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〜三方良し〜 ケイザイ祭vol.5 Part2「シェア経済と三方良し経済〜シェアは三方良しか〜」

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Next Wisdom Meeting2019 〜三方良し〜 ケイザイ祭vol.5 

Next Wisdom Foundationは、AI時代だからこそきちんと考えたい『人間らしさ』をテーマにイベントを開催してきました。毎年恒例のケイザイ祭、今年はこの『AI時代の人間らしさ』に『経済』を掛け合わせ、利己と利他と経済の関係を迫いました。

Part2は、大和総研でエシカル消費をテーマに研究されている、河口真理子さんに、シェアリングエコノミーの仕組みや流れについて解説いただきながら、『三方よし』との共通性を考えます。後半はモデレーターとして、内閣官房シェアリングエコノミー伝道師で、一般社団法人シェアリングエコノミー協会事務局長の石山アンジュさんにご参加いただきました。

<プロフィール>
河口真理子さん 当時:大和総研 調査本部 研究主幹 現:立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授

1986年一橋大学大学院修士課程修了、同年大和証券入社。94年に大和総研に転籍、企業調査を経て2010年大和証券グループ本社CSR室長~広報部CSR担当部長。2011年7月より大和総研に帰任、2018年12月より調査本部 研究主幹。担当分野はサステナブル投資、CSR、ソーシャルビジネス、エシカル消費。

モデレーター:石山アンジュさん
内閣官房シェアリングエコノミー伝道師 / 一般社団法人シェアリングエコノミー協会事務局長 / 一般社団法人Public Meets Innovation代表理事

1989年生まれ。「シェア(共有)」の概念に親しみながら育つ。2012年国際基督教大学(ICU)卒。新卒で(株)リクルート入社、その後(株)クラウドワークス経営企画室を経て現職。シェアリングエコノミーを通じた新しいライフスタイルを提案する活動を行うほか、政府と民間のパイプ役として規制緩和や政策推進にも従事。総務省地域情報化アドバイザー、厚生労働省「シェアリングエコノミーが雇用・労働に与える影響に関する研究会」構成委員、経済産業省「シェアリングエコノミーにおける経済活動の統計調査による把握に関する研究会」委員なども務める。2018年米国メディア「Shareable」にて世界のスーパーシェアラー日本代表に選出。ほかNewsPicks「WEEKLY OCHIAI」レギュラーMC、拡張家族Cift メンバーなど、幅広く活動。著書「シェアライフ-新しい社会の新しい生き方(クロスメディア・パブリッシング)」がある。

「価値」の大変化が起きている

河口:これからの私のお話は、Part1の筒井先生のお話とは、学者と企業側との立場の違いで矛盾するかもしれませんが、利他の経済を考えるというテーマでお話をさせていただきます。

私は今「価値の大変化が起きている」と、いろんなところで断言しております。経済学者である筒井先生の前でこんな事を言うのは大変僭越なんですが「本来の価値とは何か?」ということを、私なりに考えました。私は、本来の価値とは社会全体の厚生、幸福度、満足度の増加分であり、これをより大きくさせることが本来の経済的な価値なのではないかと定義しています。

私がなぜこういうことをやっているか、自己紹介も兼ねてお話します。大学ではマクロ経済学やミクロ経済学などの経済学を学びました。非常に精度が高いと思いましたし、私もそう思って勉強していました。「全てのことは価格曲線に含まれている。需要曲線と供給曲線の交点で、最適な解が得られる」と教科書にあって、こんなシンプルでかっこいいものはないな、と思ったんです。でも教科書の最後に「実は、価格曲線に含まれない「外部経済」や「外部不経済」というものがあって、これは計算できないから無視します」、というんです。20歳の時に椅子から転がり落ちるような衝撃を受けました。経済学の先生には本当に申し訳ないんですけど、経済学はbullshitだ、これはどうにかしたいな、と思って書いた修士論文が、排出権と環境税をテーマにした内容でした。

ただ当時は、環境のことをやっている人間は全然評価されていませんでした。当時の私の指導教官は、一橋大学の学長も務められた石弘光先生でした。財政学では権威でありながら、学生の面倒見も良くて、進路について「お前、環境なんかやっていたら経済学では食べていけんぞ」というアドバイスをいただいて。大学院に行って学者になっても環境問題を解決するのは無理なんじゃないか。じゃあ市場側のことを勉強したら環境問題が解決できるかもしれない、と考えて証券会社に行きました。

私は1986年に大和証券に就職したのですが、当時、男女雇用機会均等法が施行されて1年目だったので、大卒の女子を採用するという企業は1割もありませんでした。院卒なんてもっとない時代です。そんな中で証券会社というのは、女性への門戸は比較的あいていました。

数値化できるのは「経済」の一部分に過ぎない

大和証券では「市場とは何か?」「環境とは何か?」ということを学問の立場とは違う形で見ることができました。1987年のブラックマンデーという暴落相場も経験しましたし、その後企業を環境で評価するという「エコファンド」の活動もしてきました。その中で「価値」というものについてもずっと考えてきましたが、企業の価値は時価総額だと言うけれど本当なのか? 投資家にとっての企業価値は時価総額ですが、社員は「うちの会社の時価総額大きくなった」と喜ばないですよ。それよりも働き方改革で制度が変わって働きやすくなった方がハッピーですよね。価値は人によって違います。

幸福度の増加分が価値だとしても、幸福度は金銭に換算なんて出来ないでしょう。経済学では経済活動として数値化できる部分、いわゆるGDPであったり、売上だったり、利益だったり、数値化できた部分だけを扱います。それは全体の経済活動の一部分に過ぎないけど、そこだけを計算して可視化して比較するということを始めた。計算できない部分は「無い」ことにして。生産・消費・利益、これは全部計算できます。となると「価値≒経済価値」となり、数値化できる部分を価値として議論しないから、国の価値はGDPだし企業の価値は時価総額でいいんじゃないか、ということになってしまった。だけど、今「これでよかったんだっけ?」という議論になっています。

皆さんはパリ協定SDGsについて、よくご存知だと思います。なぜそれが騒がれているかというと、貧困問題、気候変動、生物多様性、魚がいなくなる、森がなくなる、などなど、私は環境問題が専門なので、言い出したら本当に気分が暗くなるくらいひどい状況です。日本に甚大な被害を出す大型台風だってもっともっと増えるかもしれない。しかし、こういうことは30年前から言われていました。だから環境活動家のグレタさんが怒るわけです。

地球は46億年前に生まれたと言われています。人間の先祖が現れたのは500万年くらい前で、今の農耕生活が始まってからは1万年ほど。いまの近代経済の仕組みができて、まだ250~300年でしょうか。地球があって、その中で人間社会ができて、今の経済ができている。これは当たり前ですよね。だけど、環境とか人権というものは経済コストがかかりますし、特に企業は環境や人権問題はどうしても後回しです。「コスト削減が厳しいから」という頭の中なんですね。全員がこういう頭だったらどうなるか? そのツケが、いまの気候変動や貧困問題です。

健康の問題も、ジェンダーの問題も、いろいろな問題があります。みんながやらなきゃならないことなのに「経済的価値がないから」と後回しにしてきたことです。それが今、パリ協定やSDGsが注目され、世界最大の資産運用会社であるブラックロックも最近石炭関連の投資を削減すると発表しました。要するに「経済ファースト」から「地球社会ファースト」に少しでもシフトさせていく仕組みを作らなければいけない、ということなんですね。

社会課題を解決しない企業は生き残れない

では、具体的にどうするのか。経済の循環を考えると、1次産業の農林水産業が自然からいろんな資源を取り出して、それが加工や組立されて消費者にサービスされて、ゴミが出たら行政が処理する、というループがあります。今まで消費者は「自分にとっていかにお得で、いいものを安く、早く、たくさん得られるか」を望み、企業はそれを作って売るだけでした。極端な話ですが、原材料はなるべく安いほうがいいから、児童労働が行われていようが、農薬で環境を破壊しようが、インドの川が汚れようが、インドネシアの森が消えようが「自分たちがよければいいよね」というサイクルでお金を回していました。

これを変えようとしている一つはESG投資ですが、その変化の理由は「環境破壊や人権侵害していても自分さえ儲ければいい」と言っているような企業が、これからの時代に生き残れるのか? ということです。社会の人々の認識が変わってきて「エシカル消費」の発想も出てきました。特に若い世代の間では「ちょっとくらい高価でも環境や人権に配慮されているほうがいい」とか「モノはやたらと買わずシェアする」という価値観が広がってきています。

「他の人のことはどうでもいいから、自分にとっていいものをよこせ」ではなく「途上国の人の子どもたちにとって良いものでないと自分も良いと思えない」というような発想が消費者から出てくることで、企業の行動も当然変わってきます。2000~2010年くらいまでなら「環境問題なんて消費者は気にしてないんだよ」という経営者が多かったのですが、ここ3年くらいで「環境に配慮しないと消費者は買わないよね」という風に変わってきています。

大手小売チェーン3人の社長との対談を2014年にしたことがあります。コンビニ、スーパー、百貨店と1時間ずつ対談相手の社長が変わって、それぞれの方にエシカル消費の話をしたんですが「おにぎりが10円でも高くなったら売れるわけがない」とけんもほろろでした。ところが、最近では、MSC認証の明太子やシャケのおにぎりを販売するようになったんですよ。やはり消費者の意識が変わってきているからだと思います。

消費者が変わることで、投資家も変わってきています。いま投資家自身が、本当にこの会社が、10年後、20年後、30年後に生き残っているかどうか? を真剣に考えています。SDGsや気候変動などの制約の中で「マレーシアの森が消えてもいい」と思っているような会社が10年後にあると思いますか? 消費者や株主のためだけではなく、他のステークホルダーのことも考えていて、かつ利益をあげて、持続可能かどうか、というところを調べないとダメだ、そう考える投資家が今非常に増えています。

ちょうど今朝も、EUでサステナブルファイナンスをやっている人たちが来日していて、都内でグリーンボンドに関するイベントを行っていたんです。グリーンボンドというのは、企業や地方自治体が、再生可能エネルギー事業やリサイクル、生物多様性の保全など、様々な環境改善に関する事業に特化して債権を発行する取り組みなのですが、今のこの動きが増えてきています。このセミナーを企画したのは日本証券業協会、そこが今こういうことをやっています。

企業は、グリーンなことをするために、またはSDGsの目的を達成するために、資金調達をどうやったらいいのか。また、その資金調達を投資家にアピールするためにも、直接の金銭的リターン以外にどんな社会的なインパクトを与えられるか、その競い合いになってきています。このサイクルの中で、お金が回るのと同時に利他的なものを考える動きが出てきているんです。

利益は「目的」ではなく「手段」

今までの「会社人間」を支配していたのは、高度経済成長の中で、右肩上がりの物質的な経済成長が可能だという前提に基づいた20世紀型の価値観です。当時、CSRや企業の社会的責任というのは利益追求と相反することで、社会課題の解決はビジネスとは分けて考えられていました。「ビジネスは儲けるため」という発想です。またワークライフバランスなんて言葉もない時代、プライベートの充実は基本的に邪魔でした。今は逆ですよね。しかし当時は社員は会社に滅私奉公する姿を見せ、利益を最優先するがサラリーマンに求められていることだ、という時代が長く続いて、未だにそれが続いている会社もあります。

それが21世紀になって、変わってきています。今や企業は「本業を通じて社会的課題を解決しよう」という流れに変わってきたんですね。今までは「儲けた利益で社会課題を扱いなさい」だったんです。でも儲けるプロセスで社会課題を作ってしまっていることがあるんですよ。だったら企業活動の仕組みの中に、社会的課題の解決策も入れてしまえばいい、ということなんです。企業がこの先ずっと継続して事業活動をしてくものだとすれば、利益は「目的」ではなく、活動するための「手段」です。また、従業員が幸せになっている方が、モチベーションも高まるし、企業価値にプラスになって色々な意味でポジティブだ、ということが分かってきました。

この先、右肩上がりの物質的成長は不可能だと言われています。CO2を削減しないといけない、資源がどんどんなくなる、魚もいなくなる、森もなくなる。そんな中で何を使ったら経済成長が永遠に続くんだろうか、と。でも普通の人たちの頭の中は慣性の法則が働くので、20世紀的な価値観が主流ですし、今の経済のトップの人たちはこの価値観で成功してきた人なので、これで解決しようとします。しかしこれからは20世紀の価値観から21世紀の価値観へ変わっていって、中央集権型の攻撃拡大型の社会から分散・共生・定常均衡型の社会になっていきます。

なお、20世紀は人間も少なかったし地球の資源も無限に見えたから物質的な経済成長ができましたが、もう地球は目一杯です。物質的な豊かさ、モノを増やすのではなく、質的な発展や心の豊かさ、身近な幸福へと向かっていくしかないですよね。アメリカの西部開拓時代は 永遠に西部に土地があると思っていたわけです 失敗しても西に行けばいいと。でも太平洋にぶつかってそこで方針が変わったわけです。

また、日本の戦後の経済成長について特に言いたいのは、男女の役割を分けすぎたこと。いわば職場を男子校に、家庭を女子校に分けたことです。男は仕事に、女は家庭に、それが大量生産の時代では非常に効率的でした。ところが今や大量にものを作るというよりも、いかに少量対品種で心の満足を得られるものを作るかということになると、きめ細やかな対応が必要な場面も増えてきます。生活者目線で経済活動を充実させていく時代になったんじゃないかな、と思いますね。

人類の誕生が5万年前、その後に狩猟採集時代が長く続いて 農耕定住時代になったのが1万2000年前から1万年、産業革命が起こって以降はまだ250年しか経っていません。私たちが常識だと思っている経済の仕組みは人類が生まれてからの期間のうちわずか0.5%の間だけしかありません。そこからどうやって新しい仕組みを生み出せるか。この0.5%を金科玉条のように思っている人は多いですが、それでいいのでしょうか? これは歴史を見ればわかります。0.5%の常識はいくらでも変わりうる。

最後に、人間は生産活動があまりできなかった頃から、エネルギー革命や産業革命で生産レベルが上がって「モノがどんどん増えていくって素晴らしい」と思っていたけれど、これ以上増やせないというところまで来てしまった。では、精神的な満足度はどうなるのか? ある程度のところまでは物質的にリンクしていましたが、一定以上の物質的な豊かさは、精神的な豊かさを逆に減らしてしまう。だけど、シェアだったり、共感だったり、そういう形で精神的な豊かさ全体をさらに増やすことができるんじゃないかな、と思っています。

対談:シェアリングエコノミーの今と、日本人の価値観

石山:河口先生のお話から大変な示唆をいただいたかと思いますが、私からはミレニアル世代としてのシェアリングエコノミーや、それらを実践する立場から、河口先生にお話を伺いたいと思います。

その前に、簡単に私の自己紹介とシェアリングエコノミーについてお話をさせてください。シェアリングエコノミーは約3年前から広がってきていまして、私が事務局長を務めている「一般社団法人シェアリングエコノミー協会」では、約300社がシェアリングエコノミービジネスを手掛けています。また「シェアワーカー」と呼ばれる人たちもどんどん増えていて、今、1,000万人くらいになっていると言われています。今後シェアリングエコノミーは、今の日本が抱える人口減少や地方の過疎化問題においてとても重要なインフラになり得る、ということで、2年ほど前からは『内閣官房シェアリングエコノミー伝道師』としても活動させていただいています。

実生活では「拡張家族」という共同体も始めています。2年前にスタートしたときのメンバーは30人で、現在は約70人。クリエイターの組合でもあるんですが、例えば私自身に子どもはいませんが、他の方の子どものお世話をしてあげたり、美容師の方に髪を切ってもらったりと、それぞれのスキルをシェアすることで生活のほとんどのことが成り立つようになっています。こういった利他性に基づく精神性の共同体が、今後1,000人、1万人と増えていったらどんな社会が生まれるのか、ということを日々実践しています。

今回のテーマ、シェア経済やシェアリングエコノミーが「三方よし」を本当に実現できるか? ということですが、ある意味で昔からあった「ご近所でのお醤油の貸し借り」のようなシェアリングエコノミーが、なぜ今ニューエコノミーとして注目されているのかと言うと、まさにテクノロジーの進化のおかげです。ご近所さんだけではなく、100人、1,000人、海外の人とも瞬時にやりとりできるようになって、今後はインフラにもなり得ると私は思っています。

また、シェアリングエコノミーは市場規模が拡大する一方で、経済合理性だけではなく人々の幸福度にも寄与しているんです。シェアワーカーやシェアユーザーにヒアリングしてきたんですが、その中で、Airbnbで部屋を貸し出すホストをしている80歳のおばあちゃんは、仕事をリタイア後、生きがいがなかったそうですが、Airbnbでのホストを通じて生きがいや人とのつながりを創出できたと話してくれました。

実は「シェア」という概念に、世界的な確固たる定義があるわけではないんです。どこまでがシェアか、というと非常に難しいんですが、シェアリングエコノミーにおいて特に注目すべきキーワードは「C to C」です。個人間でのモノの売買や貸し借りが、テクノロジーによって簡単に実現するようになった。個人が持つ資産を通じて、サービスを提供したり、他の人にシェアしたりできるようになりました。

シェアリングエコノミーの消費の主体がミレニアル世代だと言われていますが、その背景にあるのは、豊かさの定義が「所有」から「共有」に変わってきていること、そして、自分の幸福のロールモデルや資産の価値がお金やステータスではなくなってきているということです。例えば、明日地震が起きてもAirbnbで泊まり歩いた世界中の人たちとのネットワークがあれば、お米を送ってくれる人がいるし、逃げられる場所だってある。こういう「つながり」が豊かさの一つの指標になっているんじゃないかと思います。

また、若い世代には「利己主義から利他主義へ」という動きが起きています。昔は競争によって個人の利益を生み出してきましたが、2019年の今では自己実現や自己表現がどんどんできるようになり、誰かに共感してもらうことが嬉しい、誰かと共有することが嬉しい、という価値観になってきています。従来のビジネスがシェアリングによって、SDGsと親和性を持つインフラになり得るとも言われています。今日はここを先生と議論をしたいと思っていますが、個人間の売買や取引においては信頼が大きな軸ですが、その信頼の概念がいま変化してきている言われています。

「第一の信頼」がまさに共同体です。お隣の醤油に毒が入っていないかどうかは、共同体の信頼関係に基づいています。「第二の信頼」が、先生がおっしゃっていた市場経済です。醤油に毒が入っていないかどうかは、もらった人を信じるのではなく、厚労省の基準に当てはまっているかどうか、企業が販売しているかどうか、ということですね。そして「第三の信頼」として、分散化された信頼というものがテクノロジーによって起きていると言われています。その醤油に毒が入っていないかどうか、これを味見した100人のレビュー評価を見るという、集合知を信じるようになったんです。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、中国ではこれを「社会信用制度」と呼んでいます。

しかし、このシェアリングエコノミーによる信用度で、個人の信用度が下がったとか、パスポートが作れなくなったとか、そんなことが起きようとしています。またAirbnbやUberは本当に利他性に基づくプラットフォームなのか、Airbnbは分散化された信頼だけで、データ資本主義・テクノロジー主義の代替なんじゃないかという、シェアリングエコノミーに反対するムーブメント「プラットフォームコーポラティズム」も起きてるんです。例えばオランダでは、「Fairbnb」という、組合型で利益を追求しない、地域に根差したAirbnbモデルを始めています。

ここでひとつめの質問です。先生も「価値観が大事」というお話をされていましたが、利他精神をどうやって築くのか。大事なのはみんな分かっている一方で、この価値観のシフトというのは非常に難しいのかなと思うんです。市場経済が浸透した価値観を、対個人、対企業、対行政、対国というところで、どうやったら変えていけるのか、ご意見をいただけますでしょうか。

河口:利己的だというのは、刷り込みと思い込みだと思いますね。利己的な行動と利他的な行動、どっちが気持ちがいいかを経験してみると、利他的なほうが良いんですよ。「利他とは自分が損すること」というような方程式をどこかで教え込まれた、みたいな感じでしょうか。でも、そうじゃないと気づいた人や幸せになっている人の事例が増えてきているんですよね。石山さんがおっしゃった「拡張家族」が、30人程度で始めたところが70人近くに増えたように。

石山:コンサルファームのPwCが海外で行った調査を見ると、シェアリングエコノミーを利用したいと答えた割合が、海外8割で日本は3割程度なんです。そのほとんどの理由が「他人と直接やりとりするのが怖い」「迷惑をかけるのが嫌」ですが、「他人を信頼するのが怖い」というのが本音です。利他性は「信頼」とすごく結びつきが強いので、どうしたらその壁を乗り越えることができるのか。簡単なようで難しい……。

河口:「他人に迷惑をかけるのは嫌だ」というのは、子どものときから「人に迷惑をかけないようにしなさい」と言われて育てられてきたからでしょう。アメリカではそういう教育はしていないです。だから、やりすぎてお節介になってもいいから良いことをするよりも、黙っていた方がいい、という価値観になっていますよね。だから「迷惑をかけないのも大事だけれど、お節介でもいいから良いことはどんどんをやろうよ」という教育は、どういうかたちでもいいですが、1歳児や2歳児にしていくと良いのかもしれませんね。

石山:今も地方には残っていると思うのですが「お互い様の文化」や「結(ゆい)の文化」が昔の日本にはありました。いま都市では、お隣に誰が住んでいるかわからないような生活の中で「お互い様の文化」はどういう風に醸成できると思いますか。

河口:「昔からあったからいい」というわけではなくて、昔は「個の自立」がないまま「どこそこの嫁だからこれをやらなきゃいけない」みたいなことがありました。個を確立する、個人というものをしっかり育てる、というカルチャーがなかったんですよ。私はこれを「スジコとイクラ」と呼んでいます。スジコとイクラはどこが違うか知っていますか? イクラは粒々でしょう? スジコは粒が袋状にくっついています。基本はスジコの形だけど、一粒づつ分離させるとイクラになる。昔の日本の個人スジコのように、粒々はあるけど家や組織に全部くっついてる状態でした。

実はヨーロッパも10世紀くらいまでは「個」がなかったんですよ。弟が殺されたからみんなで殺しに行く、みたいに個が確立されていなかった。それが変わったきっかけがカトリックの「懺悔」という仕組みです。自分の悩みを語るという訓練をして、人々はイクラ化していったんです。イクラになったところで、権利とか、フランス革命とか、なんだかんだ出てきましたけど、日本はそういう宗教的なバックグラウンドがないので、家とか村とか、そういうスジコの世界のまま、個人を分離するということがないまま来てしまった。そして戦後、様々な機会で個人が分断されていったという流れですね。

石山:日本人はスジコ的な価値観だ、ということですね。ただ一方で、シェアリングエコノミーの未来を考えていくなら、日本のスジコ的な、個人という概念があまり存在しないからこそ、シェア的な思想や利他の精神が取り込みやすい文化なのでは、と思うのですが、いかがでしょうか。

河口:元々はそうなんだけど、イクラにするために、戦後に色々な「薬品」が足されてしまいました。個人の権利とか、市場経済とか、そういうものの影響を中和するようなことができたら、いいのかもしれないですね。

石山:では、ふたつめの質問に移りますが、例えばUberは、上場してスケーラビリティを求められていく過程の中で、ドライバーの問題のように個人というものを置いてけぼりにしてしまったり、本当は分散化されるプラットフォームとしての可能性があったはずなのに、利益の追求が先行して資本主義の代替になってしまっているんじゃないか、ということが言われています。その一方で、お隣さんの家とお醤油を貸し借りするようなことが、新しいIT技術の発展やテクノロジーによって、もっと簡単に多くの人とできるようになったという、すごい可能性もあると思います。この「データ資本主義」という状況を、どう考えてらっしゃいますか。

河口:これは2段階になっていると思うんです。「お醤油を借りたい」という人間の行動パターンをうまく活用した、ものすごい金儲けのビジネスモデルですよね。主役はあなたと言いながらも、実は企業がシェアという人間の行動パターンを裏で利用してコントロールしている、というものが見えてきます。だから、自分たちのコミュニティーをベースでやっていけば、また本当の意味でのシェアという考え方になるかもしれないですね。

石山:そういう意味では、先ほどお伝えしたオランダの「Fairbnb」のような、組合型や非営利のシェアのプラットフォームが出てきていますが、一方で課題はやっぱりスケールしないから市場経済の低いところにしか入ってこない、ということですよね。これをどう考えていくか。「三方よし」のシェアによって本当に実現できるかが、課題になるんじゃないかなと思います。

河口そもそも、スケールしなきゃいけないもの? ローカルの人たちが幸せならいいんじゃないかしら。わたしはこれから、物質的な成長、発展の考え方ではなくて、精神的な質を超えたグレードアップの時代になるんじゃないかと思っているので、スケールしなくてもそのコミュニティの人が幸せならいいのでは。そういうコミュニティが広がれば結果としてよいのではないかな。
スケールを目指さないとは老舗の料亭のビジネスモデルです。老舗の料亭はなかなかお店の数を増やさない。増やすと質が落ちるし、店も大きくしないけれど、お客様へのサービスは惜しまない、味の切磋琢磨もしている。だからステークホルダーはみんなハッピーなんですよね。それに私、20年前から言ってますけれど、絶対に所有ではモノが足りないんです、シェアするしかないです。

石山:では最後に、日本型のシェアリングエコノミーをどう作っていくか、というお話をお聞きしたいです。先ほどお話ししたように、海外では、既存の市場を新しいITのシェアプラットフォームがディスラプトしてしまうような問題が起きていますが、日本ではどうしたら既存の市場とシェアリングエコノミーが競争や相乗効果を生み出せるでしょうか。

また、なぜ今、国がシェアに注目しているのかというと、例えば地方の過疎地域で、おばあちゃんが病院に行きたいけれど、自治体には公共交通の財源がないからバスも電車もほとんどない、タクシーもお客さんがいないから撤退、という風に、行政の手も資本も行き届かなくなるかもしれない中で、シェアに可能性を見出しているからだと思います。日本型のシェアリングサービスをどう作っていったらいいのか、伺いたいです。

河口:考えたことがないですけれども、やっぱり高齢化と人手不足が鍵ですよね。例えば高齢者施設でお年寄りに子どもを見てもらうと、折り紙とか、今なかなかやらない遊びをお年寄りが教えてくれたりだとか、子どもにとっても良い影響ががありますよね。昔の伝統的な流れの中でやるだけではなくて、もう少し戦略的に、子どもたちと高齢者をくっつけてもいいかな、と思います。

それと、シェアエコノミーじゃないけれど、私もいま自宅に友達を招いて着物の着付けを習っているんですね。彼女に着付けを教えてもらう代わりに、私がごはんを作って御馳走しているんですけれど、友達同士からでも、お互いのスキルの交換を遠慮なくどんどんやっていくうちに広がっていくんじゃないかなって思います。

石山:ありがとうございます。いろんな課題があると思うんですが、価値観のシフトが、シェアというものを広げていく上ですごく重要なのかなと、先生のお話でも思いましたし、このディスカッションでも感じたところです。

河口:21世紀という時代は、ある意味ですごく飛躍できる時代ではあるけれど、失敗すると人間は大変なことになる、そのくらい危機的な環境の状況でもあります。だから、シェアすることですよね。人間が持っている叡智や、近代社会の中で古臭いと思われていた日本の知恵「おかげさま」「もったいない」「お天道様は見ている」とか、そういった価値観を見直して、今の仕組みに合うようにリノベーションして伝えていくことが、これからの時代の大きな叡智、知恵になるのではないかなと思います。

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