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「人は、どうしても“同”したがる」【A piece of PEACE】能楽師・安田登さんインタビュー

Next Wisdom Foundationの今期のテーマは【A piece of PEACE】。そもそも平和とはどういうことなのか? 戦争・紛争、民族等のキーワード以外に、例えば微生物・宇宙工学……津々浦々古今東西多方面から深く問うことで平和の解像度を少しでも上げていきたい。この活動が「平和な世界」への第一歩になると信じて【A piece of PEACE】を探求していきます。
まず話を聞いたのは、能楽師の安田登さん。NWFでは2019年に「人間らしさ」をテーマにインタビューをしました。

※安田登さんにオンラインインタビューをしたのは2022年1月末でした。2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、記事公開時点で戦闘が続いています。今期テーマに掲げた【A piece of PEACE】はウクライナ侵攻の状況を鑑みながらNWF内で取材方針を再議論をしています。

<プロフィール>
能楽師 安田登さん
1956年千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。元ロルファー。高校時代、麻雀をきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師時代に能と出会う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。現在は、能楽師のワキ方として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京を中心に全国各地で開催。日本と中国の古典の “身体性”を読み直す試みにも継続して取り組んでいる。
Eテレ「100分de名著」講師(『平家物語』)、『能─―650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)・『異界を旅する能』(ちくま文庫)・『身体感覚で『論語』を読みなおす。』(新潮文庫)・『すごい論語』(ミシマ社)・『身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。』(春秋社)・『あわいの力』(ミシマ社)・『日本人の身体』(ちくま新書)・『イナンナの冥界下り』(ミシマ社)・『能に学ぶ「和」の呼吸法』『疲れない体をつくる「和」の身体作法 』(以上、祥伝社)・『変調 「日本の古典」談義』(祥伝社、内田樹氏との共著)など著書多数。最新刊は『古典を読んだら、悩みが消えた。世の中になじめない人に贈るあたらしい古典案内』(大和書房)

*安田登さんNWF関連記事
「こころ」ではなく「おもひ」で演じるー能楽師 安田登さんインタビュー 

能とこころの平安の関係

Next Wisdom Foundation事務局(以下NWF):今回は、能と平和についてお聞きします。

安田登(以下安田)平和という言葉は、本来は「おだやかなこと、静かでのどかであること」などを意味する言葉で、「戦争がない状態」を意味するようになるのは新しいことです。戦いの能(修羅能)の主人公(シテ)の多くは、負けた人です。負けた思いをいかに鎮魂するか、それが能では大事になります。しかし、勝った人も死後は安穏というわけではありません。勝った人も負けた人も、死後はみな修羅道に堕ちます。修羅道に堕ちた人をこの世に呼び出して、戦いの様子をもう一度語ってもらうことで、この世に残した念「残念」を昇華させる。それによって「こころ」の平安を得る。能における平和・和平というのは、世界の平和・日本の平和というよりも「こころの平安」です。詳しくはあとでお話しますが、正確にいえば「こころ」よりも深層にある「おもひ」ですが、勝った人も負けた人もこころや思いの中はぐちゃぐちゃになっています。それを語って舞うことで一時的にせよこころの平安を実現するのが、能における平和・和平です。

NWF:亡くなった人にこころの平安が訪れても、現実の世界は変わらない。能が最終的に目指すのは、死んだ後のこころの平和ということでしょうか?

安田:「最終」という概念がないのが日本文化だと思います。日本文化は循環する文化ですから、最終の答えがあるわけではない。能でも、せっかく成仏した人がまた戻ってきますからね。最終を考えないからこその能です。例えば、能で死んだ人が恨みを述べに来る。恨みを述べてスッキリして帰るけれど、またその恨みを述べに来るんです。僕はこれがすごく大事だと思っています。自分が恨みをいだいている人に対して何か恨みを言って、1回目は聞いてくれたのに、2回目に行ったら「前に聞いたから聞かない」と言ったら頭にきますよね。恨みは永遠に言ってもいいし、聞く方も永遠に恨みを聞く。最終的にどうのこうのというのがないのが、能的であり、そして日本的だと思うんです。

「こころの3層構造」という話をします。一番外の層、表層が「こころ」です。「こころ」の特徴は、変化することです。「こころ変わり」という言葉があるでしょう。例えば「去年はあの人が好きだった。でも今年はこの人が好き」という風に心変わりする。それが、「こころ」の特徴です。この好きになる対象は、異性だけでなく、子どもができると我が子を好きになったりもする。あるいはもっと年をとると、それが自分の過去になったりもする。このように対象はころころ変わるのですが、しかし「好き」になるという心的な機能は変わらない。それを「おもひ」といいます。「おもひ」は「こころ」の下にあります。能で扱うのは、ころころ変わる「こころ」ではなく、変わらない「おもひ」なのです。たとえば「目の前にいる人が嫌なことをしたから頭にくる」というのは「こころ」の部分です。その人が今言っている深層にある「おもひ」、これにアクセスする。すると、自分の中にもこんな「おもひ」が眠っていたのかと気が付く。その「おもひ」に気が付くことが大事だと思います。

NWF:文句を言い続ける能の仕組みと、こころの平安の関係は?

安田:こころの平安を保つということはおそらく不可能なんじゃないかと思います。だって、変わるものですから。一時的な平安ならば得られるかもしれない。永続的なこころの平安を得ようとしたら、こころが動かない状態、すなわち死ぬしかなくなってしまいます。一時的なこころの平安を得る方法というのが、文句を言うことであり、そしてそれを聞いてもらうことではないかと思います。

喜びがあれば当然悲しみもある。この振れ幅の中で、人は生きています。ぐちゃぐちゃになっている時にCalmnessが欲しくて誰かに話をする。するとこころがちょっと静かになる。でもまた喜びがあったり、落ち込むことがあったりして、また何かを話したくなる。その繰り返しだと思います。

平和のキーワードは、幽霊の鎮魂と江戸時代の在り方

安田:今回のテーマは「平和」で、現在、平和というと戦争との関連で語られます。そしていま、ロシアとウクライナが戦争状態に入っています(編註:記事校正時に安田さんが追記してくださった一文です)。しかし、僕が扱う分野のほとんどが、まだ世界国家を相手にしてない時代です。ですからお話しできるのは、国家内での戦争や、あるいはこころの内部や神などとの関連における平和です。

世阿弥が、幽霊を主人公にした夢幻能をつくった時代背景は非常に面白いと思っています。世阿弥は『平家物語』を重視せよと言っています。『平家物語』というのは、平安時代と鎌倉時代のあわいの文学です。しかし、世阿弥は鎌倉時代が終わって室町時代に入っていったときに活躍した人です。世阿弥にとって、『平家物語』はかなり前の時代の話なんですね。

世阿弥の時代というのがどんな時代かというと、まだ南北朝時代の余波が残っている時代です。南北朝時代というのは、天皇が2人いる時代であり、核となるものが判然としない時代です。また、いつからいつまでが南北朝であり、いつからが室町時代だということもはっきり言いにくい漠然とした時代です。そういう意味でも非常に不安定な時代です。そんな核となるものがない時代に書かれた本が『太平記』です。いま『太平記』を読みながらまとめているのですが、全40巻の『太平記』のお話をしていくと時間がなくなるので、今回はひとつだけお話させていただくと、『太平記』には途中から幽霊がよく出てくるという特徴があります。しかも、その存在感がすごい。後醍醐天皇や楠木正成の幽霊などが出てきて、リアルな世界に影響を与えてしまう。世阿弥は幽霊は主人公(シテ)とする夢幻能というジャンルを作ったのですが、これは『太平記』の影響を受けているのではないかと思います。戦乱の時代、人がどんどん死んでいく時代に、幽霊の存在がすごく大きくなってくる。3代将軍の足利義満の時代にようやく南北朝時代が終わりを迎えますが、世阿弥はその時代に活躍した人です。ちょっと落ち着いたときに、幽霊を何とかしないといけないという強い危機感を持って鎮魂の能である夢幻能を作った。世阿弥は鎮魂の時代の人だったのです。

世阿弥のお父さんの観阿弥は夢幻能的なものはほとんど作っていません。そして、世阿弥の息子・元雅も夢幻能をほとんどつくっていないので、元雅の時代には鎮魂の時代が終わりかけていたのかもしれません。

NWF:『太平記』の時代における平和観のようなものを、後の私たちは受け継いできているのでしょうか?

安田:いまはどうかわかりませんが、少なくとも江戸時代までは引き継いでいたと思います。江戸というのは戦争が無かった時代です。すごいでしょう。極端に言えば、鎌倉時代も室町時代も江戸時代のためにあったと言っていい。どういうことかというと、日本には古代から天皇を中心とした貴族のいる宮廷社会があります。これが平安時代の最後にぐちゃぐちゃになって、武士たちは頭にきて何とかしようと思ったわけです。これが『平家物語』の時代ですが、ヨーロッパなどでは王や宮廷がめちゃくちゃなことをすると、王や貴族を殺しちゃう。宮廷を倒す、革命という考えです。ところが日本人は、そうしなかった。どうしたかというと、「もう一つ政権をつくっちゃえばいい」と思って「幕府」なんてものを作ってしまった。天皇と貴族は宮廷のほうでやっといてくれ、武士と庶民は幕府でやるからといって、二つの政権構造をつくったんです。これはすごいことだと思うんです。

今の僕たちは、西洋の影響を受けていますから、邪魔なものがあったら打倒しようとするし、二つできた場合はどちらが正しいか考えがちです。しかし、当時の日本は「両方ありじゃん」と言って幕府をつくっちゃった。ただ、せっかく作った幕府ですが、鎌倉幕府・室町幕府が失敗したのは、「宮廷はかっこいい」と思って、自分たちも宮廷の価値観に取り込まれてしまったからだと思います。だから江戸時代は、武士は極力宮廷には近づかず、別々にいくことにした。ある意味で、鎌倉時代・室町時代の失敗を江戸時代で成功させたのではないでしょうか。江戸時代の宮廷の扱いは、現代の天皇制と同じく、天皇を象徴にして実務は自分たちがやるという形です。

これは、様々な問題を考えるときの重要なヒントになると思います。
例えば、2020東京オリンピックは国民の多くが反対したけれど結局開催した。ある意味、民主主義が崩壊していますよね。そうなると、今の政権はダメだから倒して新しい政権をつくろうと思っちゃう。でも、バーチャル幕府を作っちゃえばいいと思うんです。政権に近い人は、いまの政府でどうぞ。俺たちは俺たちで勝手にやるからと。そして、バーチャル幕府を作るときに何が大事かというと、今の政権が大事にしているものを大事にしないことだと思います。

具体的に言うと、一つは土地。日本では不動産はすごく大事なものと思われていますが、6畳のアパートでいいし、土地なんて所有しようとは思わない。その代わりにメタバース上に無限の空間があるから、みたいな感じで……。地位や名誉はもちろんいらない、お金もいらない、その代わりにビットコインをもらえればいいと。仮想の世界である意味のバーチャル幕府をつくると、バーチャル幕府は日本にとどまらず世界に広がると思うんです。地政学的な国家が崩壊する。こんなふうに、対立構造ではなく、違う次元での共立を目指せばよいと思います。

もう一つ、江戸幕府がやった重要なことは、最終兵器を捨てたことです。江戸幕府の前には織田信長がいて、豊臣秀吉がいた。むろん、江戸幕府を開いた徳川家康もいた。この3人の強味は鉄砲隊です。織田信長が武田信玄の騎馬軍団に勝てたのは鉄砲があったからです。ところが、今の僕たちが江戸時代をイメージしたときに鉄砲のイメージはほとんどありません。武士の武器といえば刀です。でも、歴史の流れから言えば、江戸を作ったのは鉄砲だから、江戸時代の武士たちはピストルを持っているのが普通ですね。それなのに刀を持っている。これは彼らが、最終兵器を捨てるという方法をとったんではないかと思うのです。それを考えたのが徳川家康かどうかは分かりませんが、鉄砲を使っていけば日本は大量殺戮時代に入ると考えたのではないかと……。だから、鉄砲を捨てて刀を選んだ。刀ではたくさんの人は殺せません。さらに彼らは先見の明があって、おそらく世界は鉄砲の世界になるだろう、機関銃も作ってしまうだろうと考えた。だから、鎖国が必要だったんです。

そして、5代将軍徳川綱吉の時代から始まったのが文化政策です。いま、綱吉はとても人気がない人ですが、彼は武の政策から文の政策に変えました。さらに、参勤交代などを制度化して各藩にたくさんのお金を使わせた。そうすると、外から見て日本という国が大した国じゃなくなるんです。大したお金を持っていないし、工業製品も何もない、「文」だけがすごいという国になる。そうすると、他国は日本を占領しようと思わない。こんなふうに、江戸時代の在り方を知るのも平和には大事かもしれません。

火縄銃 *public domain

和と同

NWF:初めて平和という言葉が出てきたのは、いつなのでしょうか?

安田:漢文で平和という言葉が出てきた最古の本は、おそらく『礼記』の中にある楽記の章です。そこには、”どんな音楽が平和の音楽ではないのか”ということが書かれています。平和な音楽というのは、いわゆる世界が平和な状態ではなく、自分が平安になれる・気持ちが安らげる音楽を平和の音楽と言っています。

世界の話はあまりできませんが、旧約聖書のヘブライ語では、平和は「シャーローム」ですね。旧約聖書の中でシャーロームがどんな使われ方をしているかというと「自分の平安」という意味ももちろんありますが「他者の平安を気遣う」「他者の安否を気遣う」というような使われ方をしています。「利他」という言葉がいまよく言われていますが、シャーロームの第一義は他者の平安を気遣うことです。

シュメール語で平安・peaceと訳される「neha」という語は平安と同じcalmnessで、静かであること、あるいは神々と和解することを意味します。人々はよく神々と戦いを起こしたり、神々に何かされちゃったりするんですが、その神々とコツコツと和解していく。国同士の戦いよりも、神々との和解を平安としているのがシュメール語です。アッカド語になってもその意味は続くのですが、だんだんと完全・completeとか、罪の無い状態・No Harmという意味に変わってきます。そのような状態が、calmnessを作るという風になっていきます。完全・completeというのはwholenessに近く、wholenessはhealth、健康・健全であることと語源が同じです。そしてこれから、福祉・welfareという意味にもなっていく。何かが欠けている欠落がある状態というのはwelfareではない。それを埋めることによって欠落がない状態にする。これがシュメール語からヘブライ語に至る経過で起こります。旧約聖書になると自分の問題だけでなく、他者を気遣うということに変わってくる。こうなると、中国の平和の意味とかなり近いものがあります。

もう一つ、ヘブライ語のシャーロームにはBinding Togetherという言葉もあり、いろんなものが一緒になるという意味があります。これで思い出すのは、平和の和という漢字です。和という漢字は昔は「龢」と書かれていました。これは3本の竹の笛をまとめたものが元の意味です。
この「和(龢)」と似ていて違うのが、「同」という漢字です。和(龢)というのは、違う音の楽器を一緒に吹いてそこに調和を見出すことをいいます。それに対して同というのは、同じ音を出すことです。和するというのは、価値観の違う人・意見の違う人が一緒になりながら調和を見出すことなのです。ですから、平和というのは、いくつかの国をまとめて一つの大きな国にするとか、あるいは同じイデオロギーや何かでまとまることではなく、違いをお互いに認めあって、違いのままに和することです。さきほどのヘブライ語が定義するBinding Togetherもそうです。孔子『論語』の中で、「君子は和して同ぜず」と言いました。君子は和はするけれど同はしないと。人は、どうしても同したがります。『論語』の中の「小人」というのは、『尚書』などを読むと、元々は普通の人という意味です。普通の人は同したがるけれど君子は和でいきましょうというのが孔子の提案です。

女性は大量殺戮をしない

古代中国でもシュメールでも、女性も戦いをしていました。全ての戦いを女性がしていたかどうかはともかく、甲骨文字を読むと、最大の軍隊を率いていたのは婦好という女性将軍です。彼女は祭祀を執り行ったり、出産に関する占卜も行うなど、様々なものに関わっています。古代中国には、婦好だけでなく多くの女性将軍がいましたが、あるときから女性将軍がいなくなり、男性将軍に代わっていきます。女性将軍から男性将軍に代わるのが、ちょうど文字の発生と時を同じくしています。世界的にそうですが、文字が出てきた後はほとんどが男性社会になる。僕たちがよく知っているキリスト教・仏教・儒教は、女性軽視あるいは女性蔑視です。もっとも蔑視が弱いのはキリスト教ですが、それでも現在、ローマ法王に女性がなるのは考えられない。これは、文字以前の社会では女性が中心だったからこそ、女性の力を抜くために女性蔑視が行われたのではないかと思います。女性社会から男性社会に変わったきっかけは文字だったのではないか、そんな可能性もあります。キリスト教・仏教・儒教の特徴は、文字・言葉を大事にすることです。

ここからは妄想なのですが、女性が将軍だった時代はひょっとしたら大量殺戮が行われなかったのかもしれない。例えばライオンはメス同士が戦いますが、どっちが優位か分かった瞬間に戦いが終わります。べつに殺戮をする必要はないわけです。文字の誕生以降になぜ男が強くなったかというと、文字によって抽象が起きたからです。文字というのは3Dのものを紙という2Dにすることです。僕たちは紙に置いて見ることで、ものの実態ではなく抽象を見ることになるんです。そして抽象は無限の広がりを持ってしまう。例えば、お金は抽象的なもので、いくらあっても満足ができない。抽象になるとタガが外れるんです。今はわかりませんが、古代は女性の方が抽象度が弱くて、男性の方が抽象度が強かったのではないか。女性は具体性が強かった。だから戦争に行っても多くを殺さなくてすむ。どちらが勝ったのか分かれば殺さなくてもいい。けれども、男性の場合は抽象度が強いから、いくら殺しても満足ができない。大量殺戮が起こりうるわけです。今は世界的に女性の時代になりつつあります。今後さらにいろんなテクノロジーが発達すると、もっと女性の時代になる確率が高い。女性の時代になるということは、大量殺戮が起こらない可能性も出てくる。いざこざがあっても戦争にはならないのではないか……こんなことを考えています。
そういう意味でも、日本はかなり遅れていますが。

日本はもともと和だった

NWF:和と同の考え方ですが、和と同は混同しがちなのかもしれない。私たちはもしかしたら、同というのを平和と履き違えてる部分があるのかもしれません。

安田:日本こそ和の国でした。聖徳太子は「和をもって貴しとなす」と言いました。この聖徳太子の言葉は『論語』の中の言葉が元になっています。しかし、『論語』では少し違っています。『論語』では「礼の用は和を貴しとなす」と言っています。これは孔子の弟子の有子という人の言葉です。和は、ひとりひとりが自由に発言したり、行動したりするので、めちゃくちゃな状況になりがちです。その状況をまとめるためには礼が必要だと有子は言っています。礼とは何かというと順序、規律、オーダーです。順番を決めたり、収束させたりするのが礼。めちゃくちゃにになりがちな和も、礼を使うとうまくいくというのが有子の考え方です。それに対して聖徳太子は和だけで大丈夫だと言いました。おそらく聖徳太子は、日本人は和でうまくいく民族だという自信があったのです。本来日本人は、みんな勝手にやっていて、なんとなく成り立っていた。「同」にしようとしない人たちだった。日本人の同の力がこんなに強くなったのは江戸時代以降だし、さらに強くなったのは明治以降です。

NWF:昔の日本人たちは、”なんとなく”で成り立っていたのですね。

安田:なんとなくでも成り立つために大切なことは、大きな組織を作りたがらないことです。自分の手の届く範囲ぐらいの組織でいい。違う意見の人は、違うグループを作ってやってください。こっちはこっちの意見の人たちで作りますからと。

それは日本人の議論の仕方をみてもわかります。日本人の本来の議論は「和の議論」です。いわゆるディベートはどの議論が正しいかということを競いますから「同」の議論です。それに対して和の議論は、いわゆる「三人寄れば文殊の知恵」です。すなわち三人いれば一人では考えつかなかった、まるで文殊菩薩のような知恵が出てくるというものです。そのために最初にすべきことは、自分の意見を捨てることです。そうして、みんなの意見がぐるぐると螺旋のように回っていって、ある時に誰もが考えなかったような素晴らしい考えがポッと出る。それが文殊の知恵です。そして、その意見は誰が出したかなんてどうでもよくなる。誰かの手柄にならない。それも大事です。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉が重視されているのは、かつての日本人はそのような議論=和の議論をしていたということだと思います。

NWF:和から同へ変わったのは本当に明治以降なのでしょうか? 稲作をするためには、一つにならないといけない側面もあったのではないか。違う色の人を排除するようなことはなかったのでしょうか?

安田:村八分などはありましたが、意外とゆるいです。二宮尊徳(二宮金次郎)さんは校庭の銅像で有名ですが、彼がしたことは地方の活性化です。殿様から「地方をなんとか活性化してくれ」とお願いされて地方を活性化しました。彼の活性化の手法は「誠」です。誠というのは中国古典の『中庸』で重視される思想です。「誠」は孔子の時代にはない漢字で、元々は右側にある”成”だけでした。誠とは、「成るべきものが成るべきようになるのを手助けする力」です。例えば、ここに芋虫がいる。これが蝶になる。昆虫や動物は自然にそうなるけれども、人間はそうはならない。だからそれを手助けする必要がある。それが誠です。一人ひとりにはその人だけが持っている天命としての「種」があり、その種が開花するのを助けるのが誠です。
二宮尊徳が地方に行って最初にやったことは、お上からの助成金を全て断ることでした。その代わり、自分の持っている田畑・家を全て売ってそれをお金が足りない人に自分で貸します。しかも無利子・無担保、催促もなし。荒れた地方で最も荒れているのは人の心です。そこで彼が最初にすることは、「心田」の開発です。人の心を開発すれば自然に何とかなる。しかし、そのためには時間がかかる。だから、まずは10年の時間がほしいと言うんです。心田を開発して、だんだん人々が働くようになってきます。

しかし、みんなが働くようになっても、どんなに頑張っても駄目な人がいます。最後まで怠ける人もいるし、みんながやろうとすることに文句を言う人もいる。こういう人たちはどうしたらいいか。尊徳さんは、彼らを無理に働かせようとはしない。なぜなら怠けることがその人たちの天命かもしれない。天命というのは、もともと持って生まれた「命」です。いま怠けている人たちはいまは怠けるというのが彼の天命で、ひょっとしたら10年後、いや来世・再来世できちんとする人なのかもしれない。だから、いますべきことは彼が困らないようにすることだというのが二宮尊徳の考え方です。尊徳にとっては、全ての人の今の状態が天命であり、天命の経過の途中なんです。先ほどの質問でいえば、みんなを同じようにするということを二宮尊徳はしないんです。

安田:僕が生まれ育ったのは千葉県銚子市の海鹿島(あしかじま)町という海辺の町ですが、いつも遊んでいるおじいちゃんがいました。仕事するのを見たことがない。しかし、そのおじいちゃんは盆踊りになるとすごい勢いで踊りはじめるんですね。おじいちゃんは盆踊りのためだけに生きているようなものです。僕の町ではそれが許されていました。おそらく、日本の村はそんな感じだったのではないかと思うんです。幕府は「ちゃんとやれ」というけれど、みんな割となあなあにやっていた。

NWF:あるがままを許す余白があると、和ができるのですね。

安田:そうですね。和というのは決してみんなが素晴らしい人になることではない。いい加減な人、適当な人、やる気のない人も含めて和です。

NWF:そうすると、和はどちらかというと社会的な構造の話になりますね。鎖国してそこから江戸時代が260年続いて、幕末に世界から開国を迫られて慌てます。幕末の日本は何をしたのでしょうか。

安田:主に幕末を動かしたのが下級武士だったというのがは大きかったのではないでしょうか。彼らは自分に自信がない。だから、西洋に対するコンプレックスが大きい。必要以上に西洋はすごく良いものだと思ってしまった。そこに「同」の構造が入ってきてしまった。

明治時代は、それまで日本になかった概念がたくさん入ってきました。たとえば、「LOVE」という言葉を日本語でどう訳すか論争になったことがありました。「恋」はダメ。何故なら江戸時代の恋は基本的に遊女に対するものか同性愛が中心です。また、「愛」には愛執とか愛著というようなネガティブな意味がある。「恋」も「愛」も使えないから、「恋愛」という言葉ができるわけです。江戸時代までの恋愛の基本は、肉体関係から始まります。ところがLOVEは、肉体関係に至るためのものが中心になる。騎士のような恋愛です。プラトニックで西洋的な恋愛が素晴らしいと、そう宣伝するために明治初期の小説が書かれたのではないでしょうか。あの時代の小説のほとんどが恋愛小説というのは変でしょ。おそらく、恋愛を通して西洋的な思想を教える、そしてこれまでの日本人は穢れていると教えた。それを受け入れちゃった日本人も幼いなと思いますが。

NWF:平和という言葉にも啓蒙活動があったのでしょうか?

安田:あったでしょうね、今まで考えたことが無かったのですが、絶対にあったと思いますね。これは調べてみると面白いと思います。

しかし、平和の前に「国家」という言葉の啓蒙活動がありました。それまでの日本には、国家という概念がありませんから。僕の子どもの頃は、家に鍵をかけることはありませんでした。誰でも家に入ってきたし、高校、大学の友人などは僕がいない時も家に入ってきて、そのまま泊まったりもしていました。今はほとんどの家が鍵をかけますよね。国家というのは、国に鍵をかけることです。お互いが、別の存在としてぶつかり合うことが前提になっているんです。

例えば、いまSDGsと聞いてほとんどの人は環境を思い出しますよね。でも、SDGsの一番は「貧困」ですよね。本来すべきことは環境よりも貧困に対するアプローチです。プラスチックの袋をなくす前に、収入の中から「貧困税」を差し引いて、貧しい人に与えることです。企業なんて、それをいっぱいすべき。それがいつの間にかSDGsといえば環境だという風に思いこまされている。これは完全に啓蒙活動によるすり替えです。SDGsと同じように、平和に対する啓蒙活動があったのだと思います。平和とは、戦争を通過しなければ実現できないものだと。

NWF:私たちは何に縛られているのか? どんな啓蒙活動を受けているのか? 今後、解き明かす必要がありそうです。

二宮尊徳 *public domain

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