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Next Wisdom Foundationは、発足して5期目を迎えました。今まで私たちは、「これから必要な叡智とは何か」をテーマにイベントを開催し、皆さんと学んできました。今後、さらに叡智の探求をしていくために、Next Wisdom Foundation事務局で、理事・評議員が現在考えていること、見ている未来をリレーインタビューする『理事・評議員の今!』を連載しています。6回目は、Next Wisdom Foundationの代表理事で、カフェ・カンパニー株式会社代表取締役社長、楠本修二郎さんに話を聞きました。
「コミュニティ型社会の、その次はなんだろう?」
――楠本さんは、以前から地方に注目をしようというお話をされていますね。
僕は未来予測フェチで、バブルの頃に2000年になった日本を想像して、このまま経済成長が右肩上がりで続くわけがないし、不動産バブルは絶対に間違っていて長くは続かないと思っていました。1997年に山一証券が破綻したのを機に、「これからはアップサイドダウンが起こるから僕はゲリラ戦で生きよう」と思ったんです。
「カフェ」というのは不動産事業のゲリラ戦みたいなもので、チェーン店をつくらず、地域のポイントに「カフェのある風景」を創っていくことで、「この風景良いじゃん」と共感をした人たちが仲間になっていく。いろんな場所でいろんなものを作っていると、「それ良いじゃん」と言ってくれる人が現れる。それが最終的にメディア価値になるという妄想をしていました。そんな風に、チェーン店ではない「カフェ」を作ろうと決めたのが、90年代半ばから後半のことです。
ここ数年は、コミュニティ型社会の次はなんだろうということを考えています。そこは、はっきりとイメージができているわけではないけれど、人口統計だけは嘘をつかない。100年後の日本の人口は約4000万人になって、200年後には1500万人くらいと言われています。日本に人がいなくなるかもしれないという予測もありますが、僕はそうは思えない。
カフェ・カンパニーを創業したときから、インバウンドを増やそうと考えていました。日本の人口が半分になるなら、1人当たりの国土は倍になる。ということは、「遊べ」ってことですよね。日本人が遊ぶ……「遊ぶ」の意味は、ゆらゆらとしたさま、ゆらゆらと余裕をもって微笑んでいるような様子。海外の人は、そういう日本に来るのではないか? 僕はまだまだできていないけれど、その「遊ぶ」ことを実現しようとすると地方に注目するべきだと思うんです。いろんな人が地方はもうヤバイと言っているなか、僕は、ネガティブに捉えるのではなく「地方に希望があるんだ」と言い続けています。
課題解決だけでは、できないことがある。
――“ゆらゆらと遊ぶ”というのは、どういうことですか?
境界を越えること、先入観も越えること、村八分がない状態。コミュニティってけっこう危険な言葉でもあって、コミュニティは排他的にもなるものなのです。今のインターネットは、完全に排他的になってきていると感じています。フィルターバブルがかかっていて、若者は若者で盛り上がってユーフォリアをつくって、そこに、おじさんは入れない。その逆もしかりです。「フィルターバブル」の例えで言えば、例えば子育てママが1人で悩んでいるときにインターネット上の「子育てママ」しかいないコミュニティに依存してしまうと「同じ価値観・同じ状況の人たちだけにしか共感できない」「その他の状況にある人たちとは分かり合えない」状況になってしまう……というように、インターネットによりどんどんマインドコントロールされてしまうんですよね。みんな、インターネットはその人のためになる情報を提供しているというけれど、この状況を続けていたらセレンディピティは起きないんです。実は、インターネットは村八分をつくっているんですよね。こんな状況をぐるぐるとまわして酸素透過性を高めるのがリアルな場所の役割。リアルな場所は、都会と地方も混ぜ合わせていけますしね。
70歳以上のおじいちゃん・おばあちゃんが、レシピも含めて持っているwisdomを継いでいくことや、老舗といわれるブランドを引き継いでいくことは、僕の年代ではもう無理だと思います。それは、僕がやらないということではなく、曇りなき眼で発見できる若者たちに引き受けて欲しい。10代の若者が70代おばあちゃんのレシピをどう受け継ぐかというシチュエーションが、僕が思う「すごく『遊んでいる』」ということです。
あるいは、地方を課題として考えるのではなく状況を楽しむということも考えています。以前、「限界集落」と呼ばれる地域に出掛けた際に、80歳を超えたおじいちゃん・おばあちゃんがものすごく笑顔で働いているのを見たんです。その状況は正に日本人の原体験にあるような里山の風景で「もう桃源郷だな」と思いました。その集落をなんとかしなきゃいけないというけれど、それは果たして課題かというとそれは違うと思う。その景色や魂のようなものをきちんと受け継ぐことが大切で、20世紀の感覚や基準で「これは課題だから解決しないといけない」ということは違うのではないか? と。
たしかに、経済的な視点でいうと日本は課題先進国で、それを解決することで未来につなげてきました。このことはスーパーポジティブな発想だし僕は賛成です。ただ、なんでもかんでも課題として認識するのではなく、まずはあるがままを愛でてみるということも大切だと思っています。
ーーそういう視点を持つために、何が必要でしょうか?
僕は、僕の中に自分の座標軸を見つける『旅』をしています。つまり、自分を振り返ってみるということです。そうすると「あのときのあれがポイントだったのか?」と鮮明に見えてくることがあって、その感覚を思い返すことができるのです。僕の職業柄、過去のことを話す機会が多いから知らないうちに物語化しているんですよね。物語と経験が幽体離脱しているというか、どれだけ苦しかった過去でも、未来によって「あの経験があったから今がある」となって、素敵な物語になる。未来によって、過去が書き換えられる。これは自画自賛ではなく、あのときの辛かったという時間に戻り、過去を振り返りながら、この先の未来に僕は何をするのかということに思いを馳せ、自分がやるべきことを再編集しているところです。
若い世代のクリエイティビティとセンスを、ビジネスの発想につなげたい。
――食という分野には、これからも注目が集まっていくと思います。
僕はもう一度、僕たちだからできること僕たちにしかできないことをやろうと思っています。外食産業のなかで、僕たちができることがあると思う。外食産業の人たちを……うまく言えないけれど、このままにしたくない。
飲食店の特性は、人も店も「移動しない」ということです。それは素晴らしいことで、世の中のシェフは同じ場所に留まって、「いらっしゃいませ」とお客様を迎え続けてきました。でも、それをノーマがやめた。ノーマのように「移動する」というスタイルをとるシェフが増えてきて、世の中のシェフたちも店舗を持たずに移動することに憧れるようになってきました。外食産業は「止まっている」という産業に見えてしまっているかもしれないけれど、僕たちは止まらなくてもいい。
食は、農業を含めてとてもクリエイティブなものです。ただ、そこにビジネスや戦略の発想がありませんでした。僕は、食、つまりクリエイティブなものを戦略化してビジネスにするということにこだわっています。そこには、やる価値があると思っています。
――曇りなき眼を持つ、若くて良い人材が必要ですね。
今の若い世代は、頭が良くて優しい子が多いという印象があります。極端に言えば、日本が滅びても日本の美しさを保全したいという精神性に向かっている。それは素晴らしいことだと思うけれど、それでは革命は起きない。若い世代のクリエイティビティとセンスが、「もっと魂をこめて、商業とのいいバランスをつくり、お金をきちんと稼ぐ」というほうに向かってほしい。1人でやるのが無理なら、100人でかかれという方向に火をつけたいですね。