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Next Wisdom Foundationは、発足して5期目を迎えました。今まで私たちは、「これから必要な叡智とは何か」をテーマにイベントを開催し、皆さんと学んできました。今後、さらに叡智の探求を深めるために、Next Wisdom Foundation事務局で、理事・評議員が現在地で考えていること、見ている未来をリレーインタビューする『理事・評議員の今!』を連載しています。3回目は、京都造形芸術大学教授・Earth Literacy Program代表 竹村真一さんに話を聞きました。
現場からの学びは、大きくて深い
Next Wisdom Foundation事務局(以下、事務局):竹村先生は、2014年から“地球目線”で未来を考える実験空間として、『触れる地球ミュージアム』を開設されています。今日は、六本木ヒルズで期間限定開催(2018.7.13~9.2)された『海の地球ミュージアム2018』で話をお伺いしました。
竹村真一(以下、竹村):触れる地球ミュージアムも、海の地球ミュージアムも、企画立案から僕が手がけています。(事務局メンバーを見て)事務局の皆さんには、いろいろやり過ぎるなと言われますが(笑)、人任せにしていたら開かない扉もありますから。
またトークショーの企画や人選・司会もすべて自分でやります。そうした対話から発見することも多い。たとえば、これは僕もひっくり返るほど驚きましたが、美ら海水族館のサメの研究者によると、マンタやジンベイザメなどは体内で卵を孵して、赤ちゃんの形で産み落とす。ホオジロザメなどは子宮のなかで赤ちゃんに乳まであげて育てて産むそうです。魚類なのに、子宮のなかで乳をあげるという人間にもできないことをやっている。こうした生物学の常識を覆すような新発見の多くは、世界で初めてジンベエザメなどを水族館内で飼育して繁殖に成功したから分かったことが多いそうです。今まで当たり前だと捉えていた進化論や生物の常識が引っくり返るほどの発見が、水族館の現場から起きている。
今、博物館や水族館がもつ意味が変わってきているんです。水族館内で絶滅危惧種を保護したり、今後は館内でしか育たない種も出てくるかもしれない、水族館が海洋生物のシェルターになる可能性もあります。こんな現場の研究者と対話をしながら、次の時代の地球をどうつくっていくか……知の創造を、展示という現場を通じてやっています。
多様な人と混ざり合って、ものごとを見る目線をアップデートしていく
事務局:『触れる地球ミュージアム』は、大人が学びに来られるような、知の発信源になっていると感じます。
竹村:『子ども地球教室』と銘打っても、そこには親も来るんです。「子どものために来たけれど、実際には親の方が楽しみました」というアンケートの回答がとても多い。
そこは確信犯で、実は僕たちは親を再教育したい。再教育というとおこがましいのですが、親世代の多くは19世紀の知識に基づく教育を受けて、社会に出て子育てをしていますよね。21世紀の子どもを育てるのに16世紀につくられた地図と19〜20世紀初頭の内容の教科書を使って教育をしている。これまでとは全く違う21世紀の枠組みで世界を見て、違う世代が育ちうる可能性があるのに、このままでは19〜20世紀の常識で潰してしまう可能性がある。アンケートに、「私の知識が古かったことが分かった。新しい地球と生物の見方が得られました」と書く親も多いのですが、僕たちは次の時代の学びの基本的なものごと、教科書のようなものを準備しているところです。
事務局:普通に暮らしていると、大学教授や研究者と直接コミュニケーションをする機会はほとんどありません。『触れる地球ミュージアム』や水族館・博物館は、その機会をつくり出せる場所でもありますね。
竹村:森林生態系を例にとってみます。樹木は土壌に根をはっていて、そこにいるバクテリアや微生物から栄養をもらって成長している。そして、自分の栄養を虫や鳥に分け与えていますよね。私たちの目に見えるのは樹木だけですが、地面や空気中のあらゆるものと連携して世界は成り立っている。科学者も教授も、社会という大きな“母体”の中に存在し根ざして生活しているのだから、多様な人たちと相乗的にコミュニケーションをしないといけないと思っています。
それに、大学院や研究者が最先端の知識を持っているとも限りませんよ。先ほどのジンベエザメの話は、水族館という現場から出た、世界中で誰も発見していない新しい知識です。例えば、経済学についてはハーバード大学をはじめ世界中の学生が反乱を起こしています。2050年に社会経済の中核を担う世代を育成するのに、200年前の知識を“経済学”として教えているのはどうなのか? と、その当事者である学生たちが反旗を翻しています。経済学は極端な例ですが、多かれ少なかれ、そんな事象はあります。私たち自身の目線を、アップデートしていかなくてはならないんです。
事務局:今の竹村先生は、この人と人の接点づくりに興味があるのですか?
竹村:興味があるのは、アップデートされる知のほうです。ただ、それを一人でやっていても仕方がないので、今は知を広める装置としてのインターフェースをつくっています。
「触れる地球」というデジタル地球儀も、それを駆使したミュージアムもそうしたインターフェイスです。本当は、もっと多くの人にインターフェースづくりに参加してもらって、僕は知のコンテンツを作ることに集中したい。インターフェース作りには、あらゆるクリエイティブ、デザイン行為と同様「交渉・説得・調整」で時間とエネルギーの95%が取られますから、今は残りの5%で知のコンテンツをつくっています。これを50%に増やせれば、もっと多くの人のお役に立てるのかなと思っています。とはいえ、現場をつくって実践していることは無駄ではなくて、先ほどのような常識を覆すような現場での発見を共有するプラットフォームともなるし、この六本木ヒルズの展望台でしかできないこともあります。
AIが社会基盤に入ったら、知識の沃野が広がる
事務局:今期のNext Wisdom Foundationは、AIが社会基盤に入ったときに必要な叡智を探求しています。竹村先生は、AIについてどう考えていますか?
竹村:よく、AIに仕事が代替されて人間の仕事が無くなるという不安を聞きますが、僕は、AIが社会基盤に入ったら人間が脳の宇宙に包含できる情報が増えてより自由になると考えます。人間のスキャニング能力では統合できないビッグデータにパターンを見出して扱えるようになれば、知識の沃野は広がる。
例えば、望遠鏡の誕生で宇宙が精緻に見えるようになったり、顕微鏡で私たちの体の解像度が高まったことで、マクロとミクロの視野の思考空間が深まった。AIがもたらしてくれるのは、そんな“次の自由”だと思っています。
どうしてAIを脅威に感じるかというと、この100〜150年間で人間が一生懸命に“人間らしくないこと”に努めてきたからではないでしょうか。
チャップリンの『モダン・タイムス』でも表現されていますが、人間は本来は、同じリズムで同じことをやるのは不得手です。しかし、モノを大量に生産するためには、それをつくる人間も大量に規格化して生産しなくてならないから、学校も“人間の規格大量生産”のための装置としてデザインされてきた。人間が不得手な“機械らしいこと”を、一生懸命にやってきたんです。単純な機械労働だけでなく、データの機械的な分析や事例の収集・分析など専門職的な部分も含めてね。今の仕事はその延長にあるのですが、実は多くは機械が得意なことなのだから、それができるAIが出てくるなら代替されるのは当然だと思います。
事務局:そんなふうに“機械のような働き方”をしてきた人も、パラダイムシフトすれば幸福感は高まりますね。AIが“機械的な仕事”を代替してくれれば、そのぶん人間の選択肢が増える、とも言える。
竹村:例えば、僕よりも料理が上手なAIができたとしても、僕が料理をして好きな人に振る舞う喜びや楽しみが奪われるわけではないでしょう? AIの方が美味しい料理ができるからといって、それが何だ、ということです。人間には、僕の料理を美味しく食べてくれるパートナーがいてくれる、それが嬉しい、それをAIがさらにサポートしてくれるというだけ新しい発見ができる。そのほうが楽しいですよね。
もしも、“そんな予想は甘いよ”という状態になって、僕の仕事が必要とされなくなったら、その時に必要とされることで自由にやります。自分の好きなことをやるのに、機械にそれを奪われるのではないかと心配する必要はないと思いますね。