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地場産業に潜む叡智、燕三条の伝統と革新

地勢と気候、資源と人間。それらの初期条件が複雑に作用しあうことで、技術が生まれ、産業になり、時代の変化とともにかたちを変えていく。歴史の積み重ねの中で技術とその製品を伝承し、淘汰にさらされながらも、強く、深く、洗練させていくことで生き残ってきた産業が伝統産業であり、地域の風土に密着したものが伝統的地場産業だ。

日本各地で様々な地場産業が生まれ発達してきたが、生産と消費のグローバル化、構造変化、ニーズの変化に対応できず、縮小し、消えていく地場産業も多い。そのような環境の下、金属加工品の産地として知られる燕三条は日本だけでなく世界中で地場産業としてのブランドを確立し、新たな製品や価値を生み出しつづけている。その強さの秘密はなにか?

燕三条の成功事例として大きな注目を集めている金属研磨業者のネットワーク「磨き屋シンジケート」。その組織を立ち上げた燕商工会議所の高野雅哉氏への取材をおこなった。また、2014年10月2日から5日にかけて開催された燕三条の工場をめぐるイベント「工場の祭典」の中で4つの会社を訪問し、燕三条のものづくりに潜む「叡智」を探った。

2009年のリーマンショック時、出荷額の落ち込みとともに淘汰される事業所も多かったが、2010年からは出荷額、付加価値額(燕市のデータは非公開)も伸び始め、一人当たりの出荷額、付加価値額は増加している。

出荷額が円の面積を表す。表示三条市は鍛冶など小規模な事業所や職人が多く、燕市はプレスや研磨など比較的大きな事業所が多い。金属製品自体の出荷額は燕が大きい。

職人と、大企業をつなぐ

磨き屋シンジケートは燕商工会議所の主導の下、研磨業者22社が集まり2003年に組織された。シンジケートという言葉は聞き慣れないが、日本語に直すと「共同受注集団」。一つひとつの研磨業者は家族経営の町工場など規模が小さく、高い研磨技術を持つものの、単独では大企業から受注を取るための生産規模やノウハウがないため、規模の大きな仕事や仕事量を受注できないという問題を抱えていた。一方、大手の家電や自動車メーカーは自社内にはない研磨技術が必要な場合、その発注先を見つけることが非常に困難だった。

そこで燕商工会議所が小さな研磨業者を集めてネットワーク化し、窓口の役割を果たすことで、企業の潜在的な研磨のニーズに応えることができるようになり、小さな製品から大きな製品まで、小ロットから大量生産品まで幅広い仕事を受注できるようになった。現在では燕市と三条市だけでなく、同じ新潟県の長岡市、遠くは山口県と兵庫県からも参加があり、40社以上が集まる組織になっている。燕三条のシンジケート組織は研磨業の成功をきっかけにして、他の業種にも広がり始めている。

図:受注の仕組み

イノベーション①
商売敵を仲間にする、系列を超えた横の連携 

磨き屋シンジケートができるまでは、業者同士は仕事を奪い合う同業他社の関係にあり、互いに連携して仕事をするということは皆無だった。それぞれに受注先があり、別々の系列のサプライチェーンにつながる下請け業者だった。しかし、金属加工という産業自体がグローバルな競争にさらされるようになり、円高に伴う大手メーカーの生産工場の海外移転、中国やマレーシアの企業の台頭と輸入製品の増加によって業界自体が縮小していく。

1970年には1,702社あった燕市の金属表面処理業者は、2000年には703社に減少。地場産業を支えている金属研磨業の衰退に危機感を感じた燕商工会議所が、燕産地における研磨のレベルアップ、イメージアップによる生き残り策を模索するなかで磨き屋シンジケートが生まれた。それまでは商売敵だった業者たちが、系列という縦割りの壁を超えて地域でつながりあうことで、日本だけでなくグローバルな市場でも勝負できるようになる。これは従来の地場産業や企業の常識を覆す、ひとつ目の大きなイノベーションだった。

系列と連携の変化、概念図

世界的評価につながったAppleとの恊働

磨き屋シンジケートが組織される一つのきっかけとなったのが、米国apple社との一連の仕事だった。1990年代末、apple社はそれまでの樹脂製の筐体を捨て、新しい薄型ノートパソコンをつくるチャレンジをしていた。パソコンを薄くするにはファンを取り除く必要があり、ヒートシンクを兼ねた金属製のボディを設計すると板厚を0.4mmにまで薄くする必要があった。しかし、普通の金属だと板厚が薄過ぎてボディがへこんでしまう。それを防ぐためにチタンでつくる必要があった。

当時チタンの高い加工技術を持つ業者は世界的にほとんどおらす、パートナー探しは難航を極めた。しかし、偶然チームのメンバーが持っていた日本製カメラのボディがチタンの一体成型だと分かり、その部品を作った業者を世界中で探した結果、燕に行き着いた。そして2001年、apple初の金属製ノートパソコン「PowerbookG4」が発売された。

その後発売された新型iMacやiPodなどにも燕の技術が活かされ、逆輸入的に燕の技術力と仕事に注目が集まり始める。しかし、Appleとの恊働により一部の業者は忙しくなったが、すべての磨き業者に仕事が行き渡ったわけではなかった。そこで、より多くの幅広い仕事を受注し、より多くの業者に向けた仕事をつくるために、2003年に「磨き屋シンジケート」を設立。設立後は国内メーカーからの受注が殺到した。技術的に難易度が高く新しい仕事はまず燕に相談が来るようになり、そこで得た新しい技術がまた新しい仕事を生み出すという好循環が生まれている。

PowerBook G4 Titanium ソース:http://bayyraq.s3.amazonaws.com/2014/06/17-PowerBook-Titanium.jpg

イノベーション②
付加価値を50倍にする、自前ブランド開発

燕とappleの仕事は金属パネルのプレス成型やパーツのアセンブリ、研磨などいくつもの工程に渡り、専門分野の異なる金属加工業者が連携して進めた。ipodのステンレス背面の鏡面磨きでは研磨業者たちが活躍し、技術の底上げと磨き屋シンジケートを組織する下地にもなった。シンジケートを設立してからは国内の大企業から仕事も受注できるようになったが、やがてその仕事も一部は海外に移転し、企業の下請け仕事だけでは景気や産業構造の変化に影響を受けてしまうという課題にぶつかる。そこで一つの大きな転換になったのが、自前のブランドを冠したオリジナル製品だった。

2006年に磨き屋シンジケートが開発した、ステンレスに磨きをかけたビール専用のコップ。ipodを磨きあげた技術を使って、ステンレス製のコップの表面を100分の5ミクロンの粗さに調整することでビールの泡を細かくし、容器も二重構造にすることで最後の一口までビールが美味しく飲める。品質にこだわり抜いた結果、初回生産の価格はコップ一個で14,500円にまで跳ね上がった。

「絶対に売れるわけがない」という周囲の声に反し、メディア露出でも話題になり、すぐに注文が殺到するようになった。このコップが製品化される前は、国内の小売り店舗に燕製のコップはほとんど並んでおらず、安い海外産のステンレス製コップが100円や200円で売られているだけだった。そのステンレスのコップが、研磨という付加価値で50倍以上の価格で売れる。燕が実現させた二つ目の大きなイノベーションとなった。

*参考 http://www.service-js.jp/modules/spring/?ACTION=hs_data&high_service_id=244

地場産業の後継者問題、まず稼げる仕事をつくる

日本全国の伝統産業、地場産業の現場は後継者問題を抱えている場合が多く、燕三条も例外ではなかった。しかし、技術を受け継ぐ意志のある若者が現れても、彼らの生活を支えるための仕事がなければ継続できない。そこで燕商工会議所が取り組んだのは、「稼げる仕事」をつくること。磨き屋シンジケートの恊働受注と自前ブランド商品販売は、まさに「稼げる仕事」をつくることだった。設立当初のシンジケートの受注額は約2000万円だったが、2008年には約8000万円になり、いまでは億を超える受注を集めるようになった。

受注が増えてから取り組んだのが後継者育成。2007年になって金属研磨の技術研修所である「燕市磨き屋一番館」を設立。小中高生や初心者向けの体験講座から開業支援を含めた研修まで、幅広い技能研修を行っている。2010年には三年間の研修を終えた卒業生が新規開業や燕市内の企業に就職を果たした。仕事が増えて、産業自体が活性化すれば、自然に跡継ぎになりたい若者も集まってくる。後継者問題が語られる時、仕事をつくることよりもまず技術者の育成や指導にフォーカスが当たることが多いが、燕市の場合はこの順番が逆だった。いくら後継者を育成しても、仕事がなければ継続しない。磨き屋シンジケートの取組みがその事実を物語っている。

磨き屋シンジケートの叡智

同業者や系列という利害関係の外にいる商工会議所が主導し、ビジネスだけでなく燕三条の地域振興という共通の目的を持つことで、従来の枠組みを超えた地域全体の利益を目指すための連携が実現した。この方法論は縮小していく他エリアの地場産業だけではなく、例えば大企業や行政組織など、セクショナリズムに陥っている他の組織にも適用できる普遍的な叡智なのではないか。

また、一つの技術を磨き上げ、その技術を現代のニーズに合った製品に落とし込む。自らの価値を冷静に分析し、既存の製品や価値に上書きすることで新たな付加価値を生む。燕三条が伝統的に持つこの姿勢も、他の地域が学ぶべき一つの叡智だ。

今回の取材で、燕商工会議所の高野さんがおっしゃっていた「さまざまな地域や団体が視察で燕三条を訪れて、良い取組みだと羨ましがられるのですが、実際にそれを実行するところが現れない。」という一言が印象に残った。ただ叡智を学ぶだけではなく、実際に行動に移す勇気と覚悟を持つことで、初めてイノベーションが起こせるのかもしれない。

Text / Photo:
KIYOTA NAOHIRO
Plan:
Mirai Institute

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