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未来に何を問いかけ、どんなインタラクションを起こすのか?――西村勇哉(NPO法人ミラツク代表理事)氏に聞く

未来を思い描くとき、私たちは「なんとなく形になった未来」がやってくることを想像する。2020年の今なら、AIやロボット、自動運転の車が街を闊歩する。そんなSFで描かれた未来をイメージするだろう。でも、それが本当に私たちが暮らしたい未来なのだろうか。未来のビジョンを探求し、イノベーションを生むための手法は数々登場している。しかし、それは今の延長を未来に積み上げていくだけではないか。そうではなくて、自分たちで自分たちの未来を「つくる」のだ。NPO法人「ミラツク」を設立し、領域を超えたイノベーションプラットフォームの構築、そして数多くの企業と協同し新規事業、研究開発プロジェクトの立ち上げに携わり、一貫して未来潮流の探索に取り組む西村勇哉さんに「未来のつくり方」を伺った。

<ゲストプロフィール>
西村勇哉さん
NPO法人ミラツク代表理事

1981年大阪府池田市生まれ。大阪大学大学院にて人間科学(Human Science)の修士を取得。人材開発ベンチャー企業、公益財団法人日本生産性本部を経て、2008年より開始したダイアログBARの活動を前身に、2011年にNPO法人ミラツクを設立。セクター、職種、領域を超えたイノベーションプラットフォームの構築と、年間30社程度の大手企業の事業創出支援、研究開発プロジェクト立ち上げの支援、未来構想の設計、未来潮流の探索などに取り組む。 国立研究開発法人理化学研究所未来戦略室 イノベーションデザイナー、大阪大学社会ソリューションイニシアティブ 特任准教授
『NPO法人ミラツク』 https://emerging-future.org/

未来はホワイトスペース、残り0.01%でひっくり返せる

元々の専門分野は人格心理学という領域なのですが、これは100年ぐらい前にアメリカの哲学者ウイリアム・ジェームズが書いた『心理学原理』から始まった学問です。それまで哲学というのは、ある1つのテーマについて、例えば「善とはなんだろうか」とか「理性とはなんだろうか」ということを突き詰めていく学問でした。心理学では、より仮説と実証を繰り返し、積み上げたり崩したりしながら一段ずつ人の心についての理解を進めようと試みてきました。

昔から哲学にとても興味がありまして、高校時代になぜかふわっと「哲学者になりたい」と思ってカント・ニーチェ・ヘーゲルなどを読んでいました。しかし、「自分は哲学者になれるのか?」というと、とてつもなく頭のいい人たちが一生涯かけて考え突き詰めるという生き方を、自分が同じようにやるのは無理だ、と思いました。現代社会において「大人は働くもの」だとなんとなく思っていましたし、それこそある種の”貴族”のようにずっとただ哲学に思考を巡らせて生きていくのは難しいのではないか? それに、過去の哲学者がやったことを越えれないとしたら、自分が哲学をやる意味がないですから。ではどうすれば世の中の役に立てるかを考えて興味を持ったのがが、心理学でした。

心理学は科学的に考えを積み上げていくやり方をします。1人の天才によるジャンプではなく、天才の発想をみんなで確かめながら積み上げていく、そういう学問です。それが方向性として、人の探求や心理の探求に向いている。人というものはとても不思議で、そもそも「人とは何なのだろうか?」ということに関心があり、結果大学院での研究テーマの1つになったのが、価値観の研究でした。

ある出来事に対して、その捉え方は人によって大きく違ってきます。その違いがどのように形成されるかを研究することが価値感の研究です。価値観というのは面白くて、ある種「生まれた瞬間」がないとも言えます。気が荒いとか穏やかとか、その人の気質のようなものは赤ちゃんの時からあるのですが「何を良しとするか」という基準は生まれた時にはまだない。では、それがどこからくるかというと、外部から来る。親や本やメディア、人の行動を観察しながら後天的に身についてくる。つまり環境から入ってくるのです。

例えば、大学に落ちた人が「いま振り返ってみればあれで良かった」と言ったり、辛い恋愛経験をした人が「振り返ってみると、あれで自分は成長した」と言ったり、価値観によって良し悪しの意味付けは変わります。出来事としてはマイナスのはずなのに、捉え方によってはプラスになる。これは何なのか? その意味付けの元になっているのが価値観で、価値観自体は外部から来るもので、生まれた瞬間にはまだない。そして、元へ元へと辿っていくとその人のアイデンティティを形成するようなとても大切なものにもかかわらず、空中回廊のように積み上がっているだけで土台がよくわからない。玉ねぎを剥いていくと最後は中に何もない、ということに似ています。

とすると、話が一気に先に進みますが、人間が作っている社会や、その先にあると言われている未来というものも、あるようで実は存在しないのではないか? と思います。出来事の根源まで戻ってしまえば、未来はいかようにもありえる。現在の目の前の状況に必然性はないし、明日から変わっても別に構わない。しかし目の前にある玉ねぎの皮が分厚く積み上げられていて、それがとても強いものに思えてくる。すると、その上に必ずもう1枚積まなければいけない、この流れを変えてはいけない、そんな感覚が出てきてしまう。

例えば、東京にある無数のビルが明日から全部ピンク色になるなんて誰も思わない。でも、明日ピンク色にすることは実は簡単なのです。みんなで塗ればいいだけだから、全然難しくない。しかし絶対にピンクにならないと思っている。その思い込みをどうやって外すのかというのが、未来を考える出発点だと思っています。

未来というのはあるようでないもので、そもそも社会というものもあるようでないもの。玉ねぎのように重なり続けているものとして。でも玉ねぎを剥いていくのはすごく大変なので「玉ねぎがある」と思ったほうが楽だから、そう思って暮らしている。そして、この「玉ねぎの皮を剥いていく作業」というのは、最後には「ない」という結論に行き着くので、それはとても辛いこととも言える。できれば気づかないほうが楽なのかもしれません。

*著作権フリー https://pixabay.com/photos/onion-allium-cepa-red-onion-sliced-276590/

例えば『マトリックス』という映画の中で、青い薬と赤い薬のどちらかを飲むか、選択を迫られるシーンがあります。青い薬を飲んだら全てを忘れて元の世界に戻れる、でも赤い薬を飲んだら辛いけれど真実を知ることができる。これが面白いのは、青い薬を飲んだとしても世界は滅亡しないし、今の暮らしを続けられる。地獄というわけではないし、そこまで悪い社会ではない。でも、課題はたくさんある。僕としては、その課題を1つ1つ解消するよりは、むしろ赤い薬を飲んでバンッと全部まとめて解消したい、そんな感覚を持っています。そうすることで、全然知らなかった未来を見ることができるのです。

未来は、実は完全なホワイトスペースなのです。でも、たいていの人は未来はほとんど全部決まっていると思い込んでいる。どうやったらそれを止められるか。「いったん止まる」みたいな部分がすごく大事だと思います。

そう考えるようになったきっかけの1つは、バックミンスター・フラーの著書でした。20世紀を代表するアメリカの建築家、思想家であったフラーは人類の持続可能性を探求し続けました。数多くの著作を残していますが、例えば『宇宙船地球号操縦マニュアル』の一節では、食糧の問題が例に上げられています。地球における総量で見れば食糧は足りている。ある地域では余っていて、ある地域では足りないというような偏りがあるだけなのだと。だから、明日この瞬間にすべての地域に行き渡らせることも不可能ではないわけです。しかし、その可能性というのは可能性のままずっと残っている。

そして、100年、もちろんもっと長く1000年や1万年で見てもいいのですが、状況を放っておくとすると世界はずっと偏りがあるままです。それはなぜか? 足りているのに偏りがあるなら、その偏りをみんなで解消したらいいじゃないかと思ったんです。一生懸命もっと多くの作物を作ろうとするよりも、どうやったらちゃんと必要な人に行き渡るかを考えればいい。全員でヨーイドンでやれば、もしかしたら明日にでも解決するかもしれない。フラーの本を読んでいるときにそう思ったのです。「明日までに食料を作らなきゃ」ではなくて、食料はもうこの瞬間に余っていて「既にある」のです。

このように、食糧問題は非常に分かりやすいのですが、どんな物事であっても本質は同じで、可能性はたくさん存在しているけれど、放っておくと可能性はずっと可能性のままで終わります。そして、その可能性というのはゼロではなくて、ひょっとしたら達成直前の99%ぐらいまで来ているかもしれない。ちょっとしたきっかけで、未来がパンッと変わるかもしれない。それをどうやったらできるのか?

と、思考としてはそうなのですが、ではそれをどうやったら実現できるか、そこがやはり問題となってきます。どうやったらできるか? というところに関心を持った時、ずっと研究者になりたかったのを一旦おいて、研究者ではなくて実践者になろうと思い、現場に入り、そして今はNPOを運営しています。

未来の側から現在を見て「いける」という感覚を持つ

話を少し戻すと、大学院で人格心理学について学んでいた頃、いくつか興味を持ったテーマがあったのですが、1つは先ほど話した価値観の形成、もう1つがアブラハム・マズローフランクルなどの心理学者が言っているような、人が最終的に取る行動の原理はどこから来るのか? ということにもすごく興味を持ちました。

人間の価値観は外から来るのですが、その一方で生まれた赤ちゃんは放っておいても動く。価値観があろうがなかろうが動いている。つまり外界との接触があって価値観が入ってくるわけですが、心理学ではそれを「動機付け」で説明します。例えば、ERG理論では「Exsistence(生存)」のE、「Relation(関係性)」のR、「Growth(成長)」のG、この3つが並列にあって、生存欲求・関係欲求・成長欲求、この3つの間を行ったり来たりするような構造で動機を捉えています。

クレイトン・アルダファーはマズローの仮説(欲求5段階説)の実証研究を経て、このERG理論を提唱しました。この3つの欲求は同時にどれもがバラバラに発生し、順を追って満たさなくてもいい。いきなり「成長欲求」が出てきたりもする。成長欲求というのは、わかりやすく言うと「楽しみ」や「好奇心」のことで、それが「内発的動機」につながっていきます。一方、内発的な動機を打ち消す方法として「外発的動機」というものがあり、それは褒めるとか、報酬を与えるとか、地位を与えるなど、一見すると価値があるように見える幻想です。

動機というのは時間軸のベクトルが必ず未来方向です。食べるためでも、関係性のためでも、成長のためでも、必ず前向きに出てくる。内発的動機が出ている状態は自動的に何かをやっている状態になるのです。勝手に何かをやってしまっていて、結果的に何かが起こってくる。逆に、何もやっていない状態というのは、内発的動機が外発的動機にもうメタメタに打ち消されて、しかも外発的動機も取り外されていて何もできないという状態です。

人間は放っておくと成長欲求があるので前に進もうとします。内発的動機づけの研究を行った心理学者のエドワード・デシがすごく良い例を出していて「木は植えると勝手に伸びる」と。外から「伸びろ」と言われなくても勝手に伸びる。同じように、人間も生まれると勝手に成長を志向する。放っておいたら進む動物、止まらない動物です。僕の中では、木の成長も人間が前を向いて進むことも「進化の結果としてたまたま出てきているもの」であり、一緒だと思うんです。

今の世の中では、端から端まで外発的動機で好奇心をメタメタにやっつけてしまう。特にビジネス社会においては、内発的動機が外発的動機によって徹底的に打ち消されてしまう。だからまず「ナチュラルになる」というのがとても大事なのではないか。とにかく外発的動機を取り払って、内発的動機によるコミュニティ、企業や職場などを作っていけるとよいのではないかと思ったわけです。

取り組みの中で、最初に興味を持ったのは価値観形成の研究をしている中で出てきていた「視野を広げること」でした。価値観というのは、他の視野を取り入れることで視野が広がっていく性質を持つものです。自分の中の価値観が増えることで物事を多面的に捉えられるようになり、ものの見え方が変わる。そこで、視野を広げるためには「視座を上げる」のが手っ取り早いのではないかと考えたのですが、うまくいきませんでした。視座を上げるということに興味がある人しかやらないんですね。そもそも、そこに興味がないと行動は生まれません。

『マトリックス』の話で説明すると、楽なままでいる青い薬を選ぶことと一緒で、そもそも視座を上げることに興味がないので何も始まらない。そこで、行動につながる内発的動機を作るような取り組みを考えました。対話によって対等な関係性を築いていくこと、そして自己決定的なステップを経ることで内発的な動機を高めていく。結果、自律的な行動が生まれ、職場改善や組織変革できるのではないか。しかし、内発的動機が生まれてくるというのは、あくまでも方法であって目的ではありません。

そこで、目的について考えてみると、自然な行動が起こることの先には何か新しいことが生まれることがあるんだな、というところに行き着きます。つまり「未来」のことです。結果的に自分自身の仕事も、職場や組織の変革よりも「未来をどう捉えていくのか」「どうすれば未来がつくれるのか」を探索し、実現していくするという方向に変わってきています。例えばいま研究・開発している技術が未来社会でどのような意味を持ってくるかを検討することや、またそのための研究・開発プロジェクトを立ち上げたり新しい新規事業を立ち上げたり、プロセスではなく目的を元にしたことが今、自分たちに求められることが多いものです。

いわゆる「バックキャスティング」という思考は、目標となるような未来を想定し、そこを起点に今何をすべきかを考える逆算的なものだと思われています。もちろん逆算的な側面はあるのですが、バックキャスティングの面白いところは、むしろ「幻想から帰ってくる」という感覚です。「絶対にこれだ」と決めこんでいくというより、どっちかと言うと、未来の側から現在を見て「ここならきっといける」「ここならきっと意味がある」という感覚を作ることのほうが重要です。結果としては目標も設定しますが、それは未来からの逆算というよりもむしろ「未来はホワイトスペースだ」ということが自分の中でどれだけ腹落ちするかが重要です。その感覚さえ掴めれば「まず何をやるか」を考えればいい。「すぐにできること」「ちょっと頑張ればできること」「長く積み上げたらできること」などに分けていって、具体的な行動を組み立て、起こしていきます。

*著作権フリー https://pixabay.com/ja/photos/キャンバス-空白-テンプレート-5994251/

問いかけと行動、「何かが分かる」ならそこに向かって一歩でも刻む

未来を見ようとするときに、何年先までどれだけの解像度で予測できるのか、そこに注目が集まりがちです。例えば、環境という分野ならば射程距離が遠くまで取れて、反対に通信とか情報技術であればぐっと近くなって10年くらいかもしれない。ただ、環境の射程距離が比較的遠くまで設定できるのは地球環境シュミレーターや、気候変動のシミュレーションがあるから。気候変動シミュレーターは物理法則を入力して現在地を入れて、100年後にこうなるというシミュレーションを走らせているだけです。

100年ぐらい先までなら誤差は小さいだろうということで、100年先までの予測を立てるのです。もちろん、シミュレーションを回せばいいだけなので、そのあとの予測も立てられますが、誤差がどんどん広がっていくので予測の意味がなくなっていく。シミュレーションがもっと精緻になれば1000年後まで見通せるかもしれません。

そして、前述の通信分野の予測でも、10年20年後にはより精緻な予測が立てられているかもしれません。50年前には「ムーアの法則」もありませんでした。そのさらに50年前にはコンピューティングがどのくらいのスピードで進化するかも分からなかった。今は50年検証されてきた仮説があるので、それを土台にしてもう50年ぐらい先を考えてみることができる。

つまり、たまたま予測についての良い道具を持っている分野で「未来の予測」について言っているだけで、それは道具が増えれば変わるし、現状は今ある道具を使った予測しか手に入らない。結果として、断片的にならざるをえない。そして、そもそも予測はどうでもいいというと語弊がありますが、予測だけでは意味がないと思っています。予測の価値は「じゃあどうするの?」と今の僕たちに問いかけてくれることにあります。「すごく気温が上がるよ、どうする?」だったり、「すごいスピードのコンピューターが出てくるけど、どうするの?」という形で問いかけてくれることです。そしてさらに進めると、大事なのは問いに対して「どうリアクションするか?」のほうですよね。

問いの手前の前提条件が分かっただけでは、実はまだ何も分かっていない。まだホワイトスペースのままです。そうではなくて、問いかけられて、そしてそこから動き始めたときに初めて、そのスペースにいろいろなものを打ち込むことができる。未来を実際に起こしていくことができるのです。別に問いがあろうがなかろうが、前提条件を知らなくても起こしている人は起こしています。「前提が分かること」と「何か行動が起こること」はイコールではないのです。逆に、行動をしていれば前提を知らなくてもいい。

その上で、今度は未来に対して射程距離を遠くまで取るにはどうすればいいかというと、それは視座の高い問いかけがあるかどうか、だと僕は思っています。

究極的には、大仰ですが、「人が生まれてきた意味を知りたい」と思っています。700万年前に森からサルが出てきて、40万年前にホモ・サピエンスになった。誰も意図していないし、たまたま生まれただけですが、たまたま生まれたことに何か意味があるとしたら、その意味をやはり知りたいと思うのです。

それはなぜかと言うと、人間は本当は森の中にいたほうが楽だったと思うんです。先ほどの『マトリックス』の薬の選択になりますが、アリや蜂たちは、どう考えても悩んでいないけれど、うまくやっている。あんなに悩まずに自由にやっているのに、うまくやっている。なんかいいなと、ずるいなと思うんですよね。もちろん、環境を自分で変えたりはしないので、環境がすごく変わってしまうと場合によっては絶滅する可能性もありますが、人間だって同じぐらいの確率で絶滅します。

人間が森から出てきたことにもし何か意味があるとしたら、このある種修行みたいな人生にも価値があるのではないか。人間はすごく悩んで、どうやったらうまくいくかを考え、やってみては失敗し、それを繰り返していく。その先に何かあるのか、それを知りたいのです。そんなに素晴らしい世界だとは限らないし「何か」を知るだけかもしれないし、今すぐには分からなくても、そこに向かって行きたい。何か新しい社会が実現するというなら、そこに向かって一歩を刻みたい。

もしそれを知るのに100万年かかるというなら、それは100万年という射程を持った未来の問いかけです。人類の歴史は過去700万年あって、それでも分からないなら、分かるまでにあと数百万年はかかるのではないかと見積もることもできます。他にも、例えば人類の集住は15000年前から始まったと言われています。この集まって暮らすこと意味は何だろうか、それが分かれば都市のあるべき姿、新しい暮らしや働き方の姿のようなものが見えてくるかもしれない。ただ、15000年かけて刻んできたことなので、さすがに今日明日で突然変わる可能性は低いかもしれませんが、もしかしたら明日変わるかもしれないし、その可能性は常にあるということです。

CC BY 4.0, Left femur of extinct elephant, Alaska, Ice Age Wellcome L0057714.jpg, Wellcome Images
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Left_femur_of_extinct_elephant,_Alaska,_Ice_Age_Wellcome_L0057714.jpg

「分かる」ことにあまり価値はなくて、分からないから探求したり取り組んだりする。だから、必要な情報はむしろ「分かっていないことは何なのか」だと思います。一度ホワイトスペースという前提に立って、時間の見積もりをせずに「自由に考える」というところに立つ。それで初めて「人類の意味とは何だったんだろうか」という探求に入れるのだと思っています。

人間がなぜ森から出てきたのか、その理由は分かっています。食べ物がなかったり、もっと強い動物がいたからです。しかし、問題は森から出て何の意味があったのか、です。森から出たのは適応圧で、基本的に進化は適応圧がかかってそれに対応することで起こります。それで森から逃げてきたわけですが、それでもうまく生き残ることができた。たまたま親指が内側に向くし、二本の足で歩けるので、子どもたちのために危険なところから食べ物を獲って運んでくることができた。たまたま手が器用に使えたから、肉食獣の食べた残りカスや、骨に残った肉片などをうまく石や木の枝を使ってこそぎ落として食べることができた。たまたま二本足で立っていたから、脳がどんどん大きくなっていった。

例えば、狩りは予測をしないとできません。予測をして狩りをするために脳が大きくなっていった。生き延びる方法として予測することが有効だったわけです。しかし、予測をすることができるようになると、未来のことを考え始める。すると、自分はいずれ死ぬということが分かるので、死ぬことへ恐怖や不安が生まれてくる。これは全部、結果として生まれてきたものなのです。

たまたま狩りが上手になってたくさん食べることができた。たまたま立っているので、大きくなる頭に耐えられた。たまたま人間は首が真っすぐなので重いものを受け止めれることができた。サルは木にぶら下がりますが、木にぶら下がると首が真っすぐになるのです。たまたま首が真っすぐという動物が生まれて、しかも森から追い出されて、たまたま肉を食べられる環境に入ってしまった。そのたまたまが積み重なって、たまたま大きな脳が手に入った。

脳は思考するために最初から作られたものではなくて、感覚情報をうまく処理するためにできた器官です。感覚情報が大量に入ってきたら困るので、取捨選択をして、その情報をもとに敵から逃げるといった判断ができるようになった。しかし、そこにいろいろな偶然が重なって「未来の不安」も感じるようになった。メタ認知の機能を手に入れたから、自分のことを俯瞰して見たり、社会のことを俯瞰して見たりするようになった。しかも時間軸を持っているので、先の時間に対して俯瞰して自分のこと以外も考えられる。

本当に進化の偶然の連続で、たまたま僕たちのような生き物が生まれてしまったわけです。でも、たまたま生まれたにしては面白いものが生まれたわけですよね。この面白い生き物が生まれたことが、宇宙にとってどんな意味があるんだろうか、ということです。

宇宙も元々は水素をはじめ、軽い元素だけで始まった。そして、惑星が生まれたり、生命が生まれたりした。生まれたことにやはり意味があるはずです。たまたま水素が生まれたことで、たまたま惑星が生まれたこと、たまたま生命がうまれたことが、今ここにつながっている。では、人間が生まれたことは一体何につながっていくのか。「人間の生まれた意味」それを知りたいのです。例えば、最終的に機械生命を生むためだとか、宇宙を情報で満たすためだとか言う人たちもいます。僕は「そうかな?」と思いますが、そうやって、いろいろな考え方を出すことがすごく大事だと思います。「人間の意味ってこうかもしれない」ということに向かって、みんなで協力して確かめてみる。そうすることで「その未来」がちょっと早く起こる。

先を考えるというのは、1つの人間の意味かもしれないと思っていて、すごく興味があるところです。先を考えると、それがうまく当たれば先取りになるかもしれない。そうすると、本来宇宙が持っていた寿命の中で到達するはずだったものよりも、遥かに遠いところまでいけるかもしれない。放っておいても進んでいくとは思うのですが、宇宙には宇宙の寿命もあるし、宇宙の寿命の中でそこまでいける可能性をちょっと早めてくれるから意味がある。だとしたら、人間という思考による「圧縮生物」が生まれたということです。他の宇宙では生まれなかったかもしれない。これはすごいことですよね、そういうふうに何か意味があると思いたいし、その意味を考えるために時間を使える社会であって欲しいと思っています。

*パブリックドメイン、著作権フリー
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Helium-3_und_Helium-4.gif

問答

Next Wisdom Foundation 事務局(以下 NWF):以前「未来年表」を作っている岡部昌平さんが仰っていたのが、例えば新型コロナウイルスや地震みたいな災害が、起きたときに熟して起こるはずだった未来を引き寄せてしまう。もっと楽しかったはずの未来を見る機会を失っているかもしれないと。西村さんが今回のコロナ禍の中で感じたことや、世の中の変化のようなものがあれば、お聞かせいただけますか?

西村:なるほど、それはとてもおもしろいですね。それに対しては、2つ加えたいことがあります。震災もそうですし、コロナでも同じなのですが、確かに一部の未来を引き寄せてはくれますが、ものすごい修復力で元に戻る。ほとんど全部元に戻る。例えば東日本大震災のとき、僕は東京に住んでいましたが、東京という街はそこから1週間止まりました。経済活動も街の機能自体もほとんど止まってしまった。物流が止まってコンビニの棚も空になった。

その1週間の変化を見て、僕は「いいことだな」と思っていたんです。この時期に首都圏に住む約3000万人が「日本ってなんだったんだろうか」とか「自分の仕事ってなんだったんだろうか」と考え直せたとしたらすごく世の中が変わるなと。震災は災害だから「害」なので悲しい。でも、みんなが考え直すための1週間を得ることができたのはすごく良いことだなと思ったんです。でも、1週間後、ほとんど全部元に戻ってしまいました。みんな普通に出勤して、物流は普通に流れて、普通に買い物に行き、普通に外出をし、何も変わらない。あれだけインパクトがあったのに「1週間で戻るんだ、すごいな、この復元力は」と思いました。

それがまさに今また起こっていると思います。新型コロナウィルスは、久しぶりに来たパンデミックなのでみんなアタフタしていますが、ものすごい勢いで元に戻そうとしている。その復元力が凄まじい。いくらお金を使ってでも元に戻してやる、という状況ですよね。そこまでしなくてもいいんじゃないというぐらい、元に戻そうとする。

一部は確かに変わります、震災の後も、例えば「ボランティアはいいことだね」といったことや、企業でも「社会的価値を発揮しよう」という流れができました。しかし、ほとんど全部「戻ってしまった」というほうが感覚としては強い。今回も、例えばオンラインのコミュニケーションはグッと進んだと思います。でも、ほとんどが元に戻っています。新しいコミュニケーションに適した新しい街を作ろう、という話にはならない。本当は「よかったね、戻ろう」ではなくて、「そうか、でも次はまずいかもしれない」「次、どうしよう?」ということを考えなければいけない。

変化を起こす力もありますが、それ以上に社会の側の修復力のほうが僕は怖いなと思っています。本当は「こんなにまた戻っちゃった」と考えなければいけない。修復すること自体はいいと思うのですが「なかったこと」にして、「未来をどう変えていくか」みたいな話にならないのはとてももったいない。せっかく気付けるチャンスだったのにと感じます。

著作権フリー、NWFライター清田撮影

NWF:ミラツクさんは様々な企業とコラボレーションをしていますが、企業側の狙いや目的はどういうところにあるのでしょうか?

西村:会社には2つの役割があって、1つはその会社自体を維持していくこと。もう1つは、価値を生み出すメカニズムを回し続けること。なんらかの価値を社会に提供して、それがまた巡り巡って自分たちの会社へ戻ってくる。会社は、内部のメカニズムを循環させるループと、社会と接続して価値を提供していくループ、この2つのループを持っているのです。

この2つのループのどちらが先かというと、もちろん社会への価値提供です。価値提供があって、それがだんだん大きくなっていって、大人数でちゃんと回るようなメカニズムとして企業を作り上げて、その組織を維持していくのです。価値提供がベースなのですが、組織を回すこともかなり大変なので、回すほうに注力していくと「そもそも私たちの価値ってなんだったっけ?」という状態になってくる。そうすると問い直したくなりますよね。「会社が回っている意味ってなんだろうか」と。

そこでもう1回問い直したときに、社会と再接続できるような価値を考え直さないといけないということになる。もしくは、気づかないうちに提供している価値のようなものを可視化しなければならない。それが何なのかを一緒に考えて、それが新規事業だったら新規事業だし、探求するラボだったらラボを作る、ということが、みなさんと一緒にさせていただいていることではないかと思います。

NWF:会社を回すために「外発的動機」だけで社員をコントロールしようとすることも問題かもしれません。

西村:そうですね。外発的動機で駆動する組織の中にいても、本人が幸せだったら僕はそれで良いと思います。しかし『マトリックス』の話もそうですが、気がついたときが辛い。全部が幻想だったと最後になってから気付くんです「もう残されてる時間がない」と。気付かないまま人生を終えられればよいのですが、そこで振り返ってしまうと「自分の人生の意味はなんだったんだろうか」と絶望してしまう。だから、気付くなら早いほうがいいと思います。

例えば、20代の人はまだ若いし人生の時間がかなり残っているので「気付くこと」よりも「気付いた後にどうしたらいいか」を伝えるようにしています。「こういうふうに生きてみたら?」とか「こういう人に会ってみたら?」でもいいし、「こういう本を読んでみたら?」でもいい。まず、最初の行動の取っ掛かりを作ってあげることが大事だと思います。行動にしないと前に進めないし、気づいただけではどうしたらいいか分からなくなってパニックになってしまう。気づくことに加えて、何か行動を提示してあげるのがいいかなと思います。

それでも、何を教えるのがベストなのかまだ僕もよく分からないので、慶応SDMという大学院で授業を持っていた時は、自分と同じような追体験をする授業をやっていました。僕がいろいろなことに気付いたり、いろいろな人に出会って教えてもらうようなプロセスを圧縮して、学生に同じようなものを提示してみると、同じようなヒントを得るかもしれない、というようなことを授業にしていました。

NWF:最後に、西村さんがつくりたい未来とは、どんな未来ですか?

西村:やはり「人間が生まれた意味ってなんだったんだろうか」ということに、多くの人が時間を割ける未来ですね。昔の哲学者はそういうことを考えていたのですが、ある種の暇な貴族じゃないとできない。ほとんどの人は、そういうことを考えるのを許されていなかったわけです。その後、たまたま資本主義が生まれてくれたお陰で、社会にものすごく貯金がたまった。だから、本当はそういうことに時間を使ってもやっていけるはずなんです。昔よりたくさんの人がその貯金を使って「人間ってなんだったんだろうか」ということに時間を使えるような時代になったと思っています。

これはすごくありがたいし、まさにケインズが言っていたように「複利で生産性が1%向上すれば、働く時間が1日4時間、週3日になる」と。今まさにそういう時代になっているはずです。社会としては貯金がたくさんある。食糧だって十分にある。方法論もあるし貯金もたくさんあるので、「人間ってなんだったんだろうか」と考えようと。つまり、それは科学であり哲学なのです。もともと科学の目的は技術ではなく、真理の探求です。科学的方法論を使って真理を探求するということに時間を割けるといいなと思います。

「芸術」「哲学」「科学」この3つに時間を割ける未来が来るといいなと思っています。意外とそんなに大層なことではなくて、みなさんが日々やっていたりもするのです。例えば、1000年前の人達は簡単には美術館にいけなかった。それこそ貴族しか日常的に芸術に触れることはできなかった。それが、今は誰でも美術館に行けます。すごい時代ですよね、簡単に美の探求ができるのですから。

だから、思っているほど遠い未来の話ではなくて、割と日常の中にあるものなのです。ただ、視点がそちらに向いていないだけ。多くの人が本来の人生の目的の方に視点を向けることができればいいなと思いますし、そうなればさっきの「復元力」みたいなことも起こらないはずです。「やったー! 探求できる」とか「会社に通勤しなくていいんだったらメッチャ探求できる!」という感じになるはずなんですね。視点がそちらに向けば、かなり未来は変わっていくのではないかなと思います。

CC BY-SA 4.0, Red and blue pill.jpg, W.carter

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