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アートにお金が流れれば世界が安定する アートと平和を考えるー東京画廊・山本豊津さんインタビュー

Next Wisdom Foundationの今期のテーマは【A piece of PEACE】。そもそも平和とはどういうことなのか? 戦争・紛争、民族等のキーワード以外に、例えば微生物・宇宙工学……津々浦々古今東西多方面から深く問うことで平和の解像度を少しでも上げていきたい。この活動が「平和な世界」への第一歩になると信じて【A piece of PEACE】を探求していきます。今回は、アートシーンから平和を考えるべく、東京画廊代表の山本豊津さんにお話を聞きました。

〈ゲストプロフィール〉

山本豊津

株式会社東京画廊 代表取締役社長。武蔵野美術卒業後、衆議院議員村山達雄氏の秘書を経て、東京画廊に参画、2000年より代表を務める。世界中のアートフェアへの参加や展覧会や都市計画のコンサルティングも務める傍ら、日本の古典的表現の発掘・再発見や銀座の街づくり等、多くのプロジェクトを手がけている。他、若手作家の育成や大学・セミナーなどの講演等、アート活性に幅広い領域で活動している。著書に「アートは資本主義の行方を予言する」(PHP新書)「コレクションと資本主義」(角川新書)「教養としてのお金とアート」(KADOKAWA)。

平和は関係の中にしか存在しないもの

山本豊津さん(以下山本):平和の実体って掴めないから、どの側面から話すか難しいんですが。

僕が最初に書いた本(『アートは資本主義の行方を予言する 画商が語る戦後七〇年の美術潮流(PHP出版・2015年)』)の中で、使用価値と交換価値のことを書いています。思うに、最も極端な使用価値を持つのは兵器。アートの真逆ですね。兵器は、人を殺すためにある。人が死ぬことが、この世の中でもっともリアル。人は皆、なぜ生まれたのかを確認できないけれど、死ぬのは確認できるんです。だから、死ぬことは、絶対的な条件としてある。明日死ぬか、50年後に死ぬかは分からないが、死ぬことは最もリアルだと。でも、アーティストは死んでも作品は残るでしょう? 「死んでも残る」というのは神に近づくこと。神って死が無いから。

ここを突き詰めると、法人という方便が出てくる。なぜ人間は法人という人格のある会社を作ったのか考えると、自分たちには永遠の命がないから、永遠の命を自分たちでコントロールするために法人格というものを作った。だとするとアートも同じで、自分が死ぬというリアリズムを超えるための方法だと考えた。兵器こそ、最もリアルなものだなと思うんです。

さて、「平和とは何か?」とは雲をつかむような話だ。なぜかと言うと、平和というものは関係の中でしか成立しないから。他者に殺されるのは関係の中で生じること。そうか、平和は関係の中で生じることだなと思うわけです。だって、僕がここで平和がどうのこうのと言っても、隣にいる人が僕を殴って殺したらどうなのか。僕の隣には「安全な人が来るだろう」という関係の構築が重要になるんだ。動物園でも、ライオンを柵で囲って人間が噛まれないようにする。関係の作り方・構築の話で、僕たちは戦争や平和を考えるときに国家を外せない現実がある。僕たちの生存を保証するのは、国家に在籍して私たちが税金を払ってるからだ。僕たちはそれで「安全な関係」というものを保たれている。海外旅行に必ずパスポートを持って行くのは、国が命を保証し、手助けをしてくれる。

関係の中で保証してくれることが平和ということなら、それはそもそもバーチャルな事だなと思います。だから、このバーチャルな議論をみんなで延々としていても、御伽話になってしまう。いまは、平和についてみんながいろいろ言うけど、ウクライナの人にとっての平和と、日本人にとっての平和は全く違う関係の中で成立しているのだから、そこにコミュニケーションは成り立ちにくいのではないかと思うんです。関係で言えば、日本はアメリカの核の傘の下にいるわけだから、アメリカの傘が無くなったときに、僕たちは初めてウクライナの人と話せるのかもしれない。僕がいま考えているのは、自分の実在をリアルとバーチャルにきちんと分けていかなければならないということ。

アートに関しても、リアルとバーチャルの問題を考えている。アーティストの頭の中にあるのはバーチャルで、それを物質化することでリアルつまり作品になるわけで、僕たち商人は物質化し作品を売ることができる。バーチャルな頭の中まで売ろうとしてるのが、NFTかもしれない。アート作品の領域が広がってきた。

江戸の町なかで売買されるものが各地に入って、日本全国に流通経路が広がり、日本列島の売買関係が世界のネットワークにアクセスして、いまや、東京画廊はアート・バーゼルで作品を展示して販売をしている。コロナ下にあってあらためて気がついたのは、僕たちの仕事は関係そのものの「信用」が支えていること。

アート・バーゼルは250店程度の画廊しか出店できない。世界にどのぐらいの画廊があるのかわからないけれど、そこから250店、日本からは3店が出店。250店ならば、どんな画廊なのか、どんなコレクターがいるのかを世界が知ってしまう。東京画廊は6年バーゼルに出店しているから、「アート・バーゼルに出ている東京画廊」と東京画廊の信用が世界に構築される。次に大事なのは、物象化された美術品がそのものに価値がない貨幣と交換されることです。貨幣という物象化されたバーチャルと交換するときは、信用が不可欠となる。信用がなければ、物々交換しかできないですよ。

なぜ、アートには信用の構築が大事かというと、買った人にとっての使用価値が具体的でない。歯ブラシなら150円で買って、今日から使える。物の交換とは、買ったものがすぐに使えるのが前提となっているけれど、アートは買ったといっても見るしかない。この見るだけを交換の対象とするというのは、アートシーンができていなければならない。今は流通の発展でアートシーンは、ほぼ世界的に共通のインフラを持てるようになった。この共通のアートシーンがあってこそ、アートの売買が可能となる。

関係が保たれてはじめて平和があり、関係の構築が破断する……いわゆる戦争状態になると、もうモノの取引なんて言っている場合じゃなくなる。今のウクライナではどのようにモノの取引されているのか、僕はすごく興味がある。例えば、歯ブラシはどうなっているのか、それはどこから送られてきて、どう配られているのか、貨幣の流通がどうなっているのか、政府が貨幣を流通する構造を保っているのかどうか。こういうことを見ないと、僕たちは平和とは何かを理解できないなという感じがするんです。

アートの関係構築には平和が必要

山本:アート作品は数が限定されている。何万人のアーティストが無限の数の作品を制作しているけれど、美術館やコレクターにストックされるのはごく少数なのだ。しかも、平和によって関係が維持されるという前提の話だから。

しかもアーティスト自身が「この絵には価値がある」と言っても、他者に興味が無かったらそこまで。アートは、平和でもわずかしか残らない。まず平和であることが、大前提で価値化の関係構築がつくられる。ところが逆に表現力は、戦争というものによって大きな衝撃を受けると、人間は不思議なもので、深度が深くなるんです。やっぱり人間は、表現に緊張がないと……いわゆる緊張というのは、生きることに必死になるということだけど、それがないと歴史的に残る作品は出てこないかもしれない。

僕は、第二次世界大戦後に抽象絵画が世界を席巻したのも、アメリカがあらゆる国に出兵したことに関係があると思っている。平和という関係の継続と、ある日突然それに切断面(戦争)が入って関係が壊れて、また、関係構築がなされる。戦争の原因になったそれまでの関係では世の中がどうにもならないから、新しい関係の構築を目指す。そういう時に、重要な作品が生まれる。

このことから、なぜ法人が1年ごとに決算をしなければならない理由が分かる。法人が永遠と決算無しに続いていくと、死がないよね。儲かっているのか儲かっていないのか分からなくて、自分が分からなくなると思う。1年ごとの決算は、そこでいったん死となる区切りがあり、決算書によって、会社の内容を客観的に数字で見て、「来年はこうしよう」といって蘇る。戦争が終わった後の平和から、蘇るということが興る。七五三をする、入学する、就職する、出世するといった区切りがないと生きている実感がない。僕たちの体も、常に新陳代謝をして蘇っているんだなとつくづく思う。

全人類的な戦争や平和ではなく僕の戦争と平和を考えたい。日本の国に住む僕が、まず東京画廊を経営して、法人の社長として決算している。それから、東京画廊は70年間アーティストたちと付き合って、区切りとして展覧会を重ねている。

生きることはバーチャル

山本:最近気がついたことがあって、遅いっちゃ遅いんだけどね(笑)。何のために展覧会をするのかと改めて考えると、アートを資産という観点でとらえると制作年の決定なんだ。作品を紹介すると、お客様に「いつ作られたのですか?」と聞かれる。最新作であれば2023年になる。展覧会をしなければ、制作年代を決定できない。アーティストは自分で制作年を決定していると言うかもしれないけれど、制作年の決定というのは作品が社会化したときに成るもの。アーティストが2023年2月に作品を描き、東京画廊で2023年の夏に展覧会すると、そこで初めて作品が商品として生まれたことになる。

作品が売れるようになり、それらの作品が1960年代に集中していたら、そのアーティストの最盛期は1960年代ということになる。「いつ作ったか」が、コレクションにとって重要な条件になる。そうか、展覧会をやって作品を資産にする日常でしか戦争と平和を越えることはできないだろうと思うんです。

バーチャルなモノというのは人間の頭の中で出来るから、いかにでも変容する。ただ、社会とは頭の中で出来たものを物象化することで、成り立っている。死ぬという消費がリアルであり、生きることはむしろバーチャルなんだということを、みんな改めて考えたほうがいいのではないか。

生きることはバーチャルである。それを象徴しているのが貨幣です。僕が家で自給自足をしていて、電気も使わなければ実在はリアルなのだけれど、分業化した社会に暮らしている僕たちは貨幣がないと生きていけない。しかも僕は、生活にとって実用価値が無さそうなアートを売っているから、関係性を抜いて生きることはできない。商人は自分で作らない、貨幣が仲介する関係性をは何も無い。その関係性を歴史的に大成した人が、日本だと千利休だと思う。400年続く価値観を生み出したというのは、まさにバーチャルな関係性を究める商人の賜物じゃないかと思います。

それ以上に重要なのは言語です。人間は文字を作ることで関係性を広め、それをあやつることでバーチャルな行動を広げた。さらに、文字を電気によってバーチャルな世界へ拡げたのが人工知能だとすれば、ホモサピエンスはこの電気という発明と文字の二つによって、他の動物とは全く違う世界をこしらえたことになる。電気と文字は平和というバーチャルな状態にどのように貢献するのか。

たとえば21世紀のアートだと考えられているNFTだけれど、NFTを可能にさせるブロックチェーンはすごい電気を使う。アートを支えるイメージの世界は拡大しているけれど、重要なのは電気を出力しているリアルな資源です。日本人は自ら「平和」を維持できているのか?資源を輸入に頼っている現状を考えねばならない。アメリカがあっての平和ゆえに日本の隅々まで援助がしみ渡り政治も文化も助成金がなければ成り立たない社会になってしまった。とある人が年末年始に若者へ100万円をタダで配るっていうのも、みんな普通に受け入れてるけど、人から見返りなく100万円もらうって一番危険なことじゃないかなと誰も思わない。自立の自覚がないバーチャルすぎる我が国で平和をリアルに捉えるっていうのはほぼ不可能じゃないかな。

アートはコミュニケーションの役割を担い、国境を超えていく

山本:現代のアートの大きな役割は、コミュニケーションだと思うんです。通貨はコミュニケーションとは逆なんでむしろ切断することが使命だと思っている。「円が安くなった、ドルが高くなった。いま円を買っておくべき」といったことはコミュニケーションではなくただの交換だから。アートもイメージが元になっているのでバーチャルだけれど、物象化されるのでコミュニケーションに使えるし、文字を超える何かしらの期待を担えると思う。21世紀に入って毎月世界中のどこかの都市でアートフェアが開催され、顧客動員数が確実に増えているのもその期待なのかもしれない。

Next Wisdom Foundation(以下NWF):アートはコミュニケーションの役割を担っているなら、今の反戦や平和について、アーティストやアートはどう取り組んでいこうとしているのでしょうか?

山本:見えにくいが、アートが平和に役立つことはありうると思うんです。アートの創造力の源であるイメージは国や制度や人種を越え拡がるからです。即効性は音楽が圧倒的に早い。東日本大震災でも、すぐに役立ったのはミュージシャンたちでした。歴史に影響を与える作品が一般に理解されるには、時間がかかる。例えば、父親(山本孝氏)の扱った具体が一般の人に理解されるまで半世紀の時を要しました。

反戦や平和をテーマに制作するアーティストはいますが、例えばバンクシーのようなアーティストはそういう状況をむしろマーケティングして作品を作ってるわけで、作品は売れるが戦争は止められない。反戦というと、ピカソのゲルニカがよく挙げられるけれど、ピカソという超有名なアーティストだから影響力があったので反戦の効果はあったと思う。

アーティストができることは、自分がどんな世の中でも制作を続けていくこと。近代のアーティストの重要な点は、自立していることなんですよ。アートはデザインと違ってリスクを制作者が持っている。画材を買ったり、家賃払ったり、制作のリスクを自分が持ってて、そのリスクの上で絵を描いてギャラリーで展覧会をする。たとえば建築家は人のお金で建築を作って、リスクは発注した人にあるのにもかかわらず、自らアーティストだって名乗ったらおかしいなって思うんです。

リスクを背負ってる人がアーティストなので、これはロシア人だろうがウクライナ人だろうがアメリカ人だろうが同じ。1人でいられる自立した状態を成立させていることが、近代-現代アートの絶対条件だと思っています。近代では個人は同価値だから。その自立した個人が作ったものに価値があるということは近代そのものなんです。近代以前のアーティストたちは発注を受けて制作するからリスクを自分で取ってませんからね。

だからコミュニケーションを前提とすると、国境を越えられるんです。ロシアがウクライナに侵攻した時に、ロシアからアーティストの多くが逃げましたよね。ロシアでは自立を認めないから、アーティストは国境を越えて自分のリスクを自分で負えるところに逃げていくわけです。アーティストができることはそのくらいですが、そもそも制作そのものが「平和とは何か」を体現しているのかもしれません。

僕たちが生まれて唯一得られたものは、考えることなのだから

山本:さらに、ロシアにいるといわゆるプロパガンダに使われる可能性がある。他方アメリカや日本では、アドバタイジングとしてアートは使われる。民主主義社会でのアドバタイジングは間接的で、政治の介入は社会主義ほど直接的でない。アーティストの表現は保護され、よほどのことがなければ商品として流通される。アーティストの自立は商品流通を踏まえて可能となっているのです。

しかし、バンクシーの作品がサザビーズのオークションで話題となって高額で落札されたようにアドバタイジングも危険性を孕んでいる。(2018年10月、サザビーズが開催したオークションに出展されたバンクシーの作品が、落札が決まった瞬間に額縁に仕掛けれれていたシュレッダーによって作品が断裁された。2021年10月、断裁された作品は25億円で落札された

このくらいのことで一般の人は判断してしまう。危険なのは、現在そういった仕掛けがアートの世界に入りつつある。こういったことはエンターテイメントであって、アートビジネスにはそぐわない。こうして民主主義国家も社会主義国家も資本主義社会では表裏一体となって進み、世界は資本主義で覆われてしまった。

NWF:アートが資本主義市場で回っていく流れの中で、どのように平和と関係してきますか?

山本:資本主義社会を拡張するために紙幣をあまりにも刷り過ぎてしまった。おそらく、人類がコントロールできない量のお金を刷ってしまった。1990年代のバブルを経験したときに気づいたのは、お金というのはそもそもバーチャルで、リアルな社会生活とバランスを取ろうとすると社会が混乱状態になる。刷ったお金をコントロールして安定化させるために、実体化された資産へ変えようとします。不動産や証券そして金など、それらでは吸収しきれないほどのお金の量になっている。もっとも恐いのは使用価値である武器を大量に消費してバランスを取ることです。有限な資産を無限に近いお金では無理で、そこで次の資産として無限にあるアートをリスクヘッジとして使えるのではないかと考えてみたのです。

NWF:アートは「お金の吸い取り器」になることができる、ということですね。

山本:僕は、お金持ちの人がアートを買うことが世界経済の安定に寄与するお金の使い方だと思っている。お金持ちの人がどんなに高いアートを売買しても、庶民の生活には影響がない。1点のアート作品が1兆円になっても、買える人が買えばいい。このようにアート作品は、お金を吸収する能力が無限にある。無限に刷られるお金を、無限の価値を持つアートで吸収するしかない。それなのに、我が国の税制ではお金がある人が買い易くなるアートを資産にする仕組みがないのです。

NWF:株などと違って、アートマーケットというものが分かりにくいからでしょうか。

山本:不動産の場合は路線価と言う鑑定評価のシステムがあるでしょう。株式も証券取引所がありますよね。どちらも売買に公益性があります。アートに関しても同じようなものを作れないかと考えているところです。

NWF:山本さんが考える平和とは何でしょうか?

山本:平和はバーチャルなイメージ。先日読んだ新聞記事で、養老孟司さんが「自然は答えなんだ」と言っている。「僕たちがいる現実、つまり自然はここに至ったすべての答えなんだと。ここから500年先にどうなるかは分からない。ということは、リアルとは結果の答えなんです。まだ世界が答えを出してない1万年先は、僕たちはイメージするしかない。つまり一寸先の未来である明日もリアルではなくバーチャルなんです。

藤幡正樹さんの展覧会のときに気がついたんだけど、ここにいる誰でもが明日どこにいるかをコンピュータはかなりの確率で予測できる。でも、コンピュータが「あなたは明日ここにいる」と知らせると、あなたは明日そこにいない可能性を選択できる。これが統計の面白さです。人間は、考えて意識すると変えられる。考えないと予測され、コントロールされてしまう。これがSNSで起こっている事です。未来で確実なのは死しかない。死ぬのはみんな決まっているから。

誰でもいつかは死を迎える。それまでバーチャルな生活を続けるのだから、イメージが拡張した関係の中に平和が存在すると考えざるをえない。しっかりと個の自立を意識したとき、アートの役割が見えてくるのではないか。物象化された作品は答え、つまりリアルな存在だからだ。

とにかく、この世に生まれ、唯一リアルなのは死に向かって考えること。今は考えさせないように、そして考えないように社会が動いている。アートも、見てすぐに分かりやすい作品が売れるわけです。でも、それはそれでいいんです。そこでお金をたくさん使ってくれたほうが平和な状況が生まれるから。

反戦に役立つかどうか分からないけれど、少なくとも兵器を買うのにお金が回っているよりは、アートにお金が回っていたほうが平和的だなって思うでしょう。今は世界中のアートマーケットを合わせても年間7兆円しか売買されていない。これが30兆・50兆になったら世界にお金が回るし、平和だなと思う。平和は待っててもやって来ない。

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