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『暦の本質』時間は人間の内側にあるもの(ゲスト:『地球暦』考案者・杉山開知さん)

EVENT

人間らしさ〜人と社会をつなぐもの、時空の共通認識としての暦の本質〜

「人間らしさ」とはなんでしょうか?

Next Wisdom Foundationでは、昨年度「AIが社会基盤になるからこそ必要な叡智は何か?」をテーマに探求し、議論の場を作ってきました。その結果、私たちが次に浮かんだ疑問は、いったい人間とはなんなのか? ということでした。

今年は、それをテーマに”人間らしさをかたちづくるもの”を探していきます。きっとそれは人類の叡智とも言えるのではないか、という仮説のもとで……。

今回は、「季節を感じること」「地球全体や宇宙に思いを馳せる」行動自体が人間らしさではないかと考え、『地球暦』を考案した杉山開知さんをゲストに迎えて、暦の意味やその歴史、自然との関係と私たちの生活についてお話しいただきました。

【ゲスト】
杉山開知さん

1977年静岡生まれ。独学で世界の暦の研究をはじめ、2007年に地球規模で時を捉えることのできる太陽系時空間地図 地球暦、HELIO COMPASSを考案。日本暦学会会員、カレンダー文化振興協会会員、日本日時計の会会員。http://heliostera.com/

人間だけが、暦という独自の物差しを持っている

僕は静岡県出身で、今は静岡で暮らしていますが、20代前半は東京の『ドミノ・ピザ』で働いていました。ドミノ・ピザ……皆さん一度は食べたことがあるのでは? ドミノ・ピザは、何をするにもすごい分厚いマニュアルがあって、その膨大な仕組みの中で、ピザを焼いて届けるんですね。僕の20代前半は、ずっとピザ・ピザ・ピザ! という生活をしていました。それから静岡に戻ってきて、実家の畑を手伝うことにしたんです。

畑仕事をはじめる前は、別に誰にもやり方を教わらなくてもいいという感覚でいたんですが、いざ自然の中に入っていたら、何をしたらいいかわからなくなった。ドミノ・ピザでは秒刻みでやることが決まっているという世界にいて、そこからいざ自然の中に入ったら、どうすればいいかわからない! それで最初は、このくらいの面積の畑を耕すには、このくらいの時間が必要、とか考えていたんです。でも、ふと立ち止まってみたら、そういうことを考えているのは人間だけかもしれないって気がついた。蟻も鳥も、そんなことは考えていないですよね。僕は山に腰掛けて、街並みを見渡した時に、人間だけがなぜ暦という独自の物差しと測りを持って、この世界を作っているのかと不思議に感じたんです。

“時間”は本来、人の内側にあるもの

人間はすごい知的生命体なのに、なぜこんな単一な物差しだけを使って、独自の世界を作り上げているのか? 鳥には鳥の時間があり、魚には魚の時間があり、菌には菌の時間がある。菌なんて、一生が20〜30分ですよ。一方で、鉱物は数万年という一生がある。それぞれのスケールがあるなかで、人だけが一つの物差しで動いている。時間は、本当は自分たちの内側にあるんです。でも、僕たちは時間を外側にあるものだと思っていて、それに合わせて働いています。

確かに暦や時計というものは、人と人をつなぐ社会の共通認識という点で非常に有効です。しかし、それを僕たちが気持ちいい、心地いいと思っているのか? いま使っている暦や時計が、生態系や生物の時間と調和しているかを考えると、根本にある時空間の認識がスコーンと抜けたままなのではないか。

みんな「時間がない」というけれど、時間ってあるものなのか? 人の一生の長さはだいたい決まっていますよね。人生80年だとしたら30,000日くらいで、月にしたら1,000ヶ月。1,000ページの物語というのは、けっこう想像がつきませんか? その物語を1ページずつめくっていく、そういう中で、“生きている”という実感がある。でも、カレンダーは予定を書き込んで、その日が過ぎたらビリっと破って捨てているんですよね。もしも、本当にカレンダーが生きた証として自分の時間がしたためられているとしたら……丁寧に折りたたんで、神棚か仏壇に置く世界ですよ。それで僕は、カレンダーそのものの構造に着目したんです。

まず疑問に思ったのは、今の西暦の内部構造。僕たちは、改めて西暦の使い方なんて習ったことがないですよね。子どもの頃から西暦も時計もあるものとして考えている。

なぜ、左から右に数字をたどるのか? なぜ7の周期で切るのか? なぜ30や31という変則的な枠組みを元旦というスタートラインでカウントすることが社会的なルールになっているのか? 僕たちは分かっていなんです。

日付は、人間が便宜的につけた整理番号

現代社会は、みんな急いでいますよね。その“追われている気持ち”はどこから来るのか? 動物は何に対して一番不安に思うかというと、自分の存在している位置がわからない時です。今日帰る場所がわからなかったら、すごく不安ですよね? カーナビも、目的地が指し示されているより、現在地が表示されていることに安心感を覚えるんです。

動物は、自身の立ち位置がはっきりわかっているんです。蟻も植物もレシーバーを持っていて、自分が動いていることと地球を連動させている。例えば、春分になると一斉に花が咲くというように、地球がこの位置になった時に自身がオンタイムでタイミングを合わせることで地球の力を借りている。動植物は地球の一部分として動いて、地球と一緒に生きる営みがベースにあるんです。

でも、僕たち人間は、時間や時計を外に置いて、それで測っている。しかし、動物として、本当は自分はどこにいるのか不安なんです。だからこそ、今日は何月何日なのか、今は何時何分なのか気にする。便宜的につけた日付という整理番号としての数字があるだけの話で、数字を追いかけているってことが、一つのマジックなんです。本当は数字ではなく、地球の位置を知りたいわけです。年は1年の公転の動きの中での位置を知りたい、月は月の一巡りの位置を知りたい、日は地球の自転の位置を知りたい……つまり、太陽・月・地球、この三位一体の球の位置と方向性を知るということが、暦のそもそものコンセプトなんです。それを日付に置き換えて単純な数字にして、カウンティングマシーンとして捉えている。それが、全ての経済活動と紐づけられていて、今のシステムが成り立っている。

例えば、なぜ僕たちは春にとても忙しくなるのか? なぜ3月締め4月始まりなのか? それは、もともと春分を起点にして、年度が変わって、上半期が始まっているから。桜が咲く頃になると、なぜか始まりの気持ちを感じる。これはもう太陽信仰をずっと続けてきたDNAです。なぜ、中途半端な夏至のタイミングで株主総会が行われるのかというと、光が満ち溢れた時に私たちはこういったことに取り組みますという宣言をするためにやっているわけです。暦の世界って、考えて作るのは後付けなんです。むしろ、感じている。ブルースリーじゃないですけど、“考えるな、感じろ”の世界です(笑)。

経済活動も、生き物の一つだ

宇宙から見て、地球を一つの生き物として捉えてみると、僕たちの経済活動も一つの生き物だと考えられます。宮沢賢治の言葉で、「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある(農民芸術概論)」という言葉があります。僕はこれをすごく意識していて、いま、確実にそういう段階に来ていると思う。生き物として人間を見るときに、改めて、時の物差しや測りはアップデートされると思っています。

そもそも、これらはアップデートされてきた歴史があるんです。カレンダーは146年くらいしか使っていなくて、その前には、日本は暦を9回アップデートしたんです。中国は40回以上。実は暦というのは社会のオペレーションシステムなんです。だから僕たちの暮らし方や生き方が変われば、OSも新しくなって当然です。改暦は英語でCalendar Reformって言うんですよ、暦をリフォームするんです。

時間というのは、丸と四角のこと

僕は、人類は遅かれ早かれ、言語が違っても、国が違っても、“今ここにいる”ということを一つの視点で見る時がくるのだろうと思ったんです。その時に、今のカレンダーや時計のもっと先に、どういう状況があるのか考えた。地球があって、70億の人がそこにいて、ひとりひとりが80年とか100年生きていて、その間にどのくらいの食べ物を食べて、水を飲むのか? そのためにどのくらいの土地があるのか? 地球全体で考えたときに、地球暦だなと思ったんです。

最初は、西暦の仕組みを変えることを考えていたのですが、仕組みをいくら突き詰めても答えが出てこなかった。それで、たまたまテレビ番組で、チチェン・イッツァという階段式のピラミッドを作っている部族の人たちがいることを知った。シャーマンがいて、そのコミュニティの中で“デイキーパー”だとテレビに映っていた。デイキーパーはカレンダーも時計も持っていない状況で、最大10万年くらいの時間を体感しているという。僕たちはこんなに測っているのに、来年のことすらわかっていない……この差は一体なんだと思って、会いに行ったんです。

それから4〜5年、行ったり来たりしてカレンダーって何ですか? 時間って何ですか? って長老に聞くんだけど、まあー答えてくれないんです。“時間っていうのは、丸と四角のことだよ”、“カレンダーっていうのは、丸と四角のことだよ”って言うわけです。ここまで来て、禅の問答ですかって(笑)。

サイクルっていうのは、昼があって夜があって、夏があって、冬があって。生きていて、死んで、君の手の中にあるんだよって聞いて、僕にはそれがすごくしっくりきた。そこからは“丸って何ですか?”、“四角って何ですか?”って聞いていった。いつも、すごく答えはシンプルだったし、クリティカルで、たくさんのメソッドを習うよりもしっくりきたの。

丸というのは、動いているってことだよ。動き・ムーブメント。四角っていうのは、測ること。ムーブメントをメジャーすること、これが時間であり、暦の正体だというわけです。そのあとは、ひたすら耳にタコができるほど、“ムーブメントアンドメジャー”! ムーブメントをメジャーすること、メジャーしたものをムーブメントさせること。結局、僕たちがやっていることってそこですよね。ムーブメントを作って、メジャーして、メジャーしたものからまたムーブメントを起こしていくっていうこと。そのムーブメントをメジャーするってことはある意味、俯瞰した立場にいるってことで、観察者側の視点を持っている。その、感じる・察するという目に見えない観察こそが、暦の一番重要な感覚なんです。

ムーブメントをメジャーして、観察する視点に、彼らは神を見ていたんです。彼らの信仰の対象は、キリストやブッタみたいに形のある人とか物では無くて、丸と四角そのものを信仰していたんです。それを何世代にも渡って継承していて、文字は持たなかった。複雑な伝承を伝えようとしても、伝言ゲームは必ず解釈が変わるから、あえて文字で表現することをせずに、丸と四角に全てを紐づけていった。丸と言えば女性、男子は四角。丸は右脳で、四角は左脳。陰陽二元性みたいなものを、全て丸と四角に入れていって、そこからピラミッドのような建築も全て丸と四角から組み立てていった。お金は丸いコインで流通させて、四角い紙幣で貯めていく。基本的に世界は、丸と四角の概念で出来上がっているんです。

彼らは丸と四角を信仰の対象に対して、祈るんです。何を祈るかというと、記憶を思い出す許可を与えてくださいと、ひたすら祈っていた。記憶を思い出す許可を与えてください、あなたの記憶の中に入ってそれを理解するための許可を与えてくださいと。記憶を思い出すことが非常に重要だと考えていたんです。そもそもは記憶の中にあって、数世代まで遡ると数万人の記憶になっていく。それが全部つながっていて、その記憶から引っ張ってこられるように、丸と四角を対象として据えていたんです。カレンダーもその概念から出来上がっている。

物事を始めるときに、二至二分という四分割視点を取り入れる

地球暦は、宇宙を人間の身体尺に基づいて形にして、意匠化した時にどういうスケールが一番心地よいのかを考えた型なんです。

春分・夏至・秋分・冬至という二十四節気がありますが、地球暦では真下が冬至です。ここが北半球で最も光がない。逆に、真上が夏至。至るという字はピークに至っている、ということなので、夏至は光の量がピークに至っていると。縦軸は光のボリュームです。上にいくほど光が満ちて、下にいくほど、光がなくなる。そのことによって、上は暖かく、下は冷たく寒い。上は湿っていて雨季、下は乾いていて乾季。そのピークが見えると、今度はそれをバランスする春分・秋分という“分ける”字が出てくる。英語ではequinox、それはイコールが語源になっているからです。

この地球暦は、春分からスタートします。なぜ春分からスタートするかというと、地球は赤道があって、夏は北半球に光が当たる、冬は南半球に光が当たる。春分は、太陽の光が地球の赤道の真中心に向かって当たるんです。つまり、球のセンターにくる、北半球と南半球に当たる光の量が同じです。ここで、北と南の季節感はスイッチングするんです。日が当たっている面と、日が陰っている面が同時にあって、お日様とお月様のバランスがちょうど12時間で等分されるわけです。

春分のご来光は真東です。そこに合わせているのが、ピラミッドの形であり、スフィンクスは真東を向いている。なぜ猫を置いているかというと、猫は夜も目が利くから。モアイもすべて真西に向いている。アブ・シンベル神殿もそうだし、基本的には日本の神社仏閣も東に向けるか西に向けるかがセオリーです。その位置で、年度をスタートさせるということで、上半分を上半期と言います。下半分は下半期。

この二至二分という四分割視点が、もっとも重要な光のバランスを指し示しています。何か物事を始めるなら、この4点をセレクトする。だから多くの社会システムは、ここからスタートしていくんです。なぜかというと、自分がやっていることと地球がやっていることを紐付けられるから。ここからスタートすることで、“1周年”というその言葉の意味そのものになるんです。

斜め45度には、“立つ”という字が出てきます。立春・立夏・立秋・立冬は、季節を立ち上げているのと同時に、前の季節のピークということです。ここは非常に重要で、季節が変わるところです。着るものが変わる、食べるものが変わる、部屋のレイアウトや体調が変わる、人間の生命活動……略して、生活が大きく変化するのがここです。その中で最も経済活動が盛り上がるのが立夏・立冬のラインです。人が夏の気配を感じて、半袖になるころと、冬の気配を感じて冬支度のモードに入るときに、経済活動はピークになります。

旧暦の意味

立春付近の新月からスタートして季節を測るというところで、旧暦が役立ちます。

立春付近で、太陽と月の仕組みを結びつけることから、睦月という名前がついています。そして、春の真ん中の仲春を迎えるとき、春の“キ”がさらに来ているから如月。晩春になって、いよいよ“栄える”弥生。夏に向かって、身もここころも卯月(うづき)はじめてくる卯月。早乙女・五月雨というように、神様に豊作を祈り、稲を表現する皐月。水が無くなるほど水を使う、水無月。秋になって文月、葉が色づき始めるころに葉月、夜のほうが長くなり始めると長月。そしてまた冬に入って、神様に感謝する神無月、霜が降りて農業が終了する霜月、師走は全てを尽くすということ。

江戸時代はこれを基準に過ごしていたので、今日は満月だから港はすごく潤っているなとか、月を見て生活をしていたんです。女性の体内周期というのは、基本的には新月・満月に揃ってくるようになっています。なので、新月・満月は休んで、そこにお祭りがある。この太陽と月の仕組みの二本立てが日本の暦の原型です。それを踏まえた上で、太陽系を時空間の地図にしているのが、地球暦です。

<MON-DO 問答>

問1)
暦というものと人間のことについて質問です。今日お話を聞いていて興味深かったのは、人間らしさについて。人は位置を知りたくなるというお話がありました。人間には、狩猟時代と農耕時代という大きなカルチャーシフトがあったと思うのですが、農耕の前の人類と暦の関係性で、私たちと同じように位置を知りたがっていた痕跡が何か残されているのかどうか? ずっと昔から、人は時間というのを認識しようとしていたと思いますか? もしご見識があればお聞きしたいです。

回答)
今というのを感じながら生きている、という点では同じだと思います。狩猟採集をしていたときには、完全に生態系、生物時間っていうものの中に身を置いて、それを軸に測っていたと思います。

本当のナチュラルな生態系、生物時間と、その後に意図して作った社会時間があり、僕たちは後者を無意識に使い続けている。僕は、本当は意図して使うべきだと思うのですが……今はいろんなものが機械化していて、どんどん生産していく流れがある。でも本当は、上がったり下がったりして、もっと自然に即していくために時空のあり方も見直していいのではないかと思います。そういうところでは、地球暦は架け橋になれるかもしれません。

問2)
狩猟採集の時代を今の感覚で捉えているとわかりづらいのですが、その時代は、1日というのは重要な感覚だったのでしょうか?

回答)
そうですね。1日というのは、絶対的に重要です。朝昼晩という1日があって、活動休息というリズムで1年を捉えて、そこから一生を捉える。基本単位は1日だと思っています。

問3)
地球暦と曼陀羅は、何か関連性があるのでしょうか?

回答)
あるでしょうね。中心があり、円があり、放射状で回転していて、それを図として配している。曼陀羅自体は、一つの憑代ですから、それを図案として、自分がイメージとしてここに描いた。

そういう意味では、地球暦も似たようなものです。壁にポスターとして貼ってある状態から、そこに宇宙を投影して自分の生きている実感をそこに得たときに初めて発動する。

地球暦は太陽を抜いてあるんです。太陽は中心にあって、すごく象徴的ですから、あえて達磨に目が入っていない状態にしている。地球暦が曼陀羅だとしたら、最後の一点、あなたが太陽になることで初めてこれが機能する。そういう意味では、曼陀羅とは繋がると思います。

問4)
なぜ1年は365日なのに、円は360度なのでしょうか?

 回答)
360は深いです。まず、割りやすいでしょう。約数が多い。我々が使っている数の中のほとんどで割れるというのが、わかりやすいですね。

さらに、地球の1年の公転日数と近似しているという事実があります。先人類は、360にプラス5をすると1年になると考えていたんです。僕はその考えを聞きにメキシコに行ったのですが、太陰暦は12ヶ月で、29.5日のお月様が12回一巡りしていくと、だいたい354,355に収まるんです。だから、360というのは、プラス5で太陽暦、マイナス5で太陰暦になる。そして、この360度の地平線を全く何もないところで、人間が測った場合、指先が1度に相当していくんです。人間はそんな風に暦を測っていたんですね。

問5)
以前、天地明察をオススメの映画とおっしゃっていましたが、暦関連でオススメの本はありますか?

回答)
暦はファンタジーだと思っています。社会的に使っているけれど、人間だけが独自に作っているというところでは、人間が持っている一つのSFだと思うんです。そういう意味ですごく示唆しているのは、ミヒャエル・エンデだと思っています。ネバーエンディングストーリーの『はてしない物語』もそうだし、『モモ』もそうですね。すごく時間の本質をついていると思います。

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