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〜三方良し〜 ケイザイ祭vol.5  イントロダクション「ホモ・サピエンスと三方良し経済〜互恵・再配分〜」

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Next Wisdom Meeting2019 〜三方良し〜 ケイザイ祭vol.5 

Next Wisdom Foundationは、AI時代だからこそきちんと考えたい『人間らしさ』をテーマにイベントを開催。毎年恒例のケイザイ祭、今年はこの『AI時代の人間らしさ』に『経済』を掛け合わせ、利己と利他と経済の関係に迫っていきました。

まずは、文化人類学者であり、当財団の評議員も務める竹村真一氏が登壇。ホモサピエンスの時代から遡って、「三法よし」の経済を考えます。 

<プロフィール>
竹村真一さん 
 
京都造形芸術大学教授、Earth Literacy Program代表、文化人類学者、当財団評議員

東京大学大学院文化人類学博士課程修了。地球時代の新たな「人間学」を提起しつつ、ITを駆使した地球環境問題への独自な取組みを進める。世界初のデジタル地球儀「触れる地球」や「100万人のキャンドルナイト」、「Water」展(07)などを企画・制作。20142月、丸の内に「触れる地球ミュージアム」を開設。環境セミナー「地球大学」も丸の内で主宰。東日本大震災後、政府の「復興構想会議」検討部会専門委員に就任。 

そもそもは“大酸素公害”からはじまった

竹村:今日は「利他」がテーマということで、まずホモ・サピエンス、人類の話題に行く前に生命系の話から。そもそも27億年ほど前の地球では、大酸素公害が起こっていたです。『地球最初の環境汚染』と言われるような、光合成を行うバクテリアが大繁殖し、かつて酸素がほとんどなかった地球に、急激に酸素が増えていきました。 

酸素は毒なんです。「酸化」とか「抗酸化作用」という言葉を聞いたことありませんか? なんでもサビつかせます。なんでも結びついてしまう毒なんですね。酸素がほぼなかった時代の地球に適応してそれまで生きていた生物にとって、酸素の大公害は大迷惑だったわけですが、かたや増えすぎたプラごみと同じように、増えすぎた酸素という“猛毒廃棄物”を逆にエネルギー源として利用し、生きていこうとする新しい酸素呼吸型の生物も出てきます。また自分たちのDNAをという格納庫にしっかり納めて、酸素から守りながら生きのびるものも現れました酸素から守るために核を持った生物と、酸素を利用する生物が共生して、現在の私たちの細胞の原型、つまり核を持ち、ミトコンドリアがある真核細胞ができた。 

さらに、もともと合成で猛毒の酸素を出したバクテリアが、第三の生物として「葉緑体」という形で入り込むと、植物の細胞になるわけです。我々、動物細胞とか、葉緑体というバクテリアが加わった植物細胞というのは、まさに「共生利他」の関係を数十億年のスケールでやってきた好例と言えるわけです。 

次の段階の共生利他は、藻類と菌類或いは菌類と陸上植物の間で行われていきます。藻類と菌類共生した「地衣類」が、海から最初に上陸します。ようやく陸上を緑に染め上げていって、4億年ほど前から緑の地球になりました。今、エコとか緑の地球って言いますけど、わずか4億年前の話。46億年の地球の歴史を46歳のマザーアースの人生に例えれば、42歳まで緑の地球はなかった。42歳をすぎてからやっと、こういう共生関係の中で、地衣類に始まり植物が陸上を緑に染め上げて、今の地球を作ってきた。だから今、私たちが見ているありがたい地球っていうのは、どうやって出来てきたかっていうと、まさに利他共生の成果物であるということです。 

“心のOS”とホモサピエンス

て、基本的に全てを自覚的に、利他・互恵をするような“心のOS”を持っているのは、動物の中ではもしかしたらホモ・サピエンスだけなのでしょうか……。まずわかりやすいところから考えると、例えば小さな子どもって、すぐ何かを人にあげたがりませんか? うちの子どもも、家にお客さんが来ると、ずっと「はい、あげる! はい、あげる!」ってしていました。どうもホモ・サピエンスの根幹には、人に何かあげたがる、人と何かをシェアしたり交換したいいうのがビルトインされているのではないでしょうか。 

例えば、高等霊長類、オラウータンとかチンパンジーの子どもを、自分の娘が幼い頃から一緒に育てたという例を聞くと、人間の子どもは、隣にいるチンパンジーに自分の持っているものをあげようとしますが、チンパンジーの子どもはそういう姿勢を示したことがない。何年も一緒に育てているにも関わらず、チンパンジーは自分の持っているものを誰かにあげようとか、交換するってことはしないのです。 

お互いに毛繕いをしたりはします。それから、ここは人間と一緒で、メスを誘惑するときにバナナを持っていくことはあります。だけど普段から、自分の持っているものを他者と交換したり共食したりするようなことはしない。どうも、交換とか、利他っていうのは、人間だけに、人間と言ってもどのあたりからかと言うのは難しいのですが、少なくともホモ・サピエンスとかネアンデルタール人にしか、ビルトインされていないようなんです。 

それってなぜなんだろう、ということですが、基本的に『人間の未熟性』と関わってきています。未熟性ってどういうことか。実は人間はとんでもない早産だって意識されたことはありますか。人間は本来、21ヶ月もの間、母親のお腹の中にいなければいけないそうなんです。それが9ヶ月で生まれます。差し引き12ヶ月。1年間も早産しているですね。 

なぜか。頭が大きくなりすぎたです。アウストラロピテクスの頃の脳の容積は400ccくらい。チンパンジーと変わらないくらいで、今の我々の1/4くらいですね。それが、エレクトスのあたりから1000ccを超えてきた。人間は直立歩行で、ただでさえ骨盤が狭まっているのに、そんな大きな頭を持った胎児は産めなくなってしまったですね。だから未熟児で出産せざるを得なくなった。1年分も未熟児で出産しているので、約1年間、自分の足で立ち上がれない状態なんです。それだけ未熟な状態で生まれる上に、子供期も未熟な段階が長いです。 

胎児期を子宮の外で過ごすので、脳は生まれてから1年間ガーッと成長していき、だいたい4~5歳で一応ストップします。しかし身体は、性成熟を迎えるのが非常に遅い。10数年かかる。子どもの期間が異様に長いんです。だから母子依存とか、家族で共同保育するような、相互依存性が高くなるという人類の本質が、お互いに自分の持っているものを共有・交換し合うベースにある。 

お互いに利他性を発揮して、というようなマインドをもともとビルドインされている上に、他者が何を考えているのか、を考えはじめます。もちろん狼だってチンパンジーだって、ボスが何を考えているのか、俺のことを怒っていないか、気にすることはあります。あるですが、自分が相手からどう見えているのか、相手は自分の言ったことをどう聞いていたのか、相手の立場になって考えるのです。こういう心のモデル、心の理論と言うですが、他者の心をミラーリングする共感能力が非常に高。さらに、僕ら、毛がほとんどなくなったのに、なんで眉だけ残っているのか。これはコミュニケーションのツールなんですよね。 

こういうのを全部総合していくと、弱いがゆえに、未熟であるゆえに、相互依存性が高い状態でしか生きられない。だから、コミュニケーションが非常に発達して、そこからデジタル化信号された言語とか、芸術とか、ユヴァル・ノア・ハラリさんも『サピエンス全史』で強調していたことですが、一言で言うと不特定多数の他者とか先祖の仮想、あるいは共同幻想を、共有し協調していく。 

ネアンデルタール人は歌でコミュニケーションをしていた、という説はスティーヴン・ミズンの著書にもありますし、言語能力は結構近いものがあったかもしれないけれど、デジタル記号化されたいくつかの子音と母音を組み合わせた精緻な言語で、精緻な文法構造を持ち、他者の仮想を共有するという能力はサピエンスしかない。  

我々は、数万人から数億人のコミュニティを形成したりします。そのくせフランス革命、民主化で王様は追い落とされて、民主政治になりますと言ったら、一夜にしてルールを変えて、数百万人から数千万人が一気に違うものに変わるっていうこともできる。この協調能力、仮想(フィクション)を共有して、同じビジョンや計画のもとに協力し合える、しかし思考や行動を一夜にしてリセットすることもできる利他、交換から始まって、ものすごく多くの不特定多数が協調できる能力というのは、サピエンスの強さを物語っています。 

ちなみに、ネアンデルタール交易ぐらいあったかもしれませんが、彼らの遺品を掘り出すとすべて近くで取れた素材。サピエンスの遺品を取り出してみると、どう考えても何百キロも離れたところと交易をしていたとしか考えられないという遺品がいっぱい出てくる。そういうような不特定多数で言葉も通じない人たちと広域の交易の関係をもつというのは、サピエンス以降のようです。

お互いのために、争いよりも平和的な経済関係へ

例えば、僕がAさんに、僕の持ち物をあげる。Aさんは喜んでくれるかもしれないけれど、僕に関してこう風に感じるわけですね。“ああ、なんかもらっちゃったなあ、今度お返ししなきゃなあ”と。これはこれで人間関係を強める部分もありますが、毎日それをやっているとしんどいですよね。だから、「僕の持ち物」っていうのを一度リセットするために、いわば「属人性」を払拭するために、神様・仏様という機関がうまく働いてくれる。神社仏閣のところを経ると、誰のものでもないフラットな状態になる。すると、僕のものがAさんのものになれるし、Aさんのものも、僕のものになれる。 

そのうち神様・仏様っていうものが、だんだんとポータブルしていって、「通貨」や「お金」というのが出てきました。すると、とても匿名化されて冷たい関係になりますよね。やっぱりAさんと属人的な贈与交換している方が濃い人間関係でいいじゃないのか。ゼロリセットされたものをフラットに交換していると、だんだんと利他とか共感とかが薄らいでいくじゃないかと現代人は思いがちです。しかし、数百年、数千年の歴史を振り返ると、どうも必ずしもそうとは言えないようです。 

例えば、中国の歴史を見てみると、殷の頃は殺し合いの時代でした。周のあたりから、漢字を使ってお互いに契約関係を結び、広域的な経済関係で暴力を抑止しながら言葉の通じない他民族も共存するという関係を作っていった部分もあるようです。 

3000年~2500年前くらいから「精神革命」と言われるような、つまり大人口の都市社会や国家の中で社会的な人間関係をどうあるべきかを考え始める時代になります。『論語』もこの時代ですね。また「目には目を、歯には歯を」の『ハンムラビ法典』。これは3800年くらい前のものですが、この真意は『目をやられたら、目以上のことはやり返すな。歯をやられたら、歯で止めておけよ』という、暴力の抑止装置なんです。無制限の暴力と競争的な略奪や殺人、残虐な事件なんて当たり前の時代に、3000年前以降、世界の東西でほぼ同時に、“心のOS”でそれらを抑えていくような方向にどんどん進んでいったんです。 

この流れを促進したのは交易、広域的な交流です。そこでは顔の見えない関係にはなっていたかもしれないけど、広域の交易で、お互い平和的な経済関係を築きました。そして相互依存の関係が密になってくると、戦争するよりも平和を維持していった方がお互いにとってよいというモードが3000年前くらいから、東西で高まっていった。 

もう一つ、いわゆるヒューマニズムルネサンス時代。イタリア経済が繁栄していったのに続いて、17世紀くらいからンドンやアムステルダムに、コーヒーハウス、いわゆるカフェができていき、そこにベンチャービジネスの最先端が集まるようになっていった。その辺りから、平和的な交易が進んで戦争が減っていくという流れがさらに顕著になってったですね。その頃あたりから、奴隷廃止運動とか、人権声明とかにつながっていきます。 

小説が生まれた17~18世紀と、SNSが生まれた現在

さて、17~18世紀頃から、「小説」が登場します。英語なら「ノーベル」、フランス語なら「ヌーヴォー」ですね。それまでになかった新しいジャンルです。なんで「小説」と言うのか。「説」の反対なんです。それまでは聖書とか科学書とか説しかなかったのが、“誰と誰がちょっと恋をした、失恋した”といったようなことが印刷され本になって、人々に読まれるようになった。面白いことにちょうど同時期に日本でも、近松門左衛門の『曽根崎心中』などが出てきます 

 これが何をもたらしたかというと、今と同じなんです。SNSの登場によって、周りの人たちのつぶやきがいっぱい聞こえるようになり、個人の繋がりが密になってきた。SNSの出現と同じようなリテラシー革命が起こっているです。他人の心を思い浮かべる、他人の思いを共有して、共感して何かをやっていく。他者への共感力が爆発的に高まった時代なんじゃないでしょうか。そして平和や人権、さらに無制限暴力の奪い合いじゃなく、ゼロサムゲーム的に奪い合いでどちらかが勝つでもなく、Win-winになっていく、という価値観がどんどん進んでいったんです。 

スティーブン・ピンカーという心理学者が、著書『暴力の人類史』でまとめているように、千年・何百年・何十年という大きなスケールで見ると、人口の中で、人間の暴力によって亡くなる人の数は圧倒的にパーセンテージが低くなっている。なおかつ、誰もが当たり前に人権や命を守られる社会今となっては当たり前の考えもやっとこの頃から。それまでは拷問や死刑、火あぶりなど他者が苦しむ様子が「見世物」だったわけですが、他者との共感力革命から、そうした見世物がなくなり人の命や人権を当たり前に保護する、奴隷という「自分の体への所有権すら持たない」人々の存在を許容できなくなってくる。 

「シェアリング革命」、「SNS革命」は今に始まったことではなく、何段階にも渡って3000年前・300年前・30年前の「シェアリング革命」が起こっていて、今「共感経済3.0」くらいにきている感じなんですね。 

人間は、弱さゆえの共感・互恵、それを具現化した言語とか交換経済みたいなものを磨いて、“心のOS”でより利他や共感性を高めていった。このように経済交換も、人間の共有・共感の心のOSが生み出し、それを高めて人間の自由と平和を促進する面を本来は持っていた。しかし、いまその経済が自己矛盾というか、フロンティアを失ってどこにも投資先、行き場のないマネーの自己免疫作用で、人類の自由と平和を逆に脅かす作用を生み出し始めている。 

近代になって、ユーラシアの陸中心の経済圏から新大陸まで含んだ大西洋の海洋中心のグローバルな経済圏になって、“持たざる者”だったヨーロッパが覇権を握った。それまではアジア、中国やイスラムの方がよっぽど物質的にも文化的にも豊かで、経済も発達していたのに、なぜ資本主義生まれなかったのか。イギリスは持たざるものだったからこそ、新しくて何もないところから富を生み出す、という資本主義経済を磨いていったです。でも新大陸も、20世紀の新興国経済も開発し尽くして飽和し、今はグローバル経済の中でもはやフロンティアが残されていない。となると、今もう残っているのは電子空間しかない。その中に有り余ったお金が投資され、自己免疫作用で自分を苦しめている。 

つまり、ピケティのr>gで、お金を持っている人が何もしないで利子で膨らませる利益の方が、労働者が体を動かして働いて富や価値を生み出して経済成長するよりも、構造的に大きくなってしまっている。“尻尾が頭を振り回す“という非常に矛盾的な状況があるです。働けば誰でも平等にチャンスは与えられて成功できる、というアメリカの建国理念を完全に裏切るような状態になっているし、同時に地球に対して非常に大きな負荷をかけてしまっています。 

 本来、利子というものは自然の増殖性から生まれたものです。例えば、Aさんが来年畑を増やしたいというき、種を100粒貸してもらうとします。メソポタミアの時代でも、種を一粒植えたら少なくとも5倍から10倍になります。いま日本で米を植えたら2,000倍になります。一粒から2,000粒、とんでもない魔法ですが、品種改良やいろんな技術の成果です。そうすると100粒借りてそれが2,000粒になるから、貸してくれたお返しに200粒くらい無理なく返せる。自然の増殖性に基づいた貸し借りから生まれたのが「利子」なんです。 

しかしそんな自然の経済を根底から蝕むほどの破壊力を、バーチャル化したマネー、利子が利子を生む自己免疫経済が持ってしまっている。 

これからの『三方よし』の考え方

現在、世界の人口は1日で約22万人増えている、というのはご存知だと思います。22万人増えて、都市の人口は19万人増えているです。交通事故で亡くなる人数は年間100万人ちょっとですが、大気汚染で亡くなる人数は800万人。8倍もあるですね。そして水汚染も。世界で24億人、およそ3人に1人がトイレを持たないです。大変な水汚染が広がっていますから、その汚染水による下痢などの問題で年間350万人が亡くなっています。戦争やテロで亡くなるのは60万人ですから、その6倍が水汚染で、13倍が大気汚染で亡くなっている状況です。 

また、地球規模で起きている気候変動についても、例えばシリアの内戦は気候変動と関係があります。シリアでは水も食料も手に入らない。輸入していた穀物も、出元であるロシアが熱波に襲われて量が半減してしまった。ロシアから禁輸されて、シリア国内の穀物価格が暴騰してしまったです。そこに輪をかけたのが投機マネー。2005年くらいから穀物市場に過剰な投資が流れ込んでしまった。そこにバイオ燃料の利用やアジアの高度成長が重なり2007年から2008年にかけて食料価格が高騰した。 

こういう状態の中、交換経済は次のバージョンに進まなくてはならないと思います。例えばコミュニテイ通貨であり、その一つの典型であるイサカアワーでは“タイム・イズ・マネー”が逆説的に読まれています。時間をちょっとでも節約して働け、ではなくて、「あなたの価値創造に使う時間こそがお金のベースですよ」という意味です。人々の労働や価値創造、土地・自然資本から遊離してしまったお金を、もう一度、地に足がついたものにしようという動き。メリカ・ニューヨーク州イサカの、時間から発案されたコミュニティ通貨「イサカアワー」みたいなものが、人々の共感的なコミュニティ経済を再活性化しました。 

国家が主導した18世紀からの経済、20世紀後半から企業が主導した経済に対して、ジャーナリストのトーマス・フリードマンが「グローバライザー」(グローバル化を推進する多国籍企業等)ということを言いました。けれど、その流れに対してグラミン銀行をはじめとする“グローバルな経済を持った個人”というものが共感経済を作り始めている。そういう方向に来ていると思います。  

最後に、今日のテーマは『三方よし』ですが、今はさらに『五方よし』になってきています。売り手・買い手・社会。それにプラスして、地球というステークホルダーと、次世代というステークホルダー。この『五方よし』を前提に考える。  

その時にもう一度、もともとの意味での利子を生み出していた、自然資本、自然経済の生産能力を再評価しなければいけない。地球がリンゴの形になぞらえられて、大きくかじられている絵がよく出てきますが、本来の地球はかじられたらそのままじゃなくて自然に再生産されるんです。海のプランクトンや森林、地球の森林生態系は、本来はその限度さえ超えなければ再生産される。そういう自然本来の増殖性みたいなものを強くできるか、そういうことが問われているのでしょう。 

今日のテーマは、友愛、共生、利他などになってくると思いますが、ぜひその利他とか友愛というのを人間界だけに閉じないで、いろんなステークホルダーもいるだということも考えながら、ぜひ議論をしていただきたいなと思います。 

Next Wisdom Foundation

地球を思い、自然を尊び、歴史に学ぼう。

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全ての人にチャンスを生み、
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私たちは、そんな未来を創るために、
様々な分野の叡智を編纂し
これからの人々のために
残していこうと思う。

より良い未来を創造するために、
世界中の叡智を編纂する
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