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恐怖の連鎖に膝カックン 〜紛争解決請負人 伊勢崎賢治さん取材〜

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AI時代の人間らしさVol.6 〜争い編〜

人間らしさ」とは何なんだろうと考えたとき、「争い」ということも人間を表す一つの要素なのかもしれません。紛争解決請負人として、アフリカやアフガニスタンで武装解除や紛争処理の現場で活動してきた伊勢崎賢治さんに、紛争や戦争の本質について、紛争の現場で何が起こっているか、私たちに何ができるかなどについてお話を伺いました。

<プロフィール>
伊勢崎賢治さん
紛争解決請負人 東京外国語大学総合国際学研究院教授

1957年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インド国立ボンベイ大学大学院に留学中、現地スラム街の住民運動に関わる。2000年3月より、国連東ティモール暫定行政機構上級民政官として、現地コバリマ県の知事を務める。2001年6月より、国連シエラレオネ派遺団の武装解除部長として、武装勢力から武器を取り上げる。2003年2月からは、日本政府特別顧問として、アフガニスタンでの武装解除を担当。現在、東京外国語大学教授。プロのトランペッターとしても活動中。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』、『本当の戦争の話をしよう』など。

「人権教」の反動

Next Wisdom Foundation事務局(以下、事務局):「人間らしさ」とは何なんだろうと考えたとき、「争い」ということも一つの要素ではないかと考えています。伊勢崎さんは著書の中で、人間に恐怖がある限り軍隊を作ってしまう。そうすると軍隊を持たないことはとても難しいとおっしゃっていました。最終的にその連鎖を解く方法の一つとして脱安全保障化(desecuritization)というお話もありましたが、私たち人間になにが可能か、紛争処理の現場で感じたことなども含めてお話を伺いたいです。

伊勢崎賢治(以下、伊勢崎):どういうことが可能かと考えたときに、いま何が起こっていて、これから何が未来を支配しつつあるのか、それを知ることが重要です。国際情勢は、安定することはありません。常に大きな変化を遂げている。今もそうであること。日本は、というと、ちょっと悲劇的です。「日本スゲ〜」の逆のノリで、奇を衒って「日本ダメ〜」と言うつもりはありません。でも、客観的に見て、日本特有の「考えなくて済んできた歴史」があります。アメリカという存在ですね。戦後ずっと、二位の追従を許さない突出した軍事力の庇護下にいた。それが、「アメリカ・ファースト」の極めて内向きな国益追求を隠すこともしない面白い大統領が現れた。日本は、戦後70年間で初めて、自分の足下を見て、考えざるをえない状況になった。

ポリティカル・コレクトネスの最たるものは国際人道主義や人権主義だと思うのです。その反動がいま来ているんでしょうね。地球上のすべての人間は生まれながらにして平等というコンセンサスが広くでき始めたのは、敵味方双方がその民衆を大量に犠牲にした大戦後の1948年の世界人権宣言からですから、そんなに古い議論ではありません。それがどんどん広がってきて、僕も正しいと思っていますが、次第に一つの宗教のように信じる対象になってきました。それは危険なことでもあるのですが、僕もある意味で「人権教」の信者です。

人道主義、人権主義に対する反動は、実はトランプの出現の前から始まっているんですよね。文明の衝突、「イスラム」との戦争という形態で顕在化しはじめた。アフガニスタンのタリバンですね。タリバンは悪いやつだ、女性の権利を剥奪したし、公開処刑もやったし、人権に反することをいろいろやった。アメリカは、人権に基づく新しい社会を作る「正義」ために戦った。そして、一度は勝った。でも、その結果、今どうなっているのか? 戦争は、依然継続し、ISにみられるように世界に拡大してしまった。われわれの「人権主義」に対する攻撃を戦いの口実にするように。

僕も人権主義はいいことだと思って活動していました。僕は10年くらい前にアフリカで開発援助をやっていて、その地の男尊女卑の伝統的な考え方を変えようとしたんですね。ウーマンズ エンパワーメントといって、女性を前に立ててエンパワーして、開発事業をガンガンやっていたわけです。こっちは資金を提供していて、現地社会の男たちは、こちらのやり方に納得しないと事業の恩恵にあずかれないから、仕方なしにやるわけです。いい気になってやっていると、当然、反発を喰らうわけです。それも、当の女性から。われわれ「白人」が、植民地支配のように、土足で踏み込み、伝統・慣習を壊していると。でも、やる。開発援助事業ですから、期待に応えるために成果を出さなきゃいけない。「変えた」という証拠をつくるために、ガンガンやらざるを得ない。

アメリカの戦争もそうでしょう。有権者に無理を言ってはじめた戦争を、大統領は任期中になんとか終わらせなきゃいけない。焦るわけです。考えている暇はない。戦争で打ち負かした社会が二度と問題をつくらないように、そこに人権を根付かせなきゃいけない。じゃないと有権者は納得しない。こんなに犠牲を払って戦争やったのに。

こちらは「正義」のつもりでやっていても逆に現地社会の反発を食らうのですね。どんどん意固地になり、敵となってこちらに挑んでくる。すると、こっちも意固地になって、戦争を継続する。こうして「文明の衝突」になるわけです。

イスラムというと「テロリスト」みたいな脅威のステレオタイプが定着してしまう。でもアメリカのエヴァンジェリカル(福音派)系の保守的なキリスト教徒の方がもっと怖いですよね。アメリカ国内のテロ事件は、こっちの方が多い。衝突する文明は、双方が双方に反応しながら過激になっていくんです。

まさか、この戦争がこんなに続くとは思わなかったです。テロ対策を戦争の形態でね。2001年9.11同時多発テロ、その報復として始まったアフガニスタン戦争は、まだ終わってないですよね。18年ですよ。アメリカ建国史上最長の戦争です。

当時のイラクのフセイン政権がクウェートに侵攻したことがきっかけとなった第一次湾岸戦争は、国連安保理が承認した集団安全保障の措置です。「戦争」ではない。しかし、9.11後のアフガン戦は、国連憲章で保障され、安保理の承認の前にできる、アメリカの個別的自衛権の行使で始まった。日本人はアメリカがやることは全て「戦争」だと短絡するけど、これは日本人が九条でもできると考えている「個別的自衛権」が開戦の口実だったのです。

防犯が戦争になっている

事務局:戦争と戦争の合間のことを平和というのかもしれませんね、終わりがなさそうな気がします。

伊勢崎:そう、そこが認識されていないですよね。今は「防犯」と戦争がリンクしてしまっているんです。昔は、テロリズムは警察マターでした。テロ犯が海外に逃亡したらインターポールの警察間協力で対処していたものが、今は「戦争」になったわけです。それが2001年の同時多発テロが歴史的に重要な点です。最近でも、パリでテロ事件がありました。シリアのISが犯行声明を出しましたが、実際にはフランス国内のテロ事件で、犯人もイスラム系のフランス人でした。しかし、それを理由にシリアへ空爆をするわけです。国連憲章に基づいて、個別的自衛権の行使としてね。

技術もそうです。ドローンの軍事利用は既に始まっています。顔の認証技術は、防犯技術として、これからも発達してゆくでしょう。それを搭載したロボット技術も、です。犯人をどこまでも追跡してゆく。防犯は良いことですよね。でも戦争は悪いこと。でも、防犯技術は、そのまま戦争に転用されてゆきます。

AIについても果たしてどこまで軍事転用されるのか。人間以外のものが自分で判断して人間を殺す。完全自律型兵器ですね。ある兵器について、その兵器が使われる前に、それを見越して、それを制限するために、国際条約の必要性を議論するのは、人類、初めてですよ。今までは、兵器の規制は、全て、それが使われた後の議論だったのです。

例えば、ある強力な新兵器が開発され実戦に使われたとします。でも、それはあまりにも残酷に殺傷するから、この次に戦う時には使うのをやめようと合意する。細菌兵器や化学兵器、最近では対人地雷がそうです。それが今までの国際条約だったんだけれども、AI兵器はまだ出現していません。ドローンは実際に人を殺していますが、それでさえ、まだ確固とした国際条約はできていません。AI兵器はまだ人を殺してないけど、その規制を議論している。使われたらおしまいだと、みんな分かっているからです。

殺すべき人間をより正確に殺せるという話はドローンでも言われています。敵の戦闘員を一般民衆としっかり識別して、民衆の被害を極力なくすというのが、人類が古くから戦いの流儀として国際条約で合意してきたことなので、それに長けたロボットの開発を、というふうになってしまうのですね。これに、AIを使うとどうなるのか。どんなに正確でも、誤射、誤爆はあるでしょう。ネットワークが故障して暴走してしまったら? 国際法は、国際条約違反を「戦争犯罪」として裁くことを要求しますが、責任の所在は? メーカー?

ドローンだったら、まだ攻撃のボタンを押すのは人間ですが、完全自律型は自分で判断して撃つ。さらにその先も心配されていて、AIが戦争計画そのものをやる。小さな武力衝突があったとして、即座に敵の総合戦力と次の戦術を予想して、攻撃を始める。その先は、核のボタン? ターミネーターの世界ですね。

なぜ国家が軍拡に走るかというと、恐怖があるからです。いや、国家そのもののカタチは、国民の外敵に対する恐怖があってはじめて成り立つ。それは敵国も同じ。だから、お互いがお互いを怖がり、天井のない軍拡に走る。これが「安全保障のジレンマ」です。人間が怖がり、それを国家が利用するからいけないわけで、だったらロボットやAIに任せれば、少しは冷静になれるんじゃないかという議論もあるわけで。

核兵器なんか、実際に一度使われても、その後もどんどん開発されて配備されて、昨年やっと核兵器禁止条約が成立したんだけど、核保有国の誰も批准していないから、まだ条約に実効力が備わっていない。核兵器といっても、最初の一発で敵国を一瞬に全滅できるわけもなく、発射された時点で探知され敵も撃つだろうから、甚大な被害を双方が被る。これがMAD: Mutual Assured Destruction、どちらかが先制しても結果お互いが全滅するっていう確証、本当にマッドなものなんだけど、人類は依然、「オレは核弾頭をこれだけ持っている。敵より優位」と、使わないのに安全保障のジレンマで“帳簿上”の競争をやっている。経済を含む地球上の覇権をこれで握れるという狂想の中に僕らはいるわけですよね。

今、敵味方双方が、アソコが縮み上がるほど心配しているのが、そうやって国家が積み上げた「核」が、もし「国家以外」の非合法集団に流出したら? ってことなんですね。ソ連崩壊後、管理の甘くなった「核」が流出して、世界は最初にこの恐怖を味わったし、2001年9.11後、そしてISの出現後は過激組織が用意周到に核施設への潜入を計画していたことが分かり、恐怖は頂点に達しました。テロ組織は、別に核弾頭を盗んでロケット技術を習得して発射させることは考えないわけで、ただ核汚染物質を盗み出して、それを街中に運んで、安価な通常爆弾で破裂させるだけで、核兵器攻撃と同じ効果を狙うわけですから。

「核兵器デクノボウ論」っていうのがあって、国家は、それが保有する核兵器を実際使わないと分かっている。でも、これを言ってしまうと、もともと兵器って「使うぞ!」っていうホンキが敵に伝わって初めて抑止力となるのだから、「帳簿戦争」に意味がなくなってしまう。関連産業も儲からない。もう一つ、ノーベル平和賞を受賞した反核兵器の市民運動たちも困ってしまう。彼らは、国家が核兵器が使うという前提で、その恐怖を訴えて運動をやっているのですから。核兵器デクノボウ論は、みんなが困っちゃう「不都合な真実」なんですよね。もう、なにがなんだか、でしょ(笑)?

権力には「膝カックン」で

事務局:これからの時代、平和という定義はどうなるのでしょうか。

伊勢崎:戦争と戦争の間が平和っていう言い回しがありますが、もう古い。平和というの、もうやめた方がいいですね。防犯と戦争が限りなく接近しているのですから、毎日の日常が戦争だと考える時代だと思います。突き詰めて考えると、戦争をやめたかったら防犯をやめろという話になってくる。まあ、家に鍵かけなくていい状況をつくらなきゃという話ですね。こういう例え話をすると、国際関係と家の戸締りを一緒にするなっていう専門家がいらっしゃいますが、敢えて申し上げますが、そういう方々は現実を知らない。国際紛争の根源は同じ。全て、人間が感じる恐怖です。国民が怖がらなかったら、国家は必要ない。

事務局:戦争をなくすには恐怖をなくすしかない、ということでしょうか?

伊勢崎:はい。しかし恐怖は無くなりません(笑)。人間は、例えば自然への恐れを認識し、一度経験した天災の被害を予見して、その対策をすることで「技術」を発展させてきましたし、団結して立ち向かう組織論を身につけてきました。恐怖があったからこそ人間は生き残っているわけです。でも、過剰な恐怖、特に戦争につながる恐怖の「政治利用」をどう毒消ししていくか。それですね。戦争をなくしたいという良識が考えなければならないのは。

日本学術会議の人たちと話をする機会も多いのですが、科学技術を戦争に転用しないという声明を出しています。僕もそれに賛同します。でも、皆さん、分かっているわけです。「戦争に転用されない技術なんてない」ということを。それでも、そういうことを言い続けることが大切なわけです。

事務局:理想だとわかっていても、言い続けることが重要なんですね。

伊勢崎:それしかないですよね。人権も、それを押し付けることによって引き起こされるダメージを意識しながら、言い続けるしかない。でも、ただ言い続ければいいのか?

そのあたりはこの頃、限界を感じはじめています。だいたい、僕を含めて、そういう「言い続ける人たち」って、セクシーじゃないんですよね(笑)。インテリぶった年寄りが眉間に皺寄せて論文を書いても、声明を出しても、ウケない。何の影響力もない。「表現」ですよね。「伝えたいことと、伝わることは、違う」という前提に立って、表現の方法を考えなきゃ意味ない。

ロールモデルとして僕が敬愛しているのは、日本の芸人さんたちの動きです。特にウーマンラッシュアワーの村本大輔さんなんか良いですよね。注目しています。彼が地上波テレビの他に地道にやっていることは、社会風刺や政治批判をネタに喋りまくるスタンダップコメディなんですね。社会風刺。恐怖を政治利用する権力を徹底的にからかう。眉間に皺寄せてじゃなく、権力を熱狂的に支持する大衆を「膝カックン」させるようなウイットを込めて。

僕みたいなのがいくら難しい文章を書いたって、表現者には敵いません。でもね、社会性がいくらあるからといっても「芸」のレベルが低かったらダメ。村本さんのように、その道でもスゴイから、意味がある。社会性に依存する表現じゃダメです。東日本大震災の後に、やたらに「絆」を入れ込んだシンガーソングライターや音楽家が現れましたが、ああいうの、最悪(笑)。

昔、僕は画家を目指していて、それから建築家になろうとしたんですが、若気のいたりで悩み、インドに渡りました。インドにはアーメダバードというコルビジェの建築が残っている都市があるのですが、アートも非常に盛んです。そこで、ある現代美術の画家と知り合いになって、よく議論をしました。僕は当時22歳くらい、彼はそこの大学の美術科で教えている教授で50歳を過ぎていました。僕は貧民街のスラムでなんとか建築を活かそうとしていて、芸術性と、社会の底辺の人たちを救うという社会性の間をフラフラしていたのですね。社会的なメッセージと芸術性について彼とすごく議論したんです。

インドの社会問題にも鋭い視点を持つ彼にきつく言われたのは、芸術家としての鍛錬をしないまま、モノにならないからといって社会性にいくのはダメだと。どちらも極めなければ大衆には響かないと。その時の議論は今でも僕の中のベースになっています。

この議論を一生引きずっていきたいですね。戦争を含む社会問題に対して、その筋の専門家と言われる人たちが気づかないことだけを鋭くプレゼンしたいし、同時に、元気のある表現者の中に常にいたいなと思っています。僕自身、ジャズトランペッターとしてプロ活動していますが、村本さんとのコラボもやっているのですよ。まず、表現者としての僕を研鑽したい。

最近は演劇役者や演出家、いろんな元気のある表現者たちと交流しています。彼らは当然僕より若いんですが、彼らと話していると全然年齢差を感じないんです。まあ、僕も20代から国際機関でいきなり管理職になって年齢差が問題にならない組織文化でずっと過ごし、その意味で“日本的”でないかもしれませんが、彼ら表現者は、まさにそう。すごく生意気でセクシー。

権力もまた表現者を使う。ナチスの時にヒトラーに寵愛されたレニ・リーフェンシュタールなんかその代表ですね。権力は金を持っているから、その表現にも金をかけられる。最初から勝負にならないように見えますが、だから金をかけない「膝カックン」が必要なのです。

溶ける国境

事務局:国家間の対立や争いはどうでしょうか?

伊勢崎:国家ってのは「国境」ですよね。大昔は、そんなものはなかったわけです。難民や移民が国際問題になっていますが、国境がなかったら、難民や移民という概念さえなくなるわけです。国家というのは、憲法を含む独自の閉じた法体系を持つ小宇宙です。それに対して、国際条約や国際法は、そういう小宇宙同士の共通規範を作ることで、今までそうであったように、これからもどんどん進むはずです。

インターネットの発達により地球の裏側の市民の発信が瞬時に耳に目に入ってくる。世界で発生する「事実」の可視化はどんどん進み、「オルタナティブ・ファクト」という問題を孕みながら、そして既に述べた文明の衝突という問題を孕みながら、「人権主義」もどんどん爆走するでしょう。

このような流れが変わることはないでしょう。人権主義もそうですが、「イスラム国」も、既存の国家を超える「統治」の概念です。その拡大を、安価に手に入る技術がより可能にしてゆく。ドローンを始めロボット兵器が「非国家」にも簡単に手に入る商品となる。国家という最強のはずだった安全保障の主体に非国家が簡単に対抗できちゃう。だから、自由に国家を超えて行き来するそれらを「規制」することを、悪あがきでも、やらなきゃならない。それが、そういう国際条約は国際法ですね。国家間の対立や争いは、完全になくなることはありませんが、影が薄くなってゆくことは確かだと思います。

その一方で、人権主義がなぜ必要になるかというと、人権を蹂躙する社会問題があるからです。同じように、なぜ「イスラム国」をある集団が希求するかというと、そうさせる社会問題への不満grievanceがあるからですね。だから、「なぜ?」という姿勢で、その問題の根源に注意を払い対処する努力も必要です。その一つは、やはり「資源」とその流れでしょう。情報インフラで世界の「事実」の可視化は、この分野は進んでいません。なぜかというと、流通にブラック・ボックスができてしまっているからです。

例えば、日本人が消費するほとんど全てのレアメタルは中国から入ってきている。その先は、アフリカ大陸ですが、私たち日本の消費者は、中国しか意識しない。中国に入る前のその先で、どういうふうにその資源が採掘され、そこで働く人々や社会はどうなっているのかなんて意識さえしません。そういうところで、搾取によるgrievanceが溜め込まれて、いつか内戦化し、非合法な非国家なものの温床になってゆく。

日本は悲劇的に遅れていますが、欧米では、そういう「紛争資源」の規制について、まず消費者運動が起こり、政府やEUを動かし立法化する動きが既にあります。これに実行力を持たせるには、まだまだですが。

同時にブロックチェーンのような技術が出てきて、私たち消費者と採掘者・生産者が直にコミュニケートして取引できるようになり、間に存在して不当なマージンを貪ってきた銀行を含む中間業者を排除してゆく。これ、すごく期待できますね。

カシミアでカシミール問題を知る

伊勢崎:可視化されない人権侵害も、まだあります。僕がずっと関わってきたインドのカシミールというところで起きているムスリムへの弾圧です。モディ政権というヒンドゥー至上主義の宗教組織がバックボーンの政権ができて、憲法のある条文が廃止されてしまったのです。インド憲法の中ではカシミールに高度の自治を認める憲法条文があったのですが、それを正当な改憲手続きを経ず日本流でいう「閣議決定」で無くしてしまったんです。安倍政権の悪行どころの騒ぎじゃないですよ。憲法条文ですからね。

インドは日本以上に立憲主義を大切にする国です。日本みたいに占領統治の間にできたものじゃなく、完全独立後に自分達だけでゼロから作った憲法ですからね。後の、必要に応じた「改正」についても、立憲主義に基づいた法的な手続きを本当に重んじる国です。日本みたいに、だらだらと惰性で、問題を放置するようなことは絶対にしません。だから世界中が驚いたわけです。インドの中でも賛否の世論がくっきり割れています。ヒンドゥー教徒は人口の8割を占めますが。

カシミールのムスリムたちは、印パ戦争の相手パキスタンと隣接しているということで、敵国のスパイ扱いされ、ずっと弾圧されてきました。インド政府は、国軍の実に半分以上をここに常駐させパキスタンと常に緊張状態にあるのですが、独立以来、憲法で保障された自治で何とかムスリムたちを力で統治してきました。

でも、この強権的で非立憲主義的なやり方の自治権の剥奪で、ムスリム、特に若者たちは、民主主義という正規な手続きで正義を訴えるという希望を完全に喪失しつつあります。するとどうなるか? もう暴力に訴えるしかありません。するとそれをさらにインド政府は力で制圧する。それで双方がどんどんエスカレートしてゆく。

モディ政権は、「アラブの春」以来定番になったSNSソーシャルメディアを駆使する若者の蜂起がいかにスゴイかちゃんと見ていますので、現在カシミールに対してやっていることは情報の完全封鎖。インターネットを徹底的に制限することに加え、ジャーナリストの行き来も、です。ブラック・ボックスですね。

問題は、外にいる私たちが迂闊に動けないことです。私たちが騒げば、中の活動家が殺されてしまう。昨年、懇意にしていた現地ジャーナリストの一人が、そうやって暗殺されました。誰がやったか、真相究明はいまだされていません。

人権侵害は可視化すればいいのですけど、ただ情報を発信したんじゃ、殺される。安全地帯にいる私たちじゃない人たちが。じゃあ、どうすればいいのか?

まだ試行錯誤の状態で小規模ですが、僕は新しいプロジェクトを始めました。日本人はカシミアなら何となく聞いたことがあるかもしれませんが、カシミールがどこにあるかなんて知らないでしょう。だから、まず「カシミール」を知ってもらうってことが大切。

それは、カシミアのショールの織り手と日本の消費者を繋ぐ。つまり、現地の織り手の一人一人の女性たち…旦那さんがインドの治安当局に拘束拉致され行方不明という“半”未亡人、通称ハーフ・ウィドーが多いのですが…とその製品を買う一人一人の消費者が、織を始める時からショールが完成するまで繋がり交流してもらう。こういうプロジェクトです。

僕らが人権侵害の情報を発信するんじゃなくて、何が起こっているのかを消費者が自分たちで知ろうとするきっかけをつくる。このプロジェクトの本質は人権侵害の告発ですが、それを見せないやり方でやる、という。フェアトレードを基本理念にした経済流通ですね。人権侵害に対抗する一つのあり方かなと思っています。

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