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今後社会にAIが浸透していくと、人間の仕事がAIに代替されて、仕事が無くなるのではないかと恐れる人たちもいます。その一方で、人間のするべき仕事が変化していくだけでAIはむしろ歓迎すべきだという意見もあります。そしてAIと仕事を巡る議論の中で、国民の生活を現金一律に保障するという「ベーシックインカム」という新たな考え方も出てきました。これからAI時代を迎えるにあたり人間の働き方と学び方はどうなるのか、立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんに考えを聞きました。
<ゲスト>
出口治明
1948(昭和23)年三重県美杉村生れ。立命館アジア太平洋大学(APU)学長。京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006(平成18)年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社(現ライフネット生命保険株式会社)を設立。10年、社長、会長を務める。2018年より現職。旅と読書をこよなく愛し、訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊を超える。著書に『生命保険入門 新版』『仕事に効く教養としての「世界史」Ⅰ・Ⅱ』『全世界史(上・下)』『座右の書「貞観政要」』『「働き方」の教科書』『世界史の10人』『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』などがある。
ベーシックインカムより適用拡大を
事務局:私たちは人間の仕事がこれからAIに代替されていき、人間のすべき仕事が変化していくのではないか、働くという意味が変わってくるのではないかと考えています。その変化の中で、仕事を失う人が増えたり、世界的に貧富の差が拡大する可能性があります。最近、この文脈でベーシックインカムに関する議論が注目を浴びつつありますが、出口さんはどのようにお考えですか?
出口:白地に絵を描くのならベーシックインカムという考え方はとても面白いし、一つの見識ある意見だと思います。でも、今の日本に適用するかどうかという議論は、基本的には時間の無駄だと思っています。日本の社会保障制度については『教養としての社会保障』という素晴らしい本があります。その本を読めば良くわかります。日本の社会保障制度を理解している人の中で、ベーシックインカムを導入すべきだと言っている人は皆無に近いのではないでしょうか。
日本の社会保障は非常によくできた制度なので、例えば発展途上国がゼロから新しく制度を作るのならベーシックインカムがいいかもしれないけれど、日本の場合は既存の社会保障制度を適用拡大すれば、実は問題のほとんどが解決すると思います。
例えば日本の年金は、自営業者は国民年金、被用者は厚生年金という理念で作られています。しかし実際には被用者の中で一番力の弱いパートやアルバイトの人たち約2000万人(※総務省統計局「労働力調査 平成30年4~6月期平均(http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4hanki/dt/pdf/2018_2.pdf)」より)が国民年金に追いやられていることが全ての問題の根源です。原理原則に基づいて、被用者全員を国民年金から厚生年金に移して適用拡大すれば、老後の貧困などの問題はすべて消えるのではないでしょうか?
おそらく日本のまともな学者の間では、日本の社会保障問題は適用拡大を100%やればほとんど解決する、という意見でほぼ一致していると思います。現在の社会保障制度をきちんと理解して、適用拡大すれば問題が解決すると分かれば、日本にはベーシックインカムは必要がないとほとんどの人は分かるのではないでしょうか。ロジャー・ベーコンが言ったように「知識は力」です。社会保障については、知識のなさが問題を難しくしている側面が大きいと思います。
社会保険を適用拡大したドイツ
出口:ただし、適用拡大は政治的には難易度が極めて高いセンシティブな問題です。「社会保険料を払ったら企業が潰れる」と言って、適用拡大を阻んでいるのは主として中小企業の人たちです。ドイツでは2000年に適用拡大をやっています。当時のシュレーダー首相が何と言ったか? 「ビスマルクが社会保険を世界で初めて制度化したとき、人を雇うということは、その人の一生に責任を持つということだ、と言っている。だから社会保険料を払えないような企業は、そもそも人を雇う資格がないのだ」と言って断行したわけです。
そこで、ドイツの中小企業はどうしたか? ビスマルクやシュレーダーに理屈では勝てないので「泣き」に転じたのです。パート労働者は給与が少ないから社会保険料を負担させるのは可哀想だと。するとシュレーダーはどう答えたと思いますか? 負担を均等に分けるなんて話はしていない、パートやアルバイトについては、企業の7〜8割負担でいいじゃないかと。先進国では低所得労働者やパート労働者の社会保険料は企業負担の割合が多いんですよ。
適用拡大を行うと経済の足腰が非常に強くなることが分かりますか? ゾンビ企業がぜんぶ消えるわけです。日本は弱いものを助けないといけないと言って、ゾンビ企業に追い銭を払っているわけです。本来つぶれるべき生産性の低い企業が、税金で助けてもらって潰れずに安売り競争に走るから、みんなが苦しくなるわけです。
「タテ・ヨコ」をもっと勉強しなければなりません。タテは歴史、ヨコは同時代の世界です。日本の過去の制度はどうなっていたか、世界各国の制度は今どうなっているか。日本でも中小企業団体などが社会保険の適用拡大に対して反対していますが、シュレーダーはそのような反対を押し切って断行して、政権を失った代わりにドイツ経済は絶好調になったわけです。
社会保険料を負担できない企業は潰れて淘汰される。でもそのことで経済の足腰は間違いなく強くなります。人間の身体でもそうですよ。競争力を失った細胞は排出されていきますから。僕たちの身体は2〜3ヶ月でほとんど全て入れ替わるんです。だから人間は元気なんです。健全な競争があって、その上で生きていけないものはマーケットから順次退場していかなければ、社会そのものが弱っていくんですよ。
適用拡大は一石五鳥の政策です。まず、正規・非正規の壁がなくなり自由な働き方ができやすくなる。第二に、医療・年金財政が好転することが具体的な数字で検証されています(年金の財政検証など)。国民年金しかもらえないことを前提とした貧困老人もなくなります。第三に、三号被保険者がほぼ自動的に消えて、年金制度がシンプルになる。第四に、転職がしやすくなり(アルバイトでも雇われている限り厚生年金が途切れることがない)労働の流動化に資することになる。そして最後に、経済の足腰が格段に強くなります。
日本から800万人以上の労働者がいなくなる
事務局:出口さんは、AIによって私たちの働き方や仕事そのものが今後どのように変わっていくとお考えですか?
出口:AIと産業革命、どちらが人類にとって影響が大きいと思いますか? 産業革命は人間が手で行っていた仕事を機械にやらせた。それで長期的に失業が起きましたか? 逆に、産業革命後の世界は、とても豊かになりました。AIがこのあとどう進歩するかまだよく分からないのに、十年先のことを心配して「仕事がなくなるかもしれない」と考えるよりも、「今の仕事をどうすればもっと効率的にできるか」、「長時間労働をやめよう」、「会議を減らそう」とか、そういうことを考えた方がはるかに建設的だと思いますね。
まず、人間にとって一番不幸な社会は「ユースバルジ(youth bulge)」、つまり社会の中で10〜20代の人口が異常に多い状態で、これが若者にとって一番不幸です。若いときは元気があって、異性とデートしたい。でもデートするのにはお金がかかる。これが中東の混迷の主因であって、宗教戦争ではありません。しかし仕事がないからお金も無くてデートできない。だから腹が立ってテロに走る。日本はその逆で、団塊世代の約200万人が順次いなくなるのに、新社会人は毎年100万人ちょっとしか増えない。2030年の日本では、どのくらいの労働力が足りなくなると思いますか? 現状を改革しなければ800万人以上とも言われています。
この前、あるAI信奉者と話をしたのですが「えらいこっちゃ、公認会計士もなくなるんやで、どないしよう」と言っていたので、公認会計士はいま何人いるのか考えろと話しました。公認会計士のようにAIが代替してこれから無くなる仕事をどれだけ足したら、2030年に不足する800万人になるのかと。AIで仕事が無くなるかもしれないというのはその通りです。しかし、いつ頃どれだけ無くなるかも分からないものを今から心配しても仕方がないではありませんか。
事務局:その労働力不足を補うためにも、AIにできる仕事はAIに任せたほうがいいということですね。
出口:その通りです。
*独立行政法人労働政策研究・研修機構「平成 25 年度 労働力需給の推計」より引用
本当に人間に必要なのは「考える力」だ
事務局:人間の仕事が減っていったとして、その労働以外の余暇の部分をこれから人間はどう使うべきでしょうか? そのための準備が必要だと思うのです。たとえば教育はどう変わっていくのか。
出口:それはすごく簡単な話で、ダーウィンの進化論の通りです。賢いものや強いものや元気なものが生き残るのではない。この先に何が起こるか誰もわからないので、生き残るための条件は「運」と「適応」だけです。「適応」とは「適当な時に適当な場所にいること」なので、人間にできるのは適応だけです。では適応とは何か、それは自分の頭で自分の言葉で常識を疑って考える力のことです。つまり、本当に必要なのは考える力です。何が起こっても自分の頭で考えること「これは何だ」と。
AI時代を迎えるにあたって、「理工系の大学院をもっとつくらなければ」と言う人がいます。確かにその通りです、でもそれだけで足りるのか。例えば自動運転はエンジニアやプログラマーたちによって可能になる。では、彼らのおかげで自動運転ができる世界になった時に、自動運転に見合った法律や自賠責保険は誰が作るのか?
この話に尽きるんですが、自動運転を進めるために理工系の大学院を増やすのなら、もしも自動運転のプログラムが間違って死亡事故が起きたときに誰の責任を追及するのか、自賠責はどうなるのか、そうした制度設計ができる文科系の人間も同時に養成しなければ、自動運転は実現しないのです。理系文系という区別は日本にしかありません。理系文系を問わずゼロクリアで考える力が何よりも大事です。
みんなで決めたことを守ろうとか、協調性が大事ですよとか、そういう製造業の工場モデルに見合った教育をしていたら、日本にスティーブ・ジョブズは永遠に生まれないということです。これからは、人が何と言おうと自分の頭で自分の言葉で考えたことが正しいと、腑に落ちるまで考えたのだから正しいと、そう言える人をつくること。そのためにも考える力が何よりも大事です。
勉強をしない国、日本
出口:敗戦後の日本は、マクロ的に見たら製造業の工場モデルで引っ張ってきた社会です。製造業で働いている人は全世界の統計で見ると大卒の割合は四割しかいない。極論すれば、それほど高等な教育は要らないんです。日本の大学進学率は51%、OECD平均は60%超と、日本はOECDの中では相対的には低学歴社会です。そして、大学に入っても勉強しない。企業の採用面接では、クラブ活動やアルバイトの経験を主に聞かれるだけで、成績はほとんど見ないわけですから、大学で勉強しない学生が増える。グローバル企業は全部成績採用です、当たり前ですよね。自分で選んだ大学で四年間いいパフォーマンスを上げた人は、自分が選んだ企業でいいパフォーマンスを上げる蓋然性が高い。日本の学生が勉強をしないのは、学生のせいではなく企業の責任だと思います。
2018年で平成は終わりますが、平成元年(1989年)の世界トップ企業20社を時価総額で見ると、NTTをトップに日本の企業が14社入っていました。まさに「ジャパン アズ No.1」の時代でした。30年が経過した現在(平成30年、2018年)、トップ20社を見ると日本の企業はゼロ、最高がトヨタの35位です。トップ5はGAFAとマイクロソフトです。
なぜこれほど我が国の企業がダメになったかというと、それは製造業の工場モデルに過剰適応してしまったから。採用面接で学生の何を見ているかというと、素直に言うことを聞くか、文句は言わないか、我慢強いか、協調性があるか、そういったものを見ているわけですよ。さらに、大学院生は採らない。大学院卒は使いにくいという人がいますが、賢い人を使いにくいなんて……、信じられない話ですよね。
今世界を牽引しているGAFAやその予備軍であるユニコーン企業で働く人はほとんどが大卒です。経営幹部はほぼ全員がマスターかドクターです。なぜ日本でユニコーン企業が生まれないのか、その理由は、大学進学率が51%という数字から明らかです。加えて、大学院の進学率はさらに低い。GAFAやユニコーンは、シリコンバレーに象徴されるようなダイバーシティあふれる高学歴社会から生まれているのです。だから日本は、社会自体をもっと多様化して、もっと勉強しなければいけないのです。
*文部科学省HPより引用、赤字部分加筆
これからは「メシ・風呂・寝る」から「人・本・旅」へ
出口:日本の大学は教育できないから企業で教育している、と言う人がいます。しかしそれは全くのデタラメだと思います。年間2000時間も労働して「メシ・風呂・寝る」しかできないのに、いつ勉強させるのか? 社会全体が働き方改革を行い、極論すれば、残業をゼロにして従業員を早く家に返して勉強させないといけない。勉強とは「人・本・旅」です。たくさんの人に会い、たくさんの本を読み、いろんなところを旅して脳に刺激を与えること。兼業も勉強の一環です。兼業で異なる仕事を体験することによって「人・本・旅」、つまり人に会って、本を読んで、異なる場所で働くことを通じて、自分の頭で考える力を養うことができる。それが勉強するということです。
日本は社会全体の学歴を上げることが必要です。日本の経済は、バブル崩壊以降年間2000時間以上働いてGDP成長率は1%前後しかないのに、ヨーロッパは1300時間で2%成長しています。これは日本が構造改革を怠っていたからです。社会全体を多様化して高学歴化しないとユニコーン企業は生まれないんです。日本で一番問題なのは、そういう認識ができない高度成長時代の成功体験を引きずっているマネジメント層が多いことです。
なぜ現在のマネジメント層はこの構造問題を把握することができないのか? 偉くなっている人は、みんな一つの企業への滅私奉公で「メシ・風呂・寝る」の長時間労働しかやってない人で、勉強する時間がないので、さらに頭が固くなっているわけですよ。僕の友人がフェイスブックに書いていて面白いなと思ったのが、「全員日本人のおじさんで女性も外国人もゼロ、最年少は60代、全員サラリーマン役員で起業家ゼロ、兼業もしたことがなく、会社へ入ってから1度も転職していない、この組織は何か?」と。答えを言うと、それは経団連なんですね。こんな組織が日本経済の司令塔になっている。これで本当に世界についていけるの? という話でした。もちろん経団連の皆さんは立派な人だと思います。しかし、多様性に欠けることは友人の指摘の通りです。
マクロで考えると、第一に日本社会を多様化して高学歴にしなければいけない。個人レベルで考えると「メシ・風呂・寝る」をやめて「人・本・旅」の生活に切り替えることです。勉強して考える力を鍛えなければ、ユニコーンも生まれないし、何か大きなことが起きても対応できないのではないでしょうか。
基礎教育はG7最高なのに、なぜ高等教育で遅れを取るか
出口:マクロで考えたら、教育にはお金がかかります。日本の教育は15歳レベルではG7で最高です。これはなぜかといえば、基礎教育は国語や算数なので板書で授業をやってもいいからです。先生が優れていて一所懸命教える。でも高等教育は、生徒ひとり一人の個性に合わせて個別に指導していかないと、有能な人材が育たないということが分かっています。例えばST比(生徒と教師の比率)はグローバルに考えるとせいぜい10〜20人台、一人の先生が教えられる生徒数はそんなに多くないということが分かってきています。しかしST比を改善するためには先生を雇うお金が必要になるのです。
日本の高等教育は基礎教育に比べるとかなりしんどい。世界の大学ランキングで100位以内に入っているのは東大と京大しかない。なぜ日本の高等教育がしんどいのか分かりますか? それはお金が無いからです。ST比を改善する、グループディスカッションができる教室を作るには、お金が必要なのです。
日本の先生は世界で最も長時間働いていますが、授業に割いている時間は一番少ない、おかしいと思いませんか? なぜ先生は、長時間働いているのか、それはクラブ活動や職員会議などに時間を取られているからです。では、どうやれば先生が教育に専念できるのか? 例えば、クラブ活動は地域に住んでいる大学サッカー部の経験者やプロに教えてもらえばいい、しかしそうするためはお金も必要です。
日本の教育費はGDP比で世界最低レベルです。なぜお金が無いか分かりますか? それは、増税をしないからです。日本はOECD加盟国中で税負担が少ない国の一つです。少負担の割に給付の代表である社会保障支出はOECDの真ん中より上、日本は少負担中給付の国なのです。
30年前の予算と比べてみると、増えているのは社会保障費だけ、これは高齢化社会になっているから当たり前のことです。教育や防衛等の他の政策経費はほぼ同額、つまりこの30年間日本は新たな政策投資ができていないのです。無い袖は振れないということで、これが日本の教育が低迷している根本原因ではないでしょうか。
少負担かつ中給付でサスティナブルであるわけがありません。これまでは国債という借金でしのいできましたが、借金は僕たちの子供や孫が苦労をするだけです。早く消費増税を断行して負担と給付のバランスを取り戻し、プライマリーバランスを回復させて、教育にお金をかけていかなければ、この国の未来はないんです。未来を決めるのは、賢い政府を創っていくこと、教育に投資をしてユニコーンなど新しい産業を創り、経済成長させることです。
日本が一番に取り組むべきは「考える力」を徹底的に鍛えること。生徒ひとり一人の良いところを伸ばそうと思ったら、生徒1人当たりにいくらのお金を掛けられるか、何人の先生がみることができるか、それが高等教育の宿命です。このように教育全体を整合的に見なくてはいけません。
教育が国をつくる、フランスの例
事務局:教育は、AI時代にどのように変わっていくでしょうか?
出口:AIなどのテクノロジーを活用した教育は「エドテック」と呼ばれていますが、AIを上手に使って優れたAI環境を作るにもお金がいる。とにかく教育に投資しなくてはいけないということです。フランスのマクロン大統領は、フランスは教育にこそ何よりもお金を使うと言い切っている。なぜなら、フランスの将来は教育にかかっているから。税金を上げてでも教育に投資するんだと。無い袖は振れないからです。ちなみにEUの消費税率は25%が標準です。
マクロンの発想はなかなか面白いので少し話してみましょう。マクロンは言葉の定義から始めています。フランス人とは何か、フランス文化とは何か。フランス文化とはフランス語である、フランス人とはフランス語を母語とする人たちであって書類上の問題ではないと。つまり母語が何よりも大事なんです。だからフランスで生まれた子供を増やそうと思って「シラク3原則」という少子化対策のための優れた政策をとっているわけです。
つまりフランス語を母語とする人が、フランスの歴史を引き継いでいくんだと明確に定義しているのです。人種や書類の問題ではないと。やれ二重国籍だとか在日だとか、そんな話題が起こること自体が恥ずかしくなりますね。では、フランスという国は何か? それはプロジェクトであると定義しています。人々を様々な制約から解放することを目的としたプロジェクトだとフランス第5共和政を定義しています。
その次に、何が理想の社会かを定義しています。人々が好きなことをやり、自分のやりたいことをやって生きていくことが理想の社会であると。当然そこから落ちこぼれる人たちが出る、だから政府は一番弱い者の立場に立ち続けると。ではどうやって世界を変えるのか? 普通の人が自分のやりたいことをやってご飯を食べることができるのが理想であって、プロの政治家が右だ左だと言っていては、そんな社会は実現できない。
だからマクロンは、普通の人が国会の大多数を占めて欲しいと願って「前進」という政党を打ち立てた。そして、今まで政治家になろうなどと一度も考えたことがない人に立候補してほしいと言って大統領選に打って出たわけです。ものごとを根底から考えるというのはまさにこういうことです。これからはスティーブ・ジョブズやマクロンのような人を育てていかなければならない。この経緯は、マクロンの『革命(ポプラ社・2018年)』という本に書かれています。
常識を捨てて「タテ・ヨコ・算数」で考えよう
事務局:労働、働くこととは何でしょうか?
出口:マクロンの言う通り、自分の好きなことをやってそれでごはんを食べられるようにすることです。僕は、そういう社会を作りたい。そのために使えるものは何でも使えばいい。AIもツールの一つです。そういう社会を実現するために、自分の頭で考える力を養うこと。政府はそこからこぼれ落ちた人の面倒を見る。そういう政府を僕らが作ればいい。大事なのはどんな社会であっても、未来は「賢い政府」と「経済成長」にかかっているということです。
事務局:では、文化はどうなるのでしょう?
日本語を母語とする人口を増やし、経済成長しなければ、日本の文化は守れません。少子高齢化で素晴らしい日本文化を守れるのか。日本の文化を守ろうと思ったら、人口を増やさなければならない。赤ちゃんを産みやすい社会を作らないで、何が文化だと。そういうことではないでしょうか。
「シラク3原則」では、産みたい時に産む、これが第一原則。女性が産みたいときとその女性の経済力が一致するはずがないので、その差は自治体が負担する。第2原則は待機児童ゼロ。フランス人は日本人が分からないと言います。少子化で小学校や中学校が余っているのだから、日本ほど待機児童をゼロにしやすい国はないと。なぜ、余った教室を保育園に転換しないのか? と。
文科省と厚労省の関係がややこしいのなら、一強の安倍さんが文科厚労省一本化してしまえばいい。衆議院も参議院も圧倒的多数で、しかも3選されたのだから何でもできる。待機児童の問題は政策の問題ではなくて、政権担当者に希望者全員義務保育にする覚悟がないだけではないかと、フランス人は指摘するわけです。
第3原則は育児休業について、キャリアの中断やランクダウンを厳禁するということ。子供を産まなければ社会は滅び、働かなければメシは食えないわけだから、子供か仕事かという選択肢を女性に迫るなんてあり得ない。両立支援に決まっている、というのが世界共通の考え方です。考え方の根本が違う。こういう当たり前の考え方ができる人を増やしていかなければならない。根本から考えるということの一つの例ですが、いまのAIブームは出版不況に陥った出版社の煽りではないかと、それぐらいに考えておいた方がいいと思います。
人と動物の違いは何か? パスカルの言うように「考えるかどうか」です。東大や京大の先生が言っていることを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で自分の言葉で自分の思ったことを発信できる人間をつくるのが、教育の究極の目標であり、特に技術進歩が早くなればなるほどそんな人間が必要になるんです。
ドッグイヤーの時代ですから、最新の技術は常に陳腐化します。だから、一見役に立ちそうな最新技術でもすぐに役に立たなくなる。プログラミング教育もそうですが、どんどん進化していくものに対しての技術的な教育は無意味だと思います。本当に役に立つのは原点から考えること、社会常識を全部捨てて、「タテ・ヨコ・算数」で考える力です。
有名なアインシュタインの話がありますが、あまりに面白いので創作ではないかと思ったりしていますが、アインシュタインが18歳のとき「お前みたいに社会常識の無い奴は見たことない、この歳までどうやって生きてきたんだ?」と先生に怒られた。彼は口答えして「社会常識って何ですか? この18年間の社会の偏見の集合じゃないですか? そんなことを僕が学んで何の役に立つんですか」と反論したら、校長先生が激怒して、反省の色のないとんでもない生徒だと落第させられた。どっちが正しかったかというのは明らかですよね。