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Next Wisdom Foundationの今期のテーマは【A piece of PEACE】。そもそも平和とはどういうことなのか? 戦争・紛争、民族等のキーワード以外に、例えば微生物・宇宙工学……津々浦々古今東西多方面から深く問うことで平和の解像度を少しでも上げていきたい。この活動が「平和な世界」への第一歩になると信じて【A piece of PEACE】を探求していきます。
連載7回目は、ロシア文学者でゲンロン代表の上田洋子さんに話を聞きました。
<プロフィール>
上田洋子
1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。
自分で考えて選ぶ人を、社会の中に増やしたい
Next Wisdom Foundation事務局(以下NWF):上田さんには2つの顔があって、一つはゲンロンの代表取締役、もう一つはロシア文学研究者です。まずはゲンロン代表として、上田さんが何を目指しているかお聞かせください。
上田洋子(以下上田):多数派の意見に流されずに、自分でものを考えようとしている人々とともにありたいと思っています。また、じっくりものを考えたり、地道にものを作ったりすることの大切さを読者や視聴者と分かちあいたい。そうした文化をともに守り、育てていきたいです。ゲンロンや動画プラットフォーム シラスのサービスは有料ですが、読者や視聴者の側がお金を支払い、それに対してこちらも誠意を尽くして商品を作る、そうした信頼関係のなかでビジネスを成り立たせていくことも重要だと思っています。
SNSでは他者の意見がたくさん流れてきます。「こうするべき」「こうであるべき」という強い主張がされると、それに対立する別の強い主張が現れる。そのどちらかを選ぶことを求められて、その間にあるもう少し繊細な選択肢は消えてしまう。大きな意見に安易に流されず、自分の価値観をある程度信じて、物事を単純化しすぎないことが大事だと思っています。
もちろん、社会の共通課題として今語るべき問題というのは常にあります。しかし、メジャーなトピックばかりを紹介しなくてもいい。私がロシア文学のほうでもあまりメジャーではないものをやっていることもあるのですが、今まであまり見えていなかったものを、少しでも可視化することができたらいい。人は、自分には知らないことがたくさんあるということを忘れがちなのですが、世界は広くて、そこにはいろんな人がいる。
たとえば、ゲンロンではウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)に旅行者を連れて行くツアーを企画しています。私自身、チョルノービリには何度も行くことになりました。そこで目の当たりにしたのは、チョルノービリという、原発事故で知られるようになった土地にも人の生活があるということ。強制移住になっても帰ってきた住民がおり、また、そこで毎日働いている人がいます。廃炉処理や配電、それに環境管理など、大切な仕事がある。彼らはチョルノービリを愛し、誇りを持って働いている。そういったことがきちんと伝わっていくような活動をしていきたいです。
複雑なままに捉え、目の前の議論は複雑なものの一部だと理解する
NWF:ゲンロンの記事を読むと、複雑なものを複雑なまま出すことを大切にしていると感じます。記事にも、「社会の中に考える人を増やしたい」という思いが反映されているのでしょうか?
上田:先ほど言ったことと重なるのですが、複雑なものを単純化して、例えば二項対立にしたり、敵と味方に分けてしまうと、その間にあるものが全て見えなくなってしまいます。本当は、その間に生きている人がいるし、お互いを仲介している人たちもいるのに、それを無視してしまうと両極がぶつかって世界はギスギスしてしまう。複雑なものをできるだけ複雑なまま見せることこそ、平和を維持し、また多様性をきちんと考えることだと思います。
女性の権利を叫ぶにしても、「女性」という言葉にすべてを集約させてしまうと、見えなくなるものがある。本当は、一人ひとりの人生があり、それぞれ別の経験や考え方を持っています。権利は誰もが持っているものだけど、何に対して持っているのかはそれぞれ違います。それでも権利を主張する必要はあるし、日々権利を主張しながら生きているのが人間で、その権利は他者の権利とぶつかるかもしれない。
Twitterを見るとすごい量の意見があって、それは多様性ではあるのですが、多様性のむこうにはまた別の多様性があるといったことに思いを馳せることは、SNS時代の今、なぜか難しくなってきている気がします。
NWF:webゲンロンに掲載されているアレクサンドル・シロタさんのチョルノービリの記事を読みました。読後もずっとモヤモヤしています。シロタさんも、二つの気持ちの間に生きている人だと思います。プリピャチには手を加えないほうがいいという望みと、誰もがプリピャチを見るべきで、そのためにはインフラ整備が必要だという二つの思いがシロタさんの中にある。未来のために動くにしても、どちらの選択が正しいかは誰にもわからない。この点がずっとモヤモヤし続けています。
上田:シロタさんとは2013年の『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』のときに知り合いました。コーディネートをやっていただいたんです。彼は子どもの頃に原発事故を経験し、強制避難によって、故郷を失います。その後、結局チョルノービリに戻ってきて、立入制限区域で記者や観光客のための公式ガイドになる。同時に故郷のプリピャチの街の保存活動を行なっています。
彼は立場上、チョルノービリに関する意見を代表させられることもあるし、原発事故の被害者というポジションを担うこともある。チョルノービリ事故に関しては、アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈り』にあるエピソードと子ども時代の彼をモデルにしたエピソードが組み合わさった映画も作られています(『故郷よ』)。
でも、彼には彼の人生がある。妻子がいて幸せに暮らしている。彼は立ち入り制限区域のそばに移住するなど、原発事故の跡地の問題を引き受けて生きていく覚悟を持っている。他方、プリピャチをどう保存するか考えても、できることとできないことがある。シロタさんを「プリピャチを守る人」と決めつけずに、ひとりの人間としてお付き合いをしていきたい。戦争が起こって、チョルノービリの観光や保存の話が吹っ飛んだ今はなおさらです。
ロシア軍のウクライナ侵攻はチョルノービリから始まりました。侵攻直前に彼が家族とともにチョルノービリを離れたのは本当によかった。いまは国外にいますが、彼には当然戻らない権利もある。本人がどう思っているかはわかりませんが、戦争がいつ終わるかわからない状況で、戻って生活をやり直すのは、また大変な道であるでしょう。
そもそもチョルノービリの問題はとても複雑でした。事故後、観光が進むまであまりにも放置されていたので、あちこちで建物の倒壊が起きている。観光客が安心して建物に入れるように修復して補強工事をするには莫大なお金がかかります。シロタさんは最初のインタビューから、プリピャチの保存に取り掛かるのが「遅かった」と言っていますが、その状況で何を守って・何を守らないかを決めなきゃいけないわけです。
保存をすることを考えても、全面的に工事するならば、その間はツアーができず、収入がなくなる。そもそも工事の資金はどこから調達するのか。国はどこまで関与するのかなど、いろんな問題があります。ロシアとウクライナの戦争前は、自然保護区にする方向で動いていましたが、戦争が始まってそれどころではなくなりました。まずは戦争が早く終わってほしいです。しかし、戦争が終わっても、チョルノービリに観光が戻ってくるまでには相当な時間がかかるでしょう。
いま私たちの持っている可能性を、どう開いていくか
NWF:上田さんの活動について、ご自身が持っている矜持、ミッションをお聞きしたいです。論壇の中では、ジェンダー問題に対峙する上田さんもいると感じますが、いかがでしょうか。
上田:冷戦構造のなかで、ソ連には負のイメージがあった。ソ連が崩壊したのは私が高校生の頃です。1986年にチョルノービリ原発事故があり、ゴルバチョフ政権のペレストロイカが始まって以来、ベルリンの壁崩壊、そしてソ連崩壊と、東欧・ソ連の社会主義体制が崩れていった。中学・高校生の多感な頃に、連日のようにソ連に関する報道が新聞やニュースを賑わせていたわけです。
そのなかで、ソ連にはたくさんの共和国があって、ロシアだけでなく、バルトの国々や中央アジア諸国など、さまざまな文化があることを知りました。ドストエフスキーやトルストイなどのよく知られている古典だけでない、ソ連・ロシアの現代文学の情報も圧倒的に増えました。
ロシア語を学び始めたのは大学からですが、その後、ロシアが発展して社会がかなり安定してからも、ロシア語をやっているというと、「危ないのでは」「寒そう」など、暗いイメージを返される時期が続きました。こんなイメージを変えたくて、ロシアの良いところを広く伝えたいと考えていました。
近年はだいぶイメージ回復をしていたのに、今回の戦争が来てしまった。率直に言って、これまでの努力がロシア政府によって無にされたような気持ちがあります。
ゲンロンに関しては、私が女性であることで、担っている役割はあると思っています。私がゲンロンに来たばかりの頃は、女性の登壇者は限りなく少なかったですし、その後も少しずつ増えていくのには時間がかかりました。そもそも私自身、ゲンロンカフェで登壇して多少なりともイベントを面白くできるようになったのはごく最近です。
トークショーは独特の形式のショーですから、観客に聴いて楽しんでもらうためにはスキルが必要であり、しかもうちは長時間で、かつ語りの内容で「知」の魅力を提供する場所です。俳優が演技を磨き、歌手が歌唱力を磨くように、言論人は語りのスキルを磨かなければならない。東(浩紀)さんはずっとスキルを磨き続けているからこそ、彼の登壇するイベントは常に人気で、有料でも買われるわけです。
もちろん、そもそも歴史的に見ても長いあいだ言論の世界や論壇がどうしようもなく男性のものであったことは事実だと思います。総合誌のほとんどは男性が立ち上げているし、その歴史の中で著者だけでなく読者も男性が多かった。そこに女性が入っていき、男性と対等な言論活動ができる時代になった。さらにトークショーのオンライン配信という、新しい形式ができた。
これからは知で魅了する女性の言論人や専門家がどんどん育っていくと良いと思います。動画プラットフォーム シラスでは、観客とコメントで対話できますし、真剣なレビューも書いてくれます。人々がなにを求めているのか、どのような話し方をすれば、複雑な話も理解されるのか、学ぶことができる。
過去やこれまでの伝統に関しては、社会的な構造の問題があったにせよ、ある程度は受け入れるしかない。その上で、今の私たちには比較的可能性があるので、可能性をどう開いていくかが大事だと思います。
登壇者も執筆者も女性の数を増やせばいいというものではない。女性で活躍する人が増えてきた今だからこそ、丁寧にイベントを企画していきたいですし、こういう場所で観客と対話しながら話してくださる方が増えると嬉しいです。読者・観客の側も、まだ男性が多いですが、とはいえ女性はかなり増えました。
物事に対して安易な受け売りをしない
NWF:特に日本人は、議論が苦手です。まずは議論ができるようにならないと進まないことがあると思うんです。上田さんはどうすればいいと思いますか?
上田:私も友だちと話していて、一方的に自分が話してしまってどうも後味が悪いというような経験はあります。とはいえ、人によりますし、諦めずに話し続けることしかないかなと。
でも、大人になってからの学びの場では、議論ができる場合も少なくないのではないでしょうか。自分で自分が興味のあるものにアクセスして、勉強して、考える機会を持つ。人の人生に触れて新しい扉が開けるということはあるし、今までは知識を得るとか、あるいは人の話を聞くことを面白いと思っていなかった人が、「こんなに面白いんだ」と感じる機会になる。その内容がすごく面白いと思えば、次は他の人に話したくなる。ゲンロンカフェのイベントは、対談や座談会形式がほとんどですが、コメントでコミュニケーションをとるようにしていて、観客も一部に取り込まれて、一緒に考えてもらうことを狙っています。
NWF:その中で、批評する力はキーワードになると思います。そもそも批評することに下地がない状態から、どう培っていけばいいのでしょうか。
上田:自分の意見って、言わないほうが楽だったりもしますよね。意見を言うと責任を負わされたり、煙たがられたりすることもある。世界の出来事は無数にあり、問題意識も人それぞれなので、自分が気にしている問題に関して他者が意見を持っていないことにがっかりする、という場合も少なくない。意見を言っている人でも、それが誰かの受け売りであったりもする。twitterを見ていると、そういう事例は日常茶飯事です。そもそも、何か意見を求められて、自分の意見を論理的にとことん説明することは簡単ではありません。多くの人は、そんな説明が求められるような状況に陥ったことはないのではないか。議論と言っても、慣れないとできるようにはならないでしょう。
例えば、ロシアのウクライナ侵攻に対して、ロシア国内の戦争反対派と賛成派は全く相入れない。親はテレビのプロパガンダに洗脳されていて、実際にウクライナで何が起こっているか全く理解しない。だから議論ができないどころか、話すらできない、という若い人の意見をよく見かけます。こういう状況でお互いに自分の意見を主張しあっても何の助けにもならず、むしろ敵対関係を強めるだけでしょう。私は、そういうときには文学作品や映画など、別の価値観を議論の言語ではないかたちで与えることで、心を開く可能性はあるのではないかと思います。必ずしも、議論ができることが良いという話ではない。
批評というよりも、物事に対して安易な受け売りをしないことは大事だと思います。それをどう伝えていくかというと、受け売りをしていない自分を見せていくしかないと思うんです。
だから、今のアンチロシア報道に関しては、私はできるだけ受け売りをしない発信を心がけています。別の視点の存在や、皆さんはこう言ってるかもしれないけれど、こういう人たちもいるよと、視点をずらして見せていくことしかできない。批判や批評を直截にやっていれば全てが解決するというものではないと思います。
一方で、おっしゃるように今の日本では批評が弱いかどうかですが、批評が褒めるものになったということはあるかもしれません。もちろん、今でも批判的言説を発信し続けている人もいますが、とはいえそれがやりにくいことは確かです。SNSのスピード感で反応が返ってくる時代ですから、仕方ないかもしれない。雑誌などで書かれて、見つけて、読んで、応答するまでに時間がかかった時代には、批判は今よりずいぶんやりやすかったでしょうし、批判された側も、悔しい気持ちの中でも頭を冷やし、咀嚼する時間的余裕があったのではないでしょうか。
文化を育てるための批評の言語というのは、もっと活性化していいと思います。もっとも、Twitterやnoteで、いろんな意見をいうアマチュアの人たちはたくさんいるわけで、実はそれなりに活性化されているのかもしれない。そう考えると、コンテンツに対する批評をやりたい人はめちゃくちゃたくさんいて、みんなそれぞれに自分の力でやっているような気はします。
NWF:面白い時代ですね。公ではできないが、アマチュアが批評をしている。
上田:公でやりにくいのだと思います。さっきも話したことですが、だれもが自分の権利が侵害されることに敏感で、すぐさま主張ができる時代です。実際に権利を主張することは大事だから推奨される。権利の意識は多種多様で、公の立場としてその全部に配慮するのは難題であるかもしれません。
人間関係を営む以上、不愉快なことや暴力はあるものだ
NWF:A piece of PEACE取材の一環で、明治学院大学で平和学を教えている高原孝生先生に話を聞きました。高原先生が平和をどう定義するかというと、「暴力のない状態」とおっしゃいました。暴力とは何かと聞くと、「それを見た第三者が嫌な気持ちになること。それは力の行使だけでなく言葉、システムや制度の暴力もある」と。上田さんのお話を聞いていて、一つの言葉に押し込めたりレッテルを貼ったりすることも暴力かもしれないと思いました。それと、批判することを批判したり、戦いを暴力だと勘違いして議論をふっかけてしまう状態も、平和から遠ざかることなのかなと思いました。
上田:暴力って難しくて、私は暴力を広く定義するのはいいと思うのですが、暴力は完全に避けられるものだと考えるのは違うと思うんです。人や動物が生きている以上、ある程度の暴力はあるはずです。そもそも、ものを食べたりするのも暴力かもしれない。
例えば、人間関係を築いていく過程で、暴力を100%避けることができるかというと、なかなか難しい。人は一人ひとり異なるのだから、相手をある程度自分の考えに当てはめて理解しようとするものでしょう。その過程で誤解も起こるし、傷つくこともある。見えていないとしても、片方が我慢している可能性はあります。そんな中で、お互いに嫌な思いをすることがあっても、それを全て暴力と定義していたら、ケンカどころか、本音を言い合うこともできなくなりますよね。不愉快なことや暴力というのは、普通に人間関係を営んでいればあるものだと考えた方がいいと思います。
戦争に関しても、目の前で戦争が起こっているときに、暴力はいけないと言っても仕方がない。今回のロシアのウクライナ侵攻で何度目かに証明されたのは、人類は戦争をやめないということです。だから、この、ともすれば起きてしまうものを、どうやって何とか阻止する方法を考えなければならない。
実際に今のウクライナ侵攻でも、欧米、それに日本の世論も、ウクライナは不当に侵略された、だから、正義のために勝利すべきで、それまで戦い続けるべきだ、というものだと思います。そして、それはウクライナの意思によるものということになっていますが、全てのウクライナ市民がそう思っているわけではないでしょう。もう戦争は嫌だ、ウォロディミル・ゼレンスキーは嫌だという声も、数は少ないながらもSNSで見かけることがあります。ウクライナは、士気が落ちないよう、かなり情報統制をしていますが、反戦の声を押さえつけるのもやはり暴力と呼べるのではないでしょうか。難しい問題ですが、そうした暴力もあることには自覚的であるべきでしょう。
完全な平和はないと知る
NWF:ゲンロンが考える言論の自由という観点から、平和との関わりをお聞きします。上田さんの考える平和とは何でしょうか?
上田:私はどうしても例えがロシアになってしまいますが、ソ連が崩壊した後に社会がたいへん混乱している時期がありました。無法地帯になり、人々は職業を失い、海外に買い出しに行って道端で売ったり、白タクの運転手をしたりとギリギリのところで生きていた。その時期は犯罪も横行していたけれど、言論の自由はかなりありました。そもそも制御する人がいないから。それで、罵詈雑言が吐かれるポストモダン文学が出てきた。当時の文学を考えると、当時は”ザ・言論の自由”だったと思います。いわゆる卑語(マート)という、Fuck you的な、卑猥な言葉を用いて日常の感情などを表現する言葉も氾濫しました。
そこから社会が落ち着いてくると、少しずつ保守化していって、いわばまともになっていく中で、言論も多少落ち着いていくのですが、その落ち着いた時期に、少しずつ愛国的な言説が力を持っていく。
ロシアの平和な時期というのは、2000年代後半だと思うんです。社会の混乱が少し収まって、市民がそれなりに普通に仕事を持てるようになって、家や子どもの教育のことを考えて、海外旅行に気楽に行けた時期が一番平和だったと思います。とはいえテロはあったから、やっぱり平和ではないのかな……テロが減って2回目のプーチン政権になったときかも? などと考えていると、平和とは果たして何かという気持ちになります。
2003年には、ちょうど演劇の通訳でモスクワに行っていたときに、愛国ミュージカルをやっていた別の劇場がテロリストに占拠され、多数の死者が出るという事件が起こったりもしました。
日本は地下鉄サリン事件など物騒な事件はあったけれど、少なくとも最近までは平和だったように思います。ロシアはチェチェン紛争があったり、その後にシリア紛争の介入があって、2019年あたりからはデモに行ったら拘束されることがあって、ついにウクライナ侵攻が始まったという感じなので、平和に見えていても、実はそうでは無かったのかもしれません。
私はそういう場所をフィールドにしていたので、世界全体が完全に平和な状態はなかなか訪れない気はします。その中でも日本はかなり平和で、それはすごく大事なことだと思います。ロシアに通っていると日本はときにぬるいと感じたりするのですが、ぬるかろうが何だろうが平和なことはすごく大事で、それは日本人として誇っていいところなはずです。今年は安倍首相暗殺事件などで、その平和にも陰りが見えてきた。そこはなんとか平和を保たねばならない。
NWF:ゲンロンは、自分で考える人を増やしたいとおっしゃっていましたが、為政者側の視点で平和を考えると、考えない人が多いほうが平和に近づくというパラドックスがある気もしますね。
上田:ときに”日本は平和ボケ”と言われますね。私は戦争には絶対になってほしくない。ですが、例えば、
NWF:”平和ボケ”状態だけれど、実際には完全な平和はない。ある時、平和ボケから覚める時がくるのかもしれません。
上田:いま自分がいる環境を引き受けるしかないですよね。シンギュラリティの議論などもそうですが、人は理想の状態に到達できる、達成できると思いがちです。でも、今の状況をみても、人類が完全な平和に到達することは、夢のまた夢なのでしょう。
NWF:幼少期から、完全に平和な状態は無いことを知っておいたほうがいいかもしれません。それを認識したうえで、どうするかを考える力が必要ですね。
上田:そうですね。子どもの頃に暴力の耐性を身につけていないと、本当に暴力にあったときに対処できない。だからと言って、暴力をどう教えるかは難しい。ここにはやはり、文学や芸術などの創作が力を発揮するはずです。
最近、WEBゲンロンで、豊田有さんに記事を書いてもらったのですが、豊田さんはタイで猿の研究をしています。ベニガオザルという猿はケンカの仲介をするかたちがいくつかあって、そのうちの一つが、子どもの猿がケンカの最中に出て行くことだそうです。理由は分かっていないけれど、子どもの猿が大人のケンカの”緩衝材”になっているんです。
NWF:大人のケンカモードを、子どもが膝カックンしちゃうんですね。
上田:子どもの猿にとっては、ケンカの塩梅を知る場にもなっている気がします。人間にも、そういうシステムがあった方がいいかもしれません。学校で暴力の話をしないなら、暴力に触れるのは家庭だけになる。きちんと社会で、