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「料理人の輝く社会が、未来の美しい光景になる」 スピーカーインタビューVol.1辻調理師専門学校 小山伸二さん

2020年11月、Next Wisdom Foundationは書籍『NEXT WISDOM CONSTELLATIONS 2014-2018 叡智探求の軌跡』を刊行しました。2014〜18年に私たちが探求してきた古今東西の“叡智らしきもの”を凝縮し、1,023ページにおよぶ辞書のような1冊に仕上がりました。この連載では、本に登場する65名のスピーカーひとり一人に話を聞き、当時からのアップデートとコロナ禍での変化と進化、未来の可能性について議論していきます。

第1弾は小山伸二さんに話を聞きました。小山さんは第3章『命をつなぐ』「おいしい」とはなにか(246ページ)に登場します。2016年にインタビューをしてから5年、小山さんは職の領域を広げ、学生たちと対話する中から新たな課題と希望を見出していました。

<プロフィール>
小山伸二さん 辻調理師専門学校・メディアプロデューサー
1958年鹿児島県生まれ。東京都立大学法学部卒業後、柴田書店入社。食文化、コーヒー,料理本などの書籍編集者を経て1988年より辻調理師専門学校にてメディア・リレーション、出版企画、勉強会のコーディネイトなどを担当。立教大学観光学部兼任講師、慶應大学SFC研究所所員。日本コーヒー文化学会常任理事。専門はカフェ・コミュニケーション論。個人で出版社・書肆梓を主宰。著作に詩集『きみの砦から世界は(思潮社)』『さかまく髪のライオンになって(書肆梓)』『コーヒーについてぼくと詩が語ること(書肆梓)』

コロナ禍で焦点化された「料理人」に求められるもの

Next Wisdom Foundation(以下NWF): 『「おいしい」とは何か』のインタビューから5年が経ちました。この間に小山さんにはどんな変化がありましたか? 最近の興味関心はどこにありますか?

小山伸二(以下小山):『「おいしい」とは何か』をインタビューしてもらったことが、僕のその時点でのfutureを決めたところがありました。あの記事が一つの名刺のようになり、僕の考えを面白いと言ってくれる人たちに広がって、結果的に立教大学観光学部の「ガストロノミーと観光」という授業につながりました。その評判(笑)が広がったことで辻調理師専門学校(以下辻調)でも授業をさせてもらうことになったのが、コロナ禍に突入した2020年4月からの動きです。

『「おいしい」とは何か』の記事が、僕の食文化論・ガストロノミー論の骨格を作っているのは間違いがないことです。

この5年の間に、僕自身の食に関する知見や考え方がさして更新されたわけではないけれど、これまで得た知識・情報、あるいは考え方を僕なりに編集して、20歳前後の若い世代や料理人の卵たちに伝えることが、僕の本業になりました。

もう一つ、学校の仕事とは離れたプライベートな活動ですが、自分の作った出版社を始めました。インタビュー後に自分自身の第四詩集やコーヒーの本を出版しました。

10代後半に夢中になり20代後半に挫折した出版社をやるという夢の続きが、60歳を過ぎて実現したのです。現在、取次店を通して全国の書店さんに流通させるところまで漕ぎ着けました。少部数出版なので、手間暇かかる有機野菜を作る農家のような形で、出版業をやっていけたらなあと、思っています。まわりからは、「マルチにいろんなことをやって、すごいね」と、いささか揶揄されるような感じで言われてきましたが、あちこちに散らかっていたことが、やっと自分のなかでひとつに繋がってきたように感じています。

NWF:コロナ禍で食に関する環境の変化はありますか? 外食産業は自粛対象になっていて、小山さんは食の世界の変化を体験していると思うんです。

小山みんな「変わった」と言うけれど、変わったのではなくフォーカスされたのだと思います。たとえば食が持つ問題点や飲食業・小商い・自営業者が抱えている労働問題や地域格差、そういうものが浮き彫りになったと言うほうがおそらく正しい。都市生活者は生産者と連携することで生きている、ということを「食」を通して理解し、それが焦点化されたから、もっと頑張ろうとなった。飲食業や小商いはコロナ禍の制約の中で出来ることは何だろうと考えた。単にデリバリーが増えたということではなく、もっと根本的に街にお店があることの意味が問い直されています。

もちろんコロナに限って言えば、大きな被害を受けた人と、コロナ禍でも利益を上げた人がいるでしょうから、全て一緒だとは思いませんが、問題は地続きだと思います。それは10年目を迎えた東日本大震災から復興されていない今日に至るまで地続きであり、コロナ禍だから変わったわけでもなく、相変わらずやり続けないといけないことがたくさん残っている。

コロナ禍で、学生たちは就職先が無くなったり就職活動が出来ないなど様々なことがあるけれど、根本的には人に美味しいものを作ってあげるという、職業としての料理人に求められていることが焦点化されたのだと思います。短期的に見るとコロナ禍は大変だけれど、焦点化されたという意味では今の学生は良い時期に学びの時間を持ったのかもしれません。

NWF:コロナの出現によって、自分の役割を思い出し、見直すきっかけになったということですね。

小山:はい。震災・戦争・革命などによって、普段は感じない漠然とした課題が良くも悪くも突きつけられて、それぞれの職業や役割の本質を考えるということは、あるでしょう。僕たちは、そういう時代に生きているのだと思います。国境に関係のないウイルスが地球全体で猛威を振るったおかげで、地球は有限であり人類は同じ宇宙船に乗り合わせているということが焦点化されたわけです。そんな中で、ワクチンも先進国が後進国にきちんと行き届かせようということが語られていますね。

出来なくなったことのかけがえのなさにも気がつきます。辻調の学生は1年間のフランス留学ができなくなり、彼らの人生設計は大きく狂うわけです。そしてこのことは、一方で、同時多発的に人類が体験した貴重な体験とも言えます。学生たちに伝えているのは、自分たちが2020年のコロナ禍に、料理人の卵であったということは10年・20年後に世界中のキッチンで語られる共通言語になるということ。その同時代性は、その繋がりは、まるで戦友のようなものでもあり、今の学生たちの世代は目の前のことをやりながらも、俯瞰的に大きな視点が備わるだろうと思います。

みんなで黙って食べたらどうなるのか

NWF:学生の時に社会的に起きたことが、価値観をつくっていく。そうすると今の学生は文化として何を持っていくのでしょうか?

小山:いろんな言い方ができますが、一つは共食です。共に食べるということが奪われた時にどんなことが起こるのか? あるいは失われてしまった共食という行為にはどんな意味があったのか? 逆に、一緒に食べるということだけが本当に良いことなのか? コロナ禍になって、食べるということに関してみんなが考えたと思うんですね。

たとえば、コロナ前は実習で料理を作り自分たちで作ったものを食べながらディスカッションすることを奨励していました。主観的な自分の味覚を客観的に伝えることで言葉を磨き上げ、味覚のコミュニケーションの成熟を促していたんです。しかし、コロナ禍の実習はソーシャル・ディスタンスを取りながら料理を作り、アイコンタクトをしながら黙って食べて、食べ終わってからディスカッションをする。いわゆる黙食のようなことをしているわけです。黙食というのは山伏の修行(「壇張り」と呼ばれる一汁一菜の食事)にありますが、黙って食べることで最後に食べ終わる人のタクアンのポリポリという音まで聞こえるんです。学生たちは黙食を経験して、黙って一人で味わっているのだけれど、みんなと一緒にいるということがいつになく体感できたと言いました。

とにかく共食が大切とか、食べながら話すのは良いことだというのではなく、食べるということのコミュニケーションについて肌感覚で感じ取ってくれたのではないかと思います。この感覚はプロの料理人になる上で重要なことです。お一人様のお客さんにも居心地良くいてほしいし、集まることが目的でワイワイと食事が蔑ろにされる場の雰囲気であっても、料理を提供する側としてみんなに楽しんでもらうようにする。コロナ禍は、みんなで黙って食べたらどうなるのか、小さなコミュニケーションにおけるソーシャル実験をしているとも言えなくないと思います。

もう一つは、生産地と消費地は繋がっていることが実感できたこと。遠隔地で作ってくれた物が届いて実習室で仕込みをして自分たちの料理になっていくありがたみは、コロナ前のどこでも行けた時代と比べて大きく実感できます。コロナ禍によって、都市と生産地の繋がりや感染リスクを冒しても運んでくれる物流の人たちのかけがえのなさは、学生たちも感じてくれていると思います。

コロナ前は生産地まで行って課外授業を行っていましたが、今は地方の生産者とリモートでつないで授業をしています。先日、宮崎県・高千穂の耕作放棄地で和牛を放牧している72歳のおじさんとリモートでつないで、牛さんたちが牛舎に入る様子を実況中継しました。ITに強くて裕福で、常に最新のiPhoneを持っているおじさんなのですが(笑)、牛をペットみたいに連れ歩くのを各々の自宅で見ていると、課外授業とどちらがリアルなのか一概には言えません。

実際に高千穂に行くとなると10数人ですが、オンラインなら100人で見て100人の反応がダイレクトにおじさんに伝わる。数字だけで語ると日本の農業は暗い話しか出てきませんが、ITに強いおじさんが高千穂で和牛を放牧してわりと裕福に農業をやっているという、ある種の希望をオンライン授業で紹介できるのはコロナ禍ならではです。

YouTubeより引用

非常時に料理人ができることはたくさんある

NWF:料理人を志す若い人たちは、コロナ禍という環境でどのようなロールモデルを描いているのでしょうか?

小山:最初の非常事態宣言後、もう飲食店はやっていけないという雰囲気になって僕たちも心配したんです。あのとき学生たちは心の中でどう思っているのか、どんな不安を抱えているのかと考えていたのですが、結果的に僕は良かったと思うところがあります。

一般的に専門学校は職業訓練校と思われがちですが、僕たちは教育機関という矜持で授業をしていて、10年・20年先の理想的な職業像を目指してやっています。卒業したらすぐに戦力になって、料理長が指示されたことだけを完璧にこなせる立派なロボットになるために学生たちに教えているわけではない。コロナ禍の現在は就職で苦労するかもしれないけれど、学生を受け入れる側も現状と向き合いながら、あの手この手で従業員が雇えるような体制を作って下さっています。

特に、この時期にフランス料理店やイタリア料理店で採用してくださるところは、自分たちのことをきちんとやりながら、なおかつ寝る間を惜しんで医療機関に無料でお弁当を届ける等のプロジェクトにも取り組んでいる。そういうところに学生たちは行くわけです。綺麗ごとではなく、本当に『コロナ禍時代の学生』という一つのジェネレーションを作れるかもしれないと思っています。

NWF:医療機関にお弁当を届ける料理人の話が出ましたが、新しい料理人の働きかたやサービスは生まれてきていますか?

小山:よく言われていることですが、困った人たちがいたら日常生活の中でやりくりをして時間を作って手助けにいくボランティア活動が阪神淡路大震災以降に定着してきた中で、料理人の社会貢献は、ほかの業種に比べて少ないのではないかと言われる場合もありました。その後、東日本大震災などでは多くの料理人さんたちが活躍されました。長い避難生活中に冷えたパンやおにぎりばかりでは飽きてしまう。食べるということがいかに人を癒すのか認識されてきた中で、ひとたび料理人という職業に就いたら美味しいもので人を癒す力を発揮できる。

こうした料理人の職業倫理をもって行動するという動きは、10年前から出来てきたと思います。最近印象的だったのは、横浜港に寄港したクルーズ船内でコロナが発見された際に国境なき料理人団がやってきて料理を作ってしました。東日本大震災以降で準備をしてきたので、コロナ禍の料理人たちの動きは素晴らしいものがあったと思います。

NWF:コロナ禍で『おうちごはん』や『孤食』が増えていると思います。小山さんは、この現象をどう捉えていますか?

小山:特に従業員を雇っている料理人にとっては死活問題なので、お弁当やUber Eatsなどに活路を見出したり、従業員に研鑽を積んでもらうために生産地にインターンに出したりと様々な工夫をしています。奥田政行さんは従業員を食わせるために都会に出稼ぎに行って、本当にアパートに住んでデリバリーを始めました。奥田シェフ自身も運び屋になって、注文をした方が玄関を開けると奥田シェフがいるという(笑)。皆さんいろいろ考えていらっしゃるなと思って、本当に頭が下がります。

孤食に関しては引きこもりもそうですが、そもそもコロナ前から職場があり仲間がいて飲みに行こうぜと言える人と言えない人がいた。性格的に孤食を余儀なくされる生活困窮者はいたわけです。そういう現実が見える化されたのがコロナだと考えたときに、料理が持っている力は大きい。たとえば、孤食だけれどみんなで同じものを作るとか、YouTubeでシェフが料理教室をやってみんなで画面を見ながら作って食べるということをしていますね。

その場凌ぎと言えばそれまでですが、人間は小説に書いてある文字を読むだけで涙を流すことができる創造力豊かな生物です。オンラインでコミュニケーションしていても想像力を働かせられるし、Zoom上でみんなの表情を見ながら一緒に食べていても、食べるということの楽しさの一部を形成していると言えます。人は基本的には孤独なものですから、孤独をどういうふうに凌いでいくかを考えると料理人がやることはたくさんあるし、既にいろんな場所でチャレンジが繰り返されています。

料理人は、ポスト資本主義のプレーヤーになれる

NWF:小山さんはどんな未来を作っていきたいと考えていますか?

小山:大きな話ですが、そろそろ資本主義経済・資本主義社会の終焉の始まりに着手したいなと思います。斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』がベストセラーになっていますが、そういう本を読むとSDGsを単なる掛け声に終わらせないためにも、開発、発展、経済成長という大前提に縛られている「資本主義社会」の限界に気づく。地球環境を守るために新しいプロダクトを作っていくことに違和感があります。人間社会というのは本当に新しくないといけないのか? 未来は常に更新されないといけないのか? 未来を考えるときの大前提にクエスチョンを置くことが重要なことだと思います。

実際にどんな状態かというと、資本主義経済の初期段階のように公共の福祉を大事にした経済をベースに資本家が夢を託して資金を集めて事業をする。公共の福祉と資本主義の両軸があったはずの時期までネジを戻す。小さなコミュニティの中で大きなことを語りながら、リアルに「小商い」して、お金が回るようにしていく。たとえば、豆腐工場を作ってオートメーション化すればコストの低い充填豆腐が出来ると分かったけれど、実は2パック50円のスーパーの豆腐は人に幸せをもたらさなくて、若い子が修行して始めた豆腐屋さんの120円の豆腐のほうが価値がある、という考え方です。その豆腐を買うという消費行動をすることが、大きく言うと、いきすぎてしまった資本主義経済のネジを戻すことにつながると思います。

料理人という職業や小商いとしての飲食店はポスト資本主義経済のプレーヤーとしてかなり有効な職業だと思うんです。地域の中で地域経済を回すときの主役級のプレーヤーになれるし、生産地で生産者と連携しながら何かを作る時は情報発信者になることができる。人類共通の職業なので、「君はアンデスの山中でやっているんだね、僕は山形県の山奥でシェフをやっているよ」みたいな感じで世界連携できると素敵ですね。

そういう意味で、料理人はますます素晴らしいものになる。料理人という職業が光り輝くような社会が、新しい未来の美しい光景になるのだと思っています。

江戸時代の豆腐売り

『守貞謾稿』巻6、喜田川季荘 編

「国立国会図書館デジタルコレクション」より

 

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