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2022年春、デザインスタジオ『we+』の安藤北斗(写真左)と林登志也(写真右)、ライターの土田貴宏を中心に、『The Thinking Piece』が始まった。プーチン政権によるウクライナ侵攻のニュースを受けて発足したThe Thinking Pieceは、多様な社会課題についてデザイナーに支援を呼びかけ、発信の場をつくるプラットフォームだ。
【A piece of PEACE】連載6回目は、The Thinking Pieceの活動で考えたことを通して、平和とは何かwe+の安藤北斗さん・林登志也さんに話を聞いた。
Photo: Takumi Ota
<プロフィール>
林登志也
1980年富山県生まれ。一橋大学卒業。学生時代より舞台演出に携わり、広告会社等を経て2013年we+ inc.を共同設立。デザインリサーチを起点とする作品制作やインスタレーションといった領域横断型のアプローチから、ブランディングやコミュニケーション戦略まで、幅広い分野に精通し各種プロジェクトを手がける。国内外の広告賞、デザイン賞等受賞多数。法政大学デザイン工学部兼任講師(2019年〜)。その他教育機関での講師、セミナー等での講演も行う。縄文&先住民文化と警察小説をこよなく愛する。
安藤北斗
1982年山形県生まれ。武蔵野美術大学中退、Central Saint Martins(ロンドン)卒業。視点と価値の掘り起こしに興味を持ち、プロジェクトにおけるデザインリサーチやコンセプト開発、空間〜立体〜平面のディレクションやデザインなど、複合領域的に手がける。2013年we+ inc. 共同設立。国内外のデザイン賞を多数受賞。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科非常勤講師(2017年〜)。他複数の教育機関で講師を務める。iF Design Award(ハノーバー)、D&AD Awards(ロンドン)審査員。
デザイナーが社会問題を議論するきっかけを作りたい
Next Wisdom Foundation(以下NWF):The Thinking Piece は、どのように始まったのですか?
林登志也(以下林):大きな社会問題があった時に、僕たちもデザイナーとしてアクションを起こしたほうがいい気がするのに、「自分は何ができるんだ」とか「それって意味あるの」とか、モヤモヤと考えちゃうんです。ウクライナの問題がニュースになっていた頃もモヤモヤしていたのですが、ウクライナはヨーロッパに住む友人デザイナーたちと物理的に近いから、自分ごととして捉えやすかった。 その頃、ヨーロッパのデザイナーはいろんな人を巻き込んで、チャリティーで作品の販売をして売り上げを寄付する活動をしていました。その活動をライターの土田貴宏さんが見て、「日本から何かできることはないかな」とSNSで発信した時に、たまたま安藤が最初にいいねを押したそうで。それで、安藤に話がきたという経緯です。
House in Kyiv, on Valeriy Lobanovskyi Avenue, 6-A after shelling during Russian invasion of Ukraine 2022.
安藤北斗(以下安藤):最初にいいねを押したのはたまたまだったんですが、僕自身はウクライナの問題にすごく当事者意識を持っていたんです。大学時代にロンドンに住んでいたので、ロシア人の友だちもいれば、ウクライナ人の友だちもいるという状況で、友だちが巻き込まれている問題としてすごく気になっていました。ウクライナ問題を延長していくと、台湾問題にいきあたって身近な問題に繋がっていく可能性もある。それで、土田さんから声をかけてもらった時に、やってみましょうということになりました。
ただ、自分たちの中では明確な結論に対してアプローチするよりも、まずは困っている人たちをサポートすることができないかと考えました。The Thinking Pieceは、ウクライナ問題をきっかけに立ち上がったものですが、 社会の様々な問題をデザイナー自身がどう捉えていくか議論するきっかけを作っていく・議論を促していく・視点をつくっていく、という考え方を持っています。明確な政治的スタンスがあるわけではなく、まずは議論を促していくことを目的にしています。
林: ウクライナ周辺国に難民が溢れている話があったので、寄付先にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)を考えていました。ただ、結局、国連の組織ではフェアじゃないという考えがあって、難民のケアをサポートするということで寄付先を国境なき医師団とCARE にしました。その展示は、販売した金額の全額ないし販売金額の一部を寄付するという仕組みでやったのですが、ウクライナ問題だけに特化した活動にするのは本質的ではないので、継続してやっていきたいということになりました。
『The Thinking Piece』Photo: Takumi Ota
展示は、若いデザイナーにフォーカスしました。ある程度の世代の方は、すでに発言力が強いし、おそらく自発的に行動されると思います。僕たちの世代と、もう少し下の世代のデザイナーは、社会問題に対して声高らかに発信する人が少ないし、みんなが何を思っているかシェアするのはいいことだと考えています。
『The Thinking Piece』Photo: Takumi Ota
デザイナーの中にもいろんなレイヤーがあります。例えば、廃棄物の問題に取り組んで、廃棄物からモノを作る人は分かりやすいかたちで社会問題に取り組んでいる。一方で、パッと見は社会活動と関連していないけれど、実は興味があるデザイナーもいる。
The Thinking Pieceの展示でいろんな人と話して感じたのは、社会問題に関わりたい度合いには違いがあるということです。僕たちもめちゃくちゃ社会派というわけではないけれど、課題意識はある。関心度合いにグラデーションがある人たちが意見交換をするだけで面白そうだし、その話を周りの人に聞いてもらって意見を交わすことは、やらないよりもやったほうが意味があります。デザイナーなので、モノを作って発表する場も大切ですが、今後はトークイベントもやってみようと話しています。
平和って、言い切ることは必要なのかな?
NWF:we+よりひと回り上の世代のデザイナーは、あまり社会を見なくても成り立っていたのかもしれません。
安藤:おそらく、上の世代の方々の時代は産業とデザインが強く結びついていて、デザインを活用する目的が違っていたと思います。それは時代の流れとして必然だったと思いますが、僕たちの世代は産業のあり方が変化してきていて、デザインにはもっと広い役割があると捉え直す時期にきている。社会とのタッチポイントになるという意味で、デザインはとても効果的な存在ですし、より良いデザインのあり方を探っていかなければならない。
僕は「デザインって何?」という話をする時、木に例えることが多いです。社会を土壌として、そこにデザインというカテゴリーの木が立っている。デザインはスタイリングだけでなく、社会背景あるいは文化的・歴史的背景をもって社会に根ざすべきで、それが木の根っこになるんです。要は、社会という土壌に対してしっかりと根を張って、その土壌の上にデザインが存在するべきだと思う。根っこのないオシャレなデザインやスタイリッシュなプロダクトでは、台風がきたら倒れるように、薄っぺらでただ消費されるだけになってしまう。デザインというのは、社会性を持った存在であって、社会に根を生やさないと駄目なのだろうと思っています。
NWF:いわゆるデザインというものには、ユーザーがいます。でも、The Thinking Pieceの取り組みにはユーザーがいませんね。
林:The Thinking Pieceは、明確にユーザーを設定した活動ではなく、どちらかというと、社会に対して可能性を提示したり、検証したりといった意味合いが強いかもしれません。
デザインは、製品が使いやすいようにユーザーに寄り添い、売れるように魅力を付加してきたわけですが、そういった取り組みとともにデザイン産業が大きくなったのは間違いなく、デザインと言えば、使いやすさやスタイリングのことをイメージする人が多いと思います。
ただ、日本人は一つのものにまとまる傾向があるので、デザインという世界だって、いろんな考え方でアプローチしていいんだぞという話を提示したい。手法は違えど、ちゃんと社会とつながっていれば、最終的にはきっとユーザーのことを考え、寄り添っているということになるんだと思います。
NWF:デザイン思考という言葉が広がっていますが、実はデザインの可能性を広げているようで逆に狭めているようにも感じますよね。
安藤:僕たちがやろうとしているのは、オルタナティブなデザインです。例えばデザインシンキングはオルタナティブなアプローチとも言えるけど、それ一辺倒になるとちょっと危険な気がします。
豊かさとは何かを考えると、あくまでも仮説の一つですが、選択肢が多様であることが一つの基準かなと思うんです。分かりやすく例えるなら、貧困に苦しんでいる方々は教育的な選択肢もさほど多くないし、食べるもの・遊びに行く場所の選択も少ない。結果的に未来の可能性を狭めているとも言えるかもしれません。豊かな社会を作っていくために多様さが必要なら、その手法であるデザインも多様であったほうがいいと思っています。
今回は【A piece of PEACE】のインタビューということで、改めてここ数日、平和って何だろうと考えていました。
「世の中は絶妙なバランスで成り立っている」という話はよく聞きますが、平和を風船に例えると、いろんな要素が外に対してパンっと張り出していると均衡がとれる。でも、例えばウクライナ問題が張り出しすぎると風船が割れてしまう。他にも様々な社会問題がいろんな方向に張り出すと、風船はいびつな形になって割れてしまう。でも、もし多様な問いと解という矢印があらゆる方向に向かって風船を丸くしていたら、強度が上がって簡単には割れなくなるのではないか。1箇所が飛び出ても、あらゆる方向に張り出した矢印が吸収して丸くおさめられるかもしれない。
NWF:The Thinking Pieceでは、その矢印の一つを世の中に提示するやり方もあったとは思いますが、なぜ一つの矢印を指さずに、Thinkingというプラットフォーム側にまわったのですか?
林:Pieceはpieceとpeaceをかけています。作品のpieceと平和のpeaceで、わざとpeaceにはしなかった。なぜなら、平和を規定するのは危険だと思ったのが一つ。もう一つは、人はそもそも違った考えを持つ存在で、かつその考えを簡単に表明できる世の中で、一つの傘の下に「この指とまれ」をやるのはとても脆弱な印象があったからです。「これがpeaceだ」と言えないのは弱いかもしれないけれど、The Thinking Pieceは考え続けることに重きを置いたんです。今後自分たちの考えが変わる可能性もあるし、世の中の情勢もまた変わりつづけるので、一つには集約しないけれど、何となく緩くつながって、アメーバみたいな形で動いていくほうが、今の自分たちにフィットしていると思っています。
安藤:平和って、言い切ることは必要なのかな? ボブ・ディランも言っていたけれど、「君の立場になれば君が正しい。僕の立場になれば僕が正しい」という世界の中で、一つの視点でものを語るというのはちょっと危険な気がします。「こんなアプローチもある」「これも平和の一つかもしれない」というほうが優しい気がします。
林:この話を始めると”沼”ですよね(笑)。核を持たないと平和にならない、核を持たないほうが平和になるという議論もあって。僕は、暴力は駄目だと思うけれど、そうじゃない限りはできるだけ自分の意見を言う、言える場所や環境は絶対にあった方がいいと思うんです。その場所では、意見に対してカウンターがあっていいし、議論やフィードバックをしあっていい。そのほうが健全だし、自分の立ち位置が分かる。人権や人格を否定しない限りは、バチバチにやれる環境を作ったほうが楽しそうだという感覚はあります。
モヤモヤのプロセスに価値がある
NWF:The Thinking Pieceを始めて、変わったことはありますか?
安藤:やっちゃったからには、やっちゃっただけの責任があって、中途半端なことができなくなった部分があります。社会性を帯びた活動というか、社会を背負ったという認識を持たざるをえない状況に自分たちを追い込んでしまった感じはある。でも、それはそれでいいんです。
おそらく今までは、デザイナーやクリエイターが社会問題を積極的に受け入れていくことが多くなかったんです。例えば環境問題や人権問題の領域で活躍しているクリエイターは多いんですが、他の諸問題にも目を向けていくことを、我々の世代からやっていかないといけない。人新世という話になるなら、社会構造が変わり、デザインの在り方も当然変わる。それについてディスカッションをしていく。
The Thinking Pieceの活動を通して何が伝えたかったのかというと、僕たちの中でまだフワッとしているんです。でも、フワッとした状態にも価値を置きたいし、フワッとしたままでいい気がしています。それは気づきや視点であり、余白ということかもしれないのですが。明確に答えを出していくのが今までのデザインだとすると、今はそうではない領域に足を突っ込んでいて、モヤッとしているんです。そのうちに言葉の解像度が上がっていくかもしれないけれど、そうならないかもしれない。こんな答え方もあると知ってもらいたいなという気がしています。
NWF:The Thinking Pieceは、今までのデザインがあまりやってこなかった領域に取り組んでいるのだと思います。
林:デザイナーが、どう社会と関われるのかをトライするよい機会だと思います。もともと社会活動をしているデザイナーも、そこまで社会との接点がなかったデザイナーもまとめて、「僕たちデザイナーは、今の世の中に何ができるのか」にトライしている感覚です。もちろん、販売して寄付をするという仕組みが第一にあったわけですが、その先は答えのない旅で、一つやっては、それが何だったのかを考えることになると思います。
今のところ何となく感じているのは、魅力をまとったアウトプットはデザインをする上で重要なファクターであることに間違いはないけれど、そこに至るまでの過程、プロセスも同等、もしくはプロセスのほうが大事で、それで初めて社会と関わるという話になるのかなと思っています。
NWF:だから、Thinking Pieceなんですね。思考をアウトプットするという。
安藤:デザインをやっていると、結果だけを求められてプロセスに重きを置かれないところがあります。でも、プロセスとしてはうまく言語化できないモヤモヤとしたものとずっと対峙しているんです。「平和って何?」と聞かれても、まだうまく答えられないし、答えるべきなのかの判断を保留しておきたい。
みんな、答えが分からないと不安になるんです。僕たちもそうです。何か定着したものを身の回りに置かないとすごく不安になる。ただ、その感覚が徐々に変わってきています。例えば、定住しないとか、一つの会社ではなく様々な場所で働くとか、所有の概念が少しずつ変わってきている。そうなると「住まいはどこですか」と聞かれるとモヤッとする。そうやって様々なものが許容されていく世の中になる気がしているので、今はモヤッとしているものに価値を置きたいなと思っています。
林:昔の日本では、山は分からないものだったそうです。平地は人が住んでいるから分かるけれど、その先の山の世界は分からないといった具合に、分からないものが分からないものとして存在できていた。でも、今の僕たちにはその感覚がない。分からないと駄目だという強迫観念があって、分かることが当たり前になってしまった。1時間後に雨が降ることが分かるようになって、それは便利な反面、自分たちの想像力をスポイルしているように思います。
安藤:変なたとえ話ですが、The Thinking Pieceは、いろんな作家がいろんな種類のりんごを持ってきて、見に来る人がそれを見たり食べたりして感じるんです。感じていることはうまく明文化できなくて、酸っぱいりんごだな、蜜が多いりんごだなというのを体感してもらったんじゃないか。その体験の総体が何かの理解に繋がっていくことはあると思っていて。The Thinking Pieceは少なからず社会性のある作品が集まったので、作品の総体から平和について考えるきっかけになったんじゃないかと思います。
NWF:言語化をしなくてもいいのでしょうね。そこにピースがあるということなのかなと。
林:この活動が直裁的に平和に結びつくかと言われると、よく分からないです。「みんな、それぞれの平和を考えてみようよ」なんです。