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「幸せは、人間が常に日々動的に生み出している行為だ」 FutureDiversity vol.1 〜予測不可能な時代にデータは何を語るか〜 公開取材トークイベントレポート

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【9/23(水)開催 無料オンライン】FutureDiversity vol.1 〜予測不可能な時代にデータは何を語るか〜 公開取材トークイベント

Next Wisdom Foundationは未来に向かって突き進む様々な才能や頭脳をゲストに招き、未来の可能性を散りばめる『FutureDiversity』という特集をスタートしています。今回は、日立製作所フェローの矢野和男さんをゲストに招き、オンライン公開取材というかたちでトークイベントを開催しました。

矢野さんは2004年頃からウエアラブルデバイス技術とビッグデータ収集・活用で、人間の行動を支配する隠れた法則を方程式として表してきました。今回はCOVID-19がもたらした予測不可能な変化に立ち向かう知恵、私たちの「幸せ」に関する変化傾向、新しいスタンダードについての考察をサイエンスの観点からお伺いしました。

<ゲストプロフィール>
日立製作所フェロー、理事 矢野和男さん

株式会社日立製作所フェロー、理事、未来投資本部ハピネスプロジェクトリーダー、博士(工学) 、IEEE Fellow、東京工業大学情報理工学院特定教授。1984 年早稲田大学物理修士卒、日立製作所入社。91~92 年、アリゾナ州立大にてナノデバイスに関する共同研究に従事。2004 年から先行してビッグデータ収集・活用で世界を牽引。のべ 100 万日を超えるデータを使った企業業績向上の研究と心理学や人工知能からナノテクまでの専門性の広さと深さで知られる。多目的 AI の開発やハピネスを定量化する技術の開発で先導的な役割を果たす。2014 年『データの見えざる手:ウエアラブルセンサが 明かす人間・組織・社会』(草思社)を上梓。

幸せというのは状態ではない、行為である

Next Wisdom Foundation(以下、NWF):2014年に出版された『データの見えざる手』では、「幸せはウエアラブルセンサで測ることができる。そして幸せは人から人へ伝播する」と伝えています。COVID-19の出現で行動が制約され、物理的な密をつくれない状況になりました。このコロナ禍を矢野さんはどう考えていますか?

矢野和男さん(以下、矢野):この問いにはいろんな答え方があります。幸せの定義もいろいろありますね。一番大事なのは「幸せとは何か」をきちんと考えることだと思います。私の答えは「幸せというのは状態ではない。行為である」ということです。ジョン・ルイスというアメリカの公民権運動の活動家が「民主主義は状態ではない。行為である」と話しているのですが、私は幸せもそれと全く同じだと思っています。幸せというのは、我々が常に日々動的に生み出している行為だということです。そして、幸せを動的なものとして捉えたときに大事なことは、幸せを語るときに「あの人は幸せな人で、この人は不幸せな人生だ」というように境遇の良し悪しを語ることが多いのですが、そうではない。幸せの研究に非常に重要なのは、日々起きる動的な変化に対応していくことです。我々の体というのはホメオスタシスがあり、血圧・血管・血液や免疫物質、視神経にいたるまで何兆個という細胞が常に同時多発的に外界の変化に対応しています。生きるとはそういうことであり、変化に適応する、あるいは変化に立ち向かうということです。その生きるという、とても重要な営みがまさに幸せになるということです。

問いの中に「コロナの出現による変化」という言葉がありましたが、別にコロナ騒動が始まる前から日々この世は変化しているわけです。コロナの出現は、その変化をより強く認識するきっかけにはなったと思いますが、コロナは新しい話ではなく常に世の中は変化しています。その変化の仕方は予測できるところを超えて、予測不能なものに変化しています。だから、「変化しなければ私は幸せなのに、変化したから幸せではなくなった」という捉え方はするべきではないんです。

矢野:実は、このようなことは私が話す前からたいていの哲学や宗教が何千年も言ってきたわけです。私が大好きな本の中に19世紀にカール・ヒルティが書いた幸福論というものがありますが、この本はまさに簡潔にこのようなことを書いています。ヒルティがかなりの紙面を割いて書いているのが、ストア派の哲学者であるエピクテトスの解説です。そこには、いかに変化に前向きに立ち向かうか、どう考えたら立ち向かえるのか、それには習慣の力が大変重要だと書いてある。

コロナというもののある側面の良いところは、こういう議論ができる土台ができたということかもしれません。5年前までは、利益や売上について語ることは大人っぽい行為で、幸福について語ることは青臭いという風潮がありました。私はその前提がコロナで変わってきているように感じます。

質問に戻りましょう。コロナが出現して密をつくれないという現実がある。そういう変化はあっていいんです。大事なのはそれにどう向き合うか、なのです。「その変化で私は幸せになるの? 不幸せになるの?」そう考えていることが最もよくないことで、その変化にどう向き合うのか? そこだけを考える。その意味で私はあえて『Happiness』と言わず『Happying』と動詞で使うようにしています。

予測できないという事実に謙虚に向き合おう

NWF:コロナが幸福について語る土台をつくった側面があると話されましたが、そもそも矢野さんにとってコロナとはなんですか?

矢野:いろんな側面があると思います。パンデミックでもあるし、社会変化の大変重要なきっかけでもあります。ただ、コロナ出現の前……21世紀に入ってからも9.11、リーマンショック、3.11など毎年のように予測不能な大きな出来事は起きていますよね。ドラッカーが「われわれは未来についてふたつのことしか知らない。ひとつは、未来は知りえない、もうひとつは、未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違うということである(※『創造する経営者』2007・ダイヤモンド社)」と示唆しています。おそらく経営の本の中でも有名な言葉なので多くの方がご存知だと思いますが、この言葉は非常に正しいことを的確に言っています。さすがドラッカーだな、素晴らしい表現だと感心した方も多いと思います。

しかし、世の中の前提は全くそういうふうにはできていません。未来はある程度までは計画できるし、予測がつくし、それに向けて準備ができると考えられてきました。近年は、ますますそういうふうになってきています。なぜか? 一つには、未知の変化をどう捉えるかということの捉え方が非常に狭くなってきていることに原因があると思います。どういうことかというと、明治初期のリーダー層は江戸時代に武士の教育を受けていた人たちで、当時の教育というのは「未知の世界に、どうやってブレずに向き合うか」が学問の中心にあり、そういう教育を受けていた。それが20世紀初頭にアインシュタインが出てきて、それからの100年で科学技術はものすごい勢いで進化し、「過去に起きていて我々がすでに知っている経験、法則性、科学や学問によってそれを活用すれば、世の中の変化にはきちんと適応できる」という風潮やある種の思い込みが出てきた。実際に学問的にあるいはデータで分かっている範囲で予測できたり、設計できることはどんどん増えました。しかし、だからと言って世の中の変化が100%分かったかというとそんなことはないんです。未来のことはやっぱり分からないことが多い。過去にすでに学問的・データ的・法則的に分かっていることを活用する話と、大きな未知の世界にどう向き合っていくのかという話は、二律背反のどちらかが大事という話ではなく、常にどちらも重要なのです。

江戸時代までは、未知の世界にいかに向き合うかを学び、実践し、鍛えているのがリーダーであり、エリート層や有識者の証明だった。しかしこの100年でその認識はガラっと変わり、様々な過去のことをよく知っていて、それを適用できる人が偉いということになってきた。もちろん、知っていることは適用すれば良いのですが、知らないことがあるということに向き合わなければいけません。科学がカバーする範囲とそうではない範囲、両方が合わさって我々の生き方であり社会の営みかたであると。今回のコロナをきっかけに、我々には予測できないことがあるという事実に謙虚に向き合わなければいけません。

過去のデータで未来予測はできない

NWF:そういう状況下で、データはなんのために使うのかという疑問が浮かんできます。

矢野:この5年間でデータとAIは大変もてはやされてきました。私も大事なことだと言ってきたし、実際に大事です。ただ、その使い方には大変問題があると思っています。まず、データというのは過去のものです。データとAIに関する最も基本的かつ本質的な問いは「過去のデータで未来予測や未来の判断が的確にできるのか?」です。おそらくAIに関わっている専門家が最も聞かれたくない問いです。この問いに、正直に謙虚に正確に答えるなら「過去のデータでは未来のことは分からない」です。そう聞くと「え? データって本当は使えないの?」となりますよね。もう少し詳しい答え方をすると「過去のデータは過去の情報に含まれている範囲ではそれなりに未来でも使える。しかし、未来が過去と状況が変わったときには使えない」となります。ドラッカーが言ったように未来は常に変わっているので、過去のデータはそのままでは使えないんです。これはコロナの出現で全ての人が認識したことでしょう。今でもデータやAIは大変もてはやされていますが、その割に大きな社会的インパクトがないですね。その非常に大きな問題の根幹がここにあるんです。

矢野:錬金術というものがありましたが、データとAIもある種の錬金術に近い話になっています。本当は別の元素を集めて金をつくることはできないのにそれを追い求めるのが錬金術ですが、今でも過去のデータを使って未来に対して汎化性能を持ったモデルが作れるのではないかということが追い求められています。これは一種の錬金術です。そんなことはできるわけがないんです。しかし「できるわけがない」と真正面から言う人がほとんどいない。私が最も強く言っているのではないかと思いますが……では、データは意味がないのか? いや、大変重要なんです。それはなぜか?

もちろん、自然法則や生理的な現象など極めて普遍性の高いものを見つけるのにデータは役に立ちます。では、リアルワールドのビジネスやパンデミック対策にデータは使えないのかというと、使えるんです。過去のデータで分かることは未来の予測ではなく、“過去の延長線上でどうなっているか”を知ることができます。それは間違いなくできます。しかも、精度高くできます。しかし、過去の延長線と現実は間違いなく乖離しますよね。その予測は当たらないわけです。

今の機械学習の予測でやっているのは、過去のデータをたとえば半分に分けて学習モデルをつくり、残り半分の隠しておいたデータに当たるかどうか、予測精度が上がるか、それが正しかったかどうかを判断するというやり方です。しかし、そのデータは状況が変わったら全く意味がないんです。コロナ前のデータをいくら集めても、コロナ後の予測には使えないということです。データで過去の延長線上は分かる、でも現実はそこからずれる。そのずれは起こりはじめは微妙なものかもしれない。n=1かもしれない。nはサンプル数ですね。統計をやっている人は、nの数とp値すなわち偶然かもしれないという値をとても気にします。でも、現実には偶然ではなかったことが確認されてから行動するなんてできません。それはもう「何もしなかった」という重要な判断をしたということになります。データは、過去の延長線上が分かる。リアルワールドをきちんとデータ化していれば、延長線上と現実がどこで違っているかが分かります。これが大事なんです。どこで乖離が出ているかに応じてデータを積み増して解析の優先度を上げることができる。そのために、データはあるんです。

矢野:今のほとんどのデータ活用、特に統計学や機械学習のデータ活用は、未来を予測することができるかのごとく主張してきました。私はそこを一度リセットして、データとAIができることの主張を変える必要があると思っています。私は『アナリティクス2.0』と言っているのですが、データというのは過去の延長線上とどこで違うかをいち早く察知してリソースの優先度を割くためにある、というほうに大きな枠組みを変えないといけない。私はそう主張しているし、過去のデータで未来予測ができると言っているよりも論理的に正しい。そのためのAIを開発したり適用したりする案件は、すでに非常に具体的なプロジェクトが進みはじめています。

データを使う前提の発想を変えないといけない

NWF:具体的に、データはどう使っていくのが良いのでしょうか?

矢野:まず最も基本的な使い方に、いわゆる統計学があります。平均的にこういうことが多く起きている、こちらは起きる頻度が低い、それが偶然かどうかということを判断する。これは今でも非常に役立っていて、学問的に普遍性のある法則かどうかを検証したり、薬の効果が偶然ではなく本当に効果があるかどうかを検証するのには有効な手段です。

ただし、これでは全体の平均的な傾向しか分からない。たとえば、この人にはこの商品をお勧めしたほうがいいなど、個別の事情を鑑みるものには使えません。そこで機械学習が出てくるわけです。個別の条件に合わせて目的となる数値が上がるようにするにはどんな条件にすればいいかという予測や判断をする。ある特定の過去のデータの傾向によって、個別要件を当てていくという活用方法です。先ほど話したような、過去のデータを半分に分けて分析をし、隠していた半分に当たるかを検証するという方法です。ただ、実はこれは大変危険なやり方なんですね。なぜか? シンプルに言うと、過去のデータの上手くいった部分を繰り返し、上手くいかなかったことはやらないということなんです。これがシステム化されると、過去に上手くいったことしかやってはいけない、新しいことはしてはいけない、ということになってしまう。このコロナ禍で、過去に上手くいったことだけを繰り返している人は破滅の道を歩みます。コロナ禍という新しい環境状況で、n=1でもいいから新しい道を見つけてアクティブにやるかやらないかで、生き残れる会社かどうかが決まります。

これは実はコロナに限った話ではなく、コロナがその事実を表面に押し出しただけで、以前からそうだったんです。過去のデータで予測できる延長線にない出来事がどこに起きるのか、もちろん自分から起こしてもいいですよ、それによって我々の優先度を変えていく必要があります。実はこれは技術としては今までも強化学習やバンディット問題などで研究されています。ただ、私が話したような位置付けでは問題を語られていないので、実際にはほとんど使われていません。データを使う前提の発想を変えないといけないのです。

<問答>

――人類が時間・お金・場所の制約から解放された“ユートピア”が実現したとき、人間はどうなると思いますか? また、データとAIの未来はどうなると思いますか? 

矢野:コロナの状況やテクノロジーが新しい知恵をつくっていく動きは進んでいくだろうし、進めるべきものです。ただ、その動きが進むから幸せになるとか不幸せになるという議論ではないと思います。人体をつくるOSは旧石器時代の前から変わっていません。それでも、外側の環境条件が変わったときはその条件に合わせて適応しなければいけない。その条件によって幸せになれるかとか、そういうことではないのだと思います。大切なのは、人間を中心に考えていくことではないでしょうか。人間が、変化やテクノロジーの発展をどう受け止めて、どう前向きに使っていけるか、前向きな状態=『Happying』の状態にしていくか。そのためには、与えられた境遇とは違うかたちで自分自身を見つめる目が必要ですし、自分の行動をそれに合わせて変えなければいけないし、人との関係や繋がりを常に変化させていかなければなりません。旧石器時代と違うのは、我々にはデータがあることです。「これはお釈迦様が言ったことだから守ろう」ではなく、データをもって環境の変化に対してどのような自由度があり、どういうことが人間に良い状態をもたらすかというのをより理解することができます。

矢野:最近データを解析しなおして分かったことがあります。少人数の会話のときにいかに体が動いているか? この1点だけを見ていればその人たちが幸せかどうか分かります。相手が話しているときに全く動かないのは相手に対してすごくプレッシャーを与えているんです。だから私はいま、立って話していますよ。座るよりも立っているほうが体が自由に動くから。zoomという限られたチャネルではありますが、おそらく電気的な信号を通しても私のこの動きは見ている方に伝わっているのではないか。それは旧石器時代から変わらない我々のOSをデータで現代に明らかにしたことです。今はデータをもって幸せと向き合えるようになってきたので、もっともっと人間中心になって人間を深く知れる。そして、人間は一人ではなく人と人との関係の中にいるのでそこを大事にしたいと思っています。未来は我々がつくっていくものであり、過去のデータに制約されるものではありません。プログラミングや統計学の勉強をするよりも、データは何のためにあるのかという基本を教えるのが大切だと思います。

――コロナ禍で明日がどうなるかも分からない状況が続き、不安を感じることが多い日々です。これから不安というものに対して、どういうマインドで対峙していけばいいでしょうか?

矢野:体系的に今のテクノロジーや知見を使うと、こうあるべきという答えがけっこう分かってきています。まさに、この質問の回答になりそうな本をいま書いているので、ぜひ本を読んでください(笑)。

一つだけ言うと、比べない、ということではないでしょうか。先が読めないとか予定が立たないときのマインドのどこかに、以前に比べてという意識があると思います。以前が常識、ノーマルであって、それに比べて今はどうなんだ? というマインドになったときに「そういう考え方はいけない」という方向に振り切る、受け止めることが大事なのだと思います。未来は我々がつくっているので、新しい環境条件の中でどう未来をつくっていくか……見渡せば、新しい需要もすごく増えています。

――矢野さんが実現したいのは、どんな未来ですか?

矢野:幸せ中心の社会にすることです。あらゆる判断の基準を「この活動が人を幸せにしているかどうか」の物差しで測る。それがいよいよテクノロジーの力で測れるようになり、解析ができるようになりました。この数十年のあいだは「その活動は利益を生んでいるのか、GDPに貢献しているのか」を物差しに判断してきました。さらに、「四半期の利益にどれだけプラスに影響するか」といった短期的な見方が世の中を支配するようになっています。もちろん、人を幸せにするために必要なら利益は大切にしなければいけないので、利益追求を否定するつもりはありません。ただ、物差しを変えるということをコロナをきっかけにより大胆にやっていく。それに賛同してくれる人も増えてきています。

――過去のデータの延長線と現在の乖離は身体的コミュニケーション、特にノンバーバルな部分でキャッチする個々の感覚で生み出せるものですか? 身体感覚を磨くために矢野さんが意識していることがあれば教えてください。

矢野:「コレクティブ・インテリジェンス」という研究があります。分野に限らない汎用的に知的な個人の能力、これがIQと言われるものです。しかし、仕事は単独でするものはほとんどなく、大抵の仕事は人と一緒にするものです。この集団になったときの集団としてのインテリジェンス=IQを研究しているグループがあります。チームで協力しないと解けない問題の成績を見る研究で、チーム構成や能力、性別などのデータを取り、どういうチームが集団として知的な問題解決能力が高いかという研究結果があります。その研究で発見されたのは、会話のときに双方向に発言権が平等であるというのが重要な気づきの一つ。もう一つが、その人たちは「Reading the Mind in the Eyes」というテストを受けていて、それは写真の中の目の部分だけを見せて、その人の感情を推定するというテストなんですね。集団で知的なチームの最も大きな特徴は、目の部分だけで感情を推定する能力が高い人たちだったんです。さらに、実際には対面せずにチャットだけで協力しあわないと解けない問題を与えてチームのパフォーマンスを見ると、Reading the Mind in the Eyesの成績が良い人たちは、相手の目が全く見えない状態のテストでもやはり成績が良かった。これはどういうことかというと、相手の非言語の感情を推定する能力が高いということなんです。学校の成績が良いことよりも、集団としてパフォーマンスを出すときは、どうやったら相手と上手くやっていけるかのスキルが本質の本質だということです。それがインテリジェンスの中心にあるんですね。近年はデータをたくさん取れるようになったので、私はデータで実証しつつ、人間の中核となる能力に興味を持ってやっています。

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