ARTICLES

Feature

オフグリッド化するコミュニティ 渋谷Ciftが提唱する“拡張家族“とは?

EVENT

【満員御礼】「オフグリッドの世界と、その可能性」〜働く編〜

国、地域、学校、会社、家族…、わたしたちの「コミュニティ」は今後どのように変わっていくのか? どのようにオフグリッドしていくのか? 会社でも自宅でもない仕事場“コーワーキングスペース”で働く人々が増えるなか、多拠点で生活し働く約40世帯が集まってできた渋谷の新しいコミュニティ「Cift(シフト)」は、自らを“拡張家族”と定義し、既存の働き方や生き方を軽やかにオフグリッドしているようにみえます。そのCiftの発起人である藤代健介さんに、彼らCiftの活動について、そして新しいコミュニティのあり方についてお話を伺いました。

<プロフィール>

藤代健介(ふじしろ・けんすけ)
1988年生まれ。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科在学中に理念を場に翻訳するデザインコンサルティング会社prsm(プリズム)設立。TEDxTokyoの空間デザイン設計や東日本大震災被災地でのコミュニティ設計などに多重的に携わる。世界経済フォーラムのGlobal Shapers Communityに選出され、2016年度Tokyo Hubのキュレーターを務める。SHIBUYA CAST.のクリエイター向けフロアにはコミュニティ設計から参画し、2017年5月より自ら創設した「Cift」の住民となる。

多拠点依存による重心的自立がキーワード

僕が大学を卒業する頃の体感をともなった心情が、「人は環境で左右される」ということなんです。大学1年生のときにほとんど何も考えずに建築の世界に入っていって、4年生で卒業するときには自分のアイデンティティと建築が紐付いた感じです。でも、それは建築を求めていったからというより、一定の時間そこにいたことによって大きな影響を受けたということなんです。時空間、言い換えると環境ですよね。そういうものがすごく大事だなあと思って。

そのときから、時間と空間をどういう風に自分の中で設定するのか、つまり、今ここに自分という体はひとつしかないので、誰とどれくらい一緒に過ごすかということが、すごく大事なことだと思いました。

僕の建築は途中からアーキグラムとかスーパースタジオと言ったポリスティックで抽象的なディストピアやユートピアの世界を作るSF作家のような世界観に影響を受けて、その21世紀としてのモデルを作るのが好きでした。

その世界観を昇華するために次に取るべき行動は、建築という限定的な環境だけではなく様々な環境に多拠点化していくことだと思ったんです。それで、大学院は慶應のメディアデザイン研究科に進みつつ同時に、いろんなコミュニティ活動をやっていました。多拠点でいるからその重心に自分がある感覚を持っていましたね。

大学院を卒業するタイミングで就職するという選択肢を一応考えたんですけど、結構すんなりと就職するのをやめました。ひとつの組織に所属することにはメリットとデメリットもあるけど、自分としては常に変化ができるような環境に身を置きたいと思ったんです。それで、自分の会社を作って、そこを軸足にしつつ、他の環境にも依存しながら影響を受けていこうと考えました。

どらちかというと、Ciftの前まではTEDx世界経済フォーラムもそうですが、いろんなコミュニティに出入りして、そこから影響をもらいにいっているという感じでした。会社も含めて、いろんな組織、コミュニティにそれぞれのビジョンがあって、ある程度その中に自分の役割もあるから、そこで影響を受けて自分を形成しながら、居場所も持つことが出来ていました。

ひとりの師匠につくとかひとつの環境にいると、逆に依存できなくなってしまう感覚があります。完全に同質化してしまって自分のアイデンティティが失われるのが怖いからです。逆に、いろいろなコミュニティに属して自分の中に多様性を担保しているからこそ、今この瞬間はその人や環境の価値観を全力で没頭しようという気分になれると考えました。

今までの自分は、人が作ったビジョンを起点に相互作用していました。今の気分は自分が作ったビジョンを起点に人と相互作用しながら自分を変化させたいと思っています。自分が変化することには違いはないんですけど、起点がどっちなのか、というときに自分が起点になることをやりたいと思って。

人のビジョンに対して何かの役割を持って入るってことは、コンサルタントとかデザイナーのように相手の思いを実現させながら変化させていくのと同じでデザイナー的要素が強いと考えています。でも、自分のビジョンに人を惹きつけながら、相手と相互作用させながら文化を発酵させていくのはアーティストに近いなと捉えています。
僕はずっとコンサルタントをやってきたので、デザイナー的な動き方としてビジョンのある人を支援することはいっぱいやっていたのですが、どっちかっていうと、自分がアーティストになっていく方に興味を持ち始めた、ということが言えると思います。

それから、コミュニティという観点でCiftが何をしようとしているか、という話をすると、近代以降は大きい会社に入って核家族の家庭を持つのが成功モデルでした。生活の場と仕事の場を分けて行ったり来たりするっていうのは、僕に言わせればひとつの多拠点生活モデルなんですけど。でも、それは契約先行でできあがった社会で、家庭でも会社でも結果的に孤独を感じるみたいなことになっていった。それが昨今の社会課題の根源的な原因だと思います。

特に3.11以降、そういうひずみが顕在化して行く中で、生活と仕事を分けずに交わらせていく近代以前の姿に発展的に戻ろうという考え方も出てきたわけです。だけど、そうするとひとつの場所で寝食をともにしながらずっと活動することになるから、共依存して自立できないという逆効果も生まれてくる。

それを緩和させるためには、生活と仕事の拠点を増やして多拠点化していくという方向になるかなと。近代以降の社会は、生活と仕事の場を分けた多拠点の社会なわけですが、それとはまた違う多拠点のあり方を作るということが、Ciftのコンセプトの中にはあるんです。

つまり、全体の一部である構成員でありながら、自立した人間であるという状態の矛盾した関係を解決するのが新しいコミュニティのキーになると思っています。 

人類の歴史を考えると、17世紀前後の科学革命の前は人間ではなく自然が中心の社会で、人は生まれてから死ぬまで全体に依存しなければ生きていけなかった。その中で全体としての秩序があった。そこから、個人というものが台頭してきて、現代はかなりの個人化の時代にも思えますが、この先もっと個人化、個別化が進んでいくのだと思います。人間の心と体が分離するとかも十分起こりえると思います。

でも、もともと人類というのはコミュニティから始まっているんですよね。生まれた瞬間は誰もひとりでは生きられない。家族というコミュニティに守られていて、生活を安定させるために家族が集まって村を作り農耕社会になっていった。現代の社会では、高校を卒業する頃には、家族から離れて村から飛び出して、ひとりで生きていくこともできます。だけど、そっちにも限界がある。

全体の一部として生きていくということは、個性は無いけど協調性はあるという状態。言い換えると、愛はあるけど力は無いということになります。

近代以降の私たちは外側に力を求めがちです。内省することや、空を見上げることもあまりせずに。それは、外にしか目が向いていないからです。力はすごくあるんだけど、その力がすべて外に向かっているから、自分の傍にある愛を大切に生きていない。

本質的に平和って何か考えたとき、個が自立して多様で皆が好き勝手にやる世界なのか、それとも、皆が協調し合って一つとして愛し合う世界なのかっていうと、そのどちらでもない。要は、それを止揚させた世界でなくてはいけない。

17世紀の科学革命から近代までの人間中心主義の時代を経て、もう一度、コミュニティに回帰するといったとき、その時代を経たからこそ近代以前のコミュニティとは全然違うものにならなくてはならない。では、近代以前との違いは何かというと、一人一人が力を持ちながら全体の愛に還ることが多拠点依存だと思っています。

コーファミリーの定義

NWF事務局:Ciftさんが標榜する「コーファミリー」とは何でしょうか?

 コーファミリーの定義が3つあって、「拡張家族であること」「協同組合であること」と「複数の家庭や組織に所属している個人の集合体」ということ。「共に暮らし共に働く自立した個人の集合体」という状態が今の僕の中でのコーファミリーの定義です。

なぜ協同組合なのかというと、近代以降の資本主義経済の象徴が株式会社だと思うんです。経営者と出資者を分けて、経営者が力で管理して、出資者に利益を納めるモデルですね。それに対して、愛を中心としながら自立した個人が力を発揮していく共創中心の組織形態を考えると、冠は協同組合ということになると思うんです。

本質的な違いは何かというと、会社というのは外的要件の決まった条件に沿って管理される組織ですよね。要は給料が先に決まっていて、仕事がそれに見合っているかどうか、という働き方になる。

でも、協同組合は内的な自発から、他者と共創が起こり、そのことに対してお金がついてくるという流れになる。お金の流れが変わると思っています。内的動機から始まり、その後に外的条件がついてくる。それが本質的なギフトエコノミーだと思うんです。

しかし共創で物事を進めると、期限通りに質の高いものを作らなくなる恐れもありますよね。こっちにはこっちの弱さがあって、他方、管理にはその良さもあるけど脆さもある、と。

両者の態度は相容れないのです。会社の方は、ピラミッド型の軍隊のような組織を作って、きちんと役割を分けて期限通りにやるようにマネージャーがしっかり管理していく。一方共創は逆ピラミッド型で、みんなが好きにやって、だんだん創発しながらできてくるみたいな感。この二つを統合しようとした時に矛盾を受け容れた上で、昇華させることに皆で挑戦しています。

NWF事務局:壮大な社会実験なんですね。

終末論みたいな話をするのは気持ち悪いですけど、近代以降築いてきた社会の限界が近づいている気がしています。そのとき、今までの常識が使えなくなった世界でどう生きるのか、ということです。

3.11があった後に、みんなが協調し合い助け合っていたっていうのがあったけど、経済が復興したらまた個人主義に戻っちゃったって言われている。もし、あそこから戻れなくなっちゃうくらいのカタストロフィが起きたら、全く新しいモデルが必要になるのではないかという気がしているんです。

そんなことを見据えながら、そのときの受け皿としての思想概念の確立と、それから行動体系のあり方を研究していく。今のテクノロジーを否定するわけじゃない。でも、強いシンギュラリティによってロボットが人間を飲み込むようなことではなくて、人間がロボットやテクノロジーと共存するあり方みたいなことです。

内的な意識変容と外的な行動変化みたいなことを両方ともある程度、モデルとして作っておいて、ムーブメントとしての火種の源泉を少しずつ、分かる人たちから作っていければいいんじゃないでしょうか。

企業とのオープンイノベーションの文脈で言えば、現状の市場には需要が無くとも、先行して主体的に全体に開く意識になる未来の市場開拓していくのが平和的経営の態度だろうと、僕はここから呼びかけています。その中で、お互いを手段とし、平和を目的と出来る創造的企業のパートナーが現れた時にCiftは創造的市民としてプロジェクトを創造しています。

主体的に全体に開く

NWF事務局:シェアハウスとかだと一緒に住んで同じ釜の飯を食うというほんわかしたところで止まってしまいがちですけど、Ciftはその先を目指してる感じですね。

「ともに暮らし、ともに働く」の「ともに」っていうのは何かというと、分かれているあなたと私が「私たち」になることなんですよ。Ciftの基本的な構想の根底にあるのは、「主体的に選んだ全体に開いた生活」に未来があるっていうことです。

依存的に全体に開いた生活っていうのは、自分に意志が無い。お金が無いからシェアハウスに入るとか、自分は親元を出られないから親と同居するみたいなこと。そこから、いつかはひとり暮らしとか、いつか高級マンションみたいに個別化を目指すのではなく、主体的に全体に入るという生活を僕たちは作りたいわけです。

主体的に全体に開いた場合は、依存的なシェアハウスとか実家暮らしとは食事のあり方でも全然違う形になる。本当は外食でごはんを食べることもできるけど、ここであえて自炊をするというのは食事の意味が違ってくる。そういう風に、食事のあり方、睡眠のあり方、子育てのあり方などいろんなものに対して、ひとつひとつ道を見出していく活動をCiftはしようとしています。

だから、主体的全体というものが私たちの選ぶビジョンだということをみんなが常に共有している。そして、みんなが自律分散的に動く。そこに相互作用が生まれる。全体のビジョンと自分の想いというものの相互作用ですね。

 僕は世界をWhy、What、Howのフレームで観ている節があります。基本的に世界というのは、目的と手段とか、主語と述語というもので成り立っています。なぜやるのかという目的がWhyで、どうやって実現するかという手段はHowで。実はその間を繋ぐWhatこそが最も創造的なのではないかと考えています。Whyの理念を共有したみんなでどういうWhatの場面を望んでいるか皆で共想像すると、映画のワンシーンみたいな絵が浮かんでくる。理念の概念だったものが場面のビジュアルに起き上がってくるっていうのが、問いのWhat化です。

創造の前に想像としてどういう状態を作るのか。問いと答えを繋ぐのがWhat、状態の部分です。Ciftの場合、Whyに関しては「主体的に全体に開いた生活」をすること。Howの部分はみんなのポテンシャルがあるわけです。そういう前提で、何を一緒に想像しなきゃいけないかっていうのが、このWhatという状態の部分。

主体的に全体に開いた人たちが集まって、たとえば、「新しい食事の仕方ってなんだろう?」という問いに関してみんなが対話していくのです。でも、「問いの問い」が無いと、そこの問いを間違える。それでは集まっている意味が無いから。

NWF事務局:答えとして、新しいプロダクトが生まれるとか、そういうビジネスライクなところを目指しているのですか? それとも?

僕たちは市民という態度で社会と関わっていることが前提です。たとえば、新しいサービスを開発すると言っても僕たちがプロデュースすることはしない。そのプロデュースすることや生産すること、答えを出す部分は企業の役割です。市民の役割はコンセプトメイキングすることや啓蒙すること、問いを出すことだと思っています。その関係性がオープンイノベーションとして協働していくモデルを模索しています。

ポイントは目的を「私たちの目的」にすることで、手段の部分はあなたと私でそれぞれの手段を使えばいいわけです。そのとき一番大切なのは、目的としての「私たちの問い」を立てるための心のまとまりなんです。

ある種の思いやビジョンを持って、それを丁寧に対話していって、人間が全体として繋がり合う時間と空間を作る。それには、ゆったりした心の余裕が必要で。そもそも自分に余裕が無いと他者に対して思いが寄せられないから。そういう時空間の設定と心がまとまる行為をもって私達の目的を作るっていうのが一番難しいし、それをやるのがクリエイティブということなんだと思います。

突き抜けたものを複数つくる

NWF事務局:ひとつのビジョンに集まって共有する、その一方で多様性があるわけですよね。普通に考えたらこの2つは矛盾しますよね。ビジョンが強すぎるとカルトになっていくので、そのバランスを取るのがすごく重要なのでは?

 動的なバランスをとることが大事かなと思っています。一方では狂信的になりながら、一方では批判的になれるような態度です。多拠点もその手段でしかありません。たとえば、僕の場合、渋谷では拡張家族の中で大手企業との共同開発をしたりしていて、一方、逗子にも家を借りていて、そこでは自然に囲まれながらマインドフルをテーマに生活と仕事をしています。

AとBがあったときに中間点に寄せていくより、Aが狂信的なビジョンと想いが集まっている渋谷っていう場所だとしたら、それと対になる真逆の狂信的なビジョンをBとして意図的に作っていこうとしています。バランスを取るために、片方にブレーキをかけるんじゃなくて、こっちと同じくらいのパワーをあっちに作れるか。その方がクリエイティブだなという感じはしています。要は態度の振り幅をどんどん広げていくという。

NWF事務局:それから、Ciftはとても都市型のモデルのように感じました。

愛と力でいうとベクトルとしての力が強いんですよ。だから、それとは別にもうひとつ、もうちょっと愛寄りのゆったりとしたスローなところを持ちたいなと思っています。お金を稼ぎにガツガツしなくても生きていけるところがあると、自分の中で均衡が保てるというか。そのための多拠点でもあるんですね。Cift全体のバランスで言うと熊本のサイハテというエコビレッジがあって、そこが相対する田舎型のモデルで写し鏡の様な存在だと感じています。

Ciftのメンバーはみんなそれぞれに全然違う幅を持っているんですね。僕の渋谷での顔と逗子での顔が違うように。では、ここに集まる意味は何かというと、不動産の価値判断として、プラン、プレイス、プロダクトの3Pみたいなことが言われますけど、そういう外側の条件ではなくて、Ciftは内側の人と志が価値判断になっています。だから、Ciftに来ると、都市型コミュニティのメンバーの一員としての顔になるというのはいい状態なのではないかと思います。

NWF事務局:藤代さんにとっての物理的な距離って何ですか? 移動距離の大きさ、移動することそのものに価値はあると思いますか?

移動することに対しての哲学はまだ自分の中でもできていませんが、少なくともその場所に行くために移動しなければいけないと思います。場所にはその場所が持つ力があると思うんですよね。それは、気候や風土、歴史、社会的な要因からもっと霊性的なものまでいろんな要素からできている。だから、そこにしか無いものは絶対にあると思うんです。テレイグジスタンスVRではまかなえないと思っているので、行く以外選択肢は無いかなと。

NWF事務局:これから、多拠点の人と1拠点にとどまらざるを得ない人に二極化していくような感じがしますね。

そういう傾向はあると思いますね。逆説的ですが実は一拠点でもいいと思うんです。多拠点という外的環境も、内的意識が自立するための手段でしかありません。ただ、内側の意識は外側の環境に影響を受けるから相対的により強い自立を求められるとは思います。でも、本当は自分が変わろうと思えば変われるんだと思っています。

NWF事務局:ひとつの場所に根を張ってマネジメントしていくと、そこに依存し過ぎてしまう恐れがある。一方でホップしすぎると根無し草になって、その場所に何もできない人間になってしまいますよね。

僕がCiftを作ったときにある人から「Ciftっていうものが自分のアイデンティティになるし、君自身がCiftに依存しないことが一番の課題だよ」っていうことを言われたんですね。僕が僕自信を一番カリスマ化させる危険性があるわけですよ。だって、ここが一番居心地いいですからね。だから、自分がそこを抜け出ることが大事になる。そのためには、他のコミュニティに入ることも必要になってくるかなと思います。この様なバランス感覚は少なからずみんなに共通する部分はあるかと思います。

Ciftもまだ3ヶ月くらいしかたってないけど、ここにいると楽しくて、おもしろい人も外から来てくれるから、どんどん内輪で閉じていってるんじゃないか、という話がCiftの中でもあって。そこをどうやって公共に開いていくかというのが、これからは大切です。

想いを共有する

NWF事務局:Ciftのコンセプトはいつ頃から温めていたのですか?

今話している哲学体系で言えば、強力に影響を受けてきた何人かの人たちに会ったのが2012年くらいだから、5年くらいになります。そういうWhyの部分に対して世界の認識というのは、大学卒業以降からいろんな人の影響を受けながら、重心として自分が温めていたものだから、どれを取っても自分以外の誰かの言葉なんだけど、編集されすぎていて、どの部分が誰の言葉から来たのか分からなくなってる。でも、それに自分はアイデンティティを感じているから、人の言葉をしゃべっている感じがしない。それが自分の言葉で、気持ちいいっていうか。

そこから、Ciftっていうところに落とし込んで、協同組合とかそういうクリエーションの部分を作っていったのが2016年の夏くらいですね。世界平和ということを目的として、主体的に全体に開くっていうのは、つまるところ、平和活動なんですよ。平和活動を自分の人生を使ってやるっていうことを決めた人たちが集まっているだけ。でもちゃんと社会と付き合っていこうぜと。

この全体に開いて平和活動をするっていうアイデンティティはCiftのものだから、それは別に他のコーファミリーに押しつけることは無いんですよね。でも、ともに働き、ともに暮らし、複数の家庭や組織に所属している個人の集合体というのは、コーファミリーの三元要素。ビジョンとして平和活動をしてるのがCift、みたいな。そういう区分けです。コーファミリーの中のCiftなんで。

NWF事務局:Ciftという名前の由来は?

いろいろあるんですけど、時代をシフト(Shift)させるとか、あと、ギフト(Gift)ですね。それから、Cっていう文字自体が丸いじゃないですか、四角か丸かって言ったら丸っていうのを大事に使っている。それから、この辺は遊びですけど、シフトっていう音が渋谷(シブヤ)とか近かったりCASTが文字的に近かったり。

NWF事務局:Ciftメンバーは藤代さんが選んでいるのですか?

ここのメンバーは基本的に僕が選んでいます。紹介も含めてですけど。僕がWhyの部分のコンセプトをずっと話して、それでいいという人を。一番最後に、「ちなみに家賃は結構高いけど」みたいな(笑)。

キュレーションというのはすごく大事だと思います。実際には一般公募もしていなくて、最初に信用できる人たちにアプローチしていって、メンバーになってもらったり紹介してもらったりしていました。想いをベースに誰と家族になっていくのか、というのが肝なんですよね。

NWF事務局:いろいろな企業がCiftをサポートしているというのも驚きですね。

例えば東急電鉄に関して言えば、はじめに13階のレジデンスにクリエイターを集めるということが決まっていたらしくて。それで、その依頼が僕たちの方に来て、リサーチしてるうちに僕の気分がコンサルからアーティスト的な態度になってきて、「自分でリスクをとるから応援してほしい」と言っていました。コンセプトはよく分からないけど、自分という人間を信頼してくれるようになってありがたかったです。

基本的に僕たちは家賃払っているので、ユーザーなんです。その上で、SHIBUYA CAST.を盛り上げているわけだから、共に目的を共有しながらも、互いの目的も担保できている良い関係性になっていると思います。

ネットでは愛のコミュニティは作りにくい

NWF事務局:Ciftのようなリアルな場を共有するコミュニティとは別に、ネット上のオンラインのコミュニティというものがあります。そういうものについて今後の可能性や、リアルな場との関係はどうなっていくと思いますか?

役割としてはもちろんあると思います。でも、ネットでは力の関係のコミュニティはできるけど、愛の関係のコミュニティはできにくい。オンラインコミュニティは、スキルの交換とかはできるけど、一緒にいることでできるような呼吸のトーンが合ってくるとか、菌を実は交換し合っていたりとか、そういうリアルな場が持つ力みたいなものは無いので。

力を回していくっていう意味においては一定の役割がありつつも、コミュニティの最も大事な部分にはタッチができないんじゃないかなと。手段としては、非常に重要ですけどね、それがあるから多拠点な在り方もできるわけで。

僕達の目的は健全な拡張家族になることだから、そのためには自分の個性が力として発揮されることも重要。つまり、まとまることは大事だけど、まとまり過ぎて依存しないためにみんなが個人として力を発揮するということ。そして、その上位次元として愛がある。コミュニティに関しては、本質的には時間と空間に余裕を持つということがファーストステップで、それ以上でもそれ以下でもない。個の先に全体があるから。今の現代人は本当に忙しすぎるのが課題かなと思います。忙しいと目的志向になりますからね。

Next Wisdom Foundation

地球を思い、自然を尊び、歴史に学ぼう。

知的で、文化的で、持続的で、
誰もが尊敬され、
誰もが相手を慈しむ世界を生もう。

全ての人にチャンスを生み、
共に喜び、共に発展しよう。

私たちは、そんな未来を創るために、
様々な分野の叡智を編纂し
これからの人々のために
残していこうと思う。

より良い未来を創造するために、
世界中の叡智を編纂する
NEXT WISDOM FOUNDATION

記事を検索