくれて、景観法の運用自体も一緒に考えていったんです。

美の基準が施行されてからしばらくの間は、周囲に影響を与える一定規模以上の開発にだけに適用していたんですね。だから個人住宅はずっと対象外だったんですが、景観法が制定されたときにシステムを変えて個人住宅へ適用できるように切り替えた。その第1号が「ピンクの家」だったんですよ。

役場に「壁の色をピンクにしたい」という事前相談が来て、早速、設計士と施主にお越し頂いて。そして窓口に来ていただいてまず何をするかというと、相手の想いを聞くんですね。なんでピンクなのか。そこから始めるんです。聞いてみると、イタリアが大好きで黄色、青、赤の町並みが好き。真鶴はイタリアっぽいですからねと。イタリアの漁村みたいだと、それが理由で移住して来る方がいるんです。そこで間髪入れずに、僕もパスタが好きでね、という会話をして、まず協議する環境を作るというのが大事なんです。

まずこちらの考えやルールを押しつけないで、相手の想いを聞くところから協議をする。協議できる環境を整えてから、初めて美の基準を説明する。相手が開発業者でも個人住宅でもそうなんですが、彼らから見ると、美の基準は事業や個人財産を制約する道具だと思われるんです。でもそうじゃなくて、これは皆さんの物件に付加価値を付けるものだと。要するに「真鶴らしさ」という付加価値をつけるものなんですよ、ということをお伝えするんですね。

ピンクという色についても美の基準は全色肯定する、否定しないんです。そして、ピンクや赤で何ができるかを探しましょうと考える。すると、壁の材料をサイディングボードじゃなくて漆喰調にできませんかと、それならできるよと。向こうの好みである赤を前提に、周囲と調和する、浮き出ない壁というものが出来上がったんですね。

いったん話がかみ合うと協議が広がります。例えば、片流れの屋根の場合、斜面に対して逆勾配に作ることが多いんですよ。自分の景色を確保したいのと、あと雨が垂れないようにするために。その屋根についても「斜面に沿う」という基準に合わせて施主様から変えてくれたり。前面が背戸道に面していたので生け垣を作っていただいて。逆に、地場産の小松石の端材を手配してあげたり。これがきっかけで仲良しになって、施主の方が作るパスタを食べに行ったりワインをいただいたり。

問題案件ほどいったんうまくいくと友達になれることもあります。もちろん平行線をたどる場合もあるんですが、それでもやっぱり妥協ではなくて最適解というのがキーワード。あくまでもお互いの好みや予算などが条件としてあって、その中で最も良い解決策を探していくという姿勢をつらぬく。言葉のキャッチボールではなくて「協議」、一定の緊張感を持ってあくまでも実現していくという姿勢だけは大事にするように後輩に引き継いでいます。

 

建物の規制するのではなく、付加価値をつくる〜マンションの事例

平成19年には、美の基準が施行されて初のマンションが1棟建ちました。開発事業者さんとの交渉も入り口が肝心で、先方も最初は構えて来るんですが、「美の基準は御社の物件に対して価値を作るものなんです」という趣旨を伝える。そして模型も持って来てもらって、一緒にどうやればよいか徹底的に協議して。初めは先方も「こんなに協議を求められたことはない」と言っていたのが、途中から設計士さんも楽しくなってきて。抽象的な基準は、実は設計士の職能をくすぐる基準なんです。

基準が抽象的であるからこそ、こちらから答えを求めないんです。真面目な事業者ほど、「どうすればいいんですか?」と聞いてくるのですが、あくまで一緒に考える。すると向こうから逆提案が来るんです。マンション協議で面白かった提案が正面玄関のガラス。「眺める場所」という基準にならって、エントランスホールを挟んで海側と道路側をガラス張りにした。そうすると通行している人も向こう側の景色、相模湾まで見通せるんですよ。こちらにはそんな発想がなかったので非常に感動しました。

従来の規制というのは一方的に結論ありきで押しつけるだけでした。美の基準は「規制法」ではなく、「創造法」です。私たちは敢えて結論を準備しません。私を含めて担当者二人とも文系ですし建築技術的な話はできない。文系が理系と協議するには、向こうに具体的な解決策をお願いすればいいんです。こちらは求める方向性だけ示すこと。そして、美の基準は物件を規制するものではなくて、物件の価値を上げることに繋がるということ。美の条例初のマンションは発売後すぐに完売しました。販売パンフレットにはこちらからお願いもしてないのに「日本一厳しい景観基準をクリアした物件です」と宣伝してくれました。

(美の基準が初めて適用されたマンション「レアージュ真鶴」のパンフレットを前に)

それが僕たちが目指していたパラダイムシフトで、それを今もずっとやっている。景観づくりが事業を制約したり個人財産を制限するものではなく、美の基準を守ることによって物件の価値が高まる、町に人が来る、地域が経済的に豊かになるということを証明したい。もし美の条例に従わない事業者がいたら、景観法という法律では変更命令が出せ指導できます。しかし、真鶴町はあくまでも協議を求めていく。美の基準が求めているのは、最終的な成果物(景観に調和した物件)だけじゃなく「人づくり」です。

美の基準とは、対話と協議で「真鶴らしい景観とは何か?」を考えてもらうプロセスです。建物の協議で調わない場合、外構の植樹で勝負することもあります。極力、変更命令ではなく、協議を求めていく、「最適解」を探していくことを基盤にしています。

官から民へ 美の条例から生まれた新しい流れ

まちづくり条例と美の基準ができてから、全国から真鶴町に視察の方々がお見えになります。そこで皆さんにお伝えするのは、制度だけ導入しても何も生まれない、ということ。制度に魂を入れる運営、運用のシステムをちゃんと導入しないといけないっていうことです。条例や制度だけ作っても、効果的に運用できなければ意味がないので。そして、持続可能性ということを考えると、最終的には埼玉県・川越市の一番街商店街のように行政から自立して住民のルールとなり、気持ちいい暮らしを実感できるツールになることが大切だと思っています。

今新たに展開している事業のひとつが、2014年から始まった「スタートアップウィークエンド」という起業イベントへの参加です。私も裏方として関わっていますが、美の基準とどのように関係しているかというと「仕事の風景は美しい」ということなんです。町で働く人たちがいつまでもその仕事を続けられるように。その風景が残って初めて美の基準だと思っているので、そういった活動や事業を立ち上げたりもしています。真鶴チームとして3回目の出場になった去年は「ディストラクチャー部門」でなんと世界第二位になりました。そこで出たアイデアが実際にWEB事業として立ち上がりつつあります。

また、スタートアップウィークエンドから派生してクリエーターズキャンプ」という、プロの作曲家や起業家が集まって創作をするイベントも開催しました。岩大橋がある岩海岸を拠点にして、参加者には民宿に泊まっていただいて。本当に普通のひなびた海岸なんですね。でもクリエーターのみなさんは「逆にそれがいい」と。東京にいるクリエーターにとってはそれが非日常で創作意欲をかき立てられるし、煮詰まったときに建物から出るとそういう風景があるのは素晴らしいと言ってくれて。

そのクリエーターズキャンプが教えてくれたのは、土着性を高め「真鶴らしさ」を追求したほうがいいということ。スタートアップウィークエンドも1回目、2回目は東京大会が行われている六本木ヒルズのような風景を、地域情報センターという真鶴の中でもモダンな建物の中に無理して作った。しかし3回目に場所を変えて里海BASEという港のほとりにある干物加工店だった建物をリノベーションしたガレージ感溢れる場所で開催したところ評判がよくて。参加者に提供する朝食も、ご飯と味噌汁と干物という地元ならではのものを準備しました。漁師町風にカスタマイズした真鶴版スタートアップウィークエンドがフェイスブックを通じて世界に発信されて「真鶴は面白そう!」と。そして結果的に、日本では真鶴のチームだけが世界大会に行くことができたんです。

町を持続させていくために、ハードではなくソフトで変えていく。観光名所だけではなく、ものを作りに真鶴に来るという流れ。そういう新しい流れを試行錯誤しながらつくりはじめています。他にも、空き家を美の基準に沿って自分たちの手でリノベーションした「お試し暮らしの家」という空き家再生プロジェクトも稼働しています。

スタートアップウィークエンドが始まった時から、ようやく町の若い人たちが表舞台に出てきたんですよ。いろんな事業が立ち上がってきました。そのひとつが20代30代の地元の若者が中心となり開催している「なぶら市」という朝市。漁師言葉で海面に魚の大群が跳ねている様子を「なぶらたってる」と言うんです。それが今、大盛況で町民が喜んでいます。

そして「真鶴まちなーれ」という芸術祭。これは2年前、美の基準20周年を記念してスタートし、現代アートを町中に点在させて周遊してもらい、美の基準が謳う真鶴のひなびた生活風景と一緒にアートを楽しんでもらうイベントです。会期中には様々なワークショップが開催されました。例えば、美の基準には「店先学校」という基準があるのですが、石屋さんや干物屋さんと一緒に彼らの仕事を体験できるワークショップが開かれました。景観やアートだけでなく人だまりを作るということが価値になるということです。芸術祭を通じて美の基準を実体化させていく試みです。

それらに共通するのは、東京や他の都市から人を呼ぶためにこういうことをやっているのではなくて、真鶴に住んでいる自分たちがまず幸せになりたい、楽しみたくて、いろんなイベントや事業が起こっているということ。僕自身も、真鶴で幸せになる、それがライフワークになっています。

今いろんな地域活性化が地方で行われていますが、都市部から観光客を呼ぶことがゴールなのではなく、「シビックプライド」、町の人が真鶴にプライドを持ってくれること、それが重要だと思って仕事に取り組んでいます。地元の人自身が息づくこと。観光客や移住者が増えるのはその前の手段であって、まずここに住んでる人が幸せになるということ。

この鄙びた風景が残ってることに価値がある。今、そのような新しい人の流れが生まれつつあります。そのようなソフトやコンテンツをどんどん開拓していけば美の基準で町が元気になる、住民の暮らしが息づくことにつながるのかなと思っています。

 

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