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竹村真一氏(京都造形芸術大学教授、Earth Literacy Program代表)
東京大学大学院文化人類学博士課程修了。地球時代の新たな「人間学」を提起しつつ、ITを駆使した地球環境問題への独自な取組みを進める。世界初のデジタル地球儀「触れる地球」や「100万人のキャンドルナイト」、「Water」展(07年)などを企画・制作。2014年2月、丸の内に「触れる地球ミュージアム」を開設。環境セミナー「地球大学」も丸の内で主宰。東日本大震災後、政府の「復興構想会議」検討部会専門委員に就任。
地球は巨大なデータベース
叡智の塊である人類、そして地球。私たちが既に多くの叡智を抱えています。
未来に向けて新たに何かを開発することばかり考えるだけで、それぞれの民族や文化の中に眠る膨大な叡智、そういうデータベースの存在を私たちは忘れつつある。それはとてももったいないことです。
僕自身の仕事のモチベーションはまさにそこにあります。例えば『触れる地球』というのは、現代にしかない技術で、宇宙からの目線で、地球全体をまるごと自分の中に抱え込んでとらえるというツール。逆のアプローチをもつ対照的なツールとして『ユビキタスミュージアム』というものにも取り組んでいます。これは、現実の地球全体を生きた博物館にするという発想です。
自分のスマホを街の特定の場所にかざすと、ウィンドウの中には自分が立っている地点の何百年も前の風景が出てくる。その場所がどのような歴史と叡智を持っているかが見えてくる。例えば、日比谷の交差点で携帯をかざすと、海苔を養殖する道具である「ヒビ」が立ち、周りには海が広がっている。そんな風景が現れる驚きがあって、現実の、現場で、それができるようになるというのは今の時代の特権なんですね。
「どこでも博物館 – Ubiquitous Museum」CC BY-NC-SA 3.0,yousakana work)
『ユビキタスミュージアム』のプロトタイプは2003年から4年ぐらいに携帯電話とQRコードを使って作りました。その後、AR技術を利用したツールも出てきましたが、QRやARなど技術は進歩していくので、その都度最適な新しい技術を採用すればいい。技術よりも大事なのは、僕たちの周りに存在する叡智をいかに引き出すか、ということです。
例えば、日本にはむかし「歌枕」というシステムがありました。西行法師が旅の途中に(http://ja.wikipedia.org/wiki/西行)桜や紅葉の歌を詠む。するとその場所に来た別の旅人が、西行の歌を詠むことで西行の経験を追体験するという習慣があったんですね。そうやって誰かの残した歌枕を旅していくわけです。そして、そこに自分の新しい歌も付け加えていく。
つまり、場所依存型のデータベースのシステムを日本は古来から作っていたわけです、ケータイも何もない時代に。その代わりに現代では、ハイテクツールやGPSを駆使してもっとダイナミックに同じことができるはず。それならば、叡智にアクセスするインターフェイスの多元化をしていくのが、現代の我々の世代の仕事です。
CC BY 2.0,Saliendo de casa,Francisco Chaves from Buenos Aires, Argentina
シャーマンと上りがつお
叡智を伝えるメディアとして「本」がありますが、一生の中で読める本は限られている。自分が住む街や土地の上に築かれてきた、名もなき人達のローカルな叡智は本に載っていないし、だれも知ることができない。人類の情報メディアの変遷を振り返ると、声や身振り手振りによる伝承から、文字になり、そして活版印刷になり、やがて出版メディアによる情報量は膨大なものになりすぎて、一人ひとりが叡智を探し出すことが非常に困難になりました。その問題をGoogleやWikipediaによる検索が解決してくれるかと思いきや、情報は2次元の中に閉じ込められ、私たちの身の回りの物や場所から分離してしまった。
以前フィールドワークでアマゾンのジャングルを原住民のシャーマンと歩いたのですが、僕から見ればジャングルはただ鬱蒼とした森にしか見えなかった。しかし、シャーマンがその樹々や植物の一つひとつの成り立ちや効能を説明してくれると、いままで見ていたジャングルがまったく違うものに見えてきた。同じジャングルを見ていても、僕とシャーマンとでは経験の解像度が全く違うわけです。かといって、誰もがシャーマンと一緒に森を歩けるわけではない。だったら、人や場所に帰属した深い叡智をちょっとだけ垣間見せてくれるような“ミドルレンジ”の叡智に触れられるインターフェイスを作れないか。それができれば、より多くの人が、いまの地球というとてつもないデータベースの価値に気づきやすくなる。
アマゾンだけでなく、日本も叡智の宝庫です。例えば食文化。元の食材になかった栄養やうま味を増幅してくれる発酵という微生物との共生技術。料理を作るだけでなく、料理に合った器に盛りつけて、味わうまでの作法や美意識。旬という概念もそうです。春に黒潮に乗って北上してくる「上りがつお」。旬のものを愛でて味わうというのは、その季節に合った最高の栄養と美味しさを得られるという実利的な面だけではなく、地球のリズムとシンクロしていく智恵であり、感性と技術なのだと思うのです。これから未来を考えると、地球のリズムにもっと敏感になって、環境負荷の少ない生き方をしていくという事が非常に重要なります。食文化の一つである「旬」を、「地球のリズムとシンクロしていく生き方である」というように翻訳することで初めて、人の叡智が見えてくる。
CC BY-SA 2.5,Hyades Open Cluster by Todd Vance
叡智とはなにか?
いま多くの人たちは、テレビや新聞、ネットメディアやSNSなどに膨大な時間をとられていますが、それらの情報はかなり均質的なものです。そのようなメディアの情報に人生の多くの時間をとられていると、情報の奥行きがどんどんなくなっていく。一方、叡智というものは、物事を立体視することで奥行きを発見し、その立体感の中に立ち上がってくるもの。だから、同じ平面でたくさんのものを見ていても、叡智を見つけることができません。
そもそも、情報も叡智も、叡智以前の知識、知識以前の情報ですら、関係性の中に立ち上がるものなんです。その都度その都度クリエイトされる。「information(インフォメーション)」の言葉の成り立ちをからわかるように「in・form(イン・フォルム)」なんですよ。つまり、インフォメーションは最初からあるものではなく、その瞬間に、その場所に、意味が形象化されるものなんです。
自分との関係性の中にインフォメーションが生まれ、それを編集して知識になり、それがかなりメタレベルで蒸留され、見識になり、それがさらに発展して、叡智のようなものになる。だから叡智を得るためには、経験と時間と、立体視をするような視点の多元性と言うのが必要になる。
そのための1番手っ取り早いノウハウはクロスリファレンス、つまり同じテーマやトピックについて多様なリソースを参照することです。すると別々の本や別々のネット、別々の記事の中にあった関係性の中に星座のようなものが浮かび上がる。星座というものは、そこに始めから存在するではないが、人間が勝手に線を描いて星座として認識する。そこにあるのは星々だけ、そこにどんなパターンを見いだすか。
叡智という星座を浮かび上がらせるためには、もちろん自分の経験というのが1番のベースになりますが、自分の経験でないものですら、星座をつくるための一つの星になり得ます。だから、叡智に近づくためには、とにかくクロスリファレンスし続けること。情報ソースを1つか2つを適当にコピペするのでなく、好奇心をもって世界に向かい合い、さまざまなリソースと視点から世界を見続けることで、初めて叡智が浮かび上がってくるのです。
- Text / Photo:
- KIYOTA NAOHIRO
- Plan:
- Mirai Institute