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アートは平和を創るWeapon 〜ロシア人アーティストに聞く、戦争と平和と芸術について

ウクライナを舞台にした紛争がまだ継続しているが、そのような状況の中、ウクライナの隣国モルドバで新たに活動を始めたロシア人の現代美術アーティスト・キュレーターがいる。歴史的にアートやアーティストは戦争とどのように関わってきたのか? アーティストはいま何を考えているのか? 反戦ではなく戦争を超越するために、アートにできることは何か? そして平和とは何か? ロディオン・トロフィムチェンコさんにお話を伺った。

 
<プロフィール>

ロディオン・ トロフィムチェンコ
モルドヴァ生まれ。サンクトペテルブルグでフロイト/ラカンの精神分析を学んでから、2003年から東京に滞在し、日本文化の探求を始めた。武蔵野美術大学で博士号を取得してから「ENTOMORODIA curatorial net/work」としてインディペンデントキュレーターで西洋と日本のアーティスト交流/発表を行ってきた。パンデミックまで日本のアーティストを国際的に紹介するGallery-Neo.tokyo」の運営を行なったが、現在、もっと広い範囲で「Neo Tokyo Body-Mind Transformation Multiplex(ネオ東京 心身変容マルティプレクス)」をモルドヴァのキシナウ、ベルギーのブリュッセルと日本の東京という三角形を構成しつつ、成立させようとしている。ネオ東京では五つの心身変容技法(美術、哲学/精神分析、ヨーガ/瞑想、暗黒舞踏、テクノ音楽)を広げながら、新しい「柱」で立つ都市を作ろうとしている。

ソ連からロシア、東京、そしてモルドバへ

NextWisdomFoundation事務局(以下NWF):まずはロディオンさんのプロフィールを教えてください。

 ロディオン・ トロフィムチェンコ(以下ロディオン):国の名前はいろいろ変わりましたが、私が生まれた当時はソ連という国にあったティラスポリという町で生まれて、その後モルドバに引っ越して、ロシアのサンクトペテルブルクで大学の教育を受けました。それは経済と精神分析でした。それと同時にもちろん日本文化に興味があったので文部科学省の奨学金を受けて、茨城大学でまず日本語を勉強して、その後流通経済大学で日本のテレビコマーシャルの心理的な特徴という研究を1年間行いました。その後、武蔵野美術大学の大学院に入ってから修士課程・博士課程合わせて10年間、精神分析とアート、つまり、美術作品の構造、美術作品を見る経験、美術作品の解釈について研究しました。

美術の中で「空(くう)」という概念はどのようにして機能しているか? 解釈できない、考えられない、目でつかめないところがある場合、それが美術の解釈にどのように機能するのか。例えば、龍安寺の石庭には15の石がありますが、どの視点から見ても石が1つだけ見えないように設計されています。その見えない石が「空」だと言える。見えないことが、石庭の解釈や見方に大きな影響を与えています。そのようなテーマに興味があって、博士課程で研究して博士論文を書きました。

日本に来た理由はもちろん、そのような美術の領域を勉強したかったからです。早稲田大学に入りたかった時期もありましたし、映画の歴史も勉強したかった。もちろん、もっと今も勉強したいですよ。それが20世紀の日本の文化にとってもとても強いところですよ。もちろんそれは澁澤龍彦先生や、舞踏、映画監督たち、人形作家の四谷シモンさんも。何をやるかというより美意識、存在感のことですね。美術にはいろんな領域がありますが、存在感の話ですね。それがとても強かった。彼らが表現したものは非常に強かったし、私から見れば新宿の渋さ、渋い。渋いというか悲しい、と同時に味があって、ちょっと古いというか、いろんな経験をした、ちょっとモノクロ。これをぜひ日本のアーティストたちからもっと見たいです、新しい形で。

 最初はインディペンデントキュレーターとして活動していて「ENTOMORODIA Curatorial net/work」というネットワークを発展させながら、ロシア人のアーティストを日本で、日本のアーティストを海外で紹介していました。その後、ギャラリーでギャラリストとして働き始めた。東京とブリュッセルにあるのですが、COVID-19の時に少しフリーズして、オンラインに移動しようとしていました。しかし最近では、これをギャラリーだけでなく精神的な活動まで組み込んで、より広い範囲で活動するためにNeo.tokyoという枠組みを作りました。このNeo.tokyoの中に、身心変容技法のためのいろんなプラクティス、ツールを提案しようとしているところです。身心変容技法とは哲学者・宗教学者の鎌田東二先生が提唱している概念ですが、私が実践したい身心変容技法はどういうものかというと、第1は身心変容技法としてのアート、第2に精神分析と哲学、第3番目はヨガと瞑想に似た修行、鍛錬。そして第4に暗黒舞踏とトランスを起こすダンス、最後にテクノ音楽。私は全ての分野である程度の経験があって、自分で教えることもできますし、それぞれに先生をお呼びして講演会・上映会・フェスティバルの主催も行いたいと思っています。

 NWF:モルドバでなぜ「Neo.tokyo」なのでしょうか? 東京にこだわる背景はなんでしょうか?

 ロディオン:とても大事な質問だと思います。すぐにお答えできるのは三つのことです。一つは、ユニバーサルなことを示したいので、必ずしも一つの文化に限らなくてもいいということ。私はサイバーパンクが好きで、昔から映画をたくさん観ましたし文学も読んだのですが、存在感として私はサイバーパンクだと感じていて、アンブレラとしていろんなものをキャッチするための一つのブランドとして使いたいんです。将来を創る、賢く考える、古いシステムと戦う、というようなサイバーパンク的な行動があって、Neo.tokyoという名前が相応しいと思ったんです。

二つ目は、私は18年間東京に住んで、日本人からとても大きなことを学びました。それは、日本美術もそうですが、コロナの時に全然収入がなくて、事務所で働けないので、引っ越し手伝いなど肉体労働もやりましたが、その中で多くのことを学びました。工場や引っ越し手伝いの現場に外国人は誰もいませんでした。自分以外は日本人しかいない肉体労働のチームで1年間以上働いて、ものすごいことを習いました。だからこの経験をモルドバでも活かして、日本人から習ったものを毎日使っていますよ。建物を直す仕事からヨガを教える仕事まで、たくさんの東京で得た知識と経験を使っています。だから別にNeo.tokyoというのは悪くないんですよ、活動を示す言葉として。

三番目は、想像してみてください。私は日本の文化が大好きで、いろんなところ、もう人の心から自然まで、全部。もちろん難しいところもたくさんあるけど、それはどこでも当たり前です。日本を離れるのは非常に辛かったです。日本から長くね。もちろん出張とか1週間とか1ヶ月くらいなら問題ないですけど、長く離れるのはとても心が痛かった。だからいっそのこと、日本の文化のオアシスをキシナウの下町に作ります。だから日本の精神はここにもあります。ジャパニーズガーデンも作りたいし、日本の空間を作る線香などを売ることも考えていますし、禅や美術など日本文化について書かれた本も並べたいです。一方でサイバーパンク的で未来派的な『DUNE』のような本も一緒に。基本的にやろうとしているのはこの二つを合わせたスタイルとしてギャラリーを作ろうとしてます

心と身体を分けるから戦争が起きる

NWF:現在ロディオンさんはウクライナの隣国であるモルドバで活動をなさっているわけですが、いまウクライナで起きている紛争によって活動はどう変わりましたか?

 ロディオン:いろんなレベルがあるんですね、判断のレベルに。先ほど言った身心変容技法は何のためにあるのかというと、いろんな言い方ができますが、一番簡単な言い方をすると「心の中の平和」と言ってもいいんじゃないかと思っています。心の中の平和、自分を見つけること、そして自由。これが大きなポイントで、何かをする自由さでなくて、何かからの自由になること。free for ではなくて free from ですね。自分への依存、アイデンティティへの依存から自由になること。例えば「男らしさ」からの自由、既成概念や同調圧力、生理的義務からの自由さ。ある文化が規定するものに対する自由な判断。

いまウクライナで起きていることを見て、私が今からやろうとしていることをできるだけ早く、もっと力を入れてやらなくてはいけないと思っています。人が心の中の平和を育てて、人が自分で見つけて、あるアイデンティティやコミュニティに属しているから何かをやらないといけないというような考え方からの自由さ。これをできるだけ多くの人、世界の人とできる限り一緒に育てたいですね。これはメッセージではなく鍛錬ですから、一緒に鍛錬して、心の中から、身体の中から育てる。

先ほどから身心変容技法と言っていますが、その日本の言葉の心身においては、「心と身体を分けない」ということです。東洋の哲学では身体と精神を区別しませんが、西洋ではそれを分けてしまったから、いろんな問題が起こっている。これが大きな原因だと思います。紛争によって何が変わったかといえば、もちろん日常のレベルで考えれば、明日どうなるか分からない不安もあります。しかし、一番大事な、一番深く大きなレベルで考えると、今の戦争は私に力を与えました、痛いですけどね。もっと力を入れて、もっと早く実現させなければだめだ、という前提で動いています。

 NWF:Gallery-Neo.tokyoの構想はウクライナの戦争が起きる前から考えていたのでしょうか?

 ロディオン:コロナ禍が始まったとき私は東京にいましたが、基本的に高田馬場の自宅から出ずに、約2年間、朝から夜まで鍛錬をやっていました。ヨガや瞑想を一生懸命やって、アートの力も把握しました。生きているアートの力を掴んだし、瞑想とヨガ、テクノ、暗黒舞踏などの機能や働き方をもっと把握できて、自分がやりたいのはギャラリーだけではなくて、より広い精神的な鍛錬なのだと思うようになりました。他の人と踊りたい、ヨガしたい、情報を交換したいというように変化していきました。これはコロナのおかげかもしれません。

 NWF:モルドバにはいつ移られたのでしょうか?

 ロディオン:なぜモルドバかというと、一昨年の10月に私の父が亡くなったので、お葬式のためにモルドバの首都キシナウに来ました。結果として、父と一緒に仕事をしていた人と知り合って親しくなり、大きなサポートを得られることも分かったので、今後も彼らと一緒に仕事をしたいと思うようになったこと、これが一つ。もう一つは、父はキシナウの中心部にかなりいい建物、大きくはないですがロケーションとして素晴らしいエネルギーを持つ家を私に遺してくれたことです。

葬式の後、一度日本に戻って仕事を続けましたが、やはりNeo.tokyoというプラットフォームを作りたい、一方でキシナウで大きなサポートがあるし建物があったのですが、やりたいことを実現するには何年もかかる。1年間ずっと考えましたが、片道のチケットを買わなければならない、いつ日本に戻れるか分からないという前提で取り組まなければならないと決断しました。それで2021の10月から拠点をキシナウに移して活動をはじめました。

アーティストは現在の中に未来が見えている

NWF:ウクライナ紛争によって、ロシアとその周辺で大きな変化があったわけですが、それ以上にロシアという国では歴史的に革命や冷戦、ソ連の崩壊などいろんな変化がありました。その中でアートはどのような役割を果たしてきたと考えますか?

 ロディオン:ロシアに限らないとは思いますが、ロシアの歴史ではアートと革命が強く結びついているんですね。必ずしも政治的な革命ではなく大きな変化としての革命も含みます。私はギャラリーの活動を通して、とても才能があるのにまだ認められていないアーティスト達とたくさん出会いました。それと同時に、美術史を勉強すると分かるのですが、アーティストが生きているうちはその時代の人たちに認められず、亡くなった後に評価されて美術館で展覧会をされるようになるというのはよくある話で、普通のことです。本当に強いアーティスト、歴史に残るアーティストは、ある意味、将来を生きている人ですよ。つまり、すでに現在に生まれ始めている将来を把握できる人たち。いま現在の中に将来が生まれ始めています。アーティストはこれに気づくことができる。でも他の多くの人はまだ気づくことができずに、時間がかかる。

歴史的にも、ロシア構成主義などの流れを振り返ればわかりますが、アーティストたちは現在の中に未来を感じ始め、美術作品を通して他の人々に対して将来を見せようとしてきました。だから、私の活動もこれを目指しています。Neo.tokyoのプロジェクトにはいろんな人が関わっていて、既に現在の中に将来を把握してるアーティストたちが集まって来ています。自分たちだけで閉じるのではなく、将来はもう既にここに始まっているから、早く戦争を終わらせて将来を作ろうと、できるだけ早く世界の人たちに伝えたい、そう思っています。

NWF:そうですね。 アーティストの姿勢は、別に国が戦争に入ったからといっても変わるものではないということですね。

ロディオン私の理解では、アーティストの心の中にはいつもこのような戦争に匹敵するような大きな変化が起こっていると思います。だからきついですよね。将来を把握しても誰も気づいてくれないという状況は簡単なことではない。心の中にいつもこのトランスフォーメーションが起こっているわけです。自分の中に過去や現在をたくさん抱えながら、自分自身の変革を同時に貫いていくこと。これは肉体的にも精神的にも激しい鍛錬です。しかも誰もサポートしない、周りの人には分からないですから。

 一方で、今の戦争はとても大きなトランスフォーメーションの兆候だと感じます。世界は次の精神的な段階に移行していくことになると思いますが、残念ながらその対価はとても高いですね。具体的には人の死、若いロシアの兵士たち、ウクライナの市民や兵士たち、死者はかなり大きな数に上っていますが、いつこの戦争が終わるかまだ分からない。この戦争はポジティブとは言えないかもしれないけれど、遠い将来からの視点から見れば、これが地球の今の大きな変化、トランスフォーメーションだと思います。私たちみんなの新しい、新しい現在のトランジションですね。国や民族のような枠組みに自分を閉じ込めなくてもいいんです。ボーダーラインが狭すぎるから戦争が始まります。もっと大きな枠組みで、宇宙のような枠組みから、現在から離れて長く遠い視点から自分を見たい。そうすると現在の枠組みが小さく、それほど大事なものじゃないことが分かります。

『Mark Birth | Don’t Kill 2022』 YouTubeより

殺すな

NWF:今回のロディオンの映像作品『Mark Birth | Don’t Kill 2022』を見せてもらいましたが、あれは日本のダダカンさんや舞踏からインスパイアされたものですね? 日本の戦後の反戦運動の中で生まれてきた表現ですが、それを現在のロシア(モルドバ)であのような表現をするに至った経緯を教えてもらえますか?

ロディオン:日本のアート全体、アーティストのダダカンも含めて素晴らしいものだと思います。私はずっと新宿の裏、高田馬場で自転車で新宿歌舞伎町まで行ける範囲に18年間住んでいました。『新宿泥棒日記』に出てくる紀伊國屋、ナジャという文化人たちが夜な夜な集まったバー、若松孝二の雰囲気を感じられるような街、もちろん舞踏も。このような美意識、このような実存主義的なバイブレーション、現実に対するスタンスを、私は新宿という街に感じます。

この映像を作った流れとして、私がまずキシナウの中心部でこの場所を見つけたのが始まりです。「ナショナル」という名前の、今はボロボロの廃墟になっているホテルがあり、その建物の上からウクライナ国旗の二色が塗り重ねられています。そして、その前にステージが開かれている。この構造がウクライナでいま行われていることを暗示しており、私にとってはこの国が抱えている大きな悩みが表れている場所だと感じました。この場所で、「痛み」が溢れているステージで踊りたかったんですね。踊ることで「自分」という狭い枠組みの外に出たかった。そして、この「痛み」を自分を通して表現する、ということをダンスの形で経験しようとしていた。

最初はポスターを持たずに踊ったのですが、その後日本の友人がFacebookにダダカンの写真を載せてくれたんです。もちろんウクライナの戦争に反対する意味で。私はぴったりだと思ったんです。何がぴったりかというと、今の私の感じ方に。普通ポスターという媒体にはもっと具体的なことが描かれます、例えば「給料を上げろ」など。しかしダダカンの場合は、とてもユニバーサルな表現ですね「殺すな」という。ユニバーサルでabsolute、もう絶対的です。「殺すな」というメッセージは、人に教えなくても心の中に予め描かれていることです。教育も必要ない、宗教も思想も必要ない。誰でもこのような真実で繋がっている、私が「花」であるならば、この真実は「土」のようなものです。人間として花は、この「殺すな」という愛からの土から伸びていくものです。だから繋がっているのではなく、そこから伸びてきましたよ、ということ。これは重要なのですが、人間というものは言語から入って、思想の構造を作って、そこでアイデンティティとして構成されてしまうので、このような「土」から関係性が失われてしまう可能性が高いんです。

ダダカン(糸井貫二)Facebook(https://www.facebook.com/dadakan1920から引用

ダダカンとラクダカン

NWF:「殺すな」というメッセージは人間にとって普遍的で絶対的な土壌である、ということですね。

ロディオン:そう、でもそれがポスターの上に書かれているんですよ。ちょっとジョークみたいですね。これは教会で使われる表現でもなく、政治的なポスターで使われたものでもない。しかしとても強いですよ。加えて、非常にある意味で、ヨガ的な静けさ、瞑想の静けさでダダカンが誰も居ない通りを独りで歩いている、誰もいないストリートですよ。誰かに殺すなというわけでもなく、子どもに向けて殺すなと教育するわけでもなく、もう痛すぎて、将来に対して、宇宙に対してこれを見せようとしている、そのような意味です。「殺すな」、これは痛くて、もうほとんど人に見せるのを諦めてしまったようにも感じます。非常に強い表現です。

 NWF:ロディオンさんは、ダダカンさんの「殺すな」をさらに舞踏で表現しています。ロディオンさんは舞踏のどういう点に惹かれたのでしょうか? 現代の日本人でいわゆる舞踏の存在を知らない人も多いと思うので、舞踏がどういうものかも説明しながら教えてもらえますでしょうか。

 ロディオン:2つを繋げれば、ダダカンと大駱駝艦、ちょっと言葉が持つ音も似ていますが、実は偶然じゃないかもしれませんね。大駱駝艦の麿赤兒先生が雑誌の中で次のような表現を書いていました。私は「個」ではなく「性」に興味があると。個人や個性の「個」じゃなくて「性」、つまりもっとユニバーサルのものに興味があると。アーティストたちがよく「アートは自分を表現することだ」と言いますが、私にとってはそうじゃないですよ、自分を表現したくない、自分にあまり興味がないんですよ。私は宇宙に興味がある。自分より宇宙の方が大きくて面白いじゃないですか。だから、ユニバーサルなものに興味がある。もちろん私のスタイルにもあまり興味がない。だから髪の毛がないんですよ。スタイルを消したいです。だからみんな白い肌にする。スタイルを消す、個を消す。個を消して性を通す。個人的なことを消さないと、ユニバーサルなものを表現することはできない。

NWF:なるほど、舞踏するということは個を消すということなんですね。

ロディオン:ダダカンの「殺すな」も同じユニバーサルな表現だった。私の舞踏も個人的なことではなくて、ユニバーサルなものを表現した。私はあの場所で、もちろん政治家として表現しようとしたわけではありません。全ての人間、地球の全ての人間のユニバーサルなところと繋がって戦争を終わらせたいから、ここに舞踏とダダカンが繋がった。舞踏も体と頭を空っぽにして、自分ではなくて何か超越的な次元から下りてくるものを表現しようとしている美術形式だから、こういうような組み合わせが非常に豊かに機能すると思った。もちろん私がこの映像を撮るにあたって、DOMMUNEが制作した素晴らしいダダカンに関する長いビデオを見ました。

YouTubeより

アーティストは現実から目をそらしてはいけない

話を戻すと、アートと現実の関係性をもっと強くさせないといけないんです。中島夏先生、つまり麿赤兒さんと同じように土方巽の弟子ですが、私がキシナウに来る前、2021東京オリンピックの準備のときに、彼女が次のようなことを言ってました。前の東京オリンピックの時に、人々が反抗して私は反オリンピック的な集会に参加しました。土方さんも含めて大勢のアーティストたちがオリンピックに反応してきた。しかし、今回の東京オリンピックにはもう誰も何も言わないですね。そういうことを言ってました。

わかるでしょう? 現実の社会と関わるということをあまり現代のアーティストは考えてないです。逆に引きこもっていますね。でも、現実はアートの一部ですよ、分けられないですよ。活動はいろいろあるけど、リアリティに関わること、それがアートですよ。でも、現在の多くのアーティストは逆に現実から離れたがっているように見えます。でも、どこに向かって離れるのでしょうか? 現実からは離れられない、リアリティからは人間は離れられないんですよ。創造的な領域で活動していますが、むしろ自分が嫌いなものの中心に向かって、リアリティの核心に入っていって、そこからもう爆発する。そういう勢いでやらないとね。

NWF:ユニバーサルというキーワードが出てきて、戦争とか平和というものに囚われずに、それを超越していこうという話だと理解しました。そこで敢えてお聞きしますが、ロディオンさんは平和をどう捉えていますか?

ロディオン戦争を止めるためにもっとユニバーサルで考える。もう前時代的な枠組みはもう要らないですよ、壁を立てるような。もうそこじゃない、もっと次の段階にいこうよ、もっとユニバーサルを、もっともっともっと心を開けようという感じです、一番簡単な言い方をすると。

NWF:そのためにアートの役割があるということですね。

ロディオン:明らかです、もう明らかですよ。アートが枠組みを壊して広げる、心を広げるものがアートです。一番大きな道具です、一番強いWeaponです。

NWF:いまアートが自己表現で自己完結してしまって、ユニバーサルではなく個を表現する方向に行き過ぎているのかもしれませんね。

ロディオン:そう。自我遊びで自分の枠組みを狭くさせて、逆に苦しくなるよ。気をつけてください皆さん、と言いたいぐらいですよ。作品を発表して拍手をもらえるんですが、拍手に対する欲望は心理的なことですよ。でもアートは心理的な面だけに限定しては駄目です。結局、苦しくなるんですよ。有名になって金持ちになっても別に問題ではないし、たくさん拍手をもらって「みんな私が好き」と思うのも別にいいです。それは犯罪じゃないから、でもそれだけでは結局自分の枠から出られない。

とても良いまとめになるのですが、思想家の内田樹さんと能楽師の安田登さんの対話の中にとても面白いことが書かれていました。西洋の演劇・劇場と、東洋あるいは日本の演劇・劇場を比較しているのですが、ステージとは何か? 内田さんたちが話していたのは、西洋のステージの上では、人は自分を見せる。東洋または日本のステージでは、ステージの上にいる人は自分の中を見ている。ステージの上にいる人が自分の中を見ながら、トランスフォーメーションを行なっている。観客は、自分の中を見ている人を見ている。だから、単なるアイデンティティや個性ではなくて、演者は仏陀の彫刻のように、自分の中に入って何かユニバーサルのものと出会う。そしてユニバーサルなものとの出会いを、ステージの上で見せている。こういう複雑な構造なんですね。西洋のステージはエンターテイメントぽくなってしまった。もうテレビのような、タレントのためのステージのようなものなんです。日本ではもちろん歌舞伎など舞踏も、このようなユニバーサルなものの出会いを見せている。この考え方をアート全体にも広げてもいいじゃないですか? 画家でも彫刻家でも。

 自分の中の洞窟に入らないと、アートも生まれないし、人間としても苦しいんですよ。だから人間は洞窟に入っていたんですよ、有史以前から。人類が発生した時から洞窟に入ろうとしていた。美術もヨガもテクノも全部洞窟の中で起こっているんです。自分の中に洞窟がある。その洞窟、洞窟の中で自分の掴めない、アイデンティティではない、自我ではない、そのようなドーナツのような中にある穴に私達は関係性を作らなければ戦争は終わらない。

NWF:なるほど、だからアートの役割としては、リアリティや現実の中に入って関わると同時に、内省的でユニバーサルなものであるってことですね。

ロディオン:だからアーティストはユニバーサルなものの出会いを多くの人に見せています、リアリティを持って。

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